ここに書くことは当たり前のことだ。
しかし、とても受け入れがたいことだ。
死を受け入れるくらいに受け入れがたい場合があることだ。
だから書いておく。
受け入れるために、覚悟するために。
残念だがこれは破られない。明確な真実だ。
たくさん集まった人間を無視することはできない。
それゆえ、エリートと群衆に分かれてしまうのだ。
持つ者、持たざる者が無くなることはない。
これらの人々は全体から見れば確かにピラミッドの上層である。
部分ごとにピラミッドは細分化されて新たなピラミッドが現われる。
どの階層にいようと大部分は群衆にならざるを得ない。
ピラミッドの中で、人々はたくさんの課題をこなさなければならない。
そしてその細かい工程はそれぞれ誰かに分担されることになる。
群衆は仕事を選ぶことはできない、分配された仕事を引き受けるのみだ。
必ず誰かの役に立っているということだ。
分担された責任を負わなければいけない。
群衆であることから逃げてはいけない。
群衆の中に自己実現を見つけることこそが、必要なのだ。
今の社会なら受け入れられる人のほうが多いんじゃなかろうか。 支配する側には責任がつきまとう。責任は軽いほうがいい。言動ひとつで叩かれるくらいなら埋もれていたい。 今は歯車...
そういう意味だとオレはもう人生を捨てている。 捨てた人生を今生きているよ。
責任を持たされるような支配者はニセモノ。 せいぜい番頭クラス。