2009-03-18

大衆社会で受け入れなければならない3つのこと

ここに書くことは当たり前のことだ。

しかし、とても受け入れがたいことだ。

死を受け入れるくらいに受け入れがたい場合があることだ。

だから書いておく。

受け入れるために、覚悟するために。

支配するエリートと支配される群衆の構図は絶対に崩れない

人間はすべて平等であるという理想は叶わない。

それは人間が集まると必ず、エリート大衆に分かれるからだ。

残念だがこれは破られない。明確な真実だ。

たくさんの人間とたくさんの課題が与えられた場合、

それらを管理するにはピラミッド型の構造にならざるを得ない。

たくさん集まった人間を無視することはできない。

それゆえ、エリートと群衆に分かれてしまうのだ。

持つ者、持たざる者が無くなることはない。

大部分は埋もれた群衆にならざるを得ない

代議士弁護士医師会計士社長大学教授

これらの人々は全体から見れば確かにピラミッドの上層である。

しかし、代議士ピラミッド弁護士ピラミッド

部分ごとにピラミッドは細分化されて新たなピラミッドが現われる。

たくさん集まった人間の限り細分化されていく。

どの階層にいようと大部分は群衆にならざるを得ない。

大部分は社会歯車となることから逃げられない

ピラミッドの中で、人々はたくさんの課題をこなさなければならない。

そのため、たくさんの課題はそれぞれ、細かい工程に分けらる。

そしてその細かい工程はそれぞれ誰かに分担されることになる。

エリート工程を配分し、群衆はそれを引き受ける。

群衆は仕事を選ぶことはできない、分配された仕事を引き受けるのみだ。

ただし、分配された仕事無意味なものはない。

必ず誰かの役に立っているということだ。

分化された仕事無意味に思ってはいけない。

分担された責任を負わなければいけない。

群衆であることから逃げてはいけない。

群衆の中に自己実現を見つけることこそが、必要なのだ。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん