「原理主義」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 原理主義とは

2009-09-18

http://anond.hatelabo.jp/20090918091544

学科がUNIX原理主義で、

ネットワークにWindowsPCをつないではいけないとかいう自主ルールがあったwww

2009-09-17

anond:20090917082744

首相]         鳩山由紀夫氏(衆·鳩山派)故人献金犯罪者

副総理戦略相]    菅直人氏(衆·菅派)カイワレ未納ブーメラン

総務相]        原口一博氏(衆·小沢派)小沢の子分A

法相]         千葉景子氏(参·横路派)憲法九条原理主義カルト

外相]         岡田克也氏(衆·岡田派)ジャスコ郵政選挙で大敗した元代表、痛いとこつっこまれるとすぐ顔色が変わる。

財務相]        藤井裕久氏(衆·無派閥痴呆老人、マニフェストの財源をどんぶり勘定

[文科相]        川端達夫氏(衆·川端派)よくわからん人A。

[厚労相]        長妻昭氏(衆·無派閥)実績無いのにミスター年金という自惚れ幻想

農水相]        赤松広隆氏(衆·横路派)よくわからん人B。

[国交相]        前原誠司氏(衆·前原派)偽装メール問題で退陣した元代表。

官房長官]       平野博文氏(衆·鳩山派)小沢の子分B

国家公安委員長]    中井洽氏(衆·小沢派)小沢の子分C

[郵政·金融相]     亀井静香氏(衆·国民新党)元郵政族族議員自分の既得利権を守る為に郵便局を国営化に戻したがっている人。

消費者·少子化相]   福島みずほ氏(参·社民党憲法九条原理主義カルト教祖

2009-09-01

高木先生が代表してるものって本当に「技術」なの?

http://b.hatena.ne.jp/inhouseneet/20090831#bookmark-15703995

inhouseneet もう壇先生も出てきたことですし、情報ネットワーク法学会の次のパネルはこれやりましょうよ。/MIAUとか入れてさ。/で、ITMediaが取材に来ればいい。/法律論と技術論でぐちゃぐちゃになりそうだけど。 2009/08/31

高木先生って、基本的に技術原理主義者で、技術的に無知人間を容赦なくボコボコにする人、というイメージが一般的だと思うけど、本当にその評価は正しいんだろうか、と最近思うようになった。

つまり、「技術的な正しさ」を代表し啓蒙している人というよりは、「セキュリティ原理主義者でありプライバシー至上主義者」と評価したほうが適切なんでないか、ということ。だとした時に、技術的な正しさと、セキュリティ的な正しさと、公共的な正しさとの差異について、どういう見識をお持ちなんだろうか。

技術的に正しいこと、セキュリティ的に正しいことは、それなりに正解を決めることができる。でも、その正しさは、社会思想的な意味での「正しさ」と必ずしも関係がないはずだと思うのだよね。

夜にまたなんか書くかも。

2009-08-21

新型インフル流行宣言にもかかわらず、裁判員の出頭義務はやめないのか?

ところで、新型インフル流行宣言が出たが、

感染の恐れがある裁判員候補者は、「出頭」の義務があるのか?

今後感染の拡大が広がれば、恐らく政府は「不急不要の集会の自粛」等を

呼びかけるものと思われるが、裁判員裁判そのものを「自粛」する考えはないのか?

法務省論理では、新型インフル感染拡大阻止より、裁判員制度の強行を優先したいという

裁判員原理主義」なのか?

その論理には、厚生労働省も逆らえないのか?

2009-07-28

二十代で研究者人生ダメにするための"論文"の読み方

 二十代の人が、研究者人生を棒に振ってしまうためのフラグの立て方は色々あるが、そのなかでも有名なものの一つに「悪性の論文調査」というやつがある。若いうちから、アカデミズムの海で実験結果を誤魔化すような処世術を身につけたり、捻れた教科書論文との付き合い方を覚えてしまったりした人は、まぁ、あとあと難しいだろう。

  

研究者人生ダメにするための“論文”いろいろ 

 では、研究者人生を棒に振るような“悪性の論文調査”とはどういうものか。色々なパターンをみかけるなかでも特に頻度の高いもの三つを、書き残しておこうと思う。

 

研究分野を色眼鏡で眺めるために論文を読む

 目の前の実験結果なり、自分が置かれているポストなりが気に入らなくて、それを色眼鏡でみる為に論文調査に耽溺するタイプ。このタイプの人は、実験装置のややこしさや理論の不完全性を承知しながら注意深くモデルを適用してみようという姿勢になりにくく、むしろシミュレーション理論という名のロードローラーを使って、研究対象をとにかく単純化・抽象化する姿勢へと傾きやすい。思想理論が含んでいて然るべき、実験結果に合致しない部分や不完全な部分を留保するよりも、自分が見たいビジョン自分研究範囲を染め上げることが優先されるものだから、教条主義的・原理主義的な研究者になりやすく、融通のききにくい“理屈だおれ”にもなりやすい。

 

 このタイプ人達にとっての“論文調査”は、研究分野のことを広く識るための“論文調査”というよりは、研究対象への見方をむしろ限定し狭めるための“論文調査”という体を為しやすい。彼らにとっての理論シミュレーションとは、視野を狭窄させるための色眼鏡でしかないし、まさにそのために“先行論文”が必要とされている。

 

 見たくない実験結果を自分の視界から締め出すために本を積み上げる人が、良い研究者になれるとは思えない。

 

・本の威を借りるキツネになるために論文を求める

 読んだ論文の数や著者の名前が、履歴書になると思っている人達の“論文調査”も、研究者人生を棒に振りやすい。本棚に並んでいる教科書参考書の立派さのためばかりに教科書参考書を買い求める人達も、同様である。

 

 本来、先行研究調査なんてものは「誰の論文を読んだのか」よりも「どんな影響を受け何を考えるようになったのか」のほうが遥かに重要な筈だし、ときには一枚のレターが、十冊のペーパーよりも強いインパクトファクターを与えるなんてこともザラにある筈だ。しかし、このタイプ人達にとっては、読破した論文の数を数え上げ、難解で有名な何某という先生論文を読みきったという事実証明のほうが重要らしい。ポスドク募集に提出するCVに載せるために論文を読むような、あるいは本の威を借りるキツネになるために強面の論文を敢えて選ぶような、そういう空疎論文の読み方に耽る人間というのは、いないようで結構いるものである。

 

 論文からの影響や論文の内容よりも、他人の論文の威を借りることに夢中になっている人が、良い研究者になれるとは思えない。

 

 

・優越感の袋小路に逃げ込む為にマイナーな分野を求める

 学会やコンペティションのような、他人同士が競り合う分野では劣等感が強烈過ぎて、それを補償するために、およそ誰も競争相手がいない研究領域を敢えて選んで、そのジャンルで悠々と優越感を味わうために知識を求める、という人も、可能性を勉強で囲い込んで腐らせてしまいやすい。

 

 例えば、研究生活のなかで劣等感が強い人が、その劣等感補償する為に勉強に手を伸ばすケース。実のところ、やり方は非常に簡単で、ラボの誰も興味を持ちそうにない分野の、ちょっと難しそうな参考書を見繕ってきて、ラボのなかで見せびらかすようにそれを読めば良い。ラボ流体力学を読んでいるやつがいなければ流体力学でもいいし、一般相対性理論教科書でも、マイナージャーナル論文でも構わない。とにかく、“ラボの頭の悪い連中”が手をつけそうに無い“俺だけが重要性を知っている”分野の論文を選びさえすれば、劣等感から身を守る大きな防壁として十分に役立ってくれる。

 

 しかし、こういう本の選び方ばかりしていれば、当然、“ラボの頭の悪い連中”とのコミュニケーションはますます困難になるばかりでなく、興味や関心の分野を著しく狭めてしまうことになりかねない。また、選んだ分野についての造詣を深めようにも、単に競争相手がいない場所を選んでいるばかりでは切磋琢磨など望むべくもないし、万が一、ポスドクとして行った大学などで競合相手に遭遇した場合、そこで再び劣等感を刺激されてもっとマイナーな分野へと逃避するしかないような、そういう逃げ癖が身についてしまうことも有り得る。

 

 マイナー研究を防壁にしながら劣等感から逃げ回るだけの人が、良い研究者になれるとは思えない。

 

まとめると

 

 このように、ひとつ“論文調査”と言っても、研究対象に対する視野を狭めたり、都合の良いモデル実験結果の埋め合わせをするために論文の山に埋もれるような、そういう惨めな論文教科書との付き合い方というのは十分に有り得る。世界を多様な視点で眺める術を与えてくれる筈の論文が*1、景色を歪め、視野を狭めるためのツールに堕するというのは、とても哀しいことだが、こういう事例は枚挙に暇が無いのが現状だ。

 

 矛盾した物言いに聞こえるかもしれないが、二十代の研究者劣等感補償する為に難しめの論文チャレンジしてみるとか、他の人が手を出してない研究分野を学んでみるというのは誰にだってあることだろうし、むしろある程度はキャリア相応に必要なプロセスでもある。だから、上に書いたような論文の選び方が全部ダメだというつもりは無い。けれども、上に書いたような論文の選び方ばかりを繰り返しているしているようでは、やっぱり良い研究者になれるとは思えないし、どんなに論文を読んだとしても、得るところが少ないだろう。

 

こちらより改変。

http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20090727/p1

●追記

ブクマ数見て驚いた。

こういうネタバレは無粋かもしれないけど、これ、半分は改変元の記事への皮肉で書いてます。あの理屈研究者に当てはめるとこんなヘンテコなことになるよ、というのを示すつもりで。でも、ブクマで賛同してたりする人が結構いて、ちょっと何だかなあという気分。(22:45)

2009-07-20

アメリカの二枚舌、はてなの二枚舌

http://anond.hatelabo.jp/20090719131317をみて思うところがあったので書く。

・原因は見ずに結果だけ見て感動するスイーツ(笑)級の馬鹿たち

アメリカスクールカーストのこともあるけど、男は男らしくあるべき論が根強い

男はスポーツを見るべきだ!という感覚も根強い

女性軽視も根強い。魔女狩りは過去のことのように言ってるやつが多いけど、キリスト原理主義者が今でも結構多いのでシャレにならない

だからハリウッド黒人枠のように、社会女性枠を無理矢理作って、我々は平等で~す。とか茶番劇を繰り広げるわけだな。

つまり、アメリカはこういった(感覚)と(時代)が普通なんだよ。

自分がやっていることは相手もやっているに違いない」という前提で批判することは良くある話だ

アメリカはまさにこの自分感覚でことさら日本を非難するわけだな。

聖書の段階で男尊女卑だからな。どうせこれいってもあれこれ都合あわせた解釈をはき出すだろうけど

はてな馬鹿は、立ち上がらざるを得ない状況をつくったアメリカ社会の腐敗には目が行かない。

立ち上がったアメリカ人だけを見る。そして「素晴らしい!感動しました!」と映画宣伝みたいに言う

マッチポンプとは言わないけれど、間抜けな原因を作ったアメリカが、自分ズッコケテ、自分で起き上がっただけだ。

不良が改心した感動ドラマみて涙流すスイーツ(笑)と変わらない。

馬鹿にあわせるな

はてな馬鹿に似た馬鹿の話があって

子供教育シンポジウムで、そこに出席していたテレビ局馬鹿

「私は現在米国向けアニメの輸出をする仕事に関わっていますが、アメリカ規制に対する姿勢が素晴らしく、子供のことを第一に考えている。

銃の表現一つとっても厳しく規制がされていると。これは日本も見習うべきだ」みたいな事を言ったそうだ。

でも考えてみてほしい

普通感覚では、まず第一にやるべきは銃規制だろとw

表現規制で体裁を保とうとするアメリカがおかしいと思うのが普通だ。

でもそこは馬鹿なので、相変わらず日本は駄目論を展開する。なんで馬鹿にあわせて銃表現規制しなきゃいけないんだ。

ちなみに、自称「他国の文化に寛容なアメリカ様」だけど、子供向けアニメ日本的なシーンはことごとく削除される。

曰く、子供が見るのに適さないだそうだ。

子供日本価値観を植え付けられるのを嫌うのかな?それでなにか困るのかな?

こういうの聞くと、アメリカ映画をどういう意図で輸出しているか、分かってくるよねw

アメリカ自分に甘く他人に厳しい国

自分にできない事は人に言わないという、日本感覚は彼らには無い。

グローバルスタンダードヤードポンド米国流。

鯨の件でもそうだ(アメリカの一地方伝統だからと許可してる)

そのくせ日本知識人はてなみたいなネット連中も、このアメリカの言い分を信じやすいわけだ。

アメリカを拒否しながらも、アメリカの言い分に取り込まれるというのは、反権力主義者、特に反米主義者に良くある話だな。

反米してたらいつの間にか反日になっていたでござる

みたいな

はてなにはこういう奴らが多い。

俺は、はてなのその日和見った、そのくせ自分は分かってる風な態度が心底嫌いだ。

2009-07-19

http://anond.hatelabo.jp/20090718150407

いいこと思いついた。児童ポルノ被害者をなくすために、子供に関わったことのある人間を全員逮捕すれば良くね?

…というくらい暴論なのが、現在議論されてた法律なわけだが。

規制派は「そんな運用されるわけがない」と二言目には主張するが、法律というのは「実際にどんなふうに運用されても問題がない」というレベルで作成すべきもの。

だいたい、「そんな運用」されたら問題だ、と分かってるような法律の制定を真顔で訴えるとか。バカか? 理念には反対しないが、その原理主義的主張や、宣伝先行で実現しようとしてるそのやり口には強い不快感を覚える。とりあえず今は、アグネスの顔みるだけで不快

2009-07-18

児童ポルノ規制推進派/反対派の主張まとめ

いろんな立ち位置の人が入り乱れてるように見受けられるので、

規制対象への主張を元にA〜Hの8つのグループに分類してみる。

グループ児童ポルノ禁止二次元幼女禁止単純所持禁止取得禁止主張
A児童を題材にしたポルノは一切認めない。流通している事実は重用視すべき問題なので単純所持の禁止も妥当。
B×児童を題材にしたポルノは一切認めない。ただし冤罪の可能性が懸念される単純所持禁止は許容できないので取得禁止程度が妥当。
C×児童ポルノは認めない、もしくは規制されるのは仕方ないので単純所持禁止/取得禁止は許容するが、二次元被害者がいない、もしくは他の表現の自由が阻害されるので許容する/してほしい。
D××児童ポルノは認めない、もしくは規制されるのは仕方ない。ただし、冤罪の可能性が懸念されるので単純所持禁止は許容できないので取得禁止が妥当。二次元に関しては被害者がいない、もしくは他の表現の自由が阻害される可能性があるので許容する/してほしい。
E×××これ以上規制が加速しないよう現行法の維持が希望
F××個人的な趣向により願わくば児童ポルノは合法であって欲しいが時代の流れ的に単純所持禁止/取得禁止になっても仕方ない。
G×××個人的な趣向により願わくば児童ポルノは合法であって欲しいが時代の流れ的に取得禁止は仕方ない。ただし単純所持禁止は冤罪の可能性があるので許容できない。
H××××個人的な趣向により願わくば児童ポルノは合法であって欲しいので、当然単純所持や取得の禁止は認められない。


それぞれの特徴は以下のような感じではなかろうか。



上記を踏まえた現状については、一時は単純所持禁止で合意となったため、

Aに対抗する形でB、DやEにG、Hが乗っかるような構図だが、

そこに声を大きくしたいE、G、Hが自分さえ良ければいいCを巻き込んで論点がぐちゃぐちゃという状態。

冤罪だけを望まないBにとっては自民党案でいったんは合意されてしまったのは痛手で、

そのために無駄に論争する相手が多くなってしまっているので、

E、Hとは距離を置いた上で政府案に反対する意見が目立ってきたように思う。

今後、もし取得禁止の方向で進む場合は、A、Bに加え、Cが融合したDのグループ

Cが去ってGが脱落したE、Hのグループが取得禁止で争うことになる。

ここでは取得行為自体は人権侵害するのか?というのが論点となりそう。

その場合でもBは依然として、主張が極端過ぎるAに頭を抱えつつ、

表現の自由の面でDグループ意見が食い違う。

ただし、Dの中には明らかに児童を陵辱するような表現にも関わらず、

設定によって脱法的に描かれるものが存続することを望まない人間もいるのだが、

二次元における猥褻性の線引きが難しく、Bはその一部を引き込む手段が見えていない。

したがって、規制推進派は反感の多いAでゴリ押しするよりは、

Bを中心に動いて二次元はいったん置いておいた上で、

児童ポルノ取得禁止で決着をつけることが先決だし、

逆にHやEの反対派は表現の自由にこだわり続けることで、

本来はやや規制よりのDの一部をつなぎ止めつつ、

大きなグループを形成することが可能である。

2009-07-17

http://anond.hatelabo.jp/20090717100747

ってか、子供を性の対象とすること自体がフツーにおかしいと思えないのかな?

おかしいよ。熟女マニアもおかしいし同性愛もおかしい。生殖という性愛目的を見失ってる。妊娠可能な年代の女性だけに欲情するのが生物として何より正しい。

生物としての生殖可能性を基準に持ってくると、小学校高学年くらいから性愛対象に入ってしまうのだが。

実際、セックス生殖目的に限っている宗教原理主義集団で、12-13くらいからやっちゃう例とかあるね。

いつまで子供とみなすか、という点は生物的基準よりも社会的基準として語られるべきで、

そうなると何が「フツー」かに絶対的基準はなく、「その社会の中で大勢がフツーと思っていることがフツーである」という話になってしまう。

2009-07-15

イスラム諸国を「敵」にしてしまった中国

アルカィーダはマグレブ諸国で『報復』(中国人殺害)を予告

世界イスラム諸国が立ち上がった。シーア派イランでさえ中国に対して、やわらかに「調査団」の新彊ウィグル自治区への派遣を主張し始める。

 

人口の多いインドネシアトルコでは連日、数万の抗議、とくにイスランブールは十万人の集会が開かれ、これまで中国の顔色を窺ってきたトルコ政府もカディール女史の訪問にヴィザを発給した。

中国の揚外相トルコ外相電話会談して、「あれは外部勢力と結んだ過激派の行動であり、イスラム教徒への差別ではない」と釈明した。

トルコのエルドガン首相が「あれはジェノサイトでは?」とした発言をトーンダウンさせた。

ところが収まらないのはトルコ議会である。

トルコは世俗イスラムとはいえ、ちょっと裏町へ入ればイスラム原理主義過激派がうようよいる。政局がかわればイスラムの爆発がある。過激派テロ事件もかなりの頻度でおこることはエジプトに似ている。

 

「コーサル・トプタン国会議長はアンカラ駐在中国大使を呼んで『この目で何がおきたかを確かめたいのでトルコ議員団の視察団を受け入れてほしい』と伝えた。中国側は本省に問い合わせると回答を避けた」(トルコの英字紙、ディリーニュース、7月14日)。

湾岸諸国も調査団の派遣を検討し、米国議会の一部にも同様の動きがある。

旧ソ連アゼルバイジャンにも反中ムードが拡がり、中国大使館へ押しかけたデモ隊から逮捕者もでた。

西側で最も抗議運動が盛んなのはドイツで、ウィグル組織があるうえ、数万の移民がウィグルコミュニティを形成しているからだ。

また「サウスチャイナモーニングポスト」は「アルカィーダが北アフリカ諸国で働く中国人を殺害すると予告した」ことを伝えている(同紙14日)。同紙は北京寄りのメディアで、マレーシア華僑の郭鶴年が経営のため、北京への警告ともとれる。

しかし現実問題として、中国人技術者ならびに労働者は、マグレブ諸国にも溢れており、同時にイスラム過激派アルカィーダの支部が散らばるがアルジェリアが最大の拠点。

中国アフリカ援助は建設現場石油採掘サイトでも、現地人を殆ど雇用せず、プロジェクトが決まると中国人労働者を大量に連れてくるので、新植民地主義、侵略者=中国というイメージアフリカ諸国では強まっている。

中国イスラム諸国を敵にした。

2009-07-14

新彊ウィグル自治区路地裏の真実

宮崎正弘トンデモ中国真実路地裏にあり』(阪急コミュニケーションズ)

 

(拙著からウィグルの紀行部分のダイジェストです)

モスクに祈りの音楽が聞こえない

ウィグル自治区で殆どのモスクイスラム寺院)は静謐そのもの、宗教活動は地下へ潜ったと見られる。

新彊ウィグル自治区地理的にみると中国の西北に位置し、その面積は百六十四万六千八百キロメートル。じつに中国総面積の六分の一を占める。日本の総面積の四倍以上だ。

大半が砂漠である。だから中国は平気で核実験場としてきた。そのうえ新彊ウィグル自治区カザフスタンキルギスアフガニスタンパキスタンなどとの国境線だけでも五千七百キロに達する。

国境警備にも力点をおくわけだから長大な防衛戦において兵站の確保は並大抵ではなく、どこからでも駱駝は進入できる。ビンラディン一派に通じるイスラム原理主義過激派ゲリラ武器中国国内に運びこむのもさぞ容易なことだろう。

極めて厳しい自然環境乾燥した気候である。とても住み良い、暮らしやすいという環境ではない。砂漠では水の確保も簡単ではない。広大であっても貧しいこの地域におよそ千六百六十万人が住んでいる。そのうちウィグル族が約九百五十万人、言うまでもなく大半はイスラム教徒で、古くからマホメット信仰している。

漢族回教徒を目の敵としたのには歴史因縁がある。

中世から近世にかけて現在中国北西部を収めていた元は原住民イスラム信仰には介入しなかった。近代になっていまのカザフスタンから新彊ウィグルにかけて「東トルキスタン」が建国されると、復古を主張する地下運動が盛んになり、血の弾圧に屈しないばかりか、ますます闘志をかき立てて原住民漢族に立ち向かうようになった。

新彊ウィグル自治区の党書記・王楽泉(山東人)はすでに十年以上(駐 執筆時点。いま現在は17年)に亘って、この地域の党書記として君臨している。

あたかも欽差大臣のごとく居丈高に振る舞っているが、九八年九月二日の記者会見で!)宗教管理をさらに強める!)共産党員はイスラム寺院に行ってはならない!)女性が顔を隠すのを禁止する!)ウィグル青年が長期不在となれば「過激分子」とみなし「宗教の自由」を剥奪する、などと時代錯誤の対策を語った。

 

ウルムチへ入った。ウルムチ市内には西安チチハルの清真寺のように迷路の奥の路地裏の、さらに裏にこじんまりと立つ小規模なモスクもあれば、福建省泉州のように街の真ん中に公園化した瀟洒なモスク漢字で「清真寺」を一般的に充てるが、泉州だけは「清浄寺」という)もある。道路沿いに多くの信者が住んでいるが、各地で表向きの信仰生活がみられない。公安の警戒を懼れ、モスク信者がちかつかないのだ。

冷戦終了直後に旧ソ連領のカザフスタンウズベキスタンタジキスタンを歩いた経験があるが、随所で早朝から大きなスピーカーで「アッラーアクバール」とコーランが流れているのを聴いた。

ホテルでこの聖なる音に目覚め、やおら窓を開けると、♪アラーは偉大なり♪

イスラム圏のまっただ中にいるという旅情がわき上がってきた。バグダットでもイスタンブールでも、エルサレムアラブ街でもサマルカンドやタシュケントでも同じ情景があり、必ずそこに宗教音楽が付帯した。

しかし中国は違っていた。宗教音楽はおろか公然とした祈りさえないではないか。

▲ウルムチは「砂漠チャイナタウン

一方でアルカィーダ秘密基地に「東トルキスタン独立」を掲げたイスラム原理主義過激派が訓練を受けていた。

寧夏回族自治省のみならず新彊ウィグル自治区トルコ系住民のなかにイスラム原理主義が拡大している事態の到来は、五輪をひかえた北京中央にとっては鮮明なる脅威という認識である。

北京は「9・11事件」の事後処理に便乗し、ウィグル独立運動を「テロリスト」とそそくさと規定した。そのうえで米国に圧力をかけ、容赦ない弾圧を新彊ウィグル自治区で強化した。911テロ以降も一万人もの「テロリスト容疑者」を拘束、一部を拷問にかけた。

イスラムの動きに鈍感で敵対心を潜在意識に潜ませる欧米諸国は、ウィグルに関してはチベットに寄せる同情心と較べるとやや薄い。まして米国は02年八月にアーミテージ国務副長官を訪中させた際に「ウィグル独立運動」を中国が要求するまま「テロリスト」に認定し直した。イラク包囲網を実行し国連で武力容認決議を急ぐあまり米国拙速にも北京と妥協したのだ。

 (中略)

村全体がウィグル人だったりする農村では、当たり前のようにモスクに集う人々の姿がある。また西安のような大都会でも、中心部のイスラム寺院「清真寺」には人々の礼拝が絶えない。モスク近くでコーランテープCDを買おうと尋ねてみるが、一枚もない。一軒だけコーランの経文を売る店がトルファンにあったが。。。

あまりの弾圧ぶりに、宗教活動は地下に潜ったのだ。年齢によって差はあるが、人々の服装を見ても若者の一部はイスラム帽もかぶらず、ピアス茶髪ショートパンツが珍しくない。ウルムチにさえディスコカラオケがあって暴走族がいる。カザフ・カラーという独特の模様の民族衣装はかろうじて残るが、TVと新聞北京に握られている以上、イスラムの主張は宥和的、微温的にならざるを得ないようだ。

ウィグル族の首都であるにもかかわらず、ウルムチには圧倒的に漢族が多い。動物園にはパンダ市民公園遊園地漢族家族連れが目立った。いまやウルムチは「ウィグルチャイナタウン」ではないか。

街の看板漢字アラビア文字が併記されている。ところが目立つのはカラオケ、瀟洒なビジネスビル大通りに溢れるのはトヨタ日産ホンダの車である。

服装もあか抜けしたデザインが主流で、ウィグルカラー民族衣装を着た人は少数派になりつつある。自転車が道に溢れ、商店の物売りたちの活気ある呼び声。バザールの喧騒。中国全土のどの都会にも見られる風景で、設計思想は似通っている。

最近のおびただしい漢族の入植は、この地にも工業化をもたらし、経済的な発展を遂げた。生活が少しでも豊かになれば物質的な欲望が果てもなく拡大するのは致し方のないものであろう。

都会のウィグル人の若者は懸命に北京語を学んでいる。言葉ができないと官として出世は望めず、給料も上がらないからだ。

中国沿岸部の人たちは競って英語日本語を習得し、外資系企業に勤め、うまくすれば外国人の伴侶を見つけて外国籍をとりたいと考えているようにムスリムのあいだにも漢族と同化し暮らしを豊かにしたいと考える若い世代が増えている。むろん村の古老たちはこうした現象を苦々しく見ている。

~~~~~~~~~(中略)~~~~~~~~~~~~

仏教遺跡はすべて破壊された

「交河古城」は岩の大地を上から発掘して造った、世界でも珍しい彫刻都市である。

南北一キロ、東西が三百五十メートルの大地の真ん中を道路が貫いている。寺院仏塔、住居跡が掘り起こされていて壮観であるが、どんな理由があってこんな苦労をして大地の中に都市を閉じこめようとしたのか。異民族の進入を防ぐための秘密都市だったのだろうか。

交河古城はそうした思惑の通りには行かず、漢族に滅ぼされ、城は徹底的に破壊され、新たに建てられた高昌城にとってかわられた。その高昌城とて後年には唐の大軍隊が侵略してきて滅ぼされた。数千年の間、仏教イスラムの苛烈な戦いが繰り返された新彊ウィグル各地の仏教遺跡には、一つとして満足な仏画仏像がない。偶像崇拝を禁ずるイスラム教徒の手によってことごとく破壊されたからである。

嘗てタリバン支配下のアフガニスタンではヘラートに近いバーミャン石仏イスラム原理主義過激派らはミサイル破壊した。「世界遺産」であれ、なんであれ狂信的教徒は他宗派を認めない。それは共産主義も同様である。

南に天山山脈を挟むクチャ、カシュガルともなるとイスラム教俄然、強い色彩を帯びる。カシュガルのエティカルモスク中国イスラム教徒メッカだ。ここに巡礼を果たしたイスラム教徒は仲間の尊崇を集めるという。 

現代の宗教の一つである共産主義は他の宗教指導者逮捕し、拷問にかけ、北京に刃向かうと見れば次々と処刑した。モスクを物置にされたイスラム教徒怨念はなまなかなものではなかろう。

血の弾圧を受けた新彊ウィグルの民は、チベットと同様にイスラム教への信仰をひたすら内面に押し込めた。その分、人々は心の中に蓄積された漢民族に対するルサンチマンを歪んだ形で膨らませだ。歴史的に蓄積されたこの反漢感情のエネルギーに火がつけば予想外の炎となって燃え広がるのは明らかである。

イスラム歴史と文化は漢民族に蹂躙され、独自の文明形骸化した。イスラム教は地下に息を潜めている。したがってもしイランホメイニ師のごとく強靱な精神指導者が現れたなら、かつてシャーを打倒したイラン革命のように漢族に対する一斉蜂起が起こるだろう。

 

拙著トンデモ中国 真実路地裏にあり』(阪急コミュニケーションズ)からウィグル箇所をダイジェストしました。同書は全33省を寄稿した、おそらく日本で唯一の本です。アマゾン ↓)

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%A2%E4%B8%AD%E5%9B%BD-%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E3%81%AF%E8%B7%AF%E5%9C%B0%E8%A3%8F%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8A-%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E6%AD%A3%E5%BC%98/dp/4484082187

2009-07-13

新彊ウィグル自治区の南方(南彊)に警備重点を移行

新彊ウィグル自治区の南方(南彊)に警備重点を移行

カシュガル、ホータン、イリを周永康(公安ボス)が緊急視察

カシュガル、ホータン、イリはイスラム教聖地をかかえ、多くの敬虔なウィグル人が住まう。北部ウィグルと異なり、工業化、近代化が進んでいない。

北部(北彊)はガス、原油などの生産基地があって石油化学金属冶金などの産業が発達したが、南彊は核実験場とされたり、砂漠地帯が北彊とを地形的に分けているためだ。

イリでは1997年「イリ暴動」が起こった。ホータンでも昨年は数百のデモがおこり、またカシュガル中世からのイスラム城が取り壊され、世界遺産の指定を自らはずし、住民を近郊のアパートに強制移住させた。

カシュガル城旧市内の破壊は文化と歴史破壊であり、「あれはまさにバーミャン石仏ミサイル破壊したタリバンの暴挙に匹敵する」と批判が強い。

さてウルムチでは騒擾から一週間を閲し、モスクの一部が再開され、街は平穏を回復した、かに見える。

モスクの再開を当局が許可したのは犠牲者の葬送をウィグル人が行うためであり、しかしモスクや周辺の壁には「密告奨励」のビラが貼られている。

ウルムチには6月に広東の玩具工場でおきた漢族との武力衝突以後、同工場で働いていた600名のウィグル労働者が帰っている。

在米華字紙の論調は「上は国家安全部から下は武装警察まで総力をあげて『テロ』に挑んだと言いながら、大規模な騒乱を防げず、これは政府無策による虐殺であり、政府責任がある」とするものが目立つ(たとえば博訊新聞網、7月12日)。同紙はつづけてこういう。

工業化で恩恵を受けたのは入植した漢族が殆どであり、石油企業金融、輸出企業などにウィグル人が雇用されておらず、教員北京語強要されて以来、30万人のウィグル教職員が追放され、貧富の差はますます拡大した。とくに王楽泉・書記とその家族は比べる者がないほどの富を得た。

中央政府は実態をみずして、胡錦涛は「『宗教指導者』『民族分裂主義』『テロリスト』の“三股勢力”が騒擾の原因である」などと言いつのり、団結を叫んだものの、『中華民族』の標語は虚ろであり、このあまりの少数民族への虐待に、かれらウィグル人が民族記憶を呼び覚まし、国際社会における汎トルコ主義に目覚め、独立を目ざすのは自然の流れと言える」。

7月11日には中央政治常務委員の周永康(政法委書記)は国務院ならびに軍の高官を引き連れて、急遽、ホータン、カシュガル、イリを視察し、「ウルムチはおさまったものの、これら三地域では暴動再発の危機は高まっている」とした。

カシュガルは嘗て短命に終わったとはいえ分離政権が存在した地域でもあり、『三股勢力』が猖獗している。ホータンもイスラム原理主義過激派が強いカシミール国境と近く、テロリスト密輸ルートである」などとして、特別警戒に入った(多維新聞、7月13日)

2009-07-10

「7・5新彊事件」が暴いた権力闘争の醜態

新彊利権構造にメスを入れようとした団派を江沢民派が強く妨害

9・11テロ事件」に由来するかのように新彊ウィグル自治区騒擾を「7・5新彊事件」と多くの華字紙が命名し始めた。

民族対立の根深さが露呈したが、一方において中央の権力闘争がある。

その醜悪な側面はこうである。

すでに小誌が分析したように「新彊覇王」こと、王楽泉・党書記は腐敗の象徴、新彊のプロジェクト利権を総覧し、政敵をばったばったと倒し、山東省閥で周囲を固めた。北京五輪前後から、そのあまりの腐敗ぶりを「団派」(胡錦涛主席の出身母体)が攻撃目標としてきた。

胡の右腕・李克強(政治局員)は手勢の秘書軍団のなかで、ふたりの副官のスキャンダルを賀国強に握られ、胡錦涛が不在中に賀ら上海派は習近平ら太子党と組んで、李を追い詰める手はずが組まれていた(博訊新聞網、7月9日)。

このスキャンダル情報温家宝首相側近からもたらされ、内蒙古赤嶺山西省臨分、遼寧省本渓、黒竜江省鶏西などの銀行口座に李克強の手勢らの不正蓄財の口座の証拠が挙がっているという。

表面的には広東省書記の王洋と新彊ウィグル自治区の王楽泉との対立があり、このバランスを崩すためにも、不正蓄財の材料は、それがでっち上げであれ何であれ、重要ファクター、一気に政局を変えることが出来る。

かつて1979年、トウ小平四人組追い落としのために葉剣英、華国鋒の力を梃子とした。89年天安門事件は李鵬ら守旧派にとって、目の上のたんこぶ=趙紫陽追い落としの絶好の機会を与えてくれた。

上海江沢民残党」「広東の反王洋(アンチ団派)」が、この場合、呉越同舟した。

江沢民に近い王楽泉のポストを守り、むしろ厄介者の王洋を失脚させる。そのためにはスキャンダルでっち上げてでも、李克強の政治力を弱める。そして胡錦涛イタリアのG8サミットに出かけた隙を突いて、留守番チームが団派の政治力をそぎ落とすという筋書きだった。

公安筋を牛耳る周永庚も、どちらかと言えば上海派である。

上海派が張り巡らした利権構造上海メガロポリスから北京中南海をも猖獗し、正義より腐敗を、公正より不正を愛する権力亡者らが党の権威を嵩に、やりたい放題の金儲けに没頭してきた。

上海派のモットーは「何事も政治的事件がおこらず平穏にカネを稼ぐ」。

正義感の残る団派の若手にとっては許し難い奴らである。

王楽泉が蓄財した金額は天文学的であり、新彊ウィグル自治区の武警、軍はもとより党組織の末端細胞にまで腐敗のお裾分けが配られ、あたかも王楽泉の私党、私軍とまで言われるほどだった。

9日、胡錦涛北京に帰国し、九人の政治常務委員全員が出席するという異例の会議が開催された。

東トルキスタン独立は夢か

新彊ウイグル自治区歴史的にも文化的にも文明的にも、もともとウィグル人の土地であり、1944年から1949年まで「東トルキスタン」という独立国だった。

中国植民地獲得を目的東トルキスタンに侵略し、ウィグル指導者宗教指導者多数を殺戮し、新たに漢族の入植を政策的に進めた。

東トルキスタン独立死滅せられ、「新彊」という土地名がつけられた。新しい辺境、という意味である。

侵略軍は1949年から53年にかけて新彊に進駐し、農地を開墾してそこにどっかと居座る。この駐屯部隊は北京天津江蘇省湖南省そして山東省の兵隊から成り立っており、合計33万人の軍隊が駐屯を開始した。

以後、1962年から66年にかけては上海若者およそ十五万人が送られた。

他方、1949年から1984年にかけて、300万の漢族ほかの異民族が移住し、ウィグル自治区の北部一帯をしめる。シルクロードの北側、天山山脈の雪解け水に恵まれ、古くからオアシスが多い。当時、新彊ウィグル自治区人口は約1000万人。三分の一が漢族となった。

ただし新彊ウィグル自治区の南方は土着の民が多く、漢族の入植はきわめて少ない。理由は核実験場と、工業化に向かない土地だから。

98年からの西部開発政府プロジェクトは、この北部の漢族居住区が対象とされ、ガス、石油開発、高速道、橋梁鉄道、官舎、駅舎などのプロジェクト漢族企業が独占し、ウィグルの民は農業に従事しているだけだった。新田開発も、移住してきた漢族にのみ供与された。

ウィグル農民と漢族の都会生活者との所得格差はますます開いた。

警察、軍、金融銀行石油化学、ガス、行政組織教職等々、近代化に必要な職種はほぼ漢族が手中とした。

ウィグルの民には現場労働やリキシャ、個人商店、羊肉レストランいがい、進出できる職場もなく、まして教育現場北京語強要され、ウィグル語しか喋れないウィグル人は教師の職も追われた。

「とくに原油、ガス、石油化学従業員にはひとりのウィグル族もいない」(BOXUNNEWS、7月7日付け)。

アルカィーダやアラブイスラム原理主義過激派は、貧困が原因である。

ウィグルから多くの若者国境を越えてアフガニスタン入りし、アルカィーダの秘密軍事基地で訓練をうけていた。

新彊ウィグル自治区のウルムチ市内は戒厳令下、街は静寂を取り戻した。街のいたるところに軍隊が駐屯して目を光らせている。力による平定。これが平静である。

それが如何に表面的なことかは共産党自身が知っている。

2009-06-05

http://anond.hatelabo.jp/20090605212815

神仏は蔑むものではない、尊敬すべきものである。神仏の声を伝える正しい宗教家も、尊敬すべきである。これが世界常識だと思う。

前半はOK。

でも後半はどうよ?

神仏は尊敬すべきものであるかもしれないが、

神仏=宗教者ではない。

それに正しい宗教者って何なの?原理主義って正しいの?

2009-06-02

パキスタン政策をまた間違えたオバマ外交の無惨

スワト渓谷のタリバン壊滅作戦は政治基盤を弱め、原理主義を根付かせる

米国としては「こんな筈じゃなかった」と悔やむことしきりだろう。

パキスタンが無政府状態の混沌にある。ますます反米感情が激化している。核兵器の安全管理はむしろ危うくなった。ムシャラフ軍事独裁時代のほうが、核兵器管理されており、国内にこれほどのテロリズムの嵐が吹き荒れることもなかった。

それを米国ムシャラフ大統領に退陣を迫り、見放した。

中国パキスタンでも米国に非協力的な理由

中国パキスタンと半世紀にわたる「軍事同盟」を結んできた理由は地政学的に判断すれば、きわめて単純である。

インドとの間における絶対的な緩衝地帯であり、パキスタンインドを敵視しており、軍事同盟の条件は揃っていた。中国と合弁の武器工場パキスタン各地にあるが、戦車から戦闘機機関銃まで量産している。

主として中国が援助したのだ。

中国テコ入れは、両国にとっての共通の敵=インドパキスタンが横腹から牽制し、もしインドが強ければ、代理に核兵器をぶっ放して呉れると結構とばかり、パキスタン核兵器技術も提供した。

美貌の女政治家、ブッドが首相をつとめていた時代のこと、核兵器開発を軍情報部が秘密に展開していた過程は首相にも知らされていなかった(ブッドが亡命先のロンドンで『TIME』とのインタビューで語ったことがある)。

まして現在のブッドの夫=ザルダリ大統領にも知らされていない。陸軍参謀長はカヤニだが、その実力は大変なものがあり、またシャリフ前首相とも天敵の関係。隙あらば暗殺される可能性がつねにあり、パキスタン政治家は命がけである。

シャリフ元首相の再登場というシナリオも日々現実味を帯びてきている。

ならばパキスタン国民は悉くが「反米」「親中」かといえば、そういう単純で短絡的図解ではひどく誤解を招くだろう。

現地に行ってみるとよく分かるが、パキスタン人はかなりの程度、高潔である。そして狡猾・老獪である。昔も今も族長支配の封建政治パキスタンを支配している。イスラム原理主義の猛威は、この封建制度のうえにこそ成り立つ。

むろんパキスタン人のなかには武器密輸麻薬に手を出す者もいれば犯罪者も多い。紛争が長引き、教育が遅れているため人々は道徳的に荒んでいる。

原因は貧困である。

貧困がアルカィーダの戦闘員を育てる。サウジアラビアやイエーメン、スーダンでなぜ、滅びたはずのアルカィーダが容易に息を吹き返しているのか。

繰り返すが、原因は貧困である。

▲目を覆う貧困と無教養と過激思想

実際にパキスタンアフガニスタンでも、タリバンを支持する階層は三つにわかれ、!)指導層はイスラム原理主義だが、!)貧困による志願層(世直しを信じて志願兵になるから自爆テロはやりやすい)があり、そして!)タリバン麻薬資金で得たカネで雇う傭兵である。

教育イスラム教が牛耳っている。神学校は12500ケ所。タリバンは「神学生」の意味である。

実際にグアンタナモ基地アフガンで捕獲した戦闘員をキューバ米軍基地へ連行)で尋問したアルカィーダ戦闘員容疑者のうちウィグル系の五人は、そのごアルバニア亡命を許されたが、まず傭兵といってよく、「良い働き口がある」と騙されて新彊ウィグル自治区からアフガンへ潜入したばかりだった。

パキスタン同盟関係武器援助最大のスポンサーでもある中国には、情け容赦なくウィグル容疑者を引き渡したが、04年に引き渡した容疑者中国ですぐさま処刑された。国際批判をもろともせず、パキスタンは09年にも七人を中国へ引き渡した(ワシントンタイムズ、4月24日付け)。

米国は普段の態度、原則と異なり、このことでパキスタンを咎めなかった。じつにいい加減である。

さてタリバンが猖獗する地域パキスタンアフガニスタンとの国境ばかりではない。

パキスタン政府の統治が及んでいない地区が多いが、西北部のスワト地区がとくにそうだった。同地区の38%が政府支配、残りの24%が武装勢力の支配下にある、とBBCが伝えた(09年5月14日)。

 この地域インドとの戦争のときにインドから逃れてきた難民が住み着いてきた。

ワジリスタン地区の南北も同様、人口密集のパンジャブ州(8200万人はパンジャブ州に暮らす)とて47%の住民は政府の遣り方に反対だという。

主流の部族はパシュトーン族、言語ウルドゥ語。ほかにインド系、タジク系、イラン系、ウズベク系など雑多な民族が混在、人口は一億七千万人!

米国パキスタンを扱いにくいのはよくわかる。

そもそもパキスタン政府が国全体をおさめきれないのだ。部族中心主義のイスラム国家に於いてはアフガニスタン同様に西側民主主義なんていうのは、システムも発想も馬鹿の典型、部族長が決める政治である。

だからパキスタン軍はスワト地区に手を出さなかった。ザルダリ大統領は同地区に厳格なイスラム法の適用を認めるほどに妥協してきた。

まして軍情報部はタリバンシンパが山のように潜入しているため、軍事機密情報漏れる。攪乱情報や偽情報に振り回されるとパキスタン政府軍がタリバンに負ける恐れもある。

オバマ政権拙速外交パキスタンへ誤ったシグナルを送った

パキスタン政府タリバン撲滅路線が曖昧さから強硬路線へと方針が180度変わったのは米国の変心による。

オバマ大統領は、5月6日にアフガニスタンのカルザイ大統領と、パキスタンのザルダリ大統領ホワイトハウスに呼んで会談した。会談内容は秘密だが、爾後漏れてきた情報は、核兵器の安全が米国の最大関心事ということだった。

つまりパキスタンが保有する60発から100発の核兵器タリバンに奪取されるという空恐ろしき悪夢現実のものになりつつあると言うのである。

これには前段がある。

ヒラリー・クリントン国務長官議会証言で「パキスタン核兵器隠匿場所は全土に拡大した恐れが強く、管理リスクが増大している。パキスタン政府完璧管理できないとなると、タリバンの手に渡らないとも限らない」(4月23日の議会証言)。

そしてヒラリーはこうも言った。

「われわれはイランの核をたいそう懸念しているが、イランはまだ核保有に至っていない。だがパキスタンは既に保有している」。

01年9月11日の同時テロ以降、米国パキスタンに対して核兵器貯蔵場所の安全確保のために一億ドル供与してきた。

それも水泡に帰す恐れがある。

米国パキスタンに新しい圧力をかけた。

幸いにしてザルダリ大統領はブッド元首相の夫君でもあり、欧米のウケがいい。

カルザイ(アフガニスタン大統領)は、米国あってこそ存在できる政治家であり、そのカブール政権不正と腐敗に目をつむってくれる限りは米欧に協力するだろう。もともと米国傀儡としてカブールに入り、しかもいまも依然としてカブールしか統治できない無能力政治家だが、タリバン退治には欠かせない人物である。

▲史上空前の難民が発生、こんな筈ではなかった

ザルダリは突如決めた。

タリバンが多く潜伏するとされたスワト渓谷への本格的攻撃を命じた。

陸軍攻撃ヘリを投入した。

パキスタン軍とて、2007-08年の戦闘で1400名の兵士が死亡、4000人が負傷している。

キラニ・パキスタン首相は「テロリスト武装勢力を壊滅させるまで闘う」と記者会見し、二月に合意したばかりの武装勢力との停戦合意を破棄した。

パキスタン軍の発表では爾来、1100名のタリバンを退治したという「成果」が声高に発表された。

大変な事態が付随しておきていた。

スワト渓谷の多くでは「水道が壊れ、電気がとまり、食糧が底を突き、猜疑心が交錯し、機関銃の乾いた音がそこら中に聞こえ、流れ弾でつぎつぎと住民が死んでいく。電話が通じなくなった。住民は着の身着のままで逃げ出す」(NYタイムズ、6月1日付け)。

難民は既に240万人、毎日8万5000人が難民となって周辺の集落からラホールイスラマバード近郊の難民キャンプへ押し寄せた。すぐに食糧、医薬品不足に陥った。

西側の支援物資はとどかない、食糧支援は圧倒的に足りない。いや西側の援助団体がテロ対象となって警備が希薄なため、援助物資が届かない。

難民は暗闇の中で死の恐怖と闘っている。

パキスタンのスワト地区で発生した難民の数もスピードは嘗てのカンボジアスーダンイラクルワンダのそれより早い」(英紙『インデペンダント』、5月31日付け)。

 

報復テロが続く

そして報復テロも始まった。

5月27日、ラホール自爆テロ30名が死亡した。「パキスタンタリバン運動」が犯行声明。この団体はブッド首相暗殺に関与したとされる。

28日、ペシャワールでも報復テロ、14名が死亡。

にも関わらず5月31日にパキスタン情報部は「完全勝利」を宣言し、「ミンゴラを完全制圧した。治安回復はすぐだ」と豪語した。ミンゴラは武装勢力の拠点の都市である。

アルノー・ド・ボルシェグレーブは絶望的な近未来を語る。(アルノーは元NEWSWEEK編集長アフガニスタンロシア侵略を追求した国際的ジャーナリスト作家)。

神学校では毎年毎年二百万の若者卒業する。パキスタンでは職がない。パキスタンは誰が敵か、誰が味方かも分別できない、戦争定義のない、戦争国家に陥った。タリバンは、かのロシアと闘ったムジャヒデンの子供たちである。ムジャヒデンは勇敢にロシア兵と闘い、そしてイランでは52人のアメリカ人人質にとって米国大使館を444日間にわたって占拠した。パキスタンに猖獗するイスラム原理主義は同国政治の根幹をすでに奪胎している。イランホメイニ革命前すでにイスラムの見えない統治があったように」(『ワシントンタイムズ』、4月28日コラム)。

2009-05-29

アホばっかりだった。

犯罪者、稼げぬもの、ニート、間抜け、裏切りもの、嘘つき。

そんなやつらをほっておけなかった。

オレはしがない大工だったが、仕事が暇なときにやつらのためにフィクションを作ってやった。

「神」という絶対的な存在物語を作った。

まあ既存の宗教の真似だったので、創造性などかけらもなかった。

(そもそも宗教創造性など不要だ)

そいつが俺らを守ってくれていることにした。

フィクションという手段は美しくなかったが、他に適当な手段を思いつかなかった。

アホどもはそれでやっと安心したようだ。

オレは目的を達成できたと思った。

だがあまりにもこれがうまく行き過ぎた。

古い宗教はそれ自身が硬直化していて呪術めいたものになっていた。

万人に認められる簡便さ、わかりやすさを失っていた。

下層階級のためのものではなくなっていた。

オレが作った宗教はその隙間に入り込んだ。

学のない人々の不安な気持ちをうまく救うことができた。

オレは権威主義的なやり方が嫌いだったから、人を当惑させるような難しい言葉無駄言葉は一切使わなかった。

アピールが成功したために、当初想定したよりも信者が増えていく。

だんだんにオレの手には負えなくなっていった。

単にアホどもを救いたかっただけなのに、集団が拡張するのを止められない。

「ただの大工に戻りてぇ」この頃はよくそう思っていた。

最後には体制側に目をつけられた。

経済の低迷を受けて、社会の不満が高まっている。

ちょうどそんなとき、体制側の人間スケープゴートを探していた。

新興勢力に危機感を抱いた保守派からつるし上げを食らった。

いくら熱狂的な右翼といえども、異教徒というだけで殺しはしないだろうと高をくくっていたオレが甘かった。

自分社会に与える影響を過小評価していたようだ。

行動に自覚的でない原理主義者というのは救いようがない。

なんで排除したいのか、という感情的な理由について、きっと彼らもはっきりとは認識していなかっただろうと思う。

オレは磔刑になって死んだ。オレの肉体は空しく鳥に食われ、血液は乾いた地面にしみ込んだ。

困ったことに後世の連中はオレの行状に尾ひれをつけてオレをあがめることにしたようだ。

いつまでも保護者を必要とするとはな。

やれやれ、何年たってもアホは減らないようだぜ。

言っとくが「神の愛」なんてものは存在しない。

おまえらが見てるのはオレの愛さ。

2009-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20090527130530

この話題もまたこういう原理主義者だか完璧主義者だか何だかがワッサワッサいて日々不毛な論争を繰り広げてるんだろうなあ。

犬だぜ犬、畜生なんだからある程度適当でいいだろ。ヒトだって適当なんだから。

2009-05-21

プログラマ英語原理主義から脱却すべき

JavaとかJavaScriptでは識別子に日本語(というかUnicodeBMP内の印字可能文字)を使うことが許されてるんだから,日本語変数関数を作ったって良かろうもん

2009-05-17

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090516-00000595-san-pol

鳩山新代表 政府与党は「岡田氏よりいい」と”歓迎”

 民主党鳩山由紀夫新代表が選出されたが、政府与党では「原理主義岡田克也副代表よりもくみしやすい」(自民幹部)と冷ややかな受け止めが大勢を占めた。だが、小沢一郎前代表の影響力が続くとみられるだけに、今後の国会対応などに不透明な要素も多い。「愛」を前面に打ち出す鳩山民主党に対し、次期衆院選に向け、どう対立軸を作るかも焦点になる。

  [フォト]新代表に選出され一礼する鳩山由紀夫

 「小沢体制の継続という感じもする。西松建設違法献金事件のけじめをどう考えるのか。(鳩山氏は)大したことないように言うが、われわれは大したことだと思ってる。しっかりけじめをつけていただきたい」

 鳩山氏の新代表就任を受け、自民党細田博之幹事長松江市内でこう述べ、今後も違法献金事件を徹底追及する考えを示した。公明党太田昭宏代表は「体制が代わっても政治とカネの問題で、その責を免れるものではない」、河村建夫官房長官は「逃げずに正面から論戦に挑んでほしい」と注文を付けた。

 森喜朗首相は「まあ用意周到な予定通りの行程だったのかな。もう1週間代表選が長かったら結果は分からなかっただろうね。鳩山さんは小沢さんにつぶされてしまうのかな…」と冷ややかに語った。

 だが、小沢氏の「影」がつきまとうことは、国会運営や選挙対策小沢流の老(ろう)獪(かい)さが継承されることを意味する。加藤紘一幹事長は「小沢氏の影響力が残るということはねじれ国会の困難が続くということだ。気を緩めてはならない」と警鐘を鳴らした。

 一方、鳩山氏の弟である鳩山邦夫総務相は「非民主的な方法で代表を選んでしまい、みんなが『小沢パワーで代表になった』とみているのだから、兄は脱小沢で命がけで頑張ってほしい。理念や政策を共有していけるならば兄弟共闘したい」とエールを送った。

敵に歓迎されちゃいかんだろ。

2009-05-16

日本の風通しを良くする、ほんの2、3あるだろう冴えた方法、の一つ



暖かくなってきた。

暖かくなってきたから、国民全員が三週間くらい全裸で生活したらどうなるのか考えてみた。


以下、シミュレーション


政府は三週間の完全全裸週間の敢行を発表する。

全裸を拒否、または期間中の着衣者に対しての射殺許可も認める。

多くの反対を押し切り、完全全裸週間が実施される。

全裸週間が始まってしばらくはAKB48ライブ会場に数十万人が殺到するなど、

未だかつて日本経験した事のない様々な問題に直面する。

だが二週間を過ぎたころには、意外にも

全裸光景にも慣れてきた。全裸とか関係なく、みんな全裸で生活してる」

という状態になる。

その後、全裸週間が終わっても国民の二割程度は構わず全裸で生活を続ける異常事態が発生。

「とても爽快です」

「せっかく日本に始まった全裸ムーブメントをここで終わらせるのはもったいない

とか言い出す人がたくさん出てくる。

さらに、某大物女性シンガー

バツイチだし。処女でもあるまいし、別に恥ずかしくないです」

全裸きもちいいよ」など発言し、全裸文化の浸透に一役買うこととなる。

(後に全裸キャンペーンキャラクターとして抜擢される)


その後、日本ナチュラリストの地位は順調に高まる。

結果「日本は夏の間、服を着ないよ法案」が可決される。

可決に対して、ユニ○ロ社長

文明国家として最悪の恥ずべき決定。まったく理解できない」とコメントする。

法案可決から二ヶ月後、正式に全裸季間が実施される。

実施から一月後

会社学校遅刻に対する認識が変化が起きている」

という見出しの記事がA○RAに掲載される。

全裸の人に遅刻なんかで怒るのもバカバカしいので、遅刻くらい良いかと思うようになった」

というような意見が数多く載せられる。

後に、通勤ラッシュが軽減しているという調査結果が東京メ○ロから発表される。

実施後、痴漢行為による逮捕者が0人になったことが警視庁から発表される。

痴漢男性は某ニュース番組の特集インタビュー内で

「触るまでもなく全裸だし。わざわざ痴漢しなくてもいいかなって」と答える。

番組放映から三ヶ月後、女性専用車両が完全に撤廃される。


以下、あの新聞に掲載された全裸に対するコメントの抜粋。

元ハラッサー「全裸じゃあ、からかってもつまんないです」

レイピスト「すでに全裸の人に暴行を働くなんて酷い事できないっすよ」

文化人気取り「私、日本人であることが恥ずかしいとか言っちゃってましたけど、すでに全裸なのにこれ以上恥ずかしいとか言ってられません」

観光業界の人「海外からの渡航者が前年度から600%増です」

スポーツジム経営者「はじめ何ヶ月かは新規入会がたくさん来たんですが、しばらくすると元に戻りました」

プロストリーキングストリーキングストリートキング勘違いする人が減りました。ストリークって動詞なんですよ、知ってました?」

その他の影響。

全裸の人たちが怪我をしないようにインフラ整備がどんどん進む。

フランスタブロイド紙・サンに「全裸なのに最も近代的な国家」として日本の紹介記事が掲載される。

流行語大賞に「衣替え」が選ばれる。

服を脱ぐ事で、みんな季節の変化に敏感になり、大々的な俳句ブームがおこる。

その影響は海外にも波及する。ちなみに「全裸」は夏の季語

空前のむだ毛ブームが起こり、女性むだ毛処理の手間から解放される。

みんなの体が丈夫になり、風邪とか引かなくなる。

世界で最もインフルエンザ発症者が少ない国になる。


その後、首相は国際和平会談に全裸で出席する(ただし、正装としてネクタイのみ着用)

それについてあの国の大統領

「こんなに興奮した和平会談は始めてだよ。ところでこいつを見てくれ、すごく・・大きいだろう?」

首相を評価する姿勢を示す。


翌年、日本政府は全年全裸法案を可決。


発表から二日後「チラリズム原理主義・青縞の牙」による大規模なパンツテロ事件が発生する。

その際、某都知事は「君たちのやっていることはテロではない。エロだ」と述べ、 87543枚のトリ○プ製しまパンツを投げつけられる。

二針縫う軽傷。

この問題に対し、首相は「エロ本モザイクは外しません。あれは日本の文化です」と発言する。

発言から20分後、問題は沈静化。

この問題から出版物のアンダーヘアを隠す事が再び義務づけられるようになる。


ヘアヌード写真集がなくなり、パンツヌード写真集流行る。

全国のPTAの人たちも「少し健全になったので良かったです」と喜ぶ。

なおパンツヌード写真とは、実際にモデルパンツをはいた状態で撮影した写真ではなく、

後でパンツのような画像機械的に合成した写真のこと。


子どもたちも全裸ということが問題視され、実態の調査が行われる。

結果は、傷をつけると目立つという理由から、虐待を受ける子どもがいなくなる。

痩せすぎてると目立つので、ご飯を食べさせてもらえない子どももいなくなる。

ロリコンが喜ぶかと思いきや、かえって冷静になり、悪いペドフィリアがいなくなる。

など、とっても良い事ずくめだったので某団体もなんとか納得する。

なお、調査資料は出版社の茜○社から提供された。


国際ナチュラリスト協会フランス本部から名誉ナチュラリスト国家として認められる。

ZENRA が国際的な言葉として周知される。


全裸で生活するような連中に鯨とるなとか言っても無駄だろ」ということで、捕鯨への風当たりが弱まる。

漁師は「捕鯨全裸も文化。認められた事は嬉しい」と述べる。


世界的な全裸ブームがおこり、世界平和になる。


韓国が乳出しチョゴリを理由に「全裸起源」を主張し始める。





以上をもって「二年に一回くらい誰かが言い出しそうな事を言う会」

今年度の活動ノルマを達成した事をここに報告します。

2009-05-15

彼女は欲しくないのに非モテ議論見るとカッとならずに居られない

自分彼女いないのは別にいいんだ。

自慢じゃないがそんなもん作るための努力は一ミリもした覚えがない。

リアルで接してる女性に変な対応をしたことはないつもりだし変な悪感情も全くない。

周囲の女性の評価は「エロ本とか一冊も持ってなさそう」とかそんな感じ。

(ご飯食べにいっても何をしても下心的な行動を微塵もしないせいだと思う、下心ないから)

…でも、ネット非モテ議論やミソジニー議論みたいなの見ると本当にカッとなって

延々見物したりたまに参戦してしまうところがある。

以下に腹のたったものを類型別に3分類する。

1・「本当は欲しい筈なのに酸っぱい葡萄をしている!勇気がない!」(聞く耳持たない系)

彼らは自分の願望と妄想が前提になっているから全く異論は耳に入らない。

しかも「彼女が要らない人はこのエントリに反論なんかしないで流す」という卑怯な予防線を張る。

「反論は全部このエントリが図星だったからムキになってる奴等」の出来上がり。

で、なんか無茶苦茶マッチョナンパをしろとかのアドバイス。北方先生話を聞いて。

2・「彼女が欲しくないなんて自己愛強すぎ。そんな心や人生は腐ってる。」(聞く耳あるけど価値観は認めない系)

じゃあ逆に、彼女をたくさん作ってる人は必ず自己愛が薄くて博愛的なのか。そんなわけない気がする。

「ソレに余り興味がないだけ」という答えはやはり認められない。

「ソレにあまりリターンを期待しないし価値を感じない」なんて言おうもんなら

損得勘定メリットデメリットでやるものじゃない!」「やっぱり腐ってる!」とくる。

人間の行動は何かしら合理的判断に基づいて…なんて話は通用しない。

他の趣味価値との相対化も許されず、従わない者の首を撥ねんばかりの原理主義者。

3・「こうすれば女の子に気に入ってもらえるよ!」(お得情報系)

ネット雑誌の記事にも多い。

「どんないじましい努力をしてでもそれで女の子に気に入ってもらえるならやりますよね勿論?」から始まる。

そりゃあ、自分ターゲットにしたものではないと思ってスルーするのは簡単だが

にしてはなんだか我々「彼女いない歴=年齢」的な方を向いてピンポイントにおしつけてくるアドバイスも多い。

我々の中には俺のように、たいして欲しくないから彼女がいないって人間がかなり居ると感じてる。

だが勝手に「恵まれない人」扱いをして「こうしたらいいよ」と施し顔。

しかもそのアドバイスに従わせる過程でなんか、アドバイザー利益出る構造?が見えることも有る。

モテモテ男性女性もちょっと自分に合う例に置き換えてみて欲しいが、

たとえば欲しくない商品のダイレクトメールが頻繁に送られてくるってイラ付かないか?

それもなんだか上から目線で、その商品の需要勝手確信してる変な業者。たまに説教まで書いてある。

一言言ってやりたくならないか? スルーするには余りにイライラしないか?

俺はネットでそういうのの相手するのにはまってから一時期、

自分をいわゆる「ミソジニー」だったのかな?と思ったけど

リアル女性に接してて憎しみとかは感じないので

単にネットでの自分のような男への中傷にカッとなってるだけだと気付いた。

いい加減にせーよ、本当に。

2009-05-05

http://anond.hatelabo.jp/20090504163059

2ちゃんよりブコメはひどし。笑いもないし(笑)

そこそこ「おりこうな」人がはてなには多いんだろね。

自由原理主義法律原理主義ですが。

他者意識なし。礼儀ポリシーも心もない。


ちなみに警察はこういう問題は

なかなか取り組んでくれない気もします。

政治家からむし

草薙君や駐車違反は取り締まっても。

2009-05-03

自己満足とか妄想ケータイでやれってことですね わかります

ここ数日話題のケータイ小説読んだ。

なにこの「視野狭窄」ぶり。

確かに表現としてはすごいと思うよ

読みやすいし、間の使い方とかすごく雰囲気出てる。

でもそれ以上に気持ち悪いんだよ

吐き気がする。

そりゃあさ

これだけ世界が狭けりゃ

世界自分と男(たま家族)だけなら

自分内面で思う存分じたばた出来て

さぞや自分一人で盛り上がって

それで自由に満足できるんでしょうけど。

こういう世界の見方って

社会的生物としていびつな感じがする。

小学生のガキでももうちょっと世界を広く見てる。

知的障害者日記ならともかく

知的障害者を悪く言うつもりはない。他のいい表現を知りたい)

20歳過ぎた人間がこんな頭の悪いことで

それでいいのだろうか。

こういう作品が手を変え品を変え多くの人間によって手がけられ、

多くの人間に繰り返し届けられるのってすごくヤバい気がする。

言っちゃ悪いけど、ケータイ小説読んでる人たちって

ネタネタとして楽しむことができないように思えるから。

これを「リアル」とかいって受け入れてしまう気がするから。

共感」とか、冗談じゃねーわ。

だから、この小説は、もっとたくさんの「まともな人」に読んで欲しい。

世界はこんなに単純じゃねーよって

ウザいけれど、ちゃんと説教できるような人が増えてほしい

もう大人はこれを単純に無視してられないと思う

ある意味児童ポルノよりこっちの方がヤバいと(どっちもどうかとおもうけど)

そういう認識をちゃんと大人の間で共有してほしい

・・・「昔はよかった」「小説サイコー」みたいな原理主義者はうぜぇ、ですね。わかります

anond:20090502230653

同じく理解できない。

その性愛自分に向いていて、何らかの身の危険があるなら兎に角。でも、自分が(性的に)好きでない相手に性愛向けられたらたとえ異性でも嫌なので、別に性趣向の問題でもないし。

同性愛者だろうがロリコンショタコンペドフィルだろうが、熟コンだろうが異種コンだろうがロボコンだろうが危害の及ぶ恐れの限りにおいてみんな仲良くすれば良いと思うよ。

でも、宗教原理主義の観点では、ソドムゴモラみたく神にジェノサイドされたくないから反対するのかもしれない。

2009-04-29

地デジカ

http://getnews.jp/archives/11408

地デジカのパロに日本民間放送連盟が容認できないとの考え。

当然だと思うが、それに対するネット住人の反論が凄い。

心が狭い、だとか、原理主義だとか、頭が固いとか。

著作権は、著作者の権利を守るための法律

自身が作ったキャラが、不当にゆがめられた形で広がっていくのは気分の良いものじゃない。

ましてや、そのキャラクターイメージ性を強くもっているものであれば。

私的利用のためや、引用学校教育における複製など、権利者の許可をとらずして、複製をみとめるケースもあるけども、ネットの場合は、公衆送信権侵害するので、注意が必要。そこまで目くじら立てないとしても、イメージを汚すおそれのある改変までは認められない、というのは、制作側からすれば当然の主張だろうに。

もし、貴殿がプロデザイナーになったとして、ギャラを受け取って何かのイメージキャラを作ったとして、

そのキャラは、そのメーカーなり、商品なりのイメージを表現するためにクライアントと何度も折衝してようやく作ったキャラ

そのイメージを歪めた形で、ネット上でコケにされてあちこちに広まってたとしたら・・・

それでも、広めてくれたことに感謝できるだろうか?

イメージを完全に歪曲されて、その作品を汚されたことについて何とも思わないだろうか。

杓子定規に、あれもダメ、これもダメ、というのは気持悪いが、あまりにも歪んだ複製が後をたたないようだったら、厳しい規制が行われるようになってしまうと思う。厳しい規制が始まってから文句を言うのは遅い。二次製作者に、倫理観をもってもらうのは難しい話なのかもしれないが、もう少し想像力を別の方向にも向けてほしいものだと思う。

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