はてなキーワード: 原理主義とは
おそらく発端はこれだろうな。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090325k0000m010142000c.html
24日昼過ぎの代議士会で、横光克彦衆院議員は「過ちを改むるにはばかることなかれ。新生・民主党で次の衆院選に向かうことこそ国民のためだ」と小沢氏の自発的辞任を求めた。
それに対する反応と反応に対する評価がこんな感じ。
http://seiji.yahoo.co.jp/giin/rev/index.html?g=2009000705&s=0&p=1
読むと頭がクラクラしてくる。
貴男という人は
貴男は、民主党の国会議員ですか、自民党の人ですか、せっかく主権が国民の手に戻ろうとしているときに自分の党首を攻撃してなんのメリットがあるのですか。
貴男は、国民のために目に見えるような何らかの事を行動をおこしましたか、参議院で第一党になれたのも小沢さんの地道な行動があったからのことではないのですか。
今回の政治資金規正法についても、自民党の、森、二階、尾見等自民党国会議員の資金管理団体に特捜検察のメスが入りましたか、あれほどテレビに出演してコメントを述べていた森元総理大臣はこのごろテレビ画面から目にかからなくなりました。なにかおかしいと感じませんか
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頑張って下さい。
党推薦無し、無所属で思う存分、力を発揮してください。己の無力さを噛締めて下さい。
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雇われたのに「切られ役」
役者として久々にカメラに映りましたね。おめでとうございます。ですが党人政治家としては。党は徹底的に裏切り者を見つけ出し公認見直しをしてください。あなたはゼッケン1番です。九州の恥さらし
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九州男児の恥
自分の軍の大将に向かって、どこの何様のつもりで「辞めろ」やら言えるとや?? 文句があるとやったら、自分が先に党を辞めてからにせんか。九州男児の風上にも置けんクサレ議員やね。あんた次の衆院選では絶対に落とされるばい。覚悟しときやい。
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人材は評価します。しかし・・・
この度の発言は頂けません。
インターネットが若者だけの物でなくなった今、当欄の意見が国民の意見を反映していると云っても過言ではないでしょう。本質を見極める見識をもって民主党の根幹を支える気概を持って欲しいものです。今後に期待します。
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http://japan.cnet.com/blog/sasaki/2009/03/17/entry_27021160/
自分の言葉って何だ? 今俺が使ってる日本語に、俺が開発した単語や文法は一つもない。自分の言葉とは、他人の言葉の中のどの言葉をどんな順番で使うか、ということだ。
村上春樹はネット上の「正論原理主義」を怖いと言う。本来こうあるべき、そう思わない奴は間違ってる、という論調のことか。そして自分の等身大の言葉で語ろうとする奴の立場が弱くなることを憂う。
自分の言葉で語るのは本当に難しい。それが「自分語で話す」みたいなことではなく、「他人語で自分を話す」ことである以上、相当の労力が必要になる。ましてや「自分」が「他人」に違和感を持っている時など、最悪だ。しっくりこない言葉を、どうにか選択し、並べ直したりして、何とか「自分」を表現しようとする。
楽なのは「自分」を無視している時だ。麻生=バカ、政治=不信、などと悩まずに生体反応するのはとても楽だ。周囲の人も同じ反応をしていたら、即席コミュニティのできあがりだ。私も、私も、俺も、僕も、と来て、え?あなたそうじゃないの?へえ、でそっぽを向き、コミュニティが閉じていく。「正論原理主義」はその延長線上にある気がする。楽さ、お手軽さ、気持ちよさで繋がっているコミュニティだ。「自分の言葉で誠実に」微妙な違和を唱える人々に配慮する必要がどこにあろう。
苦労して自分の言葉で語ろうとする人々には、しかし、パワーがない。誠実さに孤独はつき物だ。いつの時代でもパワーを持つのは誠実さより気持ちよさ、逡巡より熱狂だ。花より団子とも言える。そしてそれは、至極当然のことだ。
村上春樹は2つの警鐘を鳴らす。思い込みの気持ちよさで繋がってゆくコミュニティに幸福な未来はない。一方で、誠実でも繋がれなければパワーがない。
快楽のための同感の輪、のようなものでなく、等身大の自分を表現しようとする人たちの輪としてネットのコミュニティに期待をした佐々木氏は決して絶望してはいない。ネット上のコミュニケーションはリアルに輪をかけて扇動的で、快楽主義的だ。しかし一方で特に英語を使った言論の地球規模の汎用性には目を見張るものがある。いつの日か、ネット・コミュニティ発信のパワーで戦争を未然に防げるようになるかも知れない。なに反戦とか言ってんの、基地外は殺すべきだろ、などという魅力的なまでに簡潔で、その実は自閉的、快楽的な言論にはおそらく無限大のパワーがある。しかし今の私にはどうしても、そのパワーを超えようともがく村上春樹の方がかっこよく見える。
>>
判断基準に主観を持ち込んでしまうことが
<<
主観ではない客観ってどんなんだ?ルールというのは柳の枝みたいなもので、解釈論によりどうにでもなってしまうもの。っていうのがどこかの弁護士の言い分だったりする。
>>
どれほど業務を歪めるか¸
<<
それは程度問題だね。それならば業務に支障をきたさない範囲なら問題ないわけですね。
>>
例外を認めることがどれほど全体の不満を高めるか¸
<<
ならば逆に全体が喜ぶならOKですね。ある意味全体主義だわな。
ルールを作るのは人間だし、それを守るも守らないのも人間です。
ルールの原則を守るのは大前提として大事であっても、その時々の現状や人心を考慮しない踏まえない原則至上主義は、教条主義·原理主義となり単に人間を縛り付けるだけのものになってしまう。
これは村上春樹の尻馬に乗った「正論原理主義批判」でもなければ「正論原理主義批判批判」でもない。
そもそも村上春樹の言葉に意見を左右されるようなナイーブな俗物では私はない。
もっとプリミティブかつ重要な思考と言葉の根幹に関わってくる問題だ。
結論から言うと、何がしかの意見に対し「これは正論」といったような
表明をした人間の今後一切の発言権が失効したことをここで報告する。
もちろん「表現の自由」も「報道の自由」も「知る権利」も同時に失う。
今じゃネット上では雑誌が休刊する入れ替わりに「正論」という言葉が溢れている。
「正論だろ」「正論じゃないか」といった発言が簡単に見つかる。これは人類の危機だ。
何故なら彼らは考えることを放棄しているからだ。
正論とは「至極真っ当な意見」「正しい意見」といった意味のはずだが
彼らの口から何がどう真っ当でどこが正しいのか語られることはない。ただ正論と言い張る。
それは自分が同意見であるというだけのことを「正論」という言葉でコーティングすることで
根拠レスで空虚な物言いをあたかも何がしかの裏づけがあるかのように装う。
「自分と同じ意見」=「正しい意見」という恐ろしい短絡が生じており、
そこには他人を説得するような力も心を動かすような力もなく、
まるで口々に念仏のように「正論」と唱え、数で圧倒すればそれが自動的に何の思考も経ずとも
「正しい意見」になるかのようなカルト宗教染みた理念がそこからは透けて見える。
彼らは何も考えていないし、意見をぶつけ合うつもりもない。
最初から自分の意見が正しいと信じきっており、動員ゲームをしているだけで、
彼らから脳みそと口を取り除いても何ら支障は生じないだろう。
あなた達がより良い未来を阻害する害悪であることは明白であり、
そのような退化しきった「人間モドキ」には文明社会から一刻も早く退場を願いたい!
それが私の偽らざる心境だ。さぁ、今すぐホームセンターに行って荒縄を買ってくるんだ。
http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20090311
西原理恵子氏の「食育なんて女をばかにしてる言葉」発言について思う。
http://blog.livedoor.jp/str_it/archives/50811836.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.livedoor.jp/str_it/archives/50811836.html
ミクの4分33秒が4万以上再生されていることから思いついた釣られエントリでした。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1088800
「脱構築」とかびっくりです。wikipedia見たけど難しすぎてわからんかった。
あと、思いがけずブクマついたので以下蛇足。
年寄りが感動しやすいのは、世界が永続する安心感ではないと思います。(自分が死んだあとの世界の存続に思いをはせるくらいヒトが優しいと思えたら、私はもっと幸せなのですが。)
単純でエゴイスティックに、音による刺激+子どもというアイテムとその言葉を使って、追憶という麻薬を味わっているのです。
これは音楽の楽しみのひとつで、うまく年を重ねると経験が音楽をより豊かなものにしてくれる。
年寄り×じゃなくてうらやましい。むしろ「その引き出し少し分けてくれ」という気持ちです。
今日の「スーパーピアノレッスン」を見て、その気持ちをまた新たなものにしました。シフすげえ。
あと「言葉は飛び道具」は、うまいこと胸を打ち抜いてほしいという気持ちもこめて書きました。
時々頭を打たれて頭痛がやまないことがあるので、マジ勘弁してほしい。
個人的には旋律と言葉が「ピッタリ」であることは、歌モノの音楽に最低限要求したい。
そしてできれば「ピッタリ」を越えて、言葉ではとりこぼしてしまう「何か」を感じさせてもらいたいものです。
自分のスイッチを調整しろという話かもしれませんが、これは譲りたくないところ。
元増田のお詫び云々は読んだけど、満を持して釣られたつもりだったので、かなりガックリしました。
ちなみに私はできれば生演奏、ピリオド楽器でお願いしますという古楽原理主義者の端くれです。まれに金をもらって歌います。
ボーカルは楽器です。ボーカロイドの技術は「歌唱」の秘密を解き明かしてくれるのではないかと期待しております。
…なんだかなー
翻訳してみよう。この人が言いたいのはつまり
(1)「正論原理主義」という村上の主張はあからさまに変だ。何しろ「正しい理屈を言う奴は間違ってる」という理屈だ。
(2)だから、こんな主張、理屈抜きで正しいワケがない。
(3)だから、こんな主張を肯定する人間は、理屈の分からない、そして肩書きのある人間の言葉を盲目的に肯定してるに過ぎない。
(4)さらに言えば「なんとなく肯定」レベルでなく、ネット上で得意げにこの言葉を使ってる奴は異常だ。
(5)それは「意味不明な主張をわめき散らす」だけでなく、言わば村上の手先となって「正しい理屈」を抑圧する主体だと言える。
(6)つまり危険勢力の一端であり、この主張がその伝染性においてカルト宗教並に危険であることを意味する。
(7)ここは一つ、クリアでクール、頭脳明晰なオレ様が、この風潮に一石を投ぜねばなるまい!
(8)なのに反論がついたぞ。さては工作員だな!オレ様が負けるか!
…ってことですね(一部想像含む)。
何が言いたいのかよくわからんが、こっちは気持ち悪いとは思うが禁止する権限なんかない。まさかテクニカルタームを使っていれば批判してはならないとかいいたいの?何でわざわざその言葉を使うんだろうかねということ。盲従してるかさせたいかってことじゃないの?という指摘をした。
君は文芸春秋のインタビューほんとにちゃんと読んだ? (「イスラム原理主義」という言葉を見るとイスラム教全体に偏見を抱くような勘違いをしているようだが)
はっきり言おう、それは君の被害妄想だ。
村上自身がどれくらいいい事いってるかについて話したわけじゃないから。それに追従してる人についての話だから、文芸春秋のインタビュー持ち出すのは話が違う。村上に追従してる人がそういう意図じゃないと示すなら合ってるけど。
流行ってるテクニカルタームを使って何かを言っちゃいけないの?
君は文芸春秋のインタビューほんとにちゃんと読んだ? (「イスラム原理主義」という言葉を見るとイスラム教全体に偏見を抱くような勘違いをしているようだが)
はっきり言おう、それは君の被害妄想だ。
「正論原理主義」というのは否定的なレッテルとして使ってると思う。
盲従してるのもいるが盲従させようとしてるのもいるだろう。いずれにしろカルトと同類だ。
「大作家が言ってるんだからお前ら正論言うなよ」みたいな虎の威を借る狐状態?
村上が言うからそうだというつもりじゃなければ、わざわざ「正論原理主義」とか「壁と卵」とか村上の言葉持ち出して自分の主張権威付けする必要もない。
つまり、君が言いたいのは『村上の「正論原理主義」という言葉を肯定的に捉えている人間は、権威に盲従しているだけに決まっている。俺がそう思うんだからその通りなのであって、根拠を示す必要なんかない』ということでオッケー?
いや、むしろ君は何が不満なのかが分からんな。
君の(?)主張を翻訳してみたが、これに対して『「正論原理主義はよくない、という主張に同意する人間は、偉い人が言ってるから正しいと思ってる」という主張の根拠』を要求することの何が不適切なの?
普通に読めば偉い人(=なんかの賞を取った作家)の言うこと(正論原理主義はよくない)を鵜呑みにしてる奴は偉い人(麻原やマルクス)の言うこと(オウム真理教共産主義)を鵜呑みにするのと同類という解釈しかないと思うが。
むしろ「正論原理主義はよくない、という主張に同意する人間は、偉い人が言ってるから正しいと思ってる」という解釈になるという根拠があるなら述べてくれ。
まず、「正論原理主義はよくない、という主張に同意する人間は、偉い人が言ってるから正しいと思ってる」という主張の根拠から論証してもらおうか。
傷つける力にはそりゃなんでもなるでしょ。日常の雑談だってなるし、小説だって漫画だってなるよ。
そんななんとでもいえる一般論じゃなくて、ネットの正論ごときを60年代の原理主義と比較するのはアホらしい、という話なんだが。
ナントカ至上主義とか原理主義ってのを見かけるたびにとにかく相手が極論を言ってると印象付けたいだけの陳腐な言葉だよなと思ってしまう。自分はそういう印象だけで理屈をすっ飛ばして正論をいえなくなる空気こそが問題と思うんだけど。オウムや赤軍に理屈を言い合うだけの土壌があったとは思えないんだけどね。教祖のいうとおりやってるだけで正論ぶつける奴なんかいなかったんじゃなかろうか。
自分で嫁って言いたいけど、六十年代の学生運動やオウム事件(言うまでも無く、村上春樹は『アンダーグラウンド』や『約束された場所で』の作者だ)を引いてこう言ってる。
一方で、ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思うのは、ひとつには僕が一九六〇年代の学生運動を知っているからです。おおまかに言えば、純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大段上に論理を振りかざす人間が技術的に勝ち残り、自分の言葉で誠実に語ろうとする人々が、日和見主義と糾弾されて排除されていった。その結果学生運動はどんどん痩せ細って教条的になり、それが連合赤軍事件に行き着いてしまったのです。そういうのを二度と繰り返してはならない。
あとは、文芸春秋を買うなり立ち読みするなりして確かめてくれ。
追記:
日本で受賞が報道されてから、パレスチナ問題について活動している人たちから問題提起があったのは、有意義なことだったと思いますよ。僕にももちろん言い分はありますが、どんなことだって賛否両論あって当然だし、たとえ僕が批判の矢面に立ったとしても、パレスチナで起きていることについてより多くの人が興味を持ってくれれば、それはそれで意味があります。大事な問題ですから。
ただ一方で、自分は安全地帯にいて正論を言い立てる人も少なくはなかったように思います。たしかに正論の積み重ねがある種の力を持つこともありますが、小説家の場合は違います。小説家が正しいことばかり言っていると、次第に言葉が力を失い、物語が枯れていきます。僕としては正論では収まりきらないものを、自分の言葉で訴えたかった。
いちおう、この引用のみを元手に批評するのはやめておくべきだ、とだけ言っておく。記事全体で一つの読み物として練られているタイプの文章だし、部分を切り出して「真の意図」やら「無意識の偏見」やらを「批評」するのはそぐわないように思う。既に、朝日の紹介記事に対して同種の「失敗」をしているエントリも散見することだし。
穏やかでGJ
嫌儲教を広めよう。
>buyobuyo 死ねばいいのに 飢えてしんじゃえよ。 2009/03/09
穏やかな宗教に飢えて死ねいう方が原理主義だとはてサは気がつかないのかね。
http://anond.hatelabo.jp/20090309225846
ロックバンドグレイトフルデッドの作詞家ジョン・ベリー・バーロウの叫びをきけ。
「--聡明なはずの人でも、馬を盗むことと歌を盗むことの間に違いがないと考えている。しかし、これは大きな間違いだ。所有資産としての馬は、有形である。馬には他の馬との競合性がある。歌は本来どちらの性質も持たないのだ。何百万人もの人が同じ馬に同時に乗ることはできない。これに対して歌は、いうならば何百万人の人々に自由に歌われることを望んでいる--」ジョン・ベリー・バーロウ
これは名言