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名前を隠して楽しく日記。

2024-05-14

anond:20240514021736

減点法か加点法かって考え方は意味ないよ。

誰もがその両方の混成でやってるし

どっち寄りかというのもその場その場で違うはずだから

好き/嫌いに理由があるとかないとかいうのは

正確にはどこまで理屈なのかということだろう。

個別好き嫌いの中身をそれぞれどこまで理屈説明できるか。どこから理屈じゃないのか。

それを仔細に観察すれば当初の疑問の答えは出るだろう。別にどうでもいいっちゃどうでもいいが

anond:20240514021421

からガチャ本質運ゲーだって言ってんだろ

くじ引きでも良いけどガチャの方がキャッチーだったかガチャ採用されたってだけだろ

何そこそんな譲れないの?

同じ手順じゃないと嫌なこだわり強いタイプなの?

anond:20240514022257

趣旨も把握出来ない馬鹿バカAI様にお縋りするしかないって嘲られて

そのまんまをやっちゃう知能w」

anond:20240514021736

理由って結局は後付けの言語化でしょ?

まず最初感覚的なふわっとした「好き」か「嫌い」があって、そこから必要に応じて理由を考えるわけじゃん。

俺は「好きに理由は無い/嫌いな理由はある」派だけど、なんでそうなるかっえいうと言語化必要性ってところが大きい。

だって好きの理由をわざわざ分析して言語化する必要なんてなくない?

逆に嫌いな理由ちゃんと考えて言語化する。

俺が嫌いなもの好きな人もいるだろうから、そこを頭ごなしに否定したくないから。マナーみたいなもんだね。

anond:20240510142012

オレは男だけどクソメスなんか嫌いだから社会に出てこないでほしい

蕁麻疹が出てくる

anond:20240514013922

バカAI様にお縋りするしかないって嘲られて

そのまんまをやっちゃう知能w

anond:20240514021736

「好きなものには理由がない」って物事を考えたくないひと特有思考だよな

いや、思考してないのか🤔

anond:20240514020434

バカから何一つ反論できないけど

バカから退き下がることもできないんだね

もはや呪いだねw


もう顔真っ赤とかしか言えないならさすがに諦めたほうが…ってそんな分別があったらそのざまにはなってないんだよなあ

修正してやる👊😠

「横型」ってなんだよ

水平に近くシリンダーが倒れてるんだから水平型でいいじゃねえか

「縦型」ってなんだよ

直立に近くシリンダーが起きてるんだから直立型でいいじゃねえか

エンジンで縦横をいうときクランクシャフトの向きが車体の進行方向に対して平行なら縦で直交なら横なんだよ

わかったかバカタレ

あなたはどっち?】「好き」に理由があるor「嫌い」に理由がある

 だいぶ前に、ふとした拍子に「好きな作品なら理由が言えるはずだ」と言ったら、「逆でしょ。嫌いなものには理由があるけど好きなものには理由がない」と返されて考え方の違いに驚いたことがある。

 その時はそれも筋が通っていると感じたからそれ以上は踏み込まなかったが、思い返すにまだ腑に落ちないものがある。

 それは、結局突き詰めて考えると、自分が「好きなものには理由がある」と言う場合、加点法を念頭に置いているからだ。

 

加点法と減点法

 一般的に加点法と減点法ということを言うとき、加点法の方が分別があるとか生産的だとか言う。

 そして加点法で言うならば、「好きな理由」を上げていくことが評価スタンダードでなければいけない。

 となれば、逆に「嫌いなことに理由がある」という考え方は、減点法であり、非生産的な考え方であると言えるはずだ。

 しかし一方で、「好きなものはなんとなく好きで、特に嫌いな理由があるときだけ嫌い」というのも穏当な理屈であるように見える。

 この、論理の噛み合わない感じが、自分の中でまだ消化しきれない。

 「好きなものには理由がある」という加点法的な考え方に対して、「嫌いなものにこそ理由がある」という減点法的に見える考え方は間違っていると言えるのか。

 

「嫌い」ってどこまで嫌いなのか

 ひとつ重要ポイントとして、「嫌いなもの理由がある」という場合の「嫌い」というのがどこまでのことを意味するのかがあると思う。

 「好きなもの理由がある」自分にとって、「好きでないもの」は「どうでもいいもの」だ。特に価値がない、なくて良いけどあっても別に無視するだけのもの

 それは加点法で考える限り当然のことで、加点法で点がつかないものスタート地点の0。そこから上がりもしないが下がりもしない。ある意味ニュートラル

 なので、「理由があるくらい嫌い」と言う場合、逆にそんなに嫌うほどのものってどれだけあるんだろうと思う。

 虫が嫌いとか食べ物の味が受け付けないとかならわかるが、芸術作品など一般的存在に対してそこまで嫌うということは、単純に珍しいものなのではないか

 その場合、「嫌いなことに理由がある」という人は、「嫌いな物はほとんどないかほとんどのものが少し好き」になるのか、「嫌いなところが目についてアレもコレも嫌い」になるのか、どっちなのだろう。

 というところが、分かれ目になる気がする。

 

「好きなことに理由がある」のか「嫌いなことに理由がある」のか、普通はどっちが多いのか?

 結局、普通はどっちが多いのだろう。「好きな理由があるから好きになる」ことが普通だと考える人。「嫌いなものには理由があるけど、好きな理由特にない」という人。

 後者場合、その「嫌い」はどこまでのものを指すのか? あれも嫌いこれも嫌いで、好きな物以外は嫌いだらけという生きづらい人ならかわいそうだけど、特にこれといった理由がなければ何でも楽しめる、というポジティブな人も多いのだろうか。

 また、これは加点法と減点法という観点で語って良いものなのだろうか。一般論としての加点法と減点法の善し悪しに関する議論と、どう論じ分ければ良いのだろうか?

 疑問は尽きない。なんか尻切れとんぼ

anond:20240510150229

四日後にくるなんてわりとオレにしちゃ早いほうよ

anond:20240513131829

おれが入院してるときヤバかったのは陰毛だった。

なかなかの長期だったし、下半身使えなかったから剃ることも抜くこともできず

anond:20240514021024

何度も引けなかったらガチャって言わんだろ

anond:20240514020443

ガチャ=リセマラできるものという解釈おかし

ガチャ本質運ゲーだろう

子供にとって親がどうなるかは運ゲー

それをガチャに例えて親ガチャ(を外した)と呼んでいるわけで

anond:20240510142012

こういう感覚自体はあっても別に好きにしたらと思う。自分も正直、友達の書いたエロ漫画とかを他のと同じ目線では見られないから多少はあるかもしれない。

ただそれを表に出して誰かを排除する理屈にしたらそら嫌われるよね。

自分勝手に折り合いをつけるべき話であって、一切何の咎もない人を排除する理解を周囲に求めたらそれは完全に差別よ。

anond:20230423104346

ウキョウよりキュウシュウより美しいあつ森でよくね、美術品5000円で買いまくれるし裏側みられるほど回せるし

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