世界中が注目する中、中国共産党はその盤石な支配体制を誇示し続けていた。台湾侵攻の脅威は膨れ上がり、各国は急速に軍備を強化し、国際情勢は冷え切っていた。しかし、誰も予想しなかったことが突如として中国国内で起きたのだった。
ある日、インターネット上に流れた短い声明が全ての始まりだった。「中国共産党を打倒せよ。」それは一見、ただの反体制派の虚しい叫びに過ぎなかった。だが、それは単なる言葉ではなかった。数時間もしないうちに、中国国内の至る所で暴動が発生し始め、政府機関や共産党の地方本部が次々と襲撃されていった。
声明が発表された直後、上海で最初の動きが始まった。大規模な労働者のストライキが発生し、続いて大学生たちが街に繰り出して反政府デモを展開した。共産党の警察部隊はすぐに鎮圧に動いたが、抵抗は予想を超えた激しさであり、次々と制圧に失敗した。街の各所で放火と略奪が相次ぎ、市民の間に混乱と恐怖が広がった。
政府はただちに全国に非常事態宣言を発令し、軍隊を動員して対応に当たった。しかし、軍内でも内部分裂が始まっていた。一部の軍部は共産党への忠誠を誓ったが、他の一部は反体制勢力に合流し、都市ごとに小規模な戦闘が勃発していった。これまで表に出なかった勢力が、各地で次々と蜂起し、地方の共産党幹部を襲撃し、勢力争いを開始したのだ。
北京政府が対応に追われている間にも、広州、成都、武漢といった大都市が次々と反乱の火に包まれていった。多くの地方政府が中央からの指示を無視し、各都市で独自の自衛組織が武装化していく。特に新疆やチベットといったかつて独立を求めていた地域では、その動きが顕著であった。彼らはこの機会を捉え、自らの独立を再び求めるべく立ち上がった。
中国は急速に分裂の道を進んでいた。中央政府は、制圧を強行しようとしたものの、国内のあまりに多くの地域で反乱が勃発し、そのすべてに対応する力を失いつつあった。共産党幹部の一部は早々に国外逃亡を図り、国内では数多の勢力が入り乱れて戦争状態に突入していった。
この突然の中国の内乱に、世界各国も混乱を隠せなかった。中国経済は世界にとって重要な存在であり、内乱の影響が瞬く間に各国へと波及していった。株式市場は大暴落し、貿易ルートは混乱に陥り、エネルギー供給や食料供給の不安が高まった。
さらに、中国国内の難民が隣国へと押し寄せ、国境地域では混乱が続発した。ロシアやインドは国境の防衛を強化し、日本やアメリカは中国沿岸に艦隊を展開して、万が一の軍事的介入に備え始めた。
しかし、台湾への侵攻は起こらなかった。中国政府が内乱にかかりきりで手が回らない状況下で、台湾は逆に独立を宣言し、自衛軍の増強を急いだ。アメリカをはじめとする西側諸国は、これを好機とみなし、すぐに台湾の独立を承認した。これにより中国共産党の権威はさらに失墜し、国内の支持基盤は崩壊に向かう。
戦乱は何年も続いた。経済は完全に破綻し、民衆の生活は困窮を極めた。飢餓や病気が蔓延し、暴力は日常の風景となっていった。軍閥が台頭し、地方の支配を巡って無数の小競り合いが起こり、国内のインフラは崩壊。巨大な内戦状態が続く中で、中国共産党はついにその統治能力を完全に失った。
そしてある日、ついに最後の共産党幹部が捕えられ、処刑されたとの報道が流れた。その瞬間、中国共産党の支配は終焉を迎えた。
中国の崩壊は、世界にとっても新たな秩序の始まりを意味していた。かつて世界第二位の経済大国は、数十の小さな国や勢力に分裂し、そのどれもが安定した統治を確立することはできなかった。混沌とした状況が長く続き、中国の台頭を恐れていた国々は安堵の表情を浮かべるが、同時に新たな脅威が生まれつつあることに気づかざるを得なかった。
かつて一枚岩のように強固であった国が、自らの内側から崩れ去る日。それは、中国が滅び、歴史の大きな転換点を迎えた日であった。