俺の入った大学はクソ大学だなんだとツイッターで呟き散らかす学生が比較的多い年、
ってのがちょいちょい来るんだけど、そういう年代に期待していることが一つある。
一緒にはじめてお父さんに教えてもらうアングルにするのはどうか。
自分なりにこういうことと考えているので、共有してみる。
【前提(仮定)】
●「やりたくないこと」は、社会的には何らかの経済価値がある事項であることが多い
(→会社の売上や研究成果等。社会的に価値がないのであれば、そもそも嫌がる他人に給料を払ったりしてまでやらせる必要がない。)
●「自分がやりたいこと」に、経済価値があるかどうかはケースバイケース
(→たまたま自分のやりたいことが経済価値がある(金を生む)人もいるが、そうでない場合も多い。)
●「やりたくないこと」に取り組む場合に、どの程度やる気や成果が減衰するかは個人の資質/性格次第
【前提(仮定)を踏まえての整理】
●「自分のやりたいこと」が、「社会的に経済的な価値のある」事である人は、粛々と自分のやりたいことをやれば良い。元増田はこのケース。
●「自分のやりたいこと」に「社会的に経済的な価値がない」ひとのうち、「やりたくないこと」でもやる気や成果が減衰しない人は、「やりたくないこと」に取り組むことで良い。「やりたくないこと」は社会的には価値のあるものであり、それを通じて新しい成長もある。
●ネットに多いのは、「自分がやりたいこと」に「社会的に経済価値がない」のに、「やりたくないこと」をやらされるとやる気や効果が著しく減衰するタイプ。
「自分のやりたいこと」に自ら価値を付けられる(新たなマーケット作る)実力や意志も無いくせに、文句ばっかり言っている奴の多いこと。