表現の自由で人を傷つけてきた柳美里さんが、「表現の自由といえばどんな表現も許される」ことが間違いだと気づいてくれました。週刊ポストの見出しへの抗議です。
『週刊ポスト』の「10人に一人は要治療 怒りを抑制できない 韓国人という病理」という見出しは、人種差別と憎悪を煽るヘイトスピーチです。
柳美里さんは、時間は掛かっても人は変われることを示してくれました。
実在の女性をモデルとして、国籍、出身大学、専攻、家族の経歴や職業をそのまま描写し、顔の腫瘍を陰惨な表現で描写した小説石に泳ぐ魚をその女性に無断で雑誌に発表した。 その女性の出版差し止めの願いを聞いていたのに、それを無視して単行本化した。出版差し止めの裁判で、柳美里さん側の敗訴が最高裁判所で確定するが、確定後、柳美里さんと新潮社は、単行本の出版を強行した。そんな柳美里さんと新潮社の主張。
Aさん側の「『朴里花』の存在を作品から完全に削除せよ」という要求は、作品を根底から崩壊させるものであり、「表現の自由」からしても、了解することはできない。なぜなら、「石に泳ぐ魚」は、あくまでも文学作品であり、著者・柳美里氏が、現実に存在する人物、状況等に想を得たとしても、作品自体は、柳美里氏の文学的感性によって抽象化されているからである。
(略)
この小説は文芸作品であり、一般読者が実在の人物と作品の登場人物を同一視しながら読むことはない。この小説は現実から想を得たにせよ、実在人物の行動や性格がデフォルメされ、現実の事実と意味や価値をことにするものとして表現されている。小説の主題は「困難に満ちた〈生〉をいかに生き抜くか」という人間にとって普遍的かつ重要なものであり、被告側が「朴里花」に贈った生の賛歌である。表現の自由は、憲法の定める基本的人権の中で優越的地位を占める。
プライバシーを暴いたうえで陰惨な表現をした相手に、止めてといわれても、それは生の賛歌だと言い訳する姿は、愛と勘違いして暴力をふるうDVと取られかねません。
「表現の自由」からしても、了解することはできない。表現の自由は、憲法の定める基本的人権の中で優越的地位を占める。
週刊ポストには報道の自由がある。内容は、韓国精神健康医学会の調査をもとにした、中央日報の記事に沿っていて、本当のことである。
「石に泳ぐ魚」は、あくまでも文学作品であり、著者・柳美里氏が、現実に存在する人物、状況等に想を得たとしても、作品自体は、柳美里氏の文学的感性によって抽象化されている。この小説は文芸作品であり、一般読者が実在の人物と作品の登場人物を同一視しながら読むことはない。
週刊ポストの記事はあくまでも事実をもとにした報道。医学統計を基にしており、個別の韓国人の疾患と同一視することはない。
柳美里さんは、「10人に一人は要治療、(略)家族、親族、10人います。10人のうち一人は、治療が必要?」と尋ねていますが、初歩的な間違いが2つあります。
1つは統計に対して一例で否定していることです。統計の初歩すら理解できていません。
もう一つは、確率1%のガチャを100回引けば当たるはずなのに、と同じ間違いです。
10人いるときに要治療になる人がいない確率は、それぞれが独立な時、(1-0.1)^10 = 0.3486... 約34% あります。週刊ポストの記事が正しいときに、柳美里さんの家族、親族の場合が起きるのは、ままあります。(もし遺伝性疾患であれば、要治療の人は特定の家系に偏るので、国内の統計結果に対して、親族に要治療者がいない確率は、もっと高くなるでしょう。)
間違った理由で非難することは、相手を不当に貶めるものなので、普通は慎みます。常識のある人なら、すぐに訂正し、相手に謝罪するでしょう。
自由の名の下の表現であっても人を深く傷つける表現をしてはならない、と柳美里さんが気づいたことは、四半世紀と時間はかかりましたが、非常に素晴らしいことです。
人を傷つける表現という点で、週刊ポストと石に泳ぐ魚は同じです。週刊ポストはこの件について、すぐ配慮が欠けていたと謝罪しましたが、柳美里さんは、最高裁判決確定後ですら、表現の自由を盾にしてAさんを傷つけ続けました。柳美里さんが最低限の常識を持つ人ならば、新潮社とともに自らの過去を反省し、彼女への深い謝罪を今後公にされるでしょう。
内田樹 「週間ポスト駄目。激怒」の関連。 Anond 界隈は, 以下. anond嫌韓「駄目か?わからん」 anond在日「怒る人がいて、うれしい」 anond反柳「柳美里が嫌い」←さすが anond www ...