2019-09-04

柳美里さんと週刊ポスト韓国なんて要らない」と表現の自由

表現の自由で人を傷つけてきた柳美里さんが、「表現の自由といえばどんな表現も許される」ことが間違いだと気づいてくれました。週刊ポストの見出しへの抗議です。

週刊ポスト』の「10人に一人は要治療 怒りを抑制できない 韓国人という病理」という見出しは、人種差別憎悪を煽るヘイトスピーチです。

柳美里さんは、時間は掛かっても人は変われることを示してくれました。

柳美里さんの一作目の小説 石に泳ぐ魚にかかわる訴訟の経緯

実在女性モデルとして、国籍出身大学、専攻、家族の経歴や職業をそのまま描写し、顔の腫瘍を陰惨な表現描写した小説石に泳ぐ魚をその女性に無断で雑誌に発表した。 その女性出版差し止めの願いを聞いていたのに、それを無視して単行本化した出版差し止め裁判で、柳美里さん側の敗訴が最高裁判所で確定するが、確定後、柳美里さんと新潮社は、単行本出版を強行した。そんな柳美里さんと新潮社の主張。

「石に泳ぐ魚」裁判経過報告

Aさん側の「『朴里花』の存在作品から完全に削除せよ」という要求は、作品根底から崩壊させるものであり、表現の自由からしても、了解することはできない。なぜなら、「石に泳ぐ魚」は、あくまでも文学作品であり、著者・柳美里氏が、現実存在する人物、状況等に想を得たとしても、作品自体は、柳美里氏の文学的感性によって抽象化されているかである
(略)
この小説文芸作品であり、一般読者が実在人物作品登場人物を同一視しながら読むことはない。この小説現実から想を得たにせよ、実在人物の行動や性格デフォルメされ、現実事実意味価値をことにするものとして表現されている小説主題は「困難に満ちた〈生〉をいかに生き抜くか」という人間にとって普遍的かつ重要ものであり、被告側が「朴里花」に贈った生の賛歌である表現の自由は、憲法の定める基本的人権の中で優越的地位を占める

プライバシーを暴いたうえで陰惨な表現をした相手に、止めてといわれても、それは生の賛歌だと言い訳する姿は、愛と勘違いして暴力をふるうDVと取られかねません。

週刊ポスト石に泳ぐ魚類似点

表現の自由からしても、了解することはできない。表現の自由は、憲法の定める基本的人権の中で優越的地位を占める。

週刊ポストには報道の自由がある。内容は、韓国精神健康医学会調査をもとにした、中央日報の記事に沿っていて、本当のことである

石に泳ぐ魚」は、あくまでも文学作品であり、著者・柳美里氏が、現実存在する人物、状況等に想を得たとしても、作品自体は、柳美里氏の文学的感性によって抽象化されている。この小説文芸作品であり、一般読者が実在人物作品登場人物を同一視しながら読むことはない。

週刊ポスト記事あくまでも事実をもとにした報道医学統計を基にしており、個別韓国人の疾患と同一視することはない。

柳美里さんによる統計の初歩的間違い

柳美里さんは、「10人に一人は要治療、(略)家族親族10人います10人のうち一人は、治療必要?」と尋ねていますが、初歩的な間違いが2つあります

1つは統計に対して一例で否定していることです。統計の初歩すら理解できていません。

もう一つは、確率1%のガチャを100回引けば当たるはずなのに、と同じ間違いです。

10人いるときに要治療になる人がいない確率は、それぞれが独立な時、(1-0.1)^10 = 0.3486... 約34% あります週刊ポスト記事が正しいときに、柳美里さんの家族親族場合が起きるのは、ままあります。(もし遺伝性疾患であれば、要治療の人は特定家系に偏るので、国内統計結果に対して、親族に要治療者がいない確率は、もっと高くなるでしょう。)

間違った理由非難することは、相手を不当に貶めるものなので、普通は慎みます常識のある人なら、すぐに訂正し、相手謝罪するでしょう。

柳美里さんのAさんへの謝罪は?

自由の名の下の表現であっても人を深く傷つける表現をしてはならない、と柳美里さんが気づいたことは、四半世紀と時間はかかりましたが、非常に素晴らしいことです。

人を傷つける表現という点で、週刊ポスト石に泳ぐ魚は同じです。週刊ポストはこの件について、すぐ配慮が欠けていたと謝罪しましたが、柳美里さんは、最高裁判決確定後ですら、表現の自由を盾にしてAさんを傷つけ続けました。柳美里さんが最低限の常識を持つ人ならば、新潮社とともに自らの過去反省し、彼女への深い謝罪を今後公にされるでしょう。

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