香山リカは我那覇さんを「マイノリティに過剰に同化してしまった哀れな存在」
として扱うけど、いち沖縄県民の私に言わせりゃハァ?だ。
基地反対派こそ本当はマイノリティで、今の沖縄は賛成とまではいかないけど「容認派」がほとんどだと思う。
「自分たちは基地によっていやな思いをしてないor恩恵を受けている」
「でも基地によっていやな思いをした(主に老人の)反対派を思いやって口には出さない」「というか沖縄でももめたくない」
みたいな考え方で、賛成とは言わないけど容認する人たち。
近隣住民の「騒音を立てないで」の張り紙を不気味なカカシ?で隠したり
在日がどうとか、どうでもいいけどあれをやる人間たち全てがどうかしてると思う。
こういうこというとヘイトだとか差別だとか抑圧するマジョリティだとか言われそうだけど、もう笑ってしまう。
あれが同じ県民で、すべての沖縄県民がそれにくくられると思ったら、ものすごく嫌だった。
沖縄を離れて、報道されるのを見るたび、「みんながみんなこんなんじゃないのになぁ」と悲しくなった。
もしそれがなんらかの作為的な行動であれば、それを画策した人間に私は腹が立つ。
というか、沖縄県民でも直接いやな思いをしたこともない人間が何をしているのだ、あそこで。
沖縄県民の前に日本人であるというような言葉に、ああ、そうなんだよなぁと思った。
彼女を応援している!という人も多いし、それを表明しなくても「よく言った」と思ってる県民は多いと思う。
沖縄のメディアは、我那覇さんを取り上げないしなぜかそちらを少数派にしたがるけど、我那覇さんの主張、またはその一部に納得・同感する人は多いのだと思う。
「マイノリティ集団には必ず抑圧するマジョリティに過剰に同化する人がいる。抑圧者にとってそういう人はたいへん都合がよく、一時はチヤホヤされる。「ほら、当事者だってこう言ってる」と使えるから。「アイヌ利権を主張するアイヌ」「在日叩きの在日」、そして沖縄にも。利用されてるだけの悲しい人。」
この香山リカ氏の主張に猛烈に腹が立ったのはなぜだろう。
お前が何を知っているのか。
というかマイノリティの過剰に同化しチヤホヤされ利用されているのは自分ではないのか。反差別のアイドル著名人として、利用されているのはないだろうか?
「私は違うわ。いけないことはいけないもの。自分の意思で主張し戦うわ。私は正しいの」か?
我那覇さんと何が違うのか?相手側の意見を聞く姿勢があるだけ我那覇さんのほうがよっぽど人としてできている。だからレッテル貼りをして逃げるくらいしかできないのか。
我々をストックホルム症候群の被害者のようなものだと思っているのか?
沖縄は、マイノリティなのか。私たちはいつまで抑圧されたマイノリティであるべきなのか?
特に基地を憎んでいないのにそれに反対することが正しいことなのか?
自らの意思をもって基地を容認・賛成し、主張することは哀れな被害者の成れの果てだともいうのだろうか。
私には、実際に目に見える障害がある。
たとえば、片脚がないと想像してほしい。それにほとんど近い障害だ。
自分の人生をその状態で生きてきた私は、今やそれも自分の個性のひとつだと思い、もはやチャームポイントだと思っている。コンプレックスはいまやなく、それを活かした仕事をしている。そんな自分を愛している。
片脚がない私たちは辛いんです!バリアフリーを!理解を!寄付を!と叫ぶ同じ障害をもった人もいる。それが悪いことだとは思わないが、自分と違う考えを持っているんだと思う。
そんな私に言う人がいるのだ
「片脚がないと不便だよね。かわいそうに」
「片脚がないことを嘆くことが普通なのに、大丈夫だなんて強がっちゃって。本当は大変でしょう?嫌でしょう?」
私がその時、どんな気持ちになるのかわかるだろうか。
こういうふうに言われたら、どう思うだろうか。
「障害があることも受け入れる?そんな自分を愛する?まぁ、頭がどうかしてるんじゃないのかしら」
「私の知っている人は障害者の人権向上のためにデモをしているわ。あなたはなぜしないの?」
「彼らの切断した脚を出して同情を買うパフォーマンスが嫌い?このレイシスト!彼らは闘っている弱者なのに!」
「あなたみたいな人のせいで本当に困ってる障害者が言われるのよ。「あんな風に生きてる人もいるのに」って。その引き合いに出されてチヤホヤされて利用されて、かわいそうな人ね。あなたはかわいそうなマイノリティであるべきなのに」
彼らは、自分たちがしていることがそういうことであるとは気づかないのか。
真っ当に自分なりの価値観で、自分を愛して生きていきたいだけなのに、言われるのだ。障害のない人に。何故か高いところから。
「差別はよくないわ。弱者へのヘイトはよくないわ。それをわからせるためなら(自分が決めた)レイシストは排外するわ。あなたは弱者だから喜んでくれるわよね」
バカじゃないだろうか。
今の沖縄を愛し、基地と共存しようとしている人間を、迎合しようとしている人間を、
誰にそのように言う権利があるのか。
私は、沖縄が好きだ。基地があり、ステーキやハンバーガーやアメリカンファッションが名物になり、休日にうろうろしている米軍人と笑顔で挨拶を交わす。私が生きてきた沖縄は、そういう場所なのだ。そういうが沖縄は好きだ。そういう人間がたくさんいる。
一部の人間からは「アメリカに染められ反対派を愚弄する国賊」だろうが、この多様化の時代に私や、同じ考えの人の愛するもの・主張をなぜ鼻で笑われなければならないのか。
狭い良識と偏った考えで、己に正義があると思い込み、弱者の味方ですというような顔をして良識人面している、本質を何も理解していない、理解しようともしない、自己愛にまみれた反差別の皮をかぶった差別主義者は、誰なのか。
どうせ彼らから見れば、この投稿も「ネトウヨが沖縄のふりをして書いたヘイト記事」「過剰にマジョリティに同化した哀れなマイノリティ」なのだろう。
そういう考えでいてもいいと思うが、真っ当に暮らす人間の邪魔をしたり傷つけたりしないでほしいのだ。多分話通じないけどさぁ。
ぐちゃぐちゃになった。書捨て。
沖縄で基地賛成と言おうものなら国会議員になれない(当選できない)、 県会議員も反対派が多数派、って現実を知ってるとは思えない 基地反対派こそ本当はマイノリティで、今の沖...