amazonの中古市場(マーケットプレイス)は5か4(大変よい、もしくは よい に相当)つけないとかなりの確立で
「なんでこの評価なんだ、取り消せ」っていう脅迫メールが出品者側から来るぞ。
amazonの評価点は修正できない(取り消しのみ可能)なので「あぁあぁわかったよじゃあ5にしてやるよ!」ってのは
できないので実に面倒。
一応、そういう連絡(評価が不満だという連絡)はしてはいけない、という規約だが、amazonの運営はあてにならんので
今更だけど、マッチングサイトとかヤフオクの評価って5か1か極端になるよね。連絡がないとか詐欺られたとかよほど酷い場合は1だけど、基本的には5にしなければいけない空気がある。「どちらでもない」という評価である3ですらしづらいよね。逆ギレされそうで。
一方、本とかDVDとか店のレビューは平気で悪い評価を付けられるよね。1対1じゃないし、店(会社)から個人が攻撃されることって少ないから、悪い評価を下しやすい。だから逆にそんなに悪い対応をしてなくても、少しでも気に入らないと悪い評価を貰う可能性がある。お店も可哀想だよね。
その点、いいねボタンとかはてなスターは便利だよね。「良い」と思った時だけボタン押せばいいわけだから。「悪い」という感想を排除しているし、どの記事・コメントが良いかも把握しやすい。
ただ、残念なことにこれは客観的な評価を得るときにしか使えないんだよね。ヤフオクみたいな個人取引・企業間取引でもこの手の仕組があればいいのにね。
問題は、ごんが謝罪を表現し、それを踏まえて「撃つ、撃たない」という選択をする……
という事ができなかった事が大きいし、それがこの作品の味。
今払うのも後で払うのも結局払う金額は一緒だから借金って意識はない。ってつもりだった。一ヵ月後とかに払うんだし。
まぁ要は利子の話なんだけど。
あぁ、まぁそういう考え方ならありうるね。
でもそれなら「利子がつかなければ借金とは思わない」とか「利子がなければ問題ない」とかって書くと思うんだよね
どっちかって言うと、「クレジットカードなんだけど感覚としてはデビットカードだと思って使ってる」ってことなのかな。と今思った。
借金するかどうかは好きにすればいいけど、
「借金」と聞くだけで思考停止して完全拒絶!みたいな人が多いのは、
日本の金融教育が1世紀分くらい遅れてることを示してると思う。
無利子の奨学金を早く返すためにボーナス全部突っ込むとか頭おかしいことする人がいる(一括返済割引がある場合を除く)。
借金ってなにがまずくてアホらしいのかといえば利子がつくことなんだから、利子手数料がなければOKって考え方は分かる気がするけどね。
消費できないキリギリスは死んでokってことですね。
へぇぇ。
クレジットカードって仕組み的にはどう考えても借金なんだけど(1回払いでちゃんと落ちれば立て替え払いみたいなものとは言え)、
デビットカードでいいよな、って思ったらすでに書いてあったw
俺はその考えが古いって書いたんだが。
それも、私(たち)の経済水準以上に高額に、だと思うんだよなあ。意地悪じゃない言い方にすると、自分たちに払えないくらいお金をかけなきゃいけないと信じている、思い込まされている、といったところか。
ほぼ皆婚だった世代の人たちは、食べ物や着る物を選ぶように、子育てのお金も家計の水準相応にしか出さ(出せ)なかったし、周囲も(上の世代も先祖も)みんなそうだったから、「今は昔と違ってお金がかかるんだ」みたいなことをいくら言っても意味がわからないだろうと思う。家計の範囲でやりくりするのが普通だろう、フリーターが最高級ブランドしか着たくないなんて言うか?くらいにしか多分思わない。
で、なんで昔は「うちはこれくらいの家計だから、これくらい払おう」だったのに「これくらい払わなきゃいけないのに、うちの家計はこれしかない(orそんな家計は構築できそうにない)」という発想になったのか。こういう考え方をするのは中流以上の家庭出身の人が中心だと思うけど、
・「いい結婚しかしたくない問題」(いい男と結婚できないなら生涯独身でいい)と同じで、子を持つのが全員必須でなくなったので裕福な子育てがしたい、できないなら子自体いらない、と思うようになった
・現代の中流以上の子育てはお金かけ合戦みたいになってるので、我が家だけ最低額をクリアできなかったら子が不幸になるand/or下流に沈んでしまうand/or私が惨めだ、と思っている
みたいな感じかな。「なんでそんなにかかる(と思う)んだ」という人にはこういう背景を説明しないと分かってもらえないと思うけど、説明したら「やっぱりただのわがままじゃないか」と言われてしまいそうだね!