名前を隠して楽しく日記。
ということで政治資金の透明化がこばまれている。これは立憲も同じことをいっているようだ。
しかし、ここではパーティーの話をしているのであって、また、パーティー券を買ったことがわかるとどこにまずさがあるのだろうか?
例えばA社が自民党のパーティー券を買うと、それは私企業であれば問題ないはずだ。しかし、それが国会議員の親族の企業であったりすれば、へーっと思われるだけの話で、そこで消費者などがどういう行動をとるかは、まさに消費者の経済活動の自由だろう。
立憲のほうもよくわからないところがあって、立憲のパーティー券を買う企業がいやがらせを受けると困るというが、それはそうなっているほうがおかしいので、もし工事などでそういったことが行われているのであれば、裁判でも起こすべきだし、野党にそのような配慮をする企業があるとはあまり思えない。
また、支出先で相手がわかるとよくないというが、国会の仕事は立法だ。立法過程でそのようなことがあるのか?
日本の議員はちょっと行政に踏み込みすぎているような気がする。それが当たり前なので、例の北海道の勘違い議員のようなひともでてくるのだろう。
行政の仕事は行政が行い、確かに議員はそれをウォッチするということになるが、やたらといろいろなひととあい、それが秘密といわれるとどうなんだと思ってしまう。
差別されてきた人たちを罵倒するような大っぴらに使ってはいけない差別用語を授業で知ったら、それを嬉々として使うし
今どきスマホかパソコン、なんならゲーム機でネット見れるから、そういう地域がどこかを調べてクラスメートが住んでる地域かを調べる
AIはすぐわかるって言うおじさんは
偉そうにAIは違和感が〜とかAIってすぐわかる〜って言うけど、それ言う意味あんの?
謎解きを答え見ながら余裕でわかったわ〜って言ってるようなもんだし何の自慢にもならんのだが。
また、人をだますために言う
うそ【×嘘】
1 事実でないこと。また、人をだますために言う、事実とは違う言葉。偽り。「嘘をつく」「この話に嘘はない」
2 正しくないこと。誤り。「嘘の字を書く」
3 適切でないこと。望ましくないこと。「ここで引き下がっては嘘だ」
30代前後で特に知能やコミュニケーション能力(生まれつきの能力ってことで後天的に勉強頑張ったことによる学力やコミュニケーションの知識の有無は除く)はあるのに子供っぽいとかだらしないとか気が利かないとかありのままでいたいみたいな人って20年くらい前?に当時テレビで流行ってた鬼のマナー講師のせいでは?
その鬼のマナー講師は今で言うパワハラみたいなキャラのマナー講師で、少しでもマナー(謎マナー含む)を間違えると子供を言葉で虐待する母親みたいな感じでめちゃくちゃネチネチ罵詈雑言を投げかけてくるみたいなのが定番の演出だった。
それがあったから当時の子供たちにはマナーってできないと叱られる!→マナーなんてクソ!って思ってしまった人が多いのではないのか?
自分がそう思ったのは10年くらい前、ちょうど今の30代が若者世代の時に、Twitter(現 X)でありのままみたいな生き方がめちゃくちゃ流行ったのを見たからだ。
ありのまま、という言葉はアナ雪で流行ったわけだけれど、そのちょっと前から人と違うことが生きづらいとか、人と同じや型にハマった奴なんてダサい!他人の意見なんて聞かず自分の考えを押し通して生きるのがかっこいい!みたいな考えをテレビや本やネットででしきりに見たのを覚えてる。
人と同じに出来なくて生きずらいっていうのは生まれつきの気質の人も多かったと思うけど、その「人と違って生きずらい」って人の中にはマナーがなってないから嫌われてるって人もかなり居たのではと思ってる。
昔は今では弱者と言われるような人でも結婚して子沢山なんて当たり前だから育ちが悪い子供なんて至る所にいたわけで、家庭でマナーをしつけられたことない人も沢山居たはず。
しかし鬼マナー講師によりマナーとかやってられるかー!ってなった人は就活でいい会社に落ち、異性にもてず、人から嫌われがちになり、結果いわゆるチー牛とか弱者みたいな人が量産されたのではないだろうか。
マナーって勉強してると実はテレビでよくやってたような「酒のラベルを上にして注ぐ」「とっくりの注ぎ口を使っては行けない(?)」みたいな細かいものは実は少なくて、身なりはだらしなくならないようにとか、敬語を正しく使うとか、報連相をしっかりするとかそういうのばかりだ。別に怖くない。
やろうと思えばできるし、むしろそういうことができてれば嫌がらせされたり悪口言われたりすることが激減する。
鬼のマナー講師がいなければ、学校や職場やデートでヨレヨレの服着て寝癖つきまくりみたいな人はもっと少なかったのではと思う。
そういうのをフラグって言うんだぞ
売れてまーす!悔しい?