はてなキーワード: 競技馬とは
★追記
「ウマ娘をフェミニストが叩いている」という誤解等について追記を別増田で書いたのですが、末尾に載せたため余り読まれずに誤解がそのまま広まってしまって居る様です。すみません。
誤解やその他コメントへの返信は以下の増田で書いていますので、合わせてお読み下さい。
https://anond.hatelabo.jp/20210319115128
★追記終わり
はじめに言っておきたいのですが、私にフェミニストの方やフェミニズムへの敵意はありません。
この件に関して他の方も説明はされていますが、なにぶんフェミニストへの敵意が露わになっている物も多く、理解が難しい場合が多いと想像しています。
そこでこの件に関して一次創作者と言う立場から、フェミニストの方への敵意無しに説明することで、理解頂けないかと思い、筆を執ります。
ウマ娘では著作権を持っているCygamesから「競走馬のイメージを著しく損なう表現を行わないようご配慮いただけますと幸いです」という注意事項が出て、大多数のオタクはそれに従っています。(例外は居るようです)
しかしオタク達は(という括りは中々大雑把ですが)過去に宇崎ちゃん献血ポスターなどの際に「どこからエロくてどこからエロくないか線引きなど出来ない」とし、フェミニストに基準の明確化を迫っていた、
対応が違うのではないか、とフェミニストの方が違和感を持たれている、という話です。
一見して確かにそのようなオタクの対応は異なっています(勿論こうした対応を行っていないオタクもオタクの中には居ますが)
ただしここには「二次創作」を取り巻く環境の特殊さが関わっているために、そう見えてしまっている面があります。それを説明したいと思います。
二次創作は法的にグレーな行為です。その為二次創作者は一次創作者や権利者(アニメの制作会社や出版社等)に「二次創作をやっていいか」と明確に問い合わせない慣習があります。
また一次創作者側も二次創作を厳しく取り締まったり、明確な基準を出したりしない事が多いです。これは一次創作側も二次創作を歓迎している側面もあるからだと思います。(ここにも例外はあり、明確な基準を出すケースもあります)
ウマ娘での具体的でも明確でもない注意事項が受け入れられている背景には、こうした二次創作独特の慣習と事情があります。
(少し想像が入りますが)ウマ娘側は競技馬の馬主やファンとの関係を重視する一方、二次創作の過度な委縮も望んでいません。そこで明確ではない表現で二次創作者側に判断をゆだねつつ、馬主やファンとの関係性を悪化させるような二次創作については牽制を図っているのだと思います。
こうした関係性は一般的なものではありません。いくつかの条件を満たした特別な関係でしか成立しないものであり、「一次創作者と二次創作者(やオタク)」の間ではそれは成立しますが、「フェミニストとオタク」の間では成立しない。その為に対応が変わっているのです。
ではこうした暗黙の関係が成立する為の「いくつかの条件」とは何なのか。以下私に分かる範囲の2点を書きます。
一次創作者は「度を越えた表現はしないだろう」と二次創作者を信頼しているので、明確でない基準を出せます。
二次創作者は「このくらいなら訴えてはこないだろう」と自分の中に目安があり、その点で一次創作者や権利者を信用しているので、基準が明確でなくてもそれを受け入れられます。
ウマ娘ではまさにそうした信頼関係が成立している様で、(一部を除いて)ウマ娘達の性的な二次創作をする者は少なく、また現時点ではCygames側に怒られたという例は聞きません(私の観測範囲の問題かもしれませんが)
ではこうした信頼関係がフェミニストとオタクの間にあるかと言えば、残念ながらNOです。
ただこれは仕方が無い側面もあります。そもそも個人間ならともかく、集団と集団の間でこのような信頼関係が成り立つ方が異常だと思います。
一次創作者と二次創作者の間にあるこの信頼関係は、これまでの歴史が積み重なって出来たものです。ファン活動や同人誌、コミケ、等々、長い時間を掛けて生まれた信頼関係を他の集団が持っていなくても、それはおかしいものではありません。
また、不幸にもフェミニストとオタクの間には信頼関係をむしろ壊すイベントも数多くありました。
オタクの一部はより過激な表現を好み、その結果フェミニストは「度を越えた表現はしないだろう」とオタクを信頼することはできません。
宇崎ちゃんのポスターやキズナアイ騒動など、フェミニストが批判した表現は不適切かどうか人によって判断が異なる微妙な物もありました、その結果オタク達は「このくらいなら批判されないだろう」とフェミニストを信頼できません。
互いに疑心暗鬼になっている状態では、ウマ娘のような明確でない基準では意識を合わせることができないのです。
二次創作についてとやかく言わない事は一次創作者と二次創作者双方にとって都合が良い事でした。
一次創作者側はファン活動からモチベーションを貰ったり、二次創作によりファンが増えたり、といった利益が見込めます。
これは二次創作が法的にグレーである事も関わっています。細かいことを言うとそもそも違法である事に抵触してしまい、その作品の二次創作全体が潰れてしまう可能性も有る。
だから一次創作者と二次創作者の現在の関係は、双方に都合が良い側面があり、受け入れられる訳です。
対して、フェミニズム的な観点による批判の基準が明確でない事はフェミニストとオタク双方にとって利益が有る事でしょうか?
フェミニスト側は利益が有るかも知れません。基準を曖昧なままにしておけば色んな批判ができ、その批判が適切かどうかを基準との適合性で検証される事もありません。
しかしオタク側、というより表現を批判される側(多くの場合は一次創作者)としては、これは非常に困ります。表現をする際に何がアウトなのか分からないままに表現をすることになってしまう。そして後でアウトだったと知って炎上し、表現の修正や撤回を迫られてしまう。
一次創作者の立場から申し上げますが、これが非常に怖いのです。次出すこの作品は、この話はアウトかも知れない。作品の出来不出来に対する批判はある程度覚悟がありますが、差別的な表現だと批判される場合はその後の影響が全く異なります。今後作品を出せなくなったり、もしかしたら作家生命が終わるかもしれない。
私は幸いフェミニストの方に批判されるような表現は少ないジャンルの創作者なのでそこまででは無いのですが、やはり恐怖を感じる事はあります。
恐怖、そう、個人的な見解ですがオタクの一部がフェミニストに抱いている感情も実はこれだと思います。
自分がセーフだと思う作品、好きな作品も、フェミニストに批判されて修正させられたり、降板させられたり、作品を停止されるかもしれない、そういう恐怖を抱えている訳です。
そうした恐怖は信頼とは正反対のものです。そのような恐怖が無い状態、「本当に不正な場合は批判されるだろうが、そうでない場合は批判されないし、作品を潰される事もない」と双方が思える信頼関係が出来ればいいのですが、現状を見る限り難しそうです。
以上2つの条件をどちらも満たさないので、フェミニストとオタクの間には基準を曖昧なままにしておける暗黙の関係性はありません。だから対応が変わる訳です。
重要なのは「二次創作者と一次創作者」の関係の方が特殊なのであって、暗黙の関係性はほとんどの関係で成立しない事です。
分かりやすい例えかどうか分かりませんが、一次創作者と二次創作者は恋人だと考えて見てください。2人はキスなど特別な行為を行いますが、他人(フェミニスト)とは行いません。
それはおかしなことではないし、恋人でない人が「私ともキスしろ」と要求することはできない筈です。
以上の事をフェミニストの方々にご理解頂く事は、実はそれほど難しい事では無いと思っています。
何故かと言うと、フェミニストの中にはオタクを兼任している人も居るからです。女性のオタクや腐女子かつフェミニストの方からすれば、これまで説明した二次創作を取り巻く特殊性は言われるまでも無く理解されている事でしょう。
特に女性の消費者の多いBLでは二次創作は盛んですから、釈迦に説法です。
オタクや腐女子ではないフェミニストの方にはもしかしたら理解が難しいかもしれませんが、それでも理解頂けるよう、言葉を尽くしたつもりです。届いていれば幸いです。
実はもう少し書きたいことが色々あるのですが、既に長くなってしまいました。論点を足早に述べます、後日詳しく書くかもしれません。
・ウマ娘がオタクに配慮されるのは馬主が社会的な強者だからだ、という意見がありますが、誤りだと思います。
というのも強者ではない私の様な一次創作者の意向も二次創作者の方々の大部分は尊重してくれます。それは私がお金持ちだからではなく(お金持ちでは無いですし・・・)私が権利者だからです(作品への愛や誠意もあるとは思いますが)
・私は私の作品について「性的な二次創作をしないで欲しい」と表明することは正当な権利だと思います。一方私のものではない作品(例えばドラゴンボールやセーラームーン)について「性的な二次創作をしないで欲しい」と言ったとしてもそこに効力は無いと思います。
ウマ娘も同様です。Cygamesが権利者だからその意向が尊重されるわけで、それ以外の方の意見が強制力を持たないのは私の「ガンダムの二次創作をしないで」という発言に効力がないのと同じ、当然の事です
・二次創作者が「一次創作者の意向には従うが、フェミニストにはそうじゃない」という異議は、他に少し奇妙な所があります。と言うのもフェミニストの方々が批判対象とするのは多くの場合二次創作ではなく、一次創作やその公式コラボだからです。
つまり二次創作者は一次創作者に対して法的にグレーな事をしている(だから曖昧な基準でも従う)という負い目があるのに対し、フェミニストの方々は一次創作者の作品に対する権利者ではありません。
勿論作品の消費者である可能性はある訳で、フェミニストの方々の意見を無視することはありませんが、それは二次創作者に対する一次創作者の様な特別な地位ではない、という事が見逃されているケースが散見されます
・私がこの問題を知るきっかけの一つが以下の増田さんなのですが(この増田さんの語り口はフェミニストへの敵意が多い為、理解は得られないだろうと思い別の立場から書くことにしました)
https://anond.hatelabo.jp/20210317235416
この反応で気になるものがありました。
一生懸命正当化してるけど、勇壮な表現の自由戦士たちがコンテンツホルダーの意向には簡単にゴロニャンする構図は変わらない。好意の多寡じゃなく、自分たちからオモチャを取り上げる権利を持つ相手に屈服してるだけ
というものです(個人叩きになるのは本意ではないので、idは載せません)
二次創作者(やオタク)たちが明確では無い基準でも受け入れているのは双方に信頼関係とWin-Winな関係があるからで、「自分たちからオモチャを取り上げる権利を持つ相手に屈服してる」からではありません。
彼らと一定の信頼関係を築けていると考えている一次創作者としてそのような言い方はフェアではないと感じます。(また、オタクには女性も含まれるし、腐女子も含まれる事を忘れていないか、心配です)
ただ、この事についてこの方に理解頂くのは難しい事ではないと思います。
何故ならこの方はガチャピンをアイコンにされていました(今見たらアイコンが変わっていました・・・)。過去にこの方がそれが著作権的にグレーである事を自覚しているというコメントも見た事があります。
ガチャピンアイコンがグレーである事を知りながらガチャピンや権利者に「アイコンにしていいか明確にしてくれ」と明確化を求めなかったのは「自分たちからオモチャを取り上げる権利を持つ相手に屈服してる」からでしょうか?
私は違うと思います。「アイコンにすることで訴えてきたり止められる事は無い」と信頼しているからではないでしょうか?
だとすればそれは二次創作者と一次創作者の間の信頼関係と同じです。理解は容易い筈です。
以上だいぶ長くなってしまいましたが、フェミニストの方にご理解頂ければ良いなと思います。自分なりに誠意をもって書きました。
ブックマークのコメントで気になったものに返信を追記しようとしたのですが、長すぎて切れてしまったので、別増田にしました。以下です。