「伝統的子育て」を含む日記 RSS

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2019-01-21

anond:20190121215814

自分の子供を他人に丸投げして1日2日放置

立派な育児放棄です

追記、シンガクを調べてみたら

1.赤ん坊には子守唄を聞かせ、母乳で育てなければならない。粉ミルクは使わない。

2.授乳中はテレビをつけてはいけない。子供テレビビデオはなるべく見せない。

3.子供には早寝早起きさせ、朝食を必ず食べさせる。

4.インターネットフィルタリングを徹底し、有害情報から子供を守る。

5.テレビゲームなどのバーチャルから子供を遠ざけ、親子で演劇などを見る。

6.PTA父親も参加する、また教科書もチェックする。

7.遊び場確保のため、一般道路を解放

8.企業授乳休憩を設け母親を守る。

9.乳幼児健診などの機会に自治体が「親学」講座を実施

10.幼児段階で基本的道徳思春期到来前に社会性を身につけさせる。

11.思春期以降は自尊心が低下しないように講じる。

12.発達障碍やアスペルガー自閉症は親の愛情不足が原因で、伝統的子育てでは発生しない。

など

7、12番はトンデモ、2、5番は教育方針問題だろうがそれ以外は別段変なこと言ってねーだろ

2017-11-05

anond:20171105174901

死因は何より貧しさだろうけど、危険への無知もあるし、昔の人と話してると死んでも仕方ない覚悟で女が畑仕事家事をやってた感じもする

百姓貴族で書かれてた机の脚に赤子くくりつけて放っておいてたのとかも今なら虐待だしいつ事故で死んでもおかしくないよね

しかったし父親育児参加が無かったから仕方なかったみたいな感じの話を聞く

自民森派支持母体の捨て育てのとこも多くの政治家が推薦してるけど戦後からオカルト育児だし昔ながらの育児や家庭賛美は根強いよ

維新のこれとか酷かったよね以下コピペ

家庭教育支援条例案」

【前文より】

・かつて子育ては、社会から温かく厳しい「眼差し」に支えられていた。

・今は、伝統的子育て法が伝承されず、父母が途方に暮れている。

・「ながら授乳」などに、「親心喪失」が表れている。

発達障害のような「気になる子」が増えて学級崩壊が起きた。不登校非行発達障害との関係も指摘されている。

【条文より】

・わが国の伝統的子育て法によって発達障害は予防できる。

乳幼児期の愛情不足が発達障害の要因であるから、その予防策を実施する。

高校以下の子がいる全家庭に保護者用の「道徳副読本」を配付する。

2014-01-28

伝統的子育て発達障害を防げるというのはある意味正しいと思う

似非科学呼ばわりされているけれど、私には「発達障害は生まれつきの障害なのでどうにもなりません」認定の方が似非科学に思える。

個人的にはそもそも「発達障害」なる概念のものが疑わしく思う。

脳なんていまだにブラックボックスなのに「生まれつき脳の機能障害で一生治らない」という烙印を押して個人を差別する事が本当に科学的に正しいのか。

発達障害」というのは本来障害でも何でもない人達差別して排除するためのレッテルしかないと思ってる。

あくまで作られた障害でしかないと。作られた障害だから社会のありようによって増えたり減ったりする。だから教育で減る事だってあるはずだ。

はっきり言って「発達障害」なんていうのは肌が褐色なのが障害だとか、目が細いのが障害だとか言ってるのと変わらないと思う

差別正当化する口実でしかない。つまり人種差別と同じ。

必要なのは障害者として扱って特別な「支援」により周りに合わせる事ではなく、そのままの個性で素晴らしいと肯定する事ではないか。

発達障害教育というと、当事者矯正して「社会」に適合させる事にばかり熱心だが、本当に必要なのはそれ以外の子に対する教育じゃないか?身体障害にしろ人種民族しろ、「差別はいけません」と教育するのが第一だ。「特徴を矯正して、差別者に媚びへつらって気に入られるようになりなさい」と、当事者を「支援」したりはしない。

変わってる子、空気読めない子をハブってはいけません、人は一人一人違うのだから他人の個性を認め合いましょう…そういう教育。昔の日本にあって今の日本にはない教育

昔、少なくとも二十年くらい前までの日本では、今なら絶対発達障害認定されているような人でも職人芸などを生かしてお金を稼ぐ事が出来ていた。周りも「変わった人」として、結構好意を持って接していたと思う。少なくとも今のように障害者認定されて差別される事はなかった。

虫愛ずる姫君という古典がある。化粧もせず、流行りの衣装を好まず、他の女の子が好まない虫を愛する姫の話。当時として一般的ではなかったんだろうけれど

それでもそういう娘を美しいものとして描いた作品が千年後まで残っている訳だ。

社会人の身だしなみとして暗黙のうちに化粧を強要され、常に気配りと甲斐甲斐しさが求められる現代日本女性には、虫愛ずる姫のように自由に生きる事は不可能だろう。

昔の全てが楽園だった、なんて言う気はないけれど

少なくとも「発達障害」と見做される特徴を持った人々にとっては昔の日本の方が生きやすかったし

生き方の幅も広かった。

今のようにコミュ力が全てじゃなかった昔の日本が懐かしい。

からそういう伝統回帰をよしとする子育てが浸透すれば「発達障害」と認定される子供や大人は減るんじゃないか?

コミュ力女子力がなくても生きやす社会になれば「発達障害」は絶対に減るよ。

2013-07-15

下村文科相の「親学」を誰かちゃんと調べてくれ

親学がらみでまた名が出てきてるけど、はてならしい小バカにしきったものばかり。それ以前に彼の親学について触れたもの読んでも分らない。

3.11義捐金の送り先の一つに「あしなが育英会」も含めた結果、『NEW あしながファミリー 号外』というのが送られてくるようになった。その、直近2号に「編集長特別インタビュー」として下村博文文部科学大臣が大々的に取り上げられている。(さらに、少なくとももう1号は続く)

このインタビューが興味深い。

肩書きが文科相のほか、「あしなが育英会副会長高校学生第一期生」。たしかに、途中までは交通遺児として苦労しながら……という話。鈴木宗男さんを何となく連想した。

しかし、6月号の後半は見出し

LD児の長男政治家下村を鍛えた

とある通り、ディスクレシア(識字障害)の子についての対処や思いが、けっこうな分量を占める。

注目すべきなのは、これを読む限り、下村氏の対処全然間違っていないように見えること。もちろん気づくまでは「手を上げたこともあります」というようなものなのだが、ひとたび障害が分ってからは、この分野での先進国であったイギリス留学させるなど(これはそれだけの余裕がないとできないが)頑張っている。

おかしな療法に手を出して結果オーライからのめり込む、なんてのとは全く無縁だ。紙面での言葉もっともに思える。というより立派だ。

この長所を伸ばす教育機関は、残念ながら日本にはなかった。

どのような子どもでも受け入れる「教育多様性」について、本腰を入れて対応しなくては

ということで、読んでの疑問。これ、高橋史朗氏の言う「親学」と両立できるの?

いや、高橋氏どころか、自分が別のとこで言ってることと整合性取れるの?

問題:次の文 発達障害を予防する伝統的子育てとは | 下村博文 を読んで作者の真意を答えなさい。

正答:学習障害の子を持つ親として、長所を伸ばす、どのような子どもも受け入れる多様性を持った教育をすすめようという願い。

受験で出したら反乱が起きるレベルだ。

私はブログのほうは、(政策秘書などの)別人が書いている可能性も疑っている。そもそも文体が冷たすぎて、こちらのインタビュー全然肌合いが違う。

まあ、いずれにしてももう少し詳しく、下村氏と「親学」の関わりについて知りたい。小バカにするだけではなしに。自民党特質の一つとして、「ぬえ」みたいな性格挙げることができると思うけど、それが「親学」というものにも当て嵌まるのではないか

『NEW あしながファミリー 号外』、あしながから送ってもらってる人、ここにははもちろんたくさんいると思うから、細かいインタビューの内容は誰かが補足してくれるでしょう。それから著書もあるので、それを使うのが一番なのかもしれません。では

 
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