旅行先のサンフランシスコでは上映しているスクリーンはないっぽかったので (もしかするとおれの検索の仕方が悪いのかもしれない) 、対岸のバークレーにあるアート系映画館で見て北。内容は下品でバカで下らないものであることははてなウォッチャーの諸兄であればご存じかと思うが、意外だったのは上映時間を通して終始、笑いの絶えないメチャクチャ面白い映画であったことだ。みんなヒィーヒィーと引きつるように、あるいはベッドでヨガるかのように集団で奇声を上げつづけていた。字幕スーパーがないので台詞は半分くらいしか理解できなかったものの、拙者も元セフレ (右投左打) を思い出しながらベッドを揺らすかのように、体の奥を突き上げたくなるような衝動で笑いつづけた。満足度チョベリグなイカしまくった映画だったわけなのだが、どうしてかネットのニュースやSNSでの友人の発言を見ていると、上映中止の判断はテロに屈することだとか表現の自由の侵害だとかクソ真面目なことばっか言ってて萎える (しかもインテリぶってる奴に限って、括弧書きで「内容はともかく」とか「自分は見たいとは思わないものの」とかほざいていやがる。ほんとにそう思っているのなら利害ないんだからリアクションするなっつーの) 。そんなのどうでもいいわ。みんなどうしてもっと素直に、「こんなムチャクチャ面白い映画を上映しないだなんて許せない」って言えないのか。怒るポイントが違うだろ。あと全然関係ないんだけど、午後2時ごろ、上映が終わった直後に猛烈な便意をもよおし、映画館のトイレで脱糞することを余儀なくされた。一瞬、ポップコーンに当たったのかと思ったがそうではなく、東京の時間でちょうど朝の排便タイムだったことが原因だろう。時差ボケのハンドリングは睡眠よりも排便時間の調整の方がはるかに難しい、が私の持論である。
失敗するのが怖かった
それは「負の影響は及ぼしていない」と考えるべき。
社会がそういう仕組みであるなら、その社会システムが不出来であるというだけ。
むしろ、システムが要求する以上のパフォーマンスを要求する人間こそが、社会において負の影響があると言うべきだろう。
社会システムが10の成果を要求し、個人がそれに応じて10の成果を上げる。
これについて、個人が20の成果を上げなければならない理由はないし、10を要求されて10の成果を出すことに何のネガティブな要素もない。
嫁「そんなの常識じゃないですかー(ドヤァ」
嫁「自分の住む街の良いところって一度は探すでしょ? そういうのしかないんだわ」
俺「え……他にもっとこう……あるだろう?」
嫁「我々もそう思うんですけどねー」
遠藤さんからいただいた手紙より「野島医院レポート」 http://odoruudon.com/old/nojima_re.htm
野島政男医師について、医療関係の人に質問します。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1037477020
「信じる者は救われる」ということだろうと思いますが、(略)
高額なものを買わせることはないようだと書きましたが、
日記、患者からのお便りなどがあったサイト。現在は消失 http://www.nojimaiin.com/
異常さがエスカレートしてきていて
※インターネットアーカイブで平成16年までの日記なら見れる https://web.archive.org/web/20040409104406/http://nojimaiin.com/index.html
うどん屋大繁盛記 http://odoruudon.com/old/udonnik23.htm
野島政男さんの講演会 http://plaza.rakuten.co.jp/siriun/diary/200407030000/
きょうの野島さんはGさんとおなじ宇宙から来た異星人の魂を持っているらしい。
往々にしてそういう人の話は、自己顕示欲とかイヤミ感があるのだが、まったくそんな匂いがしない。
「宗教は、悪魔がつくった。イエスも弘法大師も親鸞もみんな悪魔。日蓮やマザーテレサは堕天使。仏陀はレベルは低いけれど人類の中ではマシな方」