はてなキーワード: マイペンライとは
自分に自信がないから日本すごいオナニーして他国を見下したいだけの人には見ないで欲しいんだけど
「微笑みの国」の微笑みが悪い意味に聞こえてきたわ
意外だった?でもほんとにそうなんだよ
日本下げたいやつがよく「タイはこんなに発展してます」って言って書いたり写真載せたりしてるのは上位1%くらいじゃない?金持ちはすげー金持ちだけど信じられないのくらい終わってるスラムあるしホームレスもわんさか
それ諦めもあると思うんだよ
成り上がりみたいなのができない。見えない階層が確実にあるし違う階層と深く関わることができないから人と比べるとかあの階層に行きたいとかいう意欲を持つことすらできないから諦めてるだけなんじゃね?ってなってる
「まあそういうもんだから仕方ないよね」「現世はこんなもん、来世来世」みたいな
日本もそうじゃん見下したり見下されたりしてるじゃんって思われるだろうけどそういうレベルじゃないからほんと
それに加えて銃+覚醒剤+大気汚染、当たり前だけど教育格差も半端ない
はあ
「タイのマイペンライ精神素敵🎵それに比べて日本人はぐちぐち文句ばかり性悪」って思ってた時期が自分にもありました。
正解はたぶん「マイペンライ精神を持ってないとやってられないレベルの格差社会かつ解決しようがない問題モリモリ」でした
ちゃんちゃん そしてマイペンライ精神を持てないものは自殺する(タイの自殺率高いよ)
タイは相続税がないの!?最高!みたいなこと言う人いるけど要は金持ちはずっと金持ち、貧乏人は一生泥啜り
いやもちろんいいとこもたくさんあるけどねー
朝、いつものように電車に乗って会社に向かっていたんだが、4駅目を過ぎたあたりで、急に激しい便意に襲われた。
何が悪かったのか。昨日の中華居酒屋でしこたま飲んだ紹興酒が悪かったのか、帰ってから食べた押し寿司が古かったのか、わからないが、便意とも、腹痛ともつかないものに意識全体が奪われて、寒気がするくらいだった。
これくらいはマイペンライ、会社のウォシュレット付きトイレでいつものように快便すればすべて丸く収まる、と思っていたのもつかの間、やはりこのまま我慢するにはあまりにも強い、これは便意なのだと確信した。いますぐ出したい、出さなければ腹が壊れる、というか、もう勝手に限界のところまで下がってきている、何かが、という状態だった。
次の駅でホームをダッシュしてトイレに駆け込むしかない、というようにエマージェンシープランを変更して、降りる決意を固めたのはいい。
だが、ドアの傍に立っている大学生らしい男の背負っているホモランドセルで、入り口全体がふさがれている。
電車が止まったのはいい。降りようとして自分が動き始めたのはいい。だが、やっぱりホモランドセルが邪魔になっているせいで、降りる人の流れに加わって自分も降りることはできなかった。
再び動き始めた電車の中で、義憤ども諦めともつかない気持ちを味わっているうちに、尻のあたりがなにか生暖かくなってくるのが感じられた。
暖かさは意外に気持ちよかったが、そうも言ってられない状況になった。自分でもそれとわかるほど臭いがする。でも動くことはできない。
腿と膝のあいだを通って、生暖かい液体が降りてくるのを感じる。
次の駅で電車が止まったところで、すいません、すいませんと繰り返して、ホモランドセルを手でのけながら、やっとの思いでおりて、駅のトイレに駆け込んでパンツを下すと、液体に混じって実が出ていた。
パンツだけを捨てて、水でズボンをゆすいで、反対方向に向かう電車に乗って、着替えに戻ったのだが、電車の中で臭いが漏れていないかどうか、気になって仕方がなかった。
タイ在住者の声「国交断ったほうがよっぽどよいと思うぞ、日本にとっては。」
ttp://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2008/01/post_1d0d.html
タイでは恋愛も売春も、(弱者の)性奴隷、家内性奴隷も、意識のうえであまり境界はないのだということにも注意すべきである。
12歳で、親、タイ人ブローカー、白人の三者の犠牲になって白人男のレンタルワイフとして売られた山岳少数民族の少女は、その翌日から普通に「ファラン(白人)のガールフレンド」と称して堂々と生活していくのである。ひょっとしたらいままでより偉そうに外を歩けるかもしれない。
そういう沙汰を(良くも?悪くも)平然と許容してきたのがタイ社会、タイ国家なのである。
それがタイの「マイペンライ」の現実の意味であり、「マイペンライ」の道義上の性格である。
タイヲタが「マイペンライだマイペンライだ」と喜んでいるのは、このような沙汰を平然と許容する道徳水準を自分は受け入れているんだという告白だと思わなければならない。
今度どこかで「マイペンライ」という言葉を見たり聞いたりしたら、それはアパートの隣の部屋に白人男が小学生のアジア人少女と逗留し、淫蕩に耽っているのを見ても何も感じず平然と暮らせる感性のことだと肝に銘じるべきである。