彼らは敵のいない人ではない。味方のいない人だ。
無条件に愛されること、肯定される経験が大事なのだと人は言う。それがその通りだとしたら、その経験が出来なかった人たちはどう生きていけばいいんだろう。誰もが一人残らず愛されるわけがないって想像できないだろうか。
法を整備して仕組みを変えることはできる。だけど、国が出来るのはそれだけ。道徳を強制して罰則を規定するのが関の山だ。落ちこぼれやわからず屋の一人ひとりに向き合えない私たちは「無敵の人」の凶行を甘受しなければならない。
なんらかの理想を掲げることで、その反対方向に存在する人たちが除け者にされる。もちろん、無敵の人もその除け者の中の一人。本当の敵は人の持つ強さ、弱さ、賢さ、愚かさ、美しさ、醜さ、そして方向性を持つその他すべての性質だろう。
…自分が素面でも酔ってても思うことだが、開く扉に身を預けて寄り掛かってるヤツ、ほんとバカだとおもうわ(別に、次の駅で降りるからドア前に移動したら、その前で寄り掛かっとるヤツが居ったからカチンてきとるわけやないで😷)
きちんと考えないと
次の1時間:えーー何もしてない
最後の1時間:何もできなかった。凄い無駄にしたかんじで、自己嫌悪
となるぞ。それ、先週の水曜日のわい。
4時間なら、遠出はできないから、近所になんかうまいもの食べに行くか、スーパー銭湯→ラーメン→コンビニスイーツコースだな。わいなら。
ごろグラに乗り換えだ!