彼らは敵のいない人ではない。味方のいない人だ。
無条件に愛されること、肯定される経験が大事なのだと人は言う。それがその通りだとしたら、その経験が出来なかった人たちはどう生きていけばいいんだろう。誰もが一人残らず愛されるわけがないって想像できないだろうか。
法を整備して仕組みを変えることはできる。だけど、国が出来るのはそれだけ。道徳を強制して罰則を規定するのが関の山だ。落ちこぼれやわからず屋の一人ひとりに向き合えない私たちは「無敵の人」の凶行を甘受しなければならない。
なんらかの理想を掲げることで、その反対方向に存在する人たちが除け者にされる。もちろん、無敵の人もその除け者の中の一人。本当の敵は人の持つ強さ、弱さ、賢さ、愚かさ、美しさ、醜さ、そして方向性を持つその他すべての性質だろう。