最近のテレビの話題といえば、コロナかオリンピックかの2択だろう。
そして今日1日においてのオリンピックの話題といえば小林賢太郎さんの解任問題だろう。
私は現在、四捨五入すれば20歳の年齢である。彼の1番輝かしかった時代をリアルタイムで知ってるわけではないが、私は彼が、ラーメンズが、大好きである。オタクなら誰でも“千葉滋賀佐賀”のネタは辿りつくものだろう。私もそのオタクのうちの1人なのだ。出会ってから好きになるのは早かった、ネットで動画を探しては見て笑い、気づけば帝王閣ホテル応援歌を口ずさんだりもした。
のちに大学生になった私はあのネットで見た動画は違法なものと知り今さらながら本公演や演劇作品、PotsunenのDVDを集めている。そのうち戯曲集もほしいなと思っている。
さて、上記の通り私は彼の作品のファンである。しかし、彼の人間性はイマイチ知らない。少しクサイ言い方になるが私は彼の才能に惚れたのだ。だから彼が問題を起こしても何をしても私が惚れた彼の才能というものがなくなるものではない。だからずっと大丈夫なのだと思っていた。
彼が芸能界を引退して彼の作品を見ることが出来なくなって数ヶ月、オリンピックの開会式のスタッフに彼の名前が並んでるのを知った。嬉しかった。彼の作品がまた見れる、と。
しかし、どうだ。作曲家は辞任、世間はその作曲家を痛烈に批判した。それ以前にもオリンピックの運営側の人間には少々問題があったり、コロナで世間は混沌としていた。次々に関係者は炎上や辞任……いつ彼に炎上聖火リレーが回ってくるのか気が気でなかった。しかし、もう開会式は目の前、今さらディレクターである彼が辞任される訳がないと高を括っていた。
7時21分金曜日午後11時頃、Twitterの某アカウントがラーメンズの“できるかな”というコントの切り抜きを上げ、批判した。動画は瞬く間に拡散されそのTwitterに投稿された動画は30分ほどで数千回も再生された。
翌朝起きてTwitterのトレンドを確認すると彼の話題で埋まっていた。あぁ、彼の名前がこんな形で広がっている………とても悲しい気持ちになった。
ここまで読んでくれは物好きの皆さんに念の為注意書きをしておくと、この文章は彼を擁護するものではない。(これは擁護しないという意ではなく、擁護するのが本題ではないという意味である。)
当然、彼の発言自体を擁護することは出来ない。あのセリフ自体を擁護するなら擁護した側のほうが言った側より問題である。
しかし23年前の、公式でYouTubeに上がっている訳でもないコントだ。9分あるコントの2秒もないセリフだ。
おそらく以前の作曲家の問題がなければ彼のこのような物は出てくることがなかっただろう。なぜこうなったのが。民衆がオリンピックに対して大きな不信感があるからだろう。どうにか粗を探して叩く。そういう流れになってしまったのだ。
何かを批判するのは楽しいんだ。自分の正義を振りかざして悪を糾弾する。まるで正義のヒーローではないか。だから悪いと思わないし、むしろ気分が良くなる。だから表面だけを見て叩く人や、オオゴトにしてなにか大きな力に圧制されるのを望む人も多く居る。
批判する投稿内容には「日本の恥だ」「こんなことが海外に広まったら…」なんて、世界誰にでも見れるSNSで書く輩が居た。
日本人が日本人の恥部を晒しあげて日本の印象を悪くする様子は滑稽でならなかった。
だんだん文章の収集がつかなくなってきたので結論へ移るとしよう。
私が何を言いたいのか。他人の揚げ足をとるのはやめにしないか?
悪いことを悪いというのはとても大切なことである。しかし、大人数がそれを行うのは大きな危険が伴うということは今までのあなた達の人生、ネットで起きた事件などで十分に分かっているはずなのだ。表現の自由はあるし、何を思うかは個人の自由だ。しかし、その思想が、そして思想に乗った言葉がどのような影響を与えるかは考えるべきなのだ。
今回のことでネット、SNSは世間に物凄い影響を与えることを私たちは学んだ。その上で上手く付き合っていくべきである。
蛇足だが、彼は過去を悔い改め徐々に笑いの形態を変えて行った。過去は変えられないけれど彼は未来を変える努力をしていたように見える。それがこのような形になってしまったのは残念な限りである。
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嗚呼おっさんが書いているんだなあといつも思う