ルミネのCMは明らかに「職場における女性の役割」を見せつけて、「外見に気使わないとやばいよ」と女性を責める内容だった。
職場の男性上司が「需要が違うんだから」と女性にいう台詞に、それが現れている。
それが批判されるのは分かる。
「25過ぎたら女じゃないってこと!?」と息巻くコメントが多いが、勘違いしているように思う。
「女」なんて言ってない。「女の子」って言ってるのになぜ怒り狂っているのか?
「25過ぎたら、"女の子"をアップデートして"いい女"になろう」というメッセージ、自分は単純に嬉しかった。
美魔女やJKを筆頭に「若さ」ばかりがもてはやされる昨今で、年齢とメイクのエイジングを ”アップデート”として肯定的に伝えるCMは今まで無かったように思う。
「可愛がられる」「チヤホヤされる」みたいな受け身としての「ラブリー」が今までに無かった主体性と強みを持ったような爽快感すらあった。
少なくともこのCMからルミネのように脅迫的には感じなかったのだが、私がおかしいのだろうか?
「女の子は25歳まで」ということに怒っている人がいるとしたら、ちょっと本気でロリ社会に心を冒されすぎている。
安達祐実さんのようにガーリーさとしての女の子を失わない女性も実際にいるしめちゃくちゃ素敵だが、
それは一部の人が持つテイストとしての結果であって、女性の成長目標をそこに設定されてしまったらそれこそ生きづらい。
一応申し上げておくが、
女子会・女子トイレ・○○女子・○○ガールに関しては、言いやすさや語感の良さに過ぎないと思っているので警察するつもりもない。
あと、テイストとしてのエレガント/ガーリーの好みの差は個人の自由だし、人は皆自分の好きな格好をすればいいと思ってる。
デスクの前でサンドイッチを頬張るメガネ女性に対して男性上司が言う「今日も頑張ってるね」「それが顔に出ているうちはプロじゃない」という台詞に続いて出てくるメッセージだ。
「疲れてる部下に対してひどい!」というコメントが多いが、果たしてそうだろうか?
見る限り、女性は疲れているようにみえないし、忙しそうでもない。
なぜなら上司や背景にいる同僚含め、社内の雰囲気に忙しさが無いのと、女性がそこまで乱れてはいないからだ。
疲れや忙しさが重要であれば、プレゼン帰りとか徹夜明けとか、社内がざわめいてるとか、もっと分かりやすいストーリーにするはずだ。
どちらかというとこのCMでは、パソコンをみながらサンドイッチをパクつく"ズボラさ"がフィーチャーされているように思う。
ってあたりではないだろうか。
これらの演出にブラック労働を見いだしてしまう世の中の雰囲気に気付けなかったことが、このCMの最大の落ち度のように思う。
「頑張ってるを顔にださない」というメッセージの「頑張ってる」が「頑張らされている」であると読み取られる文脈が、今この社会に出来上がってしまっている。
本来、頑張ることも頑張らないことも自由であるが、「頑張らされている」人が多い現状が、「正当ながんばりに値するかどうかを他人が決める」という悪循環を作っているように思う。
また、「過酷労働」と感じさせられるCMはいくらでもあるのに、これがここまで批判されたのは、やはり主役が「女性」だからなのだろう。
私だってイケてる仕事に決定権を持って関わりつつ、結婚して満足のいく子育てをして、メイクやおしゃれや趣味に勤しみたい。
でもなんか無理そう。不安だ。不安すぎて少なくとも仕事を頑張るぐらいしかできない。
「職場でのバッチリメイクを強要されている」と感じた人も多いことも、批判に繋がった原因のようだ。
CM自体が「地味子がキラキラ系になってハッピー!」みたいなストーリーでは無いのでそういった視点は少し被害妄想が過ぎるようにも思ったが、
「容姿に社会性がもとめられる女性特有のつらみ」は確かに分かる。
おしゃれは会社や同僚のためでもないしそこを上司なんぞにつっこまれたくないという怒りである。
しかも「頑張ってる(涙」な状況で言われと仮定すれば、爆発もんである。
あれ、ここまで書いて来たらちょっとなぜ批判されているのか分かってきたぞ。
くそ忙しくて会社や上司にイライラしてるときに「”がんばってる"を顔に出すな」」って言われたら控えめに言っても××ってなるもんな。
あれ、やっぱこれむかつくわ。
そりゃ仕事もメイクもおしゃれも私生活も完璧だったら最高だけど、忙しいとき一番に手を抜きたいのは職場での容姿だもんな。
メイクで気合い入ったりテンションあがるのは確かにそうだが、くそ忙しい時にシチュエーションとして職場を選ぶかどうか分からんし、あるあるだけど、あるあるになるほどの仕事の余裕はないない。
ちょっと今、仕事に対するやる気とか職場の人間関係がうまくいってたから、イイ感じに受け止められてただけかもしんないわ。
うっわー広告って大変だなー