自分に否定的な意見を言ってきた相手に対して反論したくなった時は、汚い言葉を使うべきではない。
なぜなら汚い言葉を使うということは、自分の意見の説得力を損なわせる要因になるからだ。
反論をする上で重要な事は「自分の価値観は優れている」と示すことであるが、汚い言葉を使っている人間の価値観が優れているように見えるだろうか?
もしも相手側から汚い言葉を使ってきたら、それはチャンスということだ。冷静な態度を取り続けていればそれでもう勝ったようなものだ。
汚い言葉を使われ続けてイライラしても、とにかく頭を落ち着かせまともに相手をしてはいけないと言い聞かせ続けよう。これこそが人間の理性というやつだ。
確かに議論には相手をリスペクトし自分が誤っていた時は素直に謝り受け入れる心意気が大切ではあるが、自尊心やナルシズムも同様に重要だ。
議論には「他人との戦い」という側面だけではなく「自分との戦い」という側面もあり、言葉の上では意見をぶつけあいながらも心の中では他人を敬う気持ちと自分を敬う気持ちの配分調整に終始することになる。
お前が嫌いかどうかで子どもの道決めるなよ
似たようなことを考えないでもなかったが元増田は37だ。
畑を確保する方が大変だから畑の方が種より価値が高いという前提でも、畑としての37女と種としての37男の価値はそう変わらないんじゃないかと思ったんだ。
いや、世の中には家族も遠い人もみんな好きっていう人類愛みたいな人はいて、まあそういう人はそれでいいとしても
「家族は大事じゃない」けど「不特定多数の人は大事」っていう価値観はおかしいと思うのよね。
家族が大事じゃない人は、およそ家族に大事にされてこなかった人で
まあ、親がアレでも、大人になって誰かに大事にされることで、人を大事にすることが出来るようになったとすれば
その相手のために頑張ればいいでしょ?
「国民」なんていう不特定多数のために生きるなんて発想にゃならんのじゃないの?
あと、たぶん警察も自衛隊も、そしてちゃんとモチベーションが機能している組織ならだいたいは
「国民」なんていう不特定多数の人間のために働いているんじゃなくて
基本的には「同僚」のために働いているよ。
それの良し悪しはおいておいても。
今回の一件のたとえ話としてそれだしてて、少しでも示唆を与えてるとかおもってるなら
そもそも人間は「誰かを守る」とか「誰かを助ける」とか大好きなんだよ。
これについては、「家族が大事じゃない人」という前段がついているわけで、
そういった自分の身近な人は大事じゃないけど、見知らぬ国民から感謝されたいってのは
やっぱいびつだなぁと思うよ。