受け手によって解釈が違う表現って、視聴者間のレスバトルが引き起こされて嫌な気分になるんだよね。
作品自体は面白かったとしても、その後のネットコミュニティが荒れまくると、うんざり気分に上書きされちゃう。
人類史上もっとも一般人の推し活とレスバが盛んなこの時代、揉め事の種にならないようにはっきり説明してくれる作品や解釈の幅が少ない作品が求められるのは自然だね。
つまりカップリング論争なんて最早うんざりだから、公式正史における本命CPは明示されてる方がありがたいってことよ。
現代では、作品そのものの効用と、その作品に対してネットでお祭りすることの効用が、同じくらい重要になってる。
オタクジャンルでは以前から「公式が新情報を追加し続けて、オタクの二次創作や限界萌え狂い芸やトレンド乗りといったファンコミュニティの活気を絶やさないことが大事。それってまるで作品よりもコミュニティを作ってるみたいではあるけど」なんて言う人がいたけど、映画やドラマでも割とそうなってる。
友達と映画見た後の感想会が楽しいのは昔からだが、今はその感想会の重要性がめちゃデカくなったんだな。
そんでここから本題だけど、友達同士の感想会ですら評価が別れるとやや気まずくなるのに、何万人とやりあうネットの関係で評価が分かれてるとコミュニティが荒れまくってしんどいんだわ。
(ここで友達同士の違う感想を聞きあうのがいいんだろとか言おうとした人もいるだろうが、それは心身が健康かつ信頼関係のある友達とたまにやる時だけ言えること。一時的には議論を面白く感じても、やっぱり疲れるから、好みの合わない相手とは次第に一緒に見なくなるぜ。)
人によって受け取り方が違うのは文学性かもしれんが、はっきりしないものについて語り合うのって耐えられないほど疲れるんだよ。
なんなら作品鑑賞時間より、その後のネットでコミュニティに入ってる時間の方が長いくらいなんだからさ。
大昔なら他人の感想を見るのなんて批評家の本くらいだし、ネット時代もしばらく前であればブログに長文書ける限られた人のものしか目に入らなかったから、我々は自分vs作品で孤独に向き合う時間が多かった。
そこで一応自分の中でまとめた自己解釈は、二つ三つの他人の感想と違ってても辛くなかった。
でも今は世界と繋がってんだから、解釈が固まらないうちに、他人の何千という意見を目にするせいで「私が間違ってるのか?」という不安や「あいつら、読みが浅いくせにそれが正当みたいな顔してやがる」みたいな怒りが沸いてくる。
自分と近い解釈の【仲間】も沢山見つかるが、それは自信を補強するというより、陣営に別れての対立を激化させる効果が大きい。
SNSが日常のスキマ時間に入り込んだ現代、スキマ時間に対立を目にするのはマジでキツいんすわ~。
だから近頃は萌えカプ重視のオタク作品ですら、カップリング論争が激しくなりそうな関係描写は敬遠されて、公式CPはほぼ明示、ハーレムでも正妻ポジションがわかりやすい作品が、安心できる福利厚生としてウケるんだよ。
シン・ゴジラはエンタメ性のバカ高さで内閣総辞職ビームwwwつって盛り上がったが、もしも流行初期にもうちょっと「原発の比喩か否か」「日本官僚への期待か否か」「庵野は政治的主張をしたがらないんじゃないか」みたいな議論厨がファン内の主流になってたら、疲れそうだから人がこなかったと思うわ。
わかりやすさを求める人への軽蔑トーンが強すぎるぞ、煽ってアクセス集めるのはやめろ、と思ったが、興味深い部分はある。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83647
『逃げ恥』『シン・エヴァ』…「リテラシーが低い人を差別しない」作品が時代を制する
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83706
低リテラシーへの思いやりでわかりやすい作品が増えており、それは低リテラシーへの差別予防であり、反差別やポリコレと通ずるブームだという指摘は面白かった。
だが、それだけじゃない。
作品から視聴者への差別防止だけでなく、視聴者間の差別も防ぐ効果が、わかりやすい作品にはある。
視聴者も他の視聴者を差別したり、憎んだりしたくないんだよ。ファンコミュニティ内で荒れたり議論になったりしてほしくないし、自分も荒らしたり議論を吹っ掛ける誘惑にかられたくない。
たとえば意味深な表現があると、それを誤読した低リテラシーな人に対してどうしても「あーあ、バカな奴ら」って差別的なこと考えちゃうじゃん、そんな感情を誘発させないでほしいんだわ。
自分が誤読してるのに、ちゃんと読めてる高リテラシー側に対して「バカな奴ら」って差別的なことを考えてるのかもしれないと心配になる。そんでこういうぐちゃぐちゃした思考に自分でうんざりする。
とにかく「解釈の幅が生まれやすい表現」てのは、皆が繋がってコミュニティになってるこの時代には揉め事の原因になるからやめれっつーことよ。
仕草だけで好意を伝えるなんてやったら、それは本当に好意を読みとれるかどうかで揉め、作者が意図してるかしてないかで揉め、仕草から感情を勝手に解釈して判断するのはデートレイプとかに繋がるんだから性交同意書が提案される現代には許されないとかで揉め、言外の意味を察することを求めるのは発達障害に厳しいとかで揉めるんだぞ。だったら好きか嫌いかはっきり言わせよう、となってあたりめーだよな。
だいたいさ、はてなーもツイッタラーも5chもふたばも、主語がデカい、比喩を使うな、皮肉は伝わらないからやめろ、意味が一意に取れるように書け、みたいなツッコミをする人がすげー増えたじゃんね。
だったら、物語もそれに合わせてわかりやすく直接的で解釈の幅を狭くする描き方をして当然だよな。
そーゆー批判は有名人の発言やブログに対してだから物語に対しては別だと思う? 物語は比喩や間接性こそが価値だから明確さなんて求めてないって?
事実半分物語半分みたいなエッセイブログ・エッセイツイートですら「誤解を招く表現はやめろ」「曖昧さを利用して分断と偏見を煽っている」なんて言われてんだからさ。
受け手によって解釈のブレが生まれやすい表現は混乱の元だからやめとけやめとけってのが、ネット発言についても物語表現についても当てはまる時代なんだわ、今は。
【追記】
ブコメで「他人の感想を見るな」などのアドバイズをしている人いるけれど、この記事では困ってるなんて全然書いてないっすよ。
むしろ逆で、わかりやすくてSNS受けしてみんなで同じノリがしやすい作品が増え、応援上映だのイベント生配信だの実況ハッシュタグだのも公式が準備して、モノ消費よりコト消費なんてスローガンも広まって、対人交流が好きな人間にはどんどん都合がいい世の中になってるぜ、と言っている。
それなのに、なんでわざわざ我が世の春を捨てるような、古の単独ムッツリオタクとしての生き方に回帰せよってブコメがつくねん! そもそもオタクだけの話をしてるわけじゃないし!
あとどっちかっつーと、いま助言される立場はオールドスタイルオタクの方じゃない?
「作品と鑑賞者がタイマンで向き合うのが本義で交流共感は二の次三の次というの、今の時代では逆風で大変そうですね。もっとコミュニケーションやってみんなで盛り上がる方が生きやすいですよ」ってな。
私はそんなこと言わんけど。
だってこの記事は周囲を見て考えたことを書いたものであって、私自身は6:4くらいでオールドスタイルオタクに近いから。本文で一人称を使ってないのは、私の価値観吐露じゃないからだよ。
思うのが、どうして増田はコミュニティの繋がりや盛り上がりをそんなに重要視するのかって点。 ROM兼好きなように作品の意見感想を言う、フォロワーゼロのアカウント持ってるけど楽...
人間関係は何千年も昔からずっと覇権ゲーだぞ。 さらにインターネットという大幅アプデによってめちゃくちゃプレイ環境がよくなった。 人間関係とコミュニティ参加を重視する人が多...
要するに1億総ガイジ化ってことだよな
そんな言葉使っちゃいけません!
「誤読は避けられないし全ての人で一致する解釈というのは幻想にすぎない」 これはあらゆる人がコミュニケーションにおいて前提としているはずのことだった そしてそのために「対話...
だって今や荒れて炎上したほうがそのコミュニティの注目度上がってニュース、ブログ、まとめサイトなどの広告収入増えるもの。 ワイドショーと同じで真面目な批評は一般人にはとっ...
「アニメ漫画を小バカにして盛り上げる」という文化は昔からあったが、ガンダム鉄血や遊戯王ARC-Vを叩いてた層がけもフレや仮面ライダーになだれ込んで一般化した感があるな
感想は共通点が低いんだけど納得ができるものほどおもしろい。そんな見方があったか、と膝を打つような感想は、一度見たはずの作品を違うものとして見させてくれる。そういう点で...
荒れるのが嫌ってのが、よくわからん。 俺の好きな奴がみんなから貶されて腹立つ、ならわかるけど。互角の争いだったり優勢だったりするなら正直楽しくない?
いかにも日本人
ウマ娘
京アニがまだ有名でなかった(=有名女性アニメ監督がいなかった)ころのアニメ界隈では、 腐女子の解釈は、たいてい男性スタッフの解釈と180度食い違っていた。 男性と女性では...
去年アホほどヒットした鬼滅って解釈わかれないの?
ポリコレに即した褒めるべき漫画か、ふとももがえろい漫画かで解釈が分かれてる
解釈も何も結構直球だっただろ 俺は上弦の壱が最後まで弟の笛を持ってたのが好き
「薄暮(アニメ映画)」 https://www.anikore.jp/anime_review/12239/