さだまさし(フォーク・ニューミュージック)→尾崎豊→たま(ナゴム系)→ビートルズ→イエス(プログレ)→スミス→ブリットポップ(90sUK,US)→スピッツ
わかんないんだけど
例えば車を描こうと思った場合、法にも倫理にも触れない方法は「自分で考えて一からデザインする」しかないのかな。
コツを掴むために模写したとしても、描く時には何も見ずにが原則。じゃないと盗作になってしまう。
いろんな車種を何百枚も模写して構造を把握し、機能性を意識した自分なりの車をデザインしなければならない。
むしろおまけの方が興味深い
自分が恩恵に与る場合は敬意や愛情があることが分かりきっていて(基準は勿論自分ルールである)、他者の場合はそうではない、という感じで当人の中では整合性が取れているのかもしれない。
一年くらい前までは接客に近い派遣やってたが、いまやニート。久しぶりに服装を整えてヒゲをそってショッピングモールに行った。ついてからまずトイレ行きたくなって、用を足してから鏡見たらめっちゃブサイクというか犯罪者顔がそこにいた。目が飛び出してギョロ目、ヒゲそったのにメッチャ濃い毛があごとほほに、たるんだ表情筋。店を回る勇気すらなくなって、慌てて出口へ向かった。みんなおれを見て、うわっと思ってるんじゃないか?きれいな床しか見れない。
「Cであればもう商業できちんと発表されたものであるため、オリジナルの特定が容易」
「Bの場合はオリジナルを特定、判断することが(Cよりも格段に)難しい」
だと思う。
ください。GWですし。
わたしはおおざっぱに
⇒ukロック(Franz Ferdinandとかアクモンとか。ガレージロック、ダンスロック)
⇒usインディー(CYHSY, Neutral Milk Hotelとか。マイブラ系シューゲイザーも)
⇒エレクトロ(Justiceとか。ビート志向に。エレクトロニカでなく。歌なしを敬遠しなくなる)
⇒ビートミュージック、ドラムン、ダブステ(Flying Lotus, Onra, Vex'd, 2562, Spor, Noisiaとか。音響志向に)
⇒ハウス、テクノ、ディスコ、ソウル(ダンス系いろいろ。DJ文化に興味。BPM、レーベルを意識しだす。リミックスとミックスの違い知る)
⇒アンビエント、ドローン、ノイズ、民俗系とかいろいろ(耳疲れしだして聞くようになる)
「ジャンルとか不毛」ならアーティストでも。きっかけとか聞きたいです。
今気づいたけどブコメに書きにくいですね。
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分からないなら口を挟まなくていいぞ
能町みね子は好きな文筆家の一人だ。
『くすぶれモテない系』を読んだ時、生まれて初めて自分の仲間がいると思えて嬉しかった。
・女の子なのにトイレ友達を作らないこと(一緒に遊ぶ友人はいる)
・ぼっちでもないが普通の女の子のような友達付き合いをしてないこと
を中学校の教師に指摘されて以来、
しかし、能町みね子の著作を読むうちに、彼女の発言に引っかかることが増えた。
当然価値観にも相違点はあるし、それが気になっただけだったのだ。
立場も職業も生い立ちも違う彼女に自分を重ねすぎていたのが間違いだった。
それ以来、誰かに自分を重ねすぎることがなくなった。
それでも能町みね子が気になって仕方なかったし、ちょくちょく彼女に自分を重ねていた。
そしてその日、もう私は能町みね子に自分を重ねられないし、嫌いになれないと確信した。
能町みね子がツイッターで、先天性の心臓疾患持ちでペースメーカーを入れていたことを公表した日だ。
「あんた(増田)と私(能町みね子)は決定的に違う人間だ」と、能町みね子に宣言されたような気がした。
そりゃ当然なんだけど、能町みね子本人に言われたような気分になると、前から自覚していたつもりでも結構きつかった。
同時にもう私は能町みね子を嫌いになれなくなった。
・相撲が好きなこと。
(相撲は適度にエキサイティングで健康そうだけど、サッカーなんかと違い心臓に負担をかけずに安心してのんびり楽しめる。)
・『ときめかない日記』のヒロインが恋愛やセックスに積極的になれない理由が、大きな手術跡だったこと。
・マッシブで無神経な男が苦手そうなこと。
博識な増田の民ならご存知だろうが、かの有名なスタンダールは愛について、「結晶作用」を提唱した。
万が一知らない人のために「愛の結晶作用」について記しておく。
スタンダールの『恋愛論』に記述がある。自分なりに解説してみる。
ザルツブルクの塩坑では、木の枝を廃坑の奥に投げ込み、二、三ヶ月たってから取り出してみると、まばゆく揺れてきらめく無数のダイヤモンドが手に入る。無論このダイヤモンドとは「塩」である。
これと同様に人は、自分の愛する人を千の美点=ダイヤモンドで飾るという。
この"結晶化"は、塩坑に枝を投げ入れるのと同様に、愛する人が目の前にいない時にこそ起こる。
例えば友達が骨折したとする。すると、「もし自分が骨折したら…」が始まり、「あの人はきっとこんなことをしてくれる、言ってくれる…」という妄想(!)に走り出す。
このように、自分に起こる事象全てを契機にして愛する人のことを思い出すという。それも、美化した状態で、勝手に期待してしまうのだ。
その実態が何であるかも分からずに。塩と小枝である可能性をすっかり排除してしまって。
思い込みが激しく、妄想力が高く、相手が真に正しいわけないと分かっていながらもどんどん心惹かれる。なんて自分は愚かなんだろう!と思ってたけど、これ、人間が恋愛をする上での当然のセオリーだったらしい。
相手がしてくれることに勝手に期待して、してくれなかったら勝手に裏切られたとか思い出して、いやー本当に、勝手だよな。
そもそも相手はそんなことしてくれるなんて約束してないのにな。
結晶作用が起こるから恋愛なんて無駄だという話でも、どうせ人はみな小枝と塩ですよって話でもない。
人はそう言う所があるよね〜ってだけ。