はてなキーワード: 浪人とは
十八才の時、自らの進路を決めるために志望校を決めた。本当は十八才なんて若さで将来のことなんか分かるわけないのに、その時の感情のおもむくままに、また周りの友人に流されるままに進路を選んだ。
冬になってセンターを経て受験が始まった。どこの会場に行っても、殺気に似た息づかいがひそひそと聞こえてくるようだった。寒い校外とは別に、教室の中だけは熱気に満ちていた。
第一志望の受験は一番最後だったのだけれど、その前にいわゆる「滑り止め」をいくつか受けた。受験しているときは自分が自分でないような気がして、もしこのまま受かってここに来ることになったら、いったいどんな四年間(以上)を過ごすことになるのだろうと不安にも思っていた。
幸か不幸か、その学校には合格した。あとは第一志望の受験を残すのみとなった。
第一志望の受験会場に行ったときには、足が震えていた。それは決して寒いからではなくて、周りのあまりの士気の高まりに自分がついて行けず、怖くて震えていた。それぐらい周囲の誰を見てもやる気に満ちあふれていた。
この時点で負けは決まっていた。当然ながらその学校には落ちてしまった。それも完敗だった。受験会場を後にした時点で負けを自認していた。
親には反対されたが、もう一度、第一志望の学校を来年受けてみようと思った。自分の進路に対する思いというものが、この敗北により徐々に明らかになっていくのが分かった。そう考えると、一度落ちたということは良かったことなのかもしれない。
四月になり、みんなの新生活が始まった。無事進学した者はそれぞれの場での活動が忙しいし、自分たち浪人組もまたこれから一年の戦いが待っていた。
最初は不安だった。勉強をするのは苦ではないが、それだけでこの貴重な十代最後の年を過ごしていいものか。また、勉強したからと言って確実に受かる保証をいったい誰が与えてくれるというのか。
これらの不安を払拭してくれたのは友人たちだった。授業が終わると一緒にファストフードやカラオケにいってお互いを励まし合った。自分が一人でないことを確認できた。みんなで一緒に壁を乗り越えていこうという気持ちになった。
やがて夏になり、秋が過ぎて、冬が来た。
今年もセンターの季節になった。しかし一年前とは違っていた。自分が進むべき道は自分の頭の中ではっきりと描かれていた。だからモチベーションを維持できた。この一年間、友人たちとも話しながら、決して遠くない将来の自分たちの姿を語り合ってきた。こうあるべき、とまではいかないが、こうなりたい、という希望や願望を夢とともに話し尽くした。
そんなバックボーンを抱えたまま、センターの会場に向かうと、周りの人間を圧巻した感じになる。自分は自分の力で道を切り開いて進んでいるのだという自負がある。
その年のセンターは大成功だった。予想以上といってもいいぐらいの成績を収めることができた。
二月になって、試験もいよいよ本格化してきた。昨年、事情により「蹴っ」た学校にも再び合格することができた。そしてまた、いよいよ、第一志望校の受験の日がやってきた。
受験会場に着いたときは、去年の自分とは違っていた。去年の自分のような人を横目に見ながら、さっそうと会場を練り歩き、目的の教室へと向かっていた。昨年と同じ会場で、二回目の会場なので、余裕もあった。
試験中は自分の最大限の力を発揮した。迷いはなかった。緊張もどこかへ吹き飛んだ。あるのは目の前にある真っ白な答案用紙のみ。そこに思いの丈をこれでもかとブチ込んだ。周りを威嚇するために、わざわざ大きな鉛筆音を出してカリカリと答案用紙を真っ黒にしてやった。
試験が終わって会場を出たときには、何とも言えない達成感があった。自分はやり遂げた。目標や夢というものに向かって歩き続けているという現実感を感じていた。そこに結果は必要ではなかった。自分の成長具合に自らが興奮していた。
約二週間後、合格発表があった。
…自分の番号はなかった。
もちろん泣いたが、そこには進歩した涙があった。これはあくまで予定調和で仕組まれた道なのだと、後になって十分に納得した。やるだけやって、自分が進んできた道は間違ってないと確信していた。結果というものは運命の導きであるから、それは胸を張って受け入れなければいけないと思った。
…結局、その後に受けた第二志望の学校に無事合格した。そして入学した。そのことについて、何ら負い目はなかった。確かに自分が想定していた進路は変更になったが、それについてはこの一年間で十分に吟味して、いろいろな可能性を考えていた。人間、どういう道をたどることになっても、そこで自分の力を発揮できればいいし、そうでなければいけないということを分かっていた。
結果的に受験自体は成功はしなかったけれど、この一年で得たものには限りない財産性があることを実感した。
一年前と比べると、自分の意志が確固としたものになっていたし、この一年間は決して無駄ではなかった。単なる時間つぶしのためのものではなかった。この一年がなければ、自分は人生において大きな欠損を抱えたまま生きていくことになるのだと思った。
浪人を勧めているわけではないが、人はどんな状況においてでも自分の価値を見出し、その価値を実現するために行動できるということが分かった。その信念に基づいて行動すれば、一般に辛いといわれる浪人の状況でも前向きに生きていくことができた。
今ではこの一年というのは、自分の人格形成を司った、極めて重要な一年だったということができる。そして友の存在。彼らとは未だに全く関係が切れていない。むしろ年々盛り上がっている。
自分は、こんな素敵な一年をこんな素敵な友と過ごせたことに感謝している。この時点において、自分の人生はまだ「点」に過ぎなかったが、今やそれは現在につながる「線」になっている。「点」が多くなければ「線」は存在し得ない。
そして今もまた、mixiやインターネットを経由した色々な面から「点」の形成をなしえている。感謝してもしきれない。
思えば、自分がもし第一志望に合格していたら、今の自分はなかった(もちろん別の自分があるのだけれど)。そう考えると、今の「線」のつながりを振り返り、また、前を向いて「線」を展望するに、不合格だったことはまさに運命のなせるものだったのかもしれない。
今、友人として多くの人と交流させてもらっている。これは運命なのだと。そしてその運命を今は楽しんでいるし、受け入れている。加えて、運命の「線」を先に延ばそうとがんばっている。その過程がとても楽しくて幸せである。
人によって「幸せ」といったものの定義は違うだろうが、少なくともここに一人、人生において「幸せ」をありがたく享受している人間がいる。たとえささやかなものであれ、それがみんなに行き渡ることができたらこれほど素晴らしいことはない。
人は、どんな状況からでも「幸せ」を獲得することができる。無駄な時間は一秒たりともない。自分が「幸せ」になろうと思えば、誰だってそうなることができる。間違いなくできる。「幸せ」になる権利がある。
弟は浪人させてでもいい大学に入らせるけど姉には現役合格しか許さないとか、兄は県外の有名大学に行かせても妹は自宅から通えるとこにしか行かせないとかいうのはものすごくよくある話。
ちなみに世界的には女性の方が男性より大学進学率が高くなってきてるんだけど、日本は未だに女性の方が男性より大学進学率が低い珍しい国。
女には学問は必要ないって考え方を持つ親もまだまだいるのだろうし、勉強していい大学行っても就職の時には圧倒的に女性の方が不利になるのが分かっちゃってるからね。就職できても女の年収は男の6割だし。頑張る気力もなくなるだろうさ。
かあさんへ
もう私を結婚させようとするのはやめてください。孫はあきらめてください。
私は既に34歳です。まだまだ大丈夫とおっしゃいますが、私のような内面に子供っぽさを抱え自己の肯定もできない人間は到底恋愛や結婚などできようもありません。
なぜなら相手に要求するものが異常に大きいくせに自己の提供するものがないからです。
なぜこのような人間になってしまったのかはわかりません。わからないから、どう修正したり治療して良いかもわかりません。
それでも昔はかあさんの期待に応えようと無理を重ねてきました。
いとこの子が中学受験をすると聞けば私も進学塾に通うようになりました。いとこは大学までエスカレーター式のすごい学校に入りましたが、私はその第一希望には落ち、ただの中高一貫に入ってあなたを落胆させました。私の心は既にここで1回折れました。
ただの中高一貫と言ったら母校が怒るかもしれません。当時東大に30人規模で合格させていましたから。早慶は100人規模でしたか。でも、そんな高校から私が受かったのは第4希望のただの地方国立大学で、先生から「本当に受かったの?でも本当に行くの?浪人しないの?」と言われるほどの劣等生でした。下から30番ぐらいでしたね学年で。心がもう一回折れたときでした。
大学生活が始まってしばらく、私はもう疲れ切っていて、何度も留年しました。でもかあさん、その間は弟にかかりきりであまり干渉してきませんでしたね?それとも2回も大失敗した子はどうでもよかったのですか?
なんとなく生活して、なんとなく研究室に住んで、なんとなく修士に行って、なんとなく論文を投稿して、なんとなく学校推薦の面接に行って、なんとなく1部上場企業に就職したら割と失敗でした。子会社に出向名目でとばされて、でも本社の人事部は子会社での採用でしょという態度をとりました。出向者まとめて捨てられたのですね。
明らかに数年でなくなりそうな会社だったので(数年ではなかったですが実際に来年あたり無くなるそうです)、そこで小学生以来の頑張りを発揮してようやく中小企業ですけれども自分が仕事に興味を持てて頑張ることのできる会社に移ったではないですか。なぜ不満そうなのですか。会社の名前の方が子供の将来のキャリアより大切なのですか。
そうしたら今度は孫がみたい孫がみたいとおっしゃる。
あのですね、もう私充分かあさんの言うとおりにしてきたではないですか。日常生活のああしろこうしろという指示を素直に聞き、進路だってそれはお望み通りとはいきませんでしたが、志望校のリストを作る段階でどんなに編集が入った事やら?情報系に進みたかったのに、あっちには凄い子ばっかりなんだからあんたには向いてない、なんて片っ端から削られたこともありました。意味がわからないですが、従ったではないですか。
私の20代前半はそんな疲労から回復するためだけに費やされました。やっと自分の人生になったという安堵でいっぱいで、愛だとか恋だとかが割り込む隙間はなかったのです。20代後半は失敗した就職からの回復しか考えていませんでしたし。
私は健全な恋愛観をはぐくむべき年齢にかあさんのロボットとして過ごしたからか、まだ1度も人を好きになったことがないからか、異性に対する要求がひどいのです。条件を羅列していったらそれは神様みたいなひとになってしまいます。
そりゃここ何年かちょっとは頑張りましたよ。かあさんがやいのやいの催促するから。でも、勉強や仕事と違って、恋愛感情をかきたてるなんてどうしたらよいのか全くわかりません。
私は同性も異性も好きになれません。というより、自分を含めて人類の誰も好きになったことがありません。かあさんのことも好きではありません。結婚できて子供ができたとして、多分その子供も好きになれないのではないかと思います。
自分も誰も好きでないのに、結婚なんて。できるわけがないです。
もう私を結婚させようとするのはやめてください。孫はあきらめてください。
かあさんのいいなりになって生活するのは、大層つらいのです。
なかなかタイムリーな話題だ。
去年、受験で失敗した自分は浪人してるわけだけど、やっぱり数学が思うようにいかない。
というのも、自分は理系であるのだが、去年に数学を二次科目として使っていないわけで、(避けて通れる道があった)
もう一年チャンスが与えられたので、今度こそは!と思ってやったが、やったが・・・
今、9月現在の数学に対する認識というのは、元増田の言うとおり、”数学の怖がりすぎ”だと思う。
今の自分が言うんだから、本当であるとも受け止められるし、または、できない言い訳ともとれるが。
時期も時期なので、またまた数学をできる限り回避した方法で受験するつもりです。(センター数学はがっつりとる自信はあるので、やっぱり”怖がりすぎ”です)
あぁ、やっぱり不得意なままだったなぁ。
妹に腹が立つ。
高校の推薦枠で短大に入った後にやっぱり美大に行きたいと言い出した。
昔から美術が得意で高校の頃から美大には行きたがっていたものの美術の先生とそりが合わず結局やめた。
それが突然、美大に行きたいと泣き出した。お兄ちゃんとお姉ちゃんは好きな大学行ったのに、何で自分は、と。
僕は二浪して私立大学に、すぐ下の妹は私立大学も進学していた。双方ともそれなりに希望の大学に。
それが妹にはうらやましかったらしい。上の二人は行きたい大学に行けて、自分は何で行きたくも無い大学なのかと泣いた。
今からしたら結局はお前が短大に行くことを最終的に決めたんだろう、といってやりたいけどその時は勢いに負けた。
なんて妹はかわいそうなんだ、僕は二浪までしてしまった上に私立に入って家計を傾かせてしまった、ごめん、ごめん…
父はリストラされ、年収は最盛期の五分の一。母も共働きで世帯年収は400万がやっと。昔ほどの余裕はまったく無かった。僕にしてもすぐ下の妹にしても株を売ってやっと。
まぁそれを知ったのは僕が大学を出てからだったのだけれど。親は国立の美大、要は東京藝大なら良いという条件付で一年限定で妹の浪人を許した。
受かるわけねぇだろうなぁ、と妹の予備校に行ったり行かなかったりする生活態度を見ていて漠然と思っていたけれど結局受かってしまった。
けれどそれは親が希望していた東京藝大ではなく、授業料がバカ高い私立のT美大。年間240万だって。文系私立の倍の額。
しかもどうやら本人は東京藝大の雰囲気がきらいだったらしく、センターは受けたものの結局藝大自体の申し込みすらしてなかったという落ち。
もうアホかと。結局売る株も無くなった親は国庫から借り入れる形で学費を工面、僕や下の妹も毎月余分に家にお金を入れることでOKとなった。
けれども家計は火の車で、毎月電気代か水道代の督促状が直接家のポストに入れられてしまう始末。
けれども妹はそんなことは露も知らず、バイトで得たお金を学費に回すこともせず、3万は越す電話代も親負担で夏休みは一ヶ月バカンスで遊び歩いていた。
確かに僕や下の妹も大学時代はそれなりに遊んですごしたけれど、その時の状況と今の家の状況は全く違うんだよ、と心の中で思う。
遊ぶななんて言わないし、それが大学生の特権だとは思うけれど、それにしたってもう少しで良いから家の状況を理解して欲しい。酷ではあるけど。
http://anond.hatelabo.jp/20090905111346
いやもう、完全にdisだから無視でかまわないんだけど。
元増田は、何故に、知人の生活が気になるわけ?
いや、実は最近、近所の人があれこれ言ってくるんだけどさ。「お庭きれいになったね。お金かかったでしょう。(夫が亡くなって手入れする人がいなくなったから、簡単に手入れできるように整えただけです)」「子供浪人させるなんてお金持ちだね(夫の生命保険注ぎ込んでます)」「いつも出かけててて楽しいそうだね。お金かかるでしょう(専業主婦でいられなくなったのでアルバイトに行ってますからっ)」と、私の生活を覗き込んでは「母子家庭なのにぜいたくして」って内容のこと言ってくるんだよね。かっこの内容なんて、いちいち他人に説明することでもないから、適当に笑って済ませてるけどさ。他人の生活なんて、どんなやりくりしているかわからないんだから、ほっとけよと思う。
あ、もし、その知り合いが趣味にお金を注ぎ込んで、子供を飢え死にさせそうだというのなら、話は別だよ。しかるべきところに通報してあげてね。子供は施設に行って、生活保護は打ち切られると思うよ。
こういう本、参考になるよ。
今後どうなるんだろう。
お疲れ様、頑張って!と言うしかない。
腐敗堕落した自民党を立て直すには彼のような元気と勢いが必要。
しかし、今回の反自民、民主党の旋風でもろくも崩れてしまった。
それに、三重第2区は民主党、中川正春さんの強固な地盤。今後10年は、崩すのはなかなか難しい。
特に、生まれも育ちも三重県ではないところが、田舎者の人にとっては「よそ者」に映る。
せめて、奥さんの実家や出身が三重だったらよかったけれど、違う。
彼の魅力は、一度会えば、とりこになること間違いなし。瞳の奥から炎が見えるくらい元気がいい。
ただ、非常に残念なのは、一度決めたら、舵を切ることが出来ない点。
しかし、自民党の強さはもうない。
特にネガティブキャンペーンをした反動がきている。
えっ自民党? あの批判だらけのネガティブキャンペーンをして、宗教政党の公明党と組んだところでしょ。
しかも、政権時代に無駄遣いばかりして日本を疲弊させた党で、「(相手候補は)女性を売り物にして選挙をしている。顔で政治ができるのか。バカな選挙を押しつけられている」と言った森元首相がいるところでしょ。
しかも、この森元首相は、比例で復活して自民党にまだいるし。そんな自民党はちょっとねー。
彼がそういう党にいることが、非常にもったいない。
今回の集票で大活躍した創価学会員の人たちは、自民との連携取りやめで、公明党の候補者が出てきたら、そちらを応援するかもしれない。
議員になれるチャンスは自民への奇跡の風が吹くか、比例上位に登録してもらうか、参議院選挙の三重県候補者として参議院選挙で勝つしかない。
しかし、参議院選挙の候補者として自民党から公認を取るには、かなり根回しが必要。
民主党に勝てる候補者として自民党県連から認知されるかどうかがカギ。
残念ながら、彼には地盤も看板もない。お金もない。あるのはやる気だけ。
今後の挨拶周り、雨の日、雪の日、風の日の毎日の辻立ち。政策勉強会などの開催。
とりあえず、自民党候補者として頑張ったことは鈴鹿市民、亀山市民も認めている。
自民党を離党し、城内実氏のように、無所属でがんばる方が、民主慣れしている市民に浸透しやすい。
参議院選挙では無所属議員として、隠れ自民党候補者戦略をするのも手。
三重県知事、鈴鹿市長、亀山市長で全国に名をとどろかせれば、国政へ進出するチャンスも出てくる。
総理大臣への道も一歩から。
期待している。
でも、今回の選挙で、彼が民主党だったら、本当によかったのに。
比例で拾われたし、彼なら民主党の前原さん(自民寄り)の考えに近い。
ぶっちゃけ、兵庫9区から無所属で出ていれば十分勝てた候補。残念。
今からでも遅くない、三重を卒業して、城内実氏のように4年浪人し、出身の兵庫から無所属から出てもいいと思う。
学生時代の仲間は、みんなそう言っている。
某国立後期試験が後二週間と迫った頃、受けた大学を全落ちした自分はそれでも焦りが無かった。
落ちた私立大学は自分の希望ではなく親の希望する学部だったから、寧ろ落ちてよかった。
唯一希望学部として受験を許されたのがこの国立の後期試験だったから・・・
という前置きは放置して、とりあえず二週間で小論対策をしなければならない。
予備校なぞ行ってる暇はない。
どうしようと迷う暇も無くやったことは以下。
下地なので、普段暇なときにやっておくとよし。
中学の頃から言われるがままやっていた事なので、正確に言うと「二週間でやったこと」ではないが大事。
何でもいいので小論問題集を買う。
ただし解かない。
問題を見た後模範解答を原稿用紙に丸写しする。
これをひたすらやり続ける。
制限された字数で起承転結の配分をどうやるかが分かる。
語尾を揃える(~ですます調か~る~だ調)。
起承転結を守る。
毎日国語の先生に(現文だろうが古典だろうがどうでもいい)小論課題を出してもらい翌日提出⇒添削のコンボ。
コレを二週間やり続ける。
希望学部は伝えておくべきだが、課題は理系よりもニュートラルなオールラウンドな物が多かった。
問題を読み、結を決めてから大まかな展開を決めて書く。
後は書くべし書くべし書くべし。
試験の状況はというと、時間制限の半分で書き直しもなくフィニッシュ。
文字数も丁度。
高校時代家出していた際にクリアした小島監督作ポリスノーツのネタがここで活かされた。
偏差値40代だった落ちこぼれがセンターで足きりラインを突破し、
話がずれた。
小論に戻すと、自分が思う一番大事なポイントは下地部分だと思う。
読書しろと言われたりするが、一冊読み終わる間に丸写しした方がいいと思う。
別に書き溜めてはいたけど特に見せようと思ってなかった文章を、気が向いたからここに落書きしたら
意外に多かった反響とそこそこに思った通りのちゃんと読んでないようなコメントの数々が得られたので
それを見ながらまた思ったことを書こうと思う。需要無いけどさ。
ネタだと思うならそう思ってくれていいし、「そういう奴は最初から優秀なんだ。俺はどうせ駄目だ」って思ってくれてもいいけど。
よくわかってるじゃない。あなたができるその方法で万人ができるとは限らないし、そういう美談は自分には全く当てはまらないことを僕はよく知ってる。
馬鹿なんですよ、僕は。数学とかパズルとかすごい苦手で、たぶんIQが低いんだろうな。どうやったら頭がよくなれると思う?
構ってちゃんなことは否定しない。
それ、親からも言われてるけど正直わからない。失敗したら結局負けじゃん。
あと、努力の量で下回る人に劣ってたらそれも負けだと思う。
自分の客観的な順位に見合ってない、無駄に高いプライドがありまくりすぎるので、自分の望みに合わない生活しか出来ないと思いこんでいるだけ。
そりゃ順位が上の人が楽しそうにしてる人見たら自分もそうなりたいって夢見るよね。順位が下だからできないのはわかってる。
自分の能力に見合った生活といったら工場で淡々と働いていくぐらいだろうけど、それは客観的にはともかく、主観的に悪。兄がそうなだけに。
両親や兄貴を殺したりしていなければいいなと思うよ。
すると思う?自然とそう考えるようになるのかな・・・人間って怖いね。
絶望に落ち込む子を黙って抱擁してあげるのが親なんじゃないの。言葉で伝えられないなら今は見守るしかないんじゃない。
自分は子に将来を選ばせてあげられないこと間違いなしだから親になるのはゴメンですけどね。自分に似るのも嫌だし。
クソが。
不興を買って申し訳ない。言い方は悪いかもしれないけど、考え方としては「才能のある他人が悪い」んじゃなくて「才能の無い自分が悪い」って考えです。
ところで、才能のせいにできないぐらい努力はしましたか?それほど努力できたらそれって才能なんじゃないのってパラドックス。
確か、新聞配達で金貯めて自費でアメリカ留学してIT系だかの社長やってるって奴の話を聞いたことがある。とりあえず新聞配達してみろ。
そういう極端な例を出すのやめませんか?僕みたいなのに真似できるわけないんですから。
いずれ訪れる虫を見るような目に耐えられるのであれば。
覚悟はしてます。今は言葉だけかもしれないけど。
増田は親に養われる相応の才能は持ってんの?ないとそのうち捨てられるよ
親は死なない限り守ってくれるらしいんで、親が死ぬまでは。
それと、クソ高い金を払って予備校に行ったことの問題は、成績優秀な生徒のための奨学金があることを知って馬鹿らしくなったことです。仮にも上の大学を目指してたのにね。
「才能が無い」とか、予防線張りまくりなのが痛々しい。養ってくれる親に感謝しつつ、堂々と引きこもりライフをエンジョイすればいいじゃないか。
予防線というか理由のつもりです。引きこもる理由がないとわざわざ引きこもりにはならないし。
そもそもこんなこと書き込むのが未練たらたらだから書き込むか迷ったんですけど。
http://anond.hatelabo.jp/20090817041633
10年引きこもった挙句、何も自分の手に無いことに愕然とし「オレがこんなになったのは、お前らのせいだ」とか言って、両親や兄貴を殺したりしていなければいいなと思うよ。何もせずに生きていけるほど人生って短くない。あとから他者のせいにするくらいなら、自分自身をとことん見つめなおす時間を持とうよ。
うちの息子も今さら予備校だよ。国立大目指して浪人中。国立なんか行く子は小学校から塾がよいしてるっての。高校卒業するまでゲーム命で暮らしてて、やりたいことが出来たからって、今さら受験勉強したって遅いっての。親が将来狭めてもしょうがないから、黙って予備校行かせてるけどさ。今年は受かったとこに行くと約束させてるけどね。
来年、自分の視野の狭さが恥ずかしくなったりしたら困るなあ。子供ってのは視野が狭いのが普通なんだって、どうやったらわかってくれると思う? ねえ、元増田?
なんとなく、気が向いたし、夏休みだし、暇だし、実家の荷物整理してて当時のノートなどが出てきたから、自分の大学受験浪人時代の記憶を増田に投下。
塾や予備校にいった経験がなかったので、同級生の話を聞いて、家から通いやすく、授業料が免除になりやすいという代ゼミ(代々木校)に行くことにした。試験を受けて、結局、75%免除になった。これが結構でかかった。
代ゼミでは、フルタイムで授業を受ける学生を「本科生」と呼ぶ。自分が入ったのは本科のTKコース。東工大向けコースな。
東工大の理由だけど、地球科学やりたかったけど、東大に対する食わず嫌いと、北海道大学と京大は遠いっていう絶妙な混ぜ具合の結果。
基本は平日午前2コマ、午後2コマ。1コマ90分。
水曜の午後だけは1コマだったと思う。
そして土曜午前に2コマ。
本科生は代ゼミが主催する模試のうち、いくつかを無料で受けられる。
ちなみに3学期制だった。
後になってから知ったことだけど、難関校向けコースほど、講義間の教室移動が少なく、科目を担当する教師が人気講師になるという傾向がある。これが、講義の時にいい席が取れるかどうかにつながる。友人から聞いた話では、この椅子取りゲームの不毛さが他の予備校から揶揄されているそうだ。
自分は、普通に朝からずっとど真ん中一番前に座ってたし(9時講義開始で8時過ぎぐらいに来て予習していた)、人気講師の講義を受けたいとか思っていなかったからあんまりそうした問題はなかった。
それでも、東工大コースで行われる人気講師の講義のときは、東工大コースじゃない人にど真ん中一番前を取られたりしてて、なんともいえない気分になったことはある。8時に教室開くのに、8時前から待ってる奴がいるのよ!
4月の最初のうちは、どの講義も教室が満杯だった。クラス担任の職員さんが最初の挨拶で、「まずゴールデンウィーク明け。そして夏休み明け。クラスの人数が減っていきます。悲しいことですがそれが事実です」という内容の話をしていたことを覚えている。(確か、担任から「今、東工大コースは120人」と聞いた気がする)
実際、文系科目を中心にどんどん人が減っていった。自分は何も考えず“コース料理”は全部おいしく頂いたわけだけども、ツウな代ゼミ生は、同じ英語でもコースで用意された英語ではなく、好きな講師の英語を受講しにいくらしい。
なので、まあ夏休みも明けたら、コースの通常講義でも、人数の差が笑えるぐらいになっていた。
それからさすがに東工大コースだけあって、男10対女1ぐらいの比率だった。最終的にはフルタイムで講義を受ける女の子は3人ぐらいになるんだわ、これが。
そういう感じなので、教室の雰囲気は講義次第、講師次第でまったく変わる。
それから男女比的に女は女で固まってた。みんな友達を作りに来てるわけじゃないので、休み時間に世間話するぐらいの関係だったけど、ひょんなことから、女の子の一人と仲良くなったら、他の女の子とも仲良くなった。浪人時代は、ほとんど女の子とばかりしゃべってた。
女の子と親しくなった話。ゴールデンウィーク前ぐらいだったと思う。隣にいた奴が「授業についていけない。おれ、もう、死にたい」とか言い出して泣いてしまったので、「俺もしょっちゅうそう思ってる」「まだ10ヶ月あるから頑張ろう」とか必死になだめてたら、後で、女の子が「大変だったね」と声をかけてきた。
それがきっかけでその子とよく話すようになったら、他の女の子ともよく話すようになった。
その「死にたい」って言ってた奴は2学期からは来なくなったので、まさかと思ったら東工大コースよりひとつ下のコースに変わっていた。やっぱり自分のレベルにあったところにしたいということだった。それもありだと思った。
平日 | |
---|---|
7時頃 | 起床 |
8時過ぎ | 代ゼミに到着。予習か復習。講師に質問しにいくなど |
9時~12時 | 午前の講義 |
12時~13時 | お昼。天気がいいと明治神宮で食べてた |
13時~16時 | 午後の講義 |
17時頃 | 帰宅 |
17時半~19時 | スポーツジム。水曜は15時過ぎに帰るのでプール |
19時半 | 夕食 |
21時~23時 | 予習・復習 |
24時 | 就寝 |
土曜 | |
---|---|
7時頃 | 起床 |
8時過ぎ | 代ゼミに到着。予習か復習 |
9時~12時 | 午前の講義 |
午後 | デート |
日曜は模試があれば、模試に行って終わったら模範解答で答えあわせと次の日の予習。ある意味、平日に近い。
模試がない日は、午前・午後使って一週間分の復習。デートとか、草野球もあったり、結構遊んでいる感じ。
こう、規則正しい生活を送れたのも母のおかげですね。
教室でも、ぱっと見た感じ何人かは彼氏・彼女持ちだった。お昼休みに携帯で甘い会話してたりとか。自分の付き合ってた彼女は、高校の同級生で向こうは現役で大学入ってて、最初はものすごく負い目というか、いろんなネガティブな感情があったけど、僕も向こうもそれぞれの日常で居場所を見つけて適応していった。向こうも「君がッ 大学受かるまで携帯電話を持たないッ!」って感じで、保守的で義理堅い子でよかった。ちょいオタだけど。このままこの人と続いて結婚しました。これ、ノロケな。
1学期も終わりに近づき、「夏期講習どうするの?」なんて話をしてたけど、普通に代ゼミ経験値の低い僕は「東工大」が冠につく授業を取った。そしたら別次元だった。まわりが……ほとんど……現役生……。現役生ばかりの教室に緊張感はない。真剣に講義を受けてたら、講師から「君は本科生か」と言われて、教室で浮いてしまったこともあった。ちなみに、ツウの代ゼミ生は、夏期講習は人気講師のオリジナル講義を受けるらしい。
夏休みに父に「どうせなら東大ぐらい受けろよ」と煽られて、東大受けてみるかと思って、志望校を東大理Iに変更。年の途中からコースを変えるとなると、結構お金がかかるようだったので、東工大コースのまま、2学期から夕方に行われている東大現代文・古文・数学・英語を増やした。物理と化学がないのはお金の問題と東工大コースの講義で充分だと思ったから。必然的に午後の時間がなくなったから、2学期からはジムには行けなくなった。そしたら入試の頃までに10kgほど太った。浪人で太る人、痩せる人いるけど、僕は激しく太るほうだったね。
で、この夕方の講義にものすごくかわいい女の子がいて、その子のことを東工大コースで絶賛したら「その子は後輩だわ」ってことで、あとで紹介してもらった。でも、馬が合わないオーラが出まくってた。そういうこともあるさ。
他の予備校のことを知らないから、比較してどうとはいえないけど、個性的な人が多かったと、社会人になっていくつかの研修やセミナーを経験した今でもいえる。
印象に残っている人について
小太りのお兄さん。大学の非常勤では食っていけないことを漏らしていた。メルカトル図法の世界地図に気候分布を色分けで塗ったものをノートに書いていて、それをその講師に見られて「地中海性気候のCsのsって何のことですか?」と聞かれたので「sommer trocken(ゾンマトロケン)、夏に乾燥」と返したらびっくりされた。あなたが講義で言ってたことですよ!このときに作ったノートは妹が継承した。
コビルドの英英辞書をもって講義を受けてたら、「君、それ一冊あれば、僕は要らないよ」といわれたので、それ以降、講義では机の上に出すのを控えた。「朝、講義前に来れば英作文の添削をする」と公言してたので、公言した以上添削しろよという感じで毎週添削してもらいにいった。
「僕の講義を録音して、繰り返し聞きながら、マネしなさい。最低50回」・・・マジで利く。これが周りで大ヒット。
「東工大受けるお前らなんか、どうせ、英語捨ててるんだろ?」「サイボーグ雨宮」など、数々のゆるい話題を振りまき、講義の時間を癒しに変えた人。1コマぐらいこういうのがあっても良いと思う。
エロサイボーグ雨宮。本当に息を吐くようにエロトークをかます。気をつけてないと、エロトークだとわからず、「あれ、わかりませんでしたか?お子ちゃまですね」といわれる。「数学的一昨日法」「数学的人生法」は傑作だった。
クラス担任の職員さんから「この人の講義には絶対に遅刻しないこと。居眠りしないこと」と注意されてたけど、最初はヤクザかと思ってびっくりした。実は、小心者のいい人。「意識の低い奴はいらねぇんだよ!」といってチョークを投げたことも。本科の最終講義は、自分の大学生の時の話をするのが恒例らしい。ゲーム屋のバイトの話が面白かった。「第一志望に落ちたら第何志望でもいいから大学にいけ。2年も予備校にくるな。大学にいってから頑張れ」と。
土曜午前にサテライトで中継講義(教室に入りきらないため)。あまりの人気っぷりに、一度、「生亀田見ようぜ」ってことでクラスの友達と一緒に始発に乗って椅子取りに参加したけど、それでも一番前から10列目ぐらいだった。話を聞いたら、一番前の人は前日より前から並んでいるらしい。マジ無理。ノート作成術は役立つ。
津守先生の英語で毎週英作文を添削してもらったと書いたけど、2学期のある日、機嫌の悪かった兄に「お前が受かるってことは、他人が落ちるってことだ。お前なんか受かんないほうがいい」といわれて大喧嘩になって、酷い有様になったけど、もう癖になってたのか泣きながら次の日に添削してもらうために英作文を書いていた。
「東大」を冠する講習と、馬場先生の英語のオリジナル講義を取る。さすがに冬期講習ぐらいになると、現役生も本気なので緊張感が違う。逆に本科生は元気がなくなる時期。自分もつらかったので、クラスの友達と一緒に馬場先生の講義をとって心の栄養に変える。4月からずっと大学受験中心の生活だったから倦みと緩みが出てくる。これは油断とかじゃなくて、体の底から湧いてくる倦みと緩み。泥の中にいるような感じになる。成長を実感できなくなる。現役生のパワーに負けるようになる。こればっかりはどうしようもない。乗り切れるかどうかって話。
3学期になると、本科の講義はほとんどないのと同じになる。夏休み明けより暗い顔が多かったのは、仕方のないことだろう。最終講義では「頑張ってね」みたいな話で送り出される。講師が大学生だったときの話、自分が夢をつかめなかったことなど。クラス担任は大学の数学の教科書を見せてくれた。
自分は東大じゃなかったら東京理科大という方針でいた。東京理科大のセンター利用なら確実に受かるので、これを滑り止めにして、国立の本番前に調整として早稲田の教育・理科を受ける。なんで早稲田の理工にしなかったかというと、東大に落ちた場合に早稲田に行こうとは思わなかったし、教育のほうが試験が簡単だったから。親からは「早慶の両方受けなくていいのか」とか、「早稲田にも入学金を納めなくていいのか」とか再三聞かれたけど、方針は譲らなかった。模試は最高でC判定(合格率40%ぐらい)だったけど、この頃には、だいぶ吹っ切れてて、つみあがったノートを復習する日々。ダメだったら、ダメでいいじゃんと、普通に思っていた。
話には聞いていたけど、浪人生がその自慢のノートを広げている姿を見ると、現役生は顔の色を変える。本当にそうだったから、笑った。だって、ノートが全然違うもの。10ヶ月間必死にまとめてきたんだもの。模試の結果からセンターの得点率は9割はいけるなと思ってたら、ピッタリ9割だった。僕のころは東大を受ける場合は800点満点で、8割ぐらいが足切りラインといわれていた。
総合723点で、国語が147点だったのがギャグだったけど、他で落とさなかったから良かった。好きだったから無駄に一生懸命勉強した地理は85点。現役時代と変わらない得点。試験なんてそういうもんだ。
次の日、自己採点で集まった東工大コースの面々。みんな一様に暗い。一番よく話してた子は数学で大失敗をしたといって、無表情になっていた。そういうことはある。
あるときの東工大模試で化学だけが異様に簡単だなと思って、次の日クラスで話したら「めちゃくちゃ難しかったよ!」とか言われたことがある。結果が返ってきたら化学が全国3位。たまたま自分のホームランゾーンの試験だったってこと。だから逆だってもちろんある。試験が空振りゾーンにくるときが。
東大の入試っていうのは、今もそうか知らないけど、あいうえお順に受験番号が決まる。だから、前年見た顔をまた見ることがあるという。同じ教室に高校時代の友人が二人いてびっくりした。「そういえば名字似てるしね」とかいって笑って挨拶した。
2日間かけた試験だったけど、得点率でいうと、英語が満点、国語が8割、物理と化学が6割、数学が3割という感触だった。数学が空振り。当落線上ギリギリだなって思いながら気分は後期試験に。
でも、後期試験対策の手が付かない。僕は既に燃え尽きて灰になっていた。
アメフト部のウォリアーズが胴上げすることで有名な東大の合格発表。普通に見に行って、普通に合格を確認して、普通に生協の合格者用の袋をもらってその場を去った。途中後輩に会って「落ちました」と聞いた。僕の態度から後輩も僕が落ちたと思ったらしい。そのくらい僕は醒めていたし、合格者用の袋はもらってすぐにかばんにしまっていた。
兄に言われたことだが、自分が受かったことで誰かが落ちたのはまぎれもない事実だ。
「そういう態度は逆にいやらしいですよ」と後輩に言われた気がする。
そこは、どうなんだろう?僕は「勝ってガッツポーツをしない」という武道の古臭い考えは好きだ。
ただ、この場合、僕は武道的な考えから喜ばなかったというより、喜ぶ元気もないぐらい疲れていたんだと今は思う。
という感じ。
現役の人は、これから頑張れ。
昔から人付き合いが苦手だった。
運動が苦手で、やることがいつも人よりワンテンポ遅い、トロい子だった。
友達ができずハブられたことも1度や2度ではない。
同時に、この時期に学ぶべきだった、人との付き合い方を学ばずにきてしまったため、
ハブられながらも周りを見下しているような、傲慢な人間になってしまっていた。
「自分はいらない人間なのだ」「自分さえいなければ、クラスみんな仲がいいのだ」と思うようになった。
周りの人間は努力もせずにうまくやってるはずだという決めつけがあった。
絶望で苦しくて苦しくて仕方なかった。
毎日泣いていた。
ある時、気がついた。
それなら、勉強で誰からも認められるようになれば、こんな絶望感を味わわずにすむのではないか。
「すごいと周り中に認められれば、みんな自分を尊敬してついてくるはず」という
虫のいい考え方をしていた。
初めて恋人ができた。浮かれていた。
だが今まで、まともな人付き合いをしたことのない自分は
相手のことを思いやることもできず。
相手の気持ちを汲むこともできず。
相手が言っていることの意味も理解せず。
別れてから相手が言った。
「君は変だ。普通の人になればいいのに。君は理解できない。理解できないものに対する恐怖を感じる。」
横になって呼吸をしているだけの日々。
今までどうして普通の生活が送れなかったのだろう。
どうして普通の人付き合いができなかったのだろう。
なんて自分は甘えているのだろう。
絶望の陰にあったのは、
自分はもっとすごい筈、自分を尊敬して皆がついてくるような人間関係を築きたいという
傲慢があった。
トップクラスの大学なのに、なんでその会社なの?と言われるような
中小企業。
コンプレックスは膨らみ、
頭をもたげる。
だが、さすがに学習していた。
そんなことを思っても何もならないことを。
自分にはコミュニケーション能力がない。
だから、ひたすらあたりさわりのない会話をすることを覚えた。
趣味も隠し。
自分を隠し。
そんな人間が好かれる筈もない。
うまく築けない人間関係に七転八倒しながら、
人の顔色を伺う。
そうしてできたのが、ただの八方美人だった。
何の特徴もない、空気のような存在。
だが、自分はまだ願っているのだ。
いつか、人から好かれるような自分になりたい。
他の人がやっているように、自分をさらけ出し、本音でぶつかりあってみたい。
もうすぐ30歳になろうとしているのに。
自己啓発本を読み、あがく日々。
この歳で、まだ希望はあるのだろうか。
釣られてみよう。
大学中退(休学)、ニートから復活するにはどうすればよいのだろう?
俺の場合、大学(学部)を卒業したのは25のときだった。増田と同じ夜学出身だ。浪人時代も在学中も、ほとんど学校(予備校)には行かず、ニート同然の暮らしをしていた。
とりあえず、可能ならば復学して卒業しようか。
3年かかることになるが、気にすることはない。
将来、面接の際に「働きながら大学に通っていた」と言えばよい。
奨学金を使えば、そこまでハードにバイトなんてしなくても済む。
http://www.jasso.go.jp/saiyou/daigaku.html#zsaiyoh
「プログラマとして、それなりにまっとうな企業で正社員として働きたい」
仮にこれが目標だとしよう。
残念ながら、あなたの年齢で、まっとうな企業に新卒として採用してもらうのは非常に難しい。
つまり、「中途採用」を狙うことになる。
とは言え、経験ゼロの状態でいきなり中途採用で正社員なんて、ありえない。しかし、企業が必要としているスキル、経験を持つ人材ならば正社員として中途採用する可能性はいくらでもある。つまり、いきなり正社員を目指すのではなく、契約社員あるいは派遣社員として働いて、正社員になるために必要なスキル、経験を身につけることが必要だということになる。
実際に希望する職種の求人票を見て、何が必要とされているのかを研究しよう。
派遣社員になるならエンジニア系の派遣会社がオススメだ。自分は http://www.engineersguide.jp/ こちらのお世話になった。
ただ、そうは言ってみても、経験ゼロでは、契約社員や派遣社員になるのさえも難しい。そこで、契約社員、又は派遣社員として働くために必要なスキル、経験を身につけられるようなバイトを探すということになる。正社員になるために必要なスキルが得られそうな契約社員、派遣社員の求人票をよく見て、どんな経験、スキルが必要とされているのかを研究しよう。
そして、バイトを探す。オススメは http://www.find-job.net/ ここで時給1000円以下、「未経験OK」で、スキルを身につけられそうな仕事を選ぶ。いきなりフルタイムで働く必要はない。ただし、常に学ぶ姿勢を持って仕事をする。あなたには、正社員になるという目標がある。それに向けて学ぶ。楽しくなってきたら、労働時間を増やせばいい。
(1) 未経験OKのアルバイトを探し、半年~1年間、経験を積む(時給800円~)
(2) エンジニア系の派遣会社に登録(時給1300円~)。2~3年かけて経験を更に積みながら時給の高い派遣先へと徐々にステップアップしていく。
(3) 時給が2000円を超えるようになったら、正社員への転職を目指す。紹介予定派遣を試してみるのも悪くはない。
最終的にどうなりたいのか? 目標を設定して、そこへ至るまでに必要なスキル、経験を逆算して身につけていく。目標へ向けて、スキルを身につけていく自分を楽しむ。
自分の場合、このようにわらしべ長者的にステップアップして、最終的には上場企業のエンジニア(正社員)として働けるようになった。面接をどう攻略していけばいいか?についてはまた別の機会でもあれば書こうと思う。
誰もが時が経つとわかるんだよね、「ああ、あの時の自分は思春期真っ只中だったんだな」って。
でまあ、だいたい小っ恥ずかしい思いをする。
「親はただ、自分の子供に苦労してほしくないと思っていたんだな」
「なぜそれがわからなかったんだろう?なぜあんなにイライラしてたんだろう?」
多少頭の回転が早くても、将来そんな回想をする自分自身までは想像できてないんだろうなあ。
ま、それはさておき。四の五の言わず東大に行け。ダメだったら浪人、一浪してもダメだったら早慶に行け。
つーか、東北大に進学しようと思っている理由は?
難易度的になんとなく。世間体的になんとなく。
「てめーの一時の感情に左右されるようなもんじゃねー」とか言いつつ、さしずめそんなところだろ?
以下の点についてはどう考えてる?
・大学卒業後、どのように生活の糧を得るつもりなのか?何の仕事をするつもりなのか?
・その仕事を得るためには、どのような道を経なければならないか?
・東北大からその道に進むことは(特に東大・早慶と比べて)容易なのか?
考えた結果、東北だというのなら自分の能力を過信しているかリテラシーが足りないか。
今度小学校のときの同窓会が開かれるらしい。知らないアドレスからメールが来た。行きたくない。
僕は小学校のときライトにいじめられていて、特に仲のいい友達なんていなかった。
それに今僕が行って、僕と咲かせる思い出話なんて何があるんだ。
今現在、僕はいわゆる大学受験を経験しなかった人でも知ってるような大学に通っている。ちょっと浪人もしたけど、まぁ卑しい身分ではない。これは救いだ。話すネタがある。
正直な話、僕は出会いが好きだったりする。そんなに社交的な僕ではないが、話しかけてくれたら全力で場を盛り上げたいタイプだし、同窓会に行ってお互いの近況なんか語り合えたら楽しいんだと思う。けどそれを誰とすればいいんだ? 友達いないのに?
僕の中には不安があって。誰も僕に接してくれない不安。童貞をバカにされそうな不安。「来るんじゃなかった」と一瞬でも思ってしまいそうな不安。
今回断ったり無視したりしたら、もう来ないだろうなぁ・・・迷うわぁ
今現在似た境遇にいる立場から
思ったんだけど不良とは違うくね?
そうなんだ。君とはだいぶ不良の定義が違うようだね。
とか
元増田のこれらの文章を読んで、不良と言う表現でも甘いと思ってたけど。
そんなことどこにも書いていないし、普通の人は偉くない。普通なだけ。
不良はちょっとした悪事を不良のしたことだから、とか
若気の至りで、なんて甘やかされ、
更生して普通の人になると賛美される。
こっちを引用して欲しかったな。
他人の波乱万丈の人生のことなんかどうでもいいけど、
悪事を犯した人間が公正したのが偉いみたいな漫画や小説や日記にはうんざりする。
・・・まあ、いいや。
普通がえらいなんていってないよ。
http://anond.hatelabo.jp/20090602005732 の増田です。
前回は無名大学と銘打った割には微妙に名は知られている大学だったので、今回はもっと色々な大学が載っている資料を持ってきた。ついでに、比較のために民間企業の賃金データも厚労省から落としてきたよ。
データを比較するうえでの注意や計算方法を先に書いておくけど、はてな村民なら長い説明を読み飛ばした挙げ句ああだこうだ言うなんてことはないと信じよう。
出典は「2004年度 首都圏私大の賃金及び教育・研究・労働条件」東京地区私立大学教職員組合連合発行。既に組合幹部は業務過多で体調崩して退いたのでこれしか用意できなかった。今の執行部は最新版持ってるだろうけど、増田に載せるからくれとか、特定されるような行動はできないんで理解してくれ。
なお、大学法人のデータなので、いわゆる付属校(幼小中高)も含めて同じ学校法人で一括して採用している場合は、データに付属校職員のデータも入ってくる。だが通常、同じ学校法人内の職員であれば、給与テーブルは一緒である。
この数字はモデル賃金表、即ち浪人・留年せずに大学を卒業し、就職浪人もせず新卒で入職して、昇給・昇格規定に基づき最短で昇格した場合の数字。出典にもこの様にある。
増田の大学では7年目から3級(新卒:4級,事務方トップ:1級)への昇格試験(筆記・小論・面接)が受けられるが、近年は合格率2割位(20年位前は無試験で部長の推薦があれば3級になれた)。上の級に上がれないまま長いこといると、定昇(定期昇給)の額が下がっていく。(例:4級5年目:定昇1.5万/4級15年目:定昇6千/4級25年目:定昇1千or0)2級以上に上がるためには課長以上の管理職経験が必要。
データのない項目については"-"で表した。
2005年以降、多くの大学で民間に遅れて期末手当のカット(0.1~2ヶ月)が行われています。実際は更に少なくなっています。
出典は「平成17年賃金構造基本統計調査」厚生労働省(http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001011429)。その中の「常用労働者 表番号1 正社員・正職員計」を用いた。(平成17年度以降、「正社員・正職員」が区分されるようになったので、こちらを用いている)
特に説明がなければ民営(独立行政法人など公企業を含まない)の数字。平成17年6月までの3ヶ月の実績額。私大職員のモデル給と比較する際には、モデル給側をある程度割り引いて比較する必要がある。
抽出する対象は、学歴が「大卒・院卒」、労働者数が「1000人以上」と「100~999人」を男女別に抽出した。
「所定内給与額」(残業代を含まない月給)を12倍し、年間の所定内給与額とした。
「年間賞与その他特別給与額」を賞与とした。
私学では、社宅や官舎に相当するものが用意されている事は稀だが、民間企業では縮小傾向とはいえ、社宅・独身寮あるいは借り上げ社宅が用意されている事例も多い。公務員には、公務員宿舎が用意されている。
「社宅・独身寮の最新動向」(財団法人 労務行政研究所・https://www.rosei.or.jp/contents/detail/5785)によれば、東京を基準に考えた場合、家賃相場と社宅使用料の差額は3部屋で月額92,831円(年1,113,972円)、4部屋で月額115,285円(年1,383,420円)。私大職員に社宅は基本用意されないので(成蹊学園が武蔵野市に職員住宅持ってるのは知ってる)、比較する際は企業側に最大で年100万程度加算する必要がある。
なお、「社宅・独身寮の最新動向」で回答企業のうち社有社宅の保有割合は、規模が1000人以上で55.8%、300~999人で35.5%。なお、会社に所有権がない「借り上げ社宅」については、明記されていないが、文脈からこの調査の「社有」に含まれないものと推測され、借り上げ社宅を含めた場合には、社員に金銭(住宅手当・家賃補助)以外の住宅関係福利厚生を提供している企業は、55.8%・35.5%より大きくなるものと推測される。
年額です。
大学名 | 年齢 | 基本給 | 家族手当 | 家族数(配偶者,子) | 住宅手当 | 一時金 | 合計 | 昇給停止年齢 | 定年 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
青山学院 | 25 | 2,724,000 | 0 | 0,0 | 280,800 | 1,740,850 | 4,745,650 | - | 65 | |
青山学院 | 35 | 4,482,000 | 487,200 | 1,2 | 280,800 | 2,910,225 | 8,160,225 | - | 65 | |
青山学院 | 45 | 6,134,400 | 487,200 | 1,2 | 280,800 | 3,770,850 | 10,673,250 | - | 65 | |
青山学院 | 55 | 6,895,200 | 376,800 | 1,1 | 280,800 | 4,109,600 | 11,662,400 | - | 65 | |
関東学院 | 25 | 2,827,200 | 0 | 0,0 | 168,000 | 1,632,080 | 4,627,280 | 65 | 65 | |
関東学院 | 35 | 3,951,600 | 336,000 | 1,2 | 168,000 | 2,349,520 | 6,805,120 | 65 | 65 | |
関東学院 | 45 | 4,845,600 | 336,000 | 1,2 | 168,000 | 2,796,520 | 8,146,120 | 65 | 65 | |
関東学院 | 55 | 5,383,200 | 264,000 | 1,1 | 168,000 | 3,029,320 | 8,844,520 | 65 | 65 | |
中央 | 25 | 2,135,600 | 0 | 0,0 | 282,000 | 1,784,830 | 4,202,430 | - | - | |
中央 | 35 | 5,067,600 | 606,000 | 1,2 | 282,000 | 3,215,040 | 9,170,640 | - | - | |
中央 | 45 | 6,595,200 | 606,000 | 1,2 | 282,000 | 4,088,670 | 11,571,870 | - | - | |
中央 | 55 | 7,219,200 | 438,000 | 1,1 | 282,000 | 4,347,070 | 12,286,270 | - | - | |
日本 | 25 | 2,818,800 | 0 | 0,0 | 295,200 | 1,584,142 | 4,698,142 | 65 | 65 | |
日本 | 35 | 4,454,400 | 559,200 | 1,2 | 295,200 | 2,787,624 | 8,096,424 | 65 | 65 | |
日本 | 45 | 5,325,600 | 559,200 | 1,2 | 295,200 | 3,265,332 | 9,445,332 | 65 | 65 | |
日本 | 55 | 5,791,200 | 418,800 | 1,1 | 295,200 | 3,443,650 | 9,948,850 | 65 | 65 | |
日本女子体育 | 25 | 2,328,000 | 0 | 0,0 | 204,000 | 1,241,450 | 3,773,450 | 60 | 65 | |
日本女子体育 | 35 | 3,421,200 | 336,000 | 1,2 | 204,000 | 1,894,670 | 5,855,870 | 60 | 65 | |
日本女子体育 | 45 | 4,567,200 | 336,000 | 1,2 | 204,000 | 2,439,020 | 7,546,220 | 60 | 65 | |
日本女子体育 | 55 | 5,319,600 | 264,000 | 1,1 | 204,000 | 2,762,210 | 8,549,810 | 60 | 65 | |
杏林 | 25 | 2,506,116 | 0 | 0,0 | 324,000 | 1,042,446 | 3,872,562 | 56 | 63 | |
杏林 | 35 | 3,352,716 | 336,000 | 1,2 | 324,000 | 1,381,086 | 5,393,802 | 56 | 63 | |
杏林 | 45 | 4,015,260 | 336,000 | 1,2 | 324,000 | 1,646,104 | 6,321,364 | 56 | 63 | |
杏林 | 55 | 4,293,888 | 270,000 | 1,1 | 324,000 | 1,757,555 | 6,645,443 | 56 | 63 | |
星薬科 | 25 | 2,788,800 | 0 | 0,0 | 360,000 | 1,301,440 | 4,450,240 | - | 65 | |
星薬科 | 35 | 4,255,104 | 312,000 | 1,2 | 360,000 | 2,356,480 | 7,283,584 | - | 65 | |
星薬科 | 45 | 4,978,176 | 312,000 | 1,2 | 360,000 | 2,468,749 | 8,118,925 | - | 65 | |
星薬科 | 55 | 5,259,072 | 240,000 | 1,1 | 360,000 | 2,566,234 | 8,425,306 | - | 65 | |
国立音楽 | 25 | 2,526,480 | 0 | 0,0 | 144,000 | 1,245,335 | 3,915,815 | - | 65 | 人事院勧告体系 |
国立音楽 | 35 | 3,771,240 | 306,000 | 1,2 | 144,000 | 1,923,793 | 6,145,033 | - | 65 | 人事院勧告体系 |
国立音楽 | 45 | 4,571,160 | 306,000 | 1,2 | 144,000 | 2,273,758 | 7,294,918 | - | 65 | 人事院勧告体系 |
国立音楽 | 55 | 4,934,160 | 234,000 | 1,1 | 144,000 | 2,401,070 | 7,713,230 | - | 65 | 人事院勧告体系 |
国際基督教 | 25 | 2,823,240 | 0 | 0,0 | 354,000 | 1,226,142 | 4,403,382 | 55 | 60 | 人事院勧告体系 |
国際基督教 | 35 | 4,311,120 | 306,000 | 1,2 | 354,000 | 1,915,145 | 6,886,265 | 55 | 60 | 人事院勧告体系 |
国際基督教 | 45 | 5,364,600 | 426,000 | 1,2 | 354,000 | 2,340,776 | 8,485,376 | 55 | 60 | 人事院勧告体系 |
国際基督教 | 55 | 5,977,680 | 234,000 | 1,1 | 354,000 | 2,457,279 | 9,022,959 | 55 | 60 | 人事院勧告体系 |
年額です。職名が旧来のものになっています。
大学名 | 職位 | 年齢 | 基本給 | 家族手当 | 家族数(配偶者,子) | 住宅手当 | 一時金 | 合計 | 昇給停止年齢 | 定年 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
青山学院 | 助手 | 24 | 2,721,600 | 0 | 0,0 | 280,800 | 1,739,600 | 4,742,000 | - | 65 | 教授定年68 |
青山学院 | 助教授 | 35 | 4,989,600 | 487,200 | 1,2 | 280,800 | 3,174,600 | 8,932,200 | - | 65 | |
青山学院 | 教授 | 45 | 6,910,800 | 487,200 | 1,2 | 280,800 | 4,175,225 | 11,854,025 | - | 68 | |
青山学院 | 教授 | 55 | 8,269,200 | 376,800 | 1,1 | 280,800 | 4,767,725 | 13,694,525 | - | 68 | |
関東学院 | 助手 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | データなし |
関東学院 | 助教授 | 35 | 4,800,000 | 336,000 | 1,2 | 168,000 | 2,708,632 | 8,012,632 | 65 | 75 | |
関東学院 | 教授 | 45 | 6,523,800 | 336,000 | 1,2 | 168,000 | 3,570,928 | 10,598,728 | 65 | 75 | |
関東学院 | 教授 | 55 | 8,127,600 | 264,000 | 1,1 | 168,000 | 4,333,968 | 12,893,568 | 65 | 75 | |
中央 | 助手 | 24 | 3,136,800 | 0 | 0,0 | 282,000 | 1,785,510 | 5,204,310 | - | 70 | 講師昇給停止66 |
中央 | 助教授 | 35 | 5,304,000 | 606,000 | 1,2 | 282,000 | 3,356,990 | 9,548,990 | 65 | 70 | |
中央 | 教授 | 45 | 7,286,400 | 606,000 | 1,2 | 282,000 | 4,480,350 | 12,654,750 | 64 | 70 | |
中央 | 教授 | 55 | 8,420,400 | 438,000 | 1,1 | 282,000 | 5,027,750 | 14,168,150 | 64 | 70 | |
日本 | 助手 | 24 | 2,784,000 | 0 | 0,0 | 295,200 | 1,565,060 | 4,644,260 | 65 | 65 | 定年延長70まで |
日本 | 助教授 | 35 | 5,155,200 | 559,200 | 1,2 | 295,200 | 3,171,896 | 9,181,496 | 65 | 65 | 定年延長70まで |
日本 | 教授 | 45 | 6,960,000 | 559,200 | 1,2 | 295,200 | 3,171,896 | 10,986,296 | 65 | 65 | 定年延長70まで |
日本 | 教授 | 55 | 8,040,000 | 418,800 | 1,1 | 295,200 | 4,676,742 | 13,430,742 | 65 | 65 | 定年延長70まで |
日本女子体育 | 助手 | 24 | 2,245,200 | 0 | 0,0 | 204,000 | 1,202,120 | 3,651,320 | 60 | 65 | |
日本女子体育 | 助教授 | 35 | 3,613,200 | 336,000 | 1,2 | 204,000 | 1,985,870 | 6,139,070 | 60 | 65 | |
日本女子体育 | 教授 | 45 | 5,278,800 | 336,000 | 1,2 | 204,000 | 2,777,030 | 8,595,830 | 60 | 65 | |
日本女子体育 | 教授 | 55 | 6,567,600 | 264,000 | 1,1 | 204,000 | 3,355,010 | 10,390,610 | 60 | 65 | |
杏林 | 助手 | 24 | 2,907,216 | 0 | 0,0 | 324,000 | 1,202,886 | 4,434,102 | 56 | 65 | |
杏林 | 助教授 | 35 | 4,644,516 | 336,000 | 1,2 | 324,000 | 2,462,944 | 7,767,460 | 56 | 65 | |
杏林 | 教授 | 45 | 6,057,360 | 336,000 | 1,2 | 324,000 | 2,462,944 | 9,180,304 | 56 | 65 | |
杏林 | 教授 | 55 | 7,191,132 | 270,000 | 1,1 | 324,000 | 2,916,453 | 10,701,585 | 56 | 65 | |
星薬科 | 助手 | 24 | 3,243,072 | 0 | 0,0 | 360,000 | 1,513,434 | 5,116,506 | - | 65 | 人事院勧告体系 |
星薬科 | 助教授 | 35 | 5,652,864 | 312,000 | 1,2 | 360,000 | 2,783,603 | 9,108,467 | - | 65 | 人事院勧告体系 |
星薬科 | 教授 | 45 | 7,332,864 | 312,000 | 1,2 | 360,000 | 3,567,603 | 11,572,467 | - | 65 | 人事院勧告体系 |
星薬科 | 教授 | 55 | 8,089,536 | 240,000 | 1,1 | 360,000 | 3,887,117 | 12,576,653 | - | 65 | 人事院勧告体系 |
国立音楽 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | データなし |
国際基督教 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | データなし |
年齢グループ | 所定内給与額 | 年間賞与 | 年収額 |
---|---|---|---|
20~24 | 2,628,000 | 373,100 | 3,001,100 |
25~29 | 3,228,000 | 980,900 | 4,208,900 |
30~34 | 4,159,200 | 1,398,000 | 5,557,200 |
35~39 | 5,144,400 | 1,855,800 | 7,000,200 |
40~44 | 6,212,400 | 2,364,800 | 8,577,200 |
45~49 | 6,980,400 | 2,667,700 | 9,648,100 |
50~54 | 7,376,400 | 2,808,500 | 10,184,900 |
55~60 | 7,392,000 | 2,781,400 | 10,173,400 |
年齢グループ | 所定内給与額 | 年間賞与 | 年収額 |
---|---|---|---|
20~24 | 2,523,600 | 422,100 | 2,945,700 |
25~29 | 2,979,600 | 938,900 | 3,918,500 |
30~34 | 3,656,400 | 1,182,400 | 4,838,800 |
35~39 | 4,244,400 | 1,484,500 | 5,728,900 |
40~44 | 5,084,400 | 1,847,400 | 6,931,800 |
45~49 | 5,218,800 | 1,833,600 | 7,052,400 |
50~54 | 6,045,600 | 2,217,400 | 8,263,000 |
55~60 | 5,678,400 | 2,050,200 | 7,728,600 |
年齢グループ | 所定内給与額 | 年間賞与 | 年収額 |
---|---|---|---|
20~24 | 2,589,600 | 296,400 | 2,886,000 |
25~29 | 3,027,600 | 799,100 | 3,826,700 |
30~34 | 3,734,400 | 1,066,200 | 4,800,600 |
35~39 | 4,606,800 | 1,395,500 | 6,002,300 |
40~44 | 5,418,000 | 1,670,800 | 7,088,800 |
45~49 | 5,823,600 | 1,763,300 | 7,586,900 |
50~54 | 6,357,600 | 1,847,400 | 8,205,000 |
55~60 | 6,486,000 | 1,894,900 | 8,380,900 |
年齢グループ | 所定内給与額 | 年間賞与 | 年収額 |
---|---|---|---|
20~24 | 2,520,000 | 335,300 | 2,855,300 |
25~29 | 2,806,800 | 742,700 | 3,549,500 |
30~34 | 3,466,800 | 952,200 | 4,419,000 |
35~39 | 4,381,200 | 1,202,100 | 5,583,300 |
40~44 | 4,914,000 | 1,233,300 | 6,147,300 |
45~49 | 5,025,600 | 1,449,600 | 6,475,200 |
50~54 | 5,160,000 | 1,554,200 | 6,714,200 |
55~60 | 5,800,800 | 2,095,600 | 7,896,400 |
(出典:「平成17年賃金構造基本統計調査」都道府県別>表番号1>東京~新潟)
都道府県 | 初任給額 | 全国を100とした場合の比 |
---|---|---|
東京 | 200,800 | 109 |
神奈川 | 200,400 | 109 |
京都 | 191,100 | 104 |
大阪 | 194,600 | 106 |
兵庫 | 191,500 | 104 |
沖縄 | 159,400 | 87 |
全国 | 184,100 | 100 |
と、ここで親が毒親だったため裕福だけど子供に金を出さなかった増田が通りますよ。
いやー中卒で働こうと思ってたんだけどがっこのせんせが高校に入っとけって言うからさぁ、授業料免除もらってこうこういったわけよ。そこからはエスカレーター式だったね。何もしなくても教材が与えられる。塾に行かせてもらえる。塾も塾で授業料はいらんなどと寝言をほざく。そこで俺は気づいちゃったね!これは親がいなくても生きていける!もうね、あほかと。馬鹿かと。
まぁそんなわけで浪人はしたんだけど、塾がそれも金出してくれて、東大入って、親が裕福だから奨学金も授業料免除ももらえなかったけど、学歴のおかげでバイトには困らない。俺は確信したね。これは運がなければ無理だって。俺はたまたま運が良かった。そんだけだって。
ひでーアパートにも住んだよ。1万の部屋見に行ったときとか笑ったね。でもあれでもなれりゃ住めるんだからね、ありがたいことだよ。栄養失調にもなったね。でも大家さんがご飯食わせてくれたから助かったしね。成績も悪かったよ。でも友達はできたよ。大学は楽しかった。気付いたら教授に勧められて大学院に行ってた。大学院では奨学金をもらえた。苦しい時もあったけど、まぁ楽しかったね。そんで今は一部上場企業に勤めてる。職場はいい人ばっかりだし、楽しいし、福利厚生もしっかりしてるし、この不況でもそんなに業績は悪くない。大きな企業ではないけど、基盤がしっかりしてるからそんなに不安にならない。人事はいい人だし、説明会に来た時におおこの人とはあいそうだと思った課長さんのいる部署に配属になるし、ほんとに俺は運がいい。
金も時間もなくてもそれなりにものごとがさばけるだけの技量があればそれなりに世の中は渡っていける。俺は別に頭はよくないが、運はよい。出会う人がいい。行った場所行った場所でほんとにいい人ばかりだ。ありがたいことだよ。いつもかわいがってもらえる。だからさ、お前も怠慢だなんて人のこと糾弾してないで、そいつは単に運が悪かっただけかもしれないって思ったらどうだ?俺なんて金もなくて暇もなくてきりきりしてる学生見るとついつい飯でもおごってやりたくなるよ。ついでにちょっとお小遣いでもあげようかなんて思う。自分が苦労してきたからかもな。栄養失調になって動けなくなると本当にきついからな。それに遊びたいじゃないか、学生だってさ。無駄に金も時間も使えばいいと思うんだよ、それが許されるのが学生なんだから。
時間がない、金がない、だから勉強できなくて就職も出来ない、と言ってる人を見るとふざけるなと思う。
確かに、生活保護レベルの貧乏ならば別だ。そういう場合は気の毒だと思う。
だが、一応親が仕事していて飯が食えてるレベルの家庭で、時間がないとか金がないとか、ただの甘えだ。
うちは貧乏だったので、小中高は公立で、塾にも行けなかった。
高校受験までは自力でなんとかなったが、大学受験になると取り残されてしまい、一浪した。
浪人中はさすがに予備校に通って勉強したが、高校が上位校だったおかげで特待生で、授業料はタダだった。
親は学費だけ出してくれた。生活費は奨学金とバイト。バイトは週2回だったので、勉強にはそれほど支障がなかったし、サークル活動も不自由なくできた。
大学3年の1月から公務員試験の勉強をして、8月に無事内定した。好景気で公務員の人気が落ちていた時だったので、楽勝だった。
公務員予備校の学費30万だけは、申し訳ないが親に頭を下げて借りた。(返済済み)
現在、平日は残業が多いが、残業代はほぼ出るし、土日は必ず休めるので趣味や遊びの時間は十分ある。日々楽しく過ごしている。
大学時代の奨学金の返済額はせいぜい月15000円。誤差の範囲内なので別に痛くない。無利子だし。
・高校受験(直前の3ヶ月だけ)
の合計1年10ヶ月だけだ。そのうち余計な金がかかったのは公務員予備校の30万だけ。
「忙しい」「金がない」、と甘えるな。勉強するのに時間も金も必要ない。大金持ちになるのはさすがに無理でも、公務員や地銀程度の中堅勤め人だったら、正直誰でも簡単になれると思う。それすらなれない奴は、ゲームのやりすぎかオナニーのやりすぎ。回線切って図書館行け。
比較で出てた韓国は90%超え。
進学率のウィキペディアを見るとそんなに古い数字でもないみたい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B2%E5%AD%A6%E7%8E%87
それなのに、求人を見ると応募資格に大卒って書いてあることが多いんだ。
私は短大出身だ。
短大に進むといったら「二年遊ぶつもりだなw」と言われた事がある。
正直むかついた。
奨学金は4つのところから借りている。
それでも、だったらなんで国立大学に行かなかったんだと言うやつがいる。
予備校に行きたいといったら、どうして予備校に通う必要があるのと親が言った。
私は不合格だったのだ。
浪人するのならば、私大に通っても同じ。
金のことばかり言われてむかついた。
私の誕生日に予備校の請求書が届いて、誕生日のことなど忘れて親がキレた。
一つのことに向かって一心不乱に打ち込めなかった私が悪いと言うのだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20090510053204
でも、本当に大切なことはそれ以外にある。
でも、ないことを卑屈に思ったり人を責めたりするのなら、
その幸せは、二度と手に入らない。二度とだ。