はてなキーワード: 世界史とは
一時期、ゾンビのことばかり考えていた。
ロメロ監督の名作「ドーンオブザデッド(ゾンビ)」を観てからだ。
もともとホラー系が苦手で、特にハマったりはしなかった。
盛り込まれ、恐ろしいほど名作だったのだ。
そんなの全然気にならないくらい、ものすっご面白かった。
そして、一時期は「俺がこの終末世界に居たら、こう行動する」などを
ずっと頭の中でシュミレーションしていた。
友人と御飯を食べながら、でも頭の中はゾンビのこと。
夢の中でもゾンビのこと。
「くさりかたびらを全身にまとえばゾンビにかまれても平気じゃね?」とか、
防御方法をずっと考えたりしていた。
武器は銃+槍系だろうか。カーズみたいに手に剣をくっつけるのもできたらいいな、
とか真面目に考えていた。
そうしているうち、ゾンビ系映画をいくつも観ている自分が居た。
28日後。
28週後。
デイオブザデッド。
REC。
ダイアリーオブザデッド。
アイアムレジェンド。
ドーンオブザデッド(リメイク)。
ショーンオブザデッド。
バッドテイスト。
いくつか名作とも出会ったのだが、
数百年後、ボッカチオのデカメロンみたいに、
それほど、ゾンビのことしか考えられなかった時期がある。
・・・いかんね。
この場合、彼の言う「自明である」というのは全く自明ではない、というだけの話なんだけどね。
件の本にしても、全体を検討してやっぱり誤った主張だというならそれはそれでいいわけだよ(例えば、海難記の人が文学論の立場からそういう議論をしてたよね)。ただ、部分的に高校世界史レベルの誤りが含まれていることをもって議論全体にも価値がない、と主張できるかはまた別の話だってのは当然分かるでしょ。それが議論の骨子に関わる誤りなのかどうかは、当然全体を検討しないと分からないわけでさ。
あのさー、彼は「論証しようとしてない」って言ってるんだよね。だからそこは突っ込んでも仕方ない。
つまり、彼の言ってることは「○○ウゼェ」とか「○○キモーイ、キャハハ!」と同レベルだから突っ込んでも考えを改めないだろうってこと? まぁ、そうかもしれないね・・・。
http://anond.hatelabo.jp/20081123003455
ある程度読んでそれを言ってるなら全然構わないんじゃないかね。ところが、なぜか彼はそこで「拾い読みや部分的な引用を元にトンデモであると判断できる」と強硬に主張しているわけで、それはダウトでしょ、という話。別にトンデモであることをこの場で証明せよとまでは言っていない。
文脈上(アブスト云々が出てきて以降で、僕がどれを書いたかは以前示した)、元増田が書評をしたかは争点でないから、その自分なりの読み方は外れる。
次に、君は書評を書いた人の属性を挙げて「どれが信用に足りるか」とかいってるけど、それは的をはずしてる。私が言ったのはそんなことじゃなくて「知識」の問題。
信用足りえるには、その人の「知識」レベルがあるかの判断が先行するのだから、その程度のことは内包されている。
そのレベルで素人目にも明らかな間違いを多くしでかしてるらしい。そんな本が学術的な意味で信用できると思う?んなわけないでしょ。
ということはブログで書いて批判すればいいんではなかろうか。「らしい」ではなくて元増田の解釈で。「らしい」から抜け出して自ら判断するには同等の判断能力がないといけないだろう。
もうひとつひっかかるのは、「学術的な意味で信用できると思う?」の部分。信用するものじゃないし、それは鑑定人によるのかな。そういう監視の目が行き届いていればいいけど。
今のところ元増田が言っているのは、「学術レベルの能力があると見なされる人がある間違いを指摘している」ことに根拠なく同意しているだけである。現段階では。
ちなみに、
「トンデモ」と呼ばれたくないのなら「エッセイ」なり「フィクション」なりと名乗って満足すべきってのはわかるよね。そういうこと。
僕も読んでいないので言うのもなんだが、もう少し前に書いたけどローマ人と同じくエッセイレベルだと、なんとなく、思っているので、ガチの学術レベルでの論争なぞ望んでいないのではないかとは思うし、そうすることは無粋なのかもしれない。無味乾燥な世界史の教科書とローマ人を比べても。
「らしい」と言っているだけでは、例の学術レベルの人に追随する「ビリーバー」との区別がつかない。そこを聞いているんだけど。何度もね。
僕は元増田に「学術レベルの人のことを、学術レベルで理解できて、批判できるか」かどうかについて聞いているのであって、今のところ「学術レベルの人の言うことを、学術レベルでは、完全かどうかは不明だが、理解はできないにもかかわらず、何故か正しいと信じている」の段階で留まっている。ただ真の学術レベルの能力を持たなくてもなんとなくわかる、ということに関しては少しは同意はするのだが、それに見合った「知識」を元増田が持っているようには見えないもので。あるならあるで自分のブログで書いてくださいな。
梅田もっちーとダンコーガイの自己啓発(笑)の両巨頭が紹介した本には無批判に絶賛がつくといういつもの流れ。はてな村民がいかに自分の頭で考えない人間かよくわかるね。ちょっと前には、英語嫌いの益川先生が歴史に名を残す研究をしたという話が流れたばっかりなのに、すぐ忘れてしまってるんだから。
ま、そんなことはともかくとして、言語学を新書レベルに読みかじった経験があれば、この両氏の書評と著者のインタビューを読んだだけで、モチヲや弾のお勧めを期待してこの本を読めば期待はずれに終わることがよくわかる。誤解なきよう、私は「日本語が亡びるとき」が面白くない本だとは思わない。何しろ相手は小説家、本当のことであろうが嘘のことであろうが面白く書いて読み手に深い印象を与えるプロなのだから、それは期待してもよい。ただし、著者に言語学のバックグラウンドがない時点で、論としての面白さを期待するのは諦めるべきだ。SFとして面白いものが科学理論としてよくできているわけではないのと同様、純文学作家の言語論に学術的レベルを期待するのは酷というものだ。もともとそういうものなのだから、モチヲや弾のようにあの本を絶賛する人というのは、アジテーターとしての自分を売り込みたいだけか、アフィリエイトで稼ぎたいだけか、あるいはまともな議論とトンデモの区別が付かない程度の知的素養しかないか、そのどれかだろうと思ってしまうのは私だけか(そういえば一部のはてな界隈で人気な「温暖化懐疑論」の論者に気象学者が一人もいないのはどういうことなんだろうね?)。
そもそも、著者が言うような意味で日本語が亡びるというのが先走りにすぎるのは英語の歴史自体が証明している。英語がどうして、同じゲルマン語のドイツ語よりも、ロマンス語のフランス語に見た目が似ているかと気になったことはないだろうか。あれはノルマン・コンクエストの帰結である。英語は文化的外圧に曝されるどころか外敵に征服され、日本語と同じかそれ以上に外来語に「汚染」された言語なのだ。しかしその伝統からシェイクスピアをはじめとする華麗な英文学の伝統が花開いた。
日本語も、実際に「地域語」であり、現代と比べものにならない外圧に曝された時代があった。飛鳥・奈良時代や、明治維新期などはそれぞれ強大な帝国の圧倒的な文化力・軍事力の前に日本は存亡の危機に瀕していた。しかしそれらの時代に外の文化を大きく導入したことで、逆に日本語の文化は大きく栄えた。
単なる「国力」だけで、言語が「地域語」に堕し、その結果衰退するなどというのが俗論にすぎないことがよくわかるだろう。
そもそも、「日本語が亡びる」という問題意識自体、日本列島の言語を「日本語」という名で無自覚にひとくくりにしてしまうことの問題が現れている。アイヌ語や琉球語を考えてみるがよい。これらを「方言」と呼ぶのは無理があるだろう。しかしながら「日本語」の隆盛のもと、これらの言語文化は危機に瀕している。
いや、言い直す。そもそも何を「方言」とよび何を「国語」「標準語」と呼ぶかは政治的な産物でしかない。ポルトガル語やオランダ語は、かつてはスペイン語やドイツ語の一方言でしかなかった。デンマークでは読み書きができる知識人はドイツ語やフランス語を使っていて、アンデルセンやキルケゴールが現れる前の「デンマーク語」は「汚い方言」でしかなかった。
その意味で、日本の文化を見直してみるとよい。「遠野物語」のような地域の民話を語れるのは一部の語り部に過ぎないのではないか?いや、かつて日本の「中央」を荷った「上方文化」でさえ、衰退が甚だしい。関西弁はラジオ・テレビの成立以降、急速に流入した「標準語」の影響によって激しく変質し、江戸時代後期から明治時代にかけて成立した上方落語でさえ、若者や子供のかなり多くはまともに聴き取りができない。上方落語が日本の言語文化の貴重な財産であることは誰も否定しまいが、これを日本人は自ら衰退に追い込んでいるのである。人間国宝の米朝師匠が事実上現役を退いた今、その前途ははなはだ暗い。
あるいは地域的な変化でなく時間的な変化を見てみるとよい。能は勿論、狂言や歌舞伎でさえまともに聴き取れない日本人がどれほどいるか。源氏物語はおろか、明治期の擬古文でさえ現代語訳なしで読めない日本人がどれほどいるか。いやそればかりか、旧字体・旧仮名遣いの文章ですらろくに読めない人間とて決して珍しくあるまい。
このようなことになったのも、一つには近代化の推進のため我々が明治期と戦後に「国語」の成立と普及を強引に推進したせいだというと言い過ぎだろうか。世界に誇る日本文学などと言うが、我々が現代「日本語」を通じて享受できる文化遺産など、たかだか百年分ぐらいしかないのである。
というか、元々これはそういうものなのである。「国語」という概念は「近代国家」が政治的に成立させるものだ。「江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた」という本があるが、これによると実際、江戸時代では各地の方言を通訳する商売が成立していたという。あるいはフランスでは近代化以前、知識人はもっぱらラテン語で読み書きをしており、フランス語は単なる「俗ラテン語」のなれの果てでしかなかった。日本ではもっとひどく、仮名文字さえ実は統一されていなかった。変体仮名というのを聞いたことがあるだろうか。うなぎ屋の看板などで今もその名残を見ることができる。これらがきちんとした正書法と文法を揃えたのは疑いもなく時の権力の政治的な措置なのだ。
それを思えば、「今の」日本語がどういう形であれ変容するのは当然であり、むしろ「近代国家」という枠組みが溶解しかかっている(EUを見ればそれは明らかだろう)現在、無理に「国語」を防衛しようとする思想はまさに時代遅れのナショナリズム、保守反動でしかないとさえ言えるのだ。
からかい半分で書き始めた文章につい力がこもってしまったが、いずれにせよ、「守るべき国語」というのはかくのごとく、大いなる虚構だ。関西人である私がこのように完璧な「標準語」で読み書きができるように、北欧あたりではテレビを通じて完璧な英語を多くの人が身につけている。だがそれがいったいなんであろうか。言語の遣い手としては、一つの言語しか使えないよりも複数の言語が使えた方が楽しいに決まっている。考えてみれば、何の問題もないのではないか。
仮にそうした時代になろうとも、日本語でしか書けないような優れた文学作品があるのならば、日本語が読める人は必ずや読むであろう。日本語でなくても書けるものは、日本語で読む必要はない。そうなって困るのはいったい誰なのだろうか。「普遍語」を寡占してグローバリズムの伝道を行うことで糧を得ていた人、昔日の栄光に浸る老人、それぐらいしか私には思いつかないのだが。
b:id:Nean えっと、だいたいの論旨に異議はないんだけれど、水村は「国語」が「虚構」ということを知った上で書いてるってのがいつの間にか飛んでるんでない? 「国力」の論点も変ですぜぃ。
水村は「国語」の虚構性を半分ぐらいしか理解していなかったと私は思います。たとえばここで挙げたような方言の視点はほとんどなかったのではないでしょうか。水村は東京生まれということなのでおそらく気づかなかったのでしょう。私のような方言話者にしてみれば「母語が『現地語』でしかない状況」なんて「なにをいまさら」でしかない、というのがこの記事を書いた大きな動機の一つでもあります。
「国力」についてはその辺の地方人バイアスが入っているかもしれませんが、正直あまり自覚はできていません。
今までの人生、つっても全然短いけど(今大学二年)本気なんて出したことなかった。
何もかもちょろっとやっただけで楽勝だったし、高望みもしてなかったしな。
はっきり言って何かに頑張って本気出してる人を見下していた。
小学生の頃から、例えば塾に行くようなガリ勉は「要領の悪いやつ」って思って
俺は兄貴の部屋にあった受験テクニックの本(選択肢の削り方とか)やカンニングでやってた。
中学受験する奴なんて悲惨だなって思う。そんなに勉強して高い金払って本当にそんなに差がつくの?ってな。
週休2日が当たり前になって、ああ社会制度も俺に味方してるな、本気出すなんて馬鹿らしいよ。
中学のテストでも一夜漬けで平均点+5ぐらいは取れてたから「なんだ簡単じゃん」。何十時間も勉強するなんて馬鹿らしい。
学校サボッて遊びまくってたら校長に呼び出されて「ちゃんと来なさい」と言われた。
俺は次の日から昼休みになったら行くようにした。そうすればただの遅刻。
高校ではバイトしてる奴を馬鹿にしてた。映画もゲームも漫画もタダで手に入るじゃん。何にお金使うの?
あと自販機でジュース買う奴。理解できなかった。無駄遣いの極致だな。
大検って制度があることを知って高校はやめた。なんか親に予備校を進められたけど、
世界史だけちょっとやった。それでもメモ用紙一枚に覚えたい単語を並べて、受験会場に行く電車の中で眺めてただけ。
もちろん受かった。大学受験はさすがに勉強しなきゃな、とは思ったけど、まぁ一年くらい浪人するかと遊んでた。
そんで現役時にある作戦を試してみた。たくさん受験してみるけど全部他人のカンニングで乗り切るっていう。
中には一つくらい合格点行く奴のをカンニングできんじゃね?っていう。そしたらそれで受かった。流石に震えた。「人生簡単すぎる」。
時流も俺を味方していた。就職も売り手市場で楽勝だぞ、と。勉強も楽勝で就職も楽勝でゆとり世代って丸儲けだぜ。
釣りなのかもしれないが、注文主からすれば素晴らしいのだろうが、あまりにお粗末だな。
だいたい、世界史や公民は未履修か?産業革命以後の労働者の問題、ストライキや労働組合などがなぜ発生したか知らないのか?
と、赤っぽくなってみる。
一番の問題は、人を労働者として扱いながら労働者の権利を与えない事。
現代社会においては、会社は個人を社員として雇うのが基本スタイルだ。
この時、資本や組織をもたない個人としての社員の力は弱い。弱者だ。
そこで、この弱者を保護するのが労働三法であり、それは労働基本権に基づく。
必要に応じて、能力の向上や安全のための教育、作業環境の整備、健康診断などを行なう事になっている。
つまり、会社は社員の面倒をみなさい、と言う事だ。いわゆる福利厚生だ。
偽装請負は、実際には社員として扱いながら、これらを受ける社員としての権利を認めないものだ。
リスク分散が図れると言うが、本来会社がもつべきリスクを社員に不当に転嫁しているに過ぎない。
社員の立場の弱さや目先の利益を利用して社員を、より責任の重く、立場の弱い個人事業主になるように唆しているに過ぎない。
多重派遣が禁止されているのも、いたずらに関わる会社を多くし、責任の所在や、社員の管理監督、つまり面倒をだれが見るべきかを曖昧にし、社員の立場を危うくするためである。
個人事業主と言うのは、自由競争の荒波を単身で受け、一番弱い立場になりやすい。
しかし、独占禁止法や、その他、歴史的に個人事業主の多い業界は、個別の法律で守られていたりする。
また、商店街は町内会の延長で団結を図ったり、商工会や業界団体として組合を設けたりしている。
しかし、ブルーカラー/ホワイトカラーとして労働者の権利の存在する労働者と、自由競争を原則とする市場に立つ個人事業主とでは、立場が違い過ぎる。
現在は規制により抑制されているが、規制がなくなれば移行し増大し、価格競争の名の元に価格が下がるだろう。
賃金ではないから最低賃金も残業代もない。成果物が完成しなければ支払わない。納期が遅れれば違約金。
やり過ぎれば公取委が動くだろうが、敷居は高い。
たしかに、個人事業主が増えるのは、悪い事ではないだろうが、自身が自由競争の世界にとびこむ、と言う自覚なしにつれていくべきではない。
そして、業界は業界として商習慣や制度や団体などの確立を目指し、個人事業主、つまりフリーランスの働きやすい環境の構築を目指すべきである。
現状では、労働力の流動性が悪いのかも知れない。しかし、安易に撤廃などできない。
しかし、それでも労使の関係がある限り、労働者の権利は守らなければならない。
流動性をあげるための施策や規制緩和を行なうなら、同時に労働者保護も行なわなければならない。
元請けの指揮命令系統で労働者として扱うなら、労働者の権利は保護されなければならない。
労働を求めるならば、その者には基本的人権として労働者の権利が存在する。
以下資料として
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kiyaku/2b_004.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%B4%E5%83%8D%E9%81%8B%E5%8B%95
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%BC
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%B4%E5%83%8D%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E6%A8%A9
http://anond.hatelabo.jp/20081101232814
どれだけ厳しい批判が寄せられているだろうかと恐る恐るみてみたら、好意的な反響が多く、胸をなでおろしています。
増田に書く理由としては、ひとつめ、専門外のことに長く関わるつもりがないこと、ふたつめ、連休の出先で手元に一冊の参考書籍もなく、HDDとネット上のソースだけを参考に書いたエントリなど、歴史を専攻したものとして、しかも専門外のものとして、とても胸を張って提示できるものではないこと、みっつめ、それゆえ、ホームに書いたら全て書き換えるほどの修正をせずにはいられないだろうが、その気力も時間もないこと、よっつめ、しかし、あれを「論文」とすることには憤りを覚えたので、せめて学問を知る人にはトンデモはトンデモであると伝えてみたかったこと、いつつめ、増田であれば上記の点をそれほど気にやまずに済むこと、このくらいでしょうか。したがって、私のエントリはいわゆる「ちらしのうら」です(文献表記がみにくいのもわざとです。すみません)。私はさくっと書き逃げする卑怯者です。内容がいかがわしいのも推敲が甘いのも全て私の責任です。でも、もろもろの言い訳によって逃げられるものではないですよね。ああ。
さて、前回のエントリでは、後半にさしかかったときにから睡魔に襲われ、最後は「藁人形叩き」ばかりになってしまいました。ようやく投稿できたと思ったら、字数超過で記事を分割せねばならず、つづきでは田母神氏の論文タイトルを間違えてしまいました。謹んで失礼をお詫びします。いろいろとミスがあろうと手をいれるつもりはなかったのですが、批判する論文タイトルの間違いはいくらなんでもひどいので、訂正します(ついでに「シンガポール華僑粛清事件裁判記録」後編のミスも直します)。これも後出しですが、原文が縦書きの漢数字は、横書きなので適宜英数字にしています。
では、気をとりなおして「藁人形叩き」ばかりをしていたところに補足してみたいと思います。最後に与太話の蛇足ですが雑感を述べてしめます。
しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。
(前回と同じく、はてな記法による引用の出所は、田母神俊雄「日本は侵略国家であったのか」2008年http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf)
第2次世界大戦開戦の時点であっても、カナダ、オーストラリア、南アフリカなどが自治領化・独立した例がありますね。フィリピンでも独立を前提とした自治領政府が成立していましたね。
また、どちらかといえば植民地統治体制の比較の話ですが、自治・独立とまではいかないまでも、現地の住民を支配機構に採用していく次のような例もありました。
「1920年代より英国はビルマに赴任するICS〔引用者注:インド高等文官の略称〕に英国人のみならずビルマ人も採用すべく方針を変え、その結果1939年末の段階で、ビルマにおける全高等文官のうちビルマ人は32.8%を占めるに至った」(根本敬「英領期のビルマ人高等文官(ICS/BSC)とタキン党」『東南アジア史学会会報』63、1995年、17ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004924657)
それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。
1940年代において、宗主国が疲弊し、植民地の独立運動が高揚したのは確かなことでしょう。ただし、歴史学の領分は、「もしも」を考えるというより、その過程をつまびらかにして、それぞれの要因や重要性を検討することにあります。
まず、開戦の詔書には「東亜ノ安定」「世界ノ平和」「万邦共栄」「東亜安定」「東亜永遠ノ平和ヲ確立」という表現はありますが、肝心の戦争目的を述べている部分は、あくまで「今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切の障礙ヲ砕碎スルノ外ナキナリ」(「御署名原本・昭和十六年・詔書一二月八日・米国及英国ニ対スル宣戦ノ件」1941年12月8日、アジア歴史資料センターレファレンスコードA03022539800。引用部分の漢字は適宜新字体を用いました。センターホームページの検索バーに左記のレファレンスコードを打ち込めば該当資料のページへ飛べますhttp://www.jacar.go.jp/)ということであり、「アジア諸民族の解放」、「植民地の解放」、や「独立」といった文言は一切ないことを指摘しておきます。文面上はまさに自存自衛の戦いをうたっており、解放の約束は明文上ではなされていません(ちなみに、みればわかりますが「八紘一宇」もないです)。では、実際、アジア諸国にどう接し、現地住民はどう対応したのか、前回は文献名をあげただけのものから少し引用しておきます。
「ビルマは1943年8月1日主権を有する独立国家となったが,真の独立を求めるビルマ人にとってそれは,’’偽の独立’’,’’メッキの独立’’にすぎなかった。ビルマ人は,独立が’’空虚’’であることを知っていた。この当時の日本人に対するビルマ人の態度は,「愛していなくても我慢して接吻する」ようなものであった」(大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、360ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf原文の注の番号は引用者が削除しました。以下の引用文でも同じ)。
「日本の『朝日新聞』は、この作戦について、「皇軍航空部隊の空襲は一見、印度民衆の苦難を一層増大せしめるかに見えるが、爆弾の雨の中に、皇軍の印度独立運動に対する無限の慈愛と支援が含蓄されている」と書いていた。まことに「含蓄」の深い論評だったと言うべきであろう」(中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要(東京大学)』151、2007年、190ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf)。
「本稿では不十分ながら、日本の大東亜共栄圏=アジア主義のプロパガンダが、そして、その大枠の中で動いたチャンドラ・ボース等の活動が、インド社会との接点を持てずに、空回りしていたことを明らかにしえたのではないかと思う」(前掲中里論文、195ページ。ボースたちについては、197ページの注6、200ページの注22、202ページの注26、208ページの注80も参照)。
インドネシア、フィリピン、ベトナムの抗日闘争について、詳しくは論文本文を読んでいただきたいのですが、結論としては、
「要するに、東南アジア諸国の反植民地・民族独立運動は、太平洋戦争と日本の侵略によって生じた情勢やその他条件を、主体的、積極的に活用して日本に対応し、戦前に比して飛躍的な成長を遂げた。そして、このことは、戦後における東南アジア諸国の民族独立運動の高揚や民族独立の達成の決定的要因となった。この意味において、太平洋戦争と日本の侵略は、東南アジア諸国の民族独立運動史における一大転換点であったということができよう」(谷川榮彦「太平洋戦争と東南アジア民族独立運動」『法政研究(九州大学)』53(3)、1987年、395ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870原文にあった傍点は除いた)。
以上でつっこみの補足は終わりです。現下の情勢については特に言及しません。
さて、今回のエントリ執筆の目的としては、可能な限り速やかに「論文」が論文になっていないことを示すことでした。大事なのは「内容」とおっしゃるのは結構ですが、学問的に批判可能な形式(もちろん既存の研究にとらわれない革新的な独自形式でも、読者に史料を提示できればかまいません)をとらないものは、「無敵な人」の独自な「歴史観」の告白にすぎないでしょう。それに価値を認めるのは個人の自由ですが、学問や教育の場に持ちこむのはお門違いです。そのような姿勢では、いつまでたっても歴史学における扱いはトンデモのままですよ。もちろん、大学や研究所にいる専門家でなければ歴史の話をしてはいけないということではないです。「昭和史論争」を引き起こしたのは歴史研究者ではありませんでした。しかし、自己の見解を教科書にのるような通説となさりたいのであれば、専門家と同じ舞台に立ち、その批判に応答しなければならないでしょう。「つくる会」はその舞台に立つ気はないと宣言した結果どうなっているでしょうか。今なら学術雑誌に投稿しなくても、インターネット上でいくらでも長文の論文を発表できますよね。
一般に、歴史研究者は、四年生大学で専門的なトレーニングを受け、さらに修士課程二年間、博士課程三年間以上を費やして史料を読み込み論文を紡ぎだしています。それでも、個々の論文の結論で言えることはささやかなことです。また、研究会・学会・書評などの形でお互いに切磋琢磨しています。それぞれが広範な史料に目を通しているからこそ、個々の研究がその時代の歴史像のどこに位置づけられ、どの部分がその時代の特徴をよくとらえられているかを議論できるのです。自分の個別研究が歴史研究の大きな流れのどこに位置づけられるのかをとらえるため、歴史を学ぶ標準的な手順としては、まずは先達がエッセンスを詰め込んだ教科書、概説書を読み、そこから主要な研究文献やレビュー論文、目録等を漁って研究史をたどり、そこで用いられている史料を読み、先人の研究の妥当性を検討したり自己の問題関心を追求していくのです。木簡のように新しい史料が見つかったり、機密文書が公開されたりして史料が増えれば、それがどのように従来の見解に修正を迫り、新たな知見を付け加えるのか議論します。そのような積み重ねのなか、通史は更新され、教科書の記述も変わっていきますが、このことをもって歴史は定まりないものだから最新の研究成果も独自研究も変わりないということは的外れでしょう。それはかえって科学としての歴史学が機能している証拠にほかなりません。
さて、歴史学者全体がイデオロギー的に偏向している、現行の教科書は自虐史観・マルクス主義史観に基づいているという「つくる会」の主張もありますね(それでいて『国民の歴史』のように、専門家の研究から剽窃したりするの会員もいるのは厚顔無恥ですね。参照、尾藤正英『日本文化の歴史』岩波新書、2000年、あとがき)しかし、戦後長く標準的な高校教科書として採用されてきた山川出版社の『詳説世界史』の執筆者には林健太郎(故人への敬称は略します)が含まれていました。日本史にしても伊藤隆氏が編者であった『近代II』を含む、『日本歴史大系』山川出版社、1984-90年、が、受験前に初めて読む通史だった私などには、学会の主流がマルクス主義史観など妄言にしか聞こえません。岩波だから駄目などという意見も見ることがありますが、最新の『岩波講座世界歴史』岩波書店、1997-2000年、では、古代・中世・近世・近代という時代区分はもはや採用されていません。そもそも研究の場では、評価は自分の目で確かめてから下すもので、事前に確定できるものではないのです。
「いずれも〔引用者注:本文でふれられている臼井勝美氏、酒井哲哉氏の研究のこと〕,侵略の時間的連続性〔引用者注:満洲事変から日中戦争へ〕を,陸軍の遠心性,すなわち現地機関の好戦性や暴走に帰さない画期的な研究であった」(加藤陽子「書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、67ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。
「日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する」なんて本質論は、学界ではなされていませんよ。人事面でも、システム設計・運用面でも、上部の問題は大きかったですよね。私みたいなものにも自衛隊に信頼できる友人はいますので、余計に上が軍の失敗を反省するそぶりもみせないのは問題と感じるわけです。
最後に、余計なお節介でしょうが、歴史学入門、史学史についていくつか参考文献をあげておきます。ご興味のある向きは手にとられてみてはいかがでしょうか。
小田中直樹『歴史学ってなんだ?』PHP新書、2004年。(CiNiiの定額許諾を契約している大学関係者は、下敷きとなった論文をDLできるかもしれません。私は今DLできる状況にないので保障はしません)
小田中直樹「言語論的転回と歴史学」『史学雑誌』109(9)、2000年。
http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0002622266
歴史科学協議会編『卒業論文を書く―テーマ設定と史料の扱い方』山川出版社、1997年。
今まで述べてきたような研究の積み重ねに対し、自説の根拠もまともに示さずに自分の意見を広めたいと主張する行為がどういうものか、一度お考えになっていただけたら幸いです。
また見苦しい長文になってしまいました。最後まで読んでくださった方に感謝します。
(追記)さすがに人名の誤記は看過できないのでミスを修正しました。
(再追記)引用文の出典が抜けていたのも直しました。すみません。
(再々追記)直ちに答えられるトラバをいただいたので応答します。ホロコーストの研究の進展について次の文献を参照してください。
芝健介「ホロコーストとニュルンベルク裁判」『史論(東京女子大学)』55、2002年。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008575897
マイクロソフト(MS)の新作ゲームに李舜臣(イ・スンシン)将軍と亀甲船が登場する。MSは30日、戦略シミュレーションゲーム「エイジオブエンパイアー2」のハングル版拡張パック「征服の時代」を来月5日、一般に発表すると明らかにした。
このゲームは、ゲーマーが直接世界史の中の戦争の英雄となり、有名な戦闘の陣頭指揮をとるという内容。今回の拡張パックには壬辰倭乱当時の露梁津(ノリャンジン)の海戦が登場、ゲーマーが李舜臣将軍となって亀甲船に乗り、日本征服に乗り出すというものが入っている。
「エイジオブエンパイアー」シリーズは全世界のゲーマーの間で人気を呼んでいるソフトで、昨年売り出された2編は販売開始後6ヵ月で250万枚も売れた。しかし、1編で朝鮮を日本の属国と表現、2編では日本・中国・モンゴルを背景に入れているのに朝鮮が入っておらず、韓国内のゲーマーの怒りを呼んだ。MSは今回の拡張パックでは韓国の他アステカ・マヤ・フン・スペインなど5つの文明を追加した。
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数のイスラムオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らないイスラムの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、イスラムのことを紹介するために見せるべき10冊を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にアニメを布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う4巻、6巻のシリーズは避けたい。
あと、いくらイスラム的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
映画好きが『カリガリ博士』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
イスラム知識はいわゆる「テレビまんが」的なものを除けば、高校倫理と世界史程度はかじっている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「井筒以前」を濃縮しきっていて、「井筒以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。厚さも文庫一冊だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
片倉もとこ『イスラームの日常世界』(岩波新書)、桜井啓子『日本のムスリム社会』(ちくま新書)
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな入門書(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「イスラムオタとしてはこの二つは“エッセンス”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のイスラム神秘主義オタが持ってる愛への憧憬と、ペルシア文芸のオタ的な悲劇へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも谷口悟朗な
「童貞的なださカッコよさ」を体現するマジュヌーン
の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「聖書学だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これが東洋学では古典になったこと、イスラム世界の伝統とは相容れず、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
佐藤次高・鈴木董・坂本勉編『新書イスラームの世界史』(講談社現代新書)
「やっぱり新書は一般のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは板垣雄三編『「対テロ戦争」とイスラム世界』(岩波新書)
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける著者たちの思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも三巻、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
全三巻の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが『新書アフリカ史』や『物語△の歴史』(中公新書)だったらきっちり全一巻にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて全三巻を作ってしまう、というあたり、どうしても「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ著者たちがそういうキャラでなかったとしても、親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層で神戸モスクや東京ジャーミーを見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
現段階でイスラム建築研究の制度的担保がなされていない日本において、関連する新書はこの作品以外にはほとんどないとも言えて(中公新書の『モスクが語るイスラム史』は絶版)、こういうクオリティの作品が日本でこの時代にようやく出てきたんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくイスラム好きとしては不思議に誇らしいし、報道や資料集でしかイスラム建築を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
マルジャン・サトラピ『刺繍―イラン女性が語る恋愛と結婚』(明石書店)
現地女性の「目」あるいは「語り」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。「座学の教義理解からはとらえられない地域の日常を毎日生きる」的な感覚がイスラム教徒には共通してあるのかなということを感じていて、だからこそ地域を知るための基本書は『もっと知りたい○』(弘文堂)、『暮らしがわかるアジア読本●』(河出書房新社)、『◎を知る■章』(明石書店)以外ではあり得なかったとも思う。
「日常を生きる」というイスラム教徒の感覚を知りたいという気持ちが今日さらに強まっているとするなら、その「理解」の源は現地の声をじっくり聴くことにあるんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう日本人イスラム教徒のイスラム理解をこういうかたちで書籍化して、それが非イスラム教徒に受け入れられるか気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
井筒から始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降のアニメ時代の先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
元増田です。
>この期に及んで富は増大し続けるといえる能天気さが心の底からうらやましい。
なるほど、そういう考え方もあったか。
こういう人は多分短期的な景気変動だけを見てモノを言ってるんだろうね。
確かに特定の時期、特定の地域で富が増大しない、あるいは徐々に減少するということは
あるだろうけど、世界全体で富の増大が止まった気配は全くないのだが。
もしそうだとしたら、世界史的な転換期にあるということだけど、
そういう意味で言ってるのかな?
まあ、この20年、日本じゃ富が実質的に増大していないので、普通に考えると
こういう人も出てくるかもねえ。
でも中国とか行ってみなよ。20年前と比較したら本当に豊かになってるから。
インドだってそうさ。
そうやって世界全体では富は増大しつづけてるよ。
・・・と考えてみると、過去20年で豊かにならなかった地域というのは、
1. 日本
くらいじゃないかという気がしてきた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E6%96%8E%E8%97%A4%E6%B0%8F
斎藤氏が沼津という土地に移り住んだことには、ローマが東へと貿易を求めてきたことにルーツがあるので、学術的にみても、天皇家側との婚姻関係もあり、沼津の商家が本家であるので掲載の必要があり、関連がないと間違われることのないようにお願い致します。とくに、大衆に知らせる必要性があり、「ビートルズ」や他アーティストとの関連性があるためです。 --斎藤ローマよしあ 2008年6月19日 (木) 01:59 (UTC)
えーと・・・斎藤ローマよしあさんに色々と聞きたい点があるのですが・・・。
- 「ローマから貿易と日本国の建設のために渡来した」とする論拠の史料は何ですか?
- 「斎藤」の姓を使用するのに何(あるいは誰)の許可が要るのでしょうか? 斎藤氏の始まりは、藤原利仁の子・叙用が斎宮頭に任じられたことがきっかけで、「斎宮頭の藤原」、すなわち「斎藤」になったとされているようですが([1]、[2])・・・。
- 斎藤家とスキピオ家を関連付ける論拠となる史料は何ですか?
- 「天皇家側との婚姻関係」とありますが、具体的に誰が、天皇家の誰と婚姻したのですか?
- 「ビートルズや他アーティスト」とどういう関連性があるのですか?
- Wikipediaの方針文書はお読みされたのでしょうか? 「大衆に知らせる必要性があり」とありますが、ウィキペディアは宣伝をする場所ではありませんし、信頼できる情報源により検証可能であることが求められますし、世間に未発表の「独自研究」を載せてはならないという方針がありますが・・・。
以上の点、お答え下さい。--松茸 2008年6月19日 (木) 04:44 (UTC)
第一の重要な発言の証拠としては、私は、沼津の本家の斎藤の娘です。 1.現在の史料文献は今だにございませんが、斎藤家は、イタリア語で「SAIO」「ITO」という言葉がありますように、イタリアが当時使用していた言葉が名前です。とくに、世界史のローマに関する史料をみていただければ、すぐに発見できます。現在、イタリアにもSAITOという言葉を名前に取り入れられている方々が数多くみられるようです。 これは、藤原氏の言語が「WA」という言葉にみられますように、イタリアでは、外来語である「W」が使用されているだけではなく、「FU」という日本語がラテン語にないことでも簡単に判別できます。それは、フランス語やドイツ語、ロシア語、中国語、韓国語、英語における人名などにおける解釈において、単純にラテン語で完全に構成されている違いからも明らかです。それは、日本語の「あいうえお」の母音式教育にみることができます。 2.なぜ、藤原氏が「斎宮」に任じられたのでしょうか?「宮」という言葉は、中国語で「宮殿」の意味で、藤原氏は中国系ではないはずなので、どちらかといえば、漢字教育を広めた天皇家、つまり藤原氏の敵軍にあたるわけで、藤原氏の「まつりごと」ではありえないはずです。 3.単純に当時のイタリアで権力や海外への影響力が大きかった家で、文化的に判断しても、他の家では考えられないということで判別できます。 4.婚姻に関する資料につきましては詳しくはわかりません。 5.答える必要はありません。 --斎藤ローマよしあ 2008年7月1日 (火) 05:34 (UTC)
その質問にお答えします。 斎藤家の人間ではないものが、文献にあるからと、偽った史料により出自を強制的に変更させることはできません。斎藤家の本家の娘が発言しているのに、それが、史料ではないと話すような人はこの世の中で生きていけるのでしょうか?マスコミの出版物などにおいても、斎藤家本人の発言は証拠であり、誰かのインタビューが文献になかったからといって、ウィキペディアでの「藤原氏」などと偽り、当の藤原氏に迷惑をかけるような行為は許されないものです。斎藤の姓を名乗ることに許可がいるかというのは、ラテン語であり、それは、斎宮が仕事の名前で、神宮の仕事の職の名前を姓にするという行為は歴史上考えられないためです。しかも、斎藤実盛は軍人ですし、軍人が輩出されているということは、歴史上、斎宮職の人間ではないと、常識的に判断できます。もし、その斎藤家の娘の言葉に理屈を述べたいという方がいらっしゃるなら、かなり、精神的におかしい状況になっているので、精神科医にみてもらってください。
何度も申しましたように、末裔でございます。事実、私の家には、曾おじい様は、沼津市三園町自治会館にもかざってある写真がありますように、貴族院時代には、市長のような仕事をしておりました。静岡県の斎藤家の項目にも載ってある資料がありますが、そちらの寺院等には少し訂正すべき点がありましたが、この祖祖父が何よりの証拠となるでしょう。ちなみに、沼津市で有名な人物に、水野家、桜井組などがあります。銀行関連や、音楽関連やテレビなどで目にしたりされたのではないかと思われます。かつての御用邸もそばにあります。おそらく、日本と一切関係ないお方が、勝手に記述を変えてしまっているというような印象ですね。この国の教育制度で、そのことが理解できないとなりますと、大変に問題ですね。 漢字の「斎」の文字の使用に関してですが、この文字は、中国の文献資料にもでておりますように、ローマ・システム関連の文字であることが何よりの証拠でしょう。 斎宮歴史博物館には、きちんと事前にメールして記述が間違っていると伝えてあります。根拠は、以前の記録を参照してください。東京大学にも連絡いたしました。イタリア大使館にはすでに連絡済です。出版を考えていましたが、学術雑誌などには、今後、検討いたします。そのもの出身の言葉による歴史は、学術員の研究より優れているものです。それは、どこの国でもおなじです。それにまだ、異論ああるというのは、インディアンや果てアフリカ人、アボリジニ、ローマ人の歴史を否定するようなものです。逆に、あなたは、どちらの何様なのでしょうか?警察にも連絡してありますよ。
http://anond.hatelabo.jp/20080730043540
何かに集中していないと、常にああ鬱だなあと感じてる。
増田の皆さん一喝してやってください。
なんだかんだで学校である程度一定の状態に保たれていたんだと思う。
もともと僕は精神的にすごく弱い人間で、何事もすぐに逃げたいという気持ちをもってしまう。
本当に逃げ出してしまうことはめったにないけれども。
勉強ってつまらない。くそつまらない。
一応全国でも有数の進学校に高校から入学して通っていて、最近は最低限は勉強しているわけだけれども、
入学してから2年間は可能な限り勉強を避けてきた。
入学時は割と上位だったであろう成績もいつの間にか下に数えるほどしかいない状態になった。
赤点まみれの成績表になった。職員会議に成績不振者として登場するラインのある意味ダブルスコアだった。
幸い今では平均レベルには戻ったようだけど。
知的好奇心は旺盛なほうだからか、図書館とかに勉強しに行くと集中力が途切れることなく数時間と続けて勉強できる。さすがに目は疲れちゃうけどさ。
それでもこう勉強しなきゃなーということを考えると勉強ってつまらないって思う。
小説を読む、音楽を聞いているほうが人間味があって数倍素敵だなと思う。
世界史や倫理を学ぶことだって、地理で民族紛争を学ぶことだって、ただの知識なんだもん。
「デカルトは今こうして考えている自分は確かに存在する、われ思う、ゆえにわれありといいました。それを合理論といいます。」
別に、ツルゲーネフの「父と子」に登場するなんとかヴィッチのようなニヒリズムではないと自分では思ってる。
というか車輪の下の主人公に近いんだろうか。今思った。思いつき。
教師一家に生まれたにも関わらず、上のいとこたち数人は高校中退だったりいわゆる学業が振るわなかった人たちばかりだったから、
親戚一同喜んでくれると思う。たとえここでぱたりと勉強をやめ、地元の公立大に入学したとしても。
でも中途半端なプライドが許さないからだらだらと勉強は続けて上に挙げた大学に進むんだと思う。
それで最低限のプライドは守られる。でも決して満足はしないのであろう。
学費をお母様お父様に払っていただいてもらいながらも、さぼりがちの大学生活を送るんだろうか。
なんて親不孝者なんだろう。
世間の評価は冷たいのかもしれないけど、やりたいことがあって専門学校に通う人が今の僕にはうらやましい。心のそこから。
僕だけじゃなく、こんな感情は誰もが通る道なんだろうか。中2病の類なんだろうか。
ただ僕のプライドが高すぎ、また自己顕示欲が強すぎるだけなんだろうか。
親しい友達にもこんな長々と話せない。わからない。周りが見えない。
勉強をしなきゃいけない、本を読みたい、教養を身につけたい、友達とずっと喋っていたい、女の子といちゃいちゃしたい、眠たい、寝られない、勉強したくない、いつこの気持ちから解放されるんだろうか、いっそまあまあ幸せな今のうちに死んでしまったほうがいいんじゃないだろうか、でも苦しいのは嫌だ、周りから認められたい、自己主張をしたい、もっとみんなに好かれていたい、もっとみんなに愛されたい、誰かにかまっていてもらいたい、明日なんて来なければいいのに、寝る時間がもったいない、寝なきゃいけない、部活を同じメンバーでまたやりたい、この高校生っていうモラトリアム期間ももうすぐ終わる、そのうち歯医者で看護婦さんから大丈夫?が大丈夫ですか?に変わる。
様々な気持ちをもった自分がいる。すべて鬱という言葉に収束している僕が。
長くなってしまいました。昼過ぎに起きたら消します。。
通常しなくてもいい消すよ宣言をわざわざしてらっしゃる辺りから文意を汲んでコピーとっときます。起きたら読むかも。読まないかも。
儒林外史の内容は山川の世界史用語集には
「儒林外史」じゅりんがいし(11) 清朝の長編小説。全55回。呉敬梓著。18C中頃に完成。科挙を風刺し官吏の腐敗ぶりをあばく。
とあるけど、悲憤慷慨で弾劾する調子は薄い。むしろ読後感は風雅な感じがする。
話の展開はオムニバスぽくて登場人物がころころ変わるので、全体を貫く明快なストーリーはなし。だれそれが科挙に受かったり、官吏に賄賂送ったり、遺産相続で争ったり、オカマ役者を集めて宴会やったり、などなど。清朝の江南の雰囲気がよくわかる。
儒林外史を読み終わった。他の人の読後感を知りたくなって、ネットを検索してみたら、どうもほとんど読んでる人がいないらしい。サイトは作りかけのが1つだけ、wikipediaに項目がない、2chのスレもなし、はてなキーワードもなし。
知名度は「三国志」「水滸伝」「西遊記」「紅楼夢」には及ばないにしても、タイトルは高校の世界史でも出てくるし、そこそこメジャーだと思ってたのにがっかり。
流行らない理由は、特に目立ったストーリーや人物がない、科挙や官僚制度がわかりにくいあたりか。
訳本が手に入れにくいのもあるかも(文庫で出てないので、平凡社の中国古典文学大系(昭和43年)で読んだ)
読んでみるとそこそこ面白いので暇のある人は一読してみてください。
横だけど
上のリンクの人みたいな「元々頭がいい」タイプの人って超羨ましい。羨ましすぎて死にたくなる。本当に。
はー俺ももうちょっと地頭良ければもうちょっとマシな人生だったのになぁああああああああああああああああああ。
俺の場合記憶力が壊滅的に悪いから思考にも何にも全てに影響が出て全体のスペックが終わってる。
はー死にてえ。事故って脳の運動系の機能が一部低下する代わりに記憶関連がパワーアップしたりするなら事故ってもいいかもとすら思う。
はいすいません愚痴でした。
自分の頭の良さをimplicitにひけらかす系のレスはつけていただかなくて結構です。
ああ、エントリしようと思った理由その2を忘れてた(記憶力悪いんで)。
まぁ考えた方がいいと思いますよ。俺はその手のレースからは降りましたけど!(現在26歳)
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20080527/1211918547
自分が大学選ぶ時基準が
「じいちゃんが死にそうだから電車一本で帰れるところ」
だったし(結局間に合わなかったけど)
理系選んだのも
と思ってたし。(最近でも「その歴」の漫画版読んでるとか時間ない時でもそれなりに)
人に分けて(つまり教えて)も減らないから。」って発想から抜けてない。
http://workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-1118.html
こんな記事でさえ自分は「へー」と感心して面白がってるんだもんなぁ。
http://anond.hatelabo.jp/20080425143831
いんぼう【陰謀】ひそかに計画する、よくないくわだて。
(以上、大辞林)
陰謀論(いんぼうろん、conspiracy theory)または陰謀説(いんぼうせつ)とは、
1. 歴史上の出来事は、ある個人・団体の陰謀、策謀に基づき生じた
2. ある個人・団体の活動に、目的や内容が隠蔽されている活動がある
とする考え、もしくは考え方である。陰謀論に基づいて世界史を解釈することを、陰謀史観と呼ぶ。
(以上、Wikipedia)
陰謀があることを否定はしない。でも、「政府の公式発表はみんなウソで、実は奴等が企てたんだ」と考えてるのは単なる馬鹿だろ。