はてなキーワード: プラス思考とは
いつぞやの出勤日、ベルが鳴ってもなかなか帰ろうとしない上司は、どういう思いでなのかは計り知れないがサービス残業を自ら行うタイプの人間だった。憶測するに、仕事の遅さその更に上の上司に怒られるのが嫌でがんばっていたのか?それとも家に帰るより会社に居た方が良かったのか?はたまた評価を気にしてなのか?不明は不明だが、その上司の部下である私は、自分が先に帰る事をためらった。
なぜなら「上司が終わらずにやってるのになんで帰るんだ」と嫌な感情と共に叱責されたという過去があるからだ。愚痴を挟むと「勝手に残業しないように」とか言われてはいるのだが、やはり無給奉仕とはいえ人間関係なので「何かお手伝いする事はありませんか?」と申し立てる人間である事を精神的に強要されていると感じている。
そこで、怒られるよりは無給奉仕をするという選択肢を選んだ自分は、よそよそしさを隠し切れてはいなかったと思うが上司の周囲をうろうろしながら仕事を頼んでも良さそうな雰囲気を醸す。ここで極端に正直者な自分はなかなか本意に反して「何か手伝う事はありませんか?」と聞けない事がくやしい。なぜなら本当はやりたくなさそうな態度でそんな事言うなよって思われるのが怖いからだ。なかなか表情や態度、声色まで本気でその労働契約上の約束以外に時間帯で「何か手伝う事がありませんか?」とその文面その言葉の本当の意味、本来の乗せるべき意思を乗せて発する事は自分にとってなにかこう難しい事なのである。
これができる人は本当に羨ましくも思うのである。
しかし、元来明るいプラス思考の自分にとってまたとない気分の悪い、居心地の悪い空間である。この不快感は体験としては絶好のチャンスでもあるのでとにかく色々な視点で考えられないか?また後で今の状況をなるべくありのままに思いだして再体験できるように勤めてみた。この同じ時間に日本中でサービス残業を悲しみながらしている皆の気持ちを創造しながら。
嫌な事があった時、その嫌だった体験を話す相手がいる人は幸せ者だ。逆にだれにも話す相手がいない人の悲しみとはどんなものだろう。忘れるしかないのかもしれないし、ただひたすら貯めているのかもしれない。
嬉しい事があった時、その嬉しかった体験を話す相手がいる人は幸せ者だ。逆にだれにも話す相手がいない人の嬉しさとはどんなものだろう。
わかりたい。
だからこそ約束を信じられなくなった時の気持ちや、信じられなくなった人も気持ちはとても痛い。
他人の気持ちがもっと解れば自然とそして楽しく上司に使ってもらえるようになると思う。
なんだか奴隷根性の様だがいかんせん自分だって会社に依存しお互いに利用しあっている関係だ。
そして、人生に楽しみを求める以上。楽しさは約束がどうのこうのとは別次元に存在する物だから
あなただって頼まれた事だったとしても楽しければ必要以上にやってしまったりした経験の一度や二度はあるだろう
どんな事でも考え方次第で楽しくなると自負している以上。今日の経験もブログのネタ、思考のネタにしようと思った
瞬間
楽しい物になる。そして楽しんでやっていれば、命令した上司だって楽しい気持ちに少しは向くだろう
ただ、今日はサービス残業をやり始めてから、その“楽しい”という気持ちに視点を移動させるまでに
思っているだけでは、また同じ事を繰り返すとの懸念から、そこはさすが文化!
文化する事によってこの概念、この意思をここに残し、一つの感覚的構造として今のこの精神状態を
またそうなった時に思い起こしやすくできると思った。
さぁ次! また、イヤでイヤでたまらないサービス残業を暗黙の内に求められる機会がくるのを楽しみとしようと思いつつ
筆を置く
いつか、年がら年じゅうサービス残業なんですけどって人の視点も転換してみたいが、まずはここまででいいや
@awaikumo
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エライ人(この場合は能力が高い人という意味)と会うと最近よく言われる。
『一年後、会いたいね。』
『一年後が楽しみだ。』
『いやぁ面白そうだ。』
非常に光栄であると同時にやる気になります。期待してくださっている方が多ければ多いほど、そして偉大な方であればあるほど、僕はやる気が出てきます。
プレッシャーってのはそんなにありません。僕は自分が楽しみです。どこまでやれるのか楽しくて仕方ありません。皆様から支えられここまでこれたのですから、自信をもって死ぬ気でやるだけです。
一生懸命勉強し、研究し、睡眠時間3時間で土日の休みもなく、ひと月に2回ほど半日休む。移動時間中の作業も含め、ひと月320時間は働きたいと考えている。320というのは基準だ。今思いついた基準であり、増えることはあっても、減ることはないだろう。別に厳密に記録しようとは思わない。そんなことは無意味だからだ。この320をべースとして、これからあとどのくらい上乗せできるのかどうか…。それが本当のチカラになるって考えてがんばっていきたい。寝てるか仕事してるかになると、375って数字も見えてくる。さすがに、10日に一度くらいは、6時間程度ゆったりしようと考えている。趣味の読書を。
これを一年間やる。もちろん、3日とか一週間旅行にいくこともあるとは思う。年に2~3回ほどは。観光というよりも世界観を広げることが好きだからだ。一年目はないと思うが…。
ってな感じで考えたことを、3~5年はやる予定。与えられたこと、場所で結果を出すことに専念する。だからこそルーティン主体の会社にはいきたくない。だからといって、何のチカラもないのにグダグダ言うのは僕の美徳に反する。
量をこなさないですぐ質を目指すから何も行動できなくなる。現状の正しい認識ができていないからそうなる。
22歳の時点で僕よりもすごい立派な人・尊敬できる人なんていくらでもいる。世界を見ればマジでたくさんいる。だから僕なんてちっぽけな存在。僕はそう思っている。
だけど
『立派な人間になり、僕にしかできないことで社会に価値を与えたい。』
【じゃあどうするのか…?】
って考えてる。僕は周りにいる人から刺激を受ける。
『どうやったら追いつけるのか?』
『どうやったらあの境地までたどり着けるのか…?』
『どうやったら、ああなれるのか?』
まあおんなじことの繰り返しなんだけど(笑)
いっつも反芻しながら思考している。僕の思考の大半と言ってもいいだろう。もちろん猿まねをするのは簡単だ。半盲目的になり、そっくりそのままキャリアややってることを模倣する。それはそれでおそらく至極困難なことであるとはいえ、ある程度目標設定、ゴールが見えているが故、やりやすい。ゴールの設定が一番難しいのだ。
別に僕はこれを否定しない。だって僕もそうやってきたからだ。全くのゼロからの啓発の際、模倣という行為が最善かつ最速のプロセスとなりうると思う。
しかし、
『成長は時に環境を追い越す』
ということを頭の片隅にでも入れておくことをお勧めします。これがあると、無駄な葛藤が多少は減るのかなあと思う。
臨機応変に変化に対応するチカラ。
頭のいい人は、プラス思考・ポジティブシンキングってよく言う。言い方をちょっと変えると、『切り替えのできる人』だと思う。逃げではなく、本当の意味でこれらのことをできる人間はそう多くない。自らの信念をもってこそできる行為である。
お前には無理だよ、と言う人のことを聞いてはいけない。
もし自分で何かを成し遂げれなかったら、 他人のせいにせず自分のせいにしなさい。
多くの人が僕にもお前には無理だよと言った。
彼らは君に成功して欲しくないんだ。
なぜならば、彼らは成功できなかったから。
途中で諦めてしまったから、 だから君にもその夢を諦めて欲しいんだ。
不幸な人は不幸な人を友達にしたいんだ。
決して諦めてはいけない。
自分の周りを、エネルギーであふれ、しっかりした考えを持っている人で固めなさい。
近くに誰か憧れる人がいたら、その人にアドバイスを求めなさい。
君の人生を考える事ができるのは君だけだ。
君の夢がなんであれ、それに向かって行くんだ。
君は幸せになる為に生まれてきたんだ。
机を叩くこともないですか?
俺の接したことのある尊敬できるような大人で、目下の人を注意する時に机をバンと叩く人は結構いましたよ。
もしかしたら、周りの人のせいで、怒ったらすぐ殴っていいと学習してしまったのかもしれませんね。
暗い話になってすみませんが、10代20代前半の頃(高校・大学時代)は親や視力を失ったり様々な病気を持っているなど、けっこう激しかったです。
鬱病は大学時代に瞑想・呼吸法・健康管理により乗り越えました。大学当時は生きていくのが辛く休学を重ねたりもしていましたが、
今は普通に周りと打ち解けたり楽しく仕事したりしてますし人並みにはモテます。
弱視や内臓の病気は残ってますが、自分では大して気にしていないつもりです。
それでも、精神の脆さは依然として残っているようで、だいたい一ヶ月に二回くらいは家具を殴りたくなるレベルの怒りが発生します。
大きな悲しみや落ち込みや不安はここ数年全くなく、周りからはプラス思考だと言われています。
(ストレスが悲しみや落ち込みや不安に現れない代わりに怒りに現れるのは、意欲や自信があるからだと思います)
仕事や趣味については何でも意欲的に楽しく取り組んでいて、よくそんなに頑張れるねと言われますが、
つらさや焦りはなくて、むしろ夢中に取り組むことで心が落ちつくのを感じます。
だから、生活が過酷でストレスが激しいということは自分の場合ありません。
自分で言うのもおこがましいですが、俺は他人を傷つけたり攻撃する言い方はあまりしないほうで、
一応周りからは温厚な人と思われています。しかし、実際にはイライラしやすいです。
(夢中に何かに取り組んでる時は一切イライラしないですが、帰宅中・帰宅後・休日などは気がゆるんでいるのかイライラしやすいです)
自分では苦しみを乗り越えて「普通の人」になることに成功したと思っていましたが、
物を殴るのが普通じゃないと言われて、ひょっとすると完治してないのかなと思いました。
http://anond.hatelabo.jp/20090115214927
そりゃ、元増田の友人が、元増田に対して主観的に魅力を感じなくて、
尚且つそんな元増田を友人や知人に「紹介」したくない、という
とはいえ
正直、まったく魅力を感じないので、どこが悪いとか、個別の欠点を指摘する段階にない。総合的な問題だ。
これは外面だけのことじゃない。オーラだ
には吹いた。
なんで元増田は「はっきり言ってもらえた」って判断したんだろう。
元増田は、そこには食いつかなかったんだろうか。
まあ、それ以上面と向かって魅力がない事を具体的に言われても
精神衛生上よろしくないかなとは思うけど。
プラス思考で考えるなら、訳のわからない言葉でしか説明できない程度しか
マイナス思考で考えるなら、欠点らしい欠点がないにも関わらず、
絶対に紹介したくない、って思わせる「何か得体の知れないモノ」があるって事だ。
「失敗したって死にゃしねえよ、成功したら儲けもん」くらいの軽いノリで取り掛かるプラス思考の人もいるね。
それがマイナス思考だね。
プラス思考者は、失敗した後の事なんて考えないんだよ。失敗するまでは。
失敗した後考えればいいと思うんだよ。
で実際失敗したら「出来ると思ったのにダメだった」とか「どうしよう。本当に失敗した」とかグジグジ考えずすぐに切り替えて「失敗した、さて次はどうするか」って考える。
マイナス思考(この場合は陰口を言う)の人のほうが、
総じて平均値に比して幸せ度合いがマイナスの人生を送りがちで、
プラス思考(この場合は陰口を言わない)の人のほうが、
総じて平均値に比して幸せ度合いがプラスの人生を送りがちである、
という推論には、直接的な実証的裏づけはないが、
多くの人の経験的実感によって担保されているような正当性はあると思うんだ。
(思考が言語によって構成され訓練されうるとすれば、陰口を言うことを肯定的に捕らえれば捕らえるほど、
思考様態が陰口を言うこと=マイナス点を見つけることに最適化されていくというのは想像に難くないだろう)
(そうなることの悪影響をさして「悪口は自分に帰ってくる」という言葉で、
「子供にもわかりやすい禁忌」を成立させているのは、社会的歴史的な先人の知恵だ)
で、元増田はなんでこれを「根拠がない」っていいたがってんの? それが知りたい。
http://anond.hatelabo.jp/20070824100902
むしろ元増田が友人に箔つけるための嘘ついてくれているほうがうれしい。
医学系ならK大学、工学ならK大学やK大Y大D大などに負けがちな最近の灯台。
がんばってはいるが予算と行革による教員の質の低下(能のある人なら逃げたくもなる)、
彼にとって見たくなかったものを今たくさん見せられているのではないかと心配。
行革によるバッシングの嵐のなかでプラス思考でいられたら確かに本物だけど・・・
勇気とかプラス思考をもらうだけじゃなくて、
その友人の立場や気持ちもたまには思いやって欲しいというのはわがままだろうか?
就活中の身なんですが、自分なりに色々と勉強したり、たくさんの企業を受ける中で出た結論。
それは、結局、自分の価値観が、受けた会社(採用担当)と合うかどうかなんだろうなって。
同じこと言っても、「凄いね」「なるほどね」と好印象な感じな会社もあれば、怪訝な顔をするような会社もある。
まあ、反応が悪かった会社に受け入れられたからといっても、入ってからがキツイだろうしな。
価値観があった会社(反応が良かった会社)に入ったほうが入ってからも、仕事がやりやすいだろうし、
自分の考えを変えなきゃやっていけない会社なんて息苦しいだけだしね。
そう考えると、体育会系とか似たような価値観が多い環境が育った人は、得なのかもしれないな。
たくさん会社を受けていれば、同じように気が合う人が現れそうだし。
自分はオタクなんで、どうもなかなか。。オタクに理解のある会社(?)を選ぶようにしてるけど。
今更ながら、そんな結論だしても遅いだろって感じもするけど。