はてなキーワード: エロ視線とは
理路を求めて長文をしたためる人の文章に理路がない、というのは置いておいて。
今回のアツギの件に怒っている(主に)女性は、理路以前の、日々の生活における不便を助長する(痴漢に怯えたり、あからさまな視線を向けられたり)、現実の可能性に怒っているんだろうと思う。
エロイラストの表現の自由を守りたい反フェミ?勢や、理路がない…と首をかしげる人たちは、表現の自由という「理念(風の我儘)」を胸に発言をしているので、女どもには理路がない…と思うのかもしれないが、こちらは理路だけでなく、もっと切実な「現実」というイシューを思い批判の目を向けている。現実と理念(風の我儘)とのぶつかり合い。
「理路がない」と思う人にとってはタイツは非日常(オレサマのエロの自由!という理念)であり、少なくない女にとってはタイツは日常であり、日々エロ視線にうんざりさせられ、自衛や撃退などをさせられている現実がある。
今回、アツギは割と広く燃え広がり、まだ燃えていて、いわゆる普通の女一般が色んな理由でNoを言っている。だから理路がないように見えるのだろうが、それは理路がないのではなく、女が毎日直面させられている「現実の色んな迷惑」がある裏返しである。なので、当然、批判の方向性もバラバラでその「理路」に統一感がないように見える人には見え、マンスプレイニングよろしく「理路がない女の話なんか聞く必要はない!」と炎上に薪をくべている。
「女の立場」における理路は、これらのうんざりする性差別の現実のあとに構えている。
「何を今更、ずっと視姦し続けてきたのに」と、「女が現実に直面させられ続けている迷惑」の矮小化やセカンドレイプめいた女性性の軽視が見られたり、表現狂戦士が「女には理路がない」と差別を公言したり、そういう点が、ジェンダー的な、構造的な「理路の問題点」だと言える。
今回は現実の迷惑が火種になってるので火の広がりが広く、それに薪をくべる男性からの性差別という理路的(というか形而上的な)な言動への批判が構築されている。無能な味方が、山火事の真っ最中に、キャンプファイヤーのように性差別構造を良く燃える薪でくみ上げていっている、二段構えの炎上だろう。
はは、呑気だねー。