映画やアニメが好き、読書が好きって冷静に考えると趣味の説明として大雑把過ぎる。前々から思ってたけど。
実際おれも「映画が好き」という認識は普通に持ってるけど、じゃあどんな映画もあまねく好みかと言ったら別に全然そんな事はない。
あとそもそも答え方として変な気がする。それって媒体でしかない訳で。
ギターが好きは分かる。ギター演奏はギター演奏でしかなくて、それはまあ心地良い音を出す事のがほぼ唯一の目的だろうから。サッカーが好きもそう。サッカーはサッカーでしかない。サウナもスニーカー集めも座禅も同じ。
でも映画や本って違う。
フィクションでもドキュメンタリーでも解説でも何でもいいけど、とにかく何らかの題材がなければ何も始まらない訳で、メディアはその表現手段に過ぎない。目的ではない。
まあ題材なんて何でもよくて、そのメディアに接するのが好きというのもありえなくはないかもしれない。
内容は何でも良いから映画を垂れ流しソファでゴロゴロするのが好き、とか。ただそれはもう映画というよりリラックスするのが好きとでも言った方がより的確な気がする。
コレクションの対象として本が好き、みたいに情報を伝達するツールではなくモノとして見るなら、それはスニーカー集めみたくそれ自体に価値が発生するかもしれない。でも「本好き」と聞いて、常識的に考えてそういう楽しみ方を想定するだろうか。
積極的に内容を脳みそに入れる体験を伴う限りは、やっぱりメディアは常に手段としてあるんじゃないかなって思う。
上手い例えが思いつかないけど、箸を使うのが好きです、とかスプーンを使うのが好きですって言ってるようなもんじゃないか?映画や本が好きって言うのって。
普通は食べ歩きが好きです、こんな料理を食べるのが好きです、って言うと思う。
となればフィクション(じゃなくてもなんでもいいけど)が好き、という前置きをした上で、その表現手段とての映画が好きなんです、とでも言った方が的確なのではなかろうか。
どんなストーリーだって誰かの頭の中を漠然と漂っているだけではこの世に存在しないも同然で、それを言葉に起こして初めて脚本になる。言葉というメディアなくして世界には存在出来ない。
それを言葉のまま小説にしてみるか、あるいはアニメーションや実写映像に変換してみるか。メディアごとに特性というものがある。
あえて言葉でだけ伝えた方が読み手の想像力を掻き立てるかもしれない。
斬新な世界観に、まだ誰も見たことがないような映像をつければ衝撃を与えられるに違いない。
TVアニメなら短めのを何本も、映画なら数時間をまとめて一本ドンと、という利便性の違いなんかもある。
フィクションでなく社会現象の分析に関するアイデアだったのならわざわざ映像をつける必要もない。
メディアとそれを通じて得られるアイデアは互いに不可分で、その存在形式はしばしばアイデアの性質を反映する。
なら趣味をメディアの種類で語るのも、必ずしもナンセンスという事にはならないんだろうか。
でもやっぱ映画という媒体に先んじて具体的な中身の方が大事な気もする。好みも青春作品やヤクザ映画やSFアクションとかに偏ってるし。ミュージカル映画なんてまるで観る気がしない。
でもでもやっぱり好きなタイプの物語を映画というメディアでコンパクトに、目にも楽しく享受するのが好きって気持ちもある。アクションとか絵面の外連味を期待している時なんかは、内容にはさほどこだわりがない気もするし。もちろんマトリックスみたいに画も話も良ければ最高だけどね。
アニメなんかは更にメディアとしての特性に魅力を感じる。完璧に偽物の世界の中で、全てが等しく本物として存在するのはやっぱ美しいよね。そこに美しさを感じる。
映画のCGなんか、なるべくそれがそうであると気付かないようにあって欲しいと思ってしまうし。本物の人間が架空の人格を演じていたりするし。
あとシンプルに萌え萌えキャラクターは実写の人間の映像からは決して得られない感情を呼び起こしてくれる。
もちろん内容も気にはなるけど、アニメはアニメというだけで愛してしまう節があるかもしれない。
おれに限って言えば、特定の傾向の物語、及びそれに付随する必選の表現手段として映画ないしアニメの形態が好き。