https://anond.hatelabo.jp/20201214125205
を読みました。
ブコメの内容から察するに結構気持ち悪いことがかいてあったんじゃないかということは伺いしれます。
私はガキの頃のいじめられていた経験から冷静に振り返って「あぁ、よう考えたら俺にも悪い部分はあったなぁ」と高校生ぐらいのときに思ったので、そこからずっと「いじめられる側にも問題がある場合もある」と言っています。
もちろん、いじめられる側に問題が一切ない場合もあります。いじめる側のさじ加減で理不尽ないじめも実際は存在します。
まぁいわゆる中二病です。いじめの記事をみてはネットの海でつぶやくんですわ。「いじめられる側にも問題がある場合もある」。狂ってる?それ褒め言葉ね。
が、社会人ぐらいになって色々学んで「だからといっていじめ・リンチしてはいけない」のだと痛烈に思います。
多分、自分は馬鹿だから学ぶのが遅かった。いや、知るのが遅かったのです。
なぜいじめてはいけないのか。それは野蛮だからです。今の価値観にあっていないからです。
昔はどうだったかはしりません。自分が名も知らない国ではどうかもしりません。ただ現時点の日本という国では「いじめは野蛮で理性的ではない人間がするもの」という圧力だけは理解できます。
「若さゆえ」いじめをしてしまう人がいるのは多少は仕方がない話です。なぜかというと若いうちは強烈な不快感に対して対抗する手段をしらず、消化できなかったときに手を出してしまうことは教育が完全に平等ではない日本において難しいのです。
下手したら20代、30代、やばいところでは40代にもなってそれをわかってない大人もいます。そんなのを10代以下のガキ全員に求めるのは酷というものです。
不快感の解消方法は実際はたくさんあります。少なくともはてなをしているような人間であれば「いじめ・リンチ以外にない」という答えを言う人はいないでしょう。「買いかぶり過ぎ」とか言わないでくださいよ?
ですが「こうするしかなかった」と思っちゃって「いじめ・リンチ」に発展する場合はあります。昨今のネットリンチ、多分一人ひとりはいじめやリンチに加担しているという自覚などまるでないのでしょう。あるのは自分が思った不快感を「ただ吐き出した」だけ。
そう、「不快感」の解消方法をいろいろ知る以外にいじめ・リンチを止めるすべはありません。
これをいうとだいたい手痛い反撃に会いました。なぜならこの意見は「野蛮で理性的ではない」からです。
自分がなぜこれをいっていたのか、多分自分を戒めたかったんだとおもいます。過去いじめられていた自分を突き放し、別の人間になりたいから30歳になったいまでもこれを胸に刻んでしまいます。
でもこれを言うことは多くの場合で「いじめ被害者叩き」と言われてしまうのです。ただ誤解を招かないようにお話をすると「大前提としていじめという手段をとってしまった奴が悪い。」のあとに続く文章です。
ま、これもいうと「どっちもどっち論」になっちゃうんですけどね。ただ事実、ネットリンチに加担してしまった人を不快にさせてしまったという原因をつくってしまってはいるのです。要は「インターネットには野蛮で理性的ではない人がたくさんいる」ことは常に考えなくてはいけないのです。
これの増田を書くのも迷いました。なぜならタイトルのことを例のブコメ欄に書くと「野蛮で理性的ではない人」の標的になる事があるからですね。ですからブコメに書きかけて、消しました。
でもどうしてももやもやしてこうやって増田に書いてます。まぁいうなら自分の不快感をここに書いて、さらなる戒めにしようとしているに過ぎないのです。
話を戻しますね。
やはり今のインターネット野蛮ユーザーにはこれが必要なんじゃないかと思うんです。「ネットリテラシー」だとか言われてましたけど、そんなインテリな言葉はインターネット野蛮ユーザーには伝わりませんから「不快感を感じたときにする行動をしろう」と直接言ったほうが良いと思います。
・正義が常に働いていると思わないほうがいいです。
まぁ、いろいろあります。自分の言い方だとこの3つだと思います。
・邪な自分を許す。
・スルーする。
・犬や猫の動画を見る。
の3つ”のみ”です。他にありません。この3つ”のみ”です。他色々試しましたがデメリットがあるものも多く、完全にデメリットがなく不快感を消費できる行動はこの3つ以外ないという結論に至りました。
・邪な自分を許す。
自分は悪い人間だと思ってそれを許します。簡単ですね。完璧な人間なんていませんからね。
他人が悪い事してたら「自分はしていないだろうか…」と思って振り返り、していたとしてもそれを許します。そうですね、だいたい6秒ぐらいは許しの言葉を自分にかけてあげてください。きっと不快感はなくなってるはずです。
「自分は悪い人間です。ですがそれを許します。許してくれてありがとうございます。」これを心のなかで唱えるとだいたい6秒ぐらいです。
自分の場合だといじめ問題が出たときに「結局虐められる側にも問題があると思ってしまう自分を許してください。許します。ありがとうございます。」といいます。これを唱えるようになってから書きかけても消せる偉い子になれました。ま、今はなれてないんですけどね。
多分自分のブコメをみると許せてないことも多いです。たぶん出来る人間は完璧な人間ですから、結局そんな人間はいないのです。
だけどしようと思うことが大切なのです。一切思わず邪である自分を認めることと、しようと思って邪な自分を許すことは違う結果を生み出します。
・スルーする。
まぁインターネットインテリユーザーの基本中の基本ですね。スルースキルという奴です。「へー」っていうだけです。実は高等スキルのようにおもえてめっちゃ簡単。他人は他人、自分は自分。あるのはただそれだけです。
昔「キモチップ」というのが燃えたことがありました。あのときも「へー」で終わりました。なぜなら自分には金輪際一切関係がない話だからです。関わるだけ無駄なのです。もっと自分の時間を大切にするためにスルースキルは身につけたほうが良いと思います。上記の6秒ですら惜しいときは「へー」でいいです、これなら0.3秒ぐらいじゃないですかね。
・犬や猫の動画を見る。
まぁ犬や猫が嫌いな人は自分が好きな動画でいいです。これはすごいですよ。上記2つとは質が全く異なります。人生に置いてのバグ技です。時間間隔なくなる。
じゃぁ「不快感を感じたら3分の犬の動画をみる」と自分に約束するとしましょうか。
すると、不快感を感じた瞬間、3分の犬の動画をみる未来が確定してしまうんですよ。
つまり「犬の動画を3分みない1日(0の状態)」が「犬の動画を3分見る1日(+3分の幸福がある状態)」となって実質その日が24時間3分あるようなもんです。めっちゃ得じゃありませんか?
それだけじゃないですよ。「不快感を示して15秒罵詈雑言を書く(-15秒のディスアドバンテージ)」を背負わなくて済むので、そういうのを背負ってしまった人間と比べるとなんとか3分15秒も得をしているということになりますよね。
今の所、上記2つがめんどくさいなって思った人に一番おすすめのプランとなっています。まるで現代のahamoですよこんなの。ahamoはもともと現代でした。
ということで、不快感を感じたらなにか物申すのは他人に任せておいて、幸福の3分を取得しに行きましょう。
ま、「自分が物申すことで未来の自分や人類が得するかもしれない」って可能性もありますけどね。でもまぁそれって人一人殺しておいてまでやることですかねぇ。
「問題」/「原因」と「責任」ってごっちゃにされやすいよな。性犯罪の議論とかでもよく見る
いじめ系の話ではわかる方だよ。 一側面を見て全部のカット面が悪だと断罪するのはとても幼い行為だ。 ただ、反社にドップリとか更生の余地がないとかそういうのは仕方ないと思う。...
いじめられるやつに原因はあるよ。理不尽だったり納得の理由だったりはするだけで 増田は理由があってもいじめてはいけないというが、たとえば性格が悪くて不快なやつと関わりたく...
「性格が悪くて不快なやつと関わりたくなくて避けてたら、無視というイジメだって糾弾してくる」側が犬の動画を3分見るように務めるべきです。 「あっちがわ」「こっちがわ」と対立...