はてなキーワード: 饅頭とは
そこまで考察できたらもう答えが出たも同じだと思う。
お饅頭のような顔をしたキャラクターが、ただ「ゆっくりしていってね!」と言っているだけだ。
これのどこに面白味を見出せばいいのだろう?
受けたのはキャラクタ、ゆっくり饅頭のあのキャラクタの造形がウザくも可愛くもありっていう微妙なラインだったのがウケたんだと思うよ。
フレーズは多分なんでもよかったんだろう。「働きたくないでゴザル」でも「ストリングプレイスパイダーベイビー」でもよかったんじゃないか?
それがたまたま「ゆっくり」だっただけで、別に台詞の意味とかシチュエーションとかそういうのでウケたんじゃないんじゃないでしょ。
今でこそ市民権を得ているが、当初は無関係のスレッドにまでAAが貼られるなど
工作の嵐だった。
あまり東方に興味のない私としては、その意味も面白さも全く分からなかった。
ある程度由来を調べてみても、結局何も面白くない。
お饅頭のような顔をしたキャラクターが、ただ「ゆっくりしていってね!」と言っているだけだ。
これのどこに面白味を見出せばいいのだろう?
「それ四暗刻だろ!」とツッコめる。
だが、「ゆっくりしていってね!」と言われても、どうリアクションしていいのか分からない。
「はぁ…、ゆっくりしていきます…」とぐらいしか感想が出ないのだ。
そのキャラクターがとてもゆっくりさせてくれないような、おぞましい外見の持ち主だったり、
与えられた状況がとてもゆっくり出来ないような状況だったのなら、
まだ「ゆっくりできるかよ!」とツッコめるのだろうが、どうもそういう訳でもない。
なんだか面白くなくても無理やり流行らせてしまったもの勝ちのような気がしてならない。
* 「スプーンねじきり」 - 本人曰く「スプーン曲げは難しいから。」
* 「ビールをジョッキで3杯一気飲みした後30回転しても目が回らない男」
* 「ペットボトルで空を飛ぶ」 - エアを詰めた業務用ペットボトル数本を背中に背負って噴射し、キリモミしながら空を飛ぶ[1]。
* 「エアバッグで空を飛ぶ」 - ハンドルの上に座り、エアバッグを膨らませて空を飛ぶ。「ハンドルでナニしちゃう男」として紹介された。
* 「0cm読書」
* 「手んぷら」
* 「ドライアイス食い」
* 「指ドリル・指ペンチ 」
* 「小指1本突きダンボール穴あけ」
* 「扇風機舌止め」
* 「三歳児の服を着る」
* 「爆裂ゴム手袋鼻息割り」 - 医療用ゴム手袋を頭から被り、鼻息で膨らませて割る。失敗する事も多い。
* 「高熱たこ焼き串いらず」 - たこ焼きを指でひっくり返す。
* 「高熱おしぼりヒラリハラリ」 - 次々と投げられる沸騰した湯に浸したおしぼりをかわし続ける。
* 「360°敵だらけ」 - 360°から放たれる枕を『マトリックス』の様に華麗にかわす。
* 「本気(マジ)キックネバーギブアップ」 - キックを受けても痛がらず、逆にキックを打つ人の方が疲れる(らしい)。
* 「熱々流しそうめんハシいらず 〜次の人ごめんなさい〜」
* 「ドキドキメジャー寸止メジャー」 - メジャーを巻く時に水が入った風船ぎりぎり目の前で止める。
* 「かんしゃく玉ホッピングヒョヒョイのヒョイ」 - かんしゃく玉を潰さずにスタートからゴールまで行く。
* 「鋼鉄レバーギブアップ」 - 空手経験者のレバーブローを我慢する。
* 「高卒電話帳破り」 - 電話帳を破る。本来は「高卒」でなく「高速」であったが、滑舌が悪い為に聞き間違えられた。
* 「ラベラーヌンチャク高速貼り」 - ラベラー(値札貼り)2つを紐で繋いだものをヌンチャクのように振り回しながら牛乳パックにバーコードを張っていく。
* 「高速わんこ飲み」
* 「高速目覚まし止め」
* 「高速ほえすた祭り」
* 「高速大工さん」 - すばやく釘を打ち、板の上を銀色にする。
* 「高速真っ黒」 - ホワイトボードを水性ペンで全てを真っ黒にする。
* 「高速チラシはさみ」
* 「高速踊る大交差点」 - 全方向から来るミニ四駆を欠かさず受け止める。
* 「トイレットペーパー高速巻取り(上級者編)」
* 「高速ねんど潰し」 - ねんどを1分以内で潰してシートをねんどだらけにする。
* 「スプーンねじきり」 - 本人曰く「スプーン曲げは難しいから。」
* 「ビールをジョッキで3杯一気飲みした後30回転しても目が回らない男」
* 「ペットボトルで空を飛ぶ」 - エアを詰めた業務用ペットボトル数本を背中に背負って噴射し、キリモミしながら空を飛ぶ[1]。
* 「エアバッグで空を飛ぶ」 - ハンドルの上に座り、エアバッグを膨らませて空を飛ぶ。「ハンドルでナニしちゃう男」として紹介された。
* 「0cm読書」
* 「手んぷら」
* 「ドライアイス食い」
* 「指ドリル・指ペンチ 」
* 「小指1本突きダンボール穴あけ」
* 「扇風機舌止め」
* 「三歳児の服を着る」
* 「爆裂ゴム手袋鼻息割り」 - 医療用ゴム手袋を頭から被り、鼻息で膨らませて割る。失敗する事も多い。
* 「高熱たこ焼き串いらず」 - たこ焼きを指でひっくり返す。
* 「高熱おしぼりヒラリハラリ」 - 次々と投げられる沸騰した湯に浸したおしぼりをかわし続ける。
* 「360°敵だらけ」 - 360°から放たれる枕を『マトリックス』の様に華麗にかわす。
* 「本気(マジ)キックネバーギブアップ」 - キックを受けても痛がらず、逆にキックを打つ人の方が疲れる(らしい)。
* 「熱々流しそうめんハシいらず 〜次の人ごめんなさい〜」
* 「ドキドキメジャー寸止メジャー」 - メジャーを巻く時に水が入った風船ぎりぎり目の前で止める。
* 「かんしゃく玉ホッピングヒョヒョイのヒョイ」 - かんしゃく玉を潰さずにスタートからゴールまで行く。
* 「鋼鉄レバーギブアップ」 - 空手経験者のレバーブローを我慢する。
* 「高卒電話帳破り」 - 電話帳を破る。本来は「高卒」でなく「高速」であったが、滑舌が悪い為に聞き間違えられた。
* 「ラベラーヌンチャク高速貼り」 - ラベラー(値札貼り)2つを紐で繋いだものをヌンチャクのように振り回しながら牛乳パックにバーコードを張っていく。
* 「高速わんこ飲み」
* 「高速目覚まし止め」
* 「高速ほえすた祭り」
* 「高速大工さん」 - すばやく釘を打ち、板の上を銀色にする。
* 「高速真っ黒」 - ホワイトボードを水性ペンで全てを真っ黒にする。
* 「高速チラシはさみ」
* 「高速踊る大交差点」 - 全方向から来るミニ四駆を欠かさず受け止める。
* 「トイレットペーパー高速巻取り(上級者編)」
* 「高速ねんど潰し」 - ねんどを1分以内で潰してシートをねんどだらけにする。
本書は評者からみると不思議な本である。実に面白い、同時に反米的な歴史記述とCIA陰謀論に挟まって中国重視論の独特の言い回し、つまり三つの部分が混載されている。ひょっとしてチョコレートでくるんだ毒入り饅頭かも。
題名だけをみると保守派の多くは反発を抱くだろう。しかし誤解を恐れずにアイ・キャッチを狙うあたりは著者ではなくて版元の商業主義的魂胆かも知れない。
冒頭から脱線で恐縮だが、この光文社ペーパーバックスのシリーズは、本書が135冊目。執筆陣は浜田和幸、松本道弘、藤井厳喜、野間健、徳本栄一郎の各氏らと何故か知り合いも多い。とくに浜田、藤井両氏は、このシリーズから数冊上梓されていて、執筆陣も左右混交である。
新世代が読むだろうと思う。というのも、横組みで英語がばんばん入るからだ。逆に小生のように日本語の書物は縦書きでないと親しめない世代にとって、最初はこのシリーズを読むのに骨が折れた。仄聞するところでは、横書きシリーズ、伸び悩みがあって間もなく終巻らしい。閑話休題。
さて近藤大介氏、期待の新作である。近藤氏は『週刊現代』前副編集長。元北京大学留学組。平壌にも小泉訪朝に随行、スクープが多い。日本が米国を捨てて中国と同盟し、韓国も仲間に入れようか、という提言は日本の外交現実を無視しているが、さすがに中国語と韓国語が流暢な著者だけに、情報には格段のおもしろみがある。しかし結語の三国同盟は納得しかねる。
サロン・マルキストという比喩は、革命をワインを飲みながらサロンで語る知識人。典型はサルトルなど。本書を通読した最初の印象はそれである。サロンにおける理想主義。日本共産党は歌を忘れたカナリア、飽きたらず暴力路線に走った反ニッキョウ系は、三派四派五派と分裂し、中核派はと革マル派は互いに殺し合った。
本書に何が欠けているか。暴力革命で政権を取った中国共産党は十三億人の無辜の民を壟断し、支配し、反革命勢力、すなわち民主主義者、独立運動家を「テロリスト」と名付け、逮捕し拷問し処刑する。敵は殲滅するのがかれらの掟である。
中華民族というスローガンは他民族を漢族へ「同化」することであり、これは五族協和の日本の理想とはほど遠く、孫文のそれは「漢族」が「満蒙回蔵」を強制同化し、支配することを意味する。
ウィグル絶滅のためにはロブノール近辺から楼蘭にかけて、46回の核実験。おそらく数十万人が被爆して死んだ。7・5ウルムチ暴動では平和なデモ隊に軍が出動して水平撃ち。おそらく二千から三千のウィグルの無辜の民が虐殺されただろう。
中国の本質は暴力支配、特権階級は富を独占し、その体制を可能な限り長く持続しえるそのためには外交も利用する。本書は、こうした事実をあえて論じない。だから不思議な本である。
では面白い部分はどこか?日本では親中派政治家はみんなCIAの謀略で失脚したそうである。田中角栄、カナマル某ほか。小沢がニシマツでやられかけたのもCIAだそうな。まだある。金正日がある日、北京から帰国のおりに列車爆破。流川とかいう駅だったが、あれを仕掛けたのもCIA。金正日のコックだった藤本某にはCIAから接触があり、毒殺依頼があった由。こうなると007の世界だ。盧泰愚、陳水扁の失脚は反米姿勢だったから?
真相にちかいことは、陳水扁は国民党の戦術=「野党を貶める生け贄」であり、台湾では司法は独立しておらず、もし陳水扁の汚職をいうのなら馬英九も宋楚楡も似たようなスキャンダルを抱えていながらなぜ司法の追求が突如止んだか。だから台湾における司法は中国共産党と同様に司法権の独立が曖昧で、国民党の顔色を窺う裁判官が多いからである。CIAとは関係がないのではないか。盧泰愚の「自殺」は身から出た錆、でなければ謀殺の可能性も否定出来ない。
というわけで田中の失脚はロッキード証言だが、日米の司法取引の差であって、米国の陰謀ではなかった(徳本栄一郎氏が田原総一郎の陰謀説を批判した。田中ブレーンだった小長氏自身が『そういう線で裁判やマスコミ対策を処理しようと提案したら田中総理は「おう」と言った』と証言している)。
本書を読んで考えさせられる箇所も多い。評者が本書を読みながら、どうしても孫崎享氏の書いた『日米同盟の正体』(講談社現代新書)を連想せずにはおられなかった。
外交官出身の孫崎享氏はイラク、イランでミサイルの雨の中、外交を展開してきた人で三月まで防衛大学で教鞭を執った。(そうそう、これもどうでも良いことだが、バグダッドの在イラク日本大使館で宮崎は、孫崎(当時は公使)と会ったことがある。88年だったと記憶する)。
その外交官がイラク戦争突入はアメリカ人の「旋風のような愛国心」の結果であり、リーカーンの南北戦争、真珠湾攻撃と似ているとする。反戦ムードを一気に好戦へもっていく謀略は政治に付きものであり、その点は近藤氏や孫崎氏の分析に同意するが、なぜか孫崎本には外交的結論がない、つまり日本の自立外交を模索してもいなければ対米追随が悪とも言っておらず、最後の最後はアメリカの核の傘は機能しないだろうと言いながら、日本の核武装は反対という。
つまり本書の著者と孫崎防衛大学前教授のスタンスは徹底して政治のリアリティ、外交の合理主義である。
外交は道徳が入ると機能せず、倫理を持ち込むと、外交の基本が成立しない。打算と国益の追求。しかし戦争の回避。軍事力の背景がない日本は、だからといって「ふつうの国」のように外交独自路線を採用することが不可能である。
相手が生まれてきてくれた大事な日を、なんで忘れられるのか、そのほうがわからない。別に恋人じゃなくても、大事な友人には「生まれて来てくれてありがとう」ってメール出してるけど。いや、関係ないね。こんな話は。
世の中には記念日を大切にする人と、そんなもんどーでもいいと思う人がいる。
例えばうちら夫婦の場合。
これが片方が大切にする人で片方がどーでもいいと思う人だと大変なのだろうが、両方揃ってどーでもいいと思っているので平和。
ある方のお葬式に行って参りました。
その方の好きな曲が流れて、どこか心温まる式でありました。
享年72歳でありました。
わたくしと全く同じ年に生まれ、全く同じに歳を取り、
そして来年からはわたくしばかりが歳を取るなんて、とても いじわる。
今年頂いた年賀状に、体調が悪く病院での療養を繰り返している旨が書かれておりまして、
わたくしは、あの方に出してしまった年賀状をずっと悔いておりました。
いつも猛々しく明瞭に笑っていたあの方がご病気なんて、わたくしには考えもつかずに、
あの方に当ててしまった思慮のない手紙など、誰かどうか破り捨てて届けずにいてほしいとまで願いました。
ただ、わたくしはもう、そんな浅はかな手紙のやり取りしかできないほどに、
あの方のことを、何も知らなくなっていたのです。
去年交わした年賀状では、山登りに励むあの方の近況が綴られていたから、
今年もそのように過ごされていると思い込んでおりました。
わたくしは、愛しておりました。
静かに、細く、長く、愛しておりましたよ。
あの方と出遭って50年以上も過ぎ、少し可笑しくなってしまうのですが、
本当にこんなに長くも、思い続けてしまいました。
あの方に、そんな戯言を告げたこともありました。
莫迦だと仰って、取り合っても頂けませんでした。
それでも、あの方の「莫迦だ」と笑う表情がいとおしく、わたくしは何度か莫迦となりました。
莫迦ゆえに、あの方が結婚をされたとき、わたくしは死のうかと思いました。
でも死んでしまったら、あの方がどのように生きていくのか知れなくなってしまうので、
わたくしは遠くで、生きていくことを決めました。
遠くでも、必死に聞き耳を欹てて、あの方の近況を動向を活躍を拾いながら、
何通かの手紙と、たまの電話を、数えるくらいですが、繰り返してまいりました。
近年のやりとりは、もっぱら年賀はがきのみとなっておりました。
それでもわたくしは、まだ数回はあの方の前に立てると信じておりました。
よもや、あの方のお葬式にゆく日など来るとは思いませんでした。
ただ、お互い齢72。
身近に死の気配は感じておりました。
わたくしは、わたくしの葬儀にあの方が来る日を待ち望んでおりました。
わたくしの葬儀で、わたくしのためにあの方が一粒でも泣いてくれたら、
わたくしの人生は十分であったと思えたでしょう。
そんな浅はかな夢をあの方の遺影を眺めながら、そっと謳いました。
式の終わりにはその遺影を抱いた奥様であろう方が、息子達に抱えられ泣きくずれておりました。
わたくしもその遺影を抱いてみたかった。
でもわたくしは、できるだけ真っ直ぐに式に参加いたしました。
棺桶のあの方のお顔をしっかりと覗き、手を合わさせて頂きました。
あの方のお式で、「泣く」などという行為をしてしまったら、
わたくしの愛は、今嘆きくれている親族やご友人の方々と同じになってしまうから、
わたくしは泣きませんでした。
思いつきもいたしませんでした。
ただ帰りの列車の中で、お饅頭の入った箱を抱きながら、わたくしは虚しくてなりませんでした。
あの方との年月が、あの方の死が、お饅頭になって手元に残ってしまった。
わたくしとあの方の50年以上の関係は、たった二つのお饅頭になってしまったのですから。
わたくしの人生は、一体なんだったというのでしょう。
列車からは丁度よい頃合いの桜が見えました。
あの方がもう見ない桜を見ながら、お饅頭の箱の蓋を開け、みっともなくも その一つを頬張りました。
こんな味しかしないあの方の死を、心より悼みながら。
こんな味しかしないわたくしの生を、心より痛みながら。
それでも不思議と笑みがこぼれてしまうのです。
あの方を失ったこの世界で、わたくしはようやく辻褄が合ってゆくのです。
やっと、やっと、世界中で一番愛している人が誰であるかを声に出せる日がきたのです。
わたくしは玄関で塩を巻くのも忘れて居間に飛び込みました。
そして長年連れ添ってきた背に言いました。
「心より愛しています、あなた」
あなたが無邪気にもう片方のお饅頭を頬張る姿を見つめながら、
私の人生も、あの方の人生も一体なんだったのでしょうと思いました。
数分後、食べきられてしまったお饅頭に、
そう、きっとお饅頭みたいなものなのだろうと納得いたしました。
一つは自分のために。
一つは誰かのために。
テレビや新聞などで、先日の首相宅への無届けでの訪問デモによる逮捕が世間に広く知られることなり、
首相自宅が渋谷駅から僅か10分程の立地にあることと、首相人気との相乗効果もあり、
家族連れからカップルまでが首相宅を見物する人気となっている。
土日には、渋谷駅から長い行列が出来るほどの人気で、路上では無届けと思われる首相饅頭の販売や、
時期選挙を睨んでの野党の街頭演説などが頻繁に行われており、軽視庁は一連の報道が首相人気に拍車を
かけているものと見て、動向を注視している。
首相自宅見物に向かう行列に並んでいる埼玉からの家族連れに話を聞くと
アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本
やるなら失速してる今のうち
まあ、どのくらいの数の水滸オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない水滸伝とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、水滸伝のことを紹介するために
見せるべき10人の好漢を選んでみたいのだけれど。
(要は「天導一〇八星 好漢ファイル」の正反対版だな。彼女に水滸伝を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、話題的に過大な不足を伴う地味好漢は避けたい。
できれば天罡星、せめていずれかのエピソードにきちんと絡む好漢にとどめたい。
あと、いくら席次的に天罡星といっても「なんでお前が?」を感じすぎるものは避けたい。
宋江が『穆弘』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
水滸伝知識はいわゆる「ぱちんこ梁山泊」的なものを除けば、横山光輝版程度は見ている
三国志度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「地煞星以前」を濃縮しきっていて、「地煞星以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。活躍も無駄にクールだし。
ただ、ここで男色トーク解禁にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この能力過多な好漢について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな好漢(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「水滸オタとしてはこの二人は“人間”としておかしいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種の中国ものオタが持ってる楊家将演義への憧憬と、北方謙三のオリジナル的な続編へのこだわり等々の周辺事項を
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもアクの強い
「饅頭の餡にちぢれ毛な女」を体現する孫二娘
の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを二竜山にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「関羽だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
キャラ的に被る朱仝の活躍がその後続いていないこと、これが宋江には大人気になったこと、
関羽の子孫だから梁山軍の五虎将筆頭になって、それが方臘戦後に評価されてもおかしくはなさそうなのに、
落馬して死亡っていうショボい最期しかつくられなかったこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり水滸伝は子供に読ませちゃいけないものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「武十回」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、浮気にかける潘巧雲の思いが好きだから。
腸を引きずり出して舌を削ってそのうえ手足バラバラ、っていう楊雄の仕打ちが、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「淫婦を捨てる」ということへの徹底ぶりがいかにも好漢的だなあと思えてしまうから。
浮気女話が三回目なのを俺自身はまたこのパターンかとは思わないし、もうやらないだろうとは思ったけれど、
一方でこれがまた盧俊義のエピソードできっちり浮気女話にしてしまった。
なのに、李応に頭下げて迷惑かけて祝家荘との戦いを作ってしまう、というあたり、どうしても
「晁蓋の形作ってきた梁山泊が捨てられないオタク」としては、たとえ楊雄がその後目立つキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。石秀・時遷の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
梁山泊で史進見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
林冲登場よりも前の段階で、好漢の哲学とか武芸十八般とかはこの人物で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの好漢が東平府でお縄にかかっていたんだよ、というのは、
別に史進自身がなんら梁山泊に貢献してなくとも、なんとなく史進好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆる「世界の燃え尽きる日」でしか史進を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
智多星の「策」すなわち「落とし穴」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらない宴を毎日生きる」的な梁山泊がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ中国中央電視台版『水滸伝』最終話は呉用の首吊り以外ではあり得なかったとも思う。
「終わらない宴はない」という無常の感覚が招安以降さらに強まっていたとするなら、その「オタクの気分」の
終着点は呉用の首吊りにあったんじゃないか、呉用は無用だなんてとても俺には言えないという、そんな感傷的な擁護はかけらも口にせずに、
単純に学究の失策を楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうお大尽風味の好漢を首領候補というかたちで入山さして、それが晁蓋時代からの好漢に受け入れられるか気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9人まではあっさり決まったんだけど10人目は宋江でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
燕青から始まって宋江で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、晁蓋亡き後の梁山泊の首領となった人物でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい好漢がいっぱいいるので、宋江はやめた。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10人目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。
「駄目だこの増田は。来年の今日がお前の一周忌」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
>CDの売り上げはどうだっていい
詳しくないから素でわからないのだけど、何でこれがだめなの?
どうだっていい。って宣言するのが駄目って事じゃないの?
気にしないなら淡々と作ってればいいのに
饅頭怖いメソッドみたいでかっこ悪い気がする。個人的には
よし、じゃぁ饅頭いっぱい持ってきてお前を苦しめてやる。
時代とともに変わる言語感覚、俺は結構好きなんだけど。その時代どういうのがセンスいいとされているかを反映してる気がして。若い奴が創作する略語とか言葉も好きだ。ああいう創作する感覚、結構俺は凄いと思うんだよな。言語の事となるとやたら人って20代から保守的になるけど。変わり行くのもまた言語の醍醐味かなと思う。特に日本語は、和スイーツとか日本語と英語くっつけたものまで柔軟に受け止めちゃうとこが凄いわけで、寧ろ和スイーツなんていう言い方は面白くて俺は好き。和菓子でもいいじゃんって言うけど、逆に言えば別に和スイーツでもいいじゃん?なんでそんな昔の言葉に拘るんだろうと俺なんか逆に思っちゃうけど……
それに和菓子と和スイーツって多分(そういうこと詳しくないから自信はないが)違うんじゃね、微妙に
和スイーツってのは多分そういうガチな和菓子じゃなくて、和の素材を使った洋菓子とか洋菓子的な和菓子とか、あるいは饅頭でもデザイン・造形がイマドキだったりとかそういう感じじゃないの?
そういう微妙な言葉の感覚が俺は好き。結局新しい言葉が生まれるってことは、それなりに新しい意味もついてくるってわけで。ていうかだから生まれるわけで。完全に以前の言葉と置き換わってるだけ、なんて寧ろ珍しいと思う。ズボンっていうと昔のダサいジーンズみたいなの想像するけどパンツとかいうと今はやってるようなオシャレな奴想像したりするじゃん。
ああそうか、だからきっと、「和菓子でいいじゃん」って人にとっては、その必要性がないわけなんだ。「和っぽい菓子は全部和菓子でいいじゃん」と思うわけだ。でも、例えば菓子が大好きな人は、ガチな和菓子と最近のオシャレなそれとの違いを微妙に見分けて、それを語り合う上でそれらを区別する必要が出てくるわけだ。