はてなキーワード: 80年代とは
http://mikemaneki.blog.shinobi.jp/Entry/277/
しかし、それにしても昔「苺ましまろ」がアニメ化する際に伸ねえが女子高生から女子大生になった経緯を鑑みると、
なんというか緩くなったなぁとは思いますね。
今でも「タバコを吸う女子高生」が登場する原作がアニメ化される機会があれば何らかの処置は取られると思うよ。
やがて、「スレイヤーズ」「スクラップド・プリンセス」等により、ハイファンタジーは読みやすく世界観がちゃらんぽらんなファンタジーになりました。
スレイヤーズは90年、スクラップド・プリンセスは99年。この人の言うような流れがあったとして、後者の頃には既に拡散しきってました。
そこにはゴクドーくんやフォーチュンを代入すればいいと思う。
ライトノベルがまだジュブナイルだったころ、つまり80年代前半に流行していたのは氷室冴子、久美沙織などの青春小説に近いものでしたし。
いい歳したおっさんが2ちゃんで若者をゆとりゆとりと馬鹿にしていたりするけど、
そもそもゆとり教育が導入された時成人だった人たちは、有権者として何の責任も感じてないのだろうか。
ゆとり教育導入当初、そのことに鋭い関心を向けて自己主張していたのは、わずかな人たちだった。
それから、ゆとり教育には本当にゆとりがあったのかというのは考える価値があることだと思う。
土曜日が休みになって、7時間目、8時間目までやるなんて学校が日本中に現れて、
でも、日本がゆとり教育について検討していたころには、すでにアメリカは考えを変えていた。
説明は省くけど、ゆとり教育を導入したらどうなるか、おおよそのことは予期できたんじゃないだろうか。
大人が子どもの権利を侵害したうえに、子どもたちが愚か者であるかのように言うのは何なんだろう。
分からんことが多すぎる。
普通に考えればわかるでしょ。
みんな根本的な部分ではに期待してるんだよ。
岩田「我々の戦うべき相手は、ライバル会社さんではなくユーザーの皆さんの"無関心"です。」
本当にヤバいのは誰も何も言わなくなったその時かと。
PS. case:0良かったですよ。
まぁ、日本では一番カプコンさんのユーザーが居るだろうPS系ハードがモンハン以外何か扱いが
悪いって感じるので文句も出るんでしょう。
あります、マルチにするなら差はなくしたほうがいいと思います、出来とかもそうですがタイトル数や独占ソフトなんかでも、
んで。
そんなに危機感があるなら新規タイトルで作ってください。
「国産」人気シリーズでファンを釣っておきながら海外海外言ったところで誰も受け入れません。
もちろん変化や進化や転換というのは必要でしょうが、度が過ぎてまったく別物になっていては意味がないのでは?
16. 下→R→上→L→Y→B→X→A 2010年09月19日 20:50
ネットの意見なんてあんま参考にしなくていいよ。だいたい少数の人らが息巻いてんだから。あんたが思ってることやりゃいいさ。
35. カプコンのよくないのは 2010年09月19日 21:06
カプコンが一番失敗してるのは客に悪い意味で迎合している所
根本的なところで迎合的だからよくない
でも迎合的だから魅力もないんだよ
FF13の野村やMGSの小島を見てみようよ
あいつら全然自分の好みしか見えてないんだぜ?でも成功してる
要はあいつ等の好みが客と一致してるだけなんだけど、そこが大切
稲船さんの言いたいことはなんとなくわかります。まぁうまく伝わらないでしょうが。
ただ、世界で勝負するというならもうすでに普及台数でも迫っているPS3をあからさまに軽視しないでほしいです。実際日本ではPS3のが圧倒的に多いですし、日本も大事な市場の一つではないのですか。
世界も大事ですが、まずは日本を大事にしてください。日本を第一にして世界で成功されてる方もいます。
あと自身もこうしてブログで発言したりしていらっしゃるように、現代においてネットの意見を隔離世界のようにくくってしまうのもどうかと思います。たしかに一部過激な声もありますが、ネットの声と世間の声が一致している部分も少なからずあるはずです、しかもゲームをする人ならほとんどネットしていますし。
38. ユーザーを馬鹿にしすぎ 2010年09月19日 21:06
xbox360だけ優遇する判断はおかしくありませんか?
世界では300万台しかもう差がないのに360だけ優遇しているあなたの判断は正しいとは思いません。
ちょっとおかしいですね
それこそ私はロックマンで育った世代なので
実績と、それに伴った腕があることは認めますが
だったらネットの評価で理不尽にネガティヴな部分なんて読み飛ばせばいいんじゃないかなと思います。
こんだけの長文は自信のなさの現われでは?
あとこれだけは言っておきたい。「屍病汚染」は間違いなくどん判金ドブです。
悲しいですが間違いなくどん判金ドブです。
せっかくトップまで行ったんですからクリエイター気分は止めたら良いと思います。
トップは客にある程度媚びるのが正しい姿です。
例え裏で何かを思っていたとしてもです。
頭を下げるのは無料なんですから。
トップはそれくらいプライドを我慢すべきです。
そして分かり難い表現は避けるべきです。
人に解ってもらえない言葉はトップには不要です。
また日本でも50万から100万程度は売れるものは売れます。
それを海外に持って行って評価されて初めて日本のゲーム業界が活性化されるんじゃないかと思います。
59. カプコンのゲーム好きです 2010年09月19日 21:16
PS3でモンスターハンター出してください。
もしも稲船さんが反対しているのなら、自分自身を説得してみてください。
あと、俺がクビになったあと潰れるのは勝手とか言わないでください。
悲しくなります。
カイガイ・カイガイ言って、日本やPS3を馬鹿にするっていうキャラ。
つーか、そういうの分かってて、煽りキャラをやってると思ってた。
ロックマンをメガマンに変更って、どんだけ日本を軽視してんだと思うわ。
思入れなら、日本人が一番でしょ。
日本は駄目駄目とか言っても説得力なさすぎ。
あの人は世界的に売れていますけど、絶対自分の手柄にはしませんよ、いつもスタッフとファンの皆さまのおかげだって言ってますよ。
ファンあっての作品だと常に言ってますよ。
あなたのような人にはだれもついていきませんよ実際
そこそこのゲームをマルチでいくら出そうと熱心なユーザーはついてきません。
認める人がいるとすればそれは独占新作で良いゲームをつくることかと。
ハードを買って、初めになにかソフトを買うときに「やっぱり○○ならこれでしょ」というタイトルを抱えてるのとそうじゃないのでは全く違います。
私はあなたに不満を持っていますが
デビルメイクライを名倉イにした稲船さん
クリエイターとしてのセンスに絶望的な差がありますね。稲舟さんに「どんな判断だ。」と言いたいですよ。
買う客が居ないのに360を優遇しても一般人は気にもしないしWiiPS3にあるものを買うだけなんですよ。はっきり言ってお金の無駄ですよ。
Xbox360大好きでPS3嫌いってのをありありと出すからでしょうに。
ですから仮にも社長なんだったらなぜ煽るような事を言うんですか?
もう少し精神的に大人になってください。
取引先の人はこのブログ見ませんか?
部下はこのブログ見ませんか?
ファンはこのブログ見ませんか?
沢山の人たちがガッカリします。
楽しみにしていたゲームを購入したのに
がっかりな出来だったら文句の1つや2つ言いたくなるもんです。
発売日前の情報でちょっと違うだろって思ったら何か言いたくなるもんです。
金返せと思ったタイトルもありますが払ったお金以上に楽しめたタイトルの方がカプコンでは多いですね
あの自主制作映画はちょっと無いと思います。デットラ2は本編が楽しみになりましたけどもw
社長ですからつらいこともあるでしょう。
でも、建前じゃなくて1ユーザーとしての本音を言わせてもらうと、思い入れのある1つのブランドタイトルをぶっ壊されれば、その後自分が知らない良タイトルを出そうが知ったことじゃないんですよ。
だから、私が言いたいことは「作品を大事にしてください」ということです。
シリーズモノなどで海外見習って変に海外志向にしたゲームが失敗してますがどうなんでしょう?
そうして路線変更して既存ファンに叩かれてそれがエスカレートしたのが現状でしょう
稲船さんが舵を取ってからは
PS3が軽視されっぱなしなのは
Wiiへの移籍、DLCやOVAを360だけに付ける、PS3オンリーのタイトルは未だに1本も出していない
(360やwiiオンリーは何本も
ありますよね?)
いやPS3が国内でさっぱり売れていないとか、
海外でもまるでダメならわかるんですが、国内では360よりはるかに売れてるし、カプコンの
普及台数の多いWiiよりはるかに
多い、欧州では360よりも売れてる・・・という状況でここまで
他所と差をつけられるのが
不愉快でなりません。
なんかソニーやPS3に怨みでもあるのか勘ぐりたくなるぐらいです。
156. ドンナハン・ダンダー 2010年09月19日 21:51
えーとPS3よりXBOX360を応援した方が日本のためになるよってことでしょうか。
その辺り、そろそろはっきりさせてもらいたいですね。
大きな市場である海外を目指すならXBOXは無視できないよというのはわかるけど、
カプコンの場合はちょっと不自然なくらい明らかにXBOXを優遇してますよね。
デッドライジング2のDLCの360独占配信などはどんな判断によって決定されたのですか?
まあどのような理屈があるにしろ、日本人が楽しめない状況を作ろうとしている人が支持されるわけもなく、中途半端な軋轢を生むだけでしょうね。
日本を馬鹿にする=日本人ユーザーを馬鹿にする、と同義ですよ?日本人として日本軽視を大々的にされたら良い気持ちはしないでしょう。
そんなに海外かぶれしたいなら海外に永住してください。日本にいながら、日本のメーカーにいながら、日本を馬鹿にするのはやめてください。
168. PS3ユーザー 2010年09月19日 21:53
記事を読んで尚更PS3を冷遇する意味が解らなくなりました。
PS3版MH3をユーザーに届けて下さいよ。
いつまでも首を長くしてお待ちしてますよ。
まあ絶対にそんな事はどん判金ドブでありえないでしょうけどw
あとMHP3は関わってるようなので買うのをやめます。
これからも頑張ってゲーム業界じゃなくて
それは料理が多過ぎる事に怒っているのではなく料理が不味い事に怒っている
だから料理の量を減らしただけでは原因を解決した事にはならない」
この意味が分かりますか?
ファンは名倉さんやタイ人が嫌いなわけじゃないんですよデビルメイクライのダンテに対してあんな事をしたから怒ったんですよ?
あれがスト2のムエタイチャンピオンの顔でも誰も怒りませんよ
どんな判断だ
って汎用性が高いんですよ
語感もいいですしね
177. 当たり前の事ですが 2010年09月19日 21:56
稲船さんは、もう完全に経営者側でしか語ってないんですね。
嫌なら辞めろ。俺に逆らうならクビにするだけ。って姿勢が大変よくわかる長文でした。
「MHP3イヤならやるな!」子供ですか?
これをMHP3作ってるスタッフたちが読んだら、どういう顔するんでしょうか。
「さすが稲船さん!」って言うのなら、素晴らしい人望だと思います。
「えっ!?」
って思う人たちがほとんどじゃないでしょうか。
正直、ネットに踊らされすぎじゃないですか?とも言いたいですが、ネットの反応に対し、こうやって直に感情をぶつけ返してくれるゲーム業界の方は少ないので、嬉しいという気持ちもあります。
監修と銘打ってバグだらけの移植ゲームを出したのに、完全無視の○田51とか、
嘘しか言わないス○ウェア・エニック○とか。
(まあカプコンゲーのXBOX360版優遇などに関してはさすがに無視するんでしょうが、それは大人の事情なんでしょうから、深くは突っ込みません)
ネットでの自分の風評とかより、作ったゲームの評判を気にしてください。
こういうもの書くなら「俺はこうこうこう思ってこうした」だけでよかったんですよね
220. wwwwwwwwwwwwww 2010年09月19日 22:09
面白けりゃ良いんだよ
お前らの下した判断何かに興味ねえ
221. ドンナハン・ダンダー 2010年09月19日 22:09
持ってもいないしハードの魅力もない360のゲームを買えとか、
無理なことを通そうとしても無理なんですよね。
もう日本人はPS3だけで充分なんです。市場として小さかった2008年頃までならPS3軽視もわからんでもないですが、
360に肩入れをしている辺り、「どんな判断だ」と言われ続けたって当然ですね。
あと、ちっとも360へなびかない客と開発者へのいらだちをしょっちゅういろんな場所で表明していらっしゃいますが、
客への態度と開発者への態度は別にして、
開発者を360へ誘いたいのならオフレコでやってくださいよ。
客としての日本人は360よりPS3でゲームを遊びたいというのは
もう海外だけでやれば?
滅んだ市場のTGSに行くとか訳わからん
日本ではもう出さなくて結構
偉そうなことは海外だけで勝負して結果だしてから言いなさい
>>147さんに同意です。
「日本のゲームは死んだ」=その「死んでる」ゲームを面白いと思ってプレイしてるユーザーの事は、稲船さんはどう思ってるんでしょうかね。やっぱりバカだと思ってるんでしょうか?
私はユーザー(購買者)批判だと思ってました。
そして、今でもそう思っています。
稲船社長がどう意図しようと関係有りません。読んだ人がそう感じたのだから、それだけのことです。
241. (^・3・^) 2010年09月19日 22:13
稲船さんは、360が最高のゲーム機だと思っているんですよね?
だからこそ、マルチでありながらXbox360版のみ特典を付ける等の優遇措置をとるわけですよね?
ならば、いっその事Xbox360版一本で勝負すればいいじゃないですか、そこはXbox360独占で押し通して下さいよ!
もしかして、PS3版は保険代わりなんです?
そこまでいうならカプコンなんてやめて
カプコンの庇護を盾にして好きなこといってるようにしか見えません
普通は一度失敗したら終わりです
稲船さんの言ってることはわかりますし、「やっぱりトップは大変だなぁ、稲船さん凄いなぁ」と思いますが、なぜXbox360に”だけ”重要なDLC(ムービー、エピローグなど)を付けるのでしょうか?なぜPS3版とXbox360版を平等につくらないのでしょうか?もし良ければその理由を教えていただけると助かります。
やべーよ
261. PS3ゆーざー 2010年09月19日 22:16
ここは日本ですよ?
なんでPS3を冷遇するんですか?
MTフレームワーク開発陣も360では不利でPS3に有利な処理は採用しないっていってますよ?Wii準拠のMTライトがあるなら、MTのPS3カスタムがあってもいいんじゃないでしょうか?
モンハンも自分の経歴に加えてしまう、稲船さんなら期待に応えてくれますよね?
責任ある立場で非常にご苦労をなさっていると思います。
私はロックマン、ストⅡなどで育ち、稲船さんをとても尊敬しています。
しかし今の日本の業界に対する批判を見ると、その褒められないものにお金を出し、楽しんでるのかという気持ちになってしまい悲しい気持ちになります。
いつも上を見続ける姿勢はクリエイターとしても経営者とても素晴らしいと思いますが、たまには今のゲームを楽しんでいる人がいることを思い出して下さい。
273. ロックマン「は」好きですよ 2010年09月19日 22:18
いちいち反応せずに好きなようにゲームを作ってたらいいんじゃないでしょうか
基本的にネットの住人は飽き症なのであからさまに火に油を注ぐ今回のような内容は公の場で書かず、チラシの裏に留めておくといいですよ
「嫌ならやるな!」
って、それを言ってしまったら社会人失格ですよ、あなた
世の中にはゲームクリエイター程は目立たなくても、色んな職業の人間がいるんですそこで働いてる人は、自分のキャパシティ以上の無理難題を押し付けられたり、他人の悪意に触れてしまう事は必ずあります。
そんな時に「嫌ならやるな!」って皆が言ってしまったら社会は成り立ちません。
誰もが我慢して生きている事なんです。
いい加減、大人になりましょう
あんたがやったのはひたすら360に注力し、優遇することだけでしょ
MHPの手柄まで勝手に持っていこうとすんじゃないよ図々しいな
P3の発表会に顔一つ出さなかった分際でさ
これを見てくれていると思って書きますが
言葉が悪い部分もあると思いますが失礼します。まず、貴方自身にいろいろ言われる原因があるという事に気付くべきだと思います。
火の無いところに煙は起たないと言う様に、物事には理由があります。
最近ならデッドラ2のDLC。二つのDLCを箱○版独占で配信。
そこまで箱○版の待遇良くしたいなら箱○版だけ出せばいい話ですよね、1作目と同じく。
でも今回マルチにしたという事は売上を確保したいからPS3版も出すのでしょう?
ともすればPS3版を買いたくなくなる様な行動はマイナス以外のなんでもない、まさにどんな判断だって奴です。
前例として時限独占なんかもありますが、それは無い様ですし。
大人の事情って奴かもしれませんがね、せめて何か一言無いもんでしょうか。
次にDmCもです。別に海外スタジオ制作だったりキャラデザインを海外向けにするのはいいとは思います。
面白ければ問題無いでしょう。
しかし今作から新シリーズにする上で、あれだけキャラの容姿を変えたなら「ダンテ」でなくても良いのでは?
もっと言えばDMCじゃなくても良いとすら思います。
でもそれをしなかったと言う事は、これも売上確保したいが為の過去作のファンへの媚びですよね?
でもそのせいで尚更ファンからは顰蹙を買っている。
更に言えば「海外向けのデザイン」と言い張ったにも関わらず海外からも「ダンテはどこにいった」等ブーイングが起こっています。
志を高く掲げるのは結構ですが、いろいろと空回りしている事も気付いて下さい。
300. 初代ロックマンからのファンです 2010年09月19日 22:26
批判を覚悟の上で思い切った変更をする、これも開発者冥利でしょう。
しかし、開発者の皆さまにゲームに対する思い入れがあるように、私たちにも思い入れがあります。
小学生のころはまったロックマン、親父がハマっていたバイオハザード、大きくなって出会ったデビルメイクライ…だから、ファンが批判の目を向けるのは全くおかしなことではありません。
私も今回のダンテのデザインにはショックを受けました。
しかし、そこまでして変える覚悟があるのなら、それこそ、「押し切」ればいいでしょう。どうかファンからの叱咤激励に右往左往しないでください。
238を書いた者ですが、もう一言。
「いや、カプコンを任されてるって言っていいはず。カプコンには開発以外大して売り上げてる事業がないからな」と言う発言。会社の重要な地位にいる人の発言としては非常識だと思います。
営業、販促、経理、総務、法務、製造、広報等々は無視ですか。一度、最初から最後まで開発部門だけでゲーム作って売ってみたらいかがでしょう?
それこそ、他部署の力を一切使わずに。
ハードに固執しないで作って欲しいです。「海外で売れるから」機種を増やすのではなく「海外で"も"売れる」という自信で増やして欲しい。
長くゲームに携わった、プレイしてきた人だからこそわかりますが「綺麗」よりも「楽しい」、「スゴい」と思えるものがプレイしたいのです。
「画面綺麗なPS2、360ソフト」よりも「心の底から面白いFCソフト」の方が欲しい。皆が求めるのは…言わずもがなです。「見せ」るのではなく「魅せ」てほしい。今後の開発も頑張って下さい。
自由の名の元に軽々しく発言していては、あなたの下で働く人たちの Permalink | 記事への反応(1) | 09:05
やっと80年代回帰が始まった。この分だと、90年代回帰が始まるのは、2010年頃になるだろうか。
ラジオから流れてくる80年代ポップスのカバー曲を聴きながら私はそう思った。
2010年。私が25歳になる年。同じ世代の大半の人がおそらくそうであるように、私は25歳の私を想像することができない。21世紀に入ってからというものの、時間感覚が酷く曖昧で、今18歳であることすら、実感が湧いてこないのである。
1995年と聞くと、つい最近のことに思えてしまう自分がいる。2001年、地下鉄の延伸。2002年、サッカーワールドカップ日韓共催。2004年アテネオリンピック開催・・・。小学生の頃教科書に載っていた未来の予定が、どんどん既成事実になっていく。あの頃の私には教科書の中の未来はどれも実現不可能なことのように思えたのに・・・。
ノストラダムスの大予言について、あれほど熱心に議論を交わしていた人々は一体何処に消えたのだろう?
ノストラダムスの予言の年、私は14歳だ。結構生きられる、と思っていた。そして1999年の7月1日のニュースでは、アナウンサーが笑顔で「さて、この世界もあと一ヶ月になりました」と言うはずだと思っていた。まるで年の瀬のニュースのように・・・。
人々は世紀末という言葉を忘れた。21世紀という言葉も、昔ほど使われなくなった。70年代や80年代のことはよく話題にのぼるのに、今が何年代と呼ばれるかについては、誰も口にしない。
物心がついてから10年余りが経った。総理大臣は何人代わっただろう。冷夏は何回あっただろう。巨人は何回優勝しただろう。
私たちの世代は昭和最後の一人になりうる。何歳まで生きたら、昭和の最期を見届けられるのだろう。明治はもうすぐだ。大正もすぐ後を追う。多くの人が愛した昭和が完全に歴史の中に入るのはいつのことだろう。
歴史は巨視的に見れば円軌道を回っているだけにすぎないのかもしれない。人はその一切片を直線であると思って生きていくしかないのかもしれない。
KIM625 マンガ, アニメ, 文化 アメリカにはなぜ大人向けコミックが無いのか、なぜ日本にはあるのか。 2010/09/08
はてな表現規制反対派の重鎮KIM625のこの問い、一見素朴なギモンに思えるが違うんだよね。
表現規制反対派の間では、出来合いの答えがある。
「コミックス・コードによる規制のため子供向けのものしか許されなかった」という答えがそれだ。
KIM625の問いはこの答えを念頭においたものだろう。だが、この表現規制批判派史観はどこまで正しいのか?
田中秀臣氏がブログで調べ続けているようにアメリカン・コミックスの不人気の主犯がコミックス・コードだという説は実証的に否定されつつあるという。
それ以前の問題がある。大人向けコミックがないというのは果たして事実なのか?
実際には、MADやアート・スピーゲルマン、映画にもなったロバート・クラム作品やアメリカン・スプレンダーのような先鋭的な大人向け作品の流れが、ほそぼそとながら、六十年代から続いていた。
アンダーグラウンド・コミックスと呼ばれるこれらの流れは、80年代頃からスピーゲルマンが自らの父の体験と緻密な調査を元にアウシュビッツの悲劇を描いた「マウス」などのヒットにより日のあたるところに現れ、スーパーヒーローなどの商業的コミックスに対向するものとして「オルタナティヴ・コミックス」と呼ばれるジャンルが成立する。
一方の商業的コミックスもだんだんと大人向け路線になり八十年代には映画化したウォッチメンなどの大人向け作品がヒット、90年代には大手コミックス社からスーパーヒーローにとらわれないやや文芸路線のmature reader向作品レーベルVertigoが現れるなどの流れが起きる。
この流れとオルタナティヴ・コミックスの二つの流れ、そしてスーパーヒーローなどの旧来型の流れは、未だ別々に流れているが、だんだんと中間的作品も現れ、現在ではかなり曖昧な区別しかなくなっている。
では、"旧来型"のアメコミが子供向けというのは事実なのだろうか?成熟した真っ当な大人向けと見なされていないのはたしかに事実だろう。
だが、それと実際の年齢層は別の問題だ。
なんと”アメコミ”の主要な読者はずっと昔から「男の子」ではなく「キモオタ」なのだ。
むしろコミックス業界は将来の投資のため子供にコミックスを手に取らせる方策を考えているくらいだ。
田中秀臣氏推薦の『戦争はいかにマンガを変えるか』から引用しよう。
この極度にマニア層に依存した構造の市場から、書店での一般読者の獲得から、書店での一般読者の獲得と映画展開などによるライセンスビジネスによって突破口を開いたのが現在のグラフィックノベルブームに沸くアメリカのコミックス界であるわけだが、以上からわかるようにそれ以前からすでにコミックブックは子供向けのものなどではなくなっていた。
(ながいので中略)
つまり当のアメリカ人にとってすら「コミックブック=子供向け」という神話の影響が強すぎるために、実際に子供に読まれているマンガが「マンガ」としては見えなくなってしまっているのである。(p38-39)
なお、此処でいうマンガと見なされていないが「実際に子供に読まれているマンガ」は日本マンガをさしているのではなく、ディズニーやニコロデオンなどのアニメや名作文学のコミカライズなどを指している。小田切氏の意見によると、ジャンプなどのマンガとアメリカの市場で競合しているのはスーパーヒーローなどではなくこちらだろうと述べている。
小田切氏に従うなら、「アメリカにはなぜ大人向けコミックが無いのか、なぜ日本にはあるのか。」ではなく「アメリカにはなぜ子供向けコミックが衰退したのか、なぜ日本にでは盛況なのか。」と問うべきだ。
なぜこうも転倒した問いになるか。
それは何でも規制反対に結び付けたいという心性があるんではあにか?
こう思うのは邪推だろうか?
lisagasu 日本の名作少女漫画は繊細すぎてウケない予感…トワイライトが売れてるなら、乙女ゲームのコミカライズとかのがいいんじゃ?なんにしても少年漫画以上の市場になるイメージがないんだけど 2010/09/08
24年組が受けてないというかそもそも今まで翻訳が出てなかった(出版予定)のは事実だが、従来のオルタナティヴコミックスのファン層には注目されてるようだ。
新着はてぶに載ってた記事↓
http://burusoku-vip.com/archives/1335818.html
を読んで思った事をちょっと書いてみる。
若い奴がスーパーカブ(以下、カブ)に普通に乗るようになったのは、
正確には覚えてないけど、今から15年ぐらい前からだったと思う。
オッサンなら誰でも覚えていると思うけど、
それ以前はバイト以外でカブ乗ってる若者なんか本当にいなかった。
例外的に、免許取りたてでバイク買えない奴が、どうしてもバイクに乗りたくて、
とりあえず家にあるカブを近所で乗りまわすぐらいだった。
当時、若い奴がカブ乗ってるのを見たら…今の奴にもわかるように言うと…どんな感じかな。
例えば中学生男子が、前後に子供載せるイスが着いたママチャリ乗ってるぐらいの
「それ絶対お前のじゃないだろ」っていう違和感。
それぐらい、カブからはぬぐいきれないオッサン臭がしていた。
それがほんの2~3年でスタンダードになってしまった。
つうか、むしろ流行ってた。
古いものが若い奴らに新鮮に映るのは、よくあることなのはもちろん知っている。
80年代は裾がちょっとでも広がったズボンなんて、ギャグでしかあり得なかったのに、
でもそれは70年代ファッションを馬鹿にし続けた80年代の感覚を、
知らずに育ってきた奴らの間で流行ったのだ。
そんな風に、裾が広がったズボンに対する価値観には、明確な空白期間があった。
自分は、この空白期間は絶対に必要なのだと思っていた。
しかしカブは違った。今と同じかそれ以上にそこら中で使われていた。
カブは連綿と配達orオッサン御用達の、カッコよくない乗り物で有り続けていた。
バイクを殆ど知らないオッサンやオバハンまで含めて、皆がそう思っていた。
うちの親なんか、とっつぁんバイクって呼んでたくらいだ。
(とっつぁん=父ちゃん、転じてオッサンの意)
そんなオッサンバイクの価値観がいきなり短期間で反対側にシフトした。
レッグシールド外してカスタムした奴らはちょっとだけオサレっぽくしたりしてたけど
やっぱりどう見てもカブ以外の何物でもない物に、若者がマイバイクとして乗り始めたのだ。
もちろん、漫画やドラマでカッコよく使われたとかでもなかったと思う。
自分の知らない、トリガーになった出来事があったんでしょうか?
未だにパラダイムシフトという言葉を聞くと、この事を思い出す。
他にも空白期間が無いのにいきなりダサダサ→オサレってのはあるのかな。
誰か知ってたら教えてください。
なぜキャシャーンは人を激怒させるのか?
しかし、例えば僕などは日記をみてもらえれば判るようにキリキリ監督に尋常ではないレベルの妬み・嫉み・恨みを抱いているが、それとこれとは別で、「CASSHERN」という映画じたいは素晴らしく面白い!と手放しで絶賛してるし、一発目でいきなりこんな凄い映画を作れてしまう紀里谷監督はリアルに天才なのでこれからも凄い映画を作り続けてほしいです!と応援してしまうのである。
つまり嫉妬の要素というのは、この際、さほど重要ではない。
CASSHERNは、人間の感情の、何かこうクリティカルな部分を直撃する映画なのだ。それゆえに、そのクリティカル・ヒットを受容できる人はハマるし、受容できない人は切れるのだろう。(受容はできるけど、もうこの手の話は飽きた、という人もいるだろう。しかしそのような人は、呆れ果てることはあっても、切れたりはしない)
CASSHERNのクリティカルさというのは、そう、ブライのセリフに集約されている。
「つまり、憎しみとは、人間也!」
さらに、キャシャーンはキャシャーンで、「人間が生きていることじたいが、人を傷つけることになる」という意味のモノローグを語っている。
・人間は、生きていることそれじたいが罪悪だ(原罪論)
これはキリスト教的な「罪」の論理であり、無神論が主流の日本では受け入れられる余地の少ないテーマといえる。性善説がベースとなっている日本でいきなり「お前の存在じたいが罪だ」といわれれば、切れる人が多いのも当然だろう。しかもこれ、漫画映画である。「敦煌」とか「砂の器」じゃないのである。アニメだよ、キャシャーンだよ。なんで漫画映画で、そんな説教されんといかんねん!という人もたくさんいるはずだ。
しかも、紀里谷は、これらの作品のテーマを、役者にセリフとして語らせてしまうのである。これがまた、この類のテーマを受容したくない人にとっては、許しがたい行為なのである。セリフで語りさえしなければ、スルーできたはずだからだ。人間は、自分の見たいものしか認識しない。従って、通常、映画を観ていても自我を脅かすようなテーマが提出されても、その部分を認識せずにフィルターをかけて消してしまうことができる。しかし、「言葉」で投げつけられてしまうと、そうはいかない。紀里谷は確信犯的にこの映画を観た全ての人間に
「憎しみとは、人間也!」
というテーマを強制的に植えつけることによって、この映画のテーマを曲解される可能性をふさいでいるわけだ。
このテーマを容認できない人にとっては、監督の独善、ということになるのだろう。
伊勢谷友介が演じる東鉄也は、一度死ぬが、LCLのようでもあり命のワインのようでもある赤いプールに肉体を沈められることにより、再び復活する。この赤いプールの中で行われる復活劇は、あたかもパプテスマのヨハネによる洗礼の儀式のようでもある。この復活により、鉄也は自らを救世主キャシャーンと名乗ることになる。もちろん、上月博士や三橋達也演じる老医師、鉄也の母みどりの幻影などが、復活した鉄也に「君の復活には、何か意味があるはずだ」「この街を守れるのか」「人々の争いを止めるのです」と、鉄也を救世主の道へと導こうとアシストするわけである。
しかし、鉄也は救世主キャシャーンとなっても、奇跡を起こすことはできず、人々はみな挫折して死ぬ。そして鉄也自身も傷つき、血まみれとなっていく。鋼鉄の扉の隙間からバラシンに刀で心臓あたりを抉られるシーンは、あたかも十字架にかけられたイエスのごとくだ。
しかもキャシャーンは抽象的に人類の業を贖罪するという存在ではない。鉄也自身が生前、殺人という罪悪を犯しているのだ。「反戦映画」ともうけとられがちなこの映画は、実は、戦争だけに反対している映画ではない。「人間存在そのものが罪だ」というテーマをもっとも端的に表現できる場こそが戦争という極限状態なので、戦場における戦闘の結果としての殺人という光景が何度も繰り返されるのだ。
が、この映画の恐ろしいというか念入りなところは、懺悔したはずの鉄也がさらにダメ押しともいうべき父殺しという罪を背負うことである。母親を寝取り、父を殺すというのは、いうまでもなくエディプス・コンプレックスなのだが、鉄也は最終的に父殺しを達成することによって、人類の原罪をことごとく背負って自殺することになる。
では、鉄也の懺悔は無駄だったのか? そう、無駄だったのだ。この映画のテーマは「憎しみとは、人間也!」なのだから。従って、鉄也は、キリストの如く原罪を背負って血に塗れ、死んでいくしかないのだ。キリストと違う点は、人類の原罪を肩代わりしたのではなく、自ら原罪を犯して死んでいくという点だけだろう。もちろん鉄也は単なる殺人犯というわけではなく、「戦争」や「愛する人を殺した殺人犯への復讐」といったどうしようもない事情がある。決して、悪意で殺人を犯したわけではない。人間存在そのものが悪なのだから、生きる限り、どうにもならない、どうしようもないのだ…したがって、救世主になるべくして復活させられた鉄也の地獄巡りは、ドアーズの「The End」の如く、母を寝取り、父を殺して完結する。「地獄の黙示録」を参照するまでもなく、フロイトの絶対的な影響下にある現代のキリストは、エディプス・コンプレックスの持ち主でなければならない。フロイトによれば、エディプス・コンプレックスこそが、人類の原罪意識の大本にあるのだから。
さらに、鉄也の父親・東博士が下層階級の出身であったことも最後に明らかになる。東博士は下層階級出身でありながら、政府側について少数民族を抑圧する側にまわり、最終的には鉄也の最大の敵となる。このあたりも、なにやらイエス・キリストの物語を髣髴とさせる。
だから、キリスト教圏では、この映画は日本からやってきた現代の救世主譚として評価されるかもしれない。
過去に、日本のアニメ映画では似たようなテーマが何度も描かれている。いうまでもなく「イデオン」と「エヴァ」がそれだが、エヴァでは、主人公のシンジが救世主となるべく人類の原罪を背負う……という流れの物語だったはずが、最後にシンジは人類の原罪を背負わずに話が途切れてしまった。「エヴァ」は、「人間の性は、悪だ」という自らのテーマに向き合うことができなかったのである。キャシャーンは、エヴァと非常に似た構造の映画であるが、主人公の手を父親の血に染めさせることによって、エヴァが途中で放棄したテーマを完結させた作品であるといえる。
もう一つ、近作で似たような映画がある。それは「マトリックス」だ。この作品は3部作だが、それぞれ救世主ネオの誕生・生・そして死を描いている。ネオもまたキリストの如く、一度死んで復活する。だが、最後には人類の原罪を背負って死ぬ道を選ぶのだ。終盤、ネオは目を焼かれて失明し、エディプス王の如く盲目となる。機械の触手に支えられて死んでゆくシーンは、やはり十字架にかけられたイエスを髣髴とさせる。
ただ、マトリックスは「何も語らない」「観客に考えさせる」というスタイルを貫いたのに対して、キャシャーンは「全てをセリフで語りつくす」「観客に議論の余地を与えない」というまったく逆のスタイルで作られている。このスタイルこそが、一種の押し付けがましさ・説教臭さ・青臭さ・傲慢さと受け取られ、反発される一因になっているのだろうと思う。だが、この説教臭さ、愚直なまでの必死さこそが、かつての邦画のひとつの魅力だったのではないだろうか。邦画の黄金時代には、説教映画が多数製作されていた。「新幹線大爆破」の宇津井健のウェットな説教や、「ノストラダムスの大予言」や「人間革命」で丹波哲郎が繰り出す強引極まりないオレ流説教。かつて、日本人はこれらの説教映画で感動して泣いていたはずである。みんな、かつては馬鹿だったのだ。
80年代以後、邦画から泥臭さが消えていくとともに、邦画の魅力は失われていった。特に、角川春樹の逮捕とホイチョイ・プロダクション的なテレビ局誘導の企画映画のブーム化以後は、有能な監督には集客力が無く、大作はどれも質を伴わない、という状況が長らく続いていた。例えば、世界レベルで評価されている黒澤清や三池崇史が、「デビルマン」を監督させてもらえないのである。宇多田ヒカルの夫であるということ以外、ほとんど映画界では実績が無く、世間にもあまり知られていなかったPV監督が従来の邦画のシステムとはまったく無関係なところで突然作り出した「CASSHERN」は、そういう硬直した邦画をとりまく閉塞構造をいきなり破壊した作品といえるのだ。
無論、システムの面だけではなく、愚直なまでに真剣かつ本気というその姿勢もまた、古くて新しいスタイルではないかと思われる。むしろこちら(熱さ)のほうが重要で、80年代から長らく続いていたシラケ世代は2001年あたりを境に終息しつつあり、70年代を最後に滅んでいたはずの愚直な熱さが求められる時代が復活しているのだ。アントニオ猪木が「馬鹿になれ」というフレーズでカリスマ化したのも単にジャイアント馬場がいなくなったからというだけではない(主にプロレスと関係ない人たちに猪木が評価されているのだから。むしろ保守的なプロレスファンは旧来のプロレスのシステムを破壊する存在である猪木を嫌っている。このあたり、CASSHERNの評価とも重なってみえる)。「馬鹿になれ」という熱くて愚かで泥臭い姿勢こそが、閉塞しつつあった日本の気分にマッチしていたのではないか。
従来なら「大人げのない幼稚な愚直さ」と嘲笑のネタにされるような熱いキャラクターがカリスマ化していく作品としては、「最強伝説・黒沢」というコミックもある。この漫画の主人公の黒沢は、中学生と本気で決闘するようなどうしようもない中年なのだが、その必死さ、熱さが、周囲の人間(主に、シラケきった若者世代)の心をわしづかみにしていく、というストーリーのようだ。
すでに我々には、冷笑や嘲笑で生きていけるほどの余裕が無いのだろう。すべてから距離を置き、自我を脅かすものすべてを嘲笑して生きていくライフスタイルは、「勝ち組」「負け組」が明確化されてしまった現代日本ではもう限界なのだ。そうなれば、道は二つ。「感動など、無い」「自分には何の値打ちもない」という悲惨な現状に気づいて、馬鹿になり、泥にまみれて足掻く道。もう一つは、「自分がこうなったのは、すべて、外部に責任がある」と犯人探しの旅に出る道だ。
僕がCASSHERNを支持するのは、紀里谷監督の製作姿勢そのものが、前者の道を示しているからだ。紀里谷の才能を持ってすれば、もっとソツなく、映像美とアクションに徹した娯楽映画を作ることだって可能だったはずだ。だが、あえてこんな熱くて泥臭くて人に嫌がられる映画を作ってしまった。というより、作らざるを得なかったのだろう。その過剰ともいえる熱さが、CASSHERNが賛否両論喧々諤々と騒がれる原動力となっていることは疑いない。こんな熱い邦画は、しばらく見なかった。いったい、いつ以来なのだろうか。
そしてこの映画のテーマもまた、後者の道…「犯人探しの旅に出る道」を遮断するべくして設定されている。そして紀里谷は、それでも「犯人探しの旅に出る道」への抜け道を探そうとする人間に、抜け道すら与えない。テーマをそのままセリフとして喋らせることによって。つまり紀里谷にとっては、作品の映画としての完成度よりも、テーマを訴えることのほうが重要だったわけで、紀里谷はここでも熱い。
このCASSHERNがどうしようもなく発散させている愚直さ、熱さこそが、実は人々に求めらていたのではないか、と思われるのだ。この映画は、冷笑させることを観た人間に許さない出鱈目な熱さを持っている。いやまあ突っ込みどころはあまりにも満載なんですが…あちこち破綻しまくってるし。だが、それだけでは絶対に済まされない映画なのだ。だからこそ、嘲笑で片付けられる人間よりもマジ切れする人間のほうが圧倒的に多いわけなのだ。僕は紀里谷監督に、もっともっと熱い映画を作り倒してもらいたい。僕自身は、熱さは持っていても、作品を作る社会的な能力が皆無なので……。
(04/5/1 本田)
池上彰「今回、なぜ、平野綾さんが恋愛経験を語っただけで騒動になったのでしょうか?ひとりさん分かります?」
劇団ひとり「え~っと 綾ちゃんがアイドル声優だからですか?」
池上彰「正解です。その通りなんですね。では、なぜアイドル声優だから、これ程騒がれるのか解説していきましょう。
キーワードは『アイドル神話の崩壊』です。従来、アイドルと呼ばれる人はトイレにもいかない、虚像的なイメージを持っていたんです。
それが80年代に入り、おニャン子クラブの登場でごくごく普通の女の子がアイドルになって、この神話は崩れました。でも、もうお判りですね。土田さん?」
土田「そのアイドルの代わりに声優さんが、このイメージを持つようになった……」
池上彰「そうなんです。アニメという二次元的なイメージと密接に関わる声優さんは、虚像的なイメージをもたれやすいです。
『声優は最後のアイドルだ』と言う人も少なくありません。彼女たちもこのことをわきまえて、アイドルを演じています。
その筆頭格の一人であった、平野綾さんが恋愛経験を語ったんだから、騒動になるのも当然なんですね」
柴田理恵「ああーなるほどー」
池上彰「いい質問ですね。この騒動で幻滅した平野綾さんのファンは、スフィアの四人に移行すると言われています。
彼女たちは11月に武道館ライブも決定しています。言わば、ノリにノッている声優グループです。
平野綾さんの騒動が彼女たちの更なる起爆剤になることが予想されています」
池上彰「そうなんです。ひとりさん!!いい所に気が付きましたね~
平野綾さんの代表作と言えば『涼宮ハルヒの憂鬱』ですね、彼女のファンの多くはハルヒからファンになったという人も少なくありません。
スフィアで一番人気と言われている、豊崎愛生さんは『けいおん!』の平沢唯役で大ブレイクしました。
土田さん、もう、お判りですね?」
池上彰「そうなんです!この現象は京アニブームの移り変わりを上手く象徴しています」
柴田理恵「じゃ……綾ちゃんはどうなるの?」
池上彰「またまた、いい質問ですね~ 恋愛経験を語ると同性に好かれます。
昨晩の騒動は熱狂的だったファンを減らして、代わりにライトな女性層を獲得する意図があったですよ。
これが成功したかどうかは、これからの彼女の頑張り次第です」
劇団ひとり「いやー、すごくよく分かりました」
池上彰「でも、皆さん、これだけはわかって下さい。演じるということは経験を積むということです。
普通の女性のように恋愛経験が合ったほうが演技に幅が出ると思いませんか?
彼氏が居ても、居なくてもファンは一途に応援しましょうよ」
柴田理恵「そうよね。22歳で恋愛経験が無い方がオカシイわ。アタシだって、綾ちゃん位の歳で彼氏居たわよ~」
池上彰「最後に答えづらい質問が来ちゃいましたね(汗)~
えー喜多村英梨さん、伊藤かな恵ちゃん、花澤香菜たん、スフィアの四人も当然好きですね。
一同「ハハハッ」
池上彰「いや〜でも、それだけ魅力的な声優さんが多いですよ〜 皆さんも好きな声優さんを見つけて素敵なボイスライフを送りましょうね。本日はここまで、ありがとうございました」
「suteacco 単なる偶然かもしれないが「この世代」にある何かをまじめに考えた人いるのだろうか。いるなら話を聞いてみたい。」
ネット右翼的ルサンチマンだと感じるかもしれないけど。たんなる自伝(?)にすぎないかな。
・実質的な「ゆとり教育」最盛期。否定する論者はほぼ皆無(むしろ、「ゆとり教育」という言葉が出たときには、反発する層が活発化し、かなりこの思想は相対化された)
・ニューアカ的左翼思想の全盛期、朝日新聞的意見が社会の主流。
・住専問題だの、ノーパンしゃぶしゃぶだの、とりあえず政府や官僚、役人を叩きまくる風潮が強かった気がする。
特にそういうワイドショーの視聴率が高かった。あと芸能人叩きもひどかった。「○○が付き合った」「別れた」どーのこーの。
・個人的には、すごく窮屈で息苦しい時代だった。子供ながら、建前的な正義(≒朝日新聞的正義)に嫌気が差していた。でも、それが唯一の正義だとも思っていた。
□中学生……1995年=阪神大震災、地下鉄オウム、そして「エヴァ」
・被災者はともかく、個人的には「(ほぼ)中二でエヴァ」が圧倒的影響力を持つ。
当時の中学校では同学年の男子は9割、女子でも5割程度は見た感触。(再放送時に録画したビデオテープの貸し回しが凄かった)
・高校や大学等で色んな人に聞いてみたが、この世代へのエヴァの影響力はものすごい。「エヴァなら全校生徒観ていた」と断言されたこともある。
もちろん、エヴァは時代の風潮を反映してつくられた作品である。
しかし、「この世代」にそれをダイレクトに、強烈に、過剰に伝える媒介を果たしたのが「エヴァ」だった。
それ以前の「建前の世界」を全て取り剥がして、「本音」を初めて自分たちにぶつけてくれた、と感じた。(今でも感じているよ)
・小6か中1で酒鬼薔薇事件が起こった。多分同年齢だけど、当時はその社会的意義をよく理解できなかった。「同じ年なのにすごいなぁ」とか程度の感想しか出ない。
たぶん、あの子は僕らの中でもとりわけ世相の雰囲気に敏感だったのだと思う。単なる精神異常者ではなかった
……と大澤真幸前京大教授(セクハラにより引退、でも個人的にはまだ崇拝してる)の授業を受けて気づいた。
□高校生
(・エロゲーの隆盛 『To Heart』 『ONE』 『加奈』など)
・「ネオ麦茶事件」・・・酒鬼薔薇よりネオ麦茶のほうがよっぽど親近感を持った。「あーあ、やっちゃったよ…」みたいな。
・世相の右傾化。今まで「正義」とされてきたことがことごとく否定される。個人的にも従来の「正義」には違和感を覚えいたので大きく賛同する。
☆分かりやすい図式でいえば、バブル崩壊とネットの進行によって価値相対化が起こり、虚無感が広がる。ニヒリズム化。
これは今までもよく言われていたこと。