はてなキーワード: 既得権とは
もう何か色んなメディアや人達が寄ってたかってボロクソに叩いてるけど、むしろ同じ業で食ってる人たちまで批判してるのが凄いよなーと思う。
大手ネットメディアが言う。「もう既得権益に守られてのうのうと嘘を流すマスコミの時代は終わりだ!」
うさんくさい社会派ブログが言う。「確認を怠って臆面もなく捏造記事を出すなんて!日本の恥だ!」
痛ニューが言う。「もう毎日潰れてしまえよwww誰も信用してないからwwww」
mixiの日記コメンテーターが言う。「謝罪しましただって?何に謝罪してるのかよく判らないな!まだまだ謝罪が足りないぞ!謝罪せよ!腹を切れ!」
あのさ、自分の顔見てきたら?
気持ちよさそうに言いたい事垂れ流してるとき、あんたの顔も同じくらい歪んでるから。
すいませんね。はてな匿名ダイアリーとか増田とか、そんなこんな、どういう空気か存じ上げないものですから。なんか、ココの雰囲気になじまない内容だったらすいません。
表題の日立製作所はひどいという話です。私は同社の取引先でメインフレーム・コンピュータを導入している組織なのですが、日立のメインフレーム・コンピュータって馬鹿高いんですよ。
同じ程度の性能の日本IBM機の約3倍。日本IBMもアメリカで売っているのより2、3倍高いっていうから世界水準からすると目茶苦茶高いわけです。それでもって、普通何億もするコンピュータなら、なぜ高いのか理由を説明する責任があるじゃないですか。日立って一部上場企業で名門企業でしょう。でも営業担当者は、こちらの説明要求を無視するんですよ。また、うちの上司に酒を振舞ったり、銀座のクラブに接待したり、タクシー券握らせて、いい気持ちにさせているんです。そんな、営業活動に乗るうちの上司が悪いとも言えるんですけど。
何か、都合が悪いことになると、酒を振舞っているその上司のところにチクって、やり口が汚いです。奴ら。悪い意味で政治的に立ち会うっていうか。真面目に仕事をやって欲しいです。
ハードウェアが高いんですよね。しかも、外部の人から聞くと、日立は複数の価格体系をもっていて、相手の足許を見ながらうまく使いわけているみたいですよ。情報・通信グループの経営管理部っていうところがいろんな事業部署を仕切りながら価格コントロールしているみたいです。なんか、メインフレームのシステムって簡単にはベンダーを変えることは難しいから、その弱みにつけこんで、「取れるとこから取っておけ」ていう感じみたい。
公共系のお客さんが多いから、結局、日立は税金を食い物にしているんですよね。国税庁の方、システムの専門家を雇ってでもこの過剰な利益構造を暴くべきです。会計検査院の方、もしこの情報を目にすることがありましたら、しっかりイニシャル・コストとランニング・コスト特に後者の方をしっかり精査してくださいね。
民主党の先生。社会保険庁の攻撃のつぎは、ITゼネコンですよ。NTTデータ、日立、彼らが税金をどれだけ食い物にしているか、国会に証人喚問してしっかり明らかにしてください。
日立はハードウェアに保守料にとるのはいいとして、システム自体にも保守料をとり(明細なし)それに、保守SE人件費もユーザ持ち。それからプログラムは使用料をレンタルというかたちで月額払い。それらもかわいらしい数字ではありません。数億から数十億単位ですよ。
説明しろっていっても「中央処理装置一式 ○億○千万円」って人を小馬鹿にした明細を出してくるんです。日立の中央研究所って国分寺駅から徒歩5分くらいのところにちょっとした大学のキャンパスくらいの面積であるんです。そこなんか、売却するべきです。目白の下落合に会社の迎賓館みたいな施設をもっていて、VIP相手にワイン・パーティをして取り込んだり。目白は学習院の旧寮を買い取ったとか。そんな政治的な施設は全部、市場に放出して、しっかりとしたリストラをして、合理的な価格でコンピュータを官庁や自治体、研究施設に納入すべきです。国民の税金を食い物にするのはいい加減にして欲しいです。
日立製作所だけじゃなくて、日本の大企業は大なり小なり、そうやって官庁に食い込んでいるっていうこともあるかもしれません。少しづつでもいいので、税金の無駄使いをやめて、合理的な価格決定基準が進む方向にもっていかないと。日立をはじめ、大企業は既得権益を守る方に力を注いで、世界的な技術力競争からは、ドロップアウトします。国力は落ちるばかりだと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20080720205422
http://anond.hatelabo.jp/20080720223049
http://anond.hatelabo.jp/20080720230624
■ちょいとした結論【官公庁ユーザとしてどうするのが適切だろうか】
http://anond.hatelabo.jp/20080721002901
☆丁寧なレスをいただきました。
http://anond.hatelabo.jp/20080721015612
そして、それを読んで僕の結論
■落としどころはこんなところでしょうか
http://anond.hatelabo.jp/20080721034021
「中川秀直著:官僚国家の崩壊、講談社、2008年」には、今の日本を、おかしくした元凶が、霞ヶ関を中心とする劣化したエリート集団(ステルス複合体)にあることが、多くの実例を挙げながら挑戦的に書かれている。マンガ好きの次期首相候補の、日本を礼賛する安っぽい内容の本よりも骨がある。印象に残る部分拾い出して挙げると以下のようになる。
1.日本の庶民の勤労意欲や学習意欲の水準は非常に高い。しかし、日本のエリートの質は明らかに劣化していることは、海外で仕事をしたり、国際会議に出席した経験がある人は皆感じている。この問題には、真正面から取り組まなければ日本を覆う閉塞感を打破できない。真の公務員制度改革で日本のエリートを叩き直さなければならない。
2.身分と権益を今までどおり守ろうとするエリートたちは、国家財政に「もう無駄はない」と言い張り、「安心できる社会」「弱者救済」を御旗に、天下り先法人の存続などの自分たちの権益を守るための増税を主張してくる。増税の議論の本質は、経済成長にあるのではなく、劣化したエリートの延命のための負担を庶民に押し付けることを意味する。だから、庶民は怒っている。
3.「ステルス複合体」というのは、レーダに探知されないように電磁波を反射しない爆撃機(ステルス)を例えた、劣化したエリートたちの集団である。個人的にはメディアの表に立たずに目立たぬように、群れを組んで、自分たちの思うとおりに物事を進めようとする。失敗の責任を取るのが怖くてそうするのかもしれない。(箱物行政の大赤字、転売による莫大な損失の発生の責任を取らず、天下りにより莫大な報酬を得ていることは詐欺罪にも該当し刑事訴追の対象にもなると司法出身のテレビのコメンテータは言明している)
4.「ステルス複合体」が生まれた理由は根が深い。社会保険庁、食品会社、老舗の料亭などの隠蔽、偽装にも密接に関係している。身内の安全、利益を優先するあまり、組織外の人、仲間以外の人の信頼を裏切ることになる。日本の「村八分」の言葉に象徴される精神構造である。
5.小泉・安倍内閣で構造改革が進めば進むほど、権力中枢の抵抗はかたちを変えてますます激化していくと予想したが、不幸にも的中し安倍総理を直撃した。かたちは健康上の理由であったが、実状は「ステルス複合体」の抵抗であり、サボタージュや守旧派政治家を動かして政治をストップさせるような裏工作をした結果である。
6.日本が警戒するべき「ステルス複合体」が生まれる理由は、既成の組織、過去の成功体験などを金科玉条として既得権を守ろうとする集団が存在することである。長い人生のほんの一時期に、要領のよさだけで、親の言うとおりに塾通いや家庭教師で獲得した学歴や無意味な??種公務員試験で得た自らの身分に一生託そうとする人たちである。彼らは、十代後半の青春の悩みとか道草の経験とは無縁の人種である。彼らは群れたがる。官僚機構、日本の銀行、経済界の基幹産業といわれる企業の幹部、学会、マスコミなどあらゆるところにネットワークをはっている複合体である。東大法学部出身を核とするエリート人脈のような、大学同窓会を原点とする同質的人脈が身内共同体をつくっている。大学卒業時点で「究極の勝ち組複合体」の一員としての身分を確保すると、負け組みとなることはない。同期の競争といっても、本省か待遇のよい天下り先法人の幹部、大企業であれば本社か関連会社の幹部の差しかない競争である。仕事の能力・成果とは無縁の世界である。中小企業の経営者たちや多くの庶民は、その悔しさを胸にしまい、歯を食いしばって頑張っている。
7.日本の危機の本質は経済政策論争以前の深層部分にある。ステルス複合体=究極の勝ち組複合体が真の経済論争を拒んでいる。理論の問題でなく政治の問題になっている。格差だとか弱者救済とかの用語で経済論争の論点をはぐらかし、マスコミもそれに加担している。庶民とかけ離れた高給取りのニュースキャスターや司会者が格差だとか弱者救済と語っているのが空しいことを賢い国民は見抜いている。次の選挙は与党内のステルス複合体との戦いでもある。野党にもこの日本の危機を見抜いている人もいる。国民が一致協力してステルス複合体を崩壊させ、正しい政治、公正な社会を取り戻す必要がある。
「官僚国家の崩壊」っていう最近出した本の中にも、官僚機構などにネットワークをはる複合体の人脈を「ステルス複合体」と呼び、その「本尊」は学歴による優越意識に基づく大学同窓などの見えざるネットワークであり、たとえば、東京大学法学部出身者を核とするエリート人脈である、と書いている。
http://d.hatena.ne.jp/yumyum2/20080529/p5
<官僚国家>を牛耳る<ステルス複合体>の得意ワザはズル、ウソ、ゴマカシ。<医療>改革を<健保>問題にスリカエた。元財務大臣の塩川正十郎が「財政の都合ばかりを優先、人間味に欠ける」と批判、元総務会長の堀内光雄が「年寄りは死ねというのか」と「文藝春秋」6月号に寄稿。当然だ。
元自民党幹事長の中川秀直、近著「官僚国家の崩壊」(講談社)で「(ステルス複合体は)学歴(東大法)に基づく自らの身分に誇りを共有する。官僚機構、日銀、経済界、学界、マスコミなど、あらゆるところに巨大なネットワークを張る。この同質的人脈が『空気』をつくり、政策の『相場感』をつくっていく。彼らの醸し出す空気と相場感に反するものは『異端』扱いされるか、無視され、あらゆるエリート層に、予定調和的な言動を強いて、同質化圧力を加えていく」(23頁)と書く。日本を牛耳り、食いモノにしている。
「『ステルス複合体』に政策を任せると、日本は必ずや『日沈む国』となる」(中川・24頁)。
「小泉内閣以来、自民党が進めてきた改革の本質は何か。基本的な図式はよく言われるように、『霞ヶ関対永田町』である。官僚によって、役人天国が形成され、今や、官僚が国政を操り、国を私物化しているという批判は、ある意味で正しい。官僚主導を本来の政治主導に戻し、国民のための政治に戻さなければならない」(舛添要一「霞ヶ関VS永田町」講談社・2頁)。参院政審会長2007年5月の刊行。正論だ。中川秀直も火山も同意見。
http://blogs.yahoo.co.jp/kome_1937/54679415.html
その中川氏は日本が東大法学部を中心とするエリート官僚たちに巧妙に支配されており、政治が官僚をコントロールできていないことが、日本の改革が進まない最大の要因であると主張し、改革に反対するエリート官僚たちを厳しく批判する。選挙の洗礼を受ける政治家は、政策の失敗に対して責任を追及されるが、官僚たちは、匿名のまま、政策を作成し、それが失敗に終わっても、結果責任をとることもない。政治家がいくら改革の旗を振ろうが、最大の既得権益者であるステルス複合体が改革を許すはずがない。彼らは官界を越えて、産業界、学界、マスコミまでを網羅した東大法学部人脈を通じて、相互に補完し合いながら、自分たちの力の保全を図っている。これが中川氏が日本の最大のガンになっていると断罪するステルス複合体の実態だ。
http://www.videonews.com/on-demand/371380/001321.php
ステルス複合体とは
「東大法学部を中心とするエリート官僚たちが、官界を越えて、産業界、学界、マスコミまでを網羅した東大法学部人脈を通じて、相互に補完し合いながら、自分たちの力の保全を図っている集団」
の事を差すようです。
私見ではそのようなゆるやかな連携は存在すると思います。しかし、本当に「ステルス複合体」が「抵抗勢力」なのでしょうか?そもそも、「新自由主義の導入=改革」に抵抗するのは国民国家の利益を考えると穏当な場合もあり得るわけです。
確かに、官製不況なる言葉に表されるように、近年は所轄官庁が所轄官庁であり続けるための政策が実行されて、民業の足をひっぱるような事態も起きています。また、膨大な公債が積み上がり、国家の財政事情は悪化しています。公務員給与総額を減らさねば、国家破産は避けがたい状況です。よって、キャリア官僚制度の弊害は存在することは間違いありません。
しかし、小泉純一郎こそが、財務省の族議員であり、なおかつアメリカの利益を代弁する外資族議員です。旧大蔵省理財局は財政投融資を通じて毀損しまくった郵貯・簡保を総務省(旧郵政省)に返し、なおかつアメリカに売り渡すことにより責任を逃れようとしています。その片棒を担いだのが小泉純一郎・竹中平蔵です。後期高齢者医療制度を導入したのは当の小泉純一郎です。後期高齢者医療制度の本質は竹中平蔵の言うところの「人頭税」の制度導入に他なりません。
結論から先に申し上げれば、殲滅すべきはステルス複合体ではなくて、清和政策研究会です。「官僚は政治にそよぐ葦」であり、昨今の悪政の源泉は売米政治を続ける清和政策研究会にあります。
http://wanwanlapper.seesaa.net/article/99881325.html
418 :名無しさん@3周年:2008/06/27(金) 02:06:05 ID:FVsDlK8i
http://money6.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1145095961/418
2008.06.11 とんだ食わせ物!中川秀直著『官僚国家の崩壊』
暴論珍説メモ (38)
田畑光永 (ジャーナリスト)
しばらく前、自民党の大島理森国会対策委員長がテレビで「ねじれの丘」というのを歌って見せた。「今日も昨日もねじれの丘で・・・」と。
そう、今年の通常国会は初めからお終いまで(まだ終っていないが)、確かにねじれねじれで明け暮れた。自民党は要所で例の「三分の二」条項を使い、それではせっかく昨夏の参院選で大勝した甲斐がないと民主党は福田首相への問責決議案を出そうとしつつも、その後の見通しが立たずに逡巡しつつ日を過ごしてきた。いよいよ今日明日中に出すとか言っているが、さて土壇場でどうなるか、あの党のことだからなんともいえない。
ではあっても、国民からすれば、なんでも自民党の思い通りにはいかなくなったという意味で、去年、自民党を敗北させただけのことはあったのだが、駆け引きばかりが表に出て、国政を論ずるという点では「政治不在」という印象を免れなかった。
ところが、ここへ来て自民党内にいささか波風が立ってきたらしい。4日、総裁派閥の町村派で代表世話人を務める中川秀直元幹事長を囲む「中川勉強会(仮称)」が発足したというのである。現職総裁を擁する派閥はなるべく低姿勢を保って、総裁の任期を全うさせることに意を用いるというのが常識なのに、その総裁派閥の中で派中に派を作るような動きは異例である。
だから早速翌5日、同派の最高顧問である森喜朗元首相は派閥の総会で、「福田さんが今にも代わるのではないかと予測したような動きは、誰もしていないはずだ。我が派がいちばんやっちゃいけないことだ」(6日『朝日』)と苦言を呈したという。もっともである。
年金の騒ぎが収まらないうちに、後期高齢者医療保険でまたまた国民を怒らせてしまった自民党は、民主党の衆議院解散要求をなんとかしのいで風向きの変わるのを待つしかないというのが現状だが、すくなくとも「福田では選挙は戦えない」というのはコンセンサスになりつつある。といっても今の衆院議員の任期は来年の9月まで。あと1年ちょっとしかない。それまでに福田総裁の後釜を仕立てるとなると、すでに手を挙げている麻生太郎前幹事長がタナボタということになりかねない。
そんなにやすやすと政権をくれてやるわけにはいかないというのが、現職総裁派閥に身を置きながら、派中派をつくるという異例の行動に出た中川氏の胸中であろう。4日の初会合には同派の議員33人が出席し、そのほか秘書20人の代理主席(雲行きを見て参加しようという議員)があったという。相当な数である。
中川氏といえば、2000年に小渕首相が病に倒れた後に発足した森内閣で官房長官に就任したが、女性スキャンダルで無念の辞任に追い込まれたことは記憶に新しい(でしょ?)。それ以来、政府の役職にはつけず、もっぱら党で国対委員長、政調会長、幹事長を歴任してきたわけだが、謹慎ももういいだろうと表舞台に立つ決意をしたようだ。
その中川氏、最近「官僚国家の崩壊」という新著を出した。政治家が本を出すのは野心がある時が多い。安倍前首相が総裁選前に「美しい国へ」を出し、麻生氏が「とてつもない日本」を出した。中川氏のこの本も氏の政権取りへの信号弾なのであろう。
読んでみた。実は読み通すのが苦痛だった。題名のとおりわが国の官僚が政治家を手玉にとって政治を動かし、自分たちの既得権益にしがみつくのを痛罵している。防衛省、厚労省、国交省、財務省などなど、事務次官のゴルフ漬けから職員の居酒屋タクシーまで、お役人たちのすることに腹を立てていない人はいないはずだから、官僚を痛罵するのはいい。しかし、なんとも中身がうすいのである。
日本をウラで操る「ステルス複合体」などという新語を作って売り込んでいるのだが、話はあっちへ飛び、こっちへ飛びで、付き合うのに骨が折れる。しかも論旨はなはだ粗雑である。
例えば、自民党内には党人派と官僚派というグループ分けがあるが、現在は福田赳夫(現福田首相の父)以来の清和会の総理が四代(森、小泉、安倍、福田)続いているが、著者は「日本の順風の時代を担うのが官僚派であり、逆風の時代を担うのが党人派だ」とのべ、いかにも自分たちが今の日本を背負う党人派だと言いたげである。しかも、それ以前の党人派政権となると20年以上も昔の、1978年に退陣した福田(赳夫)政権までさかのぼらなければ存在しなかったと言い、「2000年の森政権の誕生は実に20年ぶりの政権交代であった」とまで言う。
こんな出鱈目な話はない。福田赳夫という人は大蔵省(当時)の主計局長まで務めた官僚中の官僚であり、その福田内閣の後に登場してきた自民党の歴代首相の大半、すなわち鈴木(善)、中曽根、竹下、宇野、海部、橋本(竜)、小渕の各氏はすべて党人である。官僚出身は大平、宮沢の二人しかいない。鈴木から小渕にいたるまでの各氏は、自身は党人でも官僚に牛耳られていたから「官僚派政権」だというなら、それはそれできちんと分析して見せるのがモノを書くということである。
もう一つ挙げよう。著者は道州制の支持者だそうだが、道州制を導入すれば国と地方の公務員が大幅に減るとして、現在の国家公務員30万人、都道府県公務員35万人、市町村公務員105万人、合計170万人が、それぞれ10万人、15万人、基礎自治体20万人の合計45万人になるという図表を大きく掲げている(257頁)。公務員がざっと4分の1になるというのだから、国民としては耳寄りな話である。しかし、この図表についての説明は1行もない。見落としたかと思って探してみたが、どこにもない。こんなものが本といえるか!
よく知られているように、中川氏は官僚の無駄遣いをやめさせ、なによりも経済を成長させることができれば、それによって消費税は上げなくてもやっていけるという立場である。消費税の値上げは避けて通れないとする「財政再建派」、とりわけその代表格である与謝野馨氏と対立している。前著「上げ潮の時代」以来、消費税値上げ不要論が中川氏の売りである。
本書でも中川氏は従来の主張を繰り返し、竹中平蔵氏の市場メカニズムによる改革路線を
大いに持ち上げて、その継承を打ち出している。それは考え方であるから、私には異論があるが、それはここでは述べない。私があえてこの本を取り上げたのは、日本の指導者たらんとする人間がその主張を書物という形で公にすることは大いに称揚したいのだが、それにしてはあまりにおざなりなものを持ち出してくるその傲慢さが腹に据えかねるからだ。
街頭演説や反対党との討論やテレビ番組では十分に考えを説明できないから本を書いてとことん説明するというのなら大いに歓迎だが、大衆にはいい加減なことを言っておけばいい、どうせ細かいことはわからないのだから、箔をつけるために本を出すという人をばかにした態度は許せない。そんな御託につきあう暇はないのだ。
中川氏の本だけを取り上げるのは不公平だから、次回はライバルとされる与謝野氏の新著「堂々たる政治」を紹介することにしよう。
http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-370.html
注
ステルス(Stealth)とは、軍用機、軍艦、戦闘車両等の兵器をレーダー等のセンサー類から探知され難くする為の軍事技術の総称。
単にそれらの技術を取り入れて開発された兵器を指してステルスと呼ぶ事もある。「ステルス性」という言葉は「ある兵器がセンサー類からどの程度探知され難いか」という事を相対的に表す。ステルスの本来の意味は「こっそりとする」「隠れる」である。
※友人がオタクについて語った文章が面白かったので、許可を得て増田へ転載。
以下、友人の弁。
オタクが現実の問題について考えるとき・語るときに陥らないよう注意すべき点として、オタクのなかに強く見られる論理と心理の問題を以下に例示する。
これはべつにオタクじゃなくても当てはまるだろうという指摘があるとすればそれはその通りだが、ここで対象をオタクに限定したのは、筆者自身がいわゆるオタクであり、オタクのなかに見られる論理と心理について、ほかの集団のそれについてよりもよく見知っているという理由による。したがってここで例示したものは、あくまでそれがオタクにおいて比較的傾向的に強く見られるという筆者の観察に基づいている。
カッコイイズム
「カッコイイ」ものに対する素朴なあこがれと肯定の心理。ここで言う「カッコイイ」ものとは、たとえば、強さ、正義、純粋さなど、ヒーローものやロボットアニメなどに典型的に表されている価値観。こうした「カッコイイ」という観念は、具体的な作品を通して、実体的なものと結びついている場合が少なくない。典型的には武器・兵器との結びつき。強さへのあこがれと肯定が武器・兵器へのあこがれと肯定になって表れる。とくに男性オタクの場合、幼少期の経験によって、こうした素朴な心理がほとんど所与のものとなっている場合が多い。
こうした心理が現実の問題に適用された場合、非妥協的で一方的な強硬論の主張として表現されることになる(ヒーローはその純粋さと強さでもって有無を言わさず正義を実現する!)。たとえば、オタクが対北朝鮮問題について一方的な強硬論を唱えたり、日本の安全保障について軍拡論(さらには核武装論)を唱えたりする場合、その中には素朴なカッコイイズムの心理(しかも軍事力と結びついた軍事カッコイイズム)が混入していることが少なくない。もっと穏やかな形では、「あんなヤツやっつけちゃえよ」といった言説。自分だけの単純・素朴な心理(しかもしばしば暴力と結びついている)だけでもって複雑な現実を捉え解決しようとする点で非常に問題。
善悪二元論……敵の悪魔化と味方の無謬化
正義と悪の戦いというものの見方。典型的なヒーローものの論理。
敵=悪玉の論理。相手が何か一つでも悪事をはたらけば、事の大小も問わず、責任の限界も取り払って、相手を邪知暴虐な悪の枢軸にしてしまう。相手のすべての行動が邪悪な行動とされ、相手は邪悪なことなら何でも企みうるし、なし得るとされる。敵の悪魔化・万能化。行動が悪なのは人格が悪だからという論理、悪の人格からは悪の行動しか出てこないという論理。さらには、その悪に関係する人、組織、集団や、悪を擁護するものも一律に悪とされる。悪の肥大化。
これと対照的な形で善玉の論理が出てくる。上記のような巨悪を批判・非難する側はつねに正義であり、悪を殲滅するまで徹底的に攻撃を加えるべきだとする論理。結果として、邪知暴虐な悪との対決にはあらゆる手段が用いられ、往々にして敵よりも残酷で非道な手段を用いることも少なくないが、そうした手段は目的の「正しさ」によって正当化される。敵が悪魔化されたのとは対照的に、味方は無謬化される。宗教戦争に典型的に見られる正戦論の論理。
こうした論理が現実に適用されている例は枚挙にいとまがない。犯罪者バッシング、不祥事バッシングのほとんどがこうした論理によって展開されている。
現実はもっと複雑であり、善悪二元論で割り切れるものではないということ。善からは善のみが、悪からは悪のみが生まれるわけではなく、しばしばその逆であるということ。仮に犯罪や不祥事があったとしても、その事実をありのままに観察して論じること。特定の人格、集団、組織にすべての悪を引き受けさせるのは現実的なものの見方ではない。悪をなした側には悪をなした側なりの論理や心理がありうる(一応、オタク文化にもそうした側面に配慮した例外的な作品はある。『逆シャア』など)。単に人格的なレヴェルの問題だけでなく、構造的なレヴェルでの問題を見ること。そうした現実の複雑さに耐えきれず、問題を最初からすべて善悪二元論の鋳型に流し込んでしまうのは、宗教家かデマゴーグの方法。
問題の人格化
肯定・否定問わず、あらゆる対象を大小さまざまに人格化・キャラ化する論理。
これが現実に適用されると、典型的には民族や国家を人格化するようなことが起こる。さいきんでは『ヘタリア』の例。人格化された対象はある一定の本質を持っているように描かれ、ステレオタイプが促進される。
さらに、人格化された対象が実在の特定人格と結びつく傾向もある。たとえば、日韓関係が小泉vs盧武鉉のような形で著しく人格化されて語られた。これを歴史観に反映すると特定の人物に歴史を仮託した英雄史観になり、現実政治に適用された場合には指導者待望論につながる。
感情移入と過度の思い入れ
対象へ感情的・感傷的に没入する。対象と一体化した共感・同情。惚れた状態。マイナス面が見えなくなる。あばたもえくぼ。
現実に適用された例としては、拉致被害者家族会に対する感情移入。「被害者家族はこんなにかわいそうなのに、どうして北朝鮮に譲歩するのだ」という主張。共感・同情・思い入れが唯一の原理になる。没入対象が民族や国家などの場合は排外的ナショナリズムになる。
主観主義・心情主義
主観的心情と客観的現実とを同一視。あるいは、客観的現実を無視。
典型的な形態としては精神論。あきらめず努力すれば必ず夢は叶うという心情(ジャンプ的な少年マンガにも、少女マンガにも共通した心理)。
観念的空想
観念的な空想をもとに話をしてしまう傾向。「あれは??に違いない」「これは??なのではないか」という、根拠の薄い空想や概念操作を前提として議論を展開する。
オタク的な想像力の源泉とも言えるが、現実の問題に適用された場合、「どうせ??だろう」といった非現実的な憶測・陰謀論や、「もしかしたら??かもしれない」といった希望的観測にしかならない。
拗ね者意識、ルサンチマン
オタクがなお社会的弱者であるという現実から引き起こされる心理。潜在的にせよ顕在的にせよ、自分が疎外されているという意識。
こうした疎外感や拗ね者意識はオタク文化が閉鎖的土壌のもとで独自に発展する要因ともなったが、関心が外の現実に向けられた場合、マジョリティ・メインストリーム・既得権益、さらにはほかの社会的弱者に対する引きずり降ろしの心理がはたらく。
また、社会的弱者であることを一種の免罪符としてあらゆる粗暴が肯定され(被抑圧状態の復讐)、ひとしきり気分よく暴れることで欲求不満を一時的に解消しようとする。
「正しさ」信仰による偏向
どこまでも「正しい事実」を追求する態度。オタク文化の創作物のなかには「正しい公式設定」が存在しうるし、作品解釈をめぐってはそうした(しばしば枝葉末節に渡るほどの)「正しさ」が重要な論点となる場合がある。オタクのパラノイア的側面。
しかし、現実世界においては「正しい公式設定」は存在しない。正しい見方、正しい歴史、正しい勢力は存在しない。あらゆることが論争の対象。「正しさ」だけをもって現実を語ることはできない。政府の「公式見解」が時として「正しい事実」に反することには異議を唱えなければならないが、一方でそれが時として「事実上」(de facto)通用するという現実の意味も認めなければならない。現実の複雑で多様な側面に目を配る必要。一方だけの「正しい」主張しか知らないのはいかにも中途半端で偏向している。
中道、無関心への逃避
積極的な主張をするのではなく、むしろ中道や無関心を言うことで、現実の多様性とそこから要請される態度決定を忌避しようとする心理。「人それぞれ」という底なしの相対主義もこの系列。
しかし中道や無関心も歴然とした1つの立場である。これを認識することが肝要。むしろこうした無自覚な中道派や無関心派は、普段から積極的に態度決定する訓練をしていないだけに、イザというとき冷静な判断ができないおそれがある。
議論ずらしと無責任
「ネタ」「ベタ」「メタ」という形で議論のレヴェルをずらす傾向。オタクのスキゾ的側面。
空想や観念の世界に思いをめぐらす議論ならともかく、現実について考える・論じるときにこれをやると、とんでもない無責任な方言、責任回避になる。
とくにネットのような場所では、万人が非常に気軽に意見表明できると同時に、その影響範囲はきわめて広範囲に及ぶ可能性があり、責任は思いのほか重大。他者に責任を転嫁したり、「ネタだから」などとごまかすくらいならば、意見表明などしないほうがよい。
※投稿者としてはこの主張全てに同意するわけではないのだけど(例えば、一口に「オタク」と言っても、北朝鮮への一方的な強硬論や核武装を訴えるような軍オタにはそうそうお目に掛かれない)、こういう傾向は確かにあるかもしれないと感じる。これを見ているオタクの増田諸兄はどう思われるでしょうか。
元増田の言う現実ってのは、「いろんな人がいて、それぞれの立場がある。だからMADとか二次創作とか消されても、ニコ厨である自分の立場だけで考えて喚くとみっともない」ということだな。それ自体にはおおむね同意できる。最近削除されたMADのコメントにも「削除した運営には人間性が無いのか!」といったものがあったけど、そういう発言ができる者の人間性こそが疑われるよね。
>MADなどの二次創作に批判的な人間はテレビ局などの「既得権益」だけじゃない
ここも理解できるけど、ニコニコ動画のようなWebサービスにわざわざ来ている以上、自分が見たいものだけ選別して見るリテラシーがないと楽しむのは難しい。同じ原作を愛する者として、「MADも好きな層」が「MADは嫌いな層」に言えることは、「嫌なら見ない方が良い」という愛のある忠告しかない。それが互いの立場を鑑みた上でできることの限界ではないかな。
誤って広まっているパロディ条項を盲目的に信じているあたり無知だが内容もあほすぎる。
ニコニコ動画をやっているのはニワンゴで、その親会社は上場会社のドワンゴであり、しかもその大株主がエイベックスということを知らないようだ。こういうことを知っていれば体面を気にしざるを得ない状況がわかり、こんなことはいえないだろう。ゲームですら「ゲームのプレイ動画が削除される理由」というように声優との関係で削除される場合があるのに。エイベックスの間接的な影響下にあり上場会社の子会社である以上、体面を気にしなければならない状況が理解できていないようだ。
それにクリエイターやクリエイターでない人間の中にもMADなどの二次創作が嫌いな人間もいるのは東方の件を見れば明らか。今回の件だってエロゲメーカーがwinnyのせいで売れないって言ったときにエロゲメーカーに批判的なレスばかり抜き出した「痛いニュース」ですら、
105 名前: モーネ・アホカト(秋田県)[sage] 投稿日:2008/07/02(水) 16:21:26.15 ID:eAVKx9Lz0
109 名前: パスオ・シエロ(四国地方)[sage] 投稿日:2008/07/02(水) 16:21:59.70 ID:CgGAJG/G0
他人の素材を作ってコピペしてるだけだもんな・・・
145 名前: ナレ・アウナ(兵庫県)[] 投稿日:2008/07/02(水) 16:25:13.03 ID:2D8squfh0
MADは宣伝になる!とか言ってる奴いるけど
といったMADに批判的なレスも抜き出してるんだぜ。いい加減MADなどの二次創作に批判的な人間はテレビ局などの「既得権益」だけじゃないって現実を見ろよ。
それにニコ厨による著作権改正のムーブメントだって?ありえん(笑)。違法アップロードする人間が逮捕されると「馬鹿だ」といい、ダウンロード違法化が叫ばれ始めると「(著作権法ではなく)アップロードする人間が悪い」とか言い始める連中だぜ。いい加減現実を見ろ。
そもそも東方などの例外を除けばMADなどの二次創作を見る人間は、原作が好きなわけだ。だから原作者が二次創作に厳しいからといって、原作を嫌いになることはまずない。過去ポケモン同人誌事件などのように二次創作が取り締まられることがあった。そういうときは確かに一定程度批判が起き、不買運動が叫ばれたが現実にはなされることがなかった。細かいことは忘れたがハリーポッターの作者が二次創作を否定するようなことをいったときは、不買運動の呼びかけなどの過激な意見はほとんどなかった。基本的にみんな原作が好きなのだ。原作が好きだから、二次創作をするし二次創作を見る。だから二次創作に厳しくても、漫画家やアニメの制作会社などの原作者を批判する動きはとても小さい。東方のように二次創作から原作に入るこいつのようなニコ厨にはこのあたりの事情が理解できないんだろうが。「二次創作認める俺って、先進的!」なんて単純に考えてるんだろうな。二次創作を否定することに過剰な反感を持つのはニコ厨と自称「二次創作者の味方」のコピーレフト原理主義者だけ。ほとんどの人は「できれば認めてほしい」とぐらいの反感は持つけど、基本的に作者を尊重する。だからMADが消されて騒ぐのは原作軽視のお馬鹿なニコ厨だけ。(この段落は7月3日8時20分頃に追加)
全くこれを書いた奴の脳内はいったいどうなってるんだ?自分に都合の良い情報しか入ってこないんだろうか?そういえばアニメが本格的に削除されはじめたときも、「これはアニメのアップロードを認めさせるためのニコニコの戦略に違いない」といっていた奴がいたな。「ニコニコ動画がアニメを削除することによりDVDの売上が減り、テレビ局や制作会社がニコニコ動画に頭を下げてアップロードをお願いするようになるんだ」ってお花畑なことを言ってた奴が。いまごろどうしてるんだろう?探したけど見つからなかった。「アニメの削除のせいでニコニコ動画の勢いがとまっているのではないか」というこの記事が出てきたから、もしかして恥ずかしくて削除したんだろうか?それとも「肉を切らせて骨を断とうとしているんだ!」と考えているんだろうか?いまだに黒字にすらならず持久戦なんてまず無理なのに。
まぁ、いずれにせよニコニコ動画を反著作権勢力として信じ神のごとくあがめ、ニコ厨の立場からしか物事を考えられず同じニコ厨の言葉しか聞かないニコ厨どもは現実を見ろといいたい。
引きこもりや統合失調症患者がそれを言い訳に自己正当化することや、加藤容疑者と一緒。
男で自分の性別を理由に負けた言い訳する奴がいるだろうか?
歴史上行われてきた積極的差別是正措置はほとんど失敗で、既得権益を弱者に譲り渡し、国を骨抜きにしただけだった。
黒人で女性のライスも、アファーマティブアクションには反対してる。
いくらご大層なことを言ってたってアニメをただで見たいだけなんだから。YouTubeが出たときは「広告効果を利用しCDやDVDを売り、ネットではただで配信するべきだ」みたいなことがいわれ、YouTubeみたいなものが次世代のサービスみたいに言われていた。ほとんどのテレビ番組はDVDを発売しないのにもかかわらずにね。こうした主張はニコニコ動画が出たあたりでもっとも盛んに言われていた。しかしその後アニメーターやアダルトアニメの制作会社などが「売上が下がった」などと違法アップロードを非難しはじめるとこれが変わった。広告効果はほとんど無いことがわかったからだ。広告効果がほとんど無いことがわかったせいで「広告効果で??」というフレーズが使えなくなった。ほんとならここで間違いを認め、どこが間違っていたのか反省すべきであった。ニコ厨みたいな奴らは口では作品やクリエイターを尊敬しているなどと言っていた。そうであれば自分たちの考えがどう間違っていたのか反省し、建設的な議論を進めるべきであった。今までの考え方を改め現行のフリーライダーを排除する著作権法を大筋で認めるのもよし、「広告効果で??」という考えを発展させるというものでもよかった。しかしそうはならなかった。ニコ厨みたいな作品を軽視する奴らは誤りを認めず、自分たちの考えのどこが間違っていなかったのか全く考えなかった。YouTubeなどを賞賛し、テレビ局などの「既得権益」を批判していた小倉弁護士や池田信夫氏などもいつの間にか「違法アップロードはよくない」と主張するどちらかといえばテレビ局よりなMIAUに鞍替えしていた(あくまで「広告効果を利用しCDやDVDを売り、ネットではただで配信するべきだ」などの意見と比べた場合。「広告効果を利用しCDやDVDを売り、ネットではただで配信するべきだ」と考えるのであれば違法アップロードもよいことになるので、MIAUの主張はこの考え方よりもテレビ局よりといえる。そういう比較を抜きにすればMIAUは反テレビ局だが)。それどころか開き直りまた新しいもっともらしい理由を考え出した。「クリエイターが無能で良い作品を作ってないからだ」と。結局ニコ厨みたいな作品を軽視する奴らはクリエイターや作品のことは何にも考えてないのだ。本当に考えているのであれば自分たちの誤りを認め議論を発展させるべきだった。だがそうしなかった。奴らの本音は「アニメをただでみたい」それだけなのだ。だから自分たちの主張が崩されても反省しない。ただアニメを無料でみるためのもっともらしい主張を新しく作るだけだ。ニコ厨みたいな他人の創作物を軽視する奴らとは議論しても無駄だ。そこには何の建設的な議論は生まれないし、考えを改めさせるのも無理だ。この件で言えば「電通の中抜き」うんぬんはDVDを買わずフリーライドするための口実にしかすぎない。それが崩されてもまた新たな口実を作るだけだ。ニコ厨みたいに他人の創作物を軽視する奴になにをいっても無駄なのである。
「「女性のみ」又は「女性優遇」の措置は,……男女の均等な機会および待遇を実質的に確保することを目的とした措置,すなわち,過去の女性労働者に対する取扱いなどが原因で雇用の場に生じている男性労働者との間の事実上の格差を是正することを目的として行う措置については法に違反しない」
と書かれている。
これが事実としてあることは分かる。個人的には、正直こんなことを数値目標なりにして設定すること自体が健全な対処法とも思えないんだが。
聞いた話では、旧態依然とした勢力(つまりこの手の対応の意図するところを読み取れずセクハラまがいの解釈しかできないオッサン)が
管理者層に居る限り、法律の後押しがないと意識変革が進まないというなんとも忸怩たる現状があるんだそうだ。つまり今は過渡期なんだな。
だから数十年後、雇用に関する性差別について真っ当な意識が育つような情勢になったらこの手のネットは外すべき、なんだが、
オレは「働かない」を前面に出しているよ。
少なくともお金を稼ぐために働くというのは良くないと考えている。稼ぐために働きだすと止まらなくなるんだ。どんどん効率を求めだして、結局のところ投資家になっちゃうんだ。投機家かな。
んま、それは極論なんだけど。
何で働くかっていったら、働かないと退屈なんだよ。他人と仲良くしたり、ケンカしたりしないと退屈なの。だから働くの。働くと他人の役に立ったりするときもたまにあるから、自分も社会の一部なんだなと、そこでようやく実感できるんだよ。
なので、オレは同じ職場の人たちと平和に仲良く過ごすために働いてる。もしも、働かなくても皆と仲良く過ごせるなら働かなくてもいいかな。
実際、既得権益バリバリの業種だとミンナ揃って働いてないくせに、ミンナ仲がいいんだぜ。世の中ってそういうもんだなぁって思うよ。
揚げ足取りたいわけじゃないが「バブルが崩壊した頃」に「日本がこれからダメになる」と「適確に予測」するくらいのことは誰にでもできたんじゃないか、常考。
で、「バブル崩壊の頃」に既得権益者が54%いたとして、今、彼の云う「既得権益者」の割合はどうなっているのか。
たとえば非正規雇用は90年代後半からリストラと就職氷河期によって爆裂に増えたわけだが、それでもその「予測」とやらと「日本は変わらない、なぜなら既得権益者が…」という「オハナシ」とやらはありがたく拝聴するべきなんだろうか?
小泉劇場に踊らされた人びとのことは基本的に腹立たしいが、それでも彼らが「改革を望まなかった」とは到底思えない。リンカーン氏の言葉はそろそろ忘れた方がいいんじゃないだろうか。とはいえ昨夏の「年金旋風」で今度は逆に踊った国民の姿をみれば「二度あることは三度ある」という気も……
弱者男性の共通のスケープゴートが欲しいだけなんじゃないかと思う。ナチも利用した古典的手法だけど、人間が結束するのは共通の敵を持ったときって言うよ。本来の敵(既得権者)に攻撃の先が向かわず、都合がいい矛先なんじゃないの。大体、女(若く美しい女だけでブスと年増は目に入ってない)をチヤホヤするのは男性の欲望のせいなのに、自分達の欲望のためにそうやっておいて、優遇は許せないとか吹き上がっているのはなんなんだと思う。とことん女は蚊帳の外で、なにが来ても受け身でしかいられない世の中だと思う。そりゃ利用するだけしてやろうって考えでもしないと、やってらんないわ。
既得権益にあぐらをかいてるよねー。
自分の立場をわかってないなぁ。
大阪府はいっそのこと大規模リストラしたほうが早いんじゃなかろうか。
がんばれ橋下。
・お上が全てを統括すればいい。
・「公衆の敵」認定さえすれば、グレーだろうがなんだろうが晒しあげて即悪断定。
・身内には徹底的に甘く、かばい合い体質。保身絶対主義。
・本当は資本主義や競争が大嫌い。出る杭はよってたかって叩きまくる。
・でも自分が儲かることだけは大好きで甘い汁は吸いまくる。
・さんざん口だけ出すが、自分は絶対に責任をとらない。
・自分たちの既得権益には指一本触らせない。金切り声を上げて正義を叫ぶ。
・上(お上)にはヘイコラ従うが、下(庶民)の意見は「今後ノ参考ニサセテイタダキマス」。
・そのくせ、自分たちは「国民のため」にやっているのだ、と空々しいことを平気で言う。
・お上が全てを統括すればいい、と考えている。
・「公衆の敵」認定さえすれば、グレーだろうがなんだろうが晒しあげて即悪断定。
・だが身内には徹底的に甘く、かばい合い体質。保身絶対主義。
・本当は資本主義や競争が大嫌い。出る杭はよってたかって叩きまくる。
・でも自分が儲かることだけは大好きで甘い汁は吸いまくる。
・さんざん口だけ出すが、自分は絶対に責任をとらない。
・自分たちの既得権益には指一本触らせない。金切り声を上げて正義を叫ぶ。
・上(お上)にはヘイコラ従うが、下(庶民)の意見は「今後ノ参考ニサセテイタダキマス」。
・そのくせ、自分たちは「国民のため」にやっているのだ、と空々しいことを平気で言う。
俺「(それは知事関係ない・・)いろんな意味でこれまで政治を一党独裁にし続けてきた結果だから、ある意味国民の責任でもあるんだよ。おばあちゃんだって、選挙行ってないでしょ。」
93年とかに政権交代あったしそれ以降連立政権泡家で一党独裁じゃないと思うんだけど。自民以外の政党の立候補も投票も禁止されてない。
政選挙のときとか上がってたから低迷し続けてるわけでもないし、最近は自民党より民主党のほうが得票数は安定してる。得票数見ると主要政党で一番不安定なのが自民党。そもそも業界団体とかの選挙活動は投票率高かったころのほうが盛んなわけで低投票率=既得権団体が有利というのはかなり怪しい。既得権がどんどんなくされていって圧力団体が選挙活動やるメリットが薄れたから、選挙に行く人減ったというほうが正確なんじゃないかと。
そのつけが今になって噴出しています。小泉首相により既得権益集団は多少潰されはしましたが、未だ道路に空港、新幹線と国の財政に寄生する利権団体はまだまだ存在します。はたして日本はいい方向に向かっているのでしょうか。そう思いたいものですが。
2000年以降公共投資は減らされ続けてGDP比で見るとここ30年で最低水準。土建屋が財政赤字を膨らませてるというのはもはや幻想。
それに高齢者医療を導入決定したのも増税や医療費自己負担引き上げで貧乏人切捨てしたのも歴代政権で最も財政赤字を増やしたのも小泉政権なわけでその老人が嘆いてるのは既得権団体のツケというより小泉政権のつけでしょ。
うちの祖母は小学校時代、親戚の子供を背負って学校に行っていた逸話もある忍耐強く人間味あふれ、いい人だ。
その祖母が昨日こう言っていた
祖母「橋下知事は血も涙もない。無駄なものばかり作ってる一方で、貧乏な人を苦しめてばかり」
俺「でもその建物を作ったのは前の人で、橋下さんではないんだよ」
祖母「そりゃそうだけど。。。 高齢者負担とか天引きされて酷いよ」
俺「(それは知事関係ない・・)いろんな意味でこれまで政治を一党独裁にし続けてきた結果だから、ある意味国民の責任でもあるんだよ。おばあちゃんだって、選挙行ってないでしょ。」
祖母「いやちゃんと行ってるよ。失礼な。」
俺「え、そうなのか。。。でも自民党とか公明党に入れてるんじゃないの?」
祖母「ちゃんと応援して欲しいと頼まれた人に入れてる」
俺「・・・・・」
「いい人の多い国が、いい国にはなるとは限らない」のだなとしみじみ思った次第です。
投票率が低迷し続けてもう何年も経ちますが、その間に既得権益の安定票で当選しまくった自民党はやりたい放題。そのつけが今になって噴出しています。小泉首相により既得権益集団は多少潰されはしましたが、未だ道路に空港、新幹線と国の財政に寄生する利権団体はまだまだ存在します。はたして日本はいい方向に向かっているのでしょうか。そう思いたいものですが。
女には、自分がモテないのは自分を理解しない他人のせい、という発想がない気がする。
大抵モテないのは容姿のせいで、男が女を容姿で選ぶのは仕方がないよねってあきらめてる。
それが好みというものだから。
非モテ男の多くは、男が女を容姿で選ぶのは当たり前だけど、女が男を容姿で選ぶなんてあってはならないはずだ、と噴き上がってる人たちだよね。
何度も言われてることだけど、今までは男というだけで選ばれることが当たり前だった男たちの一部に「選ばれない」状況が出てきて、既得権益を失った人たちのあがきだよ。多分、雇用問題でも、優秀な女が雇用されるようになって弾かれた彼女らよりも優秀じゃない男が噴き上がってるのと同じ。