「既得権」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 既得権とは

2008-11-29

http://anond.hatelabo.jp/20081129010210

あー、「親族議員の場合に立候補禁止ルール」の増田です。

自分の発言から延びていてうれしい。

うん、言われてみると立候補の禁止まではしなくてもいいのかも。

地盤と資金力引継ぎの禁止まででいいか。

大統領の三選禁止の世代版と思ってほしい。

権力自動的に既得権者に集まるものなので、新規参入者に対して障壁になる。

新規参入者に対して可能な限り障壁を低くしておく必要があると考える。

2008-11-26

マスゴミ業界中の人乙。

http://anond.hatelabo.jp/20081126031331

なんというか……とっても言語化しにくいから肌で感じたことをそのまま書くけど、結局そんな責任逃れな「マスゴミ」的発言をしている人間責任を取るのはそういう良心的な人たちで、「マスゴミ」的な人には絶対届きません。

うん。断言する。絶対届きません。

つまりマスコミには自浄作用が無いということですか。それなら1回潰した方がいいですね。

なぜなら既得権益だから。良心があるなら既にそんなことしないから。

そしてそういう人たちは責任逃れをするのが得意だから。

いつも既得権益を批判している人たちが自分たちの既得権益は死守ですか?それなら1回潰した方がいいですね。

例えばみんなが変態変態って言ってる毎日新聞がどれだけ雇用を生み出しているか考えてほしい。

例えばみんながテロリストテロリストって言ってるアルカイダが(略

冷静に間違ってる所は間違ってると、その担当記者反省しなくてはいけないような状況をつくるのではなく、毎日新聞という看板ネットの人たちが叩いて泣くのは、毎日新聞記者やその妻や子供たちや、新聞配達出張所や新聞配達員の人たちです。

あなたの会社雪印不二家、あるいは他の企業の記事を扱った時、担当者責任者反省しなくてはいけないような状況をつくっていましたか?

看板を叩いて多くの社員家族を泣かせていませんでしたっけ?

普通公立学校の子のお父さんが毎日新聞記者だったからって、その子の明日も奪うのですか?お父さんが毎日新聞記者だっただけで?

高校大学入試で両親の職業を問われたことはありますか?それが合否に関係しましたか?

えらい人たちはキャリアお金コネがあるので母体が潰れたってさっさと他の雇用先を見つけますし、今の仕事をやめるのはダルいので責任を若い人に押し付けます。

だから泣くのは若い人や立場の弱い人です。今まで、ずっとそうでした。

つまりあなたの会社業界のえらい人は責任を取らないということですね。

ならば、あなたの会社業界がしてきたこと、具体的には責任追及を別の人がしないといけませんね。

「弱いもの達が夕暮れ更に弱いものを叩く」という慣用句があったと思うんだけど、マスゴミ叩きや電凸などはそれを地でいってるよ。

マスコミ業界内の特定の個人を叩くのではなく、社員数数百??数千人の大企業、そして「第4の権力」とまで言われる業界全体を叩いているのですが。

マスコミは頻繁に「自分が悪い」と反省していると、マスコミとして機能しなくなるから反省できない。

かかっているお金が大きいしプレッシャーも大きいしで修正が効かないのだろうね。

日頃から政治家官僚大企業のトップなどに「反省しろ」「謝罪しろ」と言っているのに自分達はそれをしないと?

マスコミを壊してまで拡大させるほどネットジャーナリストは「中立」で「正しい」ものなんだろうか?

正しいかどうかは保証しません。

では、マスコミは「中立」で「正しい」のですか?

「中立」で「正し」かったら、なぜネットから批判をされているのですか?

いつも疑問に思うんだけど、文句を言う人たちはなぜ、「他のメディアは信用できないから、自分たちだけのメディアを作ろう」とならないのだろうか。

「他のメディアは信用できないから、インターネット上に自分たちだけのメディアを作ろう」としている人や企業はたくさんあるよ。

J-CASTとか有名になってきたね。

ラジオTV新聞設備投資もかかるし、新規参入が難しいからね。

こうして書いている間にも、ただネットで叩いたり、電凸して社会貢献した気になっている人たちは際限なく沸いてくるんだろう。

ネットや直接の批判を少しでも受け止めようという気はあなたにも会社にも、そして業界にもないんですね。

そんなわけで、このごろ、本当にやるせない。

この部分だけは私も同じ気持ちです。

そうやって足引っ張って楽しいか?

今までそうやってマスコミ批判をたくさん見た。 自浄作用とか、マスゴミとか、あれこれ言われているけど、だったら今からみんながマスコミ就職なり、制作会社に入るなりしてよくしていけばいい話じゃない?
そんなに批判するなら、その崇高な精神を是非反映して業界自体を変えてほしい。
というか正直言って、そうやって批判する人たちは、その発言によってわずかな本当のマスコミとも言うべき、良心的な人たちの食い扶持を減らしているということにそろそろ気付いてほしい。

なんというか……とっても言語化しにくいから肌で感じたことをそのまま書くけど、結局そんな責任逃れな「マスゴミ」的発言をしている人間責任を取るのはそういう良心的な人たちで、「マスゴミ」的な人には絶対届きません。
うん。断言する。絶対届きません。
夜な夜な皆さんがネットで吹き上がってても、「マスゴミ」的な人は赤坂とか西麻布の個室でエロい飯食ってます。
そういう抗議をして泣くのは、あなたたちのような若者や、馬鹿正直にまっすぐな仕事している真面目な人だけです。
そうやって「お客さん」的立場から文句言ったり叩いたりしても「マスゴミ」は永遠にマスゴミ」です。
なぜなら既得権益だから。良心があるなら既にそんなことしないから。
そしてそういう人たちは責任逃れをするのが得意だから。

例えばみんなが変態変態って言ってる毎日新聞がどれだけ雇用を生み出しているか考えてほしい。
冷静に間違ってる所は間違ってると、その担当記者反省しなくてはいけないような状況をつくるのではなく、毎日新聞という看板ネットの人たちが叩いて泣くのは、毎日新聞記者やその妻や子供たちや、新聞配達出張所や新聞配達員の人たちです。それでいいんですか?それで満足するんですか?普通公立学校の子のお父さんが毎日新聞記者だったからって、その子の明日も奪うのですか?お父さんが毎日新聞記者だっただけで?
えらい人たちはキャリアお金コネがあるので母体が潰れたってさっさと他の雇用先を見つけますし、今の仕事をやめるのはダルいので責任を若い人に押し付けます。
だから泣くのは若い人や立場の弱い人です。今まで、ずっとそうでした。
みんなはネットジャーナリズムがどうとか言うけど、そういうやり方をして泣くのは、叩く看板の下でご飯を食べてる中で最もみんなに感覚が近くて立場の弱い人だけだと思うよ。
「弱いもの達が夕暮れ更に弱いものを叩く」という慣用句があったと思うんだけど、マスゴミ叩きや電凸などはそれを地でいってるよ。

そういう意味では「マスコミに言わせりゃ悪いのはネット」というのはあたってる。
どっちもどっち」って感じだ。どっちも、自分らが100パー正しいと言い張っている。
ネットマスコミも、自浄作用がほとんど作用してない&自分らが絶対正しいと言い張っている点ではまったく同じに自分には映る。
マスコミは頻繁に「自分が悪い」と反省していると、マスコミとして機能しなくなるから反省できない。
かかっているお金が大きいしプレッシャーも大きいしで修正が効かないのだろうね。
そしてネットは一つの大きな力として機能しなければいけないから、立ち止まって行動をやめにくい。
お金はないけど勢いは大きいし、行動をやめにくいプレッシャーというのはマスコミと同じぐらいだと思う。いわゆる「祭り」とか。
だから反省するってことは無いだろう。
結局、どっちもどっちに映るんだよね。
マスコミを壊してまで拡大させるほどネットジャーナリストは「中立」で「正しい」ものなんだろうか?

いつも疑問に思うんだけど、文句を言う人たちはなぜ、「他のメディアは信用できないから、自分たちだけのメディアを作ろう」とならないのだろうか。
自分学歴もないし才能もないから制作会社で1から叩き込まれているけど、はてなとか2ちゃんには高学歴で弁も立つ人もいるっぽいんだから、頑張ってコネ作ったりして新しいメディアを作ればいいのに。
少なくとも自分はそう思ってる。のでやってる。どうなるかわからんけど。
それもしないで、マスゴミマスゴミって叩いてばかりいるのはなんでなんだ?

こうして書いている間にも、ただネットで叩いたり、電凸して社会貢献した気になっている人たちは際限なく沸いてくるんだろう。
そうした行動の末には、その組織の中で一番弱い、電凸する人と同じような若い人や契約社員派遣が切られるだけなのに。
彼らが自分らの世直しの仕方は間違っているということに気付くのはいつなのか。永遠に来ないかも。
そんなわけで、このごろ、本当にやるせない。

http://anond.hatelabo.jp/20081125162529

b:id:westerndogのうわぁ ってコメントは一体どう言う意味なのだろうか?
うわぁこいつわかってねーよってならどの辺を勉強すればいいか聞くから教えてよ。
自分は、いまあるもの(マスコミ)は上手に使ってほしいし上手に共存してほしいと思ってる。
僕がwesterndogに「うわぁ」って思われてるように、マスコミのえらい人はネットの嫌マスコミな部分を「うわぁ」って思ってるんだってことだよ。
だから「うわぁ」って思っててもわかりあえないから、ちょっと一緒に考えないか?って言いたいんだ。
マスコミにも発言力はないけどネット寄りな若い人も居るし、そこをそんなふうにはねつけたらどっちも永遠に歩み寄れないし、どっちか(もしくは両方)が不幸になるしか落としどころが無くなってしまう。それでは何も進まない、今までと何も変わらないんじゃないかな。<nr>

2008-11-23

http://anond.hatelabo.jp/20081123171535

公教育だけでも社会の支配階層に食い込めるようなシステムづくりをしなければ永久に既得権益層による寡頭制社会が続くけどな。

これが本当なら一度でも中世封建制になった国は永久にそういう社会のはずだが現実には封建制が潰れたところはいくつもあるんだがそのあたりはどう思ってるんだろ。

そもそも中世が本当に機会の平等がなく固定化した社会だったのか自体疑問だが。

http://anond.hatelabo.jp/20081123171722

一つ勘違いがあるようだけど、私立に入ったからといって塾に通わなくてもOK、ではないよ。

俺は名門私立の中高一貫校卒だけど、東大医学部とかを目指す連中は、中学のうちから鉄緑会とかの難関大学専門の学習塾に通って勉強する。学校の授業自体は、確かに一般の中高と比べれば進度は速いが、それでも6年でやるところを5年でやる程度に過ぎない。高2や高3にもなれば、学力レベル別にクラス分けして夏に特別授業をやったりするが、あくまで受験に向けて最低限の基礎を押さえるというレベルで、これだけで志望大学に受かるというものではない。親や生徒もそれを分かってるから、早いうちから塾に通いだすし、教師側も学校の授業だけで東大に受からせるなんてハタから考えてはいない。

そもそも、俺の母校のような名門私立に入ってくるのは、元々学力が高く私教育にカネを出せる奴しかいないわけだ。東大合格者が多いのは、単にそういう奴がたくさん入学してくるからに過ぎない。それでさえ、東大早慶クラス入試パスできるのは、うちの場合上位三分の一程度。残り三分の二は順当なところに落ち着く。

まとめると、特定の名門校に入れば一流大学へのフリーパス保証される、というのは単なる幻想に過ぎない。そこへ上れるだけの意思と資質リソースを持つ奴が名門校通過している、というのが正しい。

http://anond.hatelabo.jp/20081123171535

公教育だけでも社会の支配階層に食い込めるようなシステムづくりをしなければ

永久に既得権益層による寡頭制社会が続くけどな。実質的に今の日本中世封建社会と変わらんよ。

機会の平等社会の硬直化を防ぐ意味でも保障されなければならない。

一流会社を頂点とする階層構造が実在し、それに乗っかること以外は重要ではない、と仮定するならそうだけどね。

ただ、上でも書いたけど、仮にそれが事実だとしても実際に「支配階層」とやらに入れるのは、一流の学校に所属している人間の中でもさらに極一部に過ぎない。俺は、そんな「機会」とやらのために全ての教育リソースを傾けるくらいなら、もっとオルタナティブの可能性を追求してもいいんじゃないかと思うんだけど。

http://anond.hatelabo.jp/20081123141410

ま、「しやすい」ってこたあないわな。どんな社会でもたいてい既得権益は守りたいわけで。

2008-11-05

日本は侵略国家であったのか」を読む 補遺

http://anond.hatelabo.jp/20081101232814

 こんにちは元増田です。

 その後、台湾外交部からも抗議声明が出されたようです。

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20081102-OYT1T00492.htm

 しかし、田母神氏ご本人は、「誤っているとは思わない」「(論文の内容について)今でも間違っていない」、

http://www.asahi.com/national/update/1103/TKY200811030159.html

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081103-OYT1T00526.htm

とおっしゃっておられるようであり、

近現代史の一面的な見方を見直そうという動きが各方面から起きていたが、その象徴的論文

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081103/plc0811031834005-n1.htm

という新聞もあるので、ネット上にある反論ソースをあげておくのも意味ないことではないと思い、対中外交について落ち穂拾いをしてみます。今回もネット上にあるものだけを参照しており、私はこの時代の一次史料を読んでいませんので、「ちらしのうら」であることに変わりはないですが、根拠を何も示さない所論よりはましだと思っています。

日本は・・・(中略)・・・相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない」のか

見出し引用の出所は、田母神俊雄日本は侵略国家であったのか」2008年

http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

それでは、公開されている次の論文を紹介する形で反論します。

古屋哲夫「対中国政策の構造をめぐって」『近代日本における東アジア問題』古屋哲夫山室信一編、吉川弘文館2001年、をPDFHTML化したもの(単行本にはあたっていないことをおことわりしておきます)。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/pdf/75.PDF

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 まず、日露戦争後の日本中国権益についてみてみましょう。そもそも初期条件は清の関与できない日露両国の話し合いで設定されました。

日露講和条約によって日本が獲得した在満権益とは、ロシア権益の残りの期間を、「清国政府ノ承諾」を条件として、譲り受けたものであり、具体的には 1923年大正12)に満期となる(露清原条約の期限が25年)遼東半島租借権と、運転開始から36年後の1939年昭和14)年に中国側に買戻権が生ずる南満洲鉄道経営権を中心とするものであった。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 清の事後的同意が必要とされたこと、租借権と経営権には期限が設けられていたことは留意されるべきでしょう。

 後の関東軍へとつながる駐兵権の話も、この段階で出てきます。

それは清国の了解なしに、その主権を侵害する鉄道守備兵駐兵権を設定したものであった。それは現に軍隊存在しているという既成事実を権益に転化させようとするものであり、日露両国は清国の主権侵害の共犯者となったことを意味し、また、以後の満洲支配についての日露共同行動の可能性をしめしたものでもあった。ところで講和条約ロシアから日本への権益の移転譲渡は、「清国政府ノ承諾」を条件とするとしており、それにもとづいて、1905年11??12月にそのための北京交渉が開かれたが、そこで清国側がもっとも強い反発をしめしたのは、この鉄道守備隊の問題であった。・・・(中略)・・・結局この問題は日本側が、ロシアが撤兵を承諾したときには、日本も同様に撤兵するという条件を付けただけで押し切ってしまうが、小村寿太郎全権は、ロシアの撤兵など起こりえず、したがって日本の撤兵もありえないものと考えていた(5)。この鉄道守備兵が、租借地守備兵とともに、後の関東軍を構成することとなる。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 先に既成事実があって後に法的に問題を確定させようとしていることは留意されるべきでしょう。

このようなやり方が、相手側に不満を生じさせ、後の紛争の種となるのも当然でしょう。

日露講和後の清国に対する交渉において、もっとも紛糾したのは、前述の駐兵権問題についで鉄道権益をめぐる問題であった。・・・(中略)・・・その結果、1905年12月に調印された、「満洲ニ関スル日清条約」(実質的内容は附属協定)では、吉長線も新奉線も協定附属の取極に譲らざるをえず、前者は清国の自主建設により、資金の不足分を日本からの借款による、後者日本から清国に売渡し、その改築のための費用を日本より借り入れる、という譲歩をよぎなくされている。結局協定本文には、安奉線が残されただけとなったが、これも軍用軽便鉄道商工業用に改良することは認めるが、18年後には清国に売り渡すべきことが規定されていた。それは安奉線についての日本の権利が、長春旅順間の鉄道とは全く異なるものとして協定されたことを意味していたが、日本側、とくに現地の実権を握る陸軍は、条約には目もくれず、安奉線を駐兵権や附属地を持つ満鉄の支線とすることを 実力で押し切ろうとしていた。

 実際に、満洲よりの日露両軍の撤兵期限である1907年明治40)4月になると、遂に、安奉線上の本渓湖の市街に新たに日本軍が進出し、同時に日本警察官出張所が設置されたとして、清国側からの抗議が提出された。これは前年8月陸軍が主導して在満権益を管轄するために設立された関東都督府(都督は陸軍大将または中将、初代は 大島義昌大将)が、既成事実を作り出しはじめたことを意味した。そして外務当局もこれを追認する態度を示している。日本側のやり方を条約違反とする清国の抗議に対して、同年5月18日林董外相は、安奉線は満鉄の支線であり、守備隊の駐屯や警察官派遣の権利も満鉄と同様だとの態度をとるよう奉天総領事に指示している(7)。それは条約よりも既成事実押し通せ、ということであり、対満洲政策の一つの性格が早くも形作られつつあったことを示している。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 上記のような「条約よりも既成事実押し通せ」という態度は、国際法にのっとった正当なものと言えるでしょうか。

軍と外務当局との関係については、一致することも異なることもあったでしょうが、ここでは両者ともに既成事実化をはかっています。

軍だけに責任を負わせることはできません。

安奉線が朝鮮半島満洲を直結するものとして重視されたことはいうまでもないが、日本側は他面では、韓国北東部に隣接し多数の韓国人が居住する間島地方に、領事館及分館を設立して、韓国人に対する領事裁判権を行使することで、日本の勢力を浸透させることを企図していた。そして清国側が容易に実行しないことを予期しながらも、日本希望を記録しておく意味で、前記「間島ニ関スル協約」に、清国が吉林から間島を経て韓国北部の会寧に達する鉄道建設する際には、吉長線と同一の弁法によることという一項を押し込んでいる。しかし中国側は辛亥革命後も、一貫してこの吉会線構想を拒否しており、満洲事変以前には交渉が成立する見込みさえも立たなかった。

 つまり、日露戦後の対中国政策は、その基礎に、「交渉」によっては解決しえない部分を抱えこむ形で出発しているのであり、この時点においてすでに、中国との平穏な交渉によって、利権拡張を図ることは不可能になっていたと言える。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 ここまであげてきた行為から、相手国の了承などどこ吹く風といった態度があったことは明らかではないでしょうか。

 つづいて、中華民国期に入ります。

ところで日本が主導しえなかったこうした〔引用者注辛亥革命以後の〕経過の中でも、日本の対中国政策のなかに、様々な特徴が蓄積されてくる点に注目しておかなくてはならない。その第一は、中国全体の情勢を制しえないならば、むしろ分裂を促進して日本が操作しうる地域を造りだそうという発想が生まれてきたという点である。たとえば、在清国公使伊集院彦吉は、1911年10月18日の時点で、清朝にもはや中国全土を統治する力はないとして、「中清ト南清ニ尠クトモ独立ノ二ケ国ヲ起シ、而シテ北清ハ現朝廷ヲ以テ之カ統治ヲ継続セシムヘシ」「何レノ途北清ノー角二清朝ヲ存シ、永ク漢人ト対峙セシムルハ帝国ノ為得策ナリト思考ス(10)」 との意見外相におくり、さらに11月19日になると、清朝の情勢がより困難となりこの三分案の見込みもうすれたとし、第二案として清朝をして「十八省以外満蒙等ノ地域」に国を保持させる、それも駄目で清朝滅亡の際には第三策として新共和国首都を武昌など中国中央に置かしめ「満蒙ノ地域ヲ遠ク辺外二置キ漸ク閑却セシムル(11)」との意見を具申している。それは親日地域の確保のための中国分割という発想に行き着くことになろう。さらに翌12年2月になると、いわゆる大陸浪人川島浪速らが、参謀本部関東都督府と連絡しつつ、北京より脱出させた清朝親王を擁し、蒙古の王公らをも参加させて、満蒙独立国を造り出そうとする画策が実際に行われるに至っている。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

ここでは、一外交官、一大陸浪人の例しかあげられていませんが、後にみるように、国の分裂を促進させようというのは国の政策となっていくのであり、その萌芽がみられることは留意しておくべきでしょう。また、ここでも軍のかかわりがみられるようです。もちろん、他国を分裂させようというのは、相手の了承を得た、国家間の条約を尊重する態度とは言えないでしょう。

この間〔引用者注革命後、1910年代前半の中国情勢の混乱〕に付加された対中国政策における第二の特徴として、中国現地において日本軍人が侮辱されたと日本側が解釈した場合には、「原因の如何にかかわらず」、中国側に責任者の処罰と謝罪を行わせて、日本軍威信を守るという方式が打ち出されてきたことに注目しておかなくてはならない。いわゆる第二革命の 時期に、日本人が被害を受けたとする、漢口・エン州・南京の三事件がおこっている・・・(後略)・・・

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 漢口事件について、古屋論文に基づき、要約します。

 まず、陸軍少尉中国軍の制止を無視して戒厳地区に進入し、一時抑留されました。

 軍からの報告は、「無抵抗の西村少尉らが、理由もなく暴行を受け、軍服をぬがされるなどの侮辱を受けた」というものでしたが、日本の総領事は「これを信用せず、自ら調査して西村らの横暴と暴行について牧野伸顯外相(第一次山本内閣)に報告」しました。しかし、「陸軍中央部は、現地の調査も行わずに、「日本将校凌辱事件」として」、謝罪と賠償利権を要求し、結果として中国側に処罰・謝罪させたものです。

 古屋論文は、このような事例が満洲では蓄積されていたであろうことを指摘し、「このような先例の蓄積は、「日本軍威信」の確保を第一義とするという条件によって、日本の対中国政策が実質的に拘束されるようになってゆくことを意味していた。そしてその翌年の第一次大戦への参戦は、対中国政策にさらに決定的な影響を及ぼすこととなった」と評価しています。

 交渉ごとにおいて、譲歩できないものを必要以上に多くすることは、カードの手札を事前に少なくしているのと同じではないでしょうか。

 つづいて、第一次大戦下の部分をみていきましょう。

第一次大戦下で目に付くのは、前述した鉄道付属経営権や、軍の威信を確保する事件解決方式など、条約面に現れない既得権の高圧的行使や、軍を背景とし、あるいは軍に依拠した陰謀的行動の横行であった。とくに袁世凱が自派による帝政運動組織し、1916年1月1日帝位について洪憲元年と称したのに対して、反対派が第三革命に立ち上がるという事態に対応して、大隈内閣が反袁運動支援の方針を決定したことは、こうした傾向を著しく促進することになった・・・(中略)・・・この〔引用者注内閣の〕方針は具体的には「適当ナル機会ヲ俟テ南軍ヲ交戦団体ト承認スルコト」などをあげているが、実際には山東に居座った日本軍(侵攻以来ワシントン会議後 まで7年以上駐留)や、満鉄守備隊を含む関東都督府の現地軍が関与あるいは支援したことが、最も重要であったと見られる・・・(中略)・・・大隈内閣の反袁政策は、結局のところ、現地日本軍と其の周辺の日本人の横暴への反感を広めただけに終わったようにおもわれる・・・(中略)・・・第一次大戦下の日本の対中国政策は、侵略性の膨張として特徴づけることができるが、列強のすべてが参戦し、中国に手を出すいとまがないという条件のもとで、初めて実現したものであり、従って戦争の終結とともに転換を迫られることは必至であった・・・(中略)・・・日本軍は、青島を攻撃・占領する以前に、ドイツ兵に守られているわけでもない中独合弁の私立会社経営する山東鉄道を占領(26)しているのであり、日本の参戦がたんにドイツ軍事力の打破のみでなく、新たな権益の獲得を目指していることは明らかと見られた。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 ここでは、中国の内部分裂を促進させる政策を内閣採用しています。政治が、権謀術数やパワーゲームというのはその通りなのかも知れませんが、これに対する中国の、その民衆の反発は至極まっとうなものでしょう。ベルサイユ講和会議における中国の要求が退けられたことから、五四運動へとつながります(中国ベルサイユ条約への調印を拒否しました)。周りにいくら根回しをしても、当事者同士に納得が得られなければ物事は進みません。

 そして、アジアの国際秩序について話しあわれたワシントン会議では九か国条約が結ばれます。

中国政策全体は、領土保全・門戸開放・機会均等というアメリカの主張を柱とする九か国条約規制されることになり、そこには勢力範囲政策を排除することも明文化されていた。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html


 このような流れのなか、詳細は省きますが、古屋論文では、「国際的に通用しなくなって」きた「特殊権益」、「勢力範囲」にかわり、「満蒙治安維持」という、関東軍の謀略による満洲事変につながっていく「政策理念」が出てくるとされます。

しかしそれ〔引用者注:満蒙治安維持〕は、他国の一部を自国の利益に従属させるという点では、勢力範囲と同じことであり、中国との対等の関係確立するためには、破棄しなければならない要求であった。しかしそのことは、幣原外交においても、ほとんど意識されることはなかったように思われる。

 それは幣原外交もまた、国民の対中国意識のあり方に規制されていたということであろうか。第一次大戦中に強められ広められた中国に対する侮蔑を基礎とする優越感は、大正デモクラシーによっても解体されることはなかったし、さらにその基底では、満蒙を20万の将兵の血と20億の巨費であがなわれた明治天皇の遺産とみる天皇制意識が形成され、大衆呪縛していたことであろう。現地軍における統帥権独立と、国内における大衆中国侮蔑感とは、対中国政策の構造的改造を困難にするものであった。そしてその大衆意識は、満洲事変への共鳴板として鳴りはじめ、状況を一挙に転換させることになるのであった。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 ここまでみてきたような、日露戦争から満洲事変にいたる流れをおさえてなお、「相手国の了承を得」た、「条約に基づいた」と表現することが妥当なのでしょうか。ご覧の通り、日本大陸政策に対する軍の関与は明白ですが、まさか防衛大を卒業された方がこの程度の知識をご存知ないとは思いませんので、あの「論文」の内容とどのように整合性をとられているのか興味深いところです。

 さて、このように、一つの論文をみて、「論文」の一部の所説を検討するだけでも結構な手間がかかります。歴史勉強はそれほど甘くはありません。粗雑な「論」を示して誤りはないと言われても困ります。また、「事実小説より奇なり」ということもありますし、歴史学においては、「神は細部に宿る」こともあるので、個人の感覚からおかしいと言うだけでは有効な批判にはなりません。また、学問においては、勉強が足りずに事実認識が間違っているのは、明らかに勉強が足りないことに非があります。今は勉強不足で根拠が示せないというのであれば、その主張は根拠がないゆえに認めれらないのです。いつか証明されるのかもしれませんが、そのときが来るまでその主張に強度はありません。

 ところで、古屋論文の最後に、「国内における大衆中国侮蔑感」の問題が出てきました。今もまた、中国に対する偏見百害あって一利なしであり、中国の実態を虚心にみつめ、評価しなければならない、と私は考えています。

 その意味で、中国の民衆運動について、興味深い論文をみつけたので最後に紹介します。

しかし,中国民衆のナショナリズムとは,つねにそうした「暴力」をともなうものとしてしか実現されなかったのであろうか。そこには多くの場合,「暴力」の受け手の側からするバイアスがかかってはいないだろうか。一昨年の,「反日デモ」についての日本マスコミ報道が,デモの「被害」を強調し,一面的な批判に終始したことも想起される。「歴史」と「現在」を同時に射程に入れねばならない現代史研究者にとって,そして,民衆の運動対象であったわれわれ外国研究者にとって,必要なのはこうしたバイアスを克服し,実証的に中国の民衆のナショナリズムの実態を注視することではないか

江田憲治「民衆運動ナショナリズム1925年の五・三〇事件を手がかりとして―」『現代中国研究』21、2007年、27-28ページ。http://modernchina.rwx.jp/magazine/21/eda.pdf

 私はこの問題意識に全面的に賛同し、実証的な近現代史の議論が進められることを希望するものです。

またしても、このような長文をお読みになってくださった方に感謝します。

保険かけて死ねよ!」は勿体無い

被害者という立場は、一端その状態になってしまえば物凄く有利で

上手く事を運べば世間様も味方になってくれる最強のステータスなんだ。

馬鹿な発言をして折角の既得権利に傷を付けてしまうのは余りにも勿体無い。

2008-10-21

続、 外国古典文学って

http://anond.hatelabo.jp/20081020231740

増田です。

http://anond.hatelabo.jp/20081021145310

増田の言ってるような構造ってやっぱりあるのか。俺はリアルではそういう体験したことないけど(何せ相手がいない)、ネットではそういうのも時々見かける。

それだけじゃなくて、少々わかりにくいし意味だってどうとでも取れるから、適当なことを言ったらバカにされそうだし、背伸びしてこむずかしいこと言ったら相手が「うーん」とか言って黙り込むし。たまに原典厨がいて(帰国子女外国語が得意な人に多い)、日本語訳しか読んでないくせに偉そうに語るなと陰で言われることもある。ある意味間違いではないけど、そういうこと言い始めたらなにも始まらない。

とか

それから、読んだことの見栄や既得権意識邪魔してる。今でも憶えてるけど、僕が高校生の頃ライ麦畑でつかまえて学校図書館で借りたら「おっ、ライ麦か、ふーん」と読書家の友達からちょっと上から目線コメントされたことがある。

似たような感じだとドストエフスキーだったら3作読むだけでも大仕事なのに、「地下室読んでないの?あれは基本だろ!」とか「死の家の記録は彼の転換点なんだから、読んでないなら彼を語るな」とか「ニーチェも読んだ?バフチンは?読まないとダメだよ」なんていくらでも言われる。

こういうテンション。というかノリ。

正直あんまり好かない。原典厨とかはそれ自体はわりと正しいから余計に。

それでちょっと小難しいことを考えたり言ったりすることとかについて、俺なりに考えてみた。そしたら、俺のやりたいことについてもちょっと思いついたので書いてみる。

小難しい論を展開するのは別にかまわない。それが面白いと思うことだって結構あるし。でも、初めて読んだ本の感想って、もっと感情的だと思うんだ。

たとえば、「カラマーゾフの兄弟」の兄弟にはそれぞれが別々の近代思想を体現している、とか言うでしょ。でも、初めて読んで感動した人は「この兄弟は近代思想を体現している!」って感動するだろうか?

シェイクスピアの「リア王」を初めて見て「リア王とエドガーの悲劇の対比構造こそ感動の要因だ!」って思うかな?

思わないと思う。「良くわかんないけど面白かった。」「このシーンで燃える。」「この台詞サイコー!」こっちの方が多分リアル

小難しい論はここからその感動の理由探した結果だと思うんだ。「どうして面白かったんだろう?」「このシーンは何でこんなに燃えるのかな?」「この台詞はどうしてこんなに心に響くんだろう?」

この理由探しは面白いと思う。やりたくなる気持ちもすごくわかる。でも、他のジャンルだったら、その理由探し自体を共有したり、理由探しなんざほっといて、ただ自分の好きな台詞や場面を共有したりしてる。のに、古典文学ではそれが出来ない。

アニメとか漫画で、オタクが「○○たんマジ萌え」とか言ってるのは理由探しなんてほっといてる例だよね。「萌え構造とは!」とかもやってる。あいうのが俺はうらやましい。ああいうことがやりたい。

でも、古典には先人がいて、理由探しは散々やってるんだよね。だから、それも出来ない相談なのかもしれない。

なんかそう考えてると、ちゅっと悲しくなってきた。

外国古典を気軽に話題にする難しさ

http://anond.hatelabo.jp/20081020231740

シェイクスピアヘッセトルストイヘミングウェイホメロス ドストエフスキー

この中だとヘッセ以外ならだいたい読んだよ。

ホメロスって長くて面倒だけど結構おもしろいよな。

神様につく枕詞がいちいちかっこいい。物語自体の意味なんてわからなかったけど、ホメロス読んでると現代文学がおもしろくなる。ジョイスだったり。

たしかに自分のまわりにもほとんどいないな。文系だけど。

でも、もし語れたとしても語る内容が重くなるから気軽にはなせないんだよね。

それだけじゃなくて、少々わかりにくいし意味だってどうとでも取れるから、適当なことを言ったらバカにされそうだし、背伸びしてこむずかしいこと言ったら相手が「うーん」とか言って黙り込むし。たまに原典厨がいて(帰国子女外国語が得意な人に多い)、日本語訳しか読んでないくせに偉そうに語るなと陰で言われることもある。ある意味間違いではないけど、そういうこと言い始めたらなにも始まらない。

本当はドストエフスキーは笑えるほどおもしろいらしいね、大学先生が言ってた。それなのに、私小説あがりの陰気な日本文学史の態度で読むのが(インテリの)マナーみたいになってるからみんな難しい顔して読まないといけないようになってしまってると僕は思う。たとえばアメリカビートあたりはもっと楽しく読めるけど、そういう明るいのは正当に評価されないし。実験作品でも笑えない言葉遊びだけが文学的に評価されて笑える言葉遊びは評価されてないと思う。

それから、読んだことの見栄や既得権意識邪魔してる。今でも憶えてるけど、僕が高校生の頃ライ麦畑でつかまえて学校図書館で借りたら「おっ、ライ麦か、ふーん」と読書家の友達からちょっと上から目線コメントされたことがある。

似たような感じだとドストエフスキーだったら3作読むだけでも大仕事なのに、「地下室読んでないの?あれは基本だろ!」とか「死の家の記録は彼の転換点なんだから、読んでないなら彼を語るな」とか「ニーチェも読んだ?バフチンは?読まないとダメだよ」なんていくらでも言われる。読んでることが既得利益になってる、情報ならなんでもそうだけど。そうやって見栄を張るための道具になってて、さらにはプロ批評家同士が勉強不足をなじることで議論に打ち勝って原稿料をせしめるというシステムすらあるから、なかなか声に出しずらいんじゃないかと思っている。別にアホな感想でもいいから気軽に楽しく読んで話せたらいいのにと思うけれど、そういうつっこみが怖くて誰も語らないからどこに行っても話題にならない。

結局読書自己完結なんだから良いのかもしれないけど、読書は上からありがたく拝見させていただくだけ、という図式になってるのが問題なのかなと思う。この形式は読書感想文なんて最たるものかもしれない。一人で静かに書いて先生にみてもらう。そして先生が採点する。そういうのより、みんなで3冊ほど読んで、昼ご飯食べながら2時間くらいしゃべったりしたほうが、活字離れはなくなるはず。逆にマンガみたいなのは下からの支持があって成立するからみんながわんさか話し合って業界全体が盛り上がれる。ただし、みんなにみてもらわないと成立しないというのは弊害もあって、萌えなんかの要素に頼ったり、似通った感動パターン作品を量産してしまう欠点はある。そういうのがあって深みがないだとか他の分野から言われることもあると思う。ライトノベル携帯小説の強みは楽に読めて楽に人に勧められる点にあるのかもしれない。

殴り書きしてみたけど、こんな感じかな。

もしかしたら、こういう風にきまじめな分析をしてみたがること自体が気楽に話せなくなる理由の一つかもしれないけれど。

とりあえず、ここで気楽に話してみたらどうよ?

2008-10-12

http://anond.hatelabo.jp/20081012024226

おしゃれを特にせずに成長してきた女だっているということ。それほどおしゃれをしたいとは思わないが,もし増田が思っているように「すべてを適当して強がらなくても生きていく」という生き方をするのであれば,おしゃれは「生きていくための必須技術」でありそれがなければ屈辱どころか身の危険,最悪の場合はひどく苦しめられて殺されることも含めて(もちろんきれいにしていてもその危険性は女である限り常に存在しているが)しなければならない仕事であり,社会から求められる常識であるということ。

もしおしゃれなどに気を使わないのであれば,能力を磨いて手抜きをせずに「男並みに」頑張らなければならないが,男と同レベルである限りは「女のくせに」とわらわれ足を引っ張られるということ,男の3倍以上+身だしなみをきちんとしているレベルにならない限り女が自立して生きていくことは難しいという現実があるということ。

さらにどちらの生き方を選択するにしても,女は男以上に警戒する意識レベルというのを引き上げているということ(筋力の差はどうしてもあるので実際に物理的な力を向けられれば全力で逃げても最悪死ぬという可能性が男性よりも高いのでそうせざるを得ない)。

小さい時から自然にできるわけではないし,センスが壊滅的な女ももちろんいる。そういう人間の扱いはどうなってるか見えないのか?たぶんみえないんだろうな。非モテ女(たいていの場合は主張をしないので避モテであるが)は可視化されないという問題がある。男以上に屈辱的な(つまり女性して一般的に期待される以下の容姿・外見である場合同性および異性に屈辱的な扱いをされ苦しみ,能力的な面においてはそんなにスーパーウーマンはたくさんいないのでやはり屈辱的な扱いを受け,さらに容姿・外見が平均以下であるために同レベル能力男性と比べてもさらに屈辱的な扱いを受け,最後は無視)扱いをうけるということ。

かしこれは社会の問題であり増田の問題ではない。まして非モテの問題でもない。あくまでも社会の問題であり,ジェンダーの問題の方が近いだろう。だがそれだけでもない。問題は複雑であり,その原因もまた複雑に絡み合っているために解決するのは難しいうえに,既得権を取られることを恐れて反発する層が女性にも男性にも存在するために解決しないのだ。仮に問題を単純化して

http://anond.hatelabo.jp/20081012022658

ということを言ったとしても(たくさんの仮定が含まれているので現実には即していない),「それでも男の方が…」となるような問題である。いや別に責めてないけどね。あー生きてるうちに変わることはないと思っただけ。

2008-10-07

インターネット規制なんて

言ってるのは既得権益にしがみついてるクソどもでしょ?

今まではマスコミさえ知らんぷりしててくれればどうとでも決められた(決めちゃってから報道してもらう)けど、

今はそうじゃないもんね。

2008-10-05

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://fragments.g.hatena.ne.jp/Tez/20081005/p1

fromdusktildawn 「「こいつらが何某を駄目にしている」という分かり易い「敵」」 ← 日教組歴史修正主義者、自称中立既得権益オヤジ、大企業経営者経団連金持ち自己責任教マッチョネオリベ市場原理主義者、老人

キャーまた分裂様がなにか上手いことを言った気分になってるまじすてきーw

2008-09-21

http://anond.hatelabo.jp/20080920232723

最近の問題は富の偏在化なんじゃないの。

格差っていう言い方は嫌いだけど、非効率なまま既得権という権力の名のもとに負担を寄せているだとおもうんだが。

その結果が内需の減退でしょ。

統計上はそう大した格差が生じているわけではないよ。

つまり内需不振なのは、金持ちから貧乏人までみんなの所得が伸びていないせいだ。

内需の成長が見込めるんだったら国民生産はもっと成長するはず。

他国に比べて格差が酷いというわけではないから、内需経済成長の伸びが鈍いのは

別の要因を考えるべきだろうね。インフレではないから非効率性も要因ではない。

この場合の対策は単純で、財政出動や金融緩和をすればいい事になる。

どうしても格差が深刻だと思うなら、低所得者向けの財政政策を発動してもいい。

インフレ=苦しみというのは違和感

そうは言ってないよ。インフレ=非効率の証と言っているだけ。日本はそうじゃない。

デフレーターひとつとっても日本の挙動だけ世界とはずれているのは

自由な市場があって、GPDがOECD最下位なのはどういうわけだろう。

理由は簡単だよ。非効率性や格差のせいではなく、需要創出=政府マクロ経済政策が悪い。

GDPデフレーターの下落は、国内産業や国内労働者の所得低下を意味する。日本は今インフレ

言われるけど、輸入品を除く総合的な物価指数であるGDPデフレーターを見ると明らかにデフレだね。

これを好転させるには、金融緩和がもっとも効果的。物価とは貨幣価値の逆数なんだから。

マクロ経済うんぬんについては、日本という枠ぐみでやっても他国に利用されるだけ。

国が単独でコントロールできる金融祖界の時代はとうに終わったんだぜよ。

金融グローバル化なら戦前も凄かったよ。むしろグローバル化が進むからこそ、

金融政策の効果は増大する。これはマンデル=フレミングモデルなんかを勉強してほしいね。

今の日本の体制はリスクが大きすぎる。

これはデフレでかつ不況だからだね。

不況は言うまでもないけど、デフレ借金する側=起業家側に大きな負担をもたらす。

リスクチャレンジ促す為にも、政府日銀は早急な財政金融政策を発動すべし、というのが結論。

あと一つ大事な事を言い忘れた。

与謝野馨総裁になったら最悪と言ったけど、実はほぼ当確麻生総裁になった場合に、

与謝野を閣僚や党役員として取り込む可能性が出てくる。もしそうなったら、与謝野単独政権

よりもある意味厄介かも知れない。90年代以降、度重なる財政政策が失敗に終わったのは、

日銀金融緩和で十分な支援を行わなかったせいでもあるけど、大幅な財政出動の後に

必ず財政引き締めが行われた(たとえば与謝野が影で主導した橋本政権や森・小泉政権)からでもある。

もし麻生財政出動が一時的にでも効果を上げたとしても、その後に与謝野が暴れ出して

財政再建をやたらと急ぐような事になれば、90年代そうであったように十分な景気拡大もなく

莫大な借金だけが残る結果に終わるかも知れない。麻生政権にはそういうリスクもあるね。

2008-09-20

http://anond.hatelabo.jp/20080920213852

日本経済既得権のせいで不況が長引いている」

のであれば、日本は他国よりもずっと高いインフレ率に見舞われているはずだよ。

既得権差別のせいで健全競争が働かず、供給体制が非効率なままであれば、

あるいは税金の浪費が酷ければ、当然様々なコストの上昇となって跳ね返ってくる。

最近の問題は富の偏在化なんじゃないの。

格差っていう言い方は嫌いだけど、非効率なまま既得権という権力の名のもとに負担を寄せているだとおもうんだが。

その結果が内需の減退でしょ。

内需の成長が見込めるんだったら国民生産はもっと成長するはず。

インフレ=苦しみというのは違和感

現にOECDの調査では、日本先進国でも平均よりは自由な市場を誇っているという報告も出ている。

ここらへんも違和感

確かに自由な市場があるともいわれているが、

デフレーターひとつとっても日本の挙動だけ世界とはずれているのは個々の会社個人事業主の業績がどうこうではなく、

もっと大きなディレクションがずれているからだと思わざるをえない。

http://lysander.sourceoecd.org/vl=4440360/cl=24/nw=1/rpsv/factbook/020204-g1.htm

自由な市場があって、GPDがOECD最下位なのはどういうわけだろう。

http://lysander.sourceoecd.org/vl=4440360/cl=24/nw=1/rpsv/factbook/020201-g1.htm

実際は事実ひどく日本会社非生産的なのかもしれないが、

住宅建設ひとつとってもそうではない気がするな。

マクロ経済うんぬんについては、日本という枠ぐみでやっても他国に利用されるだけ。

国が単独でコントロールできる金融祖界の時代はとうに終わったんだぜよ。

こればかりは実際に市場トライしてみないとわからないけど、

今の日本の体制はリスクが大きすぎる。

ちょっと試すなんていうことができない。

リスクをヘッジしろとは言わないが、もうすこしリスクを許容できる体制が必要だ。

http://anond.hatelabo.jp/20080920203328

日本経済既得権のせいで不況が長引いている」

のであれば、日本は他国よりもずっと高いインフレ率に見舞われているはずだよ。

既得権差別のせいで健全競争が働かず、供給体制が非効率なままであれば、

あるいは税金の浪費が酷ければ、当然様々なコストの上昇となって跳ね返ってくる。

しかし日本経済は今インフレになっていると言われるけれど、実際には非効率の塊である

発展途上国はもちろんとして、他の先進国と比べても低いインフレ率で済んでいる。

おおむね世界的な低インフレと言われた90年代に諸外国が経験した数字と並ぶ水準なわけ。

つまり日本インフレ=非効率で苦しんでいるんじゃないんだよ。

現にOECDの調査では、日本先進国でも平均よりは自由な市場を誇っているという報告も出ている。

国民負担率・潜在的国民負担率もかなりの低水準。ということは、既得権の排除に血道を上げたって、

長引く低成長に目覚ましい改善が訪れる可能性は、残念ながらそう高くない事になる。

じゃあどうすればいいか?これは最近話題の高橋洋一の論説なんかを参考にすればいいと思う。

道路公団をはじめとする特殊法人改革の陰の立て役者である彼だけど、実は非効率が不況の

原因だとは必ずしも考えていない。日本経済に必要なのは金融緩和によるマクロ経済政策だ、とね。

で、肝心の政党選びにそれをどう活かすのかだけど、これはもちろん総裁選の結果で変わってくる。

基本的には麻生・小池以外の候補が総裁になったら、野党を選んでもそう変わらない惨状が待っていると思う。

特に与謝野馨総裁として選ばれた場合は、とてつもなく危険存在なので反対票を投じる意味民主に入れていい。

財源論議なきバラマキ小沢民主だろうと、90年代後半に始まる悪夢の緊縮増税不況の再現よりはマシだろう。

ただし、野党でも社民共産に入れるのだけは止めた方がいい。特に社民党は与謝野に近い経済思想の持ち主だからね。

だから選択肢としては民主国民新党のどちらかということになるはず。

http://anond.hatelabo.jp/20080920195639

いやいや・・・

自民党民主党に変わるだけでも十分にインパクトがある。

共産党って全く違うものじゃないか・・・。

むしろ共産党政権とったらクーデーターと同じぐらいの動揺が走っちゃうよ。

自民党民主党

ほとんど同じ考えだとしても決定的に違うことがある。

自民党は50年間ほぼ与党だった。

その与党だという立場のおこぼれにあずかろうという取り巻きの数は半端ない。

与党という体制に巣くう利害関係者が多すぎるんだ。

その立場や既得権を守るために権力を行使してきた。

それで世間がうまくまわっていればいいけど、いまはそうじゃない。

だから今はもっともおいしい基幹部分にコミットしているやつらをふるい落とす必要があるんだ。

日本の51%が自民党のなんらかの利害関係に属していると評したのはドラッガー。

だけども、大企業リストラやらでいろいろ切り捨てた関係利害関係者の数が50%を割り込みそうなので民主政権が流れそうだ。

それだけの話しだと思う。

2008-09-01

http://anond.hatelabo.jp/20080901000844

っていうか既成事実前例信仰対象としてると、既得権益ってご利益があるんだよね。

http://anond.hatelabo.jp/20080901000618

既得権益教の信者もかなり多いと思うけど、これは海外も同じなのかな…

2008-08-30

http://anond.hatelabo.jp/20080828082341

大阪東京も、大きなサービスショップは権限が強いからなー。

いくら「大阪ガス」という冠がついているとはいえ、

実際、本社側ではサービスショップが具体的にどんな営業活動が行われてるかなんて把握してないし、

現状ではサービスショップの全行為をチェックするのも無理。

あ、「べき」論の話をしたいんじゃなくて、現在の体制上かなり難しいって話ね。

本社の人も、素直に「詳細は分かりません」とは答えられないから、可能性だけの水かけ論に終始してしまうんだろうな。

本社の人がサービスショップに出向いて何かをチェックするなんて聞いたこともないし。

改善対応も、せいぜいサービスショップに対して"注意"という業務連絡を出すことくらいしかできないだろうなー。

明確に大阪ガスに非があるトラブル対応ならともかく、こんなグレーな事象に対して時間をかけて真面目に対応をしても、本社の社員は評価されないんだよ。

そしてGIGAZINE

限りなくグレーだという主張は分かるのだが、クロと決めつけるあのタイトルは頂けない。

実際、あのタイトルに釣られて「既得権益」だとか憶測で書かれた大量のザコを産んでしまったことが何とも罪深いと思う。

2008-08-22

http://anond.hatelabo.jp/20080822100307

同感。

自分のみが持つ情報を公開することによって信頼を得る、というやり方はWeb2.0的な企業マインドに似てるかも。

情報を独占することで権威を守ってきたのがWeb1.0。自分のプライバシーを自分だけが独占している内は、「匿名によって好き勝手言える」という既得権益を守り続けることができるという構図。

2008-08-20

グーグルストリートビューを擁護している人に対する違和感の正体

私は特にグーグルストリートビューが気持ち悪いとは思っていない。

でも、積極的に支持している人たちに対して、何か違和感があった。

それは何だろうなぁと思っていた所、ここのotsuneさんのコメントを見て分かった気がする。

http://d.hatena.ne.jp/kaerudayo/comment?date=20080819#c

これはミスリーディングですね。

正確には「これからも、情報を学ぶ人が払うコストは減り、学ばない側のコストは増大していく」ですね。

強者・弱者と言い換えてもいいです。

「守る側 = 学ばない人・弱者」では無い所がポイントです。

結局、フラットでありたいと願うネット上でさえ、強者が勝利し弱者が泣きを見るという構図があり、それを強者側から「受けいれよ、さもなくば強者たれ」と言っているかのように感じてしまうのが、私の違和感の正体ではないかと思った。

「受けいれよ、さもなくば強者たれ」というのは、ある一定の立場と状況によっては正しい言葉であるし、発している側もそれが限定されている場面でのことだと理解しているとは思う。

だけど、「(少なくとも自分にとっては)グーグルストリートビュー問題点は大した事がない」と言っている言葉と、これまで色々な場面で言われ続けている「貧乏が嫌なら働け」「モテたいなら努力しろ」「お前がダメなのはがんばりが足りないからだ」という言葉とどこがどう違うのか理解しているのだろうか。

そう考えると、グーグルストリートビューは、強者がさらに強くなるためのツールで、それを支持する事は既得権益を守るための行動と同根ではないのか。

だから「お前がダメなのはがんばりが足りないからだ」という言葉を発している側が自分の言葉の何が問題か分からないように、彼らは「グーグルストリートビューが気持ち悪い」という感覚も理解できないのではないかと思った。

2008-08-10

http://anond.hatelabo.jp/20080810230351

まぁ社会がどうなるかはわからんが、俺は雇用の流動化が進む方向に賭けてFA生き方することにしてしまったので、どうなろうとただ自分のスキルを高めるのみだ。

既得権益にぶら下がる方がオトクなのはわかってるが、俺的にはその生き方は面白くないんでね。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん