はてなキーワード: 既得権とは
自明じゃないからツッコまれてんだろうがよ。
ふーん、君さあ、欧米でラテン語やギリシャ語や古典文学がエリート教育の必須科目になってるの知らない?まあいいけどさ。
普通に反論するが? 具体的にどう必要なのかを挙げてね。本当に付き合いたければここでやってやるけど。
ぜひお願いしよう。ただし予言しておくが、あなたの意見を逆手にとることによって、あなたの論法に従えばあなたは「基礎教養」とやらが全然足りていないことを証明して差し上げるよ。
あーもうわからん人だな、「閉じた話」じゃないの。あなたにとってわかりやすい例を挙げて、類推を促しただけ。何であっても隣接分野の知識、特に基礎や古典が役に立つのは当たり前であって、そういう類推が成り立つ分野というのは存在するし、それはあなたにとっても無関係ではない、と、そういうことを言ったわけであってさ。
あのさあ、話の次元がまるで違うんだけど。誰が大学の経営の話をした?俺は教育制度の話をしているんだが。大学で勉強する気のない奴が大学に行こうとするのは誰にとっても無駄だ、と言っているだけの話。それを否定しようとするのはそれこそあなたの嫌いな、競争力を失った大学が既得権益にしがみついているだけの話じゃないかね?
別に高校で古典教育をすることを否定した覚えなど一度もないが。役に立つかどうかはともかく、あってもいい教科なんじゃないか?
はあ?それがあなたが否定したがってたことじゃないのか?古典なんて教える暇があったらもっと役に立つ行列計算を教えろと。で、それは一面的な価値観でしかないし、見方によっては古典だって役に立つだろうし、そもそも高校レベルの行列計算なんて役に立たんだろというのが俺の反論だ。
いったいあなたは何を主張しているんだ?それを認めるのであれば一々俺は反論なんかしないぞ。
主観そのものだ。同様に、古典が線型代数より難しいというのも主観そのものだ。ちなみに、行列計算は「線型代数」じゃないぞ。あれは「代数」のレベルに至っていない。
そうだよ。中身があるのは前提だよ。勝手に変な前提を付け加えないでくれ。相手に舐められないための隠し味程度のもの、としか最初から主張していないんだが。
はっ、ブンガクブ!(爆笑
そんなことを言ってしまえる君はよっぽど視野が狭いんだろうね・・・。文学部は存在価値ないとか思ってるわけ?世の中の人間のかなり多数を敵に回したね、これで。
線型代数とフーリエ解析がわかってりゃ十分だよ。工学部生なら誰でも習うことだ。これは両者に共通するものであり、当然理解しているのが前提だ。そもそも俺は学部時代に量子力学を履修したことがあるんでな。使わなかったので感覚が錆び付いていたからメンテしたまでだ。それがおかしなことか?
日銀人事めぐり
http://www3.nhk.or.jp/news/t10013458801000.html
4月9日 19時26分
今の国会で初めてとなる福田総理大臣と民主党の小沢代表との党首討論が開かれました。日銀の総裁人事をめぐって、小沢代表が「必ず財務省出身者が総裁や副総裁に就任するという既得権益は認められない」と述べたのに対し、福田総理大臣は「民主党などが、1院での権力をもって人事案を否定したのは権力の乱用だ」と反論しました。
この中で、小沢代表は「財務省の経験者が日銀の総裁と副総裁になるのを、最初からいけないと言っているのではないが、その一角を必ず財務省出身者が占めるという既得権益がいけない。それが、官僚支配という行政の腐敗を生む最大の原因であり、その支配の構造を直さなければならない」と述べました。
これに対し、福田総理大臣は、「誰もができるポストでなく、適材適所、人物本位で考えなければならない。正直ほんろうされたが、人事権は政府にあり、よほど変な人事でなければ認めていただくのが同意人事の制度だ。民主党などが、1つの院の権力を握っていると言って4人も不同意としたのは、権力の乱用、人事権の乱用だ」と反論しました。
また、小沢代表は、ねじれ国会での国会運営について、「今の内閣は二院制のうち1つの院しか多数をもっておらず、政府・与党の出したものを、皆とにかくのまないといけないということはありえない。本来なら、予算編成の段階から協議しようと野党側に言うのがあたりまえであり、去年の参議院選挙で、国会にどういう事態が生じたかという認識がなさすぎる」と批判しました。
これに対し、福田総理大臣は「一つ一つの大事なことについて、民主党の結論が遅い。何度も民主党と政策協議をしたいと言ってきたが、去年の小沢代表との会談以来、なかなか話し合う機会がない。あの会談の際は『今の国会の状況では、いっしょになってやらないと何もできない』という気持ちがあったと思うが、その気持ちを忘れてもらっては困る。ぜひ、政治が前進するよう国会運営をやってほしいし、民主党の誰と話をすれば信用できるかも教えてほしい。かわいそうなくらい苦労している」と述べました。
さらに、小沢代表は、道路特定財源や、ガソリン税などの暫定税率のあり方について「暫定税率の期限が切れたが、国民生活に混乱はない。日本の道路はかなり整備されており、暫定税率分は国民に還元すべきだ。政府は、衆議院で再議決して税率を元に戻すと表明しているが、ぜひこのままにするよう要望する。また、福田総理大臣は道路特定財源を一般財源化すると言うが、党議決定を経ていない。いくらでも協議には応じるが、政府・与党で正式に決めるのが先だ」と述べました。
これに対し、福田総理大臣は「暫定税率の期限が切れて、給油所ではたいへんな混乱があったし、地方自治体でも予算執行できない部分が出ている。一体いつまでこの状態を続け、その間の減収分の財源はどうするのか心配している。また、一般財源化についてのわたしの提案は党の了解を得ており、必要に応じて閣議決定もするが、その前に必要なのは与野党の協議だ」と述べました。
一方、小沢代表は、チベットの問題について「世界じゅうの大きな関心事となっており、北京オリンピックの各国での聖火リレーにも抗議デモが行われている。中国の胡錦涛国家主席が来たときに、どのような話をするのか」とただしました。
これに対し、福田総理大臣は「いちばん責任があるのは中国であり、中国は冷静に、平和的に話し合いで解決してほしい。人権という名のデモが行われているが、暴力ざたに発展することは避けなければならず、日本にも聖火が来るが、そういうことがないよう努力したい」と述べました。
めずらしく福ちゃんが熱くなってるのがジーンときたね
オザワは自分では何もできないくせに言うことだけは偉そう
この考え方もどうかと思うよ。
だって日本人自身っていったって国債を購入した人=国民全員じゃーない。
儲かる人は国債を買った人や法人だけど、損する人はそれを負担する国民全員だ。
それは一律に日本人と談じていい性質ものじゃないとおもうがな。
それを言うなら納税者だって一律に日本人と断じていいものでもない。
税金は日本人が平等に負担してるものじゃなくて大企業や金持ちが多めに負担してるわけで。
インフレとかで借金の実質負担を減らせば、税負担の収入はないが資産を多くもつ人が損する。それを防ぐためには増税しないといけない。
要するに財政再建先送りするほうが収入少なく資産の多い老人(とその子孫)が損しやすく資産のない人が得するわけ。子供たちのために増税で財政再建しようとか言うのは大間違い。
それにね、国債を単純な貸し借りで考えるのもどうかなとおもうんだ。
貸してるという考え方がよくないよ。
金利をつけて返すことを前提に政府が国債を「売ってる」わけじゃない。
みんな政府を信用して国債を買うわけだけど、この信用は「買っていただいた国債は利子をつけて弁済しますよ」ちゅう契約のもとに成り立っているわけじゃない。
だから「誰に」貸した借りたという話しはさほど重用じゃなくって売った以上、国債は償還する必要があるわけ。
国債償還というのが具体的にどういう状態にすることかを考えないと。
たとえば、国債を一億円もってる人に償還する場合普通は預金に一億円振り込むことになるが、その場合銀行が国債を代わりに持つことになるだけで国債残高を減らす必要性はまったくない。じゃあ現金で返した場合はどうなるかというとこれは日本銀行が一億円分の国債を持つことになる。預金というのは民間銀行にとっては借金であり、現金というのは中央銀行にとっての借金。そして銀行は負債だけを持つことはなくて必ず資産もおなじだけ持ってバランスさせる。
結局国債償還しても貸し手が変わるだけであって残高を減らす必要性はない。
本当はさ、お金を前借りしてまで先行投資することにより、将来にもっと稼げるようになろう!というのが投資じゃない。
これは悪くない。いいこと。いい事なんだけど……。
投資先をしくじると負担以外の何者でもないとおもうんだ。
この10年日本が投資してきたものは、道路とか箱ものとか補助金とかなわけですよ。
これがそのまま価値を生み出してくれればよかった。問題なかった!
でも、道路をつくったおかげで経済効果がでてそれだけ国民の生活を豊かになっにしたかといったら、そうじゃないんだよね。
逆にいらんものをつくったせいで将来にわたって、そのたいして経済的価値がないものをメンテナンスしつづけなくてはいけないという、ランニングコストの増大を招いたちゃった。あちゃーーっていう感じ。
これは使い道の問題であって財源の調達方法の問題じゃないでしょ。
財政赤字を問題視する人は歳入の問題と歳出を混同しすぎだと思う。
所得税や消費税財源にして不要なインフラ整備してもランニングコストは発生するでしょ。
利払いももう税金じゃ賄いきれないからがんがん国債出しているけど、そういうのも含めて国債発行してまで集めたお金の使われ方そのものが将来日本を担う子供達のためになってるとは思えないんだよね。
この10年でさ、10年後に日本が先進国であるために国際社会に立ち向かえる産業をちゃんと育成できてる?
そこにどれだけ国策としてお金落としたのよ。
いまお金落としているところって10、20年後社会にでてくる子供達の食い扶持になる産業?
ほんと負担だけ押し付けてない?大丈夫??
デフレでも財政再建して失業や倒産増やしてたら育つ産業も育たなくなって将来の子供は困るだろうね。
国債を償還することを前提にしたらインフレにせざるをえないよね。
そうすると資産の目減りは避けられない。
ローンを組んでいればインフレはラッキーだけど、既に日本はあるていど成熟した国。
年率10%成長なんていうのは無いから80年代のような賃金上昇は無理。
結果国民はものすごく困窮することになる。
インフレのほうが失業率は下がりやすいし、企業の投資もやりやすいので生活水準や生産性はあがりやすい。
80年代のよう座成長が無理だとしてもデフレを続ければさらにひどいことになる。
実際2000年前後のデフレ真っ盛りの時期と今じゃ明らかに今のほうが失業率や求人倍率マシになってるし。
賃金上がりにくいのはたぶん失業率下がりきってないから。数%のインフレにしたら失業率は2%台になって賃金が本格的に上がってくだろうと思うんだけど。
今やって少しでも減らしておかないと将来偉いことになる。((すでにこのタイミングを逸した気もしなくもないけど。))
だから国債は返さなくてもいいなんてバカなことはいって欲しくないな。
国債発行額を増やしつづけても日本がいけるってなら、そういうシナリオ書いてくれよ。
無理に国債残高減らそうとするほうがえらいことになる。これは橋本や小泉で経験済みのこと。
上に書いたように社会全体では常に円の現金預金を持ってるだれかが日本国債の貸し手になるからデフォルトは杞憂。
貨幣を使った売り買いというのは社会全体とのモノや労働力の貸し借り。
国債を返すというのは貸し手を別の人に変えるだけのこと。
国債を返してほしいならさっさと金をつかってほしいものでも買えということ。
現金や預金で持てば間接的に貸すことになって銀行とかに利息ピンはねされるだけ。
国債を減らし続けたらやってけないが、予算の無駄遣い減らしながらどんどん国債依存度上げて減税すればやってけるんじゃないかなと。
横レス。
この考え方もどうかと思うよ。
だって日本人自身っていったって国債を購入した人=国民全員じゃーない。
儲かる人は国債を買った人や法人だけど、損する人はそれを負担する国民全員だ。
それは一律に日本人と談じていい性質ものじゃないとおもうがな。
それにね、国債を単純な貸し借りで考えるのもどうかなとおもうんだ。
貸してるという考え方がよくないよ。
金利をつけて返すことを前提に政府が国債を「売ってる」わけじゃない。
みんな政府を信用して国債を買うわけだけど、この信用は「買っていただいた国債は利子をつけて弁済しますよ」ちゅう契約のもとに成り立っているわけじゃない。
だから「誰に」貸した借りたという話しはさほど重用じゃなくって売った以上、国債は償還する必要があるわけ。
日本人が日本人に借りてるんだから大丈夫だとかそんな論点ではないわけよ。
だから必ず返す必要がある。
右から借りて左に返すんでもいいから返さなくちゃね。
だけどね、今の日本はその返済のための金利も集めた税金では賄えない状態にまで悪化してしちゃってるの。
利払いのために国債を発行しなきゃいけないわけ。
利払いのために国債発行なんてばからしいよね?
でも現実は税収が50兆ぐらいの国なのに国債費が20兆円あるわけよ。
国債の利払いが20兆円。
利息分を支払うだけで20兆円。
わかる?この状況。
本当はさ、お金を前借りしてまで先行投資することにより、将来にもっと稼げるようになろう!というのが投資じゃない。
これは悪くない。いいこと。いい事なんだけど……。
投資先をしくじると負担以外の何者でもないとおもうんだ。
この10年日本が投資してきたものは、道路とか箱ものとか補助金とかなわけですよ。
これがそのまま価値を生み出してくれればよかった。問題なかった!
でも、道路をつくったおかげで経済効果がでてそれだけ国民の生活を豊かになっにしたかといったら、そうじゃないんだよね。
逆にいらんものをつくったせいで将来にわたって、そのたいして経済的価値がないものをメンテナンスしつづけなくてはいけないという、ランニングコストの増大を招いたちゃった。あちゃーーっていう感じ。
信号機設置しまくって維持費だけあがって、既得権益者を肥やしただけみたいな。
国民の生産性の向上に寄与しない浪費は将来の負担以外のなにものでもないとおもうわけよ。
そりゃあれば便利かもしれないけど、公益性と効果対費用はちゃんと考慮しなきゃ。
結果論かもしれないけどね。
毎年利払いだけで20兆になるほどお金つかっておいて、この日本の状況はないだろうと。
もっといいことできたんじゃないかって思うわけよ。
利払いももう税金じゃ賄いきれないからがんがん国債出しているけど、そういうのも含めて国債発行してまで集めたお金の使われ方そのものが将来日本を担う子供達のためになってるとは思えないんだよね。
この10年でさ、10年後に日本が先進国であるために国際社会に立ち向かえる産業をちゃんと育成できてる?
そこにどれだけ国策としてお金落としたのよ。
いまお金落としているところって10、20年後社会にでてくる子供達の食い扶持になる産業?
ほんと負担だけ押し付けてない?大丈夫??
はあぁ・・・。ため息でちゃうよ。
国債を償還することを前提にしたらインフレにせざるをえないよね。
そうすると資産の目減りは避けられない。
ローンを組んでいればインフレはラッキーだけど、既に日本はあるていど成熟した国。
年率10%成長なんていうのは無いから80年代のような賃金上昇は無理。
結果国民はものすごく困窮することになる。
だからできるだけ国債発行額はさげて少なくしていかないと。
今やって少しでも減らしておかないと将来偉いことになる。((すでにこのタイミングを逸した気もしなくもないけど。))
だから国債は返さなくてもいいなんてバカなことはいって欲しくないな。
国債発行額を増やしつづけても日本がいけるってなら、そういうシナリオ書いてくれよ。
残念ながら自分の想像力では中国並みの成長をとげながらインフレを受け入れるか、デフォルトするかぐらいしか思いつかないわ。
10年で給与所得が倍になるような前提で話せるほど楽天家じゃないもんよ。
参考までに。
これ今年可決された予算案な。日本人で大人ならこの国がどうなってるのかはみておいたほうがいいきがする。
こんな感じで10通もきてるんだ。読みたい奴いたら続きをアップするよ。
これにグラフ画像(多分新聞の切り抜き)が添付ファイルとして5枚貼り付けてある。やりすぎだ。
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最近の自殺、殺人の横行はグローバル競争社会とアメリカ型の投資、金融の自由競争と市場原理主義において負け組が奴隷化、野垂れ死の危機に達し、絶望した人達の悲鳴だと思います。
投資、金融に興味のない庶民にとっては理解不能のステルス的な社会の変革です。
問題は、それをテレビ等のマスコミがほとんど問題提起することなく、又、国民もほとんど気にしないで、投資にあけくれたり、日本国内における産業(仕事とお金)の奪い合い競争を無為に続けていることです。
政府が国民に、世界全部がアメリカ型競争社会に変わって行くグローバル化の闇や負の部分を公言、広報して注意喚起しないでいるせいで、政府は年1万人、10年で10万人の自殺者を大量生産し続けています。(1998年よりの自殺者増加分)
10年前の1997年より日本はアジア通貨危機から始まった金融、投資、経済、産業のグローバル化競争(政治、経済、産業の支配者層の、半分やらせの出来レース)に巻き込まれ、経済、産業、社会の混乱状態が続いています。
現在セレブ盛況の裏側での弱者の野垂れ死にの現状の『グローバル化競争社会』を問題提起するのが禁句にでもなっているのか、庶民に伝わってくる現状の異常とその原因を伝えるジャーナリズムが少ないです。
弱者、庶民は現状のグローバル化社会における政府、経済と社会問題に対する理解、認識が欠落しており、仕事とお金の奪い合いの世界競争の中で、政府にたいして救済もされず絶望して自殺、野垂れ死に、犯罪、殺し合いの共食い状態を続けています。
グローバル化競争社会の原罪、構造(金融)改革の目的、アメリカ型自由競争、市場原理至上主義の投資、金融支配社会における格差と世界恐慌の危険性を正しく国民に認識させるとともに、きっちりとしたセーフティネットを設けて国民の弱者を守るともに、再起可能社会を構築すべきです。又は、高税率の福祉国家とすべきであると考えます。
(1998年以降の国の異常を単なる不景気と片付けて、国民を惑わし混乱を作り、株や投資で儲けているセレブや政府官僚、又、旧来の既得権益でのさばる公団、公共事業主や、政府とつるんで新たな既得権益を得た公共事業、補助金成金やインサイダー投資家を、10万人を殺した大量殺戮の罪で訴えてやりたい。)
地方、現場労働者の不景気感が拭えない割に日本経済のGDPは伸び続けています。が、政府が政策と税政を誤っているせいで、日本国内の庶民の実体経済を細らせ、金融、投資経済にお金が流れ込む様に優遇しているせいで地方、労働者の経済が細り、ひいては国全体の景気回復も進まないのです。又、ワーキングプアや貧困層も発生させ続けています。
政府、投資家、企業が本来庶民が生産、消費で行なう経済活動(実物、実体経済)を細らせておいて、金融、投資経済にお金を集めて海外投資に熱を入れているようですが、金融、投資で儲けたお金を地方や労働者に還元して庶民の実体経済を太らせるのを忘れているせいで国内経済の活気が本格的に戻らないのを彼らは気付いているのでしょうか?
日本の地方や労働者層が不景気なのは彼らのセコさ狡さが原因です。
金融、投資主体の社会は利己的、独善的であり、官僚、公務員の行政主体社会と同じくらいモラルに欠けたもので、信用に足りるものではないと思います。
彼らに任せておくといたずらに国民を苦しめて国を滅ぼしかねません。
株価、為替、金利、相場、配当等の投資、金融経済だけが経済ではなく、経済を回し、社会を発展させ維持、管理、保護し続ける原動力は、何も効率重視の投資ではなく潤滑、バランス機能も兼ね備えた課税とその交付によって成されても良いのではないでしょうか。
グローバル化競争によって膨らみ過ぎた金融、投資経済に対する十分な課税と、厳重な利権監査と課税のシステムを整えたうえでの、国家による非営利目的の福祉事業や社会保障(富の再分配)の交付、公共事業(社会投資)や補助金の交付によって経済、産業の成長戦略や社会、経済の安定が行われる、課税と税の再分配による共産性や社会主義性を取り入れた国政でもよいのではないでしょうか?
特に少子高齢化の現状では、無理な利益追求をおし進める投資社会より、高税率の共産的福祉社会の方が日本にはあっていると思います。
本来庶民が生産、消費で使っていた分のお金や税金で集めて共産的に公共サービスや福祉、社会保障で使っていたお金を、富裕層や企業が減税、補助金で吸収し、海外投資等に使って儲けてバブル状態となり、庶民は生産、消費で使用できるお金の量が年々減って貧困に至ったり、必要な公共サービスや福祉、社会保障を受けれなくなっていると疑います。
又、企業の高業績や投資の配当が好調にも拘わらず国全体としての政府発表の個人消費が思った程伸びないのは富裕層は飽食気味で、貧困層は欲しくても買うお金が無いという事ではないかと推理します。
課税対象、課税方法を変える事によって国民生活の為にまともな経済バランスをとる事を政府に提言します。
現在の投資、金融経済主導の社会で今の税政だと投資、金融経済が社会に及ぼす影響と支配力が強く、弱者が仕事(産業)と財(不安定な低賃金非正規雇用生活によって疲弊)を奪われ失業、貧困に至るとともに投資家、企業の投資、金融経済にお金が溜め込まれるシステムになっています。
バブル状態の投資、金融経済から税金を取って弱者、貧困層に還元したり最低賃金規定を設けて給与を上げてあげないと縮小している労働者層の経済は萎んだままで弱者、貧困層の消費はいっこうに上がらず国内全体の経済と社会の活気は戻りません。
株主の利益追求、高配当の為の労働者の非正規雇用化以外にもグローバル化競争の為、産業の衰盛が地域、業種で激しく、それにともない労働力の需要も地域、業種で変動が激しく労働者を正社員よりパート、派遣雇用する企業が多いです。
グローバル化競争の為に企業は産業の衰盛に素早く対応しなければならずこれからも流動的な労働力としてパート、派遣社員を便利な使い捨ての低賃金労働者として利用し続けるでしょう。
企業の都合で一生をパート、派遣雇用で生きてゆかざるを得ない人達がかなり発生する訳ですが、彼らの未来、将来のことを何も考えていない企業任せで、このまま彼らを便利な使い捨ての低賃金労働者として利用させ続けて良いのでしょうか。
将来的な国力の衰退( 人口減少、人材不足)を考えた時にパート、派遣労働者を低賃金の奴隷的アルバイトではなく非正規雇用の準社員として捉え、パート、派遣社員でも結婚して家庭が持てる様にパート、派遣社員の権利を保護、育成してあげる必要があると考えます。
同一業界内での最低賃金の規定とその保護やアップを勝ちとる為の労働組合の設置、福利厚生システム(労災、雇用保険、厚生年金、交通費の支給、作業着等の備品の支給、育児や介護の為の有給休暇)の設置と補助義務の規定、正社員と同じ労働基準法の適用、派遣元会社の中間搾取の監視と禁止規定を等を設るべきです。
この過激な競争社会のなかで安価な低賃金労働者として必要以上に買い叩かれ、バブル的金融、投資社会のなかで奴隷的立場になっしまっているワーキングプアの人達の人権を、同じ国の現代社会人の一員として守ってあげる必要があると考えます。
現在の労働者層のワーキングプア問題は日本が不景気だから労働者が失業するのではなく、グローバル化競争社会における投資、金融の高配当目あての高収益化を目指した労働者の低賃金化とリストラによる失業問題なので、賃上げ要求することは恥ずかしいことではなく労働者の権利だと思うべきです。
現在、貧し過ぎてまともな現代人の生活が出来ていないワーキングプアの労働賃金アップによる貧困層の消費拡大による日本全体の景気回復や、貧困層の結婚、子育てを賃金アップにより推奨することにより将来的な国力の維持(少子化問題、人材不足等の解決)を考えるべきです。
これ以上、投資家富裕層による投資が過熱することは国力低下につながります。
彼らバカは優秀な人間や企業にただ、たかって投資すれば大儲けできると考えているだけです。
日本円が高いことをいいことに、安い途上国の企業や人材や労働力に投資でたかれば高効率の配当や売買益を得られると無責任に考えているだけで、日本国内の労働者や地方の実体経済や庶民生活の細り具合が目にはいらず、自国の将来的な国力低下に気付いていない。
さもなければ今だけ儲かっていれば本国である日本が将来的にどうなろうとも気にもせず、夕張市の公共工事にたかっていた建設業者や市職員みたいに国が傾いたら海外移住でもするつもりの無責任な人々なのではないしょうか。
日本の貧困層の生活を保障したり、奴隷的ワーキングプアを学ばせたり教育させたりして、将来を担うべき層の厚い人材を確保する考えのない、想像力の足りない愛国心ゼロの寄生虫的バカ投資家のせいで、将来的に日本は海外に比べて人材不足に陥ることが予想され、日本の未来が危なくなっています。
人は育てなければ育ちません。企業や労働者は競馬の馬でも家畜でもありません。
投資家は一人で育って優秀になったつもりなのでしょうが、本当はかなりの思いやりある人と運に恵まれて投資に対する知識や人間性を形成してきた筈です。それと同じ様に、庶民も社員も周りの人間や社会に支えられ、学びながら成長していきます。
グローバル競争社会において投資により、その庶民社会をぐちゃぐちゃにして庶民の生活を破壊し、放ったらかしにして成長を妨げておいて、能無しの奴隷、家畜としてたかっているのが利己的なバカ投資家です。
もし、日本の支配者層としての自負があるのなら、人材育成や教育、社会維持に対する考えを持ち、庶民を含めた日本の将来を担うべき人材を育てあげたり、社会維持のための納税や投資を惜しまずに、日本の未来に対しての責任を持つ考えを持って欲しいものです。
1月7日のNHK「クローズアップ現代」ので、グローバル化による金融、投資経済の1京6000兆円(実体経済の3.2倍)にのぼる膨張とアメリカのサブプライム問題による先物投資過熱と原油価格高騰、アラブ、ロシアによる投資支配戦略によって、アメリカの投資による世界支配が揺らいでいる現状をスクープしていました。
国内外の金融、投資のお金をかき集め、それを一斉にファンド等々にして世界にばらまき、発展途上国等や先物商品に投資することで、他国、企業、労働者の実体経済にたかるアメリカの金融、投資による世界支配の実態と、投資の配当等による収益や、投資対象(住宅等)の値上がりをあてにしたローン等によるアメリカの大衆消費促進経済の限界を問題提議し、世界におけるアメリカの投資、金融支配社会の信用低下をスクープしていました。録画等があったら是非見て下さい。
日本にはアメリカみたいに、金融、投資により他国(企業、労働者)にたかり、その配当で豊かに生活を送る海外投資による大衆消費社会に変えることが出来る国力はありません。
日本はアメリカと違います。日本円はドルと違い基軸通貨ではありませんし、低金利政策です。お金は発行されず国内外で流通する円の総量は一定です。それを証券、債券等により、見せかけのお金を増やしてファンド等々により海外投資して他国にたかろうとしているのでしょうが、バカ投資家連中はその元になる投資の資金を地方や労働者層に求めて彼らを苦しめつつ地方交付税の削減や、労働者の低賃金化や、配当課税の減税によって得ているのです。
投資家、企業は焦って利己的に利益追求や保身にはしらずに国民全員に還元すべきです。いずれ途上国の通貨切り上げによって円の価値は下がります。その分の保険としての海外投資なのでしょうが、通貨切り上げ、切り下げは国家間での話し合いなので、投資をしていない庶民に還元することで通貨切り上げ幅を小さくする容赦を途上国に提案するべきと考えます。日本の金融、投資経済に課税する事で途上国の溜飲を下げるとともに国民生活の為にまともな経済バランスをとる事を政府に提言します。
赤木智弘の「希望は戦争」なんて、既得権がどうの、社会の流動化がどうのと理屈こねてるが、そんなのは本当に屁理屈とでも言うべきもので、根底には「自分の人生を/この世の中をめちゃくちゃにぶっ壊したい」という怒りだけがあるんだよな。
この人は文章が書ける人だから一躍、論壇の人となったが、そういう才能がない人なら鬱屈したまま自傷したり、他者に暴力を振るったりしてるのかもしれないな。
街を徘徊するようなタイプなら暴力団や右翼団体が拾ったりするのかも。
イギリスをはじめとするヨーロッパ各国ではそういう「社会的排除」からヤバいグループに入る青年が問題になってて、コネクションズという組織が、若者が孤立しないよう出向いていってるようだ。
こういう若者は複合的な問題を抱えてることが多いから、対応も多種多様に行われているみたい。
またブクマコメにいろいろと、というのは最後にまとめるとして。
http://d.hatena.ne.jp/repon/20080306#1204807516
これのブクマコメには、「長すぎて読めない」といっぱい書かれています。でも、考えてみれば、どんなにペナペナで内容薄くて会話文ばかりでページの下半分は全部空白、みたいな「誰でも読める」ラノベでも、たいていこのエントリよりは長いわけです。よって、「読めない」のは長すぎるからではない。
このエントリが読めないのは、
・もともとの弾さんとreponさんのやりとりからすっかり乖離したメタな話になってしまっていること。
・メタな話だとしても、その中でも論理展開がメタメタであること。
からでしょう。ほめている人でさえ具体的な内容にほとんど触れてないのはその証拠。
順に見ていきましょう。
(1)「決断する」とはどういう事でしょうか?→「何らかの判断を主体的に行うことである」
ここに異論がある人は少ないと思います。
(2)決断は、本質的に論理性では解決できない「問い」から発する
→また「決断」を要する場面というのは、パズルのような論理的判断が下せる問題ではなく、
合理的な答えが複数あり、その中の一つを無根拠に選ばなければならないような事態に
あるような場面です。
これは「選ぶべき答えが明白なら、『決断』なんて不要だ。よって、『決断』とは、『無根拠に選ばなければならないような事態』にすることだ」ということでいいのかな。
ふつう決断といえば、成功の確率とか、成功した場合のリターン、失敗した場合のリスクを見積もってするもの(よって無根拠ではない)だと思うのですが、ここはとりあえず置いておきましょう(保留1)。
(3)ひとは「決断すること」を迫られる状況で、成長することがあります。「決断をすること」を迫られる状況が、教育的な効果を生み出すのです。
(パスカルの賭けってこんな意味じゃなかった気がするがなあ。)
→市場にも適用「その事業の成功の有無とは別に、その人は成長する」
これも、「そんな考え方もあるかな」というレベルでなら賛同できるでしょう。
(4)「決断すること」が有効なのは、「教育的な効果」を期待できるときだけ。
問題は上記、この部分の節のタイトルです。
まず命題として、『「決断すること」が有効なのは、「教育的な効果」を期待できるときだけ。』は明らかに偽です。工事現場で鉄骨が空から降ってきて、右によけるか左によけるか決断しなければ、教育効果云々以前に死んでしまいます。雪山で吹雪に閉じ込められて、決死の覚悟で下山することを選ぶかその場で助けを待つか、といったケースもそうでしょう。『「決断すること」が有効なのは、「教育的な効果」を期待できるときだけ。』というのは、まるで学校の授業のように、「誰かが教育目的で課題を出してくれている」ケースでしかありません。
と、誰が考えているのでしょうか? 日本の裁判員制度について言えば、少なくとも最高裁判所は直接にはそうは言っていないようです。
「陪審員制度が市民を成長させることがある」という命題が真だとしても、そこから「陪審員制度は市民を成長させるためにある」は導けません。
ていうかこういう発想自体、どこかに「教育目的で課題を設定する先生」がいるという前提に立っているのではないでしょうか。それは誰? 将軍様?
まして市場は、我々を成長させるためにあるわけじゃないでしょう。日本が現在資本主義的な経済を採っているのは、そうすると競争で生産性が上がるとか、あるいはそんなのは既得権益を得た資本家が政府を牛耳っているからだとか、いろいろ意見はあるでしょうが、「教育のため」と主張する人はまずいないと思います。
ところがreponさんは、
「市場は教育のためにある」→「教育の目的は二極化を目指したものではない」という二重の飛躍をやってのけ、『「負けた」ものを救う措置が必要』と主張します。
『「負けた」ものを救う措置が必要』という主張自体には異論はないんですよ(BIがよいかどうかは議論の余地がありますが)。でもここまでの議論からこの主張を持ってくるのには無理がある。むしろ「ベンチャーを立てるとか、いろいろ挑戦できた方が社会全体の利得が上がる。でもそれで失敗して人生終わりじゃ誰も挑戦できないから、セーフティネットは必要だよね」という主張の方が筋は通っているでしょう。もちろんこれは典型的なマッチョ理論ですが。
「この金は自分一人で稼いだカネだお前ら手を出すな」と品性なく喚く人間は、教育と言うことがどういう事なのかを理解できていないのかも知れません。
学校の授業のゲームで「子ども銀行券」を取り合っているのならそうかもしれないけど、「市場は教育のためにある」ことが証明できていないので、この文には意味がありません。
ていうかそれ以前に、『「この金は自分一人で稼いだカネだお前ら手を出すな」と品性なく喚く人間』って誰のことなんでしょう。弾さんもfromさんも、BI推進派です。
そして。
教育的効果を発する「決断」は、自分を「問われるもの」として「問う」者を想定し、自身が「問い」に応える立場に立つとき、はじめて成り立つのです。
まったくそのとおりです。これについてはまさに上で、『どこかに「教育目的で課題を設定する先生」がいるという前提に立っているのではないでしょうか』と書きました。
まったくそのとおりです。で、それって将軍様?
つまりね、全体主義的権力を想定して論を進めてきたのはreponさんの方であり、弾さんじゃないんですよ。
実際には、幸い日本には、「真の目的が教育的価値であるということを隠しながら裁判員や市場で市民を教育してやろう」と思うほどの有能な権力は存在しないようです。
学校を卒業したらそこはもはや学校ではなく、ゲームを仕切ってくれる先生はもういない。だからこそ、
・32歳あたりで自分を決めるべき
・そんな会社なら、やめたほうが良かったんじゃないの?
もちろん、このアドバイスが正しいかどうかはまったく別な話です。fromさんがここで書いてるようにいつまでも自分を決めないほうが気分よく生きられるのかもしれないし、あの時代、会社を辞めてたらもっとブラックな会社にしか就職できなかったかもしれません。そういうリスクやリターンを勘案して、どう行動すべきかを決めるのが「決断」でしょう。
さて、ここで上記の「保留1」に戻ります。
ふつう決断といえば、成功の確率とか、成功した場合のリターン、失敗した場合のリスクを見積もってするもの(よって無根拠ではない)だと思うのですが、ここはとりあえず置いておきましょう(保留1)。
reponさんによれば、
正しい方向を目指したから正しい方向に向かったのではなく、正しい方向と信じてその方向に向かい続けたからそれが正しくなるのです。その方向を目指したのが最初は単なる偶然に過ぎなかったのかもしれない、という事実を自身に隠蔽することで、「自分は正しい道を歩いているのだ」と信じ込むことが出来ます。
とのことですが、「最初は単なる偶然に過ぎなかったのかもしれない」という命題と、「すべて偶然だ」というのとはまったく別の話です。
だからさ、弾さんにしろfromさんにしろ「何も考えずにまず行動しろ」なんて言ってないってばよ。
この、まず行動する、という主体確立が最悪の形であらわれたのがファシズムでした。ファシズムの要求するものは、つねに行動の形式それ自体です。内容はどうでもいいのです。内容が空虚であるが故に、そこに向かって突き進むという形式を要求できるのです。
reponさんの文章には、
→ 市場は教育のためのものであるから、敗者は救われなければならない。
→ 空虚であるがゆえに、決断主義者はファシズムに突き進むのだ
という飛躍があります。(1), (2)ともに、最初の命題は真なのでしょう。でも次の「→」は論理的につながっていません。
こんな破綻した文章をブクマコメで賞賛している人は、ちょっと自分のリテラシを疑ったほうがいい。
あとは余談ですが、
でも、「問う主体」として想定されているdanさんが言えば
だれかが書いてたと思うんですけど、弾さんは将軍様じゃなくて軍曹さんでしょう。今の社会でたまたまうまくいった人が、ある程度成功の秘訣を知っていると想定するのはおかしくない。とはいえ、弾さんといえど人生は一度しか生きていないのですから、実は弾さんが現在の地位を得られた要因はほとんど運で、気付いてないのは当人だけ、という可能性も十分に考えられますが。
長くなったし引用も多いけど、reponさんのもとの文章よりかは読みやすいんじゃないかな。
というわけで今日のまとめ。
Marco11につける薬はない
以上。
ありゃ、ツリーの付けるところ間違えたんですが、これ、修正しても直らないんだっけ?
なんつーか、じじぇくよめとかけんとうはずれのこめんとがつきそうなよかん。いまのしゅだいはじじぇくじゃないっての。…というこめんとをいれておいたことをしょうめいするために、ぎょたくとっとこう。
はいはい。安易な二元論とかやめようね。
ネットとそれ以外みたいな。
事件にまで発展しなくても、連れ去り一歩手前の声かけがあったりとか。
地方に住んでる人達のなかには確かにネットに無縁の人もいますが、だからといって今のマスコミの言うことなんか信じちゃい
ませんよ。
最近は自分達自身(道路や医療格差)のことをマスコミで採り上げられる機会が多いですから。
嘘を言ってるとすぐバレてしまいます。
民放は特にひどい。
NHKはとかく何やかやといわれますが、取材だけは時間かけてやりますから、まだマシ。
俺は自分がネットやってるから進んでると思ったこともないし、ネットやらない人が遅れた考えを持ってると考えたこともない
な。
そんなことで自分の間口を閉じてしまったら、貴重な情報も入ってこない。
ネットでなんでもかんでも世の中のことがわかるわけないし。
思うのは勝手です。
しかしその通りにはならない。情報の洪水に埋もれてしまう。既得権を持つ馬鹿に都合が悪ければ揚げ足取りなり印象操作なり
あらゆる妨害を受けて知的レベルの相当高い人の主張は封殺される。情報の洪水に流されるだけじゃなく大きな錘をつけられて
しまう。
社会の矛盾に殺されて行き場を失った不運な天才の意見が2ちゃんねるやブログに書き込まれても情報の洪水に埋もれて多くの
人間の目に留まることは少ない。
矛盾してませんか、言ってること。
天才の定義がいまいちよく分からない。
まさか自分のこと言ってるとか?
とりあえず働いたら?
(その前にとりあえず外出てみるとか)
ネット時代になって地域・所得・国籍・社会的立場に左右されずにいろんな人々が自分の意見を言えるようになった。
しかし、相変わらずネットを使いこなせない人やネットと無縁な人も相当数おり、彼らは身内のコミュニティで共有される情報と既存マスコミの垂れ流す情報を元に行動する。インターネットを駆使する人間が思うほど世の中が変わったとは思えない。
知的レベルの相当高い人が書く日記を見ていると、世の中がこの通りになればいいのにと思う時がよくある。
しかしその通りにはならない。情報の洪水に埋もれてしまう。既得権を持つ馬鹿に都合が悪ければ揚げ足取りなり印象操作なりあらゆる妨害を受けて知的レベルの相当高い人の主張は封殺される。情報の洪水に流されるだけじゃなく大きな錘をつけられてしまう。
言葉が世の中を変えるほどの影響力を持つのは、人脈・権力・資金力とコネクトできた時だけなのだろう。
人脈・権力・資金力を備えた馬鹿が垂れ流す言論はマスコミという触媒により極大化されて情報の洪水の大きな流れになる。
社会の矛盾に殺されて行き場を失った不運な天才の意見が2ちゃんねるやブログに書き込まれても情報の洪水に埋もれて多くの人間の目に留まることは少ない。
優れた問題意識を持った弱者による真実の意見は社会に受け入れられることはない。
影響力の拡大を望む団体に意見を政治利用されることはあるかもしれないが、おそらく弱者が訴えたい主旨からは乖離していく。
弱者を救いたければ正しい主張だけじゃなく、人脈・権力・資金力を手に入れることが必要だと思う。
追記:世の中に強い不満を持つ弱者がすべきなのは現実逃避ではなく、人脈・権力・資金力をそれなりに持っている人間に対するロビー活動なのだろうと思う。諦観・無関心・ネット掲示板orブログへの落書き・自殺・他の弱者に当り散らす行為etcは現実逃避に過ぎない。
ときどき自分はものすごく馬鹿で非常識なんじゃないかと思うことがある。
たとえば
半日くらい真剣に、会社の問題点を考えて、それを資料にまとめる。
かなり網羅的に検討してるし、問題点を分かりやすくまとめて、それに対して前向きな解決案を書けたと、自分では思う。
自信を持って提案するものの、玉砕。理由は・・・
特にないんだ。
単に反応がない。
網羅的な検討とか、本質的な問題解決なんて、実は誰も求めてない。
キャッチーなバズワードが欲しいんだと思う。それが「心に響く提案」ってもんだ。
大多数にとって、正論を振り回すなんてことは「鬱陶しいこと」に過ぎない。
僕らよりずっと偉くて有名でいい収入を得てる彼らが、何か一つでも正論を言って前向きな解決に合意形成できるか?
単にワーワーと自分や党や既得権益の立場からの意見を一方的に言って、相手の意見なんて聞きやしない。
ここでは「議論していること」が大事なんだよ。議論が前進して何かを解決することじゃない。ポーズだ。
何か社会的に重要なアジテーションを、みんなが納得するように意見形成できてるマスコミが一つでもあるか?
彼らにも哲学なんて無いんだ。すべては「報道してる」「社会派」みたいなポーズが必要なんだ。
理由は「日本人は忘れっぽいから」。
マスコミは「視聴率がとれなくなるから」近日中にニュースにするのをやめるだろう。
政治家は「国民の支持を得るために」もっと議論のかっこがつく、新しい意見が言える問題に移っていくだろう。
僕らが悪いんだよね。忘れるから。
そして、正論を鬱陶しがるから。
めんどくさいことが嫌いなんだ。それに同じことを聞かされるのは飽きる。問題意識はあっても解決する責任は無い。
当事者意識の無い烏合の衆がしたり顔で批判ばかりしてるから、何も進まないし、それを知ってる人たちは時間稼ぎの牛歩戦略をとることになる。
おれはね、でもね、許さないよそういうのは。
鬱陶しいと思われても、正論をぶつけてやるし、しつこくしつこく問題を追及してやる。
おれはマッチョじゃないし、マッチョにはなれないけど、だからこそ自分が所属する組織、会社も社会も、良くなるように声を上げ続ける。
そうじゃないと、このままじゃ潰されるからね。やるしかないし、そういう危機感を共有していきたい。
http://netamichelin.blog68.fc2.com/blog-entry-2044.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://netamichelin.blog68.fc2.com/blog-entry-2044.html
「広告効果があるのに認めないなんて発想が古い」「既得権益だ」とクレームつけてただで見ようとする。しかもGyaoやバンダイチャンネルできちんと配信されてるのに。挙句の果てにインターネット先進ユーザーを気取る。
一応自分自身就職氷河期の中で大学を卒業したので、あの時代の身も凍るような厳しさは理解してるつもりだ。
たださ、お前達こういう事って分かってたんだろ、認めてたんだろ、って言いたい。学生時代からずっとそうだったじゃないか、いわゆるリア充とかAクラスとかにカテゴライズされる奴等がキモヲタとかCクラスとかいうグループを蔑んで嘲笑してウケを取って、果ては苛めたり暴力を振るったりして、その他の連中はそんな「ガス抜き」が行われているおかげで平凡な学校生活を送る、皆学生時代ってこんなものだっただろ。
クラスに配置された人の枠組み以外、誰に強制されたわけでもない人間関係の中の小世界で、強者が弱者から不当に搾取をして咎められない、そんな世界の仕組みがいつの間にか出来て、殆どの奴等はそれを積極的に承認するか、当然と思って受け入れてきたんだろう?
学校が社会の仕組みを学ぶための小社会とするならば、それが拡大されているのが実社会なのだから、自分が被差別側になってしまったからといって文句を言うなよ。それこそ「自己責任」なんじゃないのかい。以前まで自分がAクラスの「クラスの人気者」もしくはBクラスの「普通の学校生活を送っている学生」という、Cクラスを犠牲にした「既得権益者」だったんじゃないのか。人の時は自己責任だと言い、自分の時は社会が悪い?寝言は寝て言えよw
俺、小学校から高校まで、毎日罵声と嘲笑の中で生きてきたし、持ち物が無くなったりいたずらされたりした回数は数え切れないくらいだ。中学校時代は特に酷くて、生傷が絶えることがないくらい暴力を頻繁に振るわれた。死のうと思ったことも一度や二度じゃない。
誰に訴えてみても、誰も助けてくれない。
それでも、担任も親もクラスの連中も「いじめられる側に問題がある」だよ。
よしんば俺に何か原因があったとしても、暴力が許される訳がないのにね。
そんな「格差社会・自己責任社会」を学生時代過ごして来たから、俺は大学受験と就職活動は文字通り死に物狂いで頑張ったよ。結果、給与が良く残業が少なく身分保障がしっかりしている今の職場にいるんだわ。
で、今NHKのワーキングプア特集とか、格差問題のテレビとか見てても正直ピンとこない。テレビに出ている生活に困窮したワーキングプアの若者、あの人達の学生時代はどうだったんだろうね?クラスにいる弱者の苦しみを何の問題意識も無く眺めていたのだとすれば、現在の状況は社会の被害者でも就職氷河期の犠牲者でもなく、ただ単に「因果は巡る」ってだけだろ。学生時代Cクラスで、そのままワーキングプアになった人も、社会の格差構造をもっとも肌身に感じて理解できる立場にいたのだから、それで対策ができないというのは甘すぎるというほか無いんじゃないか。
「格差があるにしても、差を付けられた方が凍死したり餓死したりはしていない」
発言をした奴は大嫌いだが、言ってることは真実だ。少なくとも俺にとっては。
自分達で作った蟻地獄に自らはまったんだよ。どうして助ける必要がある?死ぬほどじゃないだろw
管理や既得権の主張なんて、誰もしてないと思うんだけど。
ただ、新参者のくせに同人誌の値段が高い! と憤っているだけで。
(まあその憤りもどうよ、という気もするけど)
わざわざ反応するところを見ると……?
いや、読んだよ。その上での発言。
二次創作同士で既得権益主張とかすげーだろ。ヤクザが地代どうこうで因縁つけるのと同じじゃないか?
お前その場所の管理者じゃないから、って言う。
いやいや、見なければいいで済む話なら、そもそも映画なんて見なくてもいい。
娯楽という既得権益を奪われてることにみんな気付いて無いんじゃないだろうか。
質の低い番組になっていくことが悲しすぎる。ちなみに今はもう見ていない。
彼らが忌み嫌うJASRACや既得権益を打破する力に、いずれ成り得たかもしれない新参勢力を潰したともいえる。
日本にはこういった人間が必ず一定数いる。他の国にもいるだろうが、割合が多いのかもしれない。目に見えないところで稼いでる巨大勢力には全く気付かず、目に見えるところの小さな成功者を叩く。「出る杭は叩く」は何も政治や芸能界だけの話ではない。我々若い世代にもあてはまることだとネットを見ていてつくづく思う。
目に見えないところで稼いでる巨大勢力って日本にいないんじゃないの?行政改革構造改革で官僚とか土建とかとかフルボッコにされてるわけだし、一昔前は改革の象徴みたいだった堀江村上は牢屋行きだし、日本の富豪にずらずら並んでるサラ金パチンコだって官製不況。小泉政権のころは外資にのっとられるとか陰謀論が渦巻いてたけど、今じゃ外国人投資家にどんどん逃げられて株下がりまくり。
将来、日本人は異質の塊のような移民を受け入れられるのだろうか。
答えは極めて難しいと言わざるを得ないのではないか。
移民を受入始めた途端、いまの叩きまくっているニート集団が「仕事が奪われた!金儲け企業を潰せ!」とドイツで騒ぎ立てる右翼連中のようになるのが目に見えるようだ。また頭のいい人間にのせられ、組織化され利用されるのがオチかもしれない。
これはなんという和製ナチスもどきか。
個人的には違う意味で移民受け入れは無理と思う。日本はすでに下位先進国でまだまだ落ちそうなんだから移民が来たがる金持ちな国ではなくなるでしょ。すでにシンガポールには抜かされてるわけだし、数十年後の日本は欧米どころか中国沿岸部や韓国台湾より貧乏になってる可能性が高いと思う。
新曲ランキング1位はおろか、10位もままならない状況になってしまった。
理由は色々あろう。
・視聴者が飽きたのでランキングに上がらない
・作り手がボーカロイドに飽きた
・作曲の敷居が高くなり、作り手が減った
どれもそれなりに大きい理由のように思うが、今でも新曲は存在する。だが以前のように「これは凄い」と即座に思える曲がほとんどない。要因として、腕の立つp(プロデューサー)のモチベーションが軒並み下がっているようにも思える。
一通り持ち歌も作りきったのでネタ切れ、という理由があるかもしれないが、一連のドワンゴ・JASRAC騒動で萎縮してしまったのではないだろうか。彼らのモチベーションは間違いなく聞いてもらって喜んでもらうこと。自分の時間を削ってまで頑張っていたはずだ。なのに、なにげにやったJASRAC登録でそこまで叩くか、というほど叩きまくられてしまった。
喜んでもらうことがモチベーションの源泉なのに、思いもかけぬところから嫌われ叩かれる可能性を目にした。叩かれたpはもちろんだが、叩かれず横目でみていたp達もどう思ったのだろう。どうも思わなかったかもしれないが、心の奥底から沸きあがる熱いモチベーションを冷やすには十分の騒動だった。
おそらく叩いていたのは一部の人間だと思う。しかし一部の声が集まりやすいネットでは、叩く人間が100人中10人もいれば萎縮させるには十分すぎるほどの声となる。
「どうせ金儲けだろ!」
「金に目がくらみやがって」
そういって彼らは叩きまくった。
彼らが忌み嫌うJASRACや既得権益を打破する力に、いずれ成り得たかもしれない新参勢力を潰したともいえる。
日本にはこういった人間が必ず一定数いる。他の国にもいるだろうが、割合が多いのかもしれない。目に見えないところで稼いでる巨大勢力には全く気付かず、目に見えるところの小さな成功者を叩く。「出る杭は叩く」は何も政治や芸能界だけの話ではない。我々若い世代にもあてはまることだとネットを見ていてつくづく思う。
調和を乱すような人間(組織でもいいが)、自分たちより稼ぎが良くなりそうな人間は妬み、叩く。
社会規律を守る、現行システムを維持したい人間からすれば極めて便利な集団だろう。
今の社会政治も同じ構図だ。格差是正の大合唱のもとに、国際競争力のない土建や農業に自助努力を求めず、保護と助成を与える。その助成は回り回ってグローバルで競争力のある工業界の足を引っ張ることになる(EPAの締結遅れなどその最たるものだ)。
正直、老齢化の進む日本人だけでこの国が目に見えて良くなるとは思えない。
移民こそが力のアメリカはもとより、東欧を併合し移民で勢いを付けるEUなどとも勝負になるはずもなく、このままずるずると政治を遠巻きにバカにしつづけてジリ貧になっていくのかもしれない。
将来、日本人は異質の塊のような移民を受け入れられるのだろうか。
答えは極めて難しいと言わざるを得ないのではないか。
移民を受入始めた途端、いまの叩きまくっているニート集団が「仕事が奪われた!金儲け企業を潰せ!」とドイツで騒ぎ立てる右翼連中のようになるのが目に見えるようだ。また頭のいい人間にのせられ、組織化され利用されるのがオチかもしれない。
これはなんという和製ナチスもどきか。
話がミクから右翼まで多岐にわたったが、以上。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/9ad59f1a7f3069cac4c09a84652fccbf
「サイバーリバタリアン」の第2回は、永遠のテーマ「実名・匿名」論争である。当ブログでこういうテーマを扱うと、はてなブックマークがいつも大騒ぎになる。そこに群れるお子様たちは、匿名で悪口を書ける(しかも反撃されない)おもちゃを取り上げられるのがいやなのだ。既得権にしがみついて自立できない古い日本人の卑しさを、彼らも受け継いでいるわけだ。
「お子様」とか「古い日本人の卑しさ」とかの文言は、煽りでしょう。
エントリーの後半でgooIDでの自ブログのコメントを是認されているのなら、はてなIDでのはてブコメントも是認されるはずでしょうに。それなのになぜ、asciiの記事のようにはてブ叩きをされるのか。
池田氏のはてブ叩きって、以前も似たようなことを読んだことあって、それから議論が進んでいないので、定期的なルーチンワークに思える。