ふとおもったんだが、ニューサイエンス(ニューエイジサイエンス)ってのがなければ、水伝ってのもここまで疑似科学として批判される事はなかった気がする。ニューサイエンスが作り出した幻想、つまり東洋思想っぽい何かを混ぜたら科学を何やら神秘的な領域にまで拡張しうるというイメージ、これがバックにあってはじめて水伝は「意識が直接物質を変えるなんてことも将来的には科学の範疇になりうるかもしれない、というか既にそれは科学的事実」という幻想をふりまくことができたんじゃないか…ニューサイエンスの"拡張された科学"幻想が無けりゃ、水伝なんてそれこそ疑似科学とすら思われはしなかったんじゃないかなあ。
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