はてなキーワード: 末裔とは
おいおい、そりゃいつもの話だろう。
どうでもいいことに口をだすんじゃない。
全く、困ったものです。
でもいいんじゃない?でもいいよね?
なんでもいいからぶつけてみるのさ。
死にたい奴はあかね色の空を見れよーーーーーーーーーーーーーー
我慢せず、ためらわずにいこう。躊躇はよくないよ。
最初はそうでもないなと思ってたけど、スルメのように噛めば噛むほど、
良曲ってそんなもんだ。
便利便利、ニコ便利。ニコニコといえば?
あったもんなかったもん、
そんじゃったもん、踏んじゃった。
(=^・^=)踏んじゃった。猫踏んじゃった。
君の夢は何?なんて聞かれても知るか
今、現状が夢が叶えられてる状態だよ。
永遠には続かないよ。知っているよ。
誰の夢を叶えたいんだい。
何万年と受け継がれてきた
たすきを僕は肩にかけた。
広がる世界。
膨らむ妄想。
勇気を持って、さぁ飛び出そう。
タイピングする以外にないのだから。
元気出していきましょう。
くっだらねぇって、つまんねぇって、
このフレーズも大好きだな。
全部見通せるんだろう?誰かの心だってきっと。
ずっとずっと考えていることがある。
時代は変わる。俺自身も変わっていくものだろう。
まだまだ・・・・・・・・・
こいつらこの程度で俺を倒せると思ってやがる・・
助けなんざいらねぇよ!!おれぁ白ひげだぁああ!!
反応を求めるなら、どこへいけばいい。
もなちゃと?twitter?どうでもいいけどラーメンって美味しいよね。
how many times are you look at me?わけがわからん。英語は不得意でねぇ。
君の描く幸せってどんなもの?
世界がワールドイズマインだよね。マインちゃんがかわいすぎて僕もうロリコン魂総発揮だよ。
いっぱいおっぱいなのだよ。つまるところ、目が痛いのだよ。
自由にやっていくのが一番なんだって
つまるところのフリーダムなんだって
そんな事言われたってさぁ。
肩が外れそうだ。なんとなく、幸福だ。
ぶるああああああああああああああああああああああああああああ
何万年と受け継がれてきた命。その末裔が俺だ。
でっていうwwwwwwwwwwww
よくわかった。
ただ俺は最後にこうも書いている。
ただ、そういう家柄を国家の補助のもと税金を大量投入して残す必要があるのか? という論議は、またどんどんすればいいと思う。
だから俺は天皇制云々はシステムの問題としていろいろ議論してもらえばいいとして、尊敬の念を忘れてはならないと言っているのだ。
天皇を崇めている人の神経がわからない。なんでただの「人」をああも崇拝できるのか。神様だと思ってるの?いちいち敬語とかつけて、あほみたい。
こういう主張から天皇制廃止に飛躍しているのだと思ったから、俺はもう少し他者に敬意を払うべき、ということを言いたかったのだ。
元増田の意図を取り違えていたのだから、元増田の求めるものに対しては結果的にずれた主張になってしまったのだと思う。
これはねえ。
難しいな。
確かに言っていること自体はおかしくない、間違ってないとは思う。
しかし、そんなに色濃くないとは言え日本には儒教精神のバックボーンがあるし、年長者を敬うべきとか、そういう慣習がある。
その点からすると、増田の言っていることは、間違ってはいなくとも、広く日本で受け入れられる考えか、と言えばそうではないように思う。
というか、俺を含む人間で、受け入れられないと思う層は必ずいる。
天皇は色々仕事をする→尊敬されるべき→天皇制っていいね→(天皇は色々仕事をする……
↑このサイクルができてるわけでしょう?このサイクルを除けば実際、天皇制を支えるものなんて迷信によって支えられてきた歴史の「過去」しかない。
そのサイクルが尊敬を生み出す、と言いたいようだが、それだけでは絶対にない。
歴史の「過去」しかない、と言っているがその歴史こそがもっとも重く、最も尊いものだと俺は思う。
つまりまあ、ちょっと飛躍するけど、功労者って言われて何年も働いてないのに高額契約する野球選手もいるでしょう。
すっかり変わってしまった元彼女ではない、かつての優しかった彼女のことばっか思い出して行動するやつもいるでしょう。
そういう感じで、いま働かなくなったから何十年かですぐさま尊敬に値しない一族になるとは俺は思っていない。
歴史上の偉人の末裔は尊敬していいと思うし、日本で一番高貴な血筋を保っているのだ。
他国の歴史では権力構造が変わるときに前王室を虐殺して、自らが王になることが多いのに対し、日本ではそのようなことは行われなかったのだ。
日本の権力者は天皇に自らを高官に任命させる、または天皇の子を娘に産ませる、それしか考えていない。
天皇家を虐殺して自ら天皇になろう、という発想のものがあらわれたっておかしくはないのに、だ。
あとついでに全然論理的じゃないことも書いて申し訳ないけど、俺は権威主義なんだ。
だから現在も続く徳川家の末裔だって、いまや民間人だけど俺は尊敬する。
こういう考えの人も、少なくはないと思う。
学会の開会式に皇太子来るって聞いたら、見にいきたくなるじゃん? というか、行ったしね。
論理的じゃないことをさらに書いて申し訳ないけど、天皇家は問答無用で、制度によらず、尊敬すべき家柄だと俺は思っている。
ただ、税金をどの程度使うか? 大臣の任命権などの社会的役割をどう扱うか? などの天皇制については、廃止を含めて議論したっていいと思う。
しかし、廃止するのであっても、家や伝統の維持のために、小額の補助を出すことくらいは、認められてもいいんじゃないかと思っている。
ただでさえアイデンティティを失った日本人が、これ以上失う必要はないのだから。
元増田の言いたいこととかみ合う部分は最後の三行だけになって申し訳ないです。
アイコさん障害児っぽい風貌だけど。
これについて、日本経済新聞に「これは藤原氏の末裔である」という記事があり、
確かに、維新当時「武士階級」「公家階級」だった人の子孫であれば、上記説明は正しいかもしれない。
しかし、「農・工・商」階級は維新前は帯名を許されていなかったわけで、彼らは維新後に
「近所の地名から」とか「庄屋の名前を拝借して」等々で、勝手に「創名」していったのである。
つまり、「加藤」「伊藤」「佐藤」姓の過半数(というより9割近く)が維新時に
「創名」した人の末裔なのであり、「維新時創名組の『●藤姓』中に藤原氏の子孫が存在する確率」は、
「ゼロ」とは言わないが、「他の氏名の場合と有意な差は現れない」と推測される。
ありていに言えば、「加藤」「伊藤」「佐藤」という氏名だけで、「藤原の末裔です」と
胸を張って言えるのは「維新時に武士階級・公家階級という、由緒正しい家柄」の人だけである。
こんな記事を垂れ流す日経もどうかしている、と思うが、
映画「玄牝」を夕刊シネマ万華鏡で激賞していた日経には、自分はハナから期待しない。
むしろ絶望するのは、この手のトンデモ記事のウソを見抜けない「はてなー」の救いがたいアホさである。
この記事のブクマコメントの過半数が、「面白いエントリーだ」と好意的に評価しているのである。
「はてなー」は、理系的記事に対するリテラシー能力は高いのに、文系的記事に関するリテラシーは、
からきしダメなのか?
あるいは、「はてなー」は、「武士階級・公家階級」という「由緒正しい家系の方々」が多くて、
「江戸時代から氏名を持っているのがデファクトスタンダード」なのか?
さすがは先生
http://www.geocities.jp/nametantei/rare.html
http://wiki.chakuriki.net/index.php/ありがちな姓
http://www.infoaomori.ne.jp/~yamada/legend/timei.html
重要な情報だけ抜粋すれば、苫米地という苗字は青森由来のようである
ふむ。しかしながら、米沢藩上杉にルーツがある、という見方もできる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/苫米地義三
彼は、元衆議院議員、元参議院議員で、出生は現在の青森県十和田市であり、自らを上杉謙信の末裔と称していたようだ。ちなみに彼は、苫米地事件の原告である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/苫米地事件
苫米地英人のルーツではないが、苫米地という苗字が青森県、ひいては米沢まで遡ることができることは、間違いないようだ。ちなみに、愛知県名古屋市出身のプロ野球選手に苫米地鉄人がいるが、ここでは割愛。
ちなみに、苫米地英人は言語学者にして元衆議院議員苫米地英俊の孫に当たる。苫米地英俊はwikipediaを参照されたい。ちなみに僕は言語学関係を専攻しているのだが、彼の業績については聞き及ばない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/苫米地英俊
また、苫米地英人の家系についてはhttp://www.asyura2.com/tomabet2.htmを参照されたい。
苫米地英俊は出生が福井県であるが、親にあたる苫米地和夫は北海道小樽生まれであることから、彼もやはり、そのルーツを継いでいると言える。
ちなみに、おじにあたる苫米地俊博が、三菱商事(のち副社長)に、苫米地英人本人が三菱地所に入社していることは注目に値する。明らかにコネである。
■血筋
・織田信長の末裔 (※「あの本能寺だって落城するんだぜ」と本人談)
■才能
・ちょっと勉強すれば東大法学部も余裕。弁護士、代議士もなれる。
・北野武を抜いた。映画を何万作も見てる○○会長からも全世界の映画の中でブルーベリーが一番と評価された
・金主いたら富豪になれる
■信念
・今後一生2chは絶対見ない。2ch潰す(※紙にプリントアウトしてもらったログを読むのはおK)
・アウトローは俺以外語らせない
・億の金を積まれても 兆の手形を見せられても 俺は自分の信念を取る。
■強さ
・outsiderでは相手を必ず破壊する (※大谷選手の負傷情報皆無)
・都内某所のアームレスリング大会で勝った(※大会の時間場所等の情報皆無)
・ムエタイの試合でハワイチャンピオン級の奴の足を折ったことある
・エンセン、村上などの格闘家やレスラーはみんな坊や(※他にもエンセン・村上は弱いアピール多数)
・誰も見てない路上か駐車場で前田さんとストリートファイトしたい
■人脈
・都知事と会食した
・自民党に頼んだので、2chはもうすぐ検索エンジンから消える
■逸話
・0~3歳までスーパーへ行く度にカツアゲしてた →7才にして丸井のカードを持ってた
・16才で東京制覇した(※16才の少年が1千万都市を制覇したのは史上初)
・脳内麻薬が異常に出てる特別な人間だから5日寝ないとか可能(注:不眠の公式日本記録は4日と9時間)
・テレビのゴールデン出演のオファーを蹴った(注:オファーがあったのは早朝5時台)
・後輩のケジメで自分で指をかみちぎった ・オウムの幹部を監禁した
東京で大学三年生やってる。彼女はいたことあるけど童貞。相談にのってほしい。
連絡取り合ってて、何度か二人で遊びに行った。周りにいる女の子とは違ってわがままでビッチなとこに惹かれた。
ただ、彼女は同僚で俺とも仲のいい男の子(B夫)が好きだと言ってたし、実際デートにも行ってたようだった。
しだいに俺とB夫はお互いのA子との接近に気付いたが、そのことについて触れることはなく今まで通り接していた。
そうこうしているとA子から、B夫に告白したけど冗談だと思われて超ショックーという話を聞かされた。高田純次みたく軽いキャラの俺は「そうなんだ!けどやっぱ増田のほうがいいと思うけどなー」「増田にしとけば楽しいのにな」とか言ってた。
実はそれまでもよくB夫のことが好きだとかさっきまで電話してたとか増田なんか二番手と言われていた。嫉妬心を煽るような言いかたをされ、そのたびに高田純次で返してふたりでアハハ、みたいな。
普通はそれであきらめるんだろうけど、ドMかつ追いかける恋が好きな俺は友達にマジキチとか言われながらもA子を好きでいた。A子とB夫が付き合うまではこのままでいいかなと思っていた。B夫B夫言われるのにつっこみをいれるのがなかなか楽しかったし。
さて、B夫はA子のことを好きなのに俺に気兼ねして付き合わないのかなと思いきや、B夫といるときは増田岡田、いや増田増田言ってることが友達を通じてわかった。ビッチ節が炸裂してる。ただB夫が一番手、俺が二番手であることは一貫してるようで残念というかハアハアというか...
ホルホースで行こうと思ってたのに最近になってポルナレフになった。あ、ありのまま...ってやつ。やっぱり増田が好き、付き合ってほしいとか言われた。あれだけ好きと言ってたけどいざ告白されると付き合いたくないと思った。その場では茶を濁して別れたんだがどうにかしないと。どうやって断ればいいのか教えて欲しい。
何で付き合いたくないのかはおれにもわからんが、遊び半分でキャッキャやる分にはいいけど増田家末裔の童貞をやるわけにはいかんぞ!みたいな先祖の声は聞こえる。
朝倉兄
「皆の者、見よッ、朝が来たぞ。
我等の勝利を祝う朝だッ!!
昨日まで続いていた暗黒の時代は
ようやく終わりを告げる…、
このVNIの死によってだッ!!
思い知れーッ!
悪魔を殺せーッ!
はてなアイドルファンの老人
地獄へ堕ちろーッ!
朝倉兄
同胞からも嫌われているようだな。
「………。
朝倉兄
「皆の者、静まるがよい。
皆の気持ちはよ~くわかった。
我がブロゴスフィアの同胞よ。
我等の苦しみはすべてこのVNIによって
引き起こされた災いであった。
友であるはてなの民よ。
我々はすべての恨みをこのVNIの血で
あがない、水に流すとしよう。
すべての争いはこれで終わりにしよう。
皆同じ国の民なのだから。
「…汝、神の子よ。
最期に言い残すことはあるか?
「ふはは、すべての戦いは終わっただと?
ふははははは、愚かなやつらめ。
争いを始めたのは私ではないぞ。
朝倉兄
「黙れッ! この期に及んで
自分の罪を民のせいにするかッ!
「哀れだぞ、お兄ちゃん。そして兄チャマ諸君。
貴様らも私と同じだ…。
ぐうたらで、不満ばかりを口にし、
自分では手を汚さない…。
それが閲覧者というもの。
次の瞬間にはようつべで違法アップロードされたアニメを視聴し、
そしてムラムラしてくれば同人誌を落とし、エロゲーすら無料で落とす…
しかし、それは見当違いだ。
手のひらで踊っているのはこいつらでは
ないぞ。私と貴様らだ…。この私の姿は
朝倉兄
「ええい、もうよいッ。殺れッ!
綺麗なふりをしても無駄なことだ。
ふはははははは…!
ふはははははははははははは!
そんなことやこんなことで今話題のウィキペディア。投稿者が減るのはウィキペディアのためにもそんなに悪いことじゃないんじゃないか、とも思ったんだがどうやらそんなに減っているわけでもないのかな。投稿者の減少が何故いいことかっていうと、良くも悪くもノイズが減るんじゃないかと期待するからだ。内容の信頼性とか記事の質は相変わらずだろうけれど、同じ話題に関わる人間の数が減ればおかしな記事はおかしな記事なりに純度を上げて「おかしさ」のS/N比が上がるとすれば、それはいいことだと思うわけ。ザーザー言ってて何を言っているのかよく分からない放送よりはアホな芸人が喋りまくっている番組の方がまだマシなところがあるようにね。テレビを見たがる子供に砂嵐を見せるか民放の馬鹿騒ぎを見せるかというのは究極の選択っぽい気がするけど、幽霊の見えそうな砂嵐よりは民放を見せて「また馬鹿なテレビを見てるのかい」って言った方がまともな子供に育ちそうなものだ。で、それは放送大学を見る幼児に向かって「難しい番組だねえ」と言っているのとあまり変わらない。どっちがいいかは最終的には価値観の問題かな。
だから「おかしさ」って書いたけど、何か特別な要素の純度が上がった状態とでも思ってほしい。で、たぶん、絶対的な投稿者数が減った後に相対的な比率で増えてくるのは、職業的な専門に対するストイックさとか、オタク的な過剰さとかを備えた「熱心な」人達だ。ハタから(つまり「世間樣」から見れば)見ると良くも悪くも常軌を逸して、つまりに真摯に追求している、あるいは配慮を欠いている、つまり常識を変革すべく頑張っている、そういう人達だ。まあ自分の学界の片隅に籍を置かせてもらってるけど、そういう人達のもつ情熱とか執拗さとか真剣さとかは、まさしく人生を賭けた壮絶なものだと感じる。
ちょっと話は逸れるけど、ウィキペディアはなぜ専門家に優しくないのか、という疑問を持っている人は結構いる。専門分野で執筆に参加したけれど、結局「専門家じゃない人たち」に気圧されて撤退してきた本当の専門家を、個人的にも何人か知っている。こうした不幸がどうして起こるかっていうと、おそらく上に書いたような「熱心な人達」と専門家が正面から鉢合わせしてしまった場合、専門家の人達は「おっと、インターネットなんかでシロウト相手に喧嘩している場合じゃないや。今月中に論文仕上げないといけないしな」てな具合に本来の戦線に戻っちゃうからなんだな。研究者はそっちの方で人生を賭けているんだから当たり前のことだ。まあ仕方がないね。
で、宗教の話をしよう。結論からいうと、ウィキペディアにおける生命力という意味では宗教的な情熱を持って行動している人々も市井の「熱心な人達」と張り合ってるんじゃないかと思った、ってことだ。人には物事の「宗教性」に比較的敏感な人たちと、そうでもない人たちがいる。ご存知のようにな日本は圧倒的に「無宗教」な社会だけれども、注意深く暮していれば宗教的な空気というのは比較的よく遭遇するものになっているように思う。まあ創価学会とか明らかなものは置いておくとしても、クリスチャンの多い朝鮮半島からの留学生などが増えているといった事情もあるんじゃないかと思う。例えば東京の都心のカフェで小一時間耳をすませていると、その地元のクリスチャンのコミュニティが会合の場所にしていることが分かったりする。いきなり聖書を読み始めれば分かりやすいけど(そういうことも結構ある)、そうでなくともメンバーが出会ったときの挨拶の言葉だとか、そのグループの顔付きだとかをしばらく見ていると「ああ、なるほど、そういうグループだったのか」って思うわけだ。これはたぶん信者さん自身がもつ「仲間意識」と同じようなものだろう。別に隠しているわけじゃないだろうけど、フリーメーソンの変な握手みたいな、ある種の言語化されない巧まざる符丁が作りあげられている。
それで、定期的にウィキペディアを眺めていると、上に書いたようなのと同じ体験をするんだ。つまり明らかに宗教的な関心で活動している投稿者というのを見付けることができる。僕の個人的な関心のせいもあるかも知れないけれど、クリスチャン、もっといえば福音派の方が以前から熱心な投稿を続けているのに気付くのはそう難しいことじゃない。だってほとんど毎日新しい記事を書いてるからね。その編集履歴を眺めていると、気がつくことは三つ。一つ目は、自分のモチベーション、あるいはバックグラウンドを表明した上で編集活動を行っていること。二つ目は用語法に非常に敏感なこと。三つ目は(たぶん自覚しているはずだけど)自分の視点というものを相対化できている人もそうでない人も、よくも悪くも書きたいことしか書かないということ。二つ目と三つ目の点が悪しき融合を遂げてしまうと百科事典のはずなのに「キリスト教事典」みたいなちょっと文脈が他とズレた項目ができてしまう。内容的には正しいだろうから、まあ必ずしも悪いことではない。というか、文句をいう筋合いは全然ないからどうでもいいけど。
書いておきたいのは、そういった方々が福音派なのは偶然じゃないということ。福音派って何かしら、という人もいるかと思うが、ざっくり言えばプロテスタントの中で一番熱心に「聖書が絶対だわよ」って考えている人たちのことを日本語では福音派と呼んでるみたいだ。で、中学校くらいの知識を総動員して説明すると、プロテスタントってのはもともとのカトリックの人たちが「教会ってステキ。おフダをどんどん買えば天国に連れていってくれるんだから」とかちょっとアレな感じになっていると思って、「そんなアホな。聖書を読む方がよっぽど御利益があるに決まってる。金もかからんし」という感じで喧嘩別れした人たちの末裔のことだね。そんなわけだから貧しいながらもマジメにコツコツ働く人たちに圧倒的な人気を博したみたい。で、福音派ってのはその中でも「聖書が大事だね」っていうところで突っ走っている人のことだと思ってればいい。たぶん。「これ全部本当のことが書いてあるんだぜ」「だよね」「最後の審判くるよね」「ヤバいよね」「でも千年王国チョー楽しみ」みたいな。信じられないかも知れないけど、これ全部本当の話、ってやつ。念のため書いとくと福音派って中にも聖書の話と現実の歴史の対応には諸説ある。というか複雑すぎてよく分からん。
福音派はアメリカで多くて、ブッシュ共和党の支持母体になってることは有名だね。政治に熱心で極端になると共産主義は悪魔の手先、イラク先制攻撃万歳、進化論教えるなら学校やめるし、中絶するなら病院焼いちゃうよ? (実際、焼いてるし、医者を殺してる)みたいな人が多いみたい。中絶反対、てのはカトリックの方が厳しいのかと思いきや、実は福音派の人たちもけっこう過激な人たちが多い。ヨーロッパの国がほとんど中絶を合法化しているのに比べて、アメリカで未だに喧喧諤諤の議論をしているのはそれが原因のひとつかな。福音派が政治とか社会問題に積極的に関わりたがるのは全然不思議なことじゃない。つまり福音派であることと積極的なコミットメントには密接な関係がある。というのは、福音派の人たちは自分たちの考えを広めることをかなり大事に考えているからだ。つまり布教(福音派だと伝道っていうのかな)がかなり大事。まあ宗教は何でもそうだけど福音派は特にそこが目立っていて、ちょっとゴリゴリした感じになっているんだね。みんな、生まれ変わって新しい自分にボーン・アゲインしようぜ ! トゥギャザーだぜ ! みたいな。まあ、回心するのが大事だから回心させてあげよう、ていう感じかなのかな。とりあえず頑張れ、としか言えないけど、個人的には家を焼かれちゃたまらんし、できちゃったら産むしかない、ってのは穴があったら入れるしかない、てのと同じくらい野蛮だぜ、って思う。理性ってのは原理的に自然を抑圧するものなわけで。
最近のアメリカの福音派の政治的な人たち(キリスト教右派と呼んでる)は民主党のオバマが政権取ったし、アフガンもベトナムっぽくなりつつあるし、ゲイの結婚もちょこちょこ合法化されてるし、ちょっとヤバいんじゃない? とか考えてるみたいだけど、とりあえずどうでもいいや。うん。ウィキペディアの話だった。政治的・宗教的荒しが日本の数ケタ上の密度で起こっている英語版なんておぞましくて覗く気もしないけれど、書きたかったのは、日本語版ウィキペディアでも熱心な福音派の人たちが(たぶん二人くらいで)頑張ってます、ってこと。ウィキペディアの編集者の中で二人くらい、っていうのが意外と日本における福音派の「熱心な人」の比率としていい線をいってるのではないかと思ったが、調べてないので分からない。まあヘドが出るほど嫌いな人もいるだろうけど、オタクだと思えば貴重な存在かも知れない。で、オタクが絶滅しないように、そういう彼ら(彼女ら)もきっとしぶとく生き残っていくだろうな、と思ったんだ。ある日突然「ウィキペディアは悪魔の手先だから見ちゃダメ」ってことになるかも知れないけどね(英語圏には実際そういう趣旨でできた何とかペディアもあるし)。
ヤッホー!と叫んでいるみたいだけど、どうやらそんな意味じゃないらしい。怪しそうで本当に怪しいネット企業。株とかがすきみたいね。
サイバーとかエージェントとかなんかマトリックスっぽい単語をつなげてみた企業。大人な企業という事で有名らしい。最近は牧場経営に手を出し始めて・・・
ソニエリ:
サトエリ似の可愛い黒船系帰国子女。肉食系。
インテル:
イタリアのサッカーチーム。有名選手は大体このチームに移籍すると大怪我する。通称「インテル終わっテル」
power point:
パワポとか呼ばれる。ベホイミとかそーいう系のパワーアップ系の呪文。かと思いきや大体書いてると、いらいらして体力をそがれる、負系の呪文。
火狐とか呼ばれるけど、そんなに火は吹かない。結構すぐれたお利口さん。戦国時代にいた妖怪とかの末裔かも。。手塚さんの書いた漫画とはあんま関係ない。
ハッカー:
日曜日にもかかわらずキーボードから火が出るんじゃないか?っていう勢いで叩いてる人。通称ハッキングパパ。クッキングパパというとアゴの出たお父さんのことをいうけど、ハッキングパパはたぶん凄い人。天才。
ググれでおなじみの電気メーカー。電気ポットとか置いてる老舗メーカー。
そのままの意味だと「窓」だけど、unixが好きなひとからは嫌われている。「窓の無い部屋」に迷い込んだ人も使いこなせるように優しくできているそうだ。
日立:
「このキなんのキ気になるキとか」 書いてしまうとキが狂ってしまいそうになるけど本当はやさしい大手メーカー。多分日本でもっともでかい企業のひとつ。草食系。
NTT:
Nは北の意味で、TTは実は鳥居をあらわしている。北にある鳥居には宝が眠っているらしい
vi:
vi系と呼ぶとメイクの濃いバンドやってる男子だと思いきや、割としっかりした妻子もち。
タリバンはもはや『米海兵隊』並みの強さ、英米の見通しは真っ暗
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カブールの北方は、ウズベク、タジク人も多い地域で、従来はタリバンが追い出された筈だった。
クンドスから南へ数十キロの国道で、タンクローリーが二台乗っ取られ、NATOは空軍を出動させて空から攻撃、最初の発表では「91人のタリバンを殺害」だった。
詳細調査チームが現場に派遣され、驚くなかれ、というより想像した通り、犠牲者の多くが民間人だった。
こういうことである。
タリバンは囮のようにタンクローリーを襲って、英米軍の注目を誘いこみ、ついで付近の住民を銃で脅し、武器らしきものを持たせて現場付近に立たせた。
NATO空軍機は上空から現場を見れば、武器を携行した兵士が密集しているかに錯覚し、爆弾を投下。実際には百名以上が死んだ。
NATO機はドイツ空軍だった。ドイツでは責任を追及する声があがる。交戦規定では民間人の混ざる場所を攻撃してはいけない、とある。
多くの民間人を意図的に戦闘に巻き込み、夜間は人混みを移動し、人口密集地帯で作戦をとる。
英米軍ならびにNATO軍兵士は作戦上、手枷足枷をはめられたも同然の作戦上の劣化した環境にあり、恐怖の闇との勝負となり、英米軍の犠牲は再び鰻登りとなる。
ところがイラク撤退を表明し、アフガン増派を決めたオバマ大統領が素人であるにもかかわらず、軍事作戦にまで容喙するため、ますます収拾がつかないのである。
「イラクは前任者の戦争、だからわたしはアフガンにこだわり、はやく終わらせる」という自負がオバマの脳幹のなかで逆噴射してしまったようである。
1980年、カーター大統領は武装ヘリにより、イラン急襲部隊を砂漠に飛ばしてテヘランへ潜入させ、人質奪還を図ろうとしたが、自ら作戦まで指揮したので無様な失敗を演じた。
オバマはポピュリズムだけの政治家ゆえにカーターの二の舞を演じるだろう。
ベトナム戦争を指導したのは当時米国最高の知性を謳われた人々だった(ベスト&ブライテスト)。ゆえに戦争は失敗し、当時国防長官という任務に当たったマクナマラは、後日「あの戦争は間違いだった」と猛省するが、遅いって。
自ら国益のためと信じて戦線に赴き、その兵隊たちが必死の戦争をしている背後から、「この戦争は汚い」と猛烈な批判を展開し「手も足も出すな」と引っ張るのだ。
当時、そうした米マスコミ工作を行ったのはKGBのスパイや、影響力のある代理人だった。ソ連の高度な情報作戦だった。
米国は謀略に負けた一面がある。
英米軍の兵器や電子通信による高度の軍事力に正面から闘いを挑んで勝とうという考えは最初から存在しない。
西側が援助した道路、学校、公共の建物を攻撃目標として、多くの民間人を巻き込み、犠牲を懼れず、心理的にNATOと米軍を追い込み、持久性を発揮して勝利するのだ。
夜間の襲撃は頻繁になった。アフガン人主体の治安部隊は訓練が不十分な上、タリバンのスパイが混入しているので、作戦時間が展開兵力の情報が筒抜けになっている。
タリバンを背後で操り、軍事訓練をしているのはいったい誰だろう?
一方、米軍はと言えば兵力不足を補うために民間警備会社(「ブラックウォータ」ーが最大手)と契約し、『戦争のプロ』や退役軍人がイラクからアフガニスタンへ移動した。
かれらも武装している。たとえばカブールの米国大使館の警備も、これら民間警備会社が請け負い、かれらは外国人を、ちょっと訓練を施すだけでインスタントの警備につかせる。
志気は低く、備品から武器を盗み出し、警備はおろそかになる。
NGO「政府監視計画」の調査ではカブールの米国大使館警備は450名、このうちの300名がグルカ兵の末裔と見られるネパール人、仕事中に遊んでいるという。
次のシナリオがみえてきた。アフガニスタンは「タリバニスタン」になる?
通巻第2700号 (増刊号)
それは「みんな鍛錬すればものすごく早く走れるようになるんだから自転車や車はいらない」というたぐいの暴論です。
むしろ妄想だけで抜けるようにみんな鍛錬したら児童ポルノだの陵辱ポルノだのも不要になって不用意に傷つく人が減るのではないか。
そりゃあ、訓練されたオタクならば、脳内彼女や脳内姉、地球人の遺伝子を求める脳内女性型宇宙人や脳内女性型宇宙ロボ。
脳内別世界から婚姻相手を求めて来訪したお姫様や、脳内政府の命により俺の命を狙う女忍者の末裔…
ほんの一端にすぎませんが、訓練されたオタクならばその程度の脳内女性は自然的に発生・居住していることと思います。
しかし、そういった妄想の才能がなく、鍛錬しても具体的な妄想を抱くことができない者が
オナニーの際にイメージを膨らませる「オカズ」として、視覚的なポルノは必要不可欠なのです。
・ 誰によってどこへ強制連行されたのか詳細を述べなさい。
・ 戦後63年間,祖国に助けを求めなかった理由を述べなさい。
・ 戦後63年間,祖国が在日朝鮮人を問題視していない理由を述べなさい。
・ 戦後63年間,自分達で帰国事業を立ち上げなかった理由を述べなさい。
・ 戦後63年間,日本人に対して返還事業を提案しなかった理由を述べなさい。
質問に対する回答が無い場合,
在日朝鮮人は「違法入国者」の末裔,もしくは当人であるとみなします。
つまり「犯罪者」であるということです。
・ 強制連行されてきた外国人のはずだが、祖国に帰らせろとは言わない。
・ 祖国は日本よりすばらしいと言うくせに、帰ろうとはしない。徴兵も無視。
・ 日の丸を見るのも嫌な外国人のくせに、日本から出て行こうとはしない。
・ 立派な朝鮮人名を名乗らず、屈辱なはずの日本人名を自らの意思で名乗る。
・ 大嫌いなはずの日本人に、リアルでもネット上でも成りすます。
・ 外国でトラブルに遭うと、祖国の大使館ではなく日本の大使館に泣きつく。
ドラゴンボールの実写は、海外ドラマ「サブリナ」の男版みたいな1話完結のシチュエーションコメディードラマにすれば案外いけるかもしれない。と妄想してみた。
単に幕末維新の歴史の知識だけなら、百科事典講釈師のような物知りも沢山いるが、この対談は人物評が現代的で、政治家として官僚としての力量を問う通信簿的な作業でもあり、ことごとくがリアリスティックなのである。
しかも幕末維新を、本筋を外さないで不思議な逸話で溢れさせ、しかし歴史観の骨髄をしっかり守っている。
経済の視野から薩長と会津を比較してみると、京都守護職を越前の松平春嶽から押しつけられた会津の松平容保は、財政的艱難辛苦に耐えなければならず、藩士1000名の京と駐留経費の捻出は並大抵ではなかった。京都は島原の遊郭で遊ぶカネがなく、だから会津武士は京都人から嫌われ、薩長はすかれた。
なぜか。長州は竹島経由で、薩摩は沖縄を梃子に「密輸」をやっていて資金が潤沢、最新鋭の軍艦も鉄砲も買えた。中村彰彦によれば加賀前田藩も日本海の北と密貿易を展開した銭屋五兵衛を黙認した形跡があるという。
密輸で設けた諸藩の志士らは、経費をちょろまかして島原で遊興もできた。
本書で両人からコテンパンな酷評を受ける一つは御三家のなかでもイデオロギーの強い水戸藩、天下の副将軍と勝手に僭称した水戸光圀は、伝説では「名君」だが、じつはとんでもない御仁だった。
水戸学が、やがて水戸藩を分裂させ、悲惨な内訌が天狗党の悲劇を生んだが、じつはその後も明治三年まで復讐劇が続き、難を逃れて群馬や栃木あたりに逃げ、その末裔が現在もいるという後日談も、なんだか、西南戦争に負けた西郷軍のうちの1500名ほどが台湾へ逃れ、現地民に同化したという歴史の裏面の話に通じる。
本書は、薩摩が長州と歴史意識も政治構造も科学・天文学への心構え、軍事思想など似ているようで全く異なることを、これまた目から鱗のように別の視点からえぐり出している。
たとえば坂本龍馬が斡旋した薩長同盟の基軸の発想は公武合体の実現だった。
山内教授は「オーストリア・ハンガリー二重帝国」の例があるように、天皇を頂き、徳川と薩長が二分するアイディアの存在を告げる。
イギリスのオールコックなどの歴史観や世界の情勢から、倒幕に踏み切っていくプロセスで西郷、大久保は坂本が邪魔になったという闇の部分にも光を当てる。これは中村がまだ直木賞受賞前にかいた『龍馬伝説を追う』(世界文化社)にも詳しい。
また榎本武陽の「蝦夷共和国」構想も、じつはハプスブルグ家の「オーストリア・ハンガリー二重帝国」が発想にあった、と示唆する。
脱線ながら、評者(宮崎)が鹿児島は指宿の「伝承館」でみたパリ万博の記録展示の或る部分に驚いた。パリ万博は薩摩と徳川幕府が出展した。薩摩焼など、パリジャンの度肝を抜いた。ともにそれぞれの勲章をつくった。
薩摩は「薩摩・琉球国」として勲章をだした。つまり独立国として、国際社会にアピールしていたわけである。
もう一人、こっぴどく批判されているのは福沢諭吉だ。
福沢が欧米派遣のおりに経費を誤魔化して図書を買いあげたが、それは小学生程度の英語の本が多く、小栗上野介は「あの男の選択眼は節穴、語学能力はその程度だ」と評した逸話は有名だろう。
福沢は本来なら切腹ものだが、ばれて詮議にかかろうとしたとき徳川幕府が瓦解した。
他方では講釈やら近年の小説の裁き方や世評はともかくも、食えなくなった旧幕臣らの面倒をよくみた勝海舟と榎本武陽への評価が高い。
さて表題も示唆する「黒船来航以後」の話であるが、アメリカとロシアが日本にとって最初の接触だったのは、幕末の混乱期における日本にとって僥倖であり、もし英仏のような『ならず者国家』が日本に先に乗り込んできたらどうなっていたか。
シナにしかけたアヘン戦争のような略奪と、国内分裂は防げなかったのではないか。幕府はフランスに薩摩は英国に頼ったが、本気で内戦にのめり込んでいったら、日本は良いように利用されたあげくに英仏の植民地化されていた恐れがあった。
しかし幕末に徳川幕府をさしおいて薩長が最新鋭の武器を大量に買えたのも、その先見性や薩英戦争、馬関戦争敗北の体験から軍事知識と実践があり、おりしも南北戦争が終わって大量の武器をもてあましたアメリカから大量に買い付ける。
市場開拓を狙うドイツ人の武器商人だったスネル兄弟は河井継之助の長岡藩にガットリング銃を売りつけたが、会津に強力にテコ入れし、最後は榎本軍に従って函館戦争をともに戦った。
ドイツはむろん、英仏米露の隙間を狙って日本での武器外交が主眼だった。
しかし幕府敗戦により、スネルは代金を回収できず、兄はやがて会津武士団の食い詰め組を率いてカリフォルニアに移住したり、弟は御維新後、浅草で落語を聞いていたとか。脱線する逸話もまた本質に付随した、人間の描写なのである。
それにしても幕末維新を縦横に語る中村彰彦は歴史作家だから回天の内幕に詳しいのは当然にしても、なぜイスラム中世の専門家である山内昌之が、ときに中村を唸らせるほど幕末日本に精通しているのだろう。
もう一つ不思議に思ってきたことがある。山内昌之教授は、『世界』と『諸君』の両方に論文を書く器用な論客でもあり、保守なのか旧左翼なのか、いまもよく分からないところがある。
山内がいみじくも「後書き」に書いている。
国際会議で、オスマントルコ帝国の解体過程やイスラム政治の歴史と、日本の近世・近代との比較をよく問われる。国際的要請でもある。まして日本史を知らずして世界史を語れる筈があろうか、と。
最後節あたりの日露戦争から大東亜戦争に至る山内の歴史講釈には、ちょっと首肯できない史観部分があるが、山内教授の主観だから、その部分は聞かないことにする。
いくら建前を言われても、俺の祖父さん祖母さん曾祖父さん曾祖母さんがあの時代を生きていたのは紛れもない事実だし、自分自身はそんな人たちの末裔だし。
帰省中。家にあった「ドラえもん」をなんとなく読んでたのですが。
のび太たちが,地底世界で生きのびていた恐竜の末裔,地底人と会う話。
ロー(地底人の女性)とのび太たちが,地底の湖のほとりで話している。
地底世界には「日光ゴケ」がはえていて昼夜はあるけど,空もないし季節もない。
しずか
「地上ではもう秋で 赤や黄色の枯葉が風にまってるころだけど。」
ロー
「木の葉が赤や黄色になるの?」
「えっ,地底には紅葉がないの。
そりゃぜひみせてあげたいな 夕日にそまった紅葉の山の美しさを。」
「そうそう そこに雨上がりの虹でもかかればもう最高!!」
ロー
「雨? 虹?」
「なんだ雨もしらないの? 雨はね 雲の水滴が……,」
「だめだよ,まず雲からせつめいしなくちゃ。
雲ってのはね,地上の青い空にポッカリと……。」
「夜になると月がでて,星が空一面にピカピカキラキラ。」
ロー
「まるで夢の世界みたい…, いってみたいわ。」
(p.121-122)
ああ,ほんとうにそうだ。
思えばなんてメルヘンチックな世界にわれわれは生きているんだろう。
でもこんなこと,それこそ夢にも思ってなかった。
こういうふうにものを見られる人って,そういないよな。
さすが藤子・F・不二雄,というところだろうか。
「いらっしゃい ぼくがガイドしてあげる。
近くロールスロイスを買う予定だから…。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E6%96%8E%E8%97%A4%E6%B0%8F
斎藤氏が沼津という土地に移り住んだことには、ローマが東へと貿易を求めてきたことにルーツがあるので、学術的にみても、天皇家側との婚姻関係もあり、沼津の商家が本家であるので掲載の必要があり、関連がないと間違われることのないようにお願い致します。とくに、大衆に知らせる必要性があり、「ビートルズ」や他アーティストとの関連性があるためです。 --斎藤ローマよしあ 2008年6月19日 (木) 01:59 (UTC)
えーと・・・斎藤ローマよしあさんに色々と聞きたい点があるのですが・・・。
- 「ローマから貿易と日本国の建設のために渡来した」とする論拠の史料は何ですか?
- 「斎藤」の姓を使用するのに何(あるいは誰)の許可が要るのでしょうか? 斎藤氏の始まりは、藤原利仁の子・叙用が斎宮頭に任じられたことがきっかけで、「斎宮頭の藤原」、すなわち「斎藤」になったとされているようですが([1]、[2])・・・。
- 斎藤家とスキピオ家を関連付ける論拠となる史料は何ですか?
- 「天皇家側との婚姻関係」とありますが、具体的に誰が、天皇家の誰と婚姻したのですか?
- 「ビートルズや他アーティスト」とどういう関連性があるのですか?
- Wikipediaの方針文書はお読みされたのでしょうか? 「大衆に知らせる必要性があり」とありますが、ウィキペディアは宣伝をする場所ではありませんし、信頼できる情報源により検証可能であることが求められますし、世間に未発表の「独自研究」を載せてはならないという方針がありますが・・・。
以上の点、お答え下さい。--松茸 2008年6月19日 (木) 04:44 (UTC)
第一の重要な発言の証拠としては、私は、沼津の本家の斎藤の娘です。 1.現在の史料文献は今だにございませんが、斎藤家は、イタリア語で「SAIO」「ITO」という言葉がありますように、イタリアが当時使用していた言葉が名前です。とくに、世界史のローマに関する史料をみていただければ、すぐに発見できます。現在、イタリアにもSAITOという言葉を名前に取り入れられている方々が数多くみられるようです。 これは、藤原氏の言語が「WA」という言葉にみられますように、イタリアでは、外来語である「W」が使用されているだけではなく、「FU」という日本語がラテン語にないことでも簡単に判別できます。それは、フランス語やドイツ語、ロシア語、中国語、韓国語、英語における人名などにおける解釈において、単純にラテン語で完全に構成されている違いからも明らかです。それは、日本語の「あいうえお」の母音式教育にみることができます。 2.なぜ、藤原氏が「斎宮」に任じられたのでしょうか?「宮」という言葉は、中国語で「宮殿」の意味で、藤原氏は中国系ではないはずなので、どちらかといえば、漢字教育を広めた天皇家、つまり藤原氏の敵軍にあたるわけで、藤原氏の「まつりごと」ではありえないはずです。 3.単純に当時のイタリアで権力や海外への影響力が大きかった家で、文化的に判断しても、他の家では考えられないということで判別できます。 4.婚姻に関する資料につきましては詳しくはわかりません。 5.答える必要はありません。 --斎藤ローマよしあ 2008年7月1日 (火) 05:34 (UTC)
その質問にお答えします。 斎藤家の人間ではないものが、文献にあるからと、偽った史料により出自を強制的に変更させることはできません。斎藤家の本家の娘が発言しているのに、それが、史料ではないと話すような人はこの世の中で生きていけるのでしょうか?マスコミの出版物などにおいても、斎藤家本人の発言は証拠であり、誰かのインタビューが文献になかったからといって、ウィキペディアでの「藤原氏」などと偽り、当の藤原氏に迷惑をかけるような行為は許されないものです。斎藤の姓を名乗ることに許可がいるかというのは、ラテン語であり、それは、斎宮が仕事の名前で、神宮の仕事の職の名前を姓にするという行為は歴史上考えられないためです。しかも、斎藤実盛は軍人ですし、軍人が輩出されているということは、歴史上、斎宮職の人間ではないと、常識的に判断できます。もし、その斎藤家の娘の言葉に理屈を述べたいという方がいらっしゃるなら、かなり、精神的におかしい状況になっているので、精神科医にみてもらってください。
何度も申しましたように、末裔でございます。事実、私の家には、曾おじい様は、沼津市三園町自治会館にもかざってある写真がありますように、貴族院時代には、市長のような仕事をしておりました。静岡県の斎藤家の項目にも載ってある資料がありますが、そちらの寺院等には少し訂正すべき点がありましたが、この祖祖父が何よりの証拠となるでしょう。ちなみに、沼津市で有名な人物に、水野家、桜井組などがあります。銀行関連や、音楽関連やテレビなどで目にしたりされたのではないかと思われます。かつての御用邸もそばにあります。おそらく、日本と一切関係ないお方が、勝手に記述を変えてしまっているというような印象ですね。この国の教育制度で、そのことが理解できないとなりますと、大変に問題ですね。 漢字の「斎」の文字の使用に関してですが、この文字は、中国の文献資料にもでておりますように、ローマ・システム関連の文字であることが何よりの証拠でしょう。 斎宮歴史博物館には、きちんと事前にメールして記述が間違っていると伝えてあります。根拠は、以前の記録を参照してください。東京大学にも連絡いたしました。イタリア大使館にはすでに連絡済です。出版を考えていましたが、学術雑誌などには、今後、検討いたします。そのもの出身の言葉による歴史は、学術員の研究より優れているものです。それは、どこの国でもおなじです。それにまだ、異論ああるというのは、インディアンや果てアフリカ人、アボリジニ、ローマ人の歴史を否定するようなものです。逆に、あなたは、どちらの何様なのでしょうか?警察にも連絡してありますよ。
自己流だけど。ライフハック(笑)みたいなもんだと思ってくれ。
八つをそれぞれ「都市」のようなものだと捉える。それぞれの「都市」が興亡を繰り返し、勢力を競い合っているイメージ。世界史の年表地図みたいなものを思い浮かべて欲しい。自分の場合は一日単位で大体中近代ヨーロッパの100年分ほど勢力図が変わる感じ。別に西欧史でなくても古代中国史でも何かの漫画のとかでもいい。八つの都市の勢力図がなるべく流動的に変化するよう自分の意思でコントロールする。
「夜」は自分の意思ではコントロールできない。その時の出来事や、悩みごと、社会情勢なんかに応じて否応なくどれかの「夜」がやってくる。自分には荷が重すぎる状況に陥った時は特に激しい情緒の渦が襲ってくることが多い。そういう「夜」に飲まれてしまうと、精神のバランスや体調を崩したり、躁鬱が激しくなって冷静な判断ができなくなったりしてしまう。
例えば上司との軋轢からどうしようもない「悲哀」の感情に襲われたとする。
その時、都市勢力図で「差異」が強かったとすると、
等々を考える。
もし都市勢力図で「真偽」が強かったとすると
なんかを考える。
この思考方法の利点は二つ。
1、自分には荷が重すぎる状況を順列組み合わせの中に落とし込むことで、考えが煮詰まることを防ぎ、視野の片寄りを防ぐ。
2、コントロール不可能な「情緒の渦」を、パターン化された「思考形態」と組み合わせることでコントロール可能な領域に引きずり込む。
ようするに考え方をあえて限定することで、問題に対処する範囲を狭めるのだ。こうすることでオーバーフローを防ぎ、問題を自分の意志でコントロールできているのだという意識を持つようにする。
プログラミングしていて、ふと思いついたので改良してみた。ソースは多少ややこしくなったが、どんなアセンブリに解釈されるのか考えてみれば、むしろ素直なコードとなっていることがわかるだろう。内部的にはよりエレガントに、実行速度もメモリ消費も従来より向上出来た。こういうときほど、プログラムを楽しく思うことはない。それなのに……没になった。
連絡が取れなくなって久しい、いとしかったしとは今どうしているのだろう。あの頃はまだ自分を省みる余裕もなくて、嫌と言われないことにいい気になって、ただ弾む心のままに影のように付いてまわって、頼まれもしない諸々の奇書を紹介したり(本好きな人でした)、狐アイテムを贈呈したりして、こちらは友人か何かだと勝手に信じていたけれども、今にすれば、あれは単なるストーカーだった。守護天使になれなかった私は、不幸を呼ぶ背後霊だった。それに私が気付いたとき、あれだけ浮かれていた、あれだけ幸福に充ち満ちた日々は一転して恥ずべき、嫌悪すべきものに転じて、あの日々が楽しく悦ばしき日々だったちょうどその分だけ、私の心に苦痛と苦悩とが襲ってきた。傲慢は罪を生み、罪と傲慢は死に至る病を生むのだ。
そのような理由から、私は獣娘に目覚めた。特に狐、というか狐こそ獣娘、否、娘の頂点に君臨すべき存在と知った。これは、日本人の遺伝子に刻みつけられた必然である。全国の神社の三分の一は狐の主を祀っており、古来より人々は狐と交わり、交わることを望んできたのだから。狐に比べれば、人魚なんぞただの寿司のネタであり、ミイラとして飾られるべきものに過ぎない。そんなものに現を抜かす輩が散見されるのは、単に狐を見かけること少なき時代にあるからに過ぎないのだ。故に、狐を見たその瞬間にもふりたい衝動に駆られるのは理の必然であり、彼女たちを崇め奉りたいという崇高な神愛を感じることは何ら怪しむに足りない。今となっては、あの苦しみはこの真理を知るための試練であったことは確実であった。あと、彼女たち狐は必然的に彼「女」であることも疑い得ないが、これからして狐は人を必要とすることが帰結されるわけである。
このような魂の叫びを吐露する場がネットにしか存在しないことは悲しむべきことである。こうした思いは、ここまであからさまな形ではなくとも、古来口伝によって脈々と語り継がれてきたのであり、それによって私たちは狐の故事を知るに至るというのに、今の社会ではこうしたことが不可能となってしまった。だから、あの、神愛を理解し得ない、美しいだけの空の器、黄金の女だとか百銭の女だとかの罪深きイヴの粗悪な末裔に見惚れてばかりの、俗物根性旺盛な歯車みたいな男が量産されるのだ。自身もその同族であるからといって、目を曇らせる必要はない、しっかと見据えれば目も眩む光にもいずれ慣れるのだから。
今や没になった悲しみは収まりつつあるから、この駄文を終わらせる。想いの移ろうままに無思慮に書くことがこんなに心を楽にするのものであるのは、不思議なものだね。