はてなキーワード: 協議会とは
あほばっかり。
(正確じゃないところがあるかもしれないけど、そのときはごめんなさい。)
国「伊丹空港できたよ!」
国「わかったよ、お金あげるよ」
伊丹市「やっぱうるせえ。空港いらねえ。」 →大阪国際空港撤去都市宣言 昭和48年9月25日 議決
国「確かに住宅地にちかすぎるかも・・・・。どっか別のところにつくろうかな・・・・。神戸沖とかよさそうだけど・・・・」
神戸市「いらんわ、作らせるか、ぼけ。」
国「じゃぁ、泉州沖ぐらいしか残ってないか・・・・」
泉州漁民「魚取れなくなるだろ。あほか。」
泉州自治体「たしかにそうか。やっぱ別に金くれ。あと陸から遠くにしてくれ。」
国「わかったよ。お金あげるよ。5kmぐらい離れとけば大丈夫っしょ。」
↓
関西国際空港完成
↓
国「さてと、騒音問題があった伊丹廃止すっか」
伊丹市(+周辺市)「あほか。廃止させねーよ。」
国「なんで・・・・・」
伊丹市(+周辺市)「梅田から便利だろ。仕事減るだろうが。あほか。」→「大阪国際空港騒音対策協議会」を「大阪国際空港周辺都市対策協議会」に名称変更
国「しかたないなぁ。。。。じゃぁちょっとだけ保留と。」
関空「ちょっ・・・・・・!」
関空「赤字っす・・・・・」
国「関空、おまえどうにかしろよ・・・・・」
インターネット上で口コミ情報サイトを運営する事業者などで組織するWOMマーケティング協議会(WOM Japan)設立準備会は、倫理規定などを盛り込んだガイドラインを7月までに策定する。マス媒体に替わって口コミを通じた宣伝や販売促進手法に注目が集まるなか、口コミサイトなどに商品やサービスの感想を投稿・閲覧する利用者や、利用者と事業者間でトラブルも増加しており、業界としてルール作りを急ぐ。
準備会は2008年12月に発足。情報サイト運営のオールアバウトや、電通パブリックリレーションズ(電通PR、東京・中央)など約300社、350人以上が参加している。昨年6月から口コミマーケティングに関する研究会も始まっており4月までに10回開催している。
このほど大学教授などの学識経験者や人気ブロガー(ブログ執筆者)など5人による作業部会を立ち上げた。ここで行動指針や基本事業者として守るべき基準などを決定し、ガイドラインとして7月に公表する予定。ガイドライン公表を経て、9月までに協議会として正式に旗揚げする。
将来はサイト上に掲載できる「口コミ信用マーク」のような同協議会が認定した表示も検討している。
最近はブロガーに商品を提供して体験や感想を書き込んでもらったり、複数の消費者に情報を共有し話題にしてもらったりする手法が盛ん。「インフルエンサー・マーケティング」や「バイラル・マーケティング」などとも呼ばれる。矢野経済研究所(東京・中野)によると07年度の口コミブログ広告の市場規模は31億円、10年度には132億円へ拡大すると見込まれる。
既存のテレビなどによる広告・販促の影響力が減退するなかで注目されている一方、トラブルも目立つ。06年に米小売り最大手のウォルマート・ストアーズでPR目的の「やらせブログ」が発覚し、消費者団体などから厳しく批判された。日本でも同様の事例があり、業界としてのガイドラインなどが必要との認識が高まってきた。
ゲームを作ってる人がブログで言ってるだろうな・・・と思ってやったんだけど
日本のゲームが廃(すた)れてきたのは、プレステ(特にPS2)のせい?
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa4412266.html
>「5年まえくらいから言っているんですが、正直、日本の状況はやばいですね」(小島氏)↓
>http://www.famitsu.com/event/tgs/2008/1219002_1829.html
>「日本のゲーム業界は世界のリーダーでなくなってしまった」(和田氏)
>「安易さでPS2の時代にガラパゴス化(閉鎖化)してしまった」(鵜之澤氏)↓
>http://www.famitsu.com/event/tgs/2008/1218763_1829.html
>http://news.dengeki.com/elem/000/000/111/111702/
>http://www.secondtimes.net/news/japan/20081010_keynote_1.html
>小島氏(MGS4製作者)が警鐘を鳴らしていた「5年前」というのは
>丁度PS2が日本では普及しきっていて対応ソフトも多く出ていた時期であり
>「プレステ(特にPS2)」がほぼ名指しされる形であげられています。
へー。
>「海外のゲームを見ると最近は落ち込むんです。技術的にはほぼ負けてます」(同)
>
>あれほどのゲームを作っている開発者とは思えぬ発言に、浜村氏も「ほんとですか!? 『メタルギア ソリッド』チームでも?」と少し戸惑いの様子。しかし、それでも「負けてますね。僕らの課題はここ1、2年で海外に追いつけるかどうか。非常に危険な状態です」と深刻な面持ち。
MGS4は最後の殴り合いだけ海外に追いついて他は全部目を閉じるしかなかった・・・。
「日本は遅れをとっている」 - デジタル・コンテンツ利用促進協議会が発足
http://journal.mycom.co.jp/news/2008/09/10/038/
とりあえずメモ。
http://it.nikkei.co.jp/digital/news/index.aspx?n=MMITew000031102008
>鍵となるのは「日本がものを作る力、進歩する速度を、世界の技術革新の能力が上回ったことだ」という。そして、その速度を引き上げたのが「英語圏を中心に急成長したゲーム業界のコミュニティー」だと分析する。
>例えば、画像処理など新しい技術のミドルウエアを開発する場合でも、誰でも参加できるオープンなコミュニティーができあがっており、多くの企業が参加して急ピッチで開発が進められる。「プレイステーション3(PS3)」でも採用している「OpenGL」といった3次元グラフィックスの基礎プログラムは、様々な企業が共同で開発して、たちまちデファクトスタンダードとなった。日本単独では、これらの技術で勝ち目はない。完全に主導権を英語圏に握られてしまった。
http://www.purplemoon.jp/blog/2006/10/mod.html
>でもですね。こういう、プレイヤーがMODでどんどん勝手にコンテンツ作ってくれるタイプのゲームは、今後のゲーム業界ではすごく重要なファクターになるはずなんですよ。
>日本のゲーム市場はコンシューマが主流なので、ネットゲームに続いてこの分野でも遅れを取ってしまうのが痛いところです。
世の中では不況ばかりクローズアップされていますが、台風が来ているのだからお天気に文句をいっても始まりません。会社も個人もこの際自ら強くなるしかありませんし、強くなるチャンスでもあります。
今日は景気と関係なく弱り始めた会社の兆候を述べたいと思います。自分の経験とさまざまな企業のコンサルティングを通じて感じたことですので独断と偏見に満ちているかもしれません。お許しください。
(1)会議が多くなる
不思議なことに会社が弱くなるとやたらと会議が増えます。部長や役員のスケジュールを覗いてみると会議で大半の時間を占めています。その分、必ず部下を巻き込んでいるので会議室が足りない状況が続きます。末期症状になると企業なのに「○○○委員会」とか「○○○協議会」のような役所的な会議組織までが出来上がります。会っても議論しない、議論しても実行しない、実行しても検証しない、検証しても責任を取らない。会議の多い組織は絶対責任に辿り着かないのです。
(2)同じやり方が3ヶ月以上続く
朝礼や発表会など、どこの会社にも定期的な行事があります。その定期的な行事が同じやり方で3ヶ月以上続く会社はだいたい弱っています。もともと行事の目的は何らかの経営課題を解決するためにあります。3ヶ月もすればだいたいボトルネックが移動しているはずです。それにも関わらず以前の課題のための形を取り続けることは怠慢の始まりです。
(3)取締役が営業しない
取締役クラスの偉い人が営業しない会社に良い会社はありません。役員やそれに該当するリーダーが営業にいくことに以下のような重大な意義があります。
以上の2点が大事にされていない会社は弱まります。
(4)美男美女が増える
偏見かもしれませんが、このような傾向を感じてなりません。昔有名なベンチャー投資家が「美人の秘書を持つベンチャー経営者はダメ」という「偏見」を持っていましたが、堀江さんなどの「風雲児」をみて見事にそれは当たりました。たぶん見栄や格好を気にすると組織が甘くなると思います。
(To be continued. 再来週は残りの半分を披露します。)
だめだ! 納得できない!
なぜ派遣を切られた後、生活に困っているのにさいたま市職員やタクシー会社やラーメンチェーンや協議会職員や介護会社やJAおおいたじゃダメなんだ?
車を作る仕事はもういらない、絶対数が足りていると言われても転職を考えず「仕事をくれ」といい続ける理由はなんだ?
体験してみろと言われても、今の職をやめるわけにはいかないよ。頑張ってついた仕事だし。
でも、もし自分が派遣社員で職を切られて、どうしても他に仕事がないんならさいたま市等に応募するよ。生きるためだもん。なんでそれをしないの?
そもそもそうやって「体験してみれば」とかむちゃくちゃなことを言うのは「理解しなくていい」ってことなのか? そうとしか思えないんだが。
この感情を納得させてくれよ。
参考リンク
NPO法人労働相談センター ←メールでも相談を受けてくれるらしい
「身から出た錆」の詳しい内容はここで書く必要はないけれども、正当な解雇理由になるかどうかは、しっかりとした所で相談したほうがいいとおもう。
労働基準監督署に世話になったことがあるが、親切に相談に乗ってくれた。
友人に相談しても、専門家ではない限り上手なアドバイスは出来ない。やはり専門家に頼る方が良いと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20081101232814
どれだけ厳しい批判が寄せられているだろうかと恐る恐るみてみたら、好意的な反響が多く、胸をなでおろしています。
増田に書く理由としては、ひとつめ、専門外のことに長く関わるつもりがないこと、ふたつめ、連休の出先で手元に一冊の参考書籍もなく、HDDとネット上のソースだけを参考に書いたエントリなど、歴史を専攻したものとして、しかも専門外のものとして、とても胸を張って提示できるものではないこと、みっつめ、それゆえ、ホームに書いたら全て書き換えるほどの修正をせずにはいられないだろうが、その気力も時間もないこと、よっつめ、しかし、あれを「論文」とすることには憤りを覚えたので、せめて学問を知る人にはトンデモはトンデモであると伝えてみたかったこと、いつつめ、増田であれば上記の点をそれほど気にやまずに済むこと、このくらいでしょうか。したがって、私のエントリはいわゆる「ちらしのうら」です(文献表記がみにくいのもわざとです。すみません)。私はさくっと書き逃げする卑怯者です。内容がいかがわしいのも推敲が甘いのも全て私の責任です。でも、もろもろの言い訳によって逃げられるものではないですよね。ああ。
さて、前回のエントリでは、後半にさしかかったときにから睡魔に襲われ、最後は「藁人形叩き」ばかりになってしまいました。ようやく投稿できたと思ったら、字数超過で記事を分割せねばならず、つづきでは田母神氏の論文タイトルを間違えてしまいました。謹んで失礼をお詫びします。いろいろとミスがあろうと手をいれるつもりはなかったのですが、批判する論文タイトルの間違いはいくらなんでもひどいので、訂正します(ついでに「シンガポール華僑粛清事件裁判記録」後編のミスも直します)。これも後出しですが、原文が縦書きの漢数字は、横書きなので適宜英数字にしています。
では、気をとりなおして「藁人形叩き」ばかりをしていたところに補足してみたいと思います。最後に与太話の蛇足ですが雑感を述べてしめます。
しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。
(前回と同じく、はてな記法による引用の出所は、田母神俊雄「日本は侵略国家であったのか」2008年http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf)
第2次世界大戦開戦の時点であっても、カナダ、オーストラリア、南アフリカなどが自治領化・独立した例がありますね。フィリピンでも独立を前提とした自治領政府が成立していましたね。
また、どちらかといえば植民地統治体制の比較の話ですが、自治・独立とまではいかないまでも、現地の住民を支配機構に採用していく次のような例もありました。
「1920年代より英国はビルマに赴任するICS〔引用者注:インド高等文官の略称〕に英国人のみならずビルマ人も採用すべく方針を変え、その結果1939年末の段階で、ビルマにおける全高等文官のうちビルマ人は32.8%を占めるに至った」(根本敬「英領期のビルマ人高等文官(ICS/BSC)とタキン党」『東南アジア史学会会報』63、1995年、17ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004924657)
それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。
1940年代において、宗主国が疲弊し、植民地の独立運動が高揚したのは確かなことでしょう。ただし、歴史学の領分は、「もしも」を考えるというより、その過程をつまびらかにして、それぞれの要因や重要性を検討することにあります。
まず、開戦の詔書には「東亜ノ安定」「世界ノ平和」「万邦共栄」「東亜安定」「東亜永遠ノ平和ヲ確立」という表現はありますが、肝心の戦争目的を述べている部分は、あくまで「今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切の障礙ヲ砕碎スルノ外ナキナリ」(「御署名原本・昭和十六年・詔書一二月八日・米国及英国ニ対スル宣戦ノ件」1941年12月8日、アジア歴史資料センターレファレンスコードA03022539800。引用部分の漢字は適宜新字体を用いました。センターホームページの検索バーに左記のレファレンスコードを打ち込めば該当資料のページへ飛べますhttp://www.jacar.go.jp/)ということであり、「アジア諸民族の解放」、「植民地の解放」、や「独立」といった文言は一切ないことを指摘しておきます。文面上はまさに自存自衛の戦いをうたっており、解放の約束は明文上ではなされていません(ちなみに、みればわかりますが「八紘一宇」もないです)。では、実際、アジア諸国にどう接し、現地住民はどう対応したのか、前回は文献名をあげただけのものから少し引用しておきます。
「ビルマは1943年8月1日主権を有する独立国家となったが,真の独立を求めるビルマ人にとってそれは,’’偽の独立’’,’’メッキの独立’’にすぎなかった。ビルマ人は,独立が’’空虚’’であることを知っていた。この当時の日本人に対するビルマ人の態度は,「愛していなくても我慢して接吻する」ようなものであった」(大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、360ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf原文の注の番号は引用者が削除しました。以下の引用文でも同じ)。
「日本の『朝日新聞』は、この作戦について、「皇軍航空部隊の空襲は一見、印度民衆の苦難を一層増大せしめるかに見えるが、爆弾の雨の中に、皇軍の印度独立運動に対する無限の慈愛と支援が含蓄されている」と書いていた。まことに「含蓄」の深い論評だったと言うべきであろう」(中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要(東京大学)』151、2007年、190ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf)。
「本稿では不十分ながら、日本の大東亜共栄圏=アジア主義のプロパガンダが、そして、その大枠の中で動いたチャンドラ・ボース等の活動が、インド社会との接点を持てずに、空回りしていたことを明らかにしえたのではないかと思う」(前掲中里論文、195ページ。ボースたちについては、197ページの注6、200ページの注22、202ページの注26、208ページの注80も参照)。
インドネシア、フィリピン、ベトナムの抗日闘争について、詳しくは論文本文を読んでいただきたいのですが、結論としては、
「要するに、東南アジア諸国の反植民地・民族独立運動は、太平洋戦争と日本の侵略によって生じた情勢やその他条件を、主体的、積極的に活用して日本に対応し、戦前に比して飛躍的な成長を遂げた。そして、このことは、戦後における東南アジア諸国の民族独立運動の高揚や民族独立の達成の決定的要因となった。この意味において、太平洋戦争と日本の侵略は、東南アジア諸国の民族独立運動史における一大転換点であったということができよう」(谷川榮彦「太平洋戦争と東南アジア民族独立運動」『法政研究(九州大学)』53(3)、1987年、395ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870原文にあった傍点は除いた)。
以上でつっこみの補足は終わりです。現下の情勢については特に言及しません。
さて、今回のエントリ執筆の目的としては、可能な限り速やかに「論文」が論文になっていないことを示すことでした。大事なのは「内容」とおっしゃるのは結構ですが、学問的に批判可能な形式(もちろん既存の研究にとらわれない革新的な独自形式でも、読者に史料を提示できればかまいません)をとらないものは、「無敵な人」の独自な「歴史観」の告白にすぎないでしょう。それに価値を認めるのは個人の自由ですが、学問や教育の場に持ちこむのはお門違いです。そのような姿勢では、いつまでたっても歴史学における扱いはトンデモのままですよ。もちろん、大学や研究所にいる専門家でなければ歴史の話をしてはいけないということではないです。「昭和史論争」を引き起こしたのは歴史研究者ではありませんでした。しかし、自己の見解を教科書にのるような通説となさりたいのであれば、専門家と同じ舞台に立ち、その批判に応答しなければならないでしょう。「つくる会」はその舞台に立つ気はないと宣言した結果どうなっているでしょうか。今なら学術雑誌に投稿しなくても、インターネット上でいくらでも長文の論文を発表できますよね。
一般に、歴史研究者は、四年生大学で専門的なトレーニングを受け、さらに修士課程二年間、博士課程三年間以上を費やして史料を読み込み論文を紡ぎだしています。それでも、個々の論文の結論で言えることはささやかなことです。また、研究会・学会・書評などの形でお互いに切磋琢磨しています。それぞれが広範な史料に目を通しているからこそ、個々の研究がその時代の歴史像のどこに位置づけられ、どの部分がその時代の特徴をよくとらえられているかを議論できるのです。自分の個別研究が歴史研究の大きな流れのどこに位置づけられるのかをとらえるため、歴史を学ぶ標準的な手順としては、まずは先達がエッセンスを詰め込んだ教科書、概説書を読み、そこから主要な研究文献やレビュー論文、目録等を漁って研究史をたどり、そこで用いられている史料を読み、先人の研究の妥当性を検討したり自己の問題関心を追求していくのです。木簡のように新しい史料が見つかったり、機密文書が公開されたりして史料が増えれば、それがどのように従来の見解に修正を迫り、新たな知見を付け加えるのか議論します。そのような積み重ねのなか、通史は更新され、教科書の記述も変わっていきますが、このことをもって歴史は定まりないものだから最新の研究成果も独自研究も変わりないということは的外れでしょう。それはかえって科学としての歴史学が機能している証拠にほかなりません。
さて、歴史学者全体がイデオロギー的に偏向している、現行の教科書は自虐史観・マルクス主義史観に基づいているという「つくる会」の主張もありますね(それでいて『国民の歴史』のように、専門家の研究から剽窃したりするの会員もいるのは厚顔無恥ですね。参照、尾藤正英『日本文化の歴史』岩波新書、2000年、あとがき)しかし、戦後長く標準的な高校教科書として採用されてきた山川出版社の『詳説世界史』の執筆者には林健太郎(故人への敬称は略します)が含まれていました。日本史にしても伊藤隆氏が編者であった『近代II』を含む、『日本歴史大系』山川出版社、1984-90年、が、受験前に初めて読む通史だった私などには、学会の主流がマルクス主義史観など妄言にしか聞こえません。岩波だから駄目などという意見も見ることがありますが、最新の『岩波講座世界歴史』岩波書店、1997-2000年、では、古代・中世・近世・近代という時代区分はもはや採用されていません。そもそも研究の場では、評価は自分の目で確かめてから下すもので、事前に確定できるものではないのです。
「いずれも〔引用者注:本文でふれられている臼井勝美氏、酒井哲哉氏の研究のこと〕,侵略の時間的連続性〔引用者注:満洲事変から日中戦争へ〕を,陸軍の遠心性,すなわち現地機関の好戦性や暴走に帰さない画期的な研究であった」(加藤陽子「書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、67ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。
「日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する」なんて本質論は、学界ではなされていませんよ。人事面でも、システム設計・運用面でも、上部の問題は大きかったですよね。私みたいなものにも自衛隊に信頼できる友人はいますので、余計に上が軍の失敗を反省するそぶりもみせないのは問題と感じるわけです。
最後に、余計なお節介でしょうが、歴史学入門、史学史についていくつか参考文献をあげておきます。ご興味のある向きは手にとられてみてはいかがでしょうか。
小田中直樹『歴史学ってなんだ?』PHP新書、2004年。(CiNiiの定額許諾を契約している大学関係者は、下敷きとなった論文をDLできるかもしれません。私は今DLできる状況にないので保障はしません)
小田中直樹「言語論的転回と歴史学」『史学雑誌』109(9)、2000年。
http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0002622266
歴史科学協議会編『卒業論文を書く―テーマ設定と史料の扱い方』山川出版社、1997年。
今まで述べてきたような研究の積み重ねに対し、自説の根拠もまともに示さずに自分の意見を広めたいと主張する行為がどういうものか、一度お考えになっていただけたら幸いです。
また見苦しい長文になってしまいました。最後まで読んでくださった方に感謝します。
(追記)さすがに人名の誤記は看過できないのでミスを修正しました。
(再追記)引用文の出典が抜けていたのも直しました。すみません。
(再々追記)直ちに答えられるトラバをいただいたので応答します。ホロコーストの研究の進展について次の文献を参照してください。
芝健介「ホロコーストとニュルンベルク裁判」『史論(東京女子大学)』55、2002年。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008575897
日教組の中のどこの誰が悪いのか特定してから言ってほしい。
言って欲しければいくらでも言ってやるが、この余白はそれを書くには狭すぎる。というのは冗談としても、まともな論理の通用しない組織がこの国の公教育に浸透しているというだけでそもそも大問題なんだよ。
過去にあんだけ北朝鮮を賛美して、当時の組合長なんてあの国から勲章までもらってる。日本教職員チュチェ思想研究会連絡協議会なんて組織も結成して、その会長はいずれも日教組関係者。北の将軍様が拉致を認めた以後も未だに定期的に訪朝して、それに対する指摘から逃げ回ってるんだから「お前どっちの国の人間だよ?」と揶揄されても仕方ない。Googleのトップページから「日教組」で検索してみ?サジェスチョン機能で「日教組 北朝鮮」が候補に挙がるくらいだ。拉致問題を取り上げた教科書を「北朝鮮を敵視している」とやり玉に挙げたこともあった。
「北朝鮮絡み」の、ほんの一部だけでこれだけ「ホコリ」が出てきて、未だにそれらに対する釈明も総括もせずに、大臣のクビを飛ばせるほどの影響力を隠然と持っている組織があるわけだ。しかもその本拠地は「国家百年の大計」と呼ぶべき教育分野ときている。そういう組織に好きこのんで所属している時点で構成員は皆同罪と言われても文句は言えんだろ。
http://anond.hatelabo.jp/20080823131346
反響が大きくてびっくりしました。
ご意見に返信していきます。
大阪で育ったけど
こんな教育受けたことない。
本当に「大阪では」と書いてあるところは
全部「大阪にある僕が通った学校では」と書かなくてはいけない話だと思う。
一般化してほしくない。
ごめんなさい。
自分の育った地域は大阪の中でも同和教育の時間数が多かったのかもしれない。
「にんげん」....憶えてますよ。表紙がオゾマシイイラストのあの本ですね。
道徳の時間はすべて部落差別問題(たまに障害者差別)に充てられました。教材は、「にんげん」もしくは先生が用意したプリント。
「にんげん」の表紙のおぞましさは忘れられません。表紙になにか別の紙を貼って隠してしまえばよかった。あの表紙は今でもみたくない。
個人的な感想で申し訳ないが、自分もあの表紙は怖かった。
確かにまっとうな同和教育は必要。それは正しいことだと思う。
でも、僕が受けた同和教育はおぞましかった。
いつもと違う、怖い形相の先生にピリピリした空気の中、偏った思想を植えつけられることがどんなにつらいか。
なんていうか、時間数も、内容も、度を越している。
広く大阪で一般化されてもな。俺はずっと大阪だが、そんなアホな教育受けてないぞ。ちなみに豊中市。
仮にそんな漫画みたいな同和教育があるとしても、もっと狭いごく一部の話なんじゃないか? あるひとつの市か、町か、一校かは知らんけど。
もちろん同和教育はあったし全校集会的なものだったけど、部落差別の歴史と、それで辛い目にあったという話を聞く授業がメインだった。
って当たり前だわ。部落のお陰で濡れ手に粟でいい目にあってんぜ、というアピールをして部落の外の人がいい印象を抱くわけないだろ。ネガティブキャンペーンにしかならんのは自明だ。本当にそんな逆効果にしかならん教育やってんのか?
仮に今逆差別で彼らがウマウマやってるんだとしてもその公演は非合理だぞ。とても信じがたいが。
(追記)
あ、もしかして……。
「人権ってええで!ぬくいで!」→「人権はすばらしいものだ、我々(聴衆も含めて市民全員)を守ってくれるものだ」
「キミ等は結婚するときに差別したらアカンのや!」→これはまあそのままにしか受け取れないが。
「差別されてた人たちは、ほんまはゲキ(たぶん、劇のこと)とかの天才のすごい人やったんや!」→河原者のことを指してる?(この国の演劇の起源と言われている)
お前、変なミスリードしてねえか?
まず、劇についてはたぶんあなたが言っているとおり、教科書に載っている通りだと思う。これは小学校の時にも知っていた。
でも話した人の発音が明らかに「劇」の発音じゃなかったのでカタカナで書いた。誤解を招いたならごめん。
自分が書いたことは全部個人的な体験談なので、あなたの学校ではそうではなかったかもしれない。
で、「自らバラすわけがない」に対して、これも個人的な体験で申し訳ないのだが、
「うちのアパート、同和委員会入ってるから正月は無料で市がタタミ換えてくれるねん」
などなど、子供同士ではけっこうどぎついことも話しまくっていた。あ、これは中学校の時の話。
自分が同和問題に興味を持っていたから、そんな話を聞きやすかったのかもしれないけど。
あと、公演も授業も、「差別された人たちを今優遇しなければならない」という思想を延々とコドモに対して繰り返すこと自体が悪いと思う。
非合理だとは思うが、実際に体験したのだからしょうがない。
結婚の話にしても就職の話にしても順調に交際が進んでいたり内定が出てたりしていたのにある日突然相手の態度が変わった。
興信所に私の素性を調べさせて部落出身だと分かったからだ、みたいな展開でしょ?
だからその言葉の意味はわかるけど、はてなでのコンセンサスというかニュアンスはわからない。と先に断っておく。
それが素性がわかったから結婚を断るという話だけではないのだ。
結婚とか、友達と遊ぶのを断られたから、「部落出身者だからか」と勝手に結論付ける話が存在していたし、僕は読まされた。
「大阪」で一般化するなと自分で言っておいて一般化しないでください
ここに書いてあるような授業の元締めである大阪府(市)同和教育促進協議会の事務局と同じビルに事務所のある某組織の中の人だった俺が保証する.どれもおおむねホント,あるいは学校によっては更に凄かったよ.もちろん「自分は大阪出身だけどここまでではなかった」とコメントしてらっしゃる方が嘘をついてるとも思わない.たぶん,学区内に「行政が公認した対策事業対象地域」が存在しない学校だったんじゃないだろうか.
元増田のような地区外出身者への洗脳も凄かったけど,個人的にいちばんえぐいと思ってみてたのは,「部落出身者としての自覚を促す」とかの戯言に基づいて地区出身者に強要される「部落民宣言」だな.連中にとっちゃ,「地区出身であるにも関わらず自分が差別されてるとは特に感じてない」存在が許せんのだろうね.自分たちが運動を行い対策事業の恩恵にあずかる最大の根拠を身内に否定されてるようなもんだから.
部落民宣言の話は、友達から聞いたことがあるが、名称を覚えていなかったので書けなかった。
お詳しいようなのでこの際聞いてしまいます。
これも中学校時代に友達から聞いたのですが、「同和委員会に入っているだけで特定部落出身者でなくとも減税など特定部落出身者の受ける行政処置を受けられる」という制度は本当にあるのでしょうか?
もちろん増田なので正確度は期待していませんが…一応。
自分が生まれ育った大阪府枚方市ではこんな教育は受けなかったんだけど(昭和54年生まれです)、
同和の予算がカットされていってるから、これから縮小されていくのではないかな、と思うよ。
こういう教育が残っているにしてもね。
それを願います。
率直に言って、僕は安心してもいます。
どうやら大阪ならどこでも同和教育がきついわけじゃないということがわかって。
あの異様な空気を味わう子供が少ないなら、それは良い事だと思う。
僕の書き方は過激な部分もあったかもしれない。
でも誇張はしていない。僕の経験したことをありのまま書いた。
僕の話を読んで、想像して欲しい。
僕は、同和委員会がすごく怖い。
あなたが小学生だったら、この教育を9年間受けてどう思うだろうか?
「絶対逆らえない」「同和委員会を批判するとやばい」という恐怖を植えつけられないだろうか?
非合理だという意見があったが、僕なりに考え出したこの教育の理由のひとつは、
「同和関係の団体に逆らうとやばい。批判することさえ許されない。話題にすることさえ…」という恐怖感を子供に植え付けることではないか、と思う。
確かに差別は悪だ。これからの時代を生きる子供たちには絶対に差別主義者にはなってほしくない。
でも、同和や在日外国人など、差別問題について、その利権を吸う団体について議論すらできなくなったら。
その議論をおこした人間のほうが「差別主義者だ!!」と無条件に断定される世の中がきたら。あるいは来ているのかもしれない。
確かに刺激的な話題だし、僕の文体やレトリックにつっこみたい気持ちもあって当然だと思う。
でも、一度想像してみて欲しい。真剣に。
追記:怖いけど言ってしまう。
僕の通っていた学校には同和関係の団体のトップの子供が通っていた。
あと、僕はまったく同和・在日外国人に対する差別意識は持っていない!これは明記しておく。
そして、同和委員会に入っている家庭の子供がみんな漠然と利権がおいしいと思っているわけでもない!
僕の友達には、部落出身者の中から同和利権を潰したいと熱く語るやつもいた。(当時中学生)
彼とは今でも年に一回くらいは会っている。友達だ。
だからこそ、僕が彼の住所を口に出しただけで恐怖を感じるような、偏った同和教育は嫌だ!(そしてもちろん、同和委員会を優遇する行政も、同和委員会の子供は無試験で入学させるような学校(実は私学にも多い)などの民間団体も間違っているとはっきり言える。)
ここに書いてあるような授業の元締めである大阪府(市)同和教育促進協議会の事務局と同じビルに事務所のある某組織の中の人だった俺が保証する.どれもおおむねホント,あるいは学校によっては更に凄かったよ.もちろん「自分は大阪出身だけどここまでではなかった」とコメントしてらっしゃる方が嘘をついてるとも思わない.たぶん,学区内に「行政が公認した対策事業対象地域」が存在しない学校だったんじゃないだろうか.
元増田のような地区外出身者への洗脳も凄かったけど,個人的にいちばんえぐいと思ってみてたのは,「部落出身者としての自覚を促す」とかの戯言に基づいて地区出身者に強要される「部落民宣言」だな.連中にとっちゃ,「地区出身であるにも関わらず自分が差別されてるとは特に感じてない」存在が許せんのだろうね.自分たちが運動を行い対策事業の恩恵にあずかる最大の根拠を身内に否定されてるようなもんだから.
「部落」解放同盟様による素晴らしいご意見をご紹介致します。。。
「当会でできることは特定したら糾弾でしょうかね(笑い)あとは精神のケアをいたしましょう。
えっ?同和?こわぃ??!!!っていうんじゃなくて、いっしょに戦ってあげますよ!ということなんです。当会にはシステムエンジニア、調査などの専門家や警察のOBも顧問としていますから。」
『ネットで中傷・被害にあわれた方、企業の広報の方へ・・・ネットイナゴを糾弾します。』
(部落解放同盟関東連合会人権擁護推進協議会神奈川本部 ブログ)
http://kaidoukanagawa.blog50.fc2.com/blog-entry-3.html
http://s02.megalodon.jp/2008-0613-2231-47/kaidoukanagawa.blog50.fc2.com/blog-entry-3.html
↑これって、いわゆる街宣似非○翼(在日)と同じやり方じゃ。。。
↓「部落」解放同盟様は「民族派団体」の方々ともお付き合いがあるそうです。
『憂国の若き志士【笑い】二階堂こと小山紀彦という御仁について』
http://kaidoukanagawa.blog50.fc2.com/blog-entry-4.html
http://s04.megalodon.jp/2008-0613-2237-26/kaidoukanagawa.blog50.fc2.com/blog-entry-4.html
まあ、常識ですけどね。。。
↓参考↓
ひとつだけ指摘だけど、「教職員協議会」つーのは要するに「全日教http://www.ntfj.net/tanidantai/」系団体だよね。共産党系の。
別にそれがいかんというわけじゃないけど、全日教(共産党系)と日教組(旧社会党系)は互いに相手を批判し合ってるけど、元は一組織でかつどちらも今は行政との対話が基本路線だから方向性も手法も全然変わらんよ。で、あとは何が違うかつーと、ぶっちゃけ解放運動へのスタンスが違う。これは親母体の見解の問題だから、まあ仕方ない。アンタだって、クラスに5人も6人も同和地区出身者の子がいたり、校区の半分が旧同和地区になってる学校に勤務したら、また色々と考えることもあるだろうさ。
まあ、でもそれはそれとして組合運動自体は大事だよ。負けずに頑張ってください。そんな私はスチャラカ日教組組合員です(今のところ)。では。
ほぼ記事タイトル通りの出来事があったので思わず匿名ダイアリー。
(厳密には、八木氏はかつてはつくる会の会長だったが、今はつくる会とは無関係)
書くの初めてなので、読み難ければ申し訳ない。
先に書いておきますと、私は公立校勤務です。
で、私が勤務する地域では、「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書を採択しています。
この教育講演会(教職員一斉研修会)は、教委が主催したもので、基本的に地区内の全職員(学校事務職員も含む)が参加しました。
恥ずかしながら、誰だか知らなかったんですが。
開会前、もらったレジュメを読んでいると、最初に出てきたトピックが
“「不当な支配」の主体の転換”
という内容。
旧教育基本法の、
「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである(旧第十条)」
という規定が、
「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない(改正第十六条)」
と改められたことによって、服してはならない「不当な支配」の主体が、
before:政府の圧力
↓
after:日教組などの職員団体
と変化しており、政府首脳部からもそのような見解に立った発言が相次いでいる……という鋭い指摘。
私としては、
「なるほどそうか……。これは大変だな」
と思ったわけなのですが、その先を読んだら
「……なんか違う?」
なにしろ、いざ講演が始まったら、この
「政府=正当な支配」
「職員組合=不当な支配」
という立場を全面的に賞賛する論調でして。
日教組に参加してる職員が1%切ってる本地区でそんなこと言われてもな……。
(うちの地元には、「教職員協議会」という、日教組とは別の組織があり、これが97%の組織率を誇っています。
方針としては、行政との対話路線。
私もそっちに入っています。
新採の時、勧誘パンフが送られてきて。
「教え子を戦場に送るな!」
って書いてある。
言いたいことはわかるがちょっと引いた。)
内容は、なんというか、ツッコミどころ満載だったんですが、まず特に違和感を感じた点。
講演の中で、エルトゥルル号の遭難とか、有名な“美談”がいくつも紹介されるわけですが、その中に真岡郵便電信局事件の話も出てきました。
第二次大戦末期、樺太にソ連軍が攻め寄せてきた時、最後まで電話交換所に残った女性達が、青酸カリを飲んで自決した事件です。
事件名とか知らなくても、
「みなさん、これが最後です。さようなら……さようなら……」
とかいう台詞は聞いたことある人は多いのでは。
とか褒め称えるわけです。
このエピソードを教育にどう生かせと?
「彼女たちの行動こそ、日本人の鑑、責任に殉じる素晴らしい態度である。
お前達も、もし同じような状況に置かれたら……」
置かれたら?
自分の子どもになんと教えて欲しいかは、人によるかも知れませんが。
私としては、子どもたちには
「なんとしても生き残れ。命を大事にしろ」
……って、教えるべきなんじゃないかと思ったり。
ちなみに、八木氏は全然触れなかったことですけど、その時当直だった女性交換手は、全部で12人いたんです。
で、死ななかった3人は、最初は押し入れとかに隠れててですね。
そのままソ連統治下で職員として再雇用され、日本にも無事に帰ってくるんですけど。
彼女ら3人は、「責任に殉じ」て死ななかった駄目な日本人なんでしょうかね?
少なくとも、八木氏の言う
「ソ連軍は、刑務所から出てきたゴロツキみたいなのを最前線の兵士として送り込むわけですよ。だから、女性は陵辱されたり恐ろしい目に遭わされるわけです」
……というのは、この場合は事実に即してないと思います。
……まあ、ソ連軍がひどかったのはわりとかなり事実だと思うんですけど。
「沖縄というのは、長らく琉球王国という日本とは違う国で、その後は島津の統治下になり、近代化されたのが他の地域よりも遅れた土地なんです。
だからこそ、日本人的であろう、という責任感が逆に強くなって、それでああいう事件が起きたのではないかと思います」
という、目の覚めるような主張を展開します。
なんで目が覚めるかというと、すごいアクロバットだから。論理の。
危険なのでよい子はまねしないでください。
もし沖縄県民があの場にいたらかなり血圧が上がったんじゃないか、と思うんですが、あれはたぶん、戦わずして論敵を脳溢血で葬ろうという高度な戦術なんだと思います。
危険なのでよい子はまねしないでください。
ていうか、「集団自決」と「責任感」がどうつながるのかそもそも良くわからんのですが。
なんか、とにかく死ねば責任感がある、みたいな話で、日本文化の奥深さを感じました。
「命どぅ宝」のお婆さんは、やっぱり駄目な日本人なんじゃろうかね。
近代化が遅れた地域だからな。
あとまあ全般に言いたいことは山ほどあるんですが、重箱の隅つつきは後回しにします。
とにかく、こういう歴史観のリビジョンを促すような講演会に、公務として参加させられるのが、本地区の実態なわけですね。
開会が14:00でしたから、どの学校も特別日課で対応したと思います。
本校でも、当日は授業を午前中で切り上げて参加したわけですよ。
もちろん、講演聞いてる間にも給料が出てます。勤務時間内ですから。
内容に疑問を感じたのは何も私だけではなくて、翌日の職員室では批判大会。
「終わった後、あの先生と偉い人達とで飲み会があったらしいから、八木先生は急いでいたわけじゃないらしい。なのに質疑応答の時間を設けなかったのは、意図的なものに違いない」
……ええーっとですね。
つまり、「つくる会」の教科書を採用した地域の学校だからといって、教員が唯々諾々と「つくる会」史観に染まるわけではない、ということですよ。
このことは、左右どちらの論者にも覚えておいて欲しい、と思います。
我々はロボットではない。
その一存で採択が決まったようなもので。
しかし、「つくる会」教科書を採択した、というだけで、かなり外部からの批判にもさらされてるし、学校現場にも不満があるのが実態です。
なので、教育委員会の方針に疑問を持っている教員を「啓蒙」しよう、というのが、この講演会の趣旨だったんだと思います。
くらいのこと、10分もかけずにわかっちゃうわけですよ。
授業で、“公共心ある日本人”の美談を得々と語って聞かせたら、生徒から史実に基づいたツッコミが入る可能性くらい容易に予想されるじゃないですか?
そういう意味では、都合のいいことだけ書いた教科書というのは、発行する側は気分がいいかもしれないけど、現場の人間にとっては迷惑そのものなわけですよ。
……ああ、そうか、授業で質問の時間を設けなきゃいいわけですね。
率先垂範を地で行っておられる。
で、その他、「作る会」教科書を使ってると高校受験に対応できないとかいう現場の苦悩をよそに、首長とか教育長とか、講演会場の最前列に座っていてですね。
で、講演会が終わった時なんか、立ち上がって喝采してるわけです。
スタンディングオベーションかよ偉い人。
とりあえず絶望した。
現場がなんとかしないとならん。
以下、こまごまとしたこと。
八木氏は、聴衆に「日本の建国はいつか?」と問うて、「それは西暦600から700年前後である」とします。
なぜなら、「日本」という国号が成立し、「公」の意識が誕生したのがその時代だからだ、というのです。
ちなみに、ここで言う「公の意識」とは、天皇を中心とした中央集権体制の確立のことを指します。
天皇は独裁者ではなく、「国家の公的統治を究極において体現すべき地位」だというのですね。
八木氏は、「皇室はニッチ産業」だ、という、寛仁親王の言葉を引用します。
「政府や行政の足りないところを補う。それが、皇室の果たす役割なんです」
「このような皇室の在り方は、古代からずっとそうだったわけです」
いや……そうなの?
「平安時代、貴族は贅沢な生活をしていた一方、庶民は貧しく、奴婢は売買の対象だった」
……とかいう記述を「闘争的だ」と評します。
これらが、マルクスの階級闘争史観に子どもたちを導くものだ、というのです。
君の教科書もまっ赤っか! これはレッドベアーの陰謀だ! 愛國戦隊を呼べ!
……別に教科書の記述は、富裕層の打倒とかを呼びかけるものじゃないし、そもそも平安朝だって、階級闘争によって打倒されたわけじゃないんですが。
なんでマルクス?
明治維新を含めて、日本には「階級闘争」とか「市民革命」とかいうものはないんじゃないですかね。古い見解でしょうか?
「明治維新は、公のために働くことを自己の使命と考えていた武士たちによって実現した改革だった」(「新しい歴史教科書」。レジュメの孫引き)
そんなに昔から日本人の自覚とか公共の意識とかがあったなら、もう少し早く戦国時代が終わりそうなものですが。
武田信玄「こうして同じ日本人同士が争っていても仕方がないじゃないか!」
上杉謙信「そうだとも! 天皇陛下の元にはせ参じ、一つの国を作ろう!」
……みたいに。
八木氏によると、現在の学校教育では、歴史教育で闘争的姿勢を学び、公民教育で具体的な闘争目標を与えられている、というのです。
「公民教科書には、夫婦別姓など、まだ法的に定められてもいないトピックが取り上げられている」
とかいうのが「闘争目標の提示」だと。
……ずいぶんせこいマルクス主義ですね。
仮に、八木氏の言うとおり、飛鳥時代や平安時代がそんなに素晴らしい時代だったとしたら、逆に言って、日本社会は1400年の長きにわたって大して進歩していないことになるんですが、それでいいんでしょうか。
奴婢の話とかって、私は
「私たちの社会は、昔より良くなっているのです」
って趣旨の話だと理解していたんですが。
「人類の歴史は進歩と改良の歴史なのです。私たちも、もっともっと素晴らしい世の中を作っていきましょう。明日が今日より良い日であるように」
的な。
八木氏に言わせるとこれも「闘争的」なのかも知れませんが。
私としては、貴族と平民に大きな差があったとか、事実なんだから仕方ないんじゃないか、と思うんですがどうでしょう。
都合の悪い歴史的事実は教えない、という態度の方が、むしろ我が国を危機に追いやる気がします。
それこそ、遺伝学におけるソビエトのルイセンコ学説みたいに、学問をイデオロギーに従わせようとした挙げ句、研究開発で西側に後れを取るような。
まあ、「歴史は科学ではない」が、「つくる会」の立場なんだそうですが。
でも、望ましい思想を注入するために、歴史的事実の方を改変する、っていうのは、それこそ共産国の十八番なんじゃ。
基本的に「公共の意識」だけで日本の歴史・文化を語ろう、というのは、無理だと思うんです。
「恥の意識」とか「武士道」とかと同様、一言で語りきれるほど、日本人の精神というのは浅薄なものじゃないんじゃないでしょうか。
そもそも、「公共の意識」が飛鳥時代から日本にあった、という主張自体いかがなものか。
確かに「公」という漢字自体は大昔からありますが、古文に出てくる、「公家」とかいうときの「公」と、「public」の訳語としての「公」を同一視するのは誤りだと思うんですが。
八木氏は、「公共」の意識が近代になって成立した、というのは誤りで、日本人の日本人としての自覚はずっと以前から存在した、と言うんですが、それは逆に言って、国民国家建設のために尽力した明治の人々を愚弄するものではないでしょうか。
ちなみに八木氏は、中教審が、縄文時代の記述を重視するよう議論しているのに不満を表明しています。
から、というわけですが、これは循環論法ではないですかね。
逆に、明治憲法や現行憲法の発布、あるいは江戸幕府なり鎌倉幕府なりを「日本」の成立、と見なす立場だってあり得るわけで。
縄文人だって一生懸命に生きていたのだし、彼らが苦労して稲作技術を会得していったからこそ、現代の日本があるわけで。
「縄文人は日本人じゃない」という言いぐさは、縄文人に失礼だと思いますが。
八木氏は、チェスタトンの「伝統とは選挙権の時間的拡大」「死者には墓石で投票してもらわねばならない」なんかを引用して、伝統の大切さ、先祖の意思を尊ぶべきことを訴えるわけですが、縄文人は先祖じゃないらしいです。
……天孫降臨?
ちなみに、八木氏が引用した中には、相田みつをの「自分の番 いのちのバトン」とかまで含まれるんですが、相田さんってそういう主義の人だったのか。
ところで、八木氏は「死者の民主主義」(チェスタトン)がお気に入りのようですが、私はむしろ、「地球は子孫からの預かり物」(ケニアのことわざ)の方が好きです。
死んだ世代の意思よりも、次の世代の幸せの方が重要だ、と、私は信じます(これでも学校関係者のはしくれですから)。
……ケニアのことわざの割に「地球」とか、かなり超訳の気配ですが。
八木氏、「屋久島の灯台守り」という、これまた美談を紹介してくれたんですが。
「顔は土気色」を「どきいろ」ってあんた。
自分で持ち込んだ資料が正しく読めないって、早稲田大学法学部卒が泣くぞ。
日本の文化がどうとか言う前に、八木氏はまず日本語くらいちゃんと読めるようにすべきだと思います。
なんかあれこれコメントをもらってるようなのでここへ部分的に返信。
>教育委員会主催の講演会とかに行って何かを得たことがあるの?
ありますよ。
まあ、教育関係者の講演、というのは、聞いてすぐに教室で使える内容が多い一方、似たような話も多い……というか、教育界の通念を上手にまとめただけの、刺激に乏しい講演も多い、とは思います。
……ちょっと今回は刺激的すぎましたが。
>その場でぶつけてくれたら面白かったのに。
まあ、チキンなので。
偉い人が「つくる会」支持者で、しかも同席してるわけですから。
そこでこれだけのことを言ってしまうと、後々どんな処遇を受けることか。
それはもう、陵辱されたり恐ろしい目に遭わされるわけです。(流言)
それに、ここに書いた内容は、これでも推敲した内容です。
これをとっさに思いつける程度には賢くありたいのですが。
っていうか、偉そうなことを書いておいて恥ずかしいのですが、「女性交換手が12人いた」ということもその時は知らず、家に帰って調べてわかった次第。
でも、何か質問はしてやろう、とは思っていて、講演の間中必死で考えていたのも事実。
「古代以来、皇室はニッチ産業としての役割を果たしてきた、とのお話でしたが、私、不勉強でそういったことを存じませんでした。
そこで、例えば平安時代の朝廷が、そういった役割を果たしていた、という実例を2・3ご教示願えるとありがたいのですが……」
くらいのことを聞いてみよう、と思っていたのですが、本文で書いたとおり、質疑応答の時間がなかったので不発に終わりました。
>自分のはてなダイアリーで書いたら?
少しでも匿名性の高いところで、と思ったのです。
何か使い方として問題がありましたら申し訳ない。
(ていうか、そもそもこの内容自体トラックバックで返すべきなのかも知れませんが、匿名ダイアリーに慣れてないので、返信があちこちにばらけるのが落ち着かないのです。なんでコメント欄がないんだろう)
こんなにブックマークをもらうとは思ってなかったのでちょっと動揺しています。
偉い人にばれたらどうしよう。
>「教職員協議会」つーのは要するに「全日教http://www.ntfj.net/tanidantai/」系団体だよね。共産党系の。
右寄りではないかも知れませんが共産党系とも思ってなかったのですが。「美しい日本人」がどうとかこうとか。どうなんでしょうか。
会員でありながら組織の背後関係とかは知らないのです、申し訳ないです。(でもたぶんみんなそう)
>教師という連中が本当に馬鹿ばっかりでイデオロギーの固まりだということが良くわかった。
ククク、その通り。だが、気付くのが遅すぎたようダな……(ロシア訛り)
今や日本の教育は、我がレッドベアーの(不当な)支配下にあル!
あと10年もすれば、この国はコミンテルンの軍門に降るだろウ……!(遅すぎる)
>大学になるまで歴史教えるのやめちゃえば?自分で判断して学ぶまで教師の馬鹿どもから余計なノイズを入れないで欲しい
難しいところですね。
おっしゃるとおり、批判精神の薄い子どもに、イデオロギー教育をするのは禁忌だと思います。
その一方で、基本的な歴史知識は、全国民が持っているべき教養だとも思うのです。
そして、大学は専門教育の場であるべきで、そういうことに時間を費やすべきではないと考えます。
だから、結局は義務教育に基礎的な歴史教育を盛り込まざるを得ないのではないかと。
その内容としては、重要な歴史的事実を教えるにとどめ、それをどう解釈するか、という思想的側面は、個々人に任されるべきだと思います。
……もっとも、「歴史的事実」というのは現実にはほとんど無限に存在するわけで、その中から何を「重要」として採り上げるかに、思想的問題が絡んで来ざるを得ないのも事実ですが。
エルトゥールル号を採り上げて奴婢は省くのか、その逆をやるのか。
でも、できる限り中立であろうとする姿勢は必要だと思います。
> それにしても10月初のサンノゼのVIRTUAL WORLD 2007の会議は面白かったです。
> グーグルとセカンドライフにIBMやソニーまで含んだアバターなどの標準化、オープンソース化の協議会設立が決まったし、動きは早いです。
なんかすごそう。
ニコニコ動画に対して「きもい」と仰る方々の数が増えています。以前は西洋と日本の顔の差に関する単純な文化的な差異が原因かと思ってましたが、理由はもっと深いところにあるようです。
ニコニコ動画で「嫌だ」とか「きもい」と言われて来た内容は当初、以下の文脈で説明されていました。
この問題は参加者の多くの女性達から指摘され、「日本的なリカチャン顔」風に初音ミクを押し出すことによって殆ど解決しました。
でもニコニコ動画が「きもい」と言う批判の内容はそれだけでは無く、初音ミクを好むDTM業界でも出ています。
そこでどうもおたくと初音ミクの文化差異論だけでは浅い理解と考えられる為、真面目に検討することにしました。
ニコニコ動画「きもい」論は最初、IT系の人々からのものが多かったのですが、最近は一般の人々(参加者の夫や妻まで)から「ニコ動はきもい」と言う言い方をされていると言う話を良く聞くからです。
「おたくなんてきもい・・・まるで牡丹灯篭の怖い話のように彼氏彼女をさらって行く・・・」 これ、まことしやかですよね。うーん困ったもんです。全く。
さて哲学者のミッシェル・フーコーは「物と言葉」の中で建物や言葉の持つ「表象=イメージ」の研究を行ない、「表象=イメージ」は時代によって移り変わると言いました。
例えばパリのエッフェル塔は登場した時、「グロテスクな鉄の塊」「スキャンダル」=きもい!!と騒がれました。画家マネも「草の上の昼食」に始まる一連の絵も「スキャンダラス」=きもいと言われました。鉄道はフランスで・・・・「怖い鉄の塊」=きもいと表現されました。
判り易く言えば時代が大きく変わる時には、社会の規範や人々の美意識が大きく変わると申せましょう。
だから古い一般常識や美意識に囚われている人々から見ればニコニコ動画に「何か異様な・・・」と言う印象を持つ人々の方が普通だとも考えられます。
でも今ではエッフェル塔も東京タワーもマネの絵も鉄道も市民に親しみをこめられて眺められています。時代による規範の変化、美意識の変化とはそんなものです。面白いですね。
江戸末期にフランスの軍服を着た最後の将軍、徳川慶喜さんなどはさぞや「きもい」と一部から批判されたことでしょう。でも明治になれば当たり前の感覚になった訳です。
ニコニコ動画=「きもい論」は何か廃刀例が出た時の明治初期の武士の怒りに似ているような気がします。まあYouTubeの新しい著作権の考え方もJASRACを含む音楽レーベルの「怒り!!」と「きもい、非常識だ!!」と言った批判で迎えられた訳ですが。
ニコニコ動画が「きもい」とかセカンドライフが「きもい」とは「ニコニコ動画やセカンドライフは社会を変える何か」と言う時代のシグナルでもあります。
やっぱりニコニコ動画は既存のネット参加者の美意識や社会規範の感覚に手を触れ、怒らせる怖いものなんですね。昔のインターネット批判と同じですよ、これは。
それにしても10月初のサンノゼのVIRTUAL WORLD 2007の会議は面白かったです。グーグルとセカンドライフにIBMやソニーまで含んだアバターなどの標準化、オープンソース化の協議会設立が決まったし、動きは早いです。
教師不足が深刻化する中、新規の学童受け入れを休止する学校が増えていることが15日、日本学校団体大協議会の初の調査でわかった。
教師の採用枠を満たせない学校も4分の3に上り、協議会は「教師不足が予想以上に進んだことや、教育費抑制による経営圧迫の影響」と分析している。
調査は今年8??9月、アンケート方式で行い、全国の小中学校の32%に当たる2837校から回答を得た。
それによると、2004年度以降に新規受け入れを休止した学校は、回答した内の16%にあたる439校。この中で、最低学年児童の受け入れを休止した学校が71校と最も多く、以下は学年に反比例して続き、激務や訴訟リスクの高さなどで教師確保が難しいと指摘される小学校低学年の休止が突出していた。
児童の年齢が高いほど都道府県立など自治体運営の学校で、若年層は私立の学校で休止が多かった。
06年度に教師を募集した学校のうち、「採用予定数より少なかった」が50%、「全く採用できなかった」も26%で、計76%が教師を十分確保できなかった。
04年度以降、教師不足などで学年当たりのクラス数を減らしたのは521校(19%)、全教科の指導を諦めた学校も109校(4%)に上った。
06年度は全体の43%が赤字。協議会では「学校教育の崩壊が現実になりつつある。某市の児童が受け入れを次々に拒否された問題は氷山の一角。いつ日本中で起こってもおかしくない」と指摘している。
右翼とか左翼以前に、動画を見る限り理事会には「話し合い」に対する前向きな姿勢が明らかに無いようです。言ってるように「学費値上げ」が様々な事業に不可欠だという根拠を持っているんでしょうから、論じるべきは
(1)その事業の必要性・妥当性
(2)学費値上げと当該事業の関連性
であって、その二つを「事実」と言い切って済むならそもそも話し合う必要もないわけで。
まあその状態で「全学協議会」が開かれたという時点でセッティングがまずかったわけですが、これは「学生」側にとっても失敗だし、同じく「理事会」側にとっても失点(せっかく開いた協議会を、自分たちの主張を理解させる場でなく、学生側の態度を硬化させる結果にしかできなかった点で)。
具体的には、特に学生部副部長の議事運営がひどく下手。多分ペーパーは与えられていたのだと思いますが、議長団が分裂しているのに一議長が「マイクを持っている」というだけの理由で一方的に閉会を宣言すれば、「決裂」になるのは当然であって、それはやってはいけなかったこと。隣の学生代表に「一言言いたいことが」と言われた時点の正解は、最悪でも「一時議長団で協議します」であって、「マイク渡さない」ではなかった。まあアドリブが効かない人っていますからね。
結局こんな風に動画が流れて、立命館の人気が少し落ちる……ってとこですかね。大学への出資者は、かくも無能な理事会とその運営に対して抗議してしかるべきですな。
http://jp.youtube.com/watch?v=WBfBBIvcSpI
http://jp.youtube.com/watch?v=wVA1XUU4Ix8
私は立命館の学生です。まぁ、この全学協議会には行っていませんが。
全学協議会とは、学生と理事会がこれから学校をどうしていけばいいか話し合う場なのですが、その理事会側が説明不十分のまま予定時間を過ぎ、「学費を上げる」とだけ言葉を吐き捨てて立ち去ったのです。
この騒動に関して、みなさんはどう思いますでしょうか?
私は、どうも最近の国会とイメージが重なってしまいます。権力を武器にして強行手段にでる某政党のようにも感じました。
…立命館は一体どこに向かうんでしょうか?
071010 06:52 リンク先修正。なぜ消したんだ?やましいものがあるならそもそも上げ直ししないですし…
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-27623-storytopic-11.html
検定県民大会 歴史わい曲は許さない/結集し撤回への総意示そう 社説
声を上げる。このことがいかに重要か。教科書検定意見撤回を求める県民大会の大きなうねりは、県子ども会育成連絡協議会会長の怒りの電話に端を発する。県婦人連合会、PTA連合会がまず結束。連携の輪は県内はもちろん、県外まで異例の広がりを見せている。
そしてきょう、県民大会が開催される。実行委員会は当初5万人規模の参加を目標に掲げたが、歴史のわい曲を許さないという県民の決意は固く、目標を軽く超えるに違いない。
国・文部科学省は、大会をしっかり見てほしい。県民の怒りがどれほどのものか。歴史をゆがめることがいかに愚かなことか。
わたしたち県民がなぜ、こぞって反発しているのか。高校歴史教科書検定で、沖縄戦の「集団自決」記述から日本軍の強制・関与が削除・修正されたからだ。しかも、教科用図書検定調査審議会ではほとんど議論もなく、文科省の調査官が出した意見書に沿った内容で提言がなされた。さらに、審議会には沖縄戦を詳しく研究した専門家もいない。
沖縄戦当時、住民は米軍の捕虜になれば、女性は辱めを受け、男性は惨殺されるという情報を信じさせられ、恐怖を植え付けられていた。生き残る選択肢はなかったに等しい。
糸満市のカミントウ壕での「集団自決」から生き残った74歳の女性は証言する。壕内に砲弾が撃ち込まれたことで、入り口付近の日本兵2人が自決。直後、住民の「集団自決」が始まった。多くの家族が次々と手りゅう弾の信管を抜き、命を絶った。手りゅう弾を持っていたのは、家族の中に防衛隊として日本軍から渡されていた男たちがいたからだという。後は地獄のようなさまだ。「片目をえぐられた幼なじみ、内臓が出た人、足がもげて大声を上げて苦しんでいる少年」
別の生き残り女性の体の中にはまだ弾の破片が4個残っている。「集団自決」で破裂した手りゅう弾のかけらだ。60年も前にあったらしいというあやふやな事ではない。女性の体にある破片は、恐ろしい事実をわたしたちに突き付けている。
もし、当時の住民が「米軍に見つかったら決して抵抗せず、捕虜になりなさい。生き残れるかもしれない」と教えられていたら、どれほどの人が死なずにすんだか。恐怖に駆られた肉親同士が「早く死ななければ」と殺し合うことなど決してなかった。
文科省側は、意見書を付すに当たり、沖縄の地を踏んで調査していない。あまりにもずさんだ。このような認識で、「集団自決」の実相をゆがめられてはたまらない。検定意見をまとめた文科省の責任はとてつもなく重い。
最終目的は記述復活
就任したばかりの渡海紀三朗文科相は県民大会について「どういう大会になるのか、どういう意見が出るのかを見極めて対応したい」と、これまでの文科相対応とは違う含みを持たせた発言をした。
しかし見極める必要はない。沖縄側の主張ははっきりしているからだ。県と41市町村議会すべてが抗議決議し、大会には41首長すべてが出席する。実行委員会には老若男女、農林漁業、企業など多方面にわたる22団体が加わり、一致して検定意見の撤回を求めているのだ。
それでも見極めたいというなら、ぜひ大会に参加して、じかに県民の訴えを聞き、意志の結集を肌で感じてほしい。「集団自決」から生き残ったお年寄りの苦痛に満ちた証言を聞いてほしい。
大会では「子供たちに、沖縄戦における『集団自決』が日本軍の関与なしに起こり得なかったことが紛れもない事実であったことを正しく伝えること(中略)は我々に課せられた重大な責務である」と訴え「県民の総意として国に対して今回の教科書検定意見が撤回され、『集団自決』記述の回復が直ちに行われるよう」求める決議を採択する。
思想信条を超え結集する大会は、歴史に刻まれるものとなろう。県民はそれほどの決意を持っている。
確認しておきたいのは、わたしたち県民にとって、大会成功が目標の達成ではない。あくまで、日本軍強制の記述の復活、つまり検定意見の撤回が最終目標だ。大会は、文科省を動かす第一歩であり、撤回実現まで要求し続けたい。