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2008-11-08

http://anond.hatelabo.jp/20081108001917

どうしても挨拶をしたくないならしなくてもいいと思う。けど、その行動を自分が選んだことで得られる結果(相手を緊張したままにし、場合によっては敵意さえ抱かせるという結果)までを自分で受け入れられないと、ただのわがままな人になってしまうから注意したいね。

気持ちよく挨拶されるとこっちまでいい気持ちになるという人が世の中の大勢を占めてるとおれは思う。見知らぬ他人が挨拶もなく自分の家に入ってくる様子を想像してほしい。怖いよね。こちらは緊張して身構えるはずだ。程度の差こそあれ、職場の人同士が出会った時にもこれが起こる。その緊張をほぐすのが挨拶だよ。挨拶というのは、相手に対して敵意がないこと、友好の気持ちを表すことだ。それが相手から緊張を取り去り、その後のスムーズコミュニケーションを可能にする。職場であればその日一日の仕事を一緒にやっていこうという気持ちが生まれる。

そうであるならさ、この考えを一歩進めて、相手が気持ちよく思ってくれると自分も気持ちいいって発想で、相手に気持ちよく思ってもらうために挨拶したら良いんじゃない?挨拶はぜんぜん恥ずかしい行為じゃない。胸を張ってすがすがしく挨拶するなら、それは相手の気持ちを解きほぐすことができる素晴らしい行為だとおれは思う。

2008-11-07

祖父の言葉

祖父は志願して海軍に居た人で、戦後は某紡績会社で働き、幾つもの特許をとったらしい。

紡績会社退職してからは、祖母と一緒にロッジ管理人などをしながら働き続けたが、祖母が亡くなった後は庭いじりをしたり、図書館に通って軍関係の本や戦争被害の本を読み漁っていた。

そんな祖父が居なくなってから数年が経つ。居なくなってすぐに、乗っていた車は事故と思われる状態で見つかったけど、本人は見つかっていない。行方不明という処理になるらしい。きちんと葬ることが出来るまでにはまだ間がある。

そんな中、祖父からの手紙が出てきた。もらった時は読み流しただけだったけど、今読んでみると、それこそ遺言のように感じて身が引き締まった。おかしなところもそのままに転記してみる。

故里は遠きにありて想うもの

交通の便が至極よくなった現代では通用しないのではと思いながらも書いてみた。増田其の後大変御無さた御免。元気で頑張っているものと想います。○○((増田地元))と京都では寸時にして帰れる大変便利になったものだと感心させられるもの。増田君も就職以来早や一年過ぎたことになりますね。君の成長を誰よりも楽しみにしていたおばあちゃんも草葉の陰でさぞ喜んでいるものと推察しております。

日本の将来を背負って立つ若者である全力投球して下さい。お父さんも、お母さんも何時の間にか半世紀を生き抜いた人生の大ベテランになりました。したがってどの角度から見ても増田達の出番です。年間を通じて今が一番の好季節 日本一の観光都市京都 シーズン中は大変な混雑でしょうね。さて増田君も社会人として二年生になりましたね。学校で又は職場での諸先輩から学んだことを頭におき力を精一杯に発揮してほしいものです。皆様の期待に背かぬよう一個の人間として身立をし志と品格を持って生きてほしい願うのみです。

言うまでもないことだが職に就くと言うことは単に給料を頂いて生活を立てるというだけではなく社会的責任を担うことであります。自分に与えられた仕事は天職だと信じ誠実に果たし、その仕事を選んだ目的に一歩づつ近づいて下さい。そのためには常時想像力と創造力を磨いてほしいと思います。何事も常に疑問を抱き新しいやり方を試みる それによって自分も社会進歩するのではないかと思います。

又常時相手の身になって考えるということです。人は自分だけでは生きていけないもの。家庭も職場社会も助け合ってこそ成り立っていくというもの。相手の立場になればその人の痛みや見えないものが見えてくるもの。

増田君達の舞台日本ではなく世界です。一にも二にも頑張って下さい。今も昔も通用する言葉に若い時の苦労は買ってでもせよとは良く言はれたもの。何だか説教じみた文面もあったようだが要は健康留意して無理のない程度に頑張って下さることを願うのみ。無学な爺が書くこと 誤字脱字も多々あることと思うが そこは頭のよさで判読して下さい。今夜は何だか増田の事が頭に浮かんできたので一寸書いてみた。

増田君へ  ○○の爺

http://anond.hatelabo.jp/20081107054600

異性から楽にモテるという一点のみに絞るのであれば女が楽というのに同意。

家事手伝い」を名乗って堂々とニートができるというのも同意。

でもだからといってすべからく女が楽ってわけじゃないんだヨ!

女ってだけで生じるリスクだってたーくさんあんだヨ!

部屋に連れ込まれた挙句レイプされて切り刻まれてトイレに流されたり。

防ぎようがないじゃんって思わないかこういうの。

たまたま女に生まれただけで、こういう危険も背負い込まなきゃならないんだぞ。

(男も被害にあうケースはあるだろうが、相対的に女性のほうが多いということで)

いちいち隣人が変質者かどうかなんて気にしていられるか。

そこらへんもトータルで考えると、男も女もそう変わんないんじゃないかって思う。

どっちがいいっていったって、なれないものはしょーがないじゃん。

来世で生まれ変わるしかないじゃん。

私は来世、男になりたいぞ。

だから君は、来世で女になれ。

2008-11-06

エスプリの問題

京都ぶぶ漬け伝説について随分な勘違いエントリを読んだ

http://taketaka.cocolog-nifty.com/mogu/2004/05/post_24.html

京都の「一見さんお断り的有名店」に行ったら意外なことに「どうぞ」と言われて上がったら「ぶぶ漬け」を出されてすごすご帰る→後日某社長夫人に同伴して意趣返しやったー!、というエントリ

色々な意味で間違っているので、少し指摘。ただ自分は京都人でなく京都人の知り合いがいるだけ。それを踏まえて京都人からツッコミがあれば聞く。ちなみに多分京都人なら本来この程度のエントリ自体そもそもスルーすると思う。こういういかにも分かってない勘違いをされるのは慣れっこだろうし、ましてその解説などという無粋な行為自体好まないだろうから。

以下京都人ルールに則って解説

(1)そもそも「一見さんお断り」が何のためにあるか?

それは「分かってない人」を排除すること自体を店の価値にしているから。そして、店こそ構えて営業しているが、これは万人に媚びる「商売」ではない一種の「趣味」なのだ、という余裕あるスタンスをもってもてなすことを最上と考えるから。

ファミレスで走り回る子どもを見かけて不快な思いをしたことがあれば、くつろぎを求めて客が来る店において「分かってない人」を排除することの価値は分かるだろう。もちろん「知人」の紹介で来た人だって、初めてのときは騒ぐこともあるかもしれない。だがその場合は紹介した「○○さん」に対して文句を言うことができる。「こないだ連れてきやはった○○さん、その後ようきはりやすけど……」…言われた側は、この「…けど」で色々と察して、件の知り合いに「あんまり無粋なことをしちゃいけないよ」と諭す。客と店が相互に交流しつつ成長することを期待するシステムが「フリの客を断る」システムである。京都の「一見さんお断り」店は、店であって店ではない。たとえば礼儀に厳しい知り合いの家を訪問する感覚を持ってないといけないということ。

従って、上記のエントリで明らかにおかしいのは、その店が「一見客を店内に入れている」という所。それをするならその店は別に「一見さんお断り」ではない。「お断り」の店なら、店先で「うちは予約の(つまり知り合いとご紹介の)方でもういっぱいいっぱいでして…」と断られる。わざわざ店に挙げて追い返すなんて「関東人の脳内ギャグで一見さんお断りのフリをしてる店」でもないかぎり、そんな無駄なことする意味がない。

(2)「ぶぶ漬け伝説への誤解

そもそも「ぶぶ漬け」というのは出すものではない。これも件のエントリが全く分かってない、というより京都の文化を知りもせずバカにしてると感じられる部分。

ぶぶ漬け伝説」を正しくたどれば、そのおおもとはおそらく「なんもありまへんけど、いまぶぶ漬けなっとご用意させていただきましょか」であり、その意味するところは

私はあなたが来ることを全く予期していなかった…あなたの訪問は事前の連絡もない無礼なものであり、(あるいは来て良いという返事のない訪問が)訪問先にとって大変な迷惑であるという常識をあなたは持つべきであろう?しかしながら、お上がりいただいた上はもてなしの準備をせざるを得ない。もしあなたが、突然の来訪にもかかわらず一応は歓迎すべき程度の客であるなら、失礼ながらお待ち頂いて私は時間をかけて準備することも厭わないが、私があなたに用意するのは「ぶぶ漬け」である。冷や飯にお湯をぶっかけただけのものである。この意味がおわかりか?来客に何かを出すという礼儀自体は踏まえながら私があなたに示すのは「最低限かそれ以下の」礼儀だ。つまり私は今現在もあなたをもてなす気は、欠片も……これっぽっちも無いということだぁっっっ!だから形だけ「もてなそうか」と聞いているその皮肉をあなたは当然感じ、そして「ぶぶ漬け」などという粗食でもてなされること自体を恥じるなら、あなたはその申し出を当然辞するべきであるし、すなわち自ら退出することを選ぶべきだ。要するに、常識あるなら自分から「すいません。帰ります」って言いなさいよねッってことだ。

というものだ。こういうメッセージ内において『実際にぶぶ漬けを出す』という行為があり得るものかどうか、まさに常識で判断されよう。「ぶぶ漬け」とは「抜かずの剣」であり、「『ぶぶ漬け』を出すぞ!」という台詞が脅しになる相手に対して用いる言葉の上だけの存在なのであって、現実に「ぶぶ漬け」を出す人間がいたらただのバカである。ましてそれを何かのメッセージとか勝手に理解するなんてバカの二乗としかいいようがない。

(3)「まずビール

この神経もよく分からない。一流店にわざわざ行ってなぜ「まずビール」なの?それは食事を旨くするの?それとも舌も神経も麻痺させるだけなの? ちなみに何のビールを頼んだの?まさか銘柄も指定せずに「とりあえずビールください」とか言ったの?バカなの?一回千円で勘定が済む居酒屋なの?

せめて「すっかり秋になりましたね。そこで松茸…とかって…あんまり月並みですかね(笑)」「とりあえず喉が渇いてるのでお茶でもいただけますか」「おすすめお酒があったら教えてください。ちょっと一杯やりたい気分なので(笑)」くらいのことくらいは言ってください。

(4)「京都に知り合いのいない「一見さん」が今日京都でこのような悲しい出来事に遭遇していると思うと胸が痛くてならない」

そりゃ「知り合いがいない」人が「知り合いだけ来てくださいね」という店に行けないのは当たり前のことで、悲劇でもなんでもない。これを悲劇というなら、何ならあなたの家に突然乱入していいのかよ?と言いたくなるような無茶。お客様神様ではないよ、別に。

というわけで、別にこんなの「京都に負けた話」でもなんでもなく、知り合いでもなんでもない店に行って迷惑だけかけて帰ってきました、って迷惑話だと思う。つーか、知り合いがいるなら最初からその人に頼んで一緒に行けよ、と。店の側から言えばこのAさんなる人物「迷惑かけるだけかけて勝手に逃げ帰った上に後日知り合いと来る迷惑なバカ」という位置づけは全く変わってない。店から尊敬される客になって初めて「勝った話」になるわけで、今のエントリだと単なるバカの話にしか見えない、店の方こそ良い迷惑でしたねお疲れ様、という感想しか持てません。

まあ、なんですね。

京都の一流店とか、そんなに行きたいですか?

価値が分かんないものを、分かるフリするとか

無駄だからやめといた方がいいんじゃないですかね。

http://anond.hatelabo.jp/20081106081055

そこまで普段、日常で相手だの空気に気を使っていらっしゃるなら、増田のときも「批判されるらしい全レスなるもの」を敢えてする、というのは止めていただけませんか?

冷蔵庫には鶏肉があったので焼いて食べようと思ってたけど、よったスーパー秋刀魚が安く売っていたので、今日秋刀魚を焼くことにした。二尾で198円のところ、半額シールが張ってあった。日付を見ると、加工日は今日になってる。よし、これは買いだ。

秋刀魚をパックから出し、表面を流水で洗い、ペーパータオルで包んでみた。試してガッテンによれば、こうすると皮が焼き網にくっつかないそうだ。皮が破れてしまうと身との間にある脂が落ちてしまうし、何よりも秋刀魚は皮が美味しい。

しばらく置いた後、ペーパータオルを除き、やや多めに塩を振り掛ける。腹は銀色で背は青色、「青魚」とはよく言ったものだ。当然、頭や内臓は取り除かないで、そのまま魚焼きグリルへ。尻尾まで入るか心配だったが、奮発してやや高価なコンロを買った甲斐があったというもの、問題なく二尾が並んだ。火は強火で、片面7分反して4分。あまり焼きすぎないよう注意する。所々焦げ目が付いた皮の下で身と脂がぐつぐつと、煮物かってくらいに蒸し焼き状態になれば焼き上がりだ。長めの皿に一尾を乗せる。

十分に塩をしたので醤油は不要、香ばしく焼きあがった皮の、銀色と青色の間の線に沿って箸を入れる。ここまでは普通。だがこの後、素人は背の身から食べ始める。これがよくない。入れた箸を軽く手前に引き、腹の身を腹骨から離す。背の身がある分、身崩れがなく腹の身が取り出せる。胸鰭から内臓の終わりまで丁寧に剥がしたら、それを一気に口の中へ。はいはい、そうそう。ここでビールが合うんだよ、と酒飲みなら言う所かも知れないが、あいにく俺はご飯党。用意した白飯を口に入れ、ともに咀嚼する。うんうん。「酒のつまみはご飯にもよく合うんだよ」という、大原社主の孫の名言を思い出した。よしよし。

腹の身、背の身を平らげ、腹骨を除き、内臓を味わい、下の腹骨を除き、背骨を引いて、残りの半身に手をつける。食べる間に零れ落ちた脂が下の半身に染み込む。あれ、もう終わりか。ではもう一尾に掛かりますか。


…という文章をダイアリに登録しようと思いながら料理した俺は、慢性はてな病だな。「大原社主の孫…美味しんぼネタは強いから、☆3つブクマ4つは固いな」とかどんだけ。

ブクマより

id:sika2 大原社主の孫、そんなこと言ってたっけ。思い出せない。悔しい。

大原社主の孫じゃなく、谷村の息子だったかも。http://oishimbo.jp/modules/weblog/details.php?blog_id=10360501

新年会といえば大原社主だから、勘違いした。悔しくさせてすまんこ

2008-11-05

日本は侵略国家であったのか」を読む 補遺

http://anond.hatelabo.jp/20081101232814

 こんにちは元増田です。

 その後、台湾外交部からも抗議声明が出されたようです。

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20081102-OYT1T00492.htm

 しかし、田母神氏ご本人は、「誤っているとは思わない」「(論文の内容について)今でも間違っていない」、

http://www.asahi.com/national/update/1103/TKY200811030159.html

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081103-OYT1T00526.htm

とおっしゃっておられるようであり、

近現代史の一面的な見方を見直そうという動きが各方面から起きていたが、その象徴的論文

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081103/plc0811031834005-n1.htm

という新聞もあるので、ネット上にある反論ソースをあげておくのも意味ないことではないと思い、対中外交について落ち穂拾いをしてみます。今回もネット上にあるものだけを参照しており、私はこの時代の一次史料を読んでいませんので、「ちらしのうら」であることに変わりはないですが、根拠を何も示さない所論よりはましだと思っています。

日本は・・・(中略)・・・相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない」のか

見出し引用の出所は、田母神俊雄日本は侵略国家であったのか」2008年

http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

それでは、公開されている次の論文を紹介する形で反論します。

古屋哲夫「対中国政策の構造をめぐって」『近代日本における東アジア問題』古屋哲夫山室信一編、吉川弘文館2001年、をPDFHTML化したもの(単行本にはあたっていないことをおことわりしておきます)。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/pdf/75.PDF

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 まず、日露戦争後の日本中国権益についてみてみましょう。そもそも初期条件は清の関与できない日露両国の話し合いで設定されました。

日露講和条約によって日本が獲得した在満権益とは、ロシア権益の残りの期間を、「清国政府ノ承諾」を条件として、譲り受けたものであり、具体的には 1923年大正12)に満期となる(露清原条約の期限が25年)遼東半島租借権と、運転開始から36年後の1939年昭和14)年に中国側に買戻権が生ずる南満洲鉄道経営権を中心とするものであった。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 清の事後的同意が必要とされたこと、租借権と経営権には期限が設けられていたことは留意されるべきでしょう。

 後の関東軍へとつながる駐兵権の話も、この段階で出てきます。

それは清国の了解なしに、その主権を侵害する鉄道守備兵駐兵権を設定したものであった。それは現に軍隊存在しているという既成事実を権益に転化させようとするものであり、日露両国は清国の主権侵害の共犯者となったことを意味し、また、以後の満洲支配についての日露共同行動の可能性をしめしたものでもあった。ところで講和条約ロシアから日本への権益の移転譲渡は、「清国政府ノ承諾」を条件とするとしており、それにもとづいて、1905年11??12月にそのための北京交渉が開かれたが、そこで清国側がもっとも強い反発をしめしたのは、この鉄道守備隊の問題であった。・・・(中略)・・・結局この問題は日本側が、ロシアが撤兵を承諾したときには、日本も同様に撤兵するという条件を付けただけで押し切ってしまうが、小村寿太郎全権は、ロシアの撤兵など起こりえず、したがって日本の撤兵もありえないものと考えていた(5)。この鉄道守備兵が、租借地守備兵とともに、後の関東軍を構成することとなる。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 先に既成事実があって後に法的に問題を確定させようとしていることは留意されるべきでしょう。

このようなやり方が、相手側に不満を生じさせ、後の紛争の種となるのも当然でしょう。

日露講和後の清国に対する交渉において、もっとも紛糾したのは、前述の駐兵権問題についで鉄道権益をめぐる問題であった。・・・(中略)・・・その結果、1905年12月に調印された、「満洲ニ関スル日清条約」(実質的内容は附属協定)では、吉長線も新奉線も協定附属の取極に譲らざるをえず、前者は清国の自主建設により、資金の不足分を日本からの借款による、後者日本から清国に売渡し、その改築のための費用を日本より借り入れる、という譲歩をよぎなくされている。結局協定本文には、安奉線が残されただけとなったが、これも軍用軽便鉄道商工業用に改良することは認めるが、18年後には清国に売り渡すべきことが規定されていた。それは安奉線についての日本の権利が、長春旅順間の鉄道とは全く異なるものとして協定されたことを意味していたが、日本側、とくに現地の実権を握る陸軍は、条約には目もくれず、安奉線を駐兵権や附属地を持つ満鉄の支線とすることを 実力で押し切ろうとしていた。

 実際に、満洲よりの日露両軍の撤兵期限である1907年明治40)4月になると、遂に、安奉線上の本渓湖の市街に新たに日本軍が進出し、同時に日本警察官出張所が設置されたとして、清国側からの抗議が提出された。これは前年8月陸軍が主導して在満権益を管轄するために設立された関東都督府(都督は陸軍大将または中将、初代は 大島義昌大将)が、既成事実を作り出しはじめたことを意味した。そして外務当局もこれを追認する態度を示している。日本側のやり方を条約違反とする清国の抗議に対して、同年5月18日林董外相は、安奉線は満鉄の支線であり、守備隊の駐屯や警察官派遣の権利も満鉄と同様だとの態度をとるよう奉天総領事に指示している(7)。それは条約よりも既成事実押し通せ、ということであり、対満洲政策の一つの性格が早くも形作られつつあったことを示している。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 上記のような「条約よりも既成事実押し通せ」という態度は、国際法にのっとった正当なものと言えるでしょうか。

軍と外務当局との関係については、一致することも異なることもあったでしょうが、ここでは両者ともに既成事実化をはかっています。

軍だけに責任を負わせることはできません。

安奉線が朝鮮半島満洲を直結するものとして重視されたことはいうまでもないが、日本側は他面では、韓国北東部に隣接し多数の韓国人が居住する間島地方に、領事館及分館を設立して、韓国人に対する領事裁判権を行使することで、日本の勢力を浸透させることを企図していた。そして清国側が容易に実行しないことを予期しながらも、日本希望を記録しておく意味で、前記「間島ニ関スル協約」に、清国が吉林から間島を経て韓国北部の会寧に達する鉄道建設する際には、吉長線と同一の弁法によることという一項を押し込んでいる。しかし中国側は辛亥革命後も、一貫してこの吉会線構想を拒否しており、満洲事変以前には交渉が成立する見込みさえも立たなかった。

 つまり、日露戦後の対中国政策は、その基礎に、「交渉」によっては解決しえない部分を抱えこむ形で出発しているのであり、この時点においてすでに、中国との平穏な交渉によって、利権拡張を図ることは不可能になっていたと言える。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 ここまであげてきた行為から、相手国の了承などどこ吹く風といった態度があったことは明らかではないでしょうか。

 つづいて、中華民国期に入ります。

ところで日本が主導しえなかったこうした〔引用者注辛亥革命以後の〕経過の中でも、日本の対中国政策のなかに、様々な特徴が蓄積されてくる点に注目しておかなくてはならない。その第一は、中国全体の情勢を制しえないならば、むしろ分裂を促進して日本が操作しうる地域を造りだそうという発想が生まれてきたという点である。たとえば、在清国公使伊集院彦吉は、1911年10月18日の時点で、清朝にもはや中国全土を統治する力はないとして、「中清ト南清ニ尠クトモ独立ノ二ケ国ヲ起シ、而シテ北清ハ現朝廷ヲ以テ之カ統治ヲ継続セシムヘシ」「何レノ途北清ノー角二清朝ヲ存シ、永ク漢人ト対峙セシムルハ帝国ノ為得策ナリト思考ス(10)」 との意見外相におくり、さらに11月19日になると、清朝の情勢がより困難となりこの三分案の見込みもうすれたとし、第二案として清朝をして「十八省以外満蒙等ノ地域」に国を保持させる、それも駄目で清朝滅亡の際には第三策として新共和国首都を武昌など中国中央に置かしめ「満蒙ノ地域ヲ遠ク辺外二置キ漸ク閑却セシムル(11)」との意見を具申している。それは親日地域の確保のための中国分割という発想に行き着くことになろう。さらに翌12年2月になると、いわゆる大陸浪人川島浪速らが、参謀本部関東都督府と連絡しつつ、北京より脱出させた清朝親王を擁し、蒙古の王公らをも参加させて、満蒙独立国を造り出そうとする画策が実際に行われるに至っている。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

ここでは、一外交官、一大陸浪人の例しかあげられていませんが、後にみるように、国の分裂を促進させようというのは国の政策となっていくのであり、その萌芽がみられることは留意しておくべきでしょう。また、ここでも軍のかかわりがみられるようです。もちろん、他国を分裂させようというのは、相手の了承を得た、国家間の条約を尊重する態度とは言えないでしょう。

この間〔引用者注革命後、1910年代前半の中国情勢の混乱〕に付加された対中国政策における第二の特徴として、中国現地において日本軍人が侮辱されたと日本側が解釈した場合には、「原因の如何にかかわらず」、中国側に責任者の処罰と謝罪を行わせて、日本軍威信を守るという方式が打ち出されてきたことに注目しておかなくてはならない。いわゆる第二革命の 時期に、日本人が被害を受けたとする、漢口・エン州・南京の三事件がおこっている・・・(後略)・・・

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 漢口事件について、古屋論文に基づき、要約します。

 まず、陸軍少尉中国軍の制止を無視して戒厳地区に進入し、一時抑留されました。

 軍からの報告は、「無抵抗の西村少尉らが、理由もなく暴行を受け、軍服をぬがされるなどの侮辱を受けた」というものでしたが、日本の総領事は「これを信用せず、自ら調査して西村らの横暴と暴行について牧野伸顯外相(第一次山本内閣)に報告」しました。しかし、「陸軍中央部は、現地の調査も行わずに、「日本将校凌辱事件」として」、謝罪と賠償利権を要求し、結果として中国側に処罰・謝罪させたものです。

 古屋論文は、このような事例が満洲では蓄積されていたであろうことを指摘し、「このような先例の蓄積は、「日本軍威信」の確保を第一義とするという条件によって、日本の対中国政策が実質的に拘束されるようになってゆくことを意味していた。そしてその翌年の第一次大戦への参戦は、対中国政策にさらに決定的な影響を及ぼすこととなった」と評価しています。

 交渉ごとにおいて、譲歩できないものを必要以上に多くすることは、カードの手札を事前に少なくしているのと同じではないでしょうか。

 つづいて、第一次大戦下の部分をみていきましょう。

第一次大戦下で目に付くのは、前述した鉄道付属経営権や、軍の威信を確保する事件解決方式など、条約面に現れない既得権の高圧的行使や、軍を背景とし、あるいは軍に依拠した陰謀的行動の横行であった。とくに袁世凱が自派による帝政運動組織し、1916年1月1日帝位について洪憲元年と称したのに対して、反対派が第三革命に立ち上がるという事態に対応して、大隈内閣が反袁運動支援の方針を決定したことは、こうした傾向を著しく促進することになった・・・(中略)・・・この〔引用者注内閣の〕方針は具体的には「適当ナル機会ヲ俟テ南軍ヲ交戦団体ト承認スルコト」などをあげているが、実際には山東に居座った日本軍(侵攻以来ワシントン会議後 まで7年以上駐留)や、満鉄守備隊を含む関東都督府の現地軍が関与あるいは支援したことが、最も重要であったと見られる・・・(中略)・・・大隈内閣の反袁政策は、結局のところ、現地日本軍と其の周辺の日本人の横暴への反感を広めただけに終わったようにおもわれる・・・(中略)・・・第一次大戦下の日本の対中国政策は、侵略性の膨張として特徴づけることができるが、列強のすべてが参戦し、中国に手を出すいとまがないという条件のもとで、初めて実現したものであり、従って戦争の終結とともに転換を迫られることは必至であった・・・(中略)・・・日本軍は、青島を攻撃・占領する以前に、ドイツ兵に守られているわけでもない中独合弁の私立会社経営する山東鉄道を占領(26)しているのであり、日本の参戦がたんにドイツ軍事力の打破のみでなく、新たな権益の獲得を目指していることは明らかと見られた。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 ここでは、中国の内部分裂を促進させる政策を内閣採用しています。政治が、権謀術数やパワーゲームというのはその通りなのかも知れませんが、これに対する中国の、その民衆の反発は至極まっとうなものでしょう。ベルサイユ講和会議における中国の要求が退けられたことから、五四運動へとつながります(中国ベルサイユ条約への調印を拒否しました)。周りにいくら根回しをしても、当事者同士に納得が得られなければ物事は進みません。

 そして、アジアの国際秩序について話しあわれたワシントン会議では九か国条約が結ばれます。

中国政策全体は、領土保全・門戸開放・機会均等というアメリカの主張を柱とする九か国条約規制されることになり、そこには勢力範囲政策を排除することも明文化されていた。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html


 このような流れのなか、詳細は省きますが、古屋論文では、「国際的に通用しなくなって」きた「特殊権益」、「勢力範囲」にかわり、「満蒙治安維持」という、関東軍の謀略による満洲事変につながっていく「政策理念」が出てくるとされます。

しかしそれ〔引用者注:満蒙治安維持〕は、他国の一部を自国の利益に従属させるという点では、勢力範囲と同じことであり、中国との対等の関係確立するためには、破棄しなければならない要求であった。しかしそのことは、幣原外交においても、ほとんど意識されることはなかったように思われる。

 それは幣原外交もまた、国民の対中国意識のあり方に規制されていたということであろうか。第一次大戦中に強められ広められた中国に対する侮蔑を基礎とする優越感は、大正デモクラシーによっても解体されることはなかったし、さらにその基底では、満蒙を20万の将兵の血と20億の巨費であがなわれた明治天皇の遺産とみる天皇制意識が形成され、大衆呪縛していたことであろう。現地軍における統帥権独立と、国内における大衆中国侮蔑感とは、対中国政策の構造的改造を困難にするものであった。そしてその大衆意識は、満洲事変への共鳴板として鳴りはじめ、状況を一挙に転換させることになるのであった。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 ここまでみてきたような、日露戦争から満洲事変にいたる流れをおさえてなお、「相手国の了承を得」た、「条約に基づいた」と表現することが妥当なのでしょうか。ご覧の通り、日本大陸政策に対する軍の関与は明白ですが、まさか防衛大を卒業された方がこの程度の知識をご存知ないとは思いませんので、あの「論文」の内容とどのように整合性をとられているのか興味深いところです。

 さて、このように、一つの論文をみて、「論文」の一部の所説を検討するだけでも結構な手間がかかります。歴史勉強はそれほど甘くはありません。粗雑な「論」を示して誤りはないと言われても困ります。また、「事実小説より奇なり」ということもありますし、歴史学においては、「神は細部に宿る」こともあるので、個人の感覚からおかしいと言うだけでは有効な批判にはなりません。また、学問においては、勉強が足りずに事実認識が間違っているのは、明らかに勉強が足りないことに非があります。今は勉強不足で根拠が示せないというのであれば、その主張は根拠がないゆえに認めれらないのです。いつか証明されるのかもしれませんが、そのときが来るまでその主張に強度はありません。

 ところで、古屋論文の最後に、「国内における大衆中国侮蔑感」の問題が出てきました。今もまた、中国に対する偏見百害あって一利なしであり、中国の実態を虚心にみつめ、評価しなければならない、と私は考えています。

 その意味で、中国の民衆運動について、興味深い論文をみつけたので最後に紹介します。

しかし,中国民衆のナショナリズムとは,つねにそうした「暴力」をともなうものとしてしか実現されなかったのであろうか。そこには多くの場合,「暴力」の受け手の側からするバイアスがかかってはいないだろうか。一昨年の,「反日デモ」についての日本マスコミ報道が,デモの「被害」を強調し,一面的な批判に終始したことも想起される。「歴史」と「現在」を同時に射程に入れねばならない現代史研究者にとって,そして,民衆の運動対象であったわれわれ外国研究者にとって,必要なのはこうしたバイアスを克服し,実証的に中国の民衆のナショナリズムの実態を注視することではないか

江田憲治「民衆運動ナショナリズム1925年の五・三〇事件を手がかりとして―」『現代中国研究』21、2007年、27-28ページ。http://modernchina.rwx.jp/magazine/21/eda.pdf

 私はこの問題意識に全面的に賛同し、実証的な近現代史の議論が進められることを希望するものです。

またしても、このような長文をお読みになってくださった方に感謝します。

http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20081104/1225772796

既に多くのトラックバックでも指摘されてるが

iPhoneくらい直感的でわかりやすいUI与えられても

について。

iPhoneUI前例のない操作が多い。だからやはり全く前提知識の無い状態ですべての機能に気付くのは難しいと思う。

ただもちろんこれはイコール使いづらいという話ではない。

拡大するのにピンチダブルタップではなく虫眼鏡ボタンを置いたりするのは、わかりやすいかもしれないがやっぱり面倒なのだ。

iPhoneUI日本ケータイUI本質的な違いはユーザ学習能力考慮するかどうかだと思う。

ケータイUIは見てすぐに使い方がわかる(直観的)だが、その分手順が多かったりして慣れてくると面倒が多い。

対してiPhoneの場合は見てすぐにはわからない部分も多いが、使えば使うほど手になじむ(直観的)ように使いやすく感じるようになる。

つまりユーザのどの段階での「直観」に合わせるか、という問題なのである。

ケータイユーザ学習することを期待していないが、iPhoneユーザの成長も見込んだUI設計しているのだ。

http://anond.hatelabo.jp/20081105012318

http://anond.hatelabo.jp/20081105012318

「責められるべきは実際に何かした人だけで、それ以外の人を疑うべきじゃない。」

てすげえな。

疑うべきじゃないってか。

お人よしどころじゃないな。

それで今まで何事もなく生きてくることができたのなら、男性でしょうな。

ちなみに「責められるべきは実際に何かした人だけで、それ以外の人を責めるべきじゃない。」なら同意だけど、これはねー。

2008-11-04

友達がHDDレコーダーを買った

友人がやっとHDDレコーダーを買った。HDDレコーダーてすごいよ!すごいよ!を連呼している。

えーっと思った。

というのも今年5月ぐらい、友達数人を家に招いて、録画していた番組とかを見ていた時に何気に俺は自分のHDDレコーダーを自慢した。

「ほら、画質もいいし、巻き戻しとかしなくていいし、場所とらないし、最高だよね」

なんて言ったら、そいつは

「全然。VSHで充分だ。こんなのに金払ってバカらしい」

などと言っていたのだ。

何たる手のひら返しだ。

まぁ鬱病だからしょうがないのかも知れないけど。

http://anond.hatelabo.jp/20081104224045

復旧してすぐにうそ臭い長文の「実話」が来るところもね

2008-11-03

友達って・・・

普通損得勘定で、その人と付き合うことに得を感じてるから、友人として付き合ってるんだよね。

この世界には誰も無償の愛をくれる人なんていないよね。

だから僕に誰にも近づかないし、僕は誰にも近づけない。

と、Twitterでfavされる発言もできず、follow返しされた後にremoveされる度に心が痛む僕が書き捨てする。

こわいよう

上司にかわいがられています。

いい意味で怒ってもらえるし、

たまに飲みにつれていってもらったり

小さなバーで悩み聴いてもらったり

生活をネタにして笑ってくれたり

失敗をネタにして笑ってくれたり

恋バナをネタにして笑ってくれたり

性格ネタにして笑ってくれたりする

何人ものありがたい上司がいます。

何人も、わたしはかわいがってもらえている、きっと。たぶん。

いじられるのは嫌いじゃない。

楽だから。

いじられて、酷いですってすねて、笑って、笑われて。

なんて楽なんだろう。

もちろん仕事とは別だよ。仕事はちゃんとするよ。

でも、笑われて、ネタにされて、それで人間関係スムースに行くなら仕事にもプラスでしょって

そう、いじられるのは嫌いじゃないんだよ。

だけど

だけど

いつまでいじってもらえるの?

わたしが若い女じゃなくなったらいじってもらえなくなるの?

わたしがとんまなミスをした時、それが新人の馬鹿って思えないくらいの社歴になったら?

こわい、

こわいよう。

こわいよう。

子供のころからいじめられっこで

彼氏といっしょにいても馬鹿キャラで逃げ続けて

今更、若さを無くして、いじられるような社歴じゃなくなって、どんなふうに

どんなふうにみんなと接するキャラをつくればいいかわかんないよう。

こわくてお菓子ばっか食べていたら、急激に太ってきた。

妊婦かwwとか、最近ちょっと顔丸くね?とか言ってもらえて、

デブキャラになれば逃げられるのかなとか思ったけど

やっぱり見た目が崩れるのも怖いよう。

今更どうやってわたしはキャラ作りを変えればいいのでしょう?

http://anond.hatelabo.jp/20081103094909

意味不明としかいい様がない。

一部の適合を持ってすべての適合とするような、まやかしの議論はやめなさい。

国の基本を支えるは一定の国民の維持であることは、憲法に明記されずとも明白なはず。

己を公教育で育て、守ってくれた国を維持するために子供を育てるのはある意味当たり前の話です。

不思議なことに

社会や国に対して恩義を感じないものほど、社会や国がなくなったらどうしようもない軟弱者であること

が多いのは気のせいか。

さえないグループ交際

電車に乗ってたら、男4人、女2人のグループが乗ってきた。たぶん高校生

ハッキリ言って男も女もさえない。男は光GENJIみたいなかっこしてるし、女は化粧っけが全くなくて、眉毛と爪だけ異様に整えてます、みたいな

でも直視できないくらいキラキラしてた。1日楽しく遊んで、これからどうなるか探りあいながらなんでもないような顔してて。

今日あった全てのことが忘れられない思い出になるんだろうけど、親や友達にはどうってことないって感じで話すんだろうな、とか。

自分が言ったこと、女の子から言われたことを全部持って帰って、家で思い返すんだろうな、とか。

こういう100%童貞処女のカップルに限って、自分は女/男を知ってるってところを見せようとイキがって勢いでやっちゃって妊娠させたりするんだよなぁ。ゴムだけはつけろよ、とか。

たった20分くらいだったけど妄想が止まらなかったwあー若いってすばらしい。

2008-11-02

義母に結婚に反対され、忌み嫌われながら結婚5年目

結婚(と離婚)にはたくさんのエネルギーを要するという話をよく耳にします。私の場合もまさにそうでした。今になって書けるような気がするのと、今になっても納得できない部分もあるのでまこと自分勝手ながらこちらに書いて見ようと思いました。それと、幸いまだ離婚経験せずに済んでいます。

私は嫁と結婚する4年前から交際をしていました。しかし、相手の母親(嫁家は何年も前に離婚していたので)にお会いしたのは結婚する1年前くらいからでした。まずは私一人でご挨拶に伺いました。お爺様、お婆様、お母様と嫁で出迎えてもらいました。本当はお兄様もいるのですが、今は自立、結婚されて実家にはいませんでした。私は皆さんに嫁と真剣に交際をしていること、それと近い将来には結婚したいと考えていることを報告しました。

嫁家ではお爺様が全てを決めるような家で、お爺様の仰ることは絶対のようでした。義母は若かれし頃に某音大を卒業後、嫁のお父様とお見合い結婚、二人の子供に恵まれましたが、性格の不一致(しか理由って無いと思う)で嫁が中学生の頃に離婚しました。その後は実家に戻り、申し訳ないのですが自立してる私から見ると「随分と歳をとったパラサイト」に見えました。実際、働かず(今では孫の顔見たさにパート勤めらしい)、家事せず、みたいな人。

簡単な事情はこれくらいにして、無事に最初のご挨拶を終え、いきなり次は私の両親を連れてくるよう言われました。ここで事前に説明しておかなくてはならないのですが、私の家系はいわゆる被爆者の家系で私は3世になります。それと父は視覚障害者です。被爆関係あるかはわかりません。私は最初のご挨拶の時にそれらを隠さず嫁家の皆様に説明しました。なんとなく、特に義母はそういうのにうるさそうに見えたのと、後でわかるくらいなら今言ったほうがいいだろうと思いました。それと義理の兄の娘さんがどうやら視覚/知的障害を持っていまして、義母は特に気の毒に感じているように見えました。あと、初めての挨拶年収を聞いてくるのは非常識だと言う人もいるとは思いますが、これから結婚するのであれば、収入を聞くのは当たり前だと思いますし、勿論聞かれましたし、給与明細及び源泉徴収表を見せたりはしませんが、大まかに当時の私の年収お話しました。

そういうことでしたので私は帰宅するや否や両親(山口県)に電話して、来てもらうことにしました。一応、それなりに軽くフォーマルな服装でいいよ。初めてのご挨拶だし、まだ結婚のお許しをいただいたわけじゃないから。と説明しました。そして当日、無事に挨拶も済み、私は再度、嫁と結婚したい意志を義母に伝えました。しかし、義母は口を濁し、お爺様もいるせいか何も返事をしてくれませんでした。私は(当時)新大阪まで両親を送っていきました。「まぁ、これからだね」と父に言われて両親は山口へ帰りました。両親を見送った後、帰宅てすぐに嫁家にお礼電話をかけました、するとまたさっきと義母の様子が違い、いきなり「今日結納金くらい持ってくるのかと思ったわ」とか「あんな目暗(メクラって視覚障害者の差別用語)の家になんか嫁に出せるか」とか「人の家に挨拶に来るのにあのラフな格好はなに?非常識な」とか(3番目は私に責任があると思います)耳を疑うような言葉を聞きました。普通なら心でそう思っていても口に出しては言わないと思うような言葉の数々を言われて、正直かなりショックを受けました。私はすぐに両親に電話をして「あのタイミング結納金って渡すもんなん?」って聞いてみたけど「普通じゃない」と言われてさらに困惑。

そんな感じで義母は反対でした。しかし、全ての決定権を持つお爺様はなぜか私との結婚をむしろ「やるなら早くしろ」と。披露宴の費用も負担するとまで言ってました。今も当時もなんとなく甘えるのは気持ちが悪いですが…しかし、当時の経済的な状況を考慮して、無い袖を振るうわけにもいかず、足らない部分を負担していただくことになりました。義母とは会話が成立せず困りました。電話、直接お話しに行ってもお爺様がいるときは無言、いないときは無茶苦茶。前述した通り、お兄様のお子様が障害をもっているということで「絶対に子供は作るな」とか。「DNA検査を受けろ」だとか。(というかDNA検査して異常を検出するような検査は当時も今もまだできないのではないかと思うのですが、義母曰くお兄様とお姉さまも受けられたとか。多分ウソだと思いますけど…)徐々に追い詰められてしまい、とうとう精神科に通うほどになってしまいました。鬱病で寝込んでいるときに私の家のドアを名前を叫びながら叩くだけならず蹴ったり。当時のご近所さんたちは借金取りと思ったと思います。

そんな状況でもなんとか根気強く義母と話し合い、子供は絶対に作らないということを守ってくれるなら結婚を許すというところまで行きました。私は嫁といられるだけでいいのでその時はそれでもいいと思いました。披露宴も近くなり、平日は仕事、週末はホテルで打ち合わせという日々を過ごしていました。お爺様が定期検査のために入院されたと聞かされました。つまり、お爺様が家に不在ということで、義母が早速電話をかけてきました。そしてこういいました「披露宴は中止してほしい」と。理由を聞くと「娘があんたみたいなダメな男と結婚するのに、どうしてわざわざ世間に披露しなくてはならないのか?恥ずかしいじゃないか。」と。そんなこんなでお爺様は大激怒でしたが披露宴キャンセルしました。結構なキャンセル料も私が負担しました。嫁にはひたすら謝りました。楽しそうにドレスを選んだり、食事を選んだり、あの嬉しそうな笑顔を思い出すと涙が止まりませんでした。後日、記念撮影だけしました。嫁は「私はこれで充分だよ」と言ってくれました。間もなく私たちは入籍しました。

私は鬱病がひどくなり、とうとう生活に支障がでるようになりました。悩んだ末、当時の会社退職し、両親のいる山口引越しました。しばらく療養し、今の会社に入り、まだ鬱病ではありますが、まともに生活できるようになりました。ちょうどこの頃、嫁から「そろそろ子供が欲しい」と言われました。私は仕事の都合上長期間家を空けることがあり、慣れない土地で嫁は一人でさびしいのだろうと思ったのですが(また、寂しいからと言って子供を作ることも間違っているとは思いますし)、嫁に「でも、お母さんがなんと言うか」と言いましたが「それでも欲しい」と。しかし、そう都合よく神様は授けてくださるワケもなく、月日が流れていきました。そしてある日、嫁が実家にひとりで帰省中に近所の病院で「おめでたですよ」と念願の子供を授かることができました。黙っておくわけにもいかないので義母に電話して嫁が妊娠したことを伝えました。すると「あんた種無しかと思ってたわ。あははっは」と。ただし「おめでとう」とは言ってくれませんでした。

嫁は2007年12月10日20:35に3,598gのかなり元気な男の子を産んでくれました。立ち会った私は涙が止まりませんでした。当時はがんばってくれた嫁に感動しましたが、まだ子供が自分の子供だという認識責任みたいなのはあまり感じませんでした。義母も出産前日から来ており、初めて世に出てきた和が子を見てこう言いました「指は1,2,3...あるな。うん。」と、しかし、しばらくしてから「おめでとう!」と言ってくれました。

息子の誕生から間もなく1年が経とうとしています。嫁家には2度ほど連れて行きました。お爺様&お婆様は「本当に愛らしい」と大喜び。ご両名が元気とまでは言いませんが、ご存命中に子供を見せることが出来て本当によかったと思っています。

しかし、義母があの時言った言葉の数々(今でも口が悪い)を、私は許せていません。そして一生許すつもりもありません。しかし、どんなに人のいいあるいは悪い両親(片親)であろうとも、言葉が良かろうが悪かろうが、人の家から嫁を貰うということはいつの時代もこういうものであり、皆乗り越えなくてはならないものだと思います。加えて現在の私も義母のことを除けばとても幸せに暮らしています。全てがうまくいく人生も珍しいと思いますし、面白みが無いと思うのと同じだと思います。私が向こうの親に結婚を反対されて、それでも結婚したときにまず思ったのは、嫁も含めて私も幸せになって証明するしか無いと思いました。今でも尖った言葉を義母より沢山頂戴しておりますけど・・・

以上、長い話にお付き合いいただきありがとうございました。また、最後にもし貴方に一生をかけて守りたい人ができて、結婚したいと思ったとき、あるいは今大切な人がいて、その人によく「いつか結婚しような」と言うことがあったり、その「結婚」とはどういうことなのかを考えたくなったときに、あまり参考にはならないとは思うのですが、何かの参考になれば幸いです。加えて皆さんも幸せになることを心よりお祈り申し上げます。

追記

こういうの読むと結婚する気失せるわ

確かにしないほうが無難な場合もあると思います。結果論には激しく同意します。義母が許せなくて大嫌いだけど、なんとかやっていけるてるよということで・・・

結婚エネルギーがいるのは、あなたのようにキチガイ家庭に嫁いだ場合だけね。

あえて書きませんでしたが義母は精神を長らく病んでいたのだ(そして今も)と思い、昔から病院へ行くことを勧めてきましたが、なにより本人がそれを嫌います。まぁ、強制できないことですし、よくあるパターンだと思いますが・・・私が精神科に通っていると言ったときには「やっぱりアンタは基地外やってんね」って言われましたw

まだしてないなら、お祖父さんが亡くなった時点で、同居って言い出すから絶対拒否だよ。  負けるな。  奥さんとお子さんをお姑さんから守れるのは...

ありがとうございます。幸い今は同居しておりません。が、その可能性はひしひしと感じております。お兄様はお子様でいっぱいいっぱいな様子で、恐らくあちらで同居はできないだろうと思います。が、私だけならず嫁も自分の母親ながら同居に耐えられないことはわかりきっていますので、同居は拒否します。今のところ、義母はお爺様が買ってくれたマンションで暮らすと言っています。今は本当にそうなってくれることを祈るだけです。玄関にウ○コですか・・・また大変そうですね・・・

人の家から嫁を貰うということはいつの時代もこういうものであり、皆乗り越えなくてはならないものだと思います。 まったくそうは思わないけど。 そもそも「結婚」という形式にこ...

そうですね。「皆乗り越えなくては」は必ずしも当てはまることではないかもしれませんね。子供もできるまではあまり欲しいとは思っていなかったのも事実です。産まれてから可愛く思えるのにしばらくかかってしまったのは私だけでしょうか。なんというかなかなか実感がわかないというか・・・しかし、経済的援助は勘弁してほしいですね。気持ちが悪いですから・・・

割と良家のようだから、財産目当てでは? 義母が離婚後働かず実家子連れパラサイトでも許されたり、旦那が鬱病抱えているのに嫁が呑気に子供欲しいとか言える辺りも 親の財力あっ...

確かに嫁家は良家だと思います。少なからず私の家と比べたら・・・仰られた通り真剣に縁を切ることも考えたことがありましたが、嫁にとっては親に違いないワケで、そこを無理やり切ることも無いかなと思いました。できることならウチの子供にも会いに来て欲しくは無いです。

それと財産に関してですが、まったく興味ありません。出来ることなら(有価証券やら不動産が多そうなイメージなので)とっとと現金化して、私と関係無いところに生前贈与でもしといて欲しいくらいです。それも私が心配することではないのであまり気にしていませんけど・・・

2008-11-01

日本は侵略国家であったのか」を読む

 田母神俊雄氏の「論文」が問題になっています。原文は↓からDLできます。

http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

親切に英訳までしたようです↓。そのおかげか、さっそく海外でも反響を読んでいます↓↓。

http://www.apa.co.jp/book_report/02.html

http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/7702374.stm

http://www.independent.co.uk/news/world/asia/japan-to-sack-air-force-chief-over-wwii-views-981051.html

http://www.guardian.co.uk/world/2008/oct/31/japan-secondworldwar

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103101475.html

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103100989.html

http://www.nytimes.com/2008/11/01/world/asia/01tokyo.html?_r=1&ref=world&oref=slogin

http://www.thestandard.com.hk/breaking_news_detail.asp?id=8886&icid=4&d_str=20081031

http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297008.html

http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297257.html

http://timesofindia.indiatimes.com/World/Rest_of_World/Japans_air_force_chief_sacked_over_WWII_comments/articleshow/3659583.cms

 ローズベル陰謀論が結構とりあげられています。どれだけ「国益」を損ねているのだろう。やれやれと、日本報道に対するブコメ日記を見てみたら、田母神氏の「論文」の内容に肯定的な人もそれなりにいらっしゃるようです。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081031-00000123-jij-soci

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/politics/update/1031/TKY200810310298.html

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008110102000087.html

 私も別に現代史に詳しいわけではないです(気の向いたときに、中身が増えてきたCiNiiGoogle Scholar、各研究機関の学術リポジトリを漁ってみる程度)。しかし、その限られた知識から見ても、問題の「論文」はその形を為してすらいないと思いました。そこで、現在パラパラと集めている関連文献の整理をかねて、「論文」原文に逐一つっこみをいれてみようと思い、エントリを書いてみることにしました。はてな記法引用した部分は、断りのない限り田母神氏の「論文」からです。原文の全角数字は全て半角に直したことをおことわりしておきます。

 アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。

 駐留を認めることと、「(被害をこうむる方にとっては)侵略(といわれているが田母神氏はそうではないとされる行為)」を認めることは違うでしょう。軍隊に攻めこまれることに了承を与えていたというのは、どのような根拠に基づいているのでしょうか?

 「知られていない」ことを明らかにするのが行論の目的ならば、「新事実」(この場合は具体的な条約の内容や運用)を具体的に提示し、典拠となる史料を明らかにするのが論文の作法です。主張の根拠を示すのは、論文イロハのイです。しかし、残念なことに、この「論文」では全体的に守られていません。関連して、「・・・・・・という人」とありますが、論文で先行研究に言及するときは、注をつけて批判対象を明らかにするルールも守られていません。

 この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本存在する米軍横田基地横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石裏切られるのである。実は蒋介石コミンテルンに動かされていた。1936年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党ゲリラ国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルン目的日本軍国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党中国大陸を支配させることであった。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937年8月15日日本近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻を膺懲し以って南京政府反省促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。

 スターリン毛沢東がそれほど仲が良かったとは知りませんでした。コミンテルンにそれほどの影響力があることも知りませんでした。繰り返しますが、オリジナルな主張には、その土台となる史料の裏づけが必要です(「実は??」と書いているのですから、普通は知らない新しいことなのですよね?)。大事なことなので強調します。「新しいことを主張するためには、根拠を示さなければならない」、これは学問の基本です。

 1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ(誰も知らなかった毛沢東)(ユン・チアン講談社)」、「黄文雄大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け(櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937年7月7日の廬溝橋事件についても、これまで日本中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判最中中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。

 ようやく文献をあげられましたが、刊行年と該当ページも明示するのが一般的な論文ルールですよね。それは百歩譲るとしても、示された著者のなかに査読つき学術雑誌に報告された方が一人もいらっしゃらない。これは信憑性をさらに落とすものではないでしょうか。また、人の発言を引くのであれば、それが掲載された媒体を明示するのもきほんのきですよね。

 張作霖爆殺をコミンテルンの仕業とする説に対しては、特に『マオ』について、中国現代史研究者から根拠に疑義が出されています。

 「関東軍高級参謀河本大作らがこの事件を企画し実行した固い事実を、この程度の「スパイ情報」で覆せるものか」(矢吹晋「書評『マオ―誰も知らなかった毛沢東』」『中国情報源』21世紀中国総研編、蒼蒼社、2006年、225ページ。http://www25.big.jp/~yabuki/2006/mao-rev.pdf)。

 盧溝橋事件についても、「計画」説に対する批判的研究が出ているようです。

 「日本の一部の論者が唱える「中国共産党計画」説と,中国側の唱える「日本軍計画」説がともに誤りであり,盧溝橋事件が日中双方にとって「偶発」的なものであったとする」(加藤陽子「書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、65ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。

 最後に、既にたくさんのつっこみがブコメで入っていますが、みんながやっていることだからといって、行為に対する責任がなくなることはないでしょう。

 我が国は満州朝鮮半島台湾日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932 年1 月には3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。満州人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が2千5百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後日本においては、満州朝鮮

半島平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府日本軍努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。

 「同じように開発」と主張するには、開発の指標を定め、比較する必要があります。共通の比較の基準が示されていません。データもです。内地、満洲、朝鮮台湾、他の植民地宗主国本国、その国の植民地それぞれについて、共通の尺度ではからないと比較にならないのではないでしょうか。それをせずに外形が拡大したと言うだけでは、中国の「共産党政権チベットを・・・・・・」に反論できなくなってしまいます。

 「内地化」も定義を明確にして使うべき用語ですね。

 また、現実にも、「帝国日本植民地支配の歴史には,「外地」を法制的・政治的には明白に異域に置きながら、イデオロギー的には「内地化」を標榜するという,理念現実の「二重性」がその当初からつきまとっていた」(山本有造「植民地統治における「同化主義」の構造」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』83、2000年、70ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48550/1/83_57.pdf)、「「満洲国」の掲げた「五族協和」にしろ「王道楽土」にしろ,関東軍による露骨な軍事支配を隠蔽するイデオロギーという以上の意味を持ちえなくなる」(山室信一「「満洲国」の法と政治―序説」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』68、1991年、150ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48355/1/68_129.pdf)といわれる植民地統治を、「極めて穏健」と評価するにもまた、基準とデータの比較が必要です。

 また、人口の増加は支配の善さを担保しません(チベット・・・・・・)。

 我が国は満州朝鮮半島台湾学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路発電所水道など生活のインフラも数多く残している。また1924年には朝鮮京城帝国大学1928年には台湾台北帝国大学を設立した。日本政府明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6番目、台北帝国大学は7番目に造られた。その後8番目が1931年大阪帝国大学、9番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府大阪名古屋よりも先に朝鮮台湾帝国大学を造っているのだ。また日本政府朝鮮人中国人陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判死刑になった朝鮮出身の洪思翊という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校26期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍中将に栄進した人である。またその1期後輩には金錫源大佐がいる。日中戦争の時、中国大隊長であった。日本兵約1千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石日本陸軍士官学校卒業新潟高田連隊で隊付き教育を受けている。1期後輩で蒋介石の参謀で何応欽もいる。

 前の段落と同様に、「多く」の中身が不明確に過ぎ、検証のしようがありません。また、植民地宗主国の支配の下で「植民地近代」化したのはその通りだと思います(松本武祝「’’朝鮮における「植民地近代」’’に関する近年の研究動向」『アジア経済』43(9)、2002年、31-45ページ。http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Ajia/pdf/2002_09/note.pdf)。私はこの辺り特に勉強不足です。各国の軍制についても同じくよく知らないので飛ばします。

 孫文をはじめ、アジア各地の革命家日本に集まったことは特に新しい論点ではないでしょう。ファン・ボイ・チャウの失望も有名な話ですね(白石昌也「ファン・ボイ・チャウと日本」『東南アジア学会会報』25、1975年、1-3ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004923536)。

 李王朝の最後の殿下である李垠殿下陸軍士官学校の29期の卒業生である。李垠殿下日本に対する人質のような形で10歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府殿下王族として丁重に遇し、殿下学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930年に新居を建設した。現在赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀殿下弟君である溥傑殿下のもとに嫁がれたのは、日本華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。

 旧領主の家系の存続という意味であれば、インドの藩王たちも手厚く身分を保証されていましたね。ベトナムバオ・ダイフランスグランゼコール教育を受けていましたね(英国人とインド人の婚姻には宗教問題がありますし、バオ・ダイ渡仏時のフランス共和制だから王室はないですし、この段落については適切な比較が可能な問題設定なのか疑問です。個人的にはそもそも宗主国の王室を嫁がせることが恩恵という考え方がどうなんだろうと思います)。

 これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本満州朝鮮台湾に対する思い入れは、列強植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリス士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダフランスアメリカなどの国々でも同じことである。一方日本は第2次大戦前から5族協和を唱え、大和朝鮮、漢、満州蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1次大戦後のパリ講和会議において、日本人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスアメリカから一笑に付されたのである。現在世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。

 ロイヤルファミリー婚姻の件で共和制アメリカを並べているのは不適切でしょう。既に述べましたがフランスも時代によって共和制です。

 エルフィンストーンカレッジ(1856年設立、現在ムンバイ大に)、カルカッタ大学マドラス大学(1857年設立)というように、大英帝国植民地支配の拠点に大学その他の教育機関を設立していますね。

http://en.wikipedia.org/wiki/Elphinstone_College

http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Calcutta

http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Madras

 「五族協和」が実態をともなわなかったことについては、前掲山本論文および山室論文を参照。

 人種差別撤廃についてはよい提案をしたということに同意いたします。ただし、繰り返しますが、現実施策がともなわなかったことについては残念です。

 時間は遡るが、清国は1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ1901 年に我が国を含む11ヵ国との間で義和団最終議定書を締結した。その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2600名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦東京大学出版会) 」。また1915 年には袁世凱政府との4ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21箇条の要求について合意した。これを日本中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4 年後の1919年パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人昭和編( 渡部昇一祥伝社)」。また我が国は蒋介石国民党

との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901年から置かれることになった北京日本軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦東京大学出版会) 」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。

 今回は表現からつっこんでみます。「完全に承諾」というように形容詞修飾をするときには、それが表す具体的な内容を補足して、互いの印象の差を埋める努力をすべきというのが、私の受けた指導です。どうしたら「完全に承諾」したことになるのでしょうか。一番肝心な相手に過大な要求をつきつけ、排日運動を燃えあがらせて宥和に失敗したのは外交の失敗であり、恨み言をつぶやいてもごまかすことはできません。

 日中戦争については、派兵前の人員の少なさを根拠に「形の上でも侵略にはほど遠い」と主張するのは無理筋にみえます。

(再々追記)また字数超過?で切れたので、つづきへ (さらに追記)補足エントリをTBしました。 (また追記)補遺エントリをTBしました(11/5)。

http://anond.hatelabo.jp/20081101050330

言語しかわからない日本人は結構こういう考え方の人多いよな。

まぁ、学校の教え方がそもそもおかしいからしょうがないんだが。

私的な結論から言うと、この増田英語が「できる」ようにはならない。

ハリーポッターライ麦程度の小説すら理解できない程度にしかならない。

先ず最初に問いたいのは、「お前日本語覚えるとき漢字の形から覚えたのか?」ってこと。

例えば、「日記」って単語を丸暗記してるやつなんていないだろ。

普通に考えてすぐわからないかそういうの・・・

こうやって他言語の構成や成り立ちがわからない/考えない人が幾らやっても他言語の習得は難しい。

書物は章から、章はパラグラフから、パラグラフは文から、文は語から、じゃあ語は何からなんだ?

この増田はこの謎が解けても次はきっと文型とか覚え始める。。。。ってちゃんと読まずに書いたら本当にそう思ってるみたいで笑った。

五文型の意味と前置詞くらいかな、気をつけるのって


この増田じゃ多分、英語の文章を「きちんと」理解できるのはせいぜい4割以下だと思う。

文章中にセミコロンが出てきたら読めなくなるんだろうね。

というか英語だけの問題じゃなくて、こういう結論に達する時点で何かを「本当に」習得することがこの増田には無理。

俺はFランどころか大学すら行ってない。

英語なんて高校卒業まで毎回赤点とってた。

willとbe going toの違いすらしらなかったよ。

だけどその後19から始めて21で小説程度は日本語と同じぐらいの速度で理解できるぐらいまでにはなったよ。

気づいたら海外本業、片手間で翻訳副業とかまでしてる。

何が言いたいかって、別に特別俺が出来るわけじゃないってこと。

その「なんとなくわかる」レベルから脱したいなら、周囲の言葉に惑わされてばっかいないで自分で一からやり直せ。

この増田無駄な基礎や吹聴で固められすぎていて、情報の真偽関係なく知人が言った言葉だけを鵜呑みにしている。

情報を自分の脳みその中で判断する技術を先ず身につけ、全てを一度削ぎ落とさない事には、きっとこの先には進めない。

俺にしてみれば、この増田は決して英語「が」出来ないわけじゃない。

不倫

「嫁に浮気がばれて家を追い出された(T_T)今からそっち行く」

って突然メールが来たwww

あーあww私達の関係オワタなwww

とりあえず「こっちくんな」って送っといた

今すごい動揺してる。

彼は奥さんに、「離婚だあああ!!」と泣き叫びながら包丁を突きつけられたそうだ。

そりゃそーだ。3人目の子供が生まれた日に、20の小娘に中田氏しまくってたんだぜ?

最低な男だ。そしてそんな男に本気で惚れきって、若さ武器にたぶらかしてる女はもっと最低だな。

それにしても奥さんが不憫でならない。何も悪いことしてないのに。

私と同じか、それ以上に彼を愛してたのに。亭主関白な彼のために尽くしてたのに。

毎日おいしい料理を用意して、毎日きれいに掃除洗濯して、3人の子供の面倒も見て、彼の身の回りの世話もなにからなにまでしてあげてたのに。

何故か不審な出張が続いて、すごく不安だっただろうなあ。

浮気じゃないだろうか、いや疑うなんて彼に悪い、きっと私達のために一生懸命仕事してくれてるはず」とか思いながら、

そんな疑念を振り払うために家事に没頭したり。全くの想像ですけど。

包丁の向けられた先は彼ではなく、彼の中の私だったんだろう。

今は私を憎んでるというよりは、生理的な気持ちの悪さを感じてるんじゃないだろうか。ゴキブリに対する嫌悪感と同じ種類の。いや別に私が自分をゴキブリ以下の存在だと卑下したい訳じゃないんだけど。いやしたいけど。でもなぁんの意味もないよねぇー。

ひょっとしたら幽霊に近い恐怖かも知れないね。なんでバレたのかは知らんがメールでも見られたんじゃないの。あーだとしたら私の顔も見られてるかも。まあそれはともかく、彼女には限られた情報しか渡ってない訳で、彼女にとって私はすごく得体の知れない存在のはずだよね。うわあ怖い。気持ち悪い。誰だお前は!?ってふつーは思う。

3人のお子さんも、両親のただならぬ雰囲気を察して怯えてるだろう。今日土曜日だしね。包丁見ちゃったら確実にトラウマだよね。大きい子は中学生だから、なにがあったのか感づいてるかも。

4人の家族はなんにも悪いことしてないのに。あまりにも可哀想すぎるよね。

彼も彼で奥さんに小さな不満はあったんだろうが、まーこれはちょっとひどすぎるね。とにかく今の私には、彼が反省して私と別れ、家族を本当に愛してくれるよう祈るしかない。

じゃあ私の話をしよう。お前らこっからが本番だぞぉー。

上の話は罪滅ぼしのつもりかなんかだよね。こんな話をしたところで許される訳でもなんでもないのに、ていうか私は言い訳をしたいだけなんでしょ?

増田懺悔したらなんかいいことでもあると思ってるの?叩かれるだけですけどwwまあでも私ドMだからねー。叩かれたいのかもしれないね。

私は未成年のうちに飲酒喫煙をしたことがない。信号無視は出来ない。当然万引きチャリパクったりとか出来る訳もないwww

校則違反も出来ませんでした。とにかく、世間の規則を破ったりタブーを侵したりして、非難されるのがすごく怖い。「悪いこと」が殆ど出来ない。

だからと言ってそれらの「悪いこと」が平気で出来る人を嫌ったりとかはなくて、むしろへーすごーいうらやましーいって感じ。

そんな頭の固い人間不倫って超予想外。そもそも私には長年付き合ってる彼氏がいて、一生そいつだけを愛して生きるんだと思ってた。

あとね、私は、人を非難することが出来ない。どんなことをされても、申し訳なさそうな顔で「ごめん」と言われたら、許さざるを得ない。

そんな感じで当時の彼氏に私は使われていた。いや、彼は悪いやつじゃあないんだぜ。でも無意識に私を頼って、使って、振り回してたんだよね。私がにこにこ笑って、なんの文句も言わないから。

私の不満は溜まっていったよ。それでも文句は言わなかった。最初はよく言ってたんだけど、彼も彼でちょっと頭が悪くて、私の指摘を理解することが出来なかった。数年後に「あの時言ってたことが今分かったよ!あの時はごめん!」とか言われたりするんですが、まあその頃は私がちょっとやんわり文句を言うだけでもすぐキレられてたので、私はぜーんぶ妥協することにした。それがいつしか習慣になり、自然にドMに調教されていったりとか。

まあでも不満は募るわけ。ごくごくたまーに人に愚痴ると「その扱いはねーよwwwやばいから今すぐ別れろ」とみんな口を揃えて言いました。私もこれはやべえと思ってたけどでも、彼とこれからもこのまま付き合ってれば、「次の人」を探す必要がないじゃない。とにかく自己評価が低いので、私を愛せる人間は彼以外いる訳ねーよと思っておりました。

そしてこの不倫男ね。この人は私の一回り以上年上。個性才能を強烈に持った人で、ずっと私の憧れでした。ストーリーを作ったり絵を描いたり、まあヲタ業界なんですが。でも家庭があることも知ってたし、私にとっては手の届かない、雲の上のような存在でした。

で、あるとき「今度作る話の登場人物モデルにしたい。君の事色々教えてよ」と言われ、私歓喜。憧れのあの人とお近づきになれる!!でもねーそもそも私は、ヲタ丸出しで友達もロクに作れなかったし、自分のことを誰かに話すことが全然出来ない子だったんだよ。精神科医にも言えなかったんだぜ?お前病院通う意味ねーだろっていうwwww

うんメンヘラだよ。でもなんだかんだ言ってみんな夜寝るの苦手なんだろ?仲間なんだろ?え違うの?まあいいや。

とにかくね、普段全然人と話すの苦手な癖に、多分誰かに自分を知って欲しいって気持ちは強くて、このときは「いいシナリオを書くためだから!」という大義名分脳内で繰り返し、とても饒舌に自分の生い立ちを話したのだよね。親について、友達について、学校について、彼氏について。

まあなんかそしたら自分自身でもなんか自分を見つめなおしてしまい、話しただけなのになんか色々自分のことについて気づいたりしたんだよね。なんという名カウンセラーwww

そして彼は私の必死ぶりを見て「こいつ確実に俺に惚れてるじゃねーかwww」と気づく。憧れだけど実際はかなり前から惚れてたんだね。でも私には彼氏もいたし不倫なんぞしてたまるかwwっていうのもあったし、好きとかじゃないから!違うから!と無意識自己暗示をかけ続けていたのであった。

しかしその後、私は彼の誘いにホイホイついていって、寝た。ちんこでかかった。「そんな冷たい彼氏より俺の方がいいだろ」とか言われて、まあ一夜限りの関係だしwwセックス中だしwwとか思って「うん(*'ω`*)」って言ったらいつの間にか恋人だということになっていた。おいおい待てそれはまずいだろ、ていうか恋人ww愛人の間違いだからwwって思っても、だって私優柔不断だしかなり好きだったし!言えなかった!それに据え膳食わぬは恥って言うじゃん?だめ?どう見てもテラビッチですよねーwww

まあなんかメンヘラ女にありがちだよね。こういう人間

それでね、気がついたらお互い本気で恋愛になっていた。私は長年付き合った彼を捨てた。これは未だに正しかったのかよく分からない。

ピル飲んでたので、度々お泊りして中田氏し放題。でもね、男性諸君、ピル飲んでる子とするときも出来ればゴムつけたほうがいいよ。性病も怖いし、ピル飲み忘れてたらどうしようとか、どうしようもなく怖くなるから。彼がどう思ってたかは知らんが、私はおmんkから垂れる精液を見る度にどうしようもなく恐ろしくなった。

それでも彼に頭を撫でられたり、腕枕してもらうのがたまらなく好きだった。

私、多分大人にあんま褒められてこなくて、叱られてばっかりだったんだと思うんだよね。親の愛に恵まれなかった子よりはマシなんだけど、だから年上の人に褒められたり愛されたくなって、憧れを持っちゃうんだと思う。中学生のとき、先生に変に憧れを持ったりしたけど、それもそういうことだったような。今思うとねー。

もうコンプレックスを埋めるためだから、必死。べったべたに甘えてた。彼が引くぐらい。でもそんな私をますます可愛がってくれて、嬉しくて仕方なかったなあ。

でも、彼は私と会うとき以外はずっと指輪を身につけていた。たまに指輪を外し忘れてて、その左手を見る度に私はそのまま線路に飛び込みたくなった。

まあなんかそんな感じで、愛されるのが嬉しくてたまらない反面、尋常でない罪悪感に苦しめられることとなった。

そして今日ね。そうかあ。別れるんだなあ。突然で心の準備出来てないよ。

でも、いつこうなってもおかしくなかったんだよね。

本気で愛しちゃってたなあ。辛いねえ。

でも奥さんはもっと辛いんだよねー。

私は心底私に死んで欲しいが、本当に死ぬと奥さんを傷つけてしまうことになるよね。だから出来ない。

奥さんには幸せになって欲しい。

私には地獄に堕ちて欲しい。

地獄っていうのは罪人のためにあるんだろうな、多分。死後の永遠の苦しみが手に入れば、罪が軽くなったような錯覚を受けることが出来る。

それにしても私ってば、なんという喪女ビッチメンヘラ女≒ヤンデレwww

全く、明日からどうやって生きよう。

なんかなんにもないって感じー。

それにしても、こうやって書き出すだけでも気分がスッキリするもんなんだね。日記てすごい。

かしこれはひどい長文。キモい

http://anond.hatelabo.jp/20081101035539

別にさ、努力に関して他人との比較なんてしなくていいじゃないか。

昨日の自分より何か一つできるようになってればさ。ゆっくりでいいじゃん。10年かければいいじゃん。

外国語がしゃべりたいなら習いに行きなよ。そんで毎日復習して着実に身につけなよ。

もっと入学が難しい大学行きたいなら予備校行きなよ。社会人なら社会人でも行けるようなさ。そんで毎日復習。

家で勉強できないならできるところを探す。ファミレスとか喫茶店とかさ。

もっとスポーツできるようになりたいなら格闘技でも習ってみるとかジムに通ってみるとか。

やることは何でもいいんだよ。言いたいのは、君は今からでも何でもできるようになれるはずなんだ。自分のペースさえつかめればさ。

他人と比較して劣等感にかられることなんて何もないよ。

昨日の自分よりできることが一つ増えてた時、きっと気持ちよさを感じるよ。今の憂鬱なんてすぐ忘れるよ。

http://anond.hatelabo.jp/20081031220936

規模が小さすぎてすごいというほどのものじゃないと思うが。

数兆円の財政出動、0.2%の利下げがすごいなら他の国や過去日本ははもっとすごかっただろうに。財政のほうは数十兆規模でやるべきだし、金融量的緩和再開して前回の日銀当座預金より多く積み上げておくほうがいい。

2008-10-31

http://anond.hatelabo.jp/20081031220936

まず、27兆円な。どうでもいいけど。

認識違うが小泉竹中の改革でガタガタになったのは地方じゃなくて既存の社会体系のなかで生産寄与してこなかった層な。

もっというとグローバリゼーションの流れのなかで構造的な硬直があるままだともっとひどいことになっている。

なにもしなかったらもっとガタガタになっていた層だ。

助かりたければもっとやるべきだと思うよ構造改革とかいうやつは。

あと、今回程度のヘリコプターマネー事実マネーサプライに影響を及ぼすかは微妙

インフレベストな選択ではないが有用だとおもう。が、正直2兆円じゃまるで足りない。

東証一部だけで300兆円がなくなっている。

2兆円なんかじゃまるで足りないのだ。

事実0.2%程度の利下げをマーケットは評価していない。

麻生の2兆円などは評価の土台にすらあがっていない。

麻生太郎経済対策とかいってすご過ぎてスルーしちゃったよ。

まずこれを見て欲しい。

リーマン・ブラザーズ証券(株)[東京] 証券負債総額約 3兆 4314億 円

リーマン・ブラザーズコマーシャルモーゲージ(株)[東京] 貸金業 負債総額約 3844億 円

リーマンブラザーズが日本で放り出した負債総額の半分ですね!

今回の株価の下落は企業価値の下落につながり、

つまり企業会計価値を根源から揺さぶったものになった。

これが意味するものは人が労働によって得られるとおもっていた人的資本の毀損だ。

想定されていた生涯年収がこれを契機にがらりと変わる。

当面にわたって人は労働力を売ってもたいして金にならないという絶望的な未来をしめしている。

GDPの成長率の下落という出口のみえない長く暗いトンネルが目の前に登場したのだ。

3年で回復するという発言はポジショントークもいいところだ。

日経1万ぐらいの時はたしかにそれくらいのダメージだったが、これは切り傷だ。

深く大きく切り付けられればそもそも回復できるかという問題になる。

その労働価値が下落しようってときにマネーだけ増えたらとんでもないことになる。

教科書通りのスタグフレーションだ。

今回のサブプライム問題が金融危機にまで発展したのはアメリカ議会が決定的なミスを犯したから。

日本はさらにそこにミスを重ねようとしている。

流動性法律規制しようとしているのだ。

経済政治家に介入させるな。

政治的な理由で商売をつぶすな。

民主自民ダメ。他の政党ももちろん。

政治や政策でなんとかなると思わないほうがいい。

何百兆円という額で赤字国債を切ったところで決定策にはなりえない。

むしろ何もするな。

政治に求めるのはリーダーシップであり、成長するために民衆が何をするかを示すことである。

会社が大赤字を出したときに、寸志を出す社長は、太っ腹かもしれないがただのバカだ。

ビジョンを示せ。

やることを示せ。

みんながあこがれるような未来を描け。

お金が必要なんじゃない。

われわれには希望が持てる明日が必要なんだ!

ご清聴ありがとうー!!

わーわーわ

・・・っていう夢を見た。

まずは麻生太郎(68)はまず髪を染めるのをやめるのがいいとおもうなり。

小沢一郎は66歳。

日本は老人に未来をたくしすぎだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20081031222722

タイトルリンクを張った増田さんのコメントは、「君」という言葉コメントに出てくることから、書き手が元増田の私一人を相手に書いているように推測されるので、返答してみます。

http://anond.hatelabo.jp/20081031114504

http://anond.hatelabo.jp/20081031121513

http://anond.hatelabo.jp/20081031160755

以上を書いた元増田です。とりあえず、今の学年を言っておくと修士2年です。

他の専攻の内容知らないし、勉強しなかったの反省しているから、他分野の専攻の人の感情を害さないように気をつけて発言しているつもりなのですが・・・

結論から言うと、俺は物理をはじめ、他専攻を舐めていないし、むしろ、知らないから怖がってすらいます。

私が物理についてコメントしたのは、

情報科学は、物理以上に数学が必要な分野だと思う。

物理化学なら、数学ダメでも実験おもしろい成果が出せることもある。

これだけだと思います。

これは、理系全般に話を持っていこうとした人がいたので、「数学をどれぐらい使うかは専攻や研究室によって違うから、勝手理系全般に話を広げないでくれ」っていう背景で書きました。

別に、「情報数学使うけど、物理化学実験で成果が出るから数学使わなくていいなぁ」って言っているわけじゃなかったのですが、もう一回読み直してみましたが、どう見ても、そう読めますね。

ただ、物理化学をはじめ、どの分野でも、科学である以上、「数学をそこまで使わなくても実験結果がおもしろければ評価される研究がある」ことは事実だと思います。

物理化学なら、数学ダメでも実験おもしろい成果が出せることもある。

これは、何がいいたかったのかというと、「数学が全てってわけじゃないよね。実験やっている人は実験やっている人で、毎日深夜まで残って大変だよね」というように、実験やっている人に配慮したつもりだったのですが、今見ると、どう見てもそうは読めませんね。すみません。

数値解析も確率過程も物理で使いまくる(というか物理ルーツとさえ言える)し、情報幾何で出てくる幾何学の知識なんてたとえば一般相対論を学ぶのに必要な知識に比べたらたかが知れてるんだけど。

数値解析や確率過程を物理で使わない、と発言した覚えはありません。

情報幾何で出てくる幾何学の知識が、一般相対論を学ぶのに必要な知識に比べたらたかが知れている」

というのは、情報幾何も一般相対論もやったことがないので知りませんでした。

たとえば君、ホモロジー論わかる?ガロア理論わかる?関数解析わかる?この辺は数学科の3年後期レベルだけど、たぶん勉強したことないんじゃないの?

端的に言えば、あなたから見れば、「何もやっていないに等しい」ということだと思います。

一応、群の定義ぐらいはわかります。ホモロジーはやったことありません。

関数解析は、授業は一応聞いていましたが、理解してないし切ってしまったので、問題が解ける気がしません。

プラス物理生物化学やなどが必要になってくるけど,基本的に数学科並みに数学が必要。情報科学って一応応用数学だからね。

これを発言したのは私ではありません。

あんまり「俺は偉い」みたいなこと言わない方がいい。第一線の研究者学問の垣根なんて平気で踏み越えていくらでも勉強してる。はっきり言って君は並の量しか勉強してないし、それで「俺は数学科並に数学ができる」なんて言ったら馬鹿にされるだけだよ。

俺自身、学部時代は専門以外の時間数学ばかり勉強してたから、その辺は一応忠告しておくけど。

「俺は偉い」とか、「数学科並に数学ができる」なんて思ったことも言ったこともありません。

むしろ、「僕は数学ができない」と回りに言いまくってます。最初の書き込みを見ていただければ、「数学ができる人はいいなぁ、自分は数学ができなくて損をしているなぁ」というニュアンスで発言しているのが分かっていただけると思います。「君は並の量しか勉強してないし」は、そうだと思います。

自分は、数学勉強しても演習問題が解けない人です。

どの本にも、大抵、理解したかどうかをチェックするために、演習問題がついていますよね。あれが、解けないんです。

言っていることはわかるし、解答を見れば理解した気にはなれるのですが、演習問題が解けないんです。

「解けないってことは、本当に理解していないのだ」といわれてしまったら、それは、その通りだと思います。

結局、最終的に自分の専門にどう生かせるのかが、問題に出会った時に思い浮かばないと、学ぶ意味がないですよね。

学部のうちは、「この知識は、本当に将来使うのか?」ということに拘って知識を取捨選別してしまいました。

授業もそうやって選んでいたわけですし。当時は、なんとなく、「将来、時間があって必要なときに覚えればいい」みたいに思っていたのです。

実際に修士になってみて、激しく後悔しました。本当に専門以外のことを勉強する余裕がない。数学は、演習問題ぐらい解けるようにならないと、理解したことにはならないし、自分の専門にも応用できなくて勉強した甲斐がなくなってしまうのに、演習問題を解く時間がない。

学部のうちは、専門以外の勉強をちゃんとやっておくべきだったのだなぁ、と思っています。

http://anond.hatelabo.jp/20081030053311

↓これ?

やる夫ブログ やらない夫が催眠術を覚えたようです

http://yaruomatome.blog10.fc2.com/blog-entry-540.html

声優が「仕事だから仕方ないけど、この台詞キモいなー。てか現実にこんな女いねーよw」とか思いながらアニメゲームキャラに声を当ててるの想像しちゃう

どんなに甘い台詞を言っていても「これは作り物なんだ。現実にはこんな子はいないし、いたとしても俺がこの子に出会えることはないんだ」っていう現実が見えてきちゃう

ってこと?

文章まとまってなくてすまんね。

麻生経済対策のすごさが分かってない奴が多すぎな件について

麻生首相が総額27兆円の追加経済対策を打ち出した。目玉は2兆円かけて行う給付金だ。4人家族なら、1世帯で6万円。さっそく「選挙目当てのバラマキだ」「効果が疑問」みたいな批判が巻き起こってる。でも、この政策、ほんとは結構理にかなったまっとうな政策なのだ。

日本経済の何がヤバイのか

サブプライム問題がきっかけとなった金融危機がヤバさの全てみたいに思われているけど、日本経済にはバブル崩壊以降ずっと悩まされてる問題がある。それはデフレだ。失われた10年と呼ばれた90年代以降、物価は下落傾向にある。物価が下落すると、まず物の生産者でもあるサラリーマン給料も下がる。加えて、企業債務も増えてしまうことになるから(債務は同じ1億円でも、1億円の持つ価値自体が上がってしまう)、経済活動はますます落ち込んでいく。これが本当のヤバイ所だ。

小泉・竹中構造改革まやかし

小泉・竹中は不況の原因はリストラが足りないからだと言って、"構造改革”を進めた。でも、これは全くの逆効果で、銀行企業にますます金を貸さなくなった。デフレというのは、供給に比べて需要が不足しているっていう現象だ。需要不足を解決するのが処方箋のはずなのに、いくら供給側を改革しても仕方がない。おかげで、とりわけ地方の経済はガタガタになってしまった。

必要なのは、マネーの量を増やすこと

それでも、小泉・竹中時代に景気が回復したじゃないかと反論する人がいるかもしれない。でも、それは"構造改革”のおかげじゃない。日銀マネーの量を増やしたことで、長期金利が下がって円安になったため、企業の輸出が好調になったというのが真相だ。長期金利が下がると、日本国債持ってるよりもアメリカ国債の方がいいってことになって、円を売ってドルを買う流れができる。こんなに金利が低いとこれ以上金利を下げられないから金融政策は意味がないというのは大きな間違いで、マネーの量を増やせば長期金利は下がる。そして、長期金利が下がれば、円安を誘導するだけじゃなくて、企業も金を借りて設備投資を活発にしようと思うようになる。

ノーベル賞経済学者FRB議長も認める政策

マネーの量を増やすっていうことについて、この2日間で大きな動きがあった。1つは、麻生発表した2兆円の給付金制度。もう1つは、日銀金利引き下げだ。金利を下げるためには、日銀は大量にマネー市場放出しないといけない。そして、このような政策を一番強く主張していたのは、FRB議長のベン・バーナンキ。「デフレ克服には、ヘリコプターから金をばらまけばいい」という例え話を使うことから、ヘリコプター・ベンとも呼ばれる。そして、もう1人が、今年のノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンクルーグマンは、何年も前から、日本財政政策をもっと拡大し、それに合わせて日銀マネーを増やすべきだと主張していた。こんな感じで、麻生の政策は、アメリカ経済学大御所も認めている極めて考えつくされた政策で、決して選挙目当てのバラマキなどではないのだ。

麻生政策で日本経済はきっと復活する

構造改革熱に浮かされ、今また政権交代煽りたい日本マスコミは、このことを決して紹介しない。でも、何年か経ち、日本経済はかつての輝きを取り戻した時には、昔麻生経済政策てすごかったんだ、と評価される日がきっとくるはずだと信じてる。

追記:27億円と書いてたが、27兆円の間違いなので修正。指摘に感謝

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