振返れば、2000年代前半くらいまでは、高校生のバイク禁止の時代なので若者は鉄道趣味やサブカルなどで無軌道さを競い合った。高校や大学を卒業して社会人になればみんなにわか者から本物の「オタク」になり、もっとあか抜けた。当時はいまのようなバイク乗りの高校生みたいなものもなかったと思う。
それがだんだん車社会に適応するように強いられ、気づけば高校生のバイクのりが許される環境ができあがり、それをすべて適応してしまう人が増えた。合理的な理由も、自己選択の余地もなく、2010年代になれば、持つ層になれば、年長者になればと環境変化に基づいて装備を切り替えていく。
もっと不気味なのは全体としての車社会人口が減少しているということ。車嫌いは以外にも地方の中高年のほうが多いし、事実30代以上の中には車嫌いの影響で鉄道好きになる者もある。で、若者の免許・車両取得者が増加しているのだ。今では大都会の道路でも無軌道者でないのに若者がバイクに乗る。
普通に考えて、車社会や車やバイクの洪水ってあんまり楽しい社会ではないよね。外国人は車社会に限界を感じて鉄道社会にあこがれている。で、日本は1980年代の公害や車社会化の失敗で車社会を一回捨てたはずだった。
それか戦争中の国家を連想するんだよな。非常にうざったいイメージ。鉄道ファンと言うだけで後ろから指差されて侮辱される。たまに鉄道ファンと言うだけで悪者扱いされるパターンもある。昔の韓国や台湾やロシアがそうだったんだけど、正直言って不気味さがあるよね。
日本の「今更な」車社会化やっぱこれ、世界の右傾化あるいは日本の左傾化が原因じゃないかと思う。今の二代目大日本帝国としての日本の起点にあるGHQは、例えば差別や変わり者嫌いの激しかった連合国のお堅い人達が、植民地政策の劣化コピーの猿真似で日本社会を全否定して近代化を進めた歴史がある。なので本来なら非合理や不公正なこともまかり通った。
なので韓国的な非寛容社会が社会構造の中で仕組化され、それが問題であることにさえ気づきづらくされてしまう。欧米において時代遅れだった前時代的な交通スタイルである「車社会」が何十年も遅れて猛威を振るっている。つまり、つきつめると若造が皆免許取得に走り、日本人が車嫌いを差別する原因はGHQ統治での失敗にあるということではないか?
GHQの統治の失敗に対する怒りの感情に基づく行動パターンと照らし合わせれば、暴走族と不良の直結(日本以外では有り得なかった事)やギャル・キモヲタのヤンキー化は腑に落ちる。そしてGHQ残滓が源流の社会が戦後一貫して最右翼で今もその地位にあり、欧米化ぶれする日本人や、右翼になびく日本人が批判にさらされていることの象徴の一つが、文教利権をめぐる一連の問題だ。
その思想集団に推奨される「人民教育」とは、「常識に反発する」ことを徹底的に去勢するようなものだ。差別や偏見の奨励で車嫌いの居場所を大都会ですら奪い、自己決定権を奪い続け、若いうちに使う使わない問わずに免許を取り、欧米目線の思想を呑み込ませたり、疑うことの醜さを洗脳されるものだ