生むというのはすなわち発生させることで性行為を行うことと解釈してもらってかまわない。
なぜ非倫理的かというと、生まれてくる子供の幸せに責任を持たれることがなく、また幸せになる保証もないからである。
人がどのような思想を抱くか、なにをもって幸せとするか、幸せに生きることができるかは育ち方に大きく依存する。それは人の独立までの間に大きな影響を及ぼす親に大きな役割があることは言うまでもない。世間ではその意味で親に「責任」があると思われている。しかし、親がその役割を果たせなかった場合に生ずる「責任」はほとんど問われない。したがってこの役割は責任をもって為されるものではない。子育てに責任が問われることがない以上、これは無責任な行為である。
かりに子育てが責任をもって為される行為だとしても、子が必ず幸せに育つということはありえない。親が切腹しても子は幸せを手にするわけではない。しばしば人の不幸の原因をその人自身に向けて責める者がいるがそれは違うのだ。人が間違った道に足を踏み入れるまでにはそれなりの過程というものがあるのだから。
実は「年収600万稼いで経済的に自立しなければ自由はない。そのために努力しろ」っていうのは勝間和代が女性に向けて言ったことなんだよね
男はこういう選択肢を取るしかない。ある程度年収がないと結婚できないからな男は。
でも女の人は結婚して子供産んで主婦的な生き方も選べるんだよな。
そういう選択を人生の早い時期にしないといけないのは辛いかもな
http://anond.hatelabo.jp/20150822195018
ここでこれについて書いた
確かに、そういう生き方にとらわれるのは辛いかもしれないけど、とらわれず年収が少ないとそれはそれで辛いからな。。。
どうしようもないなー。
指揮者の指摘がまわってこない時
人の頭にチンコ乗っけてなにいってんの?
面白い面白くないっつーかBBAがのさばって権力誇示してるコミュニティはもれなくクソ
BBAがつるんで面白くないこと言ってきゃっきゃうふふしてる時点で
2次でも3次でも
男の人生は競争して年収を多く稼ぐ。そしてたくさん稼げた人は結婚して妻を養い子供を作ることができ幸せになれる。しかしその競争は厳しい。
女の人はバリバリ働かず、普通に結婚して主婦になるコース。バリバリ男並みに働いてたくさん稼ぎ自立的に生きられるが、子供が産みにくくなったり、結婚できなくなったりしやすいコース。それらのコースを男と違って人生の最初のほうで選択しなくてはならず、辛いと思う。中途半端に選択を先送りすると、女の価値が年齢増加により下がったり、男との競争に敗れたりする。実際最初のほうで選べる人はなかなか居ないので、そういう人が多かったりする。
下衆な喩えをすると、食べ物においても「賞味期限間近だけど食べられるし安いから買う」というのはある訳で。
生物学的な変化と他のファクターを併せて考慮した上で出産時期を遅らせるのもそういう現実的な判断じゃないの?なぜ出産に関しては「若ければ万事OK!」になるの?