生むというのはすなわち発生させることで性行為を行うことと解釈してもらってかまわない。
なぜ非倫理的かというと、生まれてくる子供の幸せに責任を持たれることがなく、また幸せになる保証もないからである。
人がどのような思想を抱くか、なにをもって幸せとするか、幸せに生きることができるかは育ち方に大きく依存する。それは人の独立までの間に大きな影響を及ぼす親に大きな役割があることは言うまでもない。世間ではその意味で親に「責任」があると思われている。しかし、親がその役割を果たせなかった場合に生ずる「責任」はほとんど問われない。したがってこの役割は責任をもって為されるものではない。子育てに責任が問われることがない以上、これは無責任な行為である。
かりに子育てが責任をもって為される行為だとしても、子が必ず幸せに育つということはありえない。親が切腹しても子は幸せを手にするわけではない。しばしば人の不幸の原因をその人自身に向けて責める者がいるがそれは違うのだ。人が間違った道に足を踏み入れるまでにはそれなりの過程というものがあるのだから。