はてなキーワード: 紗耶香とは
「おいおい、なんだこの厨二病タイトルは?w」などと思われたかもしれないが、どうか少しだけ話を聞いて欲しい。
先日、母に「おまえは人の気持ちが分からないんじゃないか?」と聞かれた。何かきっかけがあったような気がするが、残念ながらよく覚えていない。本当の友達はいないんじゃないかとかそんなことを言われた気がする。
それを聞いた時、確かにその通りかもしれないと思った。いやに他人事めいた言い方に聞こえたかもしれないが、実際かなり他人事のように感じている自分がいた。
昨日ちょうど村田紗耶香さんの「コンビニ人間」を買って読み始めたが、概ねあの主人公に近い感じなのだろうと思う。(酷い思い上がりかもしれないが……)
思えば、私は人を理解するときに「標準人間モデル」を組んでいたように思える。簡単に言うと「人は普通こうされたらこう感じる」というのを、外部から得た情報を元に組み立て(これが標準人間モデル)それを元に他者を”理解”していた。家族が亡くなれば「普通は」悲しい。友達にいいことがあれば「普通は」嬉しい。
きっとこれは「人の気持ちを理解」しているわけではないのだろうと、今ならなんとなくわかる。実際、このことを今お世話になっているカウンセラーの方に伝えたら「それは人心の理解ではないですね……」といったようなことを言われた。
多分、この手法は人を過度に物語化しすぎている。昔から本や漫画が好きだったから、ひょっとしたらそれらの読み過ぎだったのかもしれない。が、今更後悔しても仕方がない。(とはいえこれはゲーム脳に似た推論だから、安易すぎるようにも思えるけれど)
ここで厄介(?)なのは、別に私が感情を持っていないわけではない、ということだ。先日久しぶりに食べに行ったラーメンはきちんと美味しかったし、このあいだ見たアニメ「推しの子」は90分しっかり楽しめた。通ってるデッサン教室で褒めてもらった時もきちんと嬉しかった。表情の変化に乏しいと言われることがよくあるが、多分、きちんと感情の発露はできている。つまり「人に感情があるとは思えない」とか、そういったことは全く思っていない。しかし、おそらく人の気持ちは理解できていない。
今まではこの状態でも特に困っていなかったが、この春からその状況ががらりと変わってしまった。就活が始まってしまったのだ。
当然だが、就活では面接というやつをやる。ネットの情報によると、面接の際には相手のリアクションを見ながら、自分の強みを適切にアピールすることが重要らしい。困った。私は人の気持ちが分からない。つまり、目の前の人間の反応から即座に理想(あるいは理想に近い)モデルが組めない。理想の返答ができない、というか分からない。これでは面接が上手くできない。
流石にマズいと思った。どうすれば人の気持ちがわかるのだろうか。人の気持ちがわかるとはなんだろうか。そんな疑問が頭をもたげ始めた。就活はとりあえずエージェントにおんぶに抱っこで乗り切ろうとしているが、今後の社会人生活も考えると、このままではいつか致命的なミスをやらかすだろう。
そんな折、一つ珍しいバイトを見つけた。そのバイトは、色々な立場の色々な話を聞けそうなバイトだった。給与は多くない。しかし、生身の人間情報を大量にインプットすることができる。これは手がかりになるかもしれない。そう思った私は、そのバイトに申し込んだ。まだ研修段階だが、これからそのバイトが始まるのが楽しみな自分がいる。
しかし、また疑問が湧く。これで起きるのは、先に挙げた標準人間モデルの単なるアップデートではないだろうか。思い出して欲しい。標準人間モデルの欠陥は、誰にでも適用できるからこそ、いざというとき(つまり再現性がない一発勝負のとき)に使い物にならない、ということだ。
違う。これでは一時凌ぎにしかならない。標準人間モデルそのものを脱しなければ、根本的な問題は解決しない。
一般性のあるモデルではなく、各個人ごとのモデルを構築することなのだろうか。友人の山田はサッカーが好きで、経済学部で、よく食べよく笑い、リーダーシップに溢れていて、一方で寂しがりで、この間恋人に振られたから落ち込んでいる。こういうふうな情報を集めて山田モデルを作り、そういうことを他の友人に同様にすればいいのだろうか。……何か違う気がする。これは記号の蒐集にすぎないのではないだろうか。違和感が拭えない。
そもそもモデルを構築するという考えは正しいのだろうか。モデルという考え方から脱しないと、このドツボにハマりっぱなしな気がする。
しかし、それ以外の手段が思い当たらないが、何か方法があるのだろうか。
あるいは「実は人の気持ちなんて皆わかってなくて、精巧な標準人間モデルを構築して乗り切っているだけ」という身も蓋もないオチが待っているのだろうか。だとしたら先のバイトが活きてくれる気がするが……。
就活にしてもそうだ。どうやって人の気持ちがわかるのだろうか。人格がわかるのだろうか。あるいは人格なんて皆あまり求めてなくて、いわゆる「まともな社会人のふり」ができる人間が欲しいだけなのだろうか。
こんなことに悩んでいるのは私だけなのだろうか。厨二病ではない、などと冒頭で話したが、周りからしたら単に遅めの厨二病にすぎないのだろうか。だとしたらどんなにいいだろうか。厨二病なら、多分時間経過とか外的圧力で治ってくれる。
あるいは私は単なるクズなのだろうか。これもまた身も蓋もない結論だが、だとしたら人格的魅力に欠ける私はもう技術の入れ物として生きていくしかない気がする。でも、人格要素が求められない職などあるのだろうか。だとしたら私は死ぬしかない気がする。流石にそれはやるせない。
これを見ている人、ここまで読んでくれた方、まずはこの回りくどい文章を読んでくれてありがとう。
そして、よければどうか教えて欲しい。一般的な意見でなくても構わない。個人的な意見でも、ふわっとした意見でも、一向に構わない。
これ読んでて面白かったんだけど、悠木碧が演技派だと思っている悠木碧推しの一人としては
あ、典型的な悠木碧推しであるかどうかは一切保証しないので、みなこうだとは思わないでね。
声質声優か声色声優かという点では、前者だというのは完全同意。
でも幼女戦記とワルブレについては好きな演技だ。合ってないとも思わない。
そもそも、合ってる合ってないは好みの問題だから、見解が異なるのは当たり前とも言える。
参考までにわたしが好きな最近の碧ちゃんの演技を挙げておくと、ユリ熊嵐の百合園蜜子、
僕だけがいない街の雛月加代、聲の形の西宮結絃、アンジュ・ヴィエルジュのレミエル、
クオリディア・コードの天河舞姫、田中くんのいつもけだるげの莉乃、幼女戦記のターニャ・デグレチャフなどだ。
いい加減にしておかないと全作品挙げかねないので柄にもなく厳選した。
わたしが思うに、彼女は声質タイプなんだけど、自分の声を端から端まで使うことに躊躇がない。
http://www.nicovideo.jp/watch/1484102729
のモーガンの演技で
同作では少ししか出番がなく、もう一つの出番38話でも奇声しか出していないので
普段のモーガンてどんな声なのか聴いててまったく判らず、でも面白い。
碧ちゃんの演技はめっちゃ特徴あるので、ここ数年わからないと思ったことが殆どないが、
聲の形の結絃の声は判別に時間がかかった。事前にキャスティングを知ってたにも関わらず。
彼女はイベントとかで演技論を少し語ってくれることがあるんだけど、その内容からも
明らかにカメレオン声優的立ち位置は目指していないことが判る。
でも先述のように、どんな声を使うことにも躊躇がないので、結果的に表現に幅ができ、
現場で適切な声を適切な解像度で選択することができれば、演出家の求める音を出すことが
出来る、ということなんだろう。
演技力については本人がどう思っているかはよく判らないが、わたしが聞いた範囲では
本人はネガティブな評価しか言っていなかった気がする。でもそれもだいぶ前の話だし
演技プランがどれも同じ、というのは4年くらい前には感じたことあるな。
それはある種の運動神経みたいなもので、現場の状況に合わせて素早く声でリアクションする
ことを優先した結果、それがOKテイクになったのかなと思っていた。
収録を短時間で終わらせることを考えると、早くフィックスすることは必要だろう。
今は出番の数も違い、主役か脇かというと後者のほうが多いので、そうすると似たような
結果として別々の演技プランに沿ってやっていることが、かえってよく判るようになった。
君の名は。の名取紗耶香の演技については、もっと新海監督を評価してやってほしい。
あの映画は他の役者もそうだけど、声の出演者の立ち位置が細かく決められていて、
誰がやってもそこにハマる演技しか許されなかったんだろうと見えるから。
合ってると思うのなら、それは合わせた人の手柄だよ。
3月で25歳だし、それはそれでいいんじゃねと。
そんなわたしにとって推しとはどういうことかというと、例えば2chなどでどんなに口汚く