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2010-12-01

鬱病が治るまでってあって、

http://hamusoku.com/archives/3803914.html

まあまあ、俺も似たような足跡を辿ってきたのだけど、カウンセリングを受けて自分を受け入れるという過程はやっぱり必要なんだろうか。

なんだかんだでダラダラと7年間薬を飲んでいい加減に生きてきたら直ってしまった。そこにこのまとめの中にある自分を受け入れるという過程はなかったように思う。

なので、夜は良く眠れるし、仕事もそこそこやる気を持って取り組めてる。ただメンタリティうつときのままで、俺いらない子たいに思ってる。

結局のところ仕事家族や昔からの友達からも離れて、仕事以外ではほぼ自分が必要とされない環境がとても心地よくて、なんとかかんとか生きてる感じ。

仕事だけなら俺でないとできないことなんていうのは殆どないので気楽でいい。いないと困るなんて重くてこっちが困る。

これまでうつが直った人で俺のように薬だけ飲んでて、心情的な変化は特にないって人はいるんだろうか。いたとしてどのくらいの割合か。

あとうつになったことで何かあったかというと、7年間外部の情報と遮断され、本来ならそのくらいの年でしてた仕事とか、友達付き合いとか、彼女作ったりで随分してなかったことがあったなあということ。思えば損失ばかりで、無駄に過ごした感じがとても強い。

良かったことといえば、自分があまり無理できない人間であることが分ったこと、それまで尖ってて、色んなことにこだわりがあったのが、逆に色んなものがどうでも良くなって気楽になったことかと。それでもそうなるのに7年は長過ぎる。もし昔に戻れるならあの病気がなかった7年前からやり直したい。

2010-11-12

夏休みは好きだ。

子供たちは朝早くからラジオ体操、昼になればプール

いくらでもその肢体を楽しむことができる。

さらに夏休みには子供の警戒心もゆるむ。 そして子供が被害に会う性的な事件も夏に多く起こる・・・。

 

朝早くから外回りの営業をしているわたしは、その日の出まわり先を少しはずしたところで

標的を見つける。 ラジオ体操を終えた子供たちの集団を車の中から観察し、

好みの子を見つけるのだ。 中々うまくいかなかったりすることも多いが、

肉食獣だって半分以上は狩りをしくじるのだ。 わたしは決して焦らない。この狩りのためにわたしは人並み以上に

仕事を早く済ませるすべを身につけていた。 すきこそものの何とやら、だ。

この日は本社から結構離れた場所が出回りさきだった。 こういう時はチャンスである。

今日はうまくいく予感もしていた。 狩りを続けていくと狩人のかんみたいなものがついてくる。

わたしは前の晩ゆっくり寝ていつもよりかなりはやく家を出た。 目的地に着くころにはちょうど6時半だった。

おー いるいる。半ズボンランニングシャツが・・・。

しかし中々好みの子がいないなー。 どーしよっかなー。

迷っていると一人の子が目にはいった。 三年生くらいだろうか、身長は130あるかないか、細身でおれ好みだ。

さらさらしたおかっぱ頭のような髪型だな。 めがねをかけているが顔立ちは幼くてかわいい

よく見るとあまり友達がいないようだ。 他の子は連れ立って帰っているのにこの子だけひとりで家に向かっている。

しめしめ。 こういった子はねらい目なのだ。いじめがいがある。

この日は営業の成績はゼロということにしてこの子に張り付いてみることに決めた。

7:30父親出社。 8:45母親出社。今ひとりだな。 しかしここで焦らない。プールがあったりして

かってに休むと親に連絡があるかもしれないからだ。 10:00だいたいこの時間には出るはずだ、プールにいくなら。

ブリーフケースの中身を確認する。 わたしは常に二つのケースを持ち歩いている。

とうぜんその一つは狩り用であるのはいうまでもない。 中身はペンチ、ボールギャグ(口にはさむ機具)、低温ろうそく、

リットル入りの浣腸器、手錠3ヶ、目隠し、ローション、1メートルの細縄5本、アナルイブ大、小それぞれ一本。

そして待ち針30本

わたしはケースを閉じた。

大きく深呼吸して集中力を高める。

忍び込むか、正面突破か・・・・。 この日のかんは正面突破を指示していた。

玄関ドアの呼び鈴を押す。 この時点で人影を見つければその時点で中止だ。永久に長い一瞬がたつ。

かちゃり・・・ドアが開いた。 チェーンは・・・つけていない。

わたしはすばやく中に入り後ろ手に鍵を閉めた。 チェーンもかける。退路を自分で断つようだが、

時間が稼げる。 みぞおちに軽くこぶしを入れる。小さな体が崩れ落ちた。

めがねをしていない顔は思ったとおりかわいい。 長いまつげにすじのとおった鼻。薄めだがきれいなピンク色をしたくちびる

じゅうぶん合格だ。

 

外はまだ昼前だというのににわかにかきくもってきた。

部屋を探してこの子をかつぎこむ。 口にボールギャグをかます。両手に手錠をはめ、ひもでベッドのシャフトに括りつける。

これでうつぶせにも仰向けにもできる。

かっ・・・ かなり大きな雷とともにバケツをひっくり返したような雷雨がふってきた。

わたしは凶暴性に火をつけられた。 いつもならねちっこく楽しむのだが今日はいきなり挿入したくなったのだ。

仰向けに縛られた少年の半ズボンとしたのブリーフを一気に引き降ろす。 わたしのものはすでに破裂せんばかりに勃起している。

ローションのびんは先が細くなっており、穴の奥からローションをたっぷり塗ることができるようになっているのだ。

少年の小さな小さな菊門にローションの細長い口を突き刺し、たっぷり出しつつ引き抜く。

穴の周囲にもたっぷり塗り込める。 それにしても小さくいたいけな菊門だ。わたしの肉棒に耐えられるかな。

自分自身にもたっぷり塗り先端をそこにあわせる。 両足を持ち上げ、一気に腰を突き出す。

ぶつっと何かが裂けたような感覚が伝わる。 かまわず奥まで突き刺す。

そのしゅんかん少年が目を見開いた。 一瞬何があったかわからなかったようだが、状況はかなり衝撃的だったらしい。

「う”-っつ ・・・ぬぐーっ・・」

必死に身をよじり逃れようとする。 しかし両足を持ち上げられ、両手が自由にならないのではどうしようもない。

そのあいだもわたしはピストン運動を止めていない。 少年の肛門からはローションと血の混じった

ピンクの粘液が流れ出ている。

「い゛-っ・・いぎひーっ!・・」

声にならない絶叫を上げる少年。 しかし外は雷雨。誰もその声を聴くものはいない。

小さな肛門は哀れにもわたしが挿入するたびに腸内に飲み込まれ、引き出すたびにめくれあがった。

わたしはリズムを遅くしその代わりストロークを大きくした。

「う゛・・・ん・・・うあ・・・ん・・・・」

わたしが動くたびに声を上げる少年。 必死に耐える目からはいつしか涙がふきこぼれていた。

やはりいじめられて色気を出すタイプのようだ。 わたしはますます狂暴に、冷酷なっていった。

だいぶ抵抗する力も薄れてきたので、少年の体を横向きにさせ片足を自分の足のした、

もう片足を上に抱え上げてさらに突いた。 新しい体位はわたしに新たな快感を、少年に新たな痛みを与えたようだ。

「う”あっ・・・あ゛・・・あーーーっ」

尻の谷間から液体とも粘液ともいえない桃色の物体が少年の陰のうを伝って流れ落ちる。

”にゅぐ・・・ぐちゅっ・・・にちゅっ・・・”

雨音と雷鳴のあいだから2人の陰部がこすれあう音がひびく。

わたしは少年アナルを貫いたまま彼をうつ伏せにさせた。 両手を手錠で固定してあるためわたしにバックを

犯されながらひれ伏すような格好になる。 凶悪なペニスが小さな菊門をえぐるたびに少年の体はのけぞった。

”ぱんっ・・・ぱんっ・・じゅぷっ・・ぬちゃっ・・・”

「ふぐーっ・・・・うい゛-っ・・う”あっ」

太股を伝わって流れ落ちたローションと血の混合液は純白のシーツに二つの紋様を作っていた。

さすがに耐え切れなくなってきた。 わたしは少年の細い腰を持って激しく突く。

頭の中に白い閃光が走る。 大量のザーメン少年の腸内に送り込まれる。一滴残らず注ぎ込んだ後

わたしは血に染まったペニスを引き抜いた。

体のサイズに比べてあまりにも大きな物を突き刺されていた菊門はすぐにはとじず、白濁液を垂れ流していた。

「うっ・・・ふぐっ・・・ううっ・・・」

よだれと涙を大量に流しながら泣きじゃくってきた。 わたしは少年の犯されて惨めなしかしみだらな肢体を

ビデオに収めていった。 ティッシュで肛門まわりを丁寧に拭いてやる。しかしそれすらも痛みになるようだ。

菊門は裂けてみじめな姿になっていたが、今日のわたしはこれで勘弁してやるほどやさしくなかった。

雷雨はまだ激しく降り続いている。 時計を見て驚いた。まだこの少年を犯し出して15分しかたっていないではないか。

こんなに早く出してしまうとはよっぽどこの子とは相性が良いようだ。

これはもっと可愛がってやらなくてはね・・・。

そうだ。 いい方法があるぞ。わたしは浣腸器をもって階下の台所にいった。

あ あったあった。 わたしはその液体を洗面器にとり浣腸器いっぱいに充填した。

少年はぐったりしている。 ボールギャグをはずしてやる。

「気分はどうだい?」

「どうひて・・・・」

ずっと口をふさがれてすぐにはちゃんとしゃべれないようだ。

「そりゃ君がかわいいからだよ。」

さらさらした髪の毛をもてあそびつつわたしはやさしく言った。

「もうやめてよぅ・・・」

ふたたび少年の目に涙がこぼれる。 わたしはそのかわいい口に指を入れた。

「おぐっ・・」

がりっ・・・・・

あれあれ、こうした時そういうことをするなんて・・・。 お約束まで知ってるなんて君は上級者だね。

もっといじめてほしい時は反抗をやめないことはSMの鉄則だよね。

「じゃーもっとあそぼうか」

わたしは陽気に言いつつ再びボールギャグをかます。

両足は大きく開かせてほそなわでベッドの足に縛る。 身動きの取れない少年に液体のたっぷりはいった浣腸器を見せる。

「これ何が入ってると思う?」

少年の顔は恐怖にこわばっている。

「わからない? じゃ教えてあげよう。」

「これはねー お酢・・・でしたー」

少年ひとみが大きく見開かれいやいやをするように首を激しく振る。

もうこれをどうするかはわかっているらしい。 期待にはこたえるのがわたしの主義だからね。

小さな亀頭のような浣腸器の先を痛々しい菊門にあてがう。

少年の体が縛られながらも激しくはねまわる。 すでに傷に染みるようだ。

わたしは自分の太股の重みで細い太股を押さえながらゆっくりシリンダーを押した。

「うわ゛--------っ!!」

これまでにない絶叫が不自由な口からもれる。

「ふわっ・・・・ふぐぐーーっ・・・うぎひーーーっ!」

酢酸が直腸の粘膜にしみこむたびに少年は身悶えする。

その表情を楽しみつつゆっくりゆっくりシリンダーは液体を直腸に送り込む。

わたしは浣腸器を指したままにしてケースからアナルイブの大きい方を取り出した。

異物をひり出そうとする強い圧力に勝つには大きい方が良いと思ったからである。

少年はそんなこと目にも入らないようであった。 わたしはバイブをかたわらに置き、

ふたたび注入作業を始めた。

「あううううっ・・・ふおっ・・・」

少年の荒い息遣いと時折もれるもだえ声だけがくらい部屋にひびく。

ようやく、1リットルのお酢は少年の腸内に収まった。 浣腸器の先を抜いたとたん

ぴゅるるる、と液体がほとばしる。 わたしはすぐにバイブで栓をした。

排泄を止められた液体は少年の排便中枢を激しく刺激する。

しかし出口にすえつけられた大きな栓がそれを許さない。

少年の顔と体に冷や汗が吹き出してきた。 身悶えが一層激しくなる。わたしは低温ろうそくに点火した。

くれない色の蝋が一滴、少年のすべすべしたおなかに垂れ落ちる。

「・・・・・っ?!」

ぽたり、ぽたり、

熱い蝋が少年の肌に足跡をのこす。 排泄を耐える苦しみと熱さで少年はそのきゃしゃな体をよじっていた。

十滴ほど垂らした後、わたしは少し待った。 火元にろうが溜まっていく。

大さじいっぱいほども溜まったろうか。 少年の小さなつぼみの上に垂らし注ぐ。

「ああああーーーーっ・・あぎぎいいいっ・・・」

小さなペニスがろうで真っ赤にそまる。 これは刺激が強かったかな?

そんなことを考えながらわたしは今度は小さな乳首に交互にろうをたらしていく。

 

外のますます風雨が激しくなっていく。 まるで台風のようだ。

少年の体に蝋を垂らしつつテレビをつける。 おっと本当に台風だったとはね・・・。

少年の下腹部も雷のようにごろごろとなっている。 さてそろそろ出させてやろうか。

手錠を引きずるようにして風呂場に連れて行く。 たった12段階段を降りるだけでもういきもたえだえだ。

風呂場にいき股を大きく開かせ、ひくひくしている菊門からバイブを引き抜く。

「ひぐうううううーーーっ」

壮絶な音とともに腸内の内容物が肛門から飛び出していった。 最初は透明な酢。

次は血とわたしの精液、そして腸内に蓄積されていた糞便。 ぜんぶ出し終えたかと思うとへたり込んでいた。

すっかり無抵抗になった少年の口を開けさせ、ふたたび怒張したものをくわえさせる。

小学校三年生の小さく暖かい口の粘膜がペニスをこすり上げる。

「ううっ・・・うぐっ・・・・げぼっ・・・」

口とペニスのあいだから吐しゃ物が流れ出る。 わたしはかまわず少年の頭を激しく前後に動かしぜんぶのませた。

両手を突いて激しく嘔吐する少年を見て欲情したわたしは再びかわいそうな菊門を貫いていた。

程よく広がったアナルはきつきつの時よりも帰って具合が良く、おえつする少年が吐しゃ物の中で

突っ伏す中を激しくつきまくった。

づぱんっ・・ずぼっ・・・ずぬっ・・・

しとどに放ったわたしは、もよおしてきたため少年アナルを犯しながら腸内に放尿した。

さすがにこれは気持ち悪かったらしく、逃げようとしたがわたしはその細い腰をもってはなさない。

けっきょく身をふるわせている少年の中にいってき残らず注ぎ込んだあとようやく引きぬいた。

少年の両足を背後から抱え上げて シーシーのポーズを取る。

肛門からわたしのにょうがながれでるさまはなかなか新鮮なものだ。

お湯浣腸をして腸内を洗浄する。 二回ほど1リットル浣腸をするときれいなお湯しか出てこなくなった。

たびかさなる浣腸攻撃に少年の足腰はへろへろになっている。 そんな体をわたしは丁寧に洗った。

 

雨と雷鳴は少しおさまった。 しかし今度は風音が強くなってきたようだ。

まだ1時間ちょっとかー。 あんがい楽しめるものだ。

きれいにした体は先ほどまでの恥辱がうそのように清らかに見える。

かしこの子はすでにわたしによってすみずみまで犯されているのだ。 哀れ

みを請うようなぬれたひとみと震える体はまだまだわたしの嗜虐心をそそった。

体をふかせ、ふたたび部屋に戻る。 もう抵抗する気力もないようだ。

こうなると面白くなくなる。 もっと激しい責めをしてやるか・・・

 

両手を手錠で固定し、今度はうつ伏せにさせる。 目隠しをして口をふさぐ。

これからの責めは少しつらいかもしれないよ・・・・。 とかたりかけながら・・。

わたしは浣腸器を携えて台所を物色した。 冷蔵庫の中によーく冷えたあれがあるじゃありませんか。

お、あれもあるぞ。

一つを浣腸器の中に満たし、一つを容器のままへ屋にもって帰る。 少年の身悶えも先ほどよりは大分緩慢になってきていた。

目を覚ますために浣腸器に入れた良く冷えた白い液体、牛乳をつかれきった直腸に注ぎ込む。

その冷たさと予想外のことに少年は再び勢いよく体をびくつかせた。 緩んだアナルは入れたその場からミルクを吹きこぼす。

アナルイブを入れてもすこしづつもれだしてくるようだ。

わたしは再びろうそくを手にし、息づくように収縮を繰り返すそのひだに蝋を垂らした。

「はう・・・ふああっ・・あふあーーっ」

敏感な粘膜につめたい牛乳、熱い蝋と立て続けにやられてはたまらない。

「あひーっ・・あふいいいいっ・・・」

大量の蝋で小さな菊門をふたしたわたしはいよいよ仕上げにとりかかった。

ケースから待ち針の刺さったスポンジを取り出す。 一本の針先で少年のしみ一つない背中をなぞる。

しかし針先の感覚よりも再び高まる排泄への欲求の方がとりあえず最大の苦痛になっているようだ。

針先が白いお尻の丘の上でとまる。

ぷすっ。

「う”うううううーーーーーーーーっ!!」

「動くと痛くなっちゃうよ?」

わたしの忠告が聞こえたのか必死で動きを止める少年。 待ち針は半分まで少年のお尻に埋まっている。

スポンジからもう一本針を手に取った。 ぎゃく側のお尻で針先を止める。

ぷつりっ

「あ”あ”ああああっ!!」

ぷすっ

ぷすっ

ぷつっ

たてつづきに三本、やわらかなお尻のスロープに刺し込む。

「いうあああーっ」

お尻の谷間にはろうが固まり、白いお尻には針が五本突き立っている。

針の刺さった辺りに赤い蝋を垂らす。 白い肌にまたあかいしずくが広がっていく。

わたしは少年を裏返して仰向けにした。

半分ほどでとまっていた待ち針が少年自身の体重で針止めのところまでぜんぶ埋まってしまう。

「・・・・・っ!」

お尻をあわてて浮かそうとするがわたしはふとももの上にのって押え込んだ。

びくんびくんとけいれんした少年は勢いよく放尿した。 もろに体にかけられて少しむっとした

わたしはお仕置きすることにした。 針はまだまだ残っているんだから・・・。

わたしは両手を挙げて固定されているためあらわになっているすべすべのわきに左右一本づつはりを挿入した。

そして柔らかく細い二の腕、赤く上気した耳たぶに銀色の針を植え込んでいった。

「・・・・っ! ふぐうんっ・・・!」

針が刺し込まれるために声にならない叫びをあげる少年

小さな乳首には横から刺し込む。 そしていよいよかわいいそこにさそうとした時、最後の抵抗をするように

彼は身をふるわせた。 その抵抗を楽しみつつ、かわいらしい陰茎をゆっくりと貫いていった。

「きやあああああああっ・・・」

けいれんするか細い肢体。 のこった針をすらりとした太股に刺し込んでいく。

わたしはいとおしくなって少年の小さな体にのしかかった。 体の表面に半分ほど刺し込まれた針がすべて、

わたしが抱きしめることによって彼の体に潜り込んでいく。

「うぎぎぎっ・・・!」

 

風がごうごうと窓の外でとどろく。 もう大丈夫だろうと思って少年の口を解放する。

がちがちと少年の歯がなる。 さむいのだろうかと思って強く抱きしめる。

ますますはりが深く少年の体を犯す。 わたしはアナルをふさぐろうをはがし、

イブを引き抜いた。 ぷしゃー、っと暖かくなったミルクが吹き出す。

わたしはそれを下腹部に浴びつつ正常位の状態からペニスを彼の暖かい菊門にねじ込んだ。

ペニスを出し入れするたびにミルクがこぼれ

彼の声からはひっきりなしにあえぎごえがもれる。

少年を体の上に乗せ、下からずんずん突き上げる。

ぐぽっ・・・じゅぽっ・・・ぐちょっ・・・

湿った音と2人の荒い息だけが聞こえる。

わたしは向かい合って座るようにして少年の体を貫いた。 そして陰茎に刺した針を抜き、

突き上げスピードを速めながら少年の肌をくまなく刺していった。

ぐちゅっ・・ぷすっ・・ぎゅにゅっ・・ぷつり・・・

粘膜のこすれる音と皮膚を突き破るかわいた音が交差する。

そしてついに最高潮がやってきた。

わたしは彼の乳首に強くかみつき、尻っぺたに深く針を刺し込みつつ射精した。

 

わたしはぐったりしたおさないからだから針をすべて抜き、

消毒をしたのちその家を去った。

訴えられないように少年を犯している途中のスナップを何枚かリビングにおいておいた。

外はますます風が強かったが、わたしは欲望のすべてを幼い体に吐き出したことによって

ある種爽快な気分だった。

 

当分は「狩り」に出なくてもよさそうだ。

腹の満ちた肉食獣は無駄な狩りをしないものだからね。

 

おしまい

2010-09-27

久し振りにイラっとした

mixiで。

足跡ログが無いのに日記喧嘩口調でコメントされてる。

しかもこっちのアクセスブロック

たぶん犯人は元嫁の現彼氏だろーな。

2010-09-26

相互アクセスブロック

とあるSNSで諸事情アクセスブロックしたい人ができて、

その人のページまで行ってその人のID番号を見て、

アクセスブロックIDを記入・・・。

で、相手はこちらのページを見ることはできなくなると思う。

この状態で、相手は自分アクセスブロックすることってできるのかな。

相手がアクセスブロックされる前に、こちらのID番号を知らなかったという前提で。

相互にアクセスブロックの関係っておかしいか・・w

多分できないと思っているんですけど、できる? 可能?

どうせ足跡ついちゃうので、怖いから

その人のページを見に行ったりはしないけど、ちょっと疑問に思った。

2010-09-02

あーイライラする

mixiで大した交流もないのに毎日足跡つけてくる奴がキモイからツイッターに逃げてんのに、

こっちにまでフォローつけてきてフォロー返してねとか要求してくる

マジうぜえ

大体お前にゃ俺のアカウント教えてねえだろっつーの

2010-08-27

1日で1,000人にフォローされる地味な作業

twitterでフォローされようとしてフォローされるのは難しいことではない。

ツイッターフォロアー数を1ヶ月で5,000人確保しますと言うビジネスモデルです

http://twitter.com/shacho_twitt/status/22125147694

なんていう、ビジネスモデル(笑)を提案している人もいるけれど、

5,000人を1ヶ月なんてやりたいなら誰にでも余裕でできる。

ただそこには地味でつまらない作業が存在するだけだ。

1,000人にフォローされる地味な作業の流れ

  1. アカウントを作る
  2. プロフィールを設定する
  3. 5ツイートする
  4. 少しフォローする
  5. フォロー返しを待ちながらツイートしたりする
  6. 中くらいフォローする
  7. フォロー返しを待ちながらツイートしたりする
  8. フォローしまくる

ね、できうそうでしょ

ところで、リンクがうまくできない。。。

だれかやり方おしえて。。。

アカウントを作る

ここは説明はいらないよね。twitter.comにでもいってくれ。

あ、ID女性っぽくしといたらいんじゃね

あと、名前のとこに記号とかいれとけ☆とか*とか

http://twitter.com/maki_kiku

プロフィールを設定する

アイコン重要

Google 画像検索ってのがあるので

AV まき

とかで、検索して、普通写真っぽいのを探す。

画像の切り抜きくらいはしといてもバチはあたらんよ。

mixiやってたら、自分についてる足跡をたどったり、

女の子がいそうな巨大なコミニティのユーザーをみてもいい。

一生懸命だれかが選んでくれたそれっぽい写真がたくさんあるよ。

スパムっぽいやつな。普通ユーザー写真をかってにつかっちゃだめだ。

いやもちろん商用のだってだめなんだけどさ。

なに、クリーンにやりたいって?

じゃあライセンスされてる写真をつかったらどうかね

flickr とかで探せばいいよ.

http://www.flickr.com/search/?l=commderiv&mt=photos&adv=1&w=all&q=japan+people&m=text

まあ、誰かに写真を撮らせてもらってもよいし、

すきにやってください。

キャラクターアイコンとかでも結構いける。

プロフィール

中の人イメージさせる、名前とあったプロフィールつくっとけ。

好きなものとかは自分の好きなもの書いとくと話題ふられても対応しやすいよ。

これも例文ほしけりゃmixiにいくかtwitterのなかでさがしてきなよ。

twitterプロフィール検索とかで探してもいいよ。

自分で感じいいなーとか、ちょっとこれつり気味じゃねって思うものを参考にして。

ついフォローしちゃいそうになるけど、こび過ぎだろ、ってくらいでいい。

http://tps.lefthandle.net/search/?s=%E5%A5%BD%E3%81%8D+-%E5%8B%A4%E5%8B%99+-%E4%BB%A3%E8%A1%A8&sort=follower

背景

いちおうてきとうにいじっとけばよし。

5 ツイートする

♪とか☆とか★とかぁとか顔文字とかつかっとけ

この人とかうまいな。

http://twitter.com/megmeg3298

顔文字はっとくか

(`・ω・´)(*´ω`*)ヽ(*´∀`)ノ(≧▽≦)( ´ ▽ ` )ノ

google先生

http://www.google.co.jp/search?aq=f&sourceid=chrome&ie=UTF-8&q=%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%80%80%E9%A1%94%E6%96%87%E5%AD%97

こんな風に検索すればいいよ。

フォローする

フォローっていうのは、「誰をするか」が重要

誰かフォローしたいって思ってる人をさがす。

まあもっというと

twitterログインして右下にある検索窓で

#sougofollow #followme

とか検索しとき。

いや、はやまるなよ、

その人をフォローするんじゃない。

まあしてもいいけど。

検索で出てきたツイートをしているユーザー

「フォローされてる」のところをクリックして

それを片っ端からフォロー。

「フォローされてる」のところには、

最近フォローした人からでてくるからね。

つかれたのでまとめ

まあそんな感じで

バランスよくフォローしていけばいいよ。

長文かいてつかれたけど、

読んでくれた人もつかれたよね。

ありがとう。

最後にフォローに便利なブックマークレット

これで片っ端からフォローできるよ。

javascript:

っていうのを頭につけてブラウザブックマークに登録すればOK

http://let.hatelabo.jp/amachang/let/gYC-ypTl2ITmEg

2010-08-10

距離感が分からない人っているよね

ああうぜえ。

ほんっっとうぜえ

まじうぜえ

ひょんなことで共通の趣味があって日記コメント載せただけで、

メッセは毎日のように来るし

マイミク申請は来るし

ひとことにコメントつけるし

大昔の日記とかにコメントつけるし

なんなんだよその自己アピール

ほんっとうぜえんだよ

いい年こいて他人との距離感もつかめねえのかよ

マジ勘弁してほしいわ

2,3日返事しなかったら興味がないと思って普通引かないかね

こいつの足跡がまいにちあるだけでmixiログインする気が失せるわ

あーマジ消えてくんねえかな

2010-07-23

http://anond.hatelabo.jp/20100722184044

趣味とかは無いのでそういうスペースはいりませんが、本だけは絶対に譲れないですね。

人生足跡そのものですし、単に郷愁的なものではなく実際に必要な本しかないからです。

結婚子育てにおいて「譲れるかどうか」という話をする際には、前提をはっきりさせとく必要があるよ。

「本より子供を優先できないなら云々」というフォローもついてるけど、そういう議論の前提は、「どうしてもどちらかを選ばなければならない状況に追い込まれたらどうするか」っていう話ね。自分なりに「子供に絶対必要な最低限のモノ/スペースと、本と、どちらかを取らなければならない」って極限状況を考えてみて、それでも本を取るって思えるなら、確かに親になるには向いてないかもしれない。

でも、自分人生ポリシーとして「本だけは絶対に譲れない」と思ってるなら、議論の方向は逆になる。本の心配をしなくちゃならないような生活にならないように頑張ればいい。子供育てて、かつ本も置いとけるだけの広さのところに住めるようにすればいい。配偶者がどう思うかではなく、全てはあなた次第ってこと。

2010-07-22

http://anond.hatelabo.jp/20100722183811

趣味とかは無いのでそういうスペースはいりませんが、本だけは絶対に譲れないですね。

人生足跡そのものですし、単に郷愁的なものではなく実際に必要な本しかないからです。

2010-07-16

このあいだの夜、また知らない人の家にいった

このあいだ、バイト先の人といれてないセックスをした。

部屋に遊びにいったつもりが押し倒され、

処女だったので

「怖い」

と言ったら、

ゆっくり教えてあげるから、入れるのはいづれ自分がいいと思ったときに言って。と言われた。

怖いのは痛みではなく、まだ大して知らない人間に体を許すことで、心を奪われたり傷つけられることだった。

好きですと言うと相手は嬉しそうな顔をしたが、抱き合ってみたら自分の頭はあまりに冷静だった。

体を優しくさわられるのは気持ちいい。自分ですることもあるからよく知っている。

でも付き合ってないし。

一応えっなんで?と聞いてみたら、 いいと思ってたからだよと言われた。

早くないですか?と聞くと、大人はこんなもんだよ、と。



それからやっぱりあまりご飯が食べられない。

会いたいとメールしてみたら、「忙しい」と言われ、

不安すぎて、ご飯いきましょー!(^o^)なんてトンチキなメールを深夜に送ってみたが勿論連絡がこない。

忙しいのは事実だ。バイトで会った時パウロ君の存在を知らないくらいニュースを見ていなかった。

一人でいると疑問がわいた。

そういえば先輩は私の下の名前を知ってるんだろうか。

私の名前名字でも呼ばれた記憶がない。

このあいだバイト中に「○○さん」と名字で呼ばれた。

その聞きなれなさに、やっぱり、名前を呼んでたのは私ばっかりだったなぁと思った。

脈がないんだ、と思うと心が楽になった。片想いだと思うとmixi足跡がついてるだけで喜べるようになった。

学生時代から元々知り合いだった男の子がいる。

車でいろんな所に連れていってくれ、呑みを企画したり奢ってくれたりする。

気前よく、気も優しくつきあいは長いが、苦手意識があった。

二人きりのご飯の誘いはずっと断っていたが、上のことがあって近い男性だったので相談してみた。

もう気にするな。飯は食え。

ご飯を作って持ってきてくれた。

嬉しかった。自分が傷ついてはじめて、彼の優しさを素直に受けることができた。

彼と、昨日はじめて二人きりで呑む約束をした。部屋で。

いいけど襲ったらマジコロスからね!とメールすると

へっそっくりそのままお返ししますわ(`ε´)


と帰ってきた。

彼を好きにならない理由がわかった。

2010-07-04

愚痴というのは自分正当化することがまず必要だと思う。

もうmixi足跡機能がこわい。消すのとか普通に忘れるし。アメブロ的につけたかったらつけるというシステムにしてほしいなとおもった。

しかし愚痴とかをボイスに書くやつなんなの。自分のページなんだから何書くのも自由だけど気分悪い。

かまってほしいの?そうとしか思えない。

ブログコメントを残してほしいとは思ってない。書かないと失礼だと思ったから書いただけ。逆効果だったんですね。

ネットでの関係は現実以上に面倒。

いやなら早めに計画流してくれた方がいいんだが。

2010-06-23

mixi実名登録に見る匿名議論

最近夢に学生当時好きだった人が出てきたので、目を覚ました直後寝床ケイタイを弄ってなんとなくミクシにログインしたらミクシ同級生がNEWになっててその人が本名写真付きで登録されてた。

なんだよ・・・なにかの思し召し?

イエスブッダも今立川バカンス中じゃないの?


ってな書き出しはおいといて

なんか自分チキンだし隠れヲタだもんで、ミクシも検索切って本名登録もせず完全クローズドサイトネットサーフィンする際のHNはミクシで使用せず、マイミクリア友だけしかいないし、リア友にも一人にしかヲタカミングアウトしてないからツイッタ垢やサイトアドレスも一切だしてないほどの徹底振り(自称)ツイッタも当然本名登録してないし、2ch増田・ツイッタばかりでぶっちゃけミクシはほぼヲチ用じゃないかってな位の用途。私の認識ではミクシといえどオープンブログと変わらないし、職場の人やらも登録しているから怖くて実名登録出来るわけがない・・・のに、

相手は名前本名フルネーム写真バッチリ本人で、リア充がそのままネットやってる感じ。リア充の威力恐るべし。

いや、正しくは現実ネット上においても裏表がないという事なんだよね。つまりコレ。

mixi場合ネットリテラシーがない人が多い、というのもあるけど)

匿名希望する人は少なからず現実ネット上で(本質的な部分では一緒だが)分けて使っている(2chはモロそう)し、例えブログでそこそこ真っ当な事しか書いていなくても、そういった落差に自分自身気まずさを感じてしまうから本名で出ずらい部分はあると思う。他にも発言に対しての責任感の有無や重さも上げられるけど、相当初心者でなければネットの書き込みから個人特定可能なのは分かっているから、その分かっている範囲内で匿名という緩くなった縛りで法に触れない程度で色々発言をするし出来る。

即ち、匿名は限度がないと叩かれるけども、確かに発言に緩さが出るがネット初心者でない限り自ずと自制されるんだよね。

勿論大方のサイレントマジョリティーはそうでも、犯罪予告やら自殺予告やら過激派自爆テロを繰り返すうちはその辺が理解されないだろうし、叩かれる的であり続けると思う。2chまとめが読まれるようになったのも無責任さのクローズアップ一端か。

それでも日本人FACEBOOK登録を考えると元々閉鎖的な人種なのかもしれない。匿名議論はされても、今後日本国内に法律レベル匿名禁止!とはならないんじゃないかね。という訳で、匿名議論は「ネット実名制法案は今後かすっても出てこない」という答えが分かりきっている以上無駄なのかも。したい人は自分ですれば言いし、したくなければしない。それをお互い強要しない。もし匿名は卑怯というなら、自分匿名で戦うかもしくは実名で来る相手以外封鎖するか。

私はというと、匿名問題はどうでもいいので論議を見て流して終わり。


そういえば当時好きだった人、最近同級生に登録したはずなのに登録前に私の垢に足跡ついてるんだが・・・。検索も切ってるし、学生時代学校コミュも入ってないし、名前も出身も全部改変登録の上クローズしてるってのに何故来た?ミクシニュースから日記見たときに踏んだわけでもなさげだし。

一応全部クローズとはいえ、PCからプロフを立て読みすると本名になるようにしておいてる(携帯からでは縦読みできないし変わった苗字だから普通縦読みしても気付かない、気付いても同級生でないとってなレベル仕様w

怖いけどちらっとリア充日記見てくる。正直気になるし、きっと足跡残したって私だとは気付かないはず。

あ、マイミク申請とか※送るとかいうフラグ立てる展開はしないので悪しからずw

相手普通に私を嫌ってるはずだから。

2010-06-22

心の瞳

心の瞳で 君を見つめれば

愛すること それが

どんなことだかわかりかけてきた

言葉で言えない 胸の暖かさ

遠まわりをしてた 人生だけど

君だけが いまでは

愛のすべて 時の歩み

いつも そばで わかち合える

たとえ あしたが 少しずつ 見えてきても

それは 生きてきた 足跡が あるからさ

いつか 若さを 失しても 心だけは

決して 変わらない 絆で 結ばれてる

夢のまた夢を 人は見てるけど

愛すること だけは いつの時代も

永遠のものだから

長い年月を 歩き疲れたら

微笑なげかけて 手をさしのべて

いたわり合えたら

愛の深さ 時の重さ 何も言わず

わかり合える

たとえ 過去を 懐かしみ ふり向いても

それは 歩いてた 足跡が あるだけさ

いつか 若さを 失しても 心だけは

決して 変わらない 絆で 結ばれてる

愛すること それが どんなことだか

わかりかけてきた

愛のすべて 時の歩み いつも そばで

わかち合える……

心の瞳で 君を見つめれば

彼女に想い出アルバムを破棄された

俺は写真をよく撮るんだけど、撮った写真アルバムにして保管してるのね?

当然、その中には元カノとのラブラブ感あふれるものもある。

なんかそういう写真いつまでも持っている男の人って・・・・という考え方もあるようだけど、

俺は、元カノに限らず、想い出は全て大切にしたい主義なんで。

時々過去アルバムをめくると、いろんな想い出がリアルに蘇って楽しい

いわば俺の生きてきた証、歩いてきた足跡を見つめ直す行為なんだよね。

だから、アルバムは命の次に大切と言っても良いくらい、俺の人生の中で極めて大切な存在なのよ。

ところが、そのアルバム彼女が何の断りも無しに破棄してしまった。

彼女は好きだけど、ちょっとこの行為は許せない。

彼女とは付き合って数ヶ月で、アルバムのことは詳しく説明してなかった。

どうも彼女から聞くところによると、元カノ写真を大切に取っていたことが許せなかったらしい。

その気持ちは分かるんだけど、俺は何か悪いことをしたのだろうか?

取り返しのつかないことになってしまった。

彼女の行為はれっきとした犯罪だけど、好きな彼女告訴して金を取っても仕方ない。

想い出のアルバムお金に換えられる代物ではないんだし。

もはやどうしようもないのは分かっているが、「どうしたらいいのだろう?」と途方に暮れる日々を過ごしている。

2010-05-20

http://anond.hatelabo.jp/20100518224331

甘えすぎワロタ

 

とりあえず「この世でいちばん大事な「カネ」の話」を読んでから、

西原理恵子本人の前で思いの丈を語ってみて欲しい。

 

「てんで性悪キューピッド」→「幽☆遊☆白書」→「レベルE」→「HUNTER×HUNTER」の冨樫

カメレオンジェイル」→「SLAM DUNK」→「BUZZER BEATER」→「バガボンド」「リアル」の井上

 

みんなこれぐらい把握した上で、文句言ってんの。

 

おまんま食べたいなら、売れる作品作れよ。

末永く提供したいなら、個人でもできるよ。

 

「うちのトコでは」

http://www.asukashinsha.co.jp/book/b55093.html

出版年月日 2010/01/23

3日前の近所の紀伊国屋ではワンピース新刊が並ぶようなとこに、

POPも立って平積みになってる。

 

後ろから来る人を見る前に、まずは自分足跡をふり返って、

手元の真っ白な原稿に立ち向かって、

目線上げてやるべきことあるでしょ?

 

一回普通会社員勤めでもしてみた方がいい気もする。

 

他の人も書いてたけど、個人事業主なら作って売るまでが仕事だよ。

作るだけなら趣味の人。

作って売れないなら才能無い人。

 

これだけウェブ世界広がったんだから、

クリエイター系の人はもっと頑張って、世界を席巻して欲しい。

2010-04-21

http://anond.hatelabo.jp/20100421220556

彼、

意見の違う相手のブックマークホームに中傷タグ足跡つけて回ってるのはどうかと思うね

それもネット右翼だとかどうとか極度に子どもじみたただの罵倒

2010-03-01

mixi登録制になったけど

別段変わったところはないな

足跡も増えてないし

mixi同級生マイミク0人の誰だかわからん奴が一人出てきただけ


mixi終わったな…本当に

2010-02-05

脊髄反射2chよりマジレス増田が好きだ

一方的なツールが好きだ

相互でコメントしあったり

足跡が残るmixiは重い

コミュニケーションなんて

日常生活で充分に行っている

今更、現実逃避としてのオンライン

頑張らなくてもいいと思う

Twitterは一方的だが

「キャクター」を作らないと

フォロワーは増えないし

フォロワーが少ない状態でつぶやいても

自分モチベーションが下がるだけ

キャクターに合わないことをすると見放される

コミュニケーション

キャラクター性も不要で

一方的に毒を吐ける増田楽しい

2010-01-18

かつて俺が実践していたmixiナンパ術を公開

twitterから交際が始まったとか、

twitterナンパとかが話題になっているようで。

自分は試していないので実際twitterナンパできるかわからんが、

経験則から言うとmixiだと至極簡単にナンパができてしまう。

ストリートでのナンパと違って精神コストもかからないし、

今から書いてみるんで勇気がないけど出会いが欲しい人は参考になるかもしれない。

ちなみにこれ、男女問わず有効な画期的な方法論でできあがってます。

Step1:映画の試写券、鑑賞券を用意する

鑑賞券なら何でもいいんだけど間口の広い映画が良いと思う。

ジャンル女性に受けそうなデート映画でもいいけど、

もうちょっと発展させてイメージを膨らませることをオススメ

まず「自分が出会いたい女性」を前頭葉で強くイメージ

イメージが固まったところで「では、そんな女性はどんな映画が好きか?」と思考を展開させていく。

この時、イメージを強く出来るようになにかアルファー波の出る音楽を聞くと良いと思う。

そこまでできたらあとはいま上映中の映画で合致するものを選ぶだけ。

そして映画の鑑賞券をチケット屋で買ったら準備は万端。

Step2:ミクシィコミュニティに書き込む

次にやることはミクシィコミュニティに書きこむこと。

ミクシィには映画好きが複数あるんでそこをうまく活用する。

さらには映画名、監督、出演俳優など、多角的に調べていって

女性の比率が一番高いのはどこか調べて書き込むコミュを選別していく。

あなたが気にならないのならマルチポストしちゃえばいい。自分はしてた。

書き込む内容は大雑把に言えばこうなる。このままじゃ使えないからあなたなりに応用してね。

映画の鑑賞券があるんだけど一緒に行く予定の人が無理になった。もったいないんで誰かに譲りたい」

もちろん、ナンパ目的であることを見透かされないように意識を徹底させておくこと。

女性にあげたい」って感じのニュアンスが出たら一発でアウトなので要注意。

さらには自分プロフィールも警戒心を持たれないような中性的な感じにしておくとなお良し。

この時絶対に注意しなきゃいけないのが「先着」だとかは書かないってこと。何故か?

Step3:相手のプロフィールを分析する

ミクシィに書き込んだらあとはメッセージが来るのを待つだけ。

メッセージの量は映画の人気にもよるけど自分の場合はだいたい10~30だった。

さっき先着はダメって書いたけど、何故かっていうとこの段階でじっくり相手を選別するから。

メッセージをくれたの人のプロフィール日記を見て、食いたい人に絞っていく。

その際、相手にべたべたと足跡をつけたら印象が悪いから調査用の別アカウントを用意すること。

用意した別アカウントでじっくりと相手を見ていこう。焦る必要はない。

まず、当然だけど男は除外。その中から後はお好みの女をチョイスすればいい。

気が合いそうな奴、すぐにヤラセてくれそうな奴、簡単に落とせそうな奴、騙せそうな奴、

自分の求める理想像に近い女を選べばいい。このナンパ術の凄いところはこの過程。

ストリートナンパだと、相手の嗜好なんてわからないから話が合うかどうかも当然わからない。

それにストリートだと必然的に数打ちゃ当たるでいかなきゃいけないんで、断られるとダメージが溜まっていく。

この方法なら悠々自適に女を選べばいいし、話が合うか、考え方までこっちの好みの女かが丸わかり。

そして、なるべく自分の居住区から近い人にした方がいい。その理由はstep4で。

Step4:鑑賞券を渡す

ヤリたい女を選んだらあとは鑑賞券を渡すだけ。

居住区から近い人間だと良いというのは「手渡し」ができるから。

この段階で何とか鑑賞券を手渡しで渡せるように話を持っていくこと。

郵送だと送って「はい、さよなら」になる可能性もある。チケット代が水の泡だ。

だから、一気に一人に絞らないで何人かキープし、交渉成立する人間を選べば良い。

ほかの人間にはなんか理由つけて断るか、最悪アクセス拒否をして連絡を絶てばいい。

そして、もっとできるならそのまま一緒に鑑賞してしまえばいい。一気に映画デートだ。

Step5:あとは会ってヤるだけ

ここからはもう普通映画デートだ。待ち合わせは上映時間よりも少し早めに設定。

そうすることで映画館ロビーで話すことができる。ここで相手の心をうまく掴む。

当然、相手はチケットをもらったお礼を何かしたいと思っている。その良心につけこむ。

次のデートへの布石にするのもいいし、そのまま食事に誘って一気に口説くパターンもいい。

個人的には俺はただヤリたいだけだったので一気に片付けていた。

タイトルに「かつて」ってつけたのはこれをやっていたのは大学生の時で、

社会人の今はぜんぜんやっていない(社会人といっても、フリークリエイター系の仕事やってるだけだけど)。

俺はその時完全な年上好きで、20代後半~30代前半の女を選んでは欲望を放出させてた。

その時期にヤりたいことはほぼすべてヤッちゃったんで、今はそういうことにぜんぜん興味がなくなっている。

勝間和代みたいな感じの女と、生でヤッったりしてたよ。どうかしてた。

今はきちんと落ち着いて、大学時代の同級生と結婚しています。もちろんこのことはないしょ。

2010-01-04

作者が801同人サイトを見ていた(追記アリ)

現在絶賛アニメ放映中の某作品の801二次創作サイトをやっています。

15禁程度のエロ原作漫画アニメ感想を載せた日記メイン

カプ萌え話もですが、漫画ネタ真剣ツッコミを入れたりすることもしばしば。

そこまで閉鎖的ではありませんが、入り口には最低限の注意事項があります。それで問題なくやってこれたので。

掲示板もなく、訪問者とのコミュニケーション手段はWeb拍手と定期的な絵チャット会だけなのですが、つい半年ほど前”作者からWeb拍手がありました”。

内容は”いつも応援してくれてありがとうございます”といったようなもの。

最初は偽物かと思いましたが、作者のブログに”(自分キャラクター)を描いているサイトをたまに見るのだけど、つい衝動的に足跡を残してきてしまった”とあったので本物だと認識

その後も何度か拍手がありましたが、私は本人が見ていようが作品に対する愛も含め、辛口ツッコミ萌え語りを自重する事はありませんでした。

伝聞ですが同じジャンルの他サイトにもその作者はコメントを残しているようで、絵チャット会に入ってきたりすることもあったようです。

しかしその後、作者のブログに”(私のHNイニシャル)の言ってることも分かっているが辛い”という発言が。

元々ネガティブな記事も多かった作者のブログで、しかも名指しでそんなことを書かれたものですから、辛口発言を自重せざるを得なくなりました。

それから私の日記萌え語りだけになりました。

作者本人は素直に”私の描いた絵”や”感想”をうれしく思っておられ、コメントを残したりしたのでしょうけど、私は”作者が見ている”という圧力を感じています。

作品は好きなので絵を描いたりを続けていきたいとは思っているのですが、その圧力のおかげで、少し嫌いになりそうです。

追記

たくさんのブクマがついてびっくりしました。

私は作者と読者はお互い不可侵であるべきだと思って活動していました。

私の思いは決して届くことのない(801系なのでなるべく届くべきではない)一方通行でよかったのです。

”作者は同人サイトを見ていても、決して口に出すことはないだろう”、”こんな腐女子サイトに影響される作者などいるはずがない”という考えが根底にあったのも原因だと思ってます。

2チャンネルに比べれば十分甘い感想も、作者にとっては非常に辛いものなのですね。

”作者と読者の間の距離感が絶妙だったからこそ、ひっそりと活動できたのに”という、自己中心的な考えは捨てるべきなのかもしれませんね。

サイトを閉鎖するのもなんなので、萌え語りメインで引き続き続けて行きたいと思います。

2009-12-25

コメントがない

mixi日記を書いたのに誰もコメントをくれない・・・。

いつもコメントをくれていた人も足跡だけでコメントなし

まあ、コメントをもらうために日記を書いているわけじゃないんだけど、実際、コメントを誰もくれないとものすごくさびしい。

2009-12-22

魔女狩りの聖夜に

id:HiromitsuTakagiが遂にWinnyネットワーク観測・閲覧ツールNyzillaをリリースする。

Nyzillaの特徴


Winny開発者である金子勇の著書では以下の様に書かれている(この文章はHiromitsuTakagiも引用している)。

しかしWinnyの場合、通信相手は不特定であり、Winnyプロトコルを使う誰もが通信相手になれます。たとえば、Winnyプロトコルを真似てWinnyノード接続するようなプログラムの作成ができれば、接続相手のキャッシュファイルを観察することも可能です。このため、たとえどんなに強い暗号方式で通信内容を暗号化したとしても、通信相手は解読可能であり、通信内容は隠しようがありません。

また、Winnyキャッシュファイルは、そもそも公開されているデータと考えるべきです。

金子勇著「Winnyの技術」p.151より

要するに、Winnyネットワークに入れるソフトウェアさえ持ってれば、そこでやり取りされてる情報は筒抜けだよ、と言うことだ。

Winny自体にはない機能だが、特定のIPアドレスでどんな情報をやり取りしてるかと言う事も、全部駄々漏れなのだ。

元々駄々漏れしている情報見える化するだけなのだから、何の問題もなかろう。

そもそも、見られて困る様な事をしている方が悪いのだ。

本当にそうか?

駄々漏れている情報なら晒して良いと言うスタンスであるならば、RFIDタグBluetoothによる追跡のプライバシー問題を取り上げていたのは何だったのか。

単に駄々漏れている「仕様」が問題だ、と言うだけなのか。

だとしても、Winny仕様を叩けば良いのであって、特定のIPアドレスで何をやり取りしているかを晒すツールを公開する理由にはならない。

RFIDタグBluetoothの問題を語る時に、追跡ツールを公開していないのと同じだ。

システムの問題を語る為に、個人を攻撃する凶器を放流する必要は無い。

HiromitsuTakagiの意図がどうであれ、Nyzillaが公開されれば、個人を攻撃する為に利用する輩が出てくるだろう。

必ず、出るだろう。

IPアドレスさえ判れば良いのだから簡単だ。

mixiアプリが始まって、今やmixiアクセスだって足跡と組み合わせてIPアドレスが取得できる。

気に入らないコメントをつけた奴とか、ID知られちゃって仕方なくマイミクにした上司とか。

偉そうな事言ってるけど、Winnyでこんなファイル流してるじゃねーか、と。

攻撃の為に使う人間にとってはIPアドレスが可変だとか、IPアドレスユーザじゃないとか、そんな事はどうでも良い。

むしろ、全く無関係のWinnyユーザIPアドレスバッティングしてくれた方が都合が良い位だ。

架空請求詐欺にも利用出来るかも知れない。

未だに1クリック詐欺に引っかかる人が居る位だ。

「貴方の家の息子さんが著作権侵害を行っている証拠です」とか言われて往生する人も出て来るだろう。

或いは、悪意を持った攻撃者でなくても、単純な好奇心で知人のIPアドレスの利用状況を見てみる人だって居るだろう。

そこで運悪くIPアドレスバッティングが起きたらどうするのか。

知識のある専門家がその技術を使うのと、知識のない素人技術だけ使えてしまうのとでは、引き起こされる結果は全く違うものになるだろう。

ソフトウェアは一度公開されてしまえば、もう止められない。

Winnyネットワークが止まらないのと同じだ。

HiromitsuTakagiの意図がどうかなど知らない。

だが、Nyzillaの公開は今までのセキュリティプライバシー問題に対する言動とは明らかに次元が異なる。

その行動は「Winny違法行為やってる様な奴は叩いて良い」と言う倫理観に基づいている様に見える。

倫理観と言えば聞こえが良いが、要は私刑だ。

個人的には「Winny違法行為やってる様な奴なんかどうなろうが知らん」が、そんな攻撃に巻き込まれるのはお断りだ。

真っ平ごめんだ。

Nyzillaの公開は12/23だと言う。

クリスマスを前に魔女狩りが始まる訳だ。

これだけは言っておく。

最初に「魔女が居るぞ」と叫んで火を放ったのはid:HiromitsuTakagi、君だ。

今後何が起ころうと、Nyzilla公開によって起きる全ての責任id:HiromitsuTakagi、君にある。

さて、増田諸氏よ。貴方達はどうする?

火を手に掲げて、魔女を探しに行くのか

降りかかる火の粉を恐れ、謂れのない糾弾に慄くのか

どちらでも好きにすれば良い。

2009-11-28

HTMLを体系的に理解するための7仕様

はじめに

最近マークアップエンジニア志望の若者と話す機会が多いのだけれど、そこで気づかされるのは、彼らの中に過去HTML(特に90年代以前の仕様)を読んだことのあるという人が、驚くほど少ないことだ。

例えば「マーク・アンドリーセンをどう思う?」と聞くと、「アンドリーセンって誰ですか?」という答えが返ってくる。「ヨスケの独自要素で何が一番好き?」と聞くと、「見たことがありません」と言われてしまう。「ではきみは、昔のHTMLを見たことがあるの?」と聞くと、たいていが「とほほでやっていたものくらいなら……」という答えしか返ってこない。

今の若い人の間では、HTMLを体系的にとらえようという人は少ないようだ。見るのは専ら近年の話題仕様ばかりで、歴史を辿ってみたり、系譜をひもといて標準化団体ごと理解しようとする人はほとんどいない。

これは、ちょっと由々しき問題だと思わされた。HTMLは、もう長いこと(90年代の早い時期から)インターネット王者としてあらゆるWeb関連技術の上に君臨してきた。だから、Webを作ることを仕事にしたいなら、何をするにせよ避けて通ることはできない。

HTMLは、表・画像・フォーム・音楽デザインフレーム動画など、さまざまな分野においてその時代々々に達成された最新の成果を持ち寄るようにして作られてきたところがある。だから、HTMLを読まずして現代のインターネットは語れないと言ってもいいくらいだ。

もし何かクリエイティブなことをしたいのなら、HTMLを読むことは欠かせない。また、単に読むだけではなく、それを包括的・体系的にとらえることも必要だ。なぜなら、HTML包括的・体系的にとらえることによって、現代のインターネットそのものを、包括的・体系的にとらえられるようになるからだ。そしてそうなれば、Webを作ることの道理や筋道が理解でき、何かクリエイティブなことをする上で、大きな助けとなるからである。

そこでここでは、昔のHTMLをほとんど見たことがないという人や、あるいはHTMLそのものもあまり見ないという人のために、これを見ればHTMLを体系的に理解でき、現代インターネットの成り立ちや実相までをも包括的にとらえることができるようになる、7本の仕様を紹介する。

ここで紹介するHTMLは、いずれも後のWeb業界に決定的な影響を与えたものばかりだ。これらが、HTMLという標準のありようや方向性を決定づけた。この7本を見れば、HTMLというのはどのようなきっかけで生まれ、どのような変遷を辿って、どのような足跡を残してきたかというのが、体系的に理解できるようになる。そしてそれが、世界インターネット利用シーンにどのような影響を及ぼしてきたかということも、知ることができるようになるのだ。

HTMLを体系的に理解するための7本の仕様

1本目『HTML 3.0』(1995年

まず最初は、ちょっと強引かも知れないけれど、第一次ブラウザ戦争前のHTMLをひとまとめにするところから始める。

80年代末にティムバナーズ=リーの発明したHTMLというメディアは、その後『HTML 1.0』(1993年)『HTML+』(1994年)『HTML 2.0』(1995年)などの仕様で次第にそのスタイル確立していき、マーク・アンドリーセンが一大産業として発展させた後、『HTML 3.0』に行き着く。そして幸運なことに、ここに集大成されるのだ。

ブラウザ戦争前のHTMLは、これ1本だけ読めば良い。このHTMLに、戦前HTMLの全ての要素(属性)が詰まっている。このHTMLを見れば、HTMLインターネット王者としての風格、スターという存在の大きさ、作者以上にブラウザが重視される「産業」としての側面、お尻Pから終了タグ省略可へ・文字情報から画像付きへと移り変わった技術革新の変遷など、戦前HTML史やWeb業界のありようが全て分かるのだ。

このHTMLの魅力は、説明し始めるといくら紙幅があっても足りないので、ここではその一端を紹介するにとどめておく……といっても、気の利いたことを言えるわけではない。『HTML 3.0』の魅力を知るには、まずは読んでもらうこと――これに尽きるからだ。そして、もし一度でも読めば、その魅力はたちどころに理解できるだろう。

HTML 3.0』を見て驚かされるのは、現在HTMLと比べても全く遜色ないところである。破棄されてから14年の時が経過しているが、現代人の読解にも当たり前のように堪えうるのだ。それは、逆にいえばHTMLというものは、今から14年前、つまりこの『HTML 3.0』が作られた時点で、様式として一つの完成を見たということでもある。

HTML 3.0』は、HTMLという標準が到達しようとした一つの極みである。それゆえ、HTML史というものは、『HTML 3.0』以前と以降とで分けられるようになった。これ以降に作られたHTMLで、『HTML 3.0』の影響を免れたものはないからである。

2本目『Compact HTML』(1998年

iモード世界HTML史に与えた影響というのは、一般に理解されているよりもはるかに小さなものである。日本人というのは、「日本技術世界に影響を与えた」というと、なぜか鼻高々と聞いてしまうところがある。「日本ガラパゴス」という言葉は聞いたことがあっても、「それって日本人過小評価しているだけじゃないの?」と、眉に唾をしてとらえるところがある。

しかしiモードは、真に日本HTML史を塗り替えたサービスの一つである。特に、このサービスの後世に与えた影響には、本当に計り知れない大きさがある。

iモードは、ドコモメインストリームだったポケットベルが、それまでの栄華の反動で深刻な低迷期に陥っていたPHS流行後すぐの時期、そんなポケットベルに取って代わって、日本で最も輝いていた携帯サービスであった。それゆえ、広末に見蕩れ世界HTMLファンたちは、iモードWebサイトを見ることによって、失われかけていたWeb制作の魅力を再発見することにもなったのである。

iモードは、没落したHDMLに変わってモバイルWebの命脈をつなぎ止めた、言うならば救世主のような存在であった。海外モバイル陣営が営々と築きあげてきたそれまでの栄光を切り捨て、日本の後代へと引き継いだ重要リレー第一走者としての役割を、HTML史において担ったのである。

そして、そのバトンを受け取った日本の若きWebデザイナーたちが、2000年代に入って雨後の竹の子のように現れたことで、モバイルWebは鮮やかな発展を遂げる。だから、もしiモードが存在しなければ、HTMLの様相は今とは違ったものになっていたかもしれないのだ。

そんなiモードHTMLバージョンはいくつもあるのだが、中でも特に多くのHTMLファンを――取り分け日本の若きWebデザイナーたちを魅了したのが、この『Compact HTML』である。この仕様の一番の魅力は、なんといってもその大胆に構築されたW3C Noteであろう。HTML史において、これほど拡張多く適当ディテールで構成されたNoteは他にない。そのためこのNoteは、これ以降無数に手本とされ、真似され、拡張されることとなるのである。

3本目『HTML 4.0』(1997年

正字仮名の影響を受けた日本の若き日記書きたち――言うなれば「CSSコミュニティ」――が頭角を現す直前のW3Cで、HTML史に乾坤一擲の巨大な爪痕を残した1本の仕様誕生する。

この時期、情報技術進歩によって、HTMLにもさまざまな新しいテクノロジーがもらたされていたのだが、それらを十全に取り入れたばかりではなく、縦横に駆使することによって、これまでとは全く違った国際化、全く違ったアクセシビリティ体験を生み出すことに成功したのが、この仕様HTML 4.0』を勧告したWorld Wide Web Consortiumである。

HTML 4.0』は、HTML史において最も革新的な仕様の一つとなった。この仕様に初めて触れた当時のWebデザイナーたちは、そのあまりの目新しさに度肝を抜かれた。そこでは、これまで全く見たことのないマークアップがくり広げられていた。そのため、これまで想像さえしたことのなかった全く新しいHTML体験を、そこで味わうことになったからである。

W3Cの果たした一番の功績は、テクノロジーHTMLを見事な調和をもって融合させたことだろう。例えばそこでは、「スタイルシート」という新しい技術デザインと、それでレイアウトされたページが閲覧者に与える独特の感覚というものを、双方ともに熟知していた。だから、それらを効果的に融合させることによって、全く新しいHTML体験を生み出すことができたのである。

この仕様HTML 4.0』には、そうしたテクノロジーHTMLとの融合が、至るところに散見できる。その数の多さとクオリティの高さによって、HTMLはここに、新しい時代の幕開けを迎えるに至ったのである。

4本目『ISO/IEC 15445:2000』(2000年

先に述べた「CSSコミュニティ」がWeb日記業界に論争をもたらすのは、2000年代に入ってからのことである。そして、そのきっかけとなったできごとの一つが、1947年生まれの非政府組織で、IECとも協力した生粋工業標準化団体であった国際標準化機構が、この仕様ISO/IEC 15445:2000 (ISO-HTML)』によって成功を収めたことである。

このHTMLは、単にJIS的に標準化しただけではなく、文化的な意味においても、フラットリニア構造の力を広く世界に知らしめることとなった。この仕様の成功によって、世界の人々は、レベル付けされた見出しの魅力の大きさを知る。そしてそれが、やがて見出しレベル分けが世界スタンダードとなり、誰もが当たり前のように使う状況を育んでいくのである。

またこの仕様は、CSSコミュニティそのものにも大きな影響を与えた。この仕様の成功に刺激を受けた才能ある若きコミュニティ住人たちが、その後立て続けに台頭し、いくつもの名サイトを生み出していくからである。

それらが相まって、やがてCSSコミュニティは空前の黄金時代を迎えることになる。その端緒となり、道筋を切り開いたのが、他ならぬこの『ISO-HTML』なのだ。

5本目『XHTML 1.0』(2000年

HTML 4.0』で繁栄の足がかりを築いたW3Cは、この仕様XHTML 1.0』によって、ついにその栄華の頂点に達する。そして、それを成し遂げたメタ言語も、W3C勧告のの一つであり、また『HTML 4.0』を作ったSGMLの改良でもあった、Extensible Markup Languageであった。

この勧告は、史上最も商業的に成功した仕様となる。そのためこれ以降、この勧告にならって商業バズワードを盛り込んだ仕様が数多く作られるようになり、しかもそれらが、実際に大きな商業的話題を集めていくのだ。すると、そこで生み出された多くの意見は、やがて再びW3C還元され、さらなる発展をもたらすことにもつながった。

そんなふうに、この仕様がきっかけとなってW3Cにもたらされた意見は、HTMLという言語を変革させていくことになるのだが、それに伴って、HTMLそのものにも大きな革新をもたらすことになる。

その変革も、他ならぬW3Cの手によってなされた。ここで『XHTML 1.0』の成功によって手にしたメンバーをもとに創設した文書マークアップの開発集団「HTML Working Group」が、より魅力的な拡張性を追求していく中で、やがてM12n(モジュール化)という技術の開発に至るのである。するとそれが、これまでのHTMLを一変させたのだ。

M12nは、HTMLに魅力的かつ効果的な特殊語彙を、DTDでしかも複雑怪奇にもたらすことに成功した。おかげでそれは、あっという間に世界から見捨てられていった。そのため今では、M12nの使われているHTMLを探す方が難しくなったくらいだ。それくらい、この『XHTML 1.0』がWeb業界にもたらした変革には、大きなものがあったのである。

6本目『XHTML 2.0』(2009年

2000年代以降、繁栄を謳歌したW3Cは、しかしその栄華の大きさゆえ、00年代中盤に入るとそれを存続させることに力をそがれてしまい、革新的な仕様はなかなか生まれてこなくなった。

しかし、そんな時代が5年は続いた00年代の後半になって、今度はその栄華のただ中で育った新しい世代のHTML WGメンバーたちが台頭してくることにより、再び変革の時を迎えることとなる。

その新しい世代のHTML WGメンバーとは、マイクロソフトモジラファンデーションオペラらに代表される「ブラウザベンダ」と、無関係な編集者たちであった。

彼らに共通するのは、文書構造に不必要なものなら全て――とるに足らないガジェット的なものまで含めて――残らず切り離そうとする「オタク的な性質」を持っていたことだ。

彼らは、それまで見過ごされがちだったHTMLの些末な要素にスポットを当て、それを別仕様に押し出すことで、従前とは一風変わった、新たな魅力を持った草案を生み出していった。そして、その真打ち的な存在として00年代の後半に登場したのが、XHTML2 Working Groupだ。

XHTML2 WGは、特に99年に最後の草案が作られたこの仕様XHTML 2.0』によって、オタク的なHTMLの楽しみ方が、一部のマニアだけにとどまり、それ以外の多くの人たちには受け入れられないことを証明してみせた。この失敗が、デ・ファクト的な新生HTML WGにさらなる脚光を浴びせることになったのはもちろん、それに影響を受けたWeb WorkersやDOM Level 3 Eventsといった、次世代のWeb標準たちの誕生にもつながっていったのである。

7本目『HTML5』(2022年?)

最後は、第二次ブラウザ戦争集大成ともいえるこの仕様である。

HTML5』は、HTML史においては『HTML 3.0』と同じような意味を持つ。つまり、それまでのHTMLの要素が全て詰まっているのだ。この仕様を見れば、それ以前のHTML歴史というものが全部分かる。

HTML5』には、HTMLのあらゆる要素が詰まっている。ここには、『HTML 3.0』のような歴史的な仕様としての「総合性」があり、『Compact HTML』のような「実装の実在さ」がある。『HTML 4.0』のような「マルチメディアアクセシビリティの融合」があり、『ISO-HTML』のように「セクション構造の魅力を全世界に知らしめ」た。また、『XHTML 1.0』のように「バズワード的に成功」したのはもちろん、『XHTML 2.0』が別仕様押し出した「オタクガジェット」にも満ちている。

全て詰まっているのだ。なんでもあるのである。つまりこのHTMLは、『HTML 3.0』と全く同じ意味合いを持っているのだ。HTML史というものは、『HTML5』以前と以降とで分けられる。これ以降に作られるHTMLで、『HTML5』の影響を免れるものはないであろうからである。

まとめ

以上、これさえ読めばHTML包括的・体系的にとらえることができる7本の仕様を、制作された年代順に紹介した。

こうして見ると面白いのは、歴史的に重要仕様は、必ずしも定期的に現れるのではなく、あるところでは連続しているし、あるところでは長らくなかったりすることだ。それはまるで「素数分布」のようだ。一見規則性はないように見えるものの、何かしらの法則が隠されているようでもあり、興味深い。

それから、ここに挙げた仕様は、いずれも「読むことによって他の仕様にも興味が移行する」ということを念頭に選んだ。

例えば、『HTML 3.0』を読んだならば、ブラウザ戦争前夜の独自HTML拡張自然と興味がいくだろうし、『Compact HTML』を読んだなら、iモードのそれ以外のバージョンHTMLも見たくなるだろう。CSSコミュニティについてもそれは言えるし、『ISO-HTML』を読んだなら、このHTML流行らす土壌ともなった「フラットリニア構造」というムーブメントにも自然と興味がわくはずだ。さらには、『XHTML 1.0』はXMLオタクになるきっかけになるだろうし、『XHTML 2.0』はその他の「オタク的なXML EventsやXForms」の仕様も見たくなるという効果を持っている。

ただし、最後に選んだ『HTML5』だけは、こうした例とは別に考えなければならないかも知れない。なぜならこのHTMLは、完成度があまりにも高いために、これを見た後に他のHTMLを読むと、どうしても物足りなく感じてしまうからだ。

しかしいずれにしろ、これらの仕様を読むことによって、HTMLをさらに愛さずにいられなくなるのは疑いない。そしてまた、これらの仕様を読むことによって、HTML包括的・体系的に見る目を養ってもらえれば、その後のクリエィティブな活動にも、大きな助けとなるはずだ。

おまけ(参考文献)

上に挙げた仕様への理解は、以下に紹介する著作を読むことによって、さらに深まる。これらを読むことによって、ぼくは「HTMLを体系的に見るとはどういうことか」を学んできた。

高校時代に読んだこのサイトによって、「リソースとは何か」ということを、ぼくはを知った。

HTMLSGMLの応用だ」ということが、このサイトを読むことでよく分かる。何気なく見ていた省略記法でも、その裏には、実にさまざまな技術や、それを開発してきた歴史というものが隠されていた。

世界CSSコミュニティの何に驚かされたかといえば、それはやっぱり精緻に書き込まれた正字仮名にだ。ノジタン日記には、HTML本質が詰まっている。だからこそ、あれだけ多くの日記で多くのコミュニティ住人に、言及されたり模倣されたりしたのだ。

ここでは取りあげられなかったのだが、とほほ氏がHTMLというジャンルに及ぼした影響にも、本当に大きなものがある。そして、ぼくが上に挙げた感想のいくつかは、このサイトに書かれていたばけらさんとの「スタイルシート論争」を参考にしたものなのだ。

これらのサイトを読めば、どんなHTMLが素晴らしく、どんなHTMLがそうではないというのが、よく分かる。その判定基準を知ることができ、審美眼を養うことができるのだ。なにしろ、あのCSSコミュニティ住人の言うことなのだ。これにまさる教科書は、他にはない。


元ネタ

2009-11-27

作画を体系的に理解するための7作品

はじめに

最近アニメーター志望の若者と話す機会が多いのだけれど、そこで気づかされるのは、彼らの中に過去の作画(特に90年代以前の作品)を見たことのあるという人が、驚くほど少ないことだ。

例えば「金田伊功をどう思う?」と聞くと、「金田伊功って誰ですか?」という答えが返ってくる。「なかむらたかしの作画で何が一番好き?」と聞くと、「見たことがありません」と言われてしまう。「ではきみは、昔の作画を見たことがあるの?」と聞くと、たいていが「youtubeで流れていたものくらいなら……」という答えしか返ってこない。

今の若い人の間では、作画を体系的にとらえようという人は少ないようだ。見るのは専ら近年の話題作画ばかりで、歴史を辿ってみたり、系譜をひもといてタイミングごと理解しようとする人はほとんどいない。

これは、ちょっと由々しき問題だと思わされた。作画は、もう長いこと(20世紀の遅い時期から)マイノリティ王者としてあらゆるオタクの上に君臨してきた。だから、作画を作ることを仕事にしたいなら、何をするにせよ避けて通ることはできない。

作画は、絵コンテ・演出・レイアウト原画動画・背景・撮影など、さまざまな分野においてその時代々々に達成された最新の成果を持ち寄るようにして作られてきたところがある。だから、作画を見ずして現代のアニメは語れないと言ってもいいくらいだ。

もし何かクリエイティブなことをしたいのなら、作画を見ることは欠かせない。また、単に見るだけではなく、それを包括的・体系的にとらえることも必要だ。なぜなら、作画を包括的・体系的にとらえることによって、現代のアニメそのものを、包括的・体系的にとらえられるようになるからだ。そしてそうなれば、ものを作ることの道理や筋道が理解でき、何かクリエイティブなことをする上で、大きな助けとなるからである。

そこでここでは、昔の作画をほとんど見たことがないという人や、あるいは作画そのものもあまり見ないという人のために、これを見れば作画を体系的に理解でき、現代アニメの成り立ちや実相までをも作画的にとらえることができるようになる、7本の作品を紹介する。

ここで紹介する作品は、いずれも後の作画界に決定的な影響を与えたものばかりだ。これらが、作画というジャンルのありようや方向性を決定づけた。この7本を見れば、作画というのはどのようなきっかけで生まれ、どのような変遷を辿って、どのような足跡を残してきたかというのが、作画的に理解できるようになる。そしてそれが、アニメの作画シーンにどのような影響を及ぼしてきたかということも、知ることができるようになるのだ。

作画を体系的に理解するための7本の作品

1本目『タイガーマスク』(1969年

まず最初は、ちょっと強引かも知れないけれど、金田伊功前の作画をひとまとめにするところから始める。

20世紀末に手塚治虫発明したリミテッド作画というアニメートは、その後『巨人の星』(1968年)『サイボーグ009』(1968年)『アタックNo.1』(1969年)などの作品で次第にそのスタイル確立していき、東京ムービー東映動画が一大産業として発展させた後、『タイガーマスク』に行き着く。そして幸運なことに、ここに集大成されるのだ。

金田前の作画は、これ1本だけ見れば良い。この作画に、金田前の作画の全ての要素(魅力)が詰まっている。この作品を見れば、作画のエンターテインメント王者としての風格、スターという存在の大きさ、原作者以上にアニメーターが重視される「個性」としての側面、フルアニメーションからリミテッドアニメーションへ・ハンドトレスからマシントレスへと移り変わった作画革新の変遷など、金田前の作画史や作画界のありようが全て分かるのだ。

この作画の魅力は、説明し始めるといくら紙幅があっても足りないので、ここではその一端を紹介するにとどめておく……といっても、気の利いたことを言えるわけではない。『タイガーマスク』の魅力を知るには、まずは見てもらうこと――これに尽きるからだ。そして、もし一度でも見れば、その魅力はたちどころに理解できるだろう。

タイガーマスク』を見て驚かされるのは、現在の作画と比べても全く遜色ないところである。作られてから40年の時が経過しているが、現代人の鑑賞にも当たり前のように堪えうるのだ。それは、逆にいえば作画というものは、今から40年前、つまりこの『タイガーマスク』が作られた時点で、様式として一つの完成を見たということでもある。

タイガーマスク』は、作画というジャンルが到達した一つの極みである。それゆえ、作画史というものは、『タイガーマスク』以前と以降とで分けられるようになった。これ以降に作られた作画で、『タイガーマスク』の影響を免れたものはないからである。

2本目『無敵超人ザンボット3』(1977年

金田伊功が国内の作画史に与えた影響というのは、一般に理解されているよりもはるかに大きなものがある。アニオタというのは、「作画文化アニメに影響を与えた」というと、なぜか話半分で聞いてしまうところがある。「作画のカナダ」という言葉は聞いたことがあっても、「それって作画オタが過大評価しているだけじゃないの?」と、眉に唾をしてとらえるところがある。

しかし金田伊功は、真に国内の作画史を塗り替えた人間の一人である。特に、彼の後世に与えた影響には、本当に計り知れない大きさがある。

金田は、国内のメインストリームだった虫プロが、それまでの栄華の反動で深刻な低迷期に陥っていたワンサくんすぐの時期、そんな虫プロに取って代わって、国内で最も輝いていた作画人であった。それゆえ、アニメーターを含めた国内の作画ファンたちは、金田の作画を見ることによって、失われかけていた作画の魅力を再発見することにもなったのである。

金田は、没落した虫プロに変わって作画の命脈をつなぎ止めた、言うならば救世主のような存在であった。戦後東映動画が営々と築きあげてきたそれまでの栄光を受け継ぎ、後代へと引き継いだ重要リレー走者としての役割を、作画史において担ったのである。

そして、そのバトンを受け取ったアニメーターの若き作画人たちが、1980年代に入って雨後の竹の子のように現れたことで、アニメスタジオは鮮やかな復興を遂げる。だから、もし金田がいなければ、作画の様相は今とは違ったものになっていたかもしれないのだ。

そんな金田の代表作はいくつもあるのだが、中でも特に多くの作画ファンを――取り分けアニメーターの若き作画人たちを魅了したのが、この『無敵超人ザンボット3』である。この作品の一番の魅力は、なんといってもその大胆に構築されたパースであろう。作画史において、これほど格調高く見事なディテールで構成されたパースは他にない。そのためこのパースは、これ以降無数に手本とされ、真似され、翻案されることとなるのである。

3本目『伝説巨神イデオン』(1980年

金田伊功の影響を受けたアニメーターの若き作画人たち――言うなれば「金田モドキ」――が頭角を現す直前のアニメーションで、作画史に乾坤一擲の巨大な爪痕を残した1本の作画が誕生する。

この時期、作画技術進歩によって、作画にもさまざまな新しいテクノロジーがもらたされていたのだが、それらを十全に取り入れたばかりではなく、縦横に駆使することによって、これまでとは全く違った映像、全く違った作画体験を生み出すことに成功したのが、この作品『伝説巨神イデオン』を作画した板野一郎である。

伝説巨神イデオン』は、作画史において最も革新的な作品の一つとなった。この作品に初めて触れた当時のアニオタたちは、そのあまりの目新しさに度肝を抜かれた。そこでは、これまで全く見たことのない映像がくり広げられていた。そのため、これまで想像さえしたことのなかった全く新しい作画体験を、そこで味わうことになったからである。

板野の果たした一番の功績は、ミサイルカメラワークを見事な調和をもって融合させたことだろう。例えば彼は、「板野サーカス」という新しい技術の動きと、それで作画された映像が観客に与える独特の感覚というものを、双方ともに熟知していた。だから、それらを効果的に融合させることによって、全く新しい作画体験を生み出すことができたのである。

この作品『伝説巨神イデオン』には、そうしたテクノロジーと作画との融合が、至るところに散見できる。その数の多さとクオリティの高さによって、作画はここに、新しい時代の幕開けを迎えるに至ったのである。

4本目『うる星やつら』(1981年

先に述べた「金田モドキ」がアニメーション復興をもたらすのは、1980年代に入ってからのことである。そして、そのきっかけとなったできごとの一つが、北海道生まれのスタジオNo.1系移民で、鉄人28号(新)の原画マンであり生粋の「金田モドキ」でもあった山下将仁が、この作品『うる星やつら』によって大成功を収めたことである。

この作品は、単に演出的に成功しただけではなく、作画的な意味においても、アニメーターの力を広くアニオタに知らしめることとなった。この作画の成功によって、アニオタの人々は、金田系作画の魅力の大きさを知る。そしてそれが、やがて金田系作画が作画のスタンダードとなり、誰もが当たり前のように見る状況を育んでいくのである。

またこの作品は、金田系作画そのものにも大きな影響を与えた。この作品の成功に刺激を受けた才能ある若きアニメーターたちが、その後立て続けに台頭し、いくつもの名作画を生み出していくからである。

それらが相まって、やがてアニメーションは空前の黄金時代を迎えることになる。その端緒となり、道筋を切り開いたのが、他ならぬこの『うる星やつら』なのだ。

5本目『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』(1989年

うる星やつら』で繁栄の足がかりを築いたアニメーションは、この作品『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』によって、ついにその栄華の頂点に達する。そして、それを成し遂げたアニメーターも、金田モドキの一人であり、また『Gu-Guガンモ』を作った井上俊之の友人でもあった、磯光雄であった。

この作品は、史上最もエフェクト的に成功した作品となる。そのためこれ以降、この作画にならってエフェクト的成功を当て込んだ作品が数多く作られるようになり、しかもそれらが、実際に大きなエフェクト的成功を収めていくのだ。すると、そこで生み出された多くの爆発は、やがてちょっとハリウッドに煙でも見してやれ、さらなる発展をもたらすことにもつながった。

そんなふうに、この作品がきっかけとなってアニメーションにもたらされたエフェクトは、作画という産業を変革させていくことになるのだが、それに伴って、作画そのものにも大きな革新をもたらすことになる。

その変革も、他ならぬ磯の手によってなされた。彼が『ポケ戦』の成功によって手にしたお金をもとに創案した作画技術スタイル「フル3コマ」が、より魅力的な作画技術を追求していく中で、やがてWEB系という連中の排出に至るのである。するとそれが、これまでの作画を一変させたのだ。

フル3コマは、作画に魅力的かつ効果的な特殊映像を、中割り不要でしかも手軽にもたらすことに成功した。おかげでそれは、あっという間に個性出したがりアニメーターに広まっていった。そのため今では、フル3コマの使われていない自己主張作画を探す方が難しくなったくらいだ。それくらい、この『ポケ戦』が作画界にもたらした変革には、大きなものがあったのである。

6本目『クレヨンしんちゃん』(1992年~)

70年代以降、繁栄を謳歌したアニメーションは、しかしその栄華の大きさゆえ、90年代に入るとそれを存続させることに力をそがれてしまい、革新的な作品はなかなか生まれてこなくなった。

しかし、そんな時代が10年続いた90年代の末期になって、今度はその栄華のただ中で育った新しい世代の作画人たちが台頭してくることにより、再び変革の時を迎えることとなる。

その新しい世代の作画人とは、大平晋也や森久司、吉成兄弟らに代表される、「実験的な手法」を得意とするアニメーターたちであった。

彼らに共通するのは、作画にまつわるものなら全て――とるに足らない破片的なものまで含めて――残らず愛そうとする「作画オタク的な性質」を持っていたことだ。

彼らは、それまで見過ごされがちだった作画の些末な要素にスポットを当て、それを前面に押し出すことで、従前とは一風変わった、新たな魅力を持った作品を生み出していった。そして、その真打ち的な存在として90年代の初めに登場したのが、湯浅政明だ。

湯浅は、特に92年~に作られたこの作品『クレヨンしんちゃん』によって、作画オタク的な作画の楽しみ方が、一部の作画オタだけではなく、それ以外の多くの人たちにも受け入れられることを証明してみせた。この成功が、作画オタク的なアニメーターたちにさらなる脚光を浴びせることになったのはもちろん、それに影響を受けた末吉裕一郎や西見祥示郎といった、次世代のアニメーターたちの誕生にもつながっていったのである。

7本目『THE八犬伝』(1990~94年)

最後は、アニメーター黄金期の集大成ともいえるこの作品である。

THE八犬伝』は、作画史においては『タイガーマスク』と同じような意味を持つ。つまり、それまでの作画の要素が全て詰まっているのだ。この作品を見れば、それ以前の作画の歴史というものが全部分かる。

THE八犬伝』には、作画のあらゆる要素が詰まっている。ここには、『タイガーマスク』のような歴史的な作品としての「総合性」があり、『無敵超人ザンボット3』のような「パースの大胆さ」がある。『伝説巨神イデオン』のような「カメラワークと作画の融合」があり、『うる星やつら』のように「作画の魅力を全アニオタに知らしめ」た。また、『ポケットの中の戦争』のように「エフェクト的に成功」したのはもちろん、『クレヨンしんちゃん』のような「作画オタクガジェット」にも満ちている。

全て詰まっているのだ。なんでもあるのである。つまりこの作画は、『タイガーマスク』と全く同じ意味合いを持っているのだ。作画史というものは、『THE八犬伝』以前と以降とで分けられる。これ以降に作られた作画で、『THE八犬伝』の影響を免れたものはないからである。

まとめ

以上、これさえ見れば作画を包括的・体系的にとらえることができる7本の作品を、制作された年代順に紹介した。

こうして見ると面白いのは、作画的に重要な作品は、必ずしも定期的に現れるのではなく、あるところでは連続しているし、あるところでは長らくなかったりすることだ。それはまるで「タイムシートの分布」のようだ。一見規則性はないように見えるものの、何かしらの法則が隠されているようでもあり、興味深い。

それから、ここに挙げた作品は、いずれも「見ることによって他の作画にも興味が移行する」ということを念頭に選んだ。

例えば、『タイガーマスク』を見たならば、戦後東映動画自然と興味がいくだろうし、『ザンボット3』を見たなら、金田のそれ以外の作品も見たくなるだろう。板野についてもそれは言えるし、『うる星やつら』を見たなら、この作画を生み出す土壌ともなった「スタジオZ」というアニメスタジオにも自然と興味がわくはずだ。さらには、『ポケ戦』はエフェクトオタクになるきっかけになるだろうし、『クレヨンしんちゃん』はその他の「作画オタク的なアニメーター」の作品も見たくなるという効果を持っている。

ただし、最後に選んだ『THE八犬伝』だけは、こうした例とは別に考えなければならないかも知れない。なぜならこの作画は、統一度があまりにも低いために、これを見た後に他の作画を見ると、どうしても物足りなく感じてしまうからだ。

しかしいずれにしろ、これらの作品を見ることによって、作画をさらに愛さずにいられなくなるのは疑いない。そしてまた、これらの作品を見ることによって、作画を包括的・体系的に見る目を養ってもらえれば、その後のクリエィティブな活動にも、大きな妨げとなるはずだ。

おまけ(参考文献)

上に挙げた作品への理解は、以下に紹介する著作を読むことによって、さらに深まる。これらを読むことによって、ぼくは「作画を体系的に見るとはどういうことか」を学んできた。

ニート時代に読んだこの本によって、「作画とは何か」ということを、ぼくはを知った。

「作画は技術の集積だ」ということが、この本を読むことでよく分かる。何気なく見ていたシーンでも、その裏には、実にさまざまな技術や、それを開発してきた歴史というものが隠されていた。

アニオタ金田の何に驚かされたかといえば、それはやっぱり大胆に歪まれたパースにだ。金田パースには、作画の本質が詰まっている。だからこそ、あれだけ多くのスタジオで多くの作画に、翻案されたり模倣されたりしたのだ。

ここでは取りあげられなかったのだが、大塚宮崎が作画というジャンルに及ぼした影響にも、本当に大きなものがある。そして、ぼくが上に挙げた作品のいくつかは、この本に書かれていた大塚の評価を参考にしたものでは別に無い

この本を読めば、どんな作画が素晴らしく、どんな作画がそうではないというのが、よく分かる。その判定基準を知ることができ、審美眼を養うことができるのだ。なにしろ、あの大塚の言うことなのだ。これにまさる教科書は、他にはない。

元ネタ

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20091126/1259227980

※「伝説巨人イデオン」になってた所を「伝説巨神イデオン」に修正

※一部改訂してます

※ほっとけよェ・・・・>金田に偏りすぎ>本文でなかむらたかしに触れてない

ブクマ200突破で一言、こんなんで「勉強になる」とか言ってっからおめーらいつまでも作画ニワカなんだよ!!死ね!!

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