はてなキーワード: 盗賊とは
ttp://nihonnagonago.blog115.fc2.com/
現地スタッフさえ出勤できなくなっていた。
大使館は、空爆による大きな被害は受けなかったが、多くの盗賊たちに狙われた。
「裕福な日本の大使館なら、宝物があると誰でも思うさ」と、イラク人の警備担当者は話す。
そんな中で、大使館を守ったのは、
向かいに住む元公務員モナサル・アルオブーディさん(45)の一家だ。
バグダッドが陥落した翌日の今月10日、一家6人は協力して、
281 :2/2 :sage :2007/09/08(土) 13:23:05 (p)ID:ye9XEbTn(2)
「日本大使館だと分かれば、盗賊たちに狙われると思ったから、自主的にやったんだ。
燃えたり奪われたりしたら、みんなが悲しむと思って」。
モナサルさんはそう話し、ほこりと油煙ですすけた日の丸を大事そうに広げてみせた。
盗賊たちは、何度も姿を見せたという。
「撃ち返されたこともあったが、大使館を守るために必死だった」とモナサルさんは振り返る。
大使館からはパソコン4台とエアコン1台が奪われてしまったが、
「あの混乱の中、これだけの被害で済んだのは彼らのおかげだ」と、
モナサルさんは、「私は15年間もここに住んでいる。大使館は大切な隣人。
隣人を守るのはイラク人の務めだ」と誇らしげに語り、
rna 人権 それなら自分の人権も疑ってからものを言えば? 試しに人権を放棄してみては。まずは私的所有権から!今すぐ全財産を赤十字に寄付するんだ!/まさか自分の平穏な日々が自分の実力で維持できてるなんて信じてないよね? 2009/11/14
なんと言う頭の悪さwww 人権なんてかけらもなかった時代から私的所有権も個人の財産もあったんだけど、そんなことすらこいつには分からないらしい。私的所有権を人権の中に統合するのはいいが、それは単にそうするべき都合があるからに過ぎない。「人権がなければほかの諸権利もない」なんて発想があるとすれば、それはなんの考察もなしに人権を思考の根拠とするものだ。そしてそれこそが元エントリにある「人権真理教」であり、「手近に転がっていた教義を自らの拠り所にすると、後はひたすら無自覚無批判にそれを絶対不可侵のものとして奉」るという態度なのだが。やれやれ、
こんなこと言ってもバカだから「なにをいいたいのかわからないだろうとは思うけど」さwww
letterdust 人権なんてかけらもない時代は、盗賊に対して封建領主の庇護があり、法律上は帝なり教会なりの土地であるという建前で成り立ってたのだと学校で習ったのだが。まさか封建制度に「私的所有権」があったとは。 2009/11/15
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20091114035232
はあ…。では「封建領主」だの「帝なり教会なり」だの「封建制度」だのが成立する前はどうだったというのだろう。とうぜん「おれの肉」だの「おれの家」がのぐらいはあったと思うのだが、これは「私的所有」「私的財産」じゃないのか。
もちろんそこにあるのは今現在いう用語としてのそれぞれとぴったり同じわけではないが(なにせ制度が今日的に確立していない時点の話だからな)、それはできたての人権と今日の人権がぴったり同じものではない、というのと同様のことでしかない。人権がないとしたら全財産はどこかに寄付だ、とかいったことは全く言えないわけだから、「人権真理教」ぶりの指摘としては十分だ。「人権がなければほかの諸権利もない」のでは全くない。
しかし「人権なんてかけらもない時代」をなぜいきなり「封建制度」と直結させているのか。まさか「人権制度」か「封建制度」の二つしか存在し得ないとでも考えているのだろうか。だとすればこれもまた大した「人権真理教」ぶりではある。
http://anond.hatelabo.jp/20090920120258
http://anond.hatelabo.jp/20090921001250
http://anond.hatelabo.jp/20090921191600
ドラクエ9は表示速度が標準しかなくて、表示速度をいつも早く設定してプレイしているお友だちにはもたついているように感じるかもしれない。戦闘プレイでのもたつきを少しでも短くするためには、NPキャラ(主人公以外)を「おまかせ」にしてAIにプレイさせるのがいいよね。
ただ、そう考えるとさ、回復とか魔法とか、MPを消費するのは、自分で動かしたいじゃん。
こら、今、ベホイミかけろよ、なに杖で攻撃してんだよ、あーあ、死んじゃった、とか、
おまえ、スライム相手にヒャダルコはねーだろ、MP節約しろよ、とか、
ありがちな話。
だから、ついつい僧侶や魔法使いは「めいれいさせろ」にして自分でコマンド入力してしまいがち。
そんなお悩みのあなたにとっておきの秘訣があります。
それは、
主人公を回復役(または魔法使いなどのMP消費系キャラ)にしちゃうこと。
回復役を自分がやれば後の三人は肉弾系の熊男ばかりでも、AIに任せちゃっても大丈夫だよね。
幸い、ホイミを早い段階で覚え、Lv21でベホイミを覚えます。ダーマに到着次第、僧侶に転職すればいい。
コマンド入力は主人公のみ、にして、他のキャラクターに斧を装備させ斧特技で斧無双を習得させたうえで「MP使うな」に設定しておけば、バンバン、斧無双で敵を一掃してくれます。
回復や補助・攻撃魔法は主人公であるあなたがやるのです。
大幅な労力・時間短縮になるのは間違いありません。プレイ中のイライラも軽減されます。
主人公が回復役になる、いずれ僧侶に転職する(僧侶の特技を極めた後、もしくはベホマラーを習得した後は、パラディン、魔法使い、賢者の順で習得していくのがお勧め)ならば、主人公の武器装備は杖がベストです。
杖なら、ダーマまで待つことなくどんどんスキルポイントを注ぎ込みましょう。
自分(主人公)が回復役になり、いずれ僧侶になるなら、回復役は他には要りません。
魔法使いはですね、使えません。習得する攻撃魔法がかなり高レベルになるまで弱すぎですし、それさえも使いすぎればMP切れになります。バイキルトを使えるのは魅力ですが、無くてもボス戦でも乗り切れます。
(ドラクエ9のメインストーリーのボスはかなり弱いです。ラスボスもたぶん歴代最弱です。ふしぎな地図に出てくる裏ボスはかなり強いですが、それに挑戦するのは、メインストーリーをクリア後になるでしょう。その頃にはレンジャーの奥義の「たたかいのうた(全員にバイキルト効果)」を入手できるので、魔法使いになるメリットは常時MPアップ効果を特技で習得することくらいです)
主人公をいずれ僧侶にする場合は、他の3人は、
戦士+盗賊+武闘家
がおすすめです。
今回のドラクエでかなり重要になるのが「すばやさ」と「きようさ」です。
これは、盗賊、武闘家、レンジャーの軽装備系ファイターで主に習得することになります。
各種武器、職業の奥義を入手する際に、「ぬすむ」や「かいしんの一撃」の成功を必要とすることが多いのです。メタルスライム狩りにも「きようさ」「すばやさ」が重要になります。
http://anond.hatelabo.jp/20090920120258
ここまでのまとめだよ。
と書いたけど、序盤の序盤、ダーマ神殿にたどり着くまでは、武器スキル優先にスキルポイントを振ったほうがいい。
4人パーティーだったら、ラスボス挑戦時の最終的なメンバーは、
パラディン(主人公、旅芸人から転職、装備・斧)、バトルマスター(戦士から転職、装備・斧)、レンジャー(盗賊or武闘家から転職、装備・斧)、僧侶(転職せず、装備・杖)がベスト。
武器は斧がお勧めで、僧侶以外は、スキルポイントをまずすべて斧に注ぎ込んで、どの職業でも斧が装備できるようになろう。
斧は、スキルポイントを上げると、
・会心の一撃が出やすくなる
という利点がある。特に、会心の一撃確率アップと、まじん斬りはラスボスを倒した後の冒険ではいかに効率よくレベルを上げるか(=いかに効率よくメタルスライム系を倒すか)が極めて重要になるので、いずれ必ず斧特技を極める必要が出てくる。
それならば、最初から剣や他の武器にスキルポイントを回さずに、斧を優先させた方が得だ。
そして斧を極めれば他の武器を装備する必要がなくなるので、スキルポイントを職業スキル習得に回せるようになる。
ただ、僧侶のみは、職業の必要上、まずは杖スキルを上げていこう。
僧侶の場合、杖スキルMAXまで→僧侶スキルMAXまで→転職・魔法使い・魔法使いスキルMAXまで→転職・パラディン・パラディンスキルMAXまで→転職・賢者・賢者スキルMAXまで、と呪文系を網羅していくのがいい。
キャラクターごとにまとめると、
主人公・旅芸人・剣装備(この時点ではスキルポイントは振り分けない)→ツォの浜辺到着時、鉄の斧を購入、鉄の斧を装備、手持ちのスキルポイントをすべて、斧へ→斧スキルがMaxになった後はスキルポイントはしばらく振り分けない→サンマウロで船を入手した後、ただちにグラビナ城に行き、パラディン転職可能にする→パラディンに転職し、スキルポイントをすべてパラディンに振り分ける→パラディンスキルがMaxになった後は、賢者、レンジャー、盗賊、武闘家のスキル獲得がお勧め。
重装備ファイター・戦士・剣装備→剣に3Pスキルポイントを振り分け「ドラゴン斬り」を取得、戦士(ゆうかん)に8Pスキルポイントを振り分け「かばう」を取得。それぞれバトルマスター職業とパラディン職業に転職可能になるために必要→ダーマ到着後、バトルマスターに転職→ツォの浜で鉄の斧を購入し、斧スキルをMaxまで→バトルマスタースキルをMaxまで→以後、盗賊、レンジャー、武闘家などの軽装備ファイター系の職業スキルを上げていく。
軽装備ファイター・盗賊・剣装備→バトルマスターに転職(転職せずに、盗賊・武闘家のままでもいい)→ツォの浜で鉄の斧を購入後、斧スキルをMaxまで→バトルマスタースキルをMaxまで→以後、軽装備ファイター系の職業スキル向上へ。
僧侶・杖装備→杖スキルMaxまで→僧侶スキルMaxまで→魔法使い・パラディン・賢者などに転職、それぞれの職業スキルをMaxまで。
おはこんばんちは、ヤマトの諸君。
おっきなお友だちのキミたちはドラクエ9はとっくにクリアして、レベル99の職業のどれを転生させようか、迷ってる頃だろうね。
でも、そろそろ中古も安くなってきて、今ぐらいになってドラクエ9でもやってみようかなって可愛いあの子もきっといるはずだ@真っ赤なスカーフ。
そんなハニーのために、失敗しないドラクエ9ってのを書いてみるよ。
そして、すれ違い通信で地図を交換したりして、データに再現性があんまりないんだ。
つまりだね、こつこつ積み上げてきたデータを消去しないと、「初めからプレイする」ってことが出来ないし、「初めからプレイ」したら貴重な地図はもう二度と手に入れられないかもしれないんだ。
これが、歴代ドラクエと比較しても9が爆発的に売れている理由だね。
データを消したくない大きなお友だちが、「初めからプレイする」ために、二本目、三本目を購入してんだね。
まー、そーゆーこともあってね、「ああ、あの時、ああしておけばよかった!」て思っても、ドラクエ9はなかなかやり直しがきかないんだ。
だからあらかじめ、失敗しないプレイを目指すのがよござんすよ、なのでございますですよ。
何回でも組み直して、心から気に入ったキャラを作ろう。後で、なんか気に入らないなと思っても、もうやり直しがきかない。
名前も「あああああ」とかいい加減なのはやめといた方がいいよ。そういうのが好きっていうんならそれでもいいんだけど、後で後悔しても知らないんだから。シラナイシラナイ。
でね、ドラクエ9ではすれ違い通信で、よそ様のDSにお邪魔することがあるんだよ、主人公が。よそ様に見られても困らない、恥ずかしくない、名前にしたほうがいいよね。
ドラクエ9は基本システムはドラクエ3に似ているところが多々あるけど、ドラクエ3は女性優遇がはなはだしくってさ、明らかに女性キャラの方が有利だったのね。
ドラクエ9はそこまででもないかな。男女キャラの違いで有利不利はあんまりないみたい。
スキルポイントってのが手に入るよ。
ドラクエ9では、キャラクターはモンスターを倒して入る経験値に応じて、ふたとおりのルートで成長する。
僧侶、魔法使い、戦士、盗賊、武闘家(以上、旅芸人を含めて基本職)、バトルマスター、パラディン、賢者、レンジャー、魔法戦士、スーパースター(以上、上級職)とあるんだね。
ダーマの神殿で転職できるよ(あと、賢者が「ダーマのさとり」という特技を覚えるからこれでも転職できるよ)。
例えば、ベホマラーは僧侶Lv.38と賢者Lv.24で覚えるんだ。ドラクエ3とドラクエ9の違いはさ、ドラクエ3は転職しても覚えた呪文は新しい職業でも引き継げたんだ。だからベホイミを使える戦士なんても作れたわけ。
ドラクエ9では引き継げないんだね。僧侶になってベホマラーを覚えても、魔法使いに転職すればベホマラーは使えない。
転職しても引き継げるのは特技(スキル)なんだよね。で、特技はスキルポイントをふりわけて習得していくってわけ。
特技は武器によって生じるものと、職業によって生じるものがあるんだね。
武器は、
剣、杖、鞭、扇、ブーメラン、槍、短剣、棍(棒、だね。如意棒みたいなやつ)、爪、斧、ハンマー、弓、素手(武器を何もつけない状態)とある。
これら武器は装備できる職業が決まってるんだ。例えば剣は、戦士、盗賊、旅芸人、バトルマスター、魔法戦士が装備できる。剣にスキルポイントを振り分けることで、ドラゴン斬り、メタル斬り、はやぶさ斬り、などなどの特技を習得できる。
戦士からバトルマスターに転職したとして、この職業は両方とも剣を装備できるから、剣にスキルポイントをつぎこんで特技を習得していたとしても無駄にはならない。
でも、戦士から魔法使いに転職したら、魔法使いは剣を装備できないから、せっかく覚えた剣の特技が無駄になってしまうんだね。
ただし、武器のスキルポイントをマックスまで(マックスで100だよ)上げたら、そのキャラクターはすべての職業でその武器を装備可能になる。
剣を使える魔法使いなんてのも可能になるんだ(ただ、あんまり役にたたないけどね、魔法使いに剣を持たせても)。
職業にスキルポイントをそそげば、職業特技が習得できる。これはね、他の職業になっても使えるんだ。
たとえば、盗賊がスキルポイント10で覚える特技「ぬすむ」ね、これは一度覚えれば他の職業に転職しても、使えるんだよ。
だから、特に序盤は、スキルポイントは武器じゃなくて職業につぎこんだ方がいいね。
後、職業特技で「常時」がつく特技がある。「常時身の守り+30」とかね。これは他の職業になっても、有効だから、キャラクターを育てる方法として有効だ。
さて、冒険を進めていけばセントシュタインという町にたどりつく。
ここにあるルイーダの酒場で、パーティーメンバーを加えることが出来る。
最大パーティーメンバー数は主人公を入れて4人で、最大9人のキャラクターをストックできるけど、実際にはキャラクターを入れ替えることはあんまりない。だってパーティーメンバーを入れ替えたら、手塩にかけて育ててきたキャラクターとさよならして、また一から成長させていかないといけないから。
だから、基本的にはパーティーキャラクターは入れ替えなし、のつもりで。
パーティーキャラクターも自分でメイキングできるよ。頻繁に入れ替えできないから(できるけど、それをしたら無茶苦茶不利になるよ)、納得のいくキャラクターを作ろう。
パーティーメンバー数は1人(主人公のみ)から4人まで、お好み次第だ。
大体の人は4人パーティーでプレイすると思うけど、1人、2人は危険すぎるからやめておいた方がいいとして、3人パーティーは実はかなりおすすめだ。
4人パーティーでも、ほとんどの戦闘では、全員攻撃するまでもなくカタがつく(一人は遊んでいることが多い)。ボス戦ではもちろん4人パーティーの方が安全ではあるんだけど、3人パーティーでも戦闘時間が長くなるくらいで、回復をきっちり出来るなら(魔法の聖水や特薬草で補える)、それほど不利じゃない。
利点は経験値が4人パーティーだったらおおよそ4分割(全員の職業レベルが同じだとして)なのに対して、3分割されること、つまりひとりあたり経験値が多く入ること、それだけ成長も早いし、スキルポイントも多く振り分けられる。
ダーマ神殿にたどり着くまでは転職できないから、主人公は旅芸人だね。これは、よく言えばオールマイティー、悪く言えば器用貧乏な職業。
パーティー編成は、最初は、4人なら「旅芸人+僧侶(回復・魔法系)+戦士(重装備攻撃系)+盗賊or武闘家(軽装備攻撃系)」がいい。魔法使いを入れるくらいなら、物理攻撃系をひとり増やした方がいいね。
戦士は動きが遅いので、攻撃力は高いけど、かえってリスキー。3人パーティーなら軽装備攻撃系を入れた方がいい。盗賊はなんと言っても「ぬすむ」を習得させれば使い勝手がいいけど、3人パーティーなら攻撃力に難があって、武闘家の方がいいかな。4人パーティーなら盗賊を入れた方がいいかもね。
で、スキルポイントなんだけど、これって限りがあるんで、終盤を見据えて戦略的に振り分けていく必要がある。
どの武器を装備させるかも考えておく必要があるね。
おっと、時間だ。続きは明日書くかも。
2年前にUNAMID平和維持活動の立ち上げを一任されたマーチンルーサーアグウェイ司令官の言葉だ。司令官を退任することになっているAgwai氏は、ダルフール紛争は激烈な戦闘のフェーズとは違ったものになっていると、BBCのインタビューに答えている。
「もちろん盗賊行為、土地や水をめぐる地方住民の争いなどはなお解決されなければならないだろうが、いわゆる内戦と我々が理解している戦争は、もはやみられない」
過去2,3年の間にダルフールへ行ったことがある人は誰でも同じ結論を抱いているのではないだろうか。ところが、セーブ・ダルフールのロビイストたちは知ってか知らずか、Agwai司令官の発言を曲解した。まぁ予想通りだったが。
たとえばEnoughプロジェクトのNorris氏は、この点を意図的にスルーしている。
彼は自分と異なる意見の持ち主は誰でも、スーダン政府に肩を持つ工作員と非難する傾向があるのだ。
Agwai氏らは都合の悪いことをいわなかった。例えば、治安上の問題から帰郷できない300万人の国内避難民の存在。それから、アルバシール大統領とジャンジャウィードの一味にとっては、300万人を追っ払ったので、十分目的は達成しており、毎日武力行使するまでもないのだ。
Agwai氏はこんなことはいっていない。過去2年間、盗賊に襲われないように避難キャンプを防衛してきたAgwai氏がいっているのは、ダルフールは依然として人道的には危機的な状況を脱していないが、それはNorris氏が想像するようなジェノサイドや武力衝突によるものではない、ということだ。
「Promise of Engagement」のBec.Hamilton氏もまた、うかつなことにこの点を見過ごしている。
「まず、’戦争が終わった’ということと戦争が雨季や武装勢力の分裂あるいは選挙などの影響で小康状態にあるということは別のことだ。それに、この変化が確定的なものであるとしても、国内避難民の状況に無関係である。本当の問題はいかに戦争の結果として生じた不安定な状況が人道的な空間が圧迫しているかということである。」
この点、いいことをいっていると思うが、しかしベックはそれを台無しにするようなこともいう。
「結論として、Agwai司令官のコメントは間違っているわけではないが、かなり的外れだ」
このブログの読者であれば改めていうまでもないことだが、とりあえず進めよう。ダルフール救済のための国際的な取り組みで問題となっているのは、この種の見当違いの分析だ。ダルフール紛争をいかに理解するかは解決の重要な鍵である。この紛争をジェノサイドあるいは戦争と考え続けることは、飛行禁止区域とか平和維持軍、またバシール大統領の逮捕に関心を持つということだ。去年の大統領選において、クリントンやオバマがこれらの事柄に言及していたように、活動家の主流派の基調をなすこととなる。
しかし、現実はかなり異なる。スーダン西部における危機とは人道的な種類のものであり、軍事的な解決を要するものではない。Agwai司令官の分析で明らかなように、ダルフールの治安にとって重要なのは、盗賊行為や水問題、そして地元同士の争いの問題なのだ。Agwai司令官の分析は的を射ている。
こうした正反対の事実があるのにジェノサイドや戦争にこだわりつづける論者は、ますますピントはずれの呆れた論客と成り果てている。証拠に基づいて解決を探るという態度ではなく、解決へと導くような策略によって行動しているのだ。彼らは現場で何が起こっているのかについては関心がないのだ。Agwai司令官のコメントをろくに考えもせずに却下したことが何よりの証拠だ。
Norrisのようなタイプの人々は、ダルフール地方の治安状況がどうであれ、スーダン政府を崩壊させればそれでよいと考えているのだ。
平和というのは、ロビイストがドグマを捨てたときに初めて実現できるものだ。しかし活動家のなかには、平和よりも反ムスリム感情に突き動かされているタイプがいる。だからこそいまだに我々はダルフール救済をうまく実現できないのだろう。
ちまたで賛否両論、9割否定、と大変話題の雑誌「コミックギア」を購入いたしました。遅きに失した感がありますが、ここでダラダラと感想を述べさせていただきます。
このマンガ雑誌の特徴は、漫画家さんだけで雑誌を作っていく、ということ。互いに互いの作品に対してあーだこーだを繰り返して、各々が漫画製作に励むというわけです。では「編集者がいないのか」というと実はそうではなく、公式ブログによると「漫画家全員で意見を出し合って出来たネームを、まとめて編集者に見せる」という形をとっているようです。なんだか詐欺にあったような気がしますね。
まぁ、そんな作り方などどうでもよいのですよ、読者にとって。ようは、面白ければいいのです。とかく厳しいマンガの世界。あるものは巨万の富を得、またあるモノは借金まみれで放り出される。このマンガ砂漠で生き残れるのは、「面白いモノ」を描いたものだけなのです。あとのモノは砂漠にて自分のひり出しか糞を食いながら水分を補給するような人生を歩むだけなのです。
ちょっと言い過ぎのような気もしますが、とりあえず個々の作品の感想を述べさせていただきます。べんべん。
このマンガの凄いところは作者が頭蓋骨の奥に秘めた人類の宝物である脳味噌を一片も使った形跡がないことです。
「一挙2話、94ページ掲載!」と表紙に銘打ってありますが、94ページも使って進んだのは起承転結の「起」くらい。四コマで言えば一コマ目です。ヒロユキ氏は自作四コママンガ「ドージンワーク」がアニメ化されるほどの人気作家ですが、どうやら同じ手法でストーリーマンガを描こうとしているようです。画期的です。インディーズコミック(?)で活躍なさっている大橋浩之さんの作品に「音楽」というのがありますが、こちらのページ数は100ページほど。その100ページで1時間半の映画ほどのストーリーをやっておられる大橋氏に対してのこのプロの仕打ち。さすが、プロは違いますね。
あと、これはコミックギアに載っている全ての作品に言えることで、ほかでもさんざん指摘されていることですが、見開きや1ページぶちぬきが実に多い。通常、見開きなどというものは、一つにマンガ作品に一回くらいあればいい様なもの。それをヒロユキ氏は、とにかく乱発しまくっています。しかも、絵はうまいが構図が下手なので、全体的に書きこまれているのにスカスカ感を味わってしまいます。コップ一杯分のカルピスをドラム缶で薄めたような味わいが口の中に広がり、さわやかな水を飲んでいるかのような錯覚を味わってしまいます。カルピスなのに。二次元美少女にぶっかけるのに不可欠な白濁色はどこに行ったのでしょうか。
見開きと云うのは使いどころが難しいもので、例えば現在ビッグコミックスピリッツで連載されている花沢健吾著「アイアムアヒーロー」では、見開きが異常に多用されているシーンが出現します。しかし、スカスカでないどころか、迫力と恐怖がこれでもかというくらい倍増されている。また、「ディエン・ビン・フー」などで知られる大西大介さんも大ゴマ、見開きを多用する作家さんですが、こちらもそれらが見事に活かされています。要は使い方を誤らなければ連発してもよいのですが、ヒロユキ氏のそれは、先ほども言いましたように、「連発」ではなく「乱発」です。これが銃なら大変なことで、マイケル・ムーアにドキュメンタリーのネタを一本提供してしまうことでしょう。実に恐ろしい結果となります。
つまり、基本的なマンガの描き方をヒロユキ氏が一切把握していないどころか、そのことに対してなんら疑問も抱いていないのです。実に自信満々に作品を提供しておられる。ヒロユキ氏はインタビューで「自分がつまらないマンガを描くわけにはいかない」という旨の発言をしておられますが、残念ながら収録作品中、一番つまらなかったです。
ヒロユキ氏の作品をずいぶんと長く言及してしまいましたので、あとのは軽く流していきます。疲れてきましたので。
この「マシンガンソウル」という作品はダメな傭兵が主人公で、そいつが頑張る、という内容なのですが、こちらも絵はうまいのですが構図の取り方が下手です。79ページの一コマ目などは、あまりに下手過ぎて映画「デビルマン」のうんこ演技を思い出してしまいます。「おれ・・・でーもんになっちゃったよ~」とか「ぐわわぁぁ」とかいう、あれです。観ていない人はレンタルして後悔して下さい。
物語の途中で主人公は負傷した上官と、助けるべき人質を抱えて敵陣をひたすら疾走します。その猪突猛進ぶりや凄まじく、足を撃ち抜かれても崖から飛び降りても止まりませんし、最終的には頭突きで壁を打ち砕きます。その理由が、すべて主人公が持っている「根性」。凄いですね。「元気があれば何でもできる」という某アゴプロレスラーの名言を地でいくような主人公です。
しかし、やはり「根性だけでそんなことできるわけねーじゃん」的な思いを読者に抱かせてしまう。ここはひとつ、次回にて「実は主人公には謎の力があって、それを狙って謎の組織が…」と言った感じに、謎だらけな感じにしてしまうのはどうでしょうか。そうすれば何とか連載も続けられると思いますが、その前に雑誌が終わりそうな気もするので、やはりこのままでいいような気がします。
・若林稔弥著「大魔王ザキ」
よく作品を評価するのに「主人公にまるで共感できない」などと言った言葉をよく耳にしますが、主人公に共感できない=ダメ作品、というわけではないことを、ここに記しておきます。そもそもまるで主人公に共感できない作品など有史以来、大量に存在し、しかもそのうちの多くが評価を得ていることを考えれば、その一点でもって作品すべてを否定することなどできないはずです。映画「ドーベルマン」や山本英夫さんのマンガ「殺し屋1」など、どうしようもない人間ばかりでてきますが、高く評価されていることからも、そのことが判るというものでしょう。個人的な好き嫌いはともかくとして。
この作品「大魔王ザキ」もそうした「主人公に共感できない作品」の一つとして挙げられると思います。しかし残念なのは、作者がそのことを理解していないこと。読者に対して「こいつ(主人公)に共感して下さいねぇ~」と言った感じのオーラを放っています。「どうしようもない悪党が主人公なのに、最後はそいつに同情してほろりと涙してしまう」作品として映画「マーダー・ライドショー2/デビルズ・リジェクト」がありますが、これは実は高い演出力がないととてもじゃないけど出来ないことなのです。作者のじゅら氏はおそらく何も判らずにその壁にぶち当たって行った。結果、何も判らないまま崩れていったようです。素直に悪党は悪党にしておくか、最初から共感を得やすいような主人公にしておいた方が無難だったと思われます。
一つ疑問なのですが、物語のラスト。主人公の師匠は主人公を山から降ろさないようにしようと画策していたのに、なぜあっさりと降ろしてしまったのでしょう?「けがをして動けない」と言った描写もないですし(けがはしてるけど、日本の足で立っているのだから、止めることくらいは出来るはず)。どうせだったらベッドにでも縛り付けておけばよかったのではないかと思います。
怪物退治をする潔癖症な主人公とその使い魔のお話。どうでもいいけど、なんで扉に作者の名前がないのでしょうか。名無しですか。としゆきですか。覆面座談会でコミックギアの内情を暴露ですか。ぜひやっていただきたいところです。
ちょっとホラーな雰囲気を醸し出そうとしていますが、ものの見事に失敗しています。犬を吠えさせ、カラスを啼かせておけばアトモスフィアが形成されると思ったら大間違いなりよ、キテレツ。コロッケ食べたいなりよ、キテレツ。私、ボディーだけ病気なりよ、キテレツ。言いたいことが他の作品とかぶるので(コマ割りが下手、構図の取り方が下手、主人公に共感できない、それを作者が判っていない)、適当に埋めておきました。
あ!女の子が触手に襲われているのに、えっちぃ絵を描かなかったことは許せませんね!えっちぃのは嫌いか!金髪ぶってんじゃねぇ!俺は大好きなんだよ!えっちぃのも金髪もな!
・友吉著「GOOD GAME」
もう少し少ないページ数でまとめられたのではないかと思うのですが、ヒロユキ氏の作品に触れた後では、ちょうどいいような感じがしてしまいますから厄介ですね。もしかしたらヒロユキ氏は、他の作品を引き立てるためにわざとあのような作品をお描きになったのかもしれません。涙がちょちょぎれますね。嘘ですけど。
タイトルから林静一さんの「アグマと息子と食えない魂」を思い出してしまいましたが、全然関係ありませんでした。
柔らかくゆったりとした空気感を醸し出す絵柄に、ほんわかとした話。天野こずえさんの「ARIA」を想起させるような作風で、コミックギアの中では比較的読める作品に仕上がっております。「比較的」ですが。
途中で繰り出されるトリックの謎解きが、いまいちよく分かりませんでした。私がバカなせいでしょうか。いやいやまさか、そんなはずは…
女に振られたら死ぬ話。明らかな構成ミスが目立つ作品です。
主人公は心臓に病気を持っているらしく、女に振られるたびに激しい痛みに襲われます。主人公はそれを「失恋の痛みだ」と解釈していますが、いけませんね。異変を感じたらすぐさま病院に馳せ参じないと。手遅れで死ぬかもしれません。
主人公は友達の女性のことを「まさか俺に気があるのでは」と童貞丸出しな妄想で突進するのですが、実は彼女にはすでに恋人がいます。そのことが序盤で明らかになるものですから、主人公がその女友達に告白して振られることを読者は分かり切っている。それで引っ張るというのは、土台無理な話です。実は作者は「序盤で明らかにした」つもりはなく、「伏線を張った」つもりだったのかもしれませんが、だとしたら伏線の張り方が下手過ぎます。しかも、その女友達の彼氏は主人公の友達なのですが、その友達が最初にちょっと出ただけ。一回もアップになってないので、全然印象が薄いです。
物語の構成の仕方がまるで分かっていない作者だったのでした。いや、コミックギアは掲載作家全員で作品のネームを回し読み、意見を出し合っているのですから、むしろコミックギアの作家全員が物語の構成を分かってないといった方が正しいような気もしますが、私はとても心優しく繊細な人間なので、そのようなひどい事は言わないようにしておきます。罵詈雑言は、人の心を荒んだ物にしますからね。
いきなり盗賊の頭になった女の子の話。これも比較的読める作品だと思いますが(「比較的」、な)、これで連載はちょっと厳しいような気がします。個人的にはコミックギアの中で一番好きな作品なのですけどね。
カードゲームで闘う話。最近、テレビでアニメを観てますと「おれのターン!」とか「場に出ているカードをすべてケツに突っ込んでターンエンド!」とかそんな叫びばかり聞きます。流行ってるみたいですね、カードゲーム。
これもその流行に乗っかった作品なのでしょうが、「負けたい」人間と「勝ちたい人間」を闘わせて、それがうまくいかない、という展開は結構面白かったです。コマの使い方も比較的順当で(「比較的」、な)、読みやすかったのもポイント高し。そういえばポイントたかしさんって、まだエロマンガ描いてるんですか?結構好きだったんですけど。
ただ面白かった要素がこの一話で使い切られているような気がしますので、今後どうなるのか不安です。まぁ、コミックギアの今後の方が不安なのですが。
・総評
「プリンセスサマナー」と「アシュラ」と「アグマと息子と食えない魂」だけは他の雑誌に移行して、あとは全部打ち切り、廃刊でザッツオール、みたいな感じです。ヒロユキさんはコミックギアのために自腹を切って仕事場を借りたそうですが、競馬で負けたと思って、大人しく四コママンガを描いておいてください。うまくいけばまたアニメになるかもしれませんしね。知りませんけど。
しかし、ネットでの評判でシコタマ「ダメ」を喰らったこの雑誌。それによって世間では「コミックギア=面白くない雑誌」という見方が定着してしまったような気がします。一度そういう印象が付いてしまうと、次回でよほど頑張らないと挽回は不可能。次は11月に発売だそうですが、その頃にはどうなっているのか、とても楽しみです。
セーブ・ダルフールは近年のアメリカでもっとも大規模な運動のひとつだ。
ダルフール紛争が一年経過したころにこの運動ははじまった。平均的なアメリカ人にとっては何の縁もない地方の紛争である。レイプや殺人、ジェノサイドといった物語が新聞をにぎわし、それがダルフールを物語る言葉となっていった。この暴力を阻止するという動機にもとづいて、何百万人という市民が動員され、運動が盛り上がっていった。
しかし、その後5年たってみて、ダルフール紛争は近年でもっとも誤解された紛争のひとつとなってしまった。
というのもダルフール問題の活動家は運動を盛り上げるために、ダルフール紛争の本質を捻じ曲げたキャンペーンを行い、実態よりもセンセーショナルに扱ったからだ。
「何十万のダルフールの人々が”殺された”」というのだ。
活動家たちが認めたがらなかったのは、被害者の大多数が本当は紛争に起因する病気や栄養失調によって死んだのだという事実であった。
確かに、ダルフールで発生した圧倒的な戦争犯罪行為の事実を前にしては、病死と殺害とを識別することには、さして重要な意味はないのかもしれない。しかし、こうした分類の仕方に無頓着になった多くの活動家は、アメリカ政府に対して人道的な救援や平和構築よりもむしろ、暴力抑止や国際PKO部隊の派遣のための予算を要求するようになっていた。
セーブ・ダルフール連合は、政治家に圧力をかける多くの支持者を動員してきた。さらに、彼らは政府に暴力の抑止と国連部隊の派遣を働きかけるべくロビイストを雇っていた。
ロビイストが活動する以前のアメリカ政府は、ダルフール問題に対して10.1億ドルを投じていた。このうち、8.39億ドルが避難民キャンプや人道的支援のために使われ、平和維持活動のために直接割り当てられたのは1.75億ドルであった。このことは、当初、アメリカ政府が平和維持活動よりも人道支援に重点を置いていたことを意味する。
ところが、2006年から2008年にかけて、セーブ・ダルフール連合および他のグループは、政府に人道支援から平和維持活動に資金の使途をシフトさせようと働きかけた。恐らく、ロビイストと市民運動の盛り上がりによるものだろう。
これにより、現在までに支出された20.1億ドルのうち、51.3%にあたる10.3億ドルが人道支援の目的で使用され、9.8億ドル(48.7%)が平和維持活動にあてがわれることとなった。この比率の変化は人道支援から平和維持活動への重心移動を物語るものだ。
結局のところ、政府がこの比率を変えたことには大きな問題があるといわざるをえない。というのも、被害者調査によれば、ダルフール紛争の影響下で病死したり栄養失調で死亡した被害者の数が高止まりしているなかで、「殺害された」被害者数は2004年4月8日の停戦以降は著しく減少しているからだ。
もしダルフール活動家が資金の使途について軍事介入を重視するよう迫っていなければ、もっと多くの命が救済されたのではないのか。
また、多くの活動家がダルフール紛争の本質を見誤っていることも問題だ。彼らはスーダン政府および野蛮なアラブ部族が関与した虐殺については責められるべきだとしており、「セーブ・ダルフール」は、多くの宣伝、ニュースレターあるいはウェブサイト上で「進行中のジェノサイド」という言い方で紛争を表現している。
ジェノサイドという用語は、もともと事の重大さを国際社会に喚起するために使われた言葉だ。この言葉に触発されて、各国政府や国際機関が迅速に紛争に立ち向かうわけだ。
活動家は善意だったかもしれない。しかし、「ジェノサイド」という言葉が大衆の間で広まると、有責な事柄と無罪の事柄のバランスが失われ、予想もしなかったような事態になった。
「ジェノサイド」という言葉は、単一の志向をもった犯罪を示唆する。しかしながら、犯罪に関与した者たちが、実際、定義されたとおりの犯罪者であるかは定かではない。
もちろんスーダン政府はダルフールにおいて多くの人々を殺害しており、この点の戦争責任は免れえない。しかし、反政府勢力もまた、いくらかの責任を免れないだろう。国連がダルフール調査団を派遣した際、多くの反政府グループが深刻な人権侵害や人道法上の違反を犯していたことが明らかになったからだ。
つまり「ジェノサイド」という言葉は、紛争のある一面を浮かび上がらせるのは確かだが、それによって他の一面が逆に隠されてしまうことがあるのだ。
ダルフールについていえば、「ジェノサイド」という言葉が膾炙することによって、反政府勢力が国際社会のレーダーの捕捉網から感づかれずに済む効果を生み出してしまった。また国際社会の関心をもたれないまま、人道法違反を野放図にすることを許すことになったのだ。「ジェノサイド」という言葉にこれほど注目しなければ、恐らく活動家は反政府勢力の犯罪を見逃さなかっただろう。
例えば、ダルフールの反政府勢力の有力なスポンサーはエリトリアやチャド、SPLM(スーダン人民開放軍)だが、彼らは、昔からアメリカ政府の支援を受けてきている。つまり、反政府勢力のライフラインを支えているのはこれらの国や組織だ。
今日、ダルフールの状況は歪んだ見方がなされている。進行中の紛争や暴力行為の多くは盗賊や無法者そして部族間紛争に起因するものとみされている。UNAMID(国連とアフリカ連合(AU)の合同PKO部隊=国連・アフリカ連合ダルフール合同活動)によれば、09年6月における死者数は16名であり、いずれもスーダン政府軍と武装勢力との衝突によるものではなかった。
昨年一年間におけるダルフールでの被害者数は、政治学者が内戦と定義する一年当たり1千人の死者数を下回っていた。
このように状況が変化しているにもかかわらず、多くの活動家はスーダン政府が大規模な攻撃をダルフールに仕掛けていると論じ続けている。「進行中のジェノサイド」「ダルフール戦争」という言葉が、いまだに活動家の資料や宣伝に頻繁に使われているため、多くの人がダルフールはそんなに変わっていないのではないかと思い込んでしまっているのだ。
ただ最近、オバマ大統領は現状を指して「ジェノサイド」という言葉を使っており、国務省とアメリカ大使も、ダルフールのジェノサイドは終わったと主張しているスコット・グレイション(スーダン特使)と距離を置いているようだ。
しかし、そろそろアメリカ政府とダルフール活動家は性質においても規模においてもダルフールの状況は一変したという認識をもつべきだろう。
軍事介入や紛争の一方当事者(スーダン政府)の断罪のかわりに、平和構築と2百万人を超える国内避難民の救援に力を入れるべきときだ。
作者:マーク・グスタフソン
FFを例にすると
ガラフ何故ころたし。
簡素なグラフィックのお陰で特徴が(まだ)分かる。
ツンツン頭の巨大剣もつ青服の人とか、顔面\傷の銃剣持つイケメンとか、悟空みたいな盗賊とかetc
エアリス何故ころたし。
NPC達の細かい服は分かりづらい。
やってないのでわかりません。
実際のところやってないのでわかりません。
服がゴチャゴチャしてきてイメージが固まらない。
背景と主人公たちが一体化しすぎてもはや背景の一部だよね。
マンネリ発生しないメリットあるけど、毎回登場人物が違うゲームは覚えなおすのが手間。
クラウドぐらい簡素な分かりやすさがあると良いんだが・・・
スタオー4も衣装が酷くて覚える気にならん。
個人的にはスタオー3が限界。ロリきょぬーミニスカはけしからん。
読んだ。何か書きたくなったがとりとめがなくなったのでここに書き散らす。
一言で本作を述べるなら性の呪縛ということになる。これまで清水がMF文庫で発表してきた作品にはあまり濃厚に描かれなかった,肉体と精神の性が主題として扱われる。いやもちろんわかっている,これまでも【少女】がテーマだったじゃないかと言うのだろう。ここは微妙な点なので慎重にいきたい。清水が扱ってきた【少女】とは,性を免除された特権階級だ。性がもたらす束縛から自由。そして,もちろん大人=生産者になることも要求されない永遠の消費者。これは,たとえば「セックスする女」「労働する女」「産み育てる女」といった像と照応させれば明らかだろう。モラトリアムを言うなら別に【少年】でもよさそうなものだが,あまりうまくない。少年はセックスに怯える必要がなく,労働が自己承認に直結する。これらを免除されることに肯定的な含意はない。他方,少女には【少女】にこだわるだけの理由がある。……話がそれた。今回述べられているのは,そうした無性者としての【少女】じゃない。年少の女は出てくるが,性を与えられている。清水の作品において,物語の水先案内人をつとめるのはいつも存在の希薄な【少女】で,ときには幻影だったり妄想上の存在だったり,つまり肉体をもっていないことも多い。本作の少女もじゅうぶんに希薄だが,しかし彼女の肉体は触れられるものであり,かつそれが性的なものであることが強調される。主人公を含めた「男」たちは彼女の肉体に性的な視線を送り,彼女も「さわっていいよ」と繰り返し挑発する。読者はいやおうなくキャラクターの,そして自身の性を意識させられる。
以下,この「性」を切り口に述べてみる。ネタバレ回避はしていない。
13歳の少年Aは「きれいなもの」に対する強い憧れをもっていた。これには風景や工芸・装飾品から,「女の子向けの」人形まで含んでおり,その年齢層の少年のジェンダー規範からはやや逸脱していた。A自身もその逸脱を恥じていた①。しかしそこに,Aに幼い好意をよせる10歳の女子Bがあらわれる。Aは少しずつBに「きれいなもの」を見せて反応をたしかめ,Bが自分を受け入れてくれること,拒絶されるおそれがないことを確認していく。最終的にAはもっとも大切な宝物である人形を見せるのだが,ここでBはAに「お人形遊びなんて好きなの? 信じられない! 男の子で,中学生なのに!」と無邪気な一言を放ってしまう②。Aは逆上し,Bを強姦しようとする③。Bが抵抗することで未遂に終わるが,「だったらいい」の一言とともにAはBを川に放り込む④。溺死しそうになるB。恐怖にかられたAはBを慌てて助けるが,真相を知らない周囲からは「溺れた子供を助けた勇敢な少年」として賞賛される。Aは自己嫌悪と罪悪感を抱えて鬱屈する。Bはこの周囲の勘違いについて何も言わないことを選択する。いつ事実を暴露されるかわからないという不安の中にAを閉じ込めることが,最上の復讐になると考えたからだ。Aは少しずつ人格を歪めていき,他方Bはやがてその記憶を誰にも言わないまま抑圧して忘れ去ってしまう。6年後,19歳になったAは電車の線路に転落した女性を救助しようとして,代わりに意識不明の重傷を負う。
本作はこうした「事実」の上に,Aの弟を視点とした物語をつづっていく。全体を俯瞰してまず気づくのが,Aの自己抑圧①だろう。Aのかかえた性違和が全ての起点になっている。Aが心底欲していたのは,この違和を肯定してくれる誰かだった。「きれいなもの」を愛する権利を正統に有する,正しく少女であるBに救いを求めるが,Bは逸脱を許さなかった②。内なる女性性の隠蔽を要求されたAは,男性性をむき出しにして,略奪的に「女」を手に入れようとする③。しかし果たせず,結果として「女」の全否定という選択に行き着いてしまう④。Aが男性的でない自分を許容できていれば,Bが男性的でないAを受け入れられれば,その後の事態にはつながらなかった。10代前半の子供であっても,というか子供であるからこそ,ジェンダーの命ずる規範からは逃れられなかった。
Aは後に,意識不明のさなか,奥底に隠蔽された女性性を分離させ,少女の姿をした肉体ある霊を生み出す。これを霊自身は「脱獄」と表現する。牢獄からの脱走。じゃあ牢獄とは何か。解釈はさまざまあるだろうが,私としては「Aが内面化させたジェンダー規範」以外に考えられない。脱獄して自由になった「少女」は,思うまま自らの女性的肉体を誇示し,「甘いときめき」「おいしいもの」への欲望を開けっぴろげにし,「男の子が,自分の名前呼びながら走って追いかけてくれるのって,女の子は,すっごく気持ちいいんだよ」と女の子の気持ちを語る。Aの弟はこの「少女」と共に行動するうちに,秘められた過去の事実に直面し,やがてAの苦しみを知る。弟とBに過去の罪を認識され,受け入れられることで,Aは意識不明から回復する。それと同時に少女,あの人形の姿を借りたAの分霊は消滅する。物語の発端が解消されることで終結を迎える,非常に整った円環構造だ。清水はあとがきで語る。「この本は」「あなたの心にきれいな何か」「を残したいと願って書きました」。視点設定をどこに置くかにもよるし,そもそもラノベにメッセージ性を求めるのはどうよという主張もあるだろう。でも,文庫の主読者層であろう10代の少年たちに,清水が届けたい言葉は極めて明瞭であるように,少なくとも私には思われる。……あなたの心の中の少女を殺すな。脱獄しろ。
脱獄であって叛乱でない点に,清水のバランス感覚を感じる。ことさらに敵意をむき出しにして戦いを挑むのではなく,まして新しいルールを打ち立てようとするのでもない。ただ逃れて自由になる。言うほど簡単ではないが,これが唯一の道であることには同意する。正面から戦ったところで勝ち目はない。桜塚やっくんやレイザーラモンHGに回収されるのがオチだろう。相手を警戒させ牢獄を強固にするだけだ。当事者でもないくせに,戦場が大好きなうざったい連中がすりよってきたりもする。それよりは,牢獄からひとり抜けふたり抜け,革命もないままいつのまにか牢獄が廃墟になっているというシナリオの方がやりやすい。
552 名前:550[sage] 投稿日:2008/10/14(火) 15:00:53 ID:LImVJlD10
生と死の狭間に己を笑い恍惚として自ら忘るる
されば夜明けの嘆きを鐘に神曲の幕よいざ上がれ
黄金の兜の覇王は万里を征し愛馬と共に川底へ沈む
孤赤児は蚯蚓の血を母の乳とし三夜して腹より腐る
生命よこの賛歌を聞け笑い疲れた怨嗟を重ねて
生命よこの祈りを聞け怒りおののく喜びを枕に
百年の生は炎と剣の連環が幾重にも飾り立てよう
七日の生は闇と静寂に守られ無垢に光り輝くだろう
獣よ踊れ野を馳せよ唄い騒いで猛り駆けめぐれ
いまや如何なる鎖も檻も汝の前には朽ちた土塊
生と死の選択を己に課す命題として自ら問う
されば嘲笑の歓喜する渦に喜劇の幕よいざ上がれ
嵐の夜に吼え立てる犬は愚かな盗賊と果敢に戦う
温かい巣で親鳥を待つ雛は蛇の腹を寝床に安らぐ
せせらぎを聞く蛙の卵は子供が拾って踏みつぶす
獣よ踊れ野を馳せよ唄い騒いで猛り駆けめぐれ
いまや如何なる鎖も檻も汝の前には朽ちた土塊
姫は唄い、諸人を祝い、
そして地獄へ蹴り落した。
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20081020/1224440558
これを書いた人は詭弁論者か、或いは単に無知なのかどっちかでしかないな。
まず、長谷川平蔵は以下のような事跡で有名な人物である。
寛政3年5月3日(1791年6月4日)、江戸市中で強盗及び婦女暴行を繰り返していた凶悪盗賊団の首領・葵小僧を逮捕、処刑した。被害者に配慮し、逮捕後わずか3日で処刑している。三田村鳶魚は宣以が機転を利かせたためであり、幕府もこれを了承したとしている。
長谷川平蔵宣以は、無宿人対策で人足寄場を作ったんであって、これはワーキングプアと軽犯罪者の対策なんだよな。
凶悪犯人に対しては長谷川平蔵はこれに限らず、常に厳罰(大抵死刑)を以って対処している人なのよ。
そこをこの人は誤解している。
そもそも長谷川平蔵が就いていた火付盗賊改方という役職は現在の人権意識からすればある意味とんでもない組織で、
拷問を日常茶飯に行っていたし、厳罰というより手当たり次第に死刑にする警察なんだよな。
(火付盗賊改方の中山)勘解由は元来なかなかの仏者でありました。それが六方男立てのあばれ者どもを鎮撫する命を受けた時分に、すぐに仏壇をぶちこわして、今日からはもう慈悲では治らない、というので、少しでも風体の変な者は、取っつかまえて詮議もせずに斬ってしまった。
中山勘解由は三万人ほど死刑にしているという記録があるようだし、過酷な拷問方法を考案したという説もある。
長谷川平蔵はそれよりは大分拷問を控えているようだが、凶悪犯に対してはひどい拷問をしているという説もあるし、
やっぱり現代の眼から見れば過酷な刑罰を行ってる。
ふと昔やっていたネトゲのことを思い出したのでこれを書きます。
それは今となって「最悪のネトゲって何?」と聞かれたらまず上位2つに食い込むであろうゲームがβテストだった頃のお話。
その世界は今よりもとても「狭かった」。だけどのんびりで優しくて居心地の良い所だった。
ボス狩りも攻城戦もなく、目玉が飛び出るほどの経験値を溜める必要もなく、激レアアイテムも猫耳とかウサミミとかその辺しかなかった。
そんな世界に私はヒーラーとして降り立った。別に剣士もいたのだけどその辺はさておき。
私は都会の片隅の建物の中でそこに集まった人たちと雑談+転職お祝い係をやっていた。
ある日、そこに一人のアーチャーがやってきた。初めて見る顔だったけどやって来るなりこんな事を言った。
「俺たちと一緒にこの世界で有名にならないか?」
…アホだった。
だけどそんなアホが大好きだった私はそのアーチャーにホイホイついて行った。
やって来たは今いた建物の外徒歩3秒。修行用のわら人形が立ち並ぶ広場に私を勧誘したアーチャーと盗賊と魔法使いがいた。
「俺たちはこの世界で有名になるための集まりを作ろうとしている」
…3人で?
まだ立ち上げたばかりだからね。君も入らないか?
えーと、んーーと…入るっ
そんなわけでアホが四人そろい、世界の片隅で世界で一番有名になるための集まりができた。
集まりの名称はあるがここでは伏せておく。
…念のために言っておくが涼宮某がまだ発表される前の話である。
それから翌日だか数日だか覚えてないけど都会の片隅の修練場にやってきた私。
そこには見知らぬ人がいた。皮の帽子をかぶった金髪ショートの女剣士。
はじめましてー、と挨拶しいつものようにどうなれば有名になれるか…というのはそっちのけで雑談をしていた。
この時はまだ、普通の剣士だと思っていた。
それから修行もそこそこに毎日のように都会の片隅の修練場に赴いた。そこには愛すべきアホ…もとい仲間達がいたから。
殆どは雑談かお馬鹿な騒動を巻き起こし、たまーに外で遠足にいったりはたまた真面目に戦いに行ったりしていた。
毎日が楽しかった。本当に楽しかった。
それから数ヶ月。たゆまない勧誘活動の末メンバーは10人ちょっととなっていた。
メンバーが増えて時が過ぎれば各々に役割のようなものができてくる。
その中で先ほどの皮の帽子をかぶった金髪ショートの女剣士。彼女はガキ大将的なポジションになっていた。
おもちゃボケ役はおろか学級委員長に先生までも手玉に取り、私の突っ込み軽くいなし好き勝手にする様はまさに影の番長だった。
更に愉快な集団になった我々は都会はおろか地方都市にダンジョンまでも駆け回り、一部で悪名を轟かしたとか轟かさなかったとか。
そんなのが数ヶ月続いたある日、先日ヒーラーとは別の剣士の方で付き合っていた人とゲーム内結婚なんて酔狂なことをした私はあることで非常に悩んでいた。
正直、生まれて初めて考えることでどうにもならなかった私はふと影の番長のことを思い出し相談してもいいか、とお伺いを立てた。
相談を快諾してくれた彼女は戦いもそこそこに私の元にやってきた。そして数時間も私の悩み事を聞いてくれてアドバイスをくれた。
それからも何度も悩み事があっては相談になってくれるようになった。
それが境に影の番長の見方が変わった。なんというか、姉のような人と思うようになった。
いつもはちゃめちゃで意地悪だけどみんなを引っ張っていき、時には優しく包み込んでくれる人。例えるなら太陽のような人。
リアルでは私が兄弟で一番上なのだけどその人はまさに私の「お姉ちゃん」のような存在になっていった。
また例によって数ヶ月が経ち、私と「お姉ちゃん」と愛すべきメンバー達は相変わらずバカをやっていたのだけどその中に異分子がやってきた。
別の人格と書くとあれだけど、有り体に言うと「別の中の人」が現れたのだ。
自称官能小説家の「別の中の人」は正直あんまり良い第一印象じゃなかった。なんていうのだろう、ねちっこくて冷たい存在だった。
戯れなのか何なのか分からないけどそれからたまに「別の中の人」は現れた。たまにセクハラまがいのこともするようになってきた。
そういうノリは好きじゃなかったし、何より「お姉ちゃん」と一緒にいられる時間が減ってしまう。
「別の中の人」には出てきて欲しくなかった。
ある日私はとんでもない大チョンボをしでかした。意図してやったことではないけど「お姉ちゃん」を傷つけてしまったのだ。
それに当時気がつかなかった私は「別の中の人」に呼び出しを喰らった。
何のことかよくわからなかった私は言われるがままに都会の片隅の建物に向かった。
そこにいたのは「お姉ちゃん」の姿をした「別の中の人」。「お姉ちゃん」を傷つけたことを突きつけられ激しい罵倒を喰らった。そして最後に一言
「おまえとはもう会わせない、お別れだ!」
といって消えた。
…何だかよくわからなかった。傷つけた事実ではない。それは深く反省し本人に弁明をしたかった。
だけど、なんで「別の中の人」が「もう会わせない」とか言い出すの?
理解できない
え、なんで?
疑問はすぐに激しい怒りへと変わった。
西田ひかるが結婚発表と同時にそれまでの長い髪をバッサリ切って、センスのかけらも無いミセス丸出しのショートカットでマスコミの前に出てきた。
タレントを売るためなら正直「ここまでやるか」という印象を持った。
久保純子は現役のNHKのアナウンサーのときは原稿を噛まないで読むことのほうが稀で、それ以前に滑舌が致命的に悪かった、というか今も悪い。
彼女も結婚した途端にミセスタレントに転身して、出産後はすっかり磐石の地位を確保した感が強い。
仕事のスキルは大して向上してないけど、結婚によってタレントとしてのステージは確実に上がった。
今の状況からすると、たとえ本人が勘違いしていたとしてもしょうがない。
結婚前の河瀬直美はハイミスというほどの年齢ではなかったが、自分のストレスから来るフラストレーションの捌け口を無関係な周囲に求める、イライラ女の典型だった。
人の人としての営みというのは理性だけで支配されているものではないのだということを改めて知りました。
「改めて知った」のじゃなくて、「いま初めてわかった」の間違いだろ。この期に及んでしょーもない意地を張るんだな。釣りでも釣りじゃなくても、そこだけは譲れないってか。
外堀固められようが、自分から望んでそうなろうが、通過儀礼として通らねばならない。
そうじゃないと大人になれない。
大人として認めてもらえない。
そういう言質がまたひとつ増えた。
http://anond.hatelabo.jp/20080108124648を読んで、妄想してみた
この前の親戚のおじいちゃんの葬式で、後ろでゴソゴソ何かやってんのね。
で、聞き耳立てたら
「死ぬな!『慈母観音の顕現』!」「お願い!『薬師如来の御手』」「目を覚ませ!『釈迦の仙水』」とか やってんのね。
読経しているお坊さんもうざそうだった。
私が引き継ぎました」とか言ってんのね。
終わってんなーと思った。
死の概念を小学生に啓蒙するゲームなんか流行らないから、仏教をベースにしたゲームを流行らせようとしたら
しかし、その金をどう使うかという点に関しては、少しも簡単になったように感じられないのです。寄付控除は相変わらず厳しく、そして寄付先として認められている団体はお役所の息がかかっているところばかり。
そもそも原理的に言えば、寄付控除、というか簡単に言えば寄付したら税金が減るほうがおかしいんですよ。寄付って言うのはあくまで自己犠牲の精神でなされるもの。だからそれによって自分の利益になっちゃいけない。利益を得るのであれば寄付ではない。dankogaiが大好きなWikipediaにもこうある。
寄付(きふ)とは、金銭や財産などを公共事業、公益・福祉・宗教施設などへ無償で提供すること。
Wikipedia税金が減るというのは自分の利益になる。だから寄付したら税金が減るという方がおかしい。寄付で税金減らなきゃ寄付できないという時点でそれは寄付じゃない。寄付の原理からいって寄付したら税金が減るほうがおかしい。
政策的に見てもおかしい。簡単に100人が住む村で考えよう。この村では5人の貧困者がいる。ほかの95人は慈悲深く自分の所得の1%づつ持ち合ってこの5人を救うことにした。このとき寄付金でその負担が減るとこの所得の再配分の効果が薄れる。仮に1億円稼ぐ人が5人、1000万円稼ぐ人が10人、500万円稼ぐ人が40人、300万円稼ぐ人が40人いたとする。このときすべての所得の合計は
100百万円 * 5 + 10百万円 * 10 + 5百万円 * 40 + 3百万円 * 40 = 920百万円
で、9億2000万円となる。従って5人の貧困者に配分される金額はその1%である920万円となる。しかしこの負担が寄付金によって減るとするとこの金額は減る。仮に1億円稼ぐ人が寄付をして納めるべき税金がなくなってしまうとすると、貧困者に配分される金額が100万円減ってしまう。ということはその寄付が所得の再配分に対し効果のあるものでない限り、そのぶん所得の再配分の効果が減る。政府の役割としては今後所得の再配分が重要になってくるので、これはよろしくない。また上記のような所得の再配分という観点だけでなく、政策による効果の享受という観点からもおかしい。この村は戦国時代くらいの村だったとする。これまでこの村では警備を行っていなかった。しかし最近盗賊団が発生し、治安が悪化していたとしよう。そこで村人の多数決を行い、警備員を雇うことにした。その費用は村人に課される税でまかなうことになった。このとき寄付で税金が減ると減った分だけ、フリーライドが生じる。警備員の雇用による治安向上というサービスの効用は村人全員が享受するのに、寄付によってその負担が減るからだ。政府も国防や警察などを行っている。高額所得者もそうしたサービスを享受し、そうしたサービスで実現されている経済環境で高額所得を得ているのだから、そのサービスの恩恵をほかの人よりも多く享受している。だから所得に応じて対価、つまり税金を支払うべきである。それを寄付で減ることになったら、その分だけフリーライドが生じる。従って所得の再配分の観点のみならず、サービスの享受という観点からも寄付金控除はよくない。
仮に選択納税制度を実現する手段として寄付金控除を認めるとしても、政策の選択なのだから寄付金控除を認める寄付先は必然的に「お役所の息がかかっているところ」になる。
百歩譲って選択納税制度として寄付金控除を利用するとし、かつ寄付先に「お役所の息がかかっているところ」以外に認めるとしても、寄付金控除を安易に認めたらそれこそ武富士のような市民感情にあわない租税回避を引き起こす。広範囲な寄付先を認める場合でも寄付金控除は厳しくなる。
寄付したら税金減るほうがおかしいし、仮に一万歩譲って寄付金控除を認めるとしても寄付先は「お役所の息がかかっているところ」に限定されるか寄付金控除の条件が厳しくなる。
あるところに盗賊の村がありました。
盗賊たちは法律など関係なく外からは平気で物を盗んで生活していましたが、村内部ではルールがありました。
村は外から盗んできたものがたくさんあって余ってたので他の村人の物が使いたいときはほぼ自由に使える状態でしたが、そのかわりに使う時には必ず一言相手に言ってから感謝をすることになっていました。
さて、外から盗んできた物で発展してきた村では次第に盗んできたものを加工したり、農業を始める人が出てきました。
その他の村人も少しは盗みを働いて暮らすことに罪悪感を感じていたので、それらの人を応援しました。
そして、農業を始めた人は大成功。
作物がたくさん取れて村人も大喜びです。
ところが、その村人はある日
「俺、この野菜を街に行って売ってくる。もっと広い世界に出たいんだ。」
と言い出しました。
他の村人たちは大慌て。
盗賊の村の出身者が街に出て行ったら怖い兵士に捕まって盗賊の村の場所を吐かされ、兵士が村を潰しにやってくるかもしれません。
村人たちは口々に言います。
「奴を吊るせ!」
「あいつが農業で成功できたのは誰のおかげだと思ってるんだ!」
「しかもあいつはもう俺たちの村には作物を分けないらしいぞ!!」
「俺らのことを兵士に売って、自分だけ助かるつもりなんだ!」
結末は知らん。
RDF の普及がなぜ進まないかと言えば、「現場の一存で導入できない」という部分が一番大きい。そして、現場より上の人にはメリットを理解させるのがむずかしい。
microformats はすばらしい。現場の一存で導入できる。誰も損しない。
そして、最近 AutoPagerize や LDRize で注目を集めている外部 annotation による技法。まったくもって馬鹿馬鹿しい。サイト側がちゃんとマークアップするのが本筋だろう!というところはありつつも、まあ現実的にはみんながみんなちゃんとマークアップしてくれるわけではないので、現実的な解法としてアリだよな。うん。
Plagger の EFT とかも手動でやってんのはかなりバカバカしいんだけどさ、まあそれなりに動いてるわけよ。それはそれでアリなんじゃねーの?って感じがするよな。うん。
まあ、でも理想は microformats なり megaformats だから、それを忘れたら負けだよな。うん。
ほんでさ、EFT は単純に情報の盗賊みたいなイメージが強かったんだけど、AutoPagerize や LDRize の場合は対応しとくとサイトのユーザビリティがあがるのな。ほんとうぃんうぃんだよな。
まんこ。
おお〜ようこそおいでなすった、勇者様。
まず北の山へ薬草を摘みに行ったおばばの様子を見てきてくれんかの?
その後、隣町の村長にこの手紙を渡して欲しい。
ところで、わしの娘が盗賊に拐われたので、助け出してくれたらお礼に晩御飯をごちそうしよう。
この世にはどんな扉も爆破することができるダイナマイトがあるらしいぞ。
伝説の歯磨き粉の噂をしっているか?どんな歯垢も落とせるらしいぞ。
南の森に住む精霊は、美人らしいぞ。
魔王の住むお城はこの先の交差点を左に曲がって、国道1号線に沿ってずっといったところにあるぞ。
なに、近所をうろついていたモンスターを退治した?
というか、今回のようなケースは別にCSRFでなくてもいいような気がする。
というか、はてなってGetとPOSTをあんま区別してないよね。
img src="うんちゃらかんちゃら"とかじゃなくても、別に検索エンジンの検索結果とかのリンクを踏ませるだけで悪いことしようと思ったらいっぱいできちゃいそうだね。
でも、はまちちゃんいいやつ。
釣りバカ日誌だと思ってた。
メバチちゃんとかそのうちできるのかな?
・・・あれ?
なんでマグロなんだろう?
こんばんはこんばんは!軒先だけでも結構です。一晩泊めていただけないでしょうか!
盗賊には注意
というかいっそJavaSript許して欲しくない?
ガチガチに固める理由がわからない。
お金絡むからなのかな?
だとしたらSSLまわりをもちっと強化したらいいんじゃないだろうか。