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はてなキーワード: 河瀬直美とは

2022-07-14

あずまんにもわかるようにあずまんの何が不味かったのか説明するよ

あずまんさあ、おれはあんたのこと、構造化――大塚風に言えば「見立て」――が飛び抜けて上手い学者だと思ってるよ。動ポモなんてまさにそうだし、クオンタムファミリーズだって小説としての構造にひねりがあって面白かった。そもそもソルジェニーツィン試論ソルジェニーツィン内面ブラックボックスであるまま、外側の構造精緻に描いくことで、逆に内面を描いてみせるという話だったはずだ。というかリアルのゆくえで「同じ構造論文を量産してた」みたいなこと言ってたよね?

からあずまん福島瑞穂の話の構造を取り出して、その構造問題であると見抜いたんだろう。実際福島の「自民党統一教会関係があったから襲ったと言っているが、その関係事実であれば問題だ」という話の構造は「彼らの宗教信仰しないから襲ったと言っているが、不信仰事実であれば問題だ」とか「大量破壊兵器があるから襲ったと言っているが、大量破壊兵器があるなら問題だ」とかの構造と同じであるように見えるし、後者2つはほぼ自動的不正言論であるとわかる。であれば、この特定状況における福島言論不正だ。そうあずまんは考えたんだろう。

でも、そうじゃなかった。なぜなら、それらの不正構造レベルにはなかったからだ。むしろ「不信仰は悪である」という絶対的ドグマ、あるいは「大量破壊兵器がある」という文が単に誤りであることによる。別の言い方をすれば、全ての行いは「それが事実であれば〔Xの文脈において〕問題である」の文脈の設定を巡る闘争とも言える。福島は〔政教分離という原則において政治として〕問題である、と言ったのに対しあずまんはそれを読み落とし〔安倍個人が殺される原因となったのだから問題である、と福島がただテロリスト的な問題意識をこじらせていると曲解する。福島のこと舐めすぎだとは思うけど、そこはまあいいや。

でもさああずまんそもそも今はもう構造自明に悪だったり善だったりすることがありえる、というのが死ぬほどダサいんだよ。構造構造しかない。東大スピーチ河瀬直美だってそうだろ? 文化相対主義的な構造は、たしかに常に正しさを確保している。だが常に正しい言説は無意味だ。ポストモダンという言説がどれだけ正しくて、どれだけ無意味であったかあずまんならよく知ってるだろう。

からさ、おれたちは考えなきゃならないんだと思うよ。考えんのつらいけどさ、考えないと、歩かないと取り残されるだけだよ。おれはもうすぐ35歳だ。人生後半戦。35歳問題についても考えてるよ最近。でもそれを言えば51のあずまんだって後半生の後半生に突入するわけだろ? あんたは今、あんたが35歳の時に考えてたくらい考えないと、せっかく35歳を乗り切ったんだからさ、もう一回やってくれよ。俺も後から行くからさ。

続き

https://anond.hatelabo.jp/20220714195314

2022-06-11

東京2020オリンピック SIDE:A」を観た (追記と誤字の修正あり)

東京2020オリンピック SIDE:A」を観に行きました。個人的には良い体験だったと思うのでシェアをしたいと思います。皆さんも観に行くと良いのではないかと思います。ただ、すごく良いかというと、少しモヤっとするところもあったので、それについてもここに書きたいと思います

わたし自身について書きますが、映画劇場に観に行くのは年間5本か6本ぐらいで、平均と比べるとやや多いのかもしれませんが、映画趣味とかそういう人間ではありません。河瀬直美については、代表作の名前作風や人となりと噂については知っていますが、実際に作品を見たことはありませんでした。ドキュメンタリー劇場で観るのは多分初めてです。こんな私がわざわざ好き好んでこの映画を見ようと思ったのは、いろいろなところで書かれている、この映画の評判について興味深いと感じたからです。私は基本的に暇なので、ネタ探しのためにゲテモノいくらいの気持ちでした。

この映画のよかったところ

シン・ゴジラ」の中で、ヘリから俯瞰視点ゴジラと白煙を吹く街を、ニュース映像のように描いた場面を観た時、この映画震災を経た2015年の我々日本人しか感じることのできない気持ちを「いま」与える映画だと思い、震えるような感動を覚えました。「東京2020オリンピック SIDE:A」はそのような映画だと思います

オリンピックが始まる1年ほど前からオリンピックに対する気持ちは冷めきり、オリンピックなんてどうでもいいだろ、とわたしは思っていました。世の中にはオリンピック競技の勝ち負けよりも大事なことがある。この映画では、そのことが選手自身の口から何度も発せられます藤井風の唄うエンディングテーマ曲歌詞にもそのような意味が込められているように思います。世の中にはオリンピックより大事なことがあり、選手個人にも競技より大事なことがあります。その中でもあえてオリンピックに挑み、それぞれの立場で高みを目指す美しさや厳しさがそれぞれのエピソードによく描かれていると思います。そして、オリンピックをそのような、やや冷ややかな目で見ている、2022年現在私たち気持ちに寄り添った映画として私には感じられました。

少しモヤモヤするところ

Yahooオリンピック間中アンケートでは「日本にいくつ金メダルを期待しますか」という質問に対して、もっとも多かった回答は「メダルの数は気にしない」だったと記憶しています。そして、この映画オリンピックをそのような目で眺める私たち気持ちをよく代弁しているように思うのは先に書いた通りです。しかし、そう考えた時に、私たちはなぜオリンピックというものを見てしまうのか、なぜそこに感動をなお感じるのか、というところに対する疑問に、作者(河瀬直美)はあまり答えてないように私には思えました。この映画のいくつかのエピソードの中では、目標に向かって努力をし、力を出し切って勝利する瞬間のカタルシスを描いているのですが、そのようなある種古臭いスポーツの良さを正面から肯定はしない姿勢を繰り返し見せられてきたので、わたし自身、「なぜスポーツを私は見るのか。スポーツ観戦で得られる感動とはなんなのか」ということを、映画の後半ずっと考え込んでしまいました。

振り返ると、時代雰囲気として、国別対抗戦としてのオリンピックで無邪気に騒ぐことができたのはシドニーアテネぐらいまでで、東京オリンピック前のコロナ禍が仮になかったとしても、私たちオリンピックの向き合い方は以前と同じではなかったと思いますとはいえ、我々は(或いは少なくともわたしは)オリンピックが好きで、それを見て分かりやすく「感動」するのであり、作者自身にもその目線はあるように思うのですが、その「感動」ってなんなのか、が置いてきぼりなのです。すみません、あまり上手く書けていないのですが、モヤモヤするところ、というのはこういうところです。このモヤモヤ自体時代雰囲気で実は河瀬直美はそこも含めて描きたかったのか、とかそんなこともボンヤリ考えたりもします。

そのほかの雑感と結論

他のところでも書かれていますが、この映画が、IOC公式として製作され、公開がされているということが驚きではありますとはいえ、私個人の鑑賞後の感想として、いろいろな価値観内包しつつも前に進むオリンピックという存在は、以前のようなシンプルに善な存在ではないが、全体として好ましいものだと感じたので、あからさまな問題作とかそういうものでもないと思います。オープニングとエンディングには木下グループクレジットがかなり大きくでていて、この、やや微妙位置付けの映画スポンサーとして彼らの力が大きかったんだろうなあ、と思ったんですが、そうしたサポートを引き出すのに、一部で言われるような河瀬直美ステージ外での政治力みたいなものがあったのかななどという思いを馳せたりしました。

繰り返しになりますが、オリンピックとそれを取り巻く時代雰囲気をよく反映している興味深い映画なので、もし誰かに行くべきかと聞かれたら観ることをお勧めすると思います。この映画を仮に50年後の人たちが見ても、いま私たちが見るときの独特の想いは得られないと思うので、そういう意味において旬の映画なのではと思います

追記

映画意味位置付けのようなものではなく、映画自体についてあまり書いてないと思いましたので追記します。

全体を通じて、映画の中での音のあり方が印象的でした。例えば私たちリアルタイムでは、開会式の聖火点灯をテレビ中継の中での厳かな興奮として見ていたと思うのですが、映画の中では静寂の中で大坂なおみ階段をトコトコと駆け上がる音が強調されていたように思います。このシーンは、無観客開催という非常事態性やメディアを通じたイベントとその向こうにある現実とのギャップ象徴として感じられました。また、緊迫した試合のシーンでは、選手のフッと吐く息の音を際立たせていたり(どうやって録音したんだろうって思いました)、試合中の映像の背後に練習中の音声を重ね合わせたりといった、細かい工夫をしているのも場面を盛り上げるために効果的な役割果たしていたと思います

映像としての美しさという点では、冒頭の雪を被った桜の花の光景は、シンプルに美しいと思いました。また、競技会としての東京オリンピックの思い出の映像、という意味カタルシスに欠けるかというとそういうわけでもなく、たとえばソフトボール決勝に関しては、試合展開がほぼわかる形で比較的素直に描かれていたりもします。上映時間はやや長く感じたのも事実ですが、退屈というわけではありませんでした(鑑賞前は実はかなり退屈なのではないか覚悟をしていました)。普通に映画ドキュメンタリー普段から見ている人なら、相応の楽しみ方ができる映画だと思いますしかし、繰り返しになりますが、スポーツをいわゆる感動ポルノ的に消費するような映画ではなく、観終わった後に、ちょうど今の私のように、意味を考え込むようなそういう映画でした。

2022-05-25

やっぱさあ、男 vs 女 とかじゃねえんだよ、

権力ある犯罪者 vs 虐げられる一般市民として団結して対抗していこうぜ!

↓これ見たら分かるだろ、犯罪者犯罪者であって性別で雑に分けるようなものじゃないんだ。

「拳で顔面を殴打」東京五輪公式記録映画河瀬直美監督事務所スタッフ暴力 | 文春オンライン

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/articles/-/54607

雑に 男 vs 女 の構図にするから無駄無罪の男を敵にまわして、男もそれに反論せざるを得ないから、男女同士の消耗戦にしかならない。

フェミニスト言葉に惑わされず、男 vs 女 の構図は捨てて、単に平等観点おかしものおかしいと言っていけばいいんだ。

当然その中には特定の男が特定の女を性搾取してることも取り上げて批判していくこともできる。

もはや雑な 男 vs 女 の構図は捨てる時だ。

河瀬直美という人を悪者にすることは簡単である

けれどもその人の拳が被害者顔面とぶつかり合っていたのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか。

なぜこのようなことが起こってしまったのか。

一方的な側から意見に左右されてもの本質を見誤ってはいいか

誤解を恐れずに言うと『悪』を存在させることで私は安心していないか

2022-04-28

河瀬直美見てると本当にリベラルは抜け忍に厳しいよなと思う

2022-04-27

邦画をみている人間人権意識がない

もう、邦画を見るってことは暴力や性加害に対して賛成するという意味になってるよな。

邦画趣味って言ってる人間を見ると人権意識が低いんだろうなと思わざるえない

河瀬直美監督とか見てると

東京五輪公式記録映画河瀬直美監督 撮影中の暴行カメラマン降板

https://bunshun.jp/articles/-/53961

2022-04-15

ロシア河瀬直美のおかげで『それぞれに正義がある』論の陳腐さが露になったな

オタク作品は浅はかだったな

2022-04-14

東大入学式祝辞がまた燃えてるけど何で燃えてるのか理解できない

はじめに

※Jcastニュース祝辞の全文が記載されています

以下本文

例えば「ロシア」という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義ウクライナ正義とぶつかり合っているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。一方的な側から意見に左右されてもの本質を見誤ってはいないだろうか?誤解を恐れずに言うと「悪」存在させることで、私は安心していないだろうか?

引用した文章は、河瀬氏の東大入学式祝辞の一部。燃えてるのは、『「ロシア」という国を悪者にすることは簡単である。』の部分。

Togetterのまとめをざっと見る限り、「ロシア悪者に決まってんだろ。」「どっちもどっち論に持ち込むな」などといった批判(と中傷)が多い印象。Togetterコメント欄には、『平和主義者だと思っていた人たちは、いざ戦争が始まったら侵略者を賛美する好戦主義者でした』っていうコメントも。

Togetterのまとめ

→『東大入学式河瀬直美氏「ロシア悪者にするのは簡単」→「いや完全なる悪者です」「歪んだ価値相対主義」「中立の名を借りた判断停止」と批判殺到』-(https://togetter.com/li/1872195






河瀬氏が「ロシア悪者ではない」と主張していると勘違いしてない?

そうじゃなと『いざ戦争が始まったら侵略者を賛美する好戦主義者でした』って感想出てこないでしょ。

祝辞で今回の戦争肯定するような表現何一つ無かったよ?

河瀬氏が新入生に伝えたいのは、「多角的視野を持って欲しい」という事じゃないの?思考停止して「ロシアは悪!」って決めつけるんじゃなくて、両国バックボーンや主張を理解した上で判断してほしいと伝えたいんじゃないの?

これから大学で学び、探究心を持って未知の世界や真理を追究していく上で、物事をいろんな角度から観察して見定めてほしい、っていう至極まっとうな話だよこれ。

一体この祝辞のどこをどう読んだらこんな酷い勘違いするのやら...。っていうかそもそも読んですらいないのか。反射的にバッシングしてるからこんなチンプンカンプンなこと言えるんだろうな。

一昔前に「AI vs.教科書が読めない子どもたち」なんて本が話題になってたけど、世の中「教科書が読めない大人たち」ばっかりやな...。

2022-04-13

例えば「ロシア」という国を悪者にすることは簡単であるby河瀬直美←全く簡単ではない

ロシア非難することは簡単です」という言い方があったが、

実は「侵略戦争を起こした国」を非難することは簡単なことではない。

戦前は、例えば「自国民保護」を理由とする侵攻は、国際法上明確な違法

とまでされておらず、強国は普通に行っていた。

しかし、各国が自国正義を盾にして侵攻することを認めたら

戦争がなくならないから、

戦後国連憲章等により一律「力による現状変更禁止」となり、

あらゆる軍事侵攻が「国際法違反」として禁止されるようになった。

かに戦後国際法違反」の戦争があったのではないか、という

疑問はありうる。それは議論すればよい。

しかし、そのことと、今回のような明確な違反について「違反

と指摘することは全く別問題だ。

今回のような軍事侵攻を「非難する」ことは、

これまでの戦争による厖大な犠牲と教訓の上に立つもので、

各国は、決して「簡単非難」しているのではない。

https://news.yahoo.co.jp/articles/df7f783e908c159bcbaf4c5ec8282d90c32709e5/comments

ヤフコメはいずれ消えるので備忘録としてメモ

正義暴走」論は死んだの?

 河瀬さんが訳の分からんことを言って左右を超えて四面楚歌になってる件、当然はてブでも叩かれていた。

[B! ロシア] 東大で入学式 来賓の河瀬直美氏 「ロシアを悪者にすることは簡単」:朝日新聞デジタル

 問題になったのはこの部分なわけだが…。

 管長様にこの言葉真意を問うた訳ではないので、これは私の感じ方に過ぎないと思って聞いてください。管長様の言わんとすることは、こういうことではないでしょうか?例えば「ロシア」という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義ウクライナ正義とぶつかり合っているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。一方的な側から意見に左右されてもの本質を見誤ってはいないだろうか?誤解を恐れずに言うと「悪」存在させることで、私は安心していないだろうか?人間は弱い生き物です。だからこそ、つながりあって、とある国家に属してその中で生かされているともいえます。そうして自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要があるのです。そうすることで、自らの中に自制心を持って、それを拒否することを選択したいと想います

令和4年度東京大学学部入学式 祝辞(映画作家 河瀨 直美 様) | 東京大学

 このうちの「悪者にすることは簡単」の部分がタイトルになって特に叩かれた部分なのでそこを中心にこの増田を書くとしよう。

 これ、ネットで一時期流行ってた類の陳腐正義暴走論じゃないの?実際にこの祝辞抽象化してみようか。

(1) 一方を悪と決めつけることは簡単(で思考停止だ)。

(2) 正義正義がぶつかり合っていると考え両者の意見をよく聞いてみることが必要ではないだろうか。

(3) 悪と断じて切り離すよりも自分事として自省することが大事だ。

 この(1)(2)は正義暴走論における典型パターンだ。まあ正義暴走論でなくても一方的に悪のレッテルを貼り糾弾することはよくないことだという論法はよくある。

 悪と認定することについて例を出せば、ナチスについて「絶対悪」だと論じた記事にも「世の中に『絶対悪』などと言うもの存在するという考え方も十分危険」「絶対悪とか言い出す人って、時代が違えばホロコーストやってた方なんじゃないかと思う」というコメントがついた。あのナチスですら、だ。

[B! 歴史] 新書の役割――「ナチスは良いこともした」と主張したがる人たち(田野 大輔)

 それとも「世の中に『絶対悪』などと言うもの存在するという考え方も十分危険」と「誤解を恐れずに言うと『悪』を存在させることで、私は安心していないだろうか?」には大きな差があるだろうか。「絶対悪」と「悪」は違うということなの?

 「一方的な側から意見に左右されてもの本質を見誤ってはいないだろうか?」という文章があると意味が変わるとか?それならこの部分を叩くべきなのでは?

 まあ、そもそもきっと恐らく同じ人が書いているわけではないだろう(両はてブで誰がどんなコメントをしているか比べるつもりはない)から、一方が優勢なら他方は黙って他方が優勢なら一方を黙って様子を窺っているだけで意見が変動したように見えるだけだとも言えるかもしれない。

 ただ、正義暴走論って例えば「何かを悪だと決めつけるのは危険だ。ファシズムだって正義暴走から始まった」って議論が数年前ツイッターとかで起こったらしいけど、こんな感じである意味将来惨禍を起こさないようにする謙抑的な目的を持った思想でもあったはずなんだよね。個人的にはこういった論は期せずして矮小化擁護に繋がってしまいがちではと危惧するし悪しき価値相対主義に陥りそうで不安になるんだが、一方で自省的な側面に意義があるとも思ってたわけです。

 つまりこういう時どう考えても悪(いや侵略行為はどう考えても「悪」でしょ?何か時代によって価値観は変わるからって言う人もいるけどそういう話ではなく)だと考えられる行為を行っているものが悪認定されてボコボコに言われていれば言われているほどこういう論が出てこないとその意義は達せられないよなと思うとこもあって…。いや言い出しにくいよ。現にナチスユダヤ虐殺している最中に「絶対悪存在するのと考えるのは危険」なんて言ってみ?最悪だよね。人格を疑われて当然だと思う。でも誰もが悪だと考えている時に異議申し立てしてこそという話になるのでは感はある。

 でもそれができずに過去出来事適用して話をするだけなら意味もなく矮小化しかねないリスクを伴うだけでどうしようもない論法じゃね?まあくだらないことで炎上した人を過剰な叩きから庇うことには使えてるからいいのかな?中途半端理解で口を出して火に油になるパターンもあるけどそれは使い方が悪いということで。

[]河瀬直美東大入学式祝辞問題

4月12日映画監督河瀬直美東大入学式祝辞で、

ロシア悪者にするのは簡単

一方的な側から意見に左右されて物の本質を見誤ってはいいか

などと、どっちもどっち論とも受け取れる内容の発言をして批判を浴びた。

河瀬直美東京五輪公式記録映画総監督を務めており、

その製作現場撮影したNHKドキュメンタリー番組字幕捏造問題にも巻き込まれている。

2021-07-19

こうなると河瀬直美がどんなウルトラC成功した東京オリンピックを描き出すのか楽しみでしょうがないな

2021-04-20

萌の朱雀

河瀬直美監督の「萌の朱雀」をいまさらながら観たんだけど、

なんか予想に反してギャルゲーみたいな内容だった。いや、マジでエロはないけど。

ともあれ、オリンピック記録映画への期待が爆上がりしています

2018-10-27

anond:20181026202129

よい演技を見に行くという行為のものレビューありき。河瀬直美素人俳優を使ったデビュー作「萌の朱雀」なんて見に行かないわけだ。今や世代代表する尾野真千子デビュー作でもあるにもかかわらず

2016-12-26

遠藤周作原作でスコセッシ監督の「沈黙」という映画

日本隠れキリシタン弾圧を題材にした映画らしい

是非観たいな

日本人キリスト教徒に本当に一方的に酷いことをしたと思う

廃仏毀釈とかハンセン病隔離とか小笠原事件重慶爆撃や花岡事件とかこの国は本当に滅茶苦茶な国だった

ハンセン病患者を題材にした河瀬直美監督映画もすごく良かった

映画界にすごく良い流れが来ていると思う

袴田冤罪事件花岡事件とかも映画化して欲しい

2008-03-05

通過儀礼

西田ひかる結婚発表と同時にそれまでの長い髪をバッサリ切って、センスのかけらも無いミセス丸出しのショートカットマスコミの前に出てきた。

タレントを売るためなら正直「ここまでやるか」という印象を持った。

巨乳以外に売り物がない女性タレントは苦労するなあ、と。


久保純子現役NHKアナウンサーのときは原稿を噛まないで読むことのほうが稀で、それ以前に滑舌が致命的に悪かった、というか今も悪い。

彼女結婚した途端にミセスタレントに転身して、出産後はすっかり磐石の地位を確保した感が強い。

仕事スキルは大して向上してないけど、結婚によってタレントとしてのステージは確実に上がった。

今の状況からすると、たとえ本人が勘違いしていたとしてもしょうがない。


結婚前の河瀬直美はハイミスというほどの年齢ではなかったが、自分のストレスから来るフラストレーションの捌け口を無関係な周囲に求める、イライラ女の典型だった。


人の人としての営みというのは理性だけで支配されているものではないのだということを改めて知りました。

魔法使いから盗賊に転職します-切り込み隊長BLOG(ブログ)

「改めて知った」のじゃなくて、「いま初めてわかった」の間違いだろ。この期に及んでしょーもない意地を張るんだな。釣りでも釣りじゃなくても、そこだけは譲れないってか。


外堀固められようが、自分から望んでそうなろうが、通過儀礼として通らねばならない。

そうじゃないと大人になれない。

大人として認めてもらえない。

そういう言質がまたひとつ増えた。

 
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