はてなキーワード: 書斎とは
第1章 基本編
1 ラクをして成果を上げるのが基本中の基本
5 「ぜひ続編を」に即対応できるよう、素材は使い切らない
6 外部の人に自分の仕事のおもしろさが伝わらなければ、それはつまらない証拠
7 よくわからなかったら現場に行って考える
8 気になったら、まず買う
9 自分に対する相手の優先順位を上げてもらうことが仕事の基本
10 全体像と個別の処方箋を混同しない
第2章 インプット編
11 「つまらない」と思ったら、できるだけ早く撤退する
12 情報収集にのめりこまない。情報とは「出合う」ものだからである
14 若いうちはテーマなしで一日一冊、四〇代は一日で五冊
15 興味がわいたことは講演やセミナーに出て、全体像と情報源を一気に押さえる
16 書棚一本の本がたまったら、新しい分野を開拓できる
17 ブログを世界中の井戸端会議における、「立ち聞き」として活用する
18 ウソには必ず理由や背景がある。それを探るとインプットが効率的になる
19 発行部数数千部のメルマガや専門誌や白書類にたくさん目を通す
第3章 ネットワーク編
21 いざという集まりには万難を排して参加する
22 アイデアは他人の頭で揉んでもらう
24 会いたい人にはできるだけ向こうから望んで会ってもらうように仕向ける
25 お願いした場合は「いつでも」と言う
26 予測がつかなかったら、親しい友人と賭けをする
27 人から薦められたものは、無理をしてでも即日取り入れる
28 期待値を下げる
29 自分の実力をマッピングしておく。身の丈を知ったうえで見栄を張る
30 先輩の一言アドバイスには、とにかくまず従ってみる
第4章 撃退編
31 締切日に納品しても、返信がないような会社とは仕事をしない
32 依頼には即決で答える
33 愉しめない喧嘩は避ける
34 自爆しない
36 クレームは、成長に不可欠なもの(一割)と、無駄(九割)に分かれる
38 三日かかることは一日でやる
39 「苦手なこと」は人の手を借りて解決する
40 NG上司に煩わされない
第5章 独立編
41 本当に「良いもの」は自分で売ってみる
42 出された問題はすべてその場で解決の方向と、「いつまでに」を明確にする
43 今の仕事を30年後にもやっているかを自問。もしNOなら続かない
44 自分の仕事が黒字になっていなかったら、絶対に会社を辞めない
46 最初から必ず黒字にする
47 「この社と切れたら自分がアウト」という取引先は作らない
48 「やりたいこと」を周囲に話しておく
49 「好き」を安さの言い訳にしない
50 独自の販売回路をもち、その売り上げは五年で二倍が最低ライン 第6章 継続編
51 好きな仕事を増やすために、好きではない仕事を毎年二割ずつ削除する
52 「なるほど」と思ったことは、二四時間以内に「やる」メドをつける
53 過去を振り返らない
54 「何をしないか」を明確にしてゆく
56 一発屋でなく、人気(売り上げ)×継続の面積を広げていく
57 貯金しなくても良いようなキャッシュフローを、常態化する
58 問題を見つけたら、必ず即日解決の糸口を見つけておく
59 継続させる小さな工夫を
60 自由に生きるために健康を維持する
第7章 組織編
60 今いるメンバーを前提にする。「上手くいかない」のを彼らのせいにしない
62 会議や集会は、参加者全員が「待ち遠しい」仕掛けをつくる
63 自分の「忘れグセ」を前提に、「忘れても、できる」仕組みをつくる
65 コーチはするものではなく、優秀なコーチに短期間「つく」のが近道
66 どれくらい時間がかかるかは先に訊く。ギャラも先に決めておく
67 インセンティブを高める工夫だけで、成果が上がる場合は予想外に多い
68 毎日仕事が終わったら、机の上と周辺を完全にリセットする
69 「約束の優先順位」を見直すクセをもつ
70 休暇中も仕事をしたほうが、のんびりできる
第8章 時間編
71 会議は一企画につき二度だけで終える
72 決裁は火曜日の午前一〇時半から、と決めておく
73 探し物は一ヵ月で合計一時間以内に
74 人を待たせない。待たされても怒らない
76 よほどゆとりがない限り、正義に多大なエネルギーを注がない
78 出欠を迷うイベントには行かない
80 もう腕時計をしない
第9章 アウトプット編
81 ノウハウはどんどん公開する
82 「好き」をお金にしてゆく
85 数値目標とその根拠を明白にもつ
87 「新鮮でおもしろいこと」は三〇秒で説明する
88 毎晩アルコールが欠かせない人は伸びない
90 「必要でないこと」は極力やらない
第10章 生活技術編
91 死以外の悲劇は、一〇年後に必ず人生の肥やしになる
92 子どもができたら、「仕事で二〇年後にブレイクする」準備を始める
93 昨日と違う今日、今月と違う来月、来年と違う再来年にする
94 加齢とともに遊び時間を増やしてゆく
95 最悪の事態を想定し、その兆候が出たら動く
96 よほど親しい人以外にはプレゼントをしない
97 ドタキャンは月に一度だけ、と決めておく
100 大切な人は命がけで守る
俺はMMOはやらないが、それなりにアクセスがあるサイトを運営していて、夜になると更新にいそしんでいる。やっかいなのはサイトにはアフィもあって、生活費の足しになっているってことだ。
朝:出社ギリギリに起きる
昼:働く
という毎日。子供に付きっきりの嫁の自由時間は夜だけだが、そのころ俺は書斎にこもりっきりで、セックスレスというよりも、なんだか嫁との間にすきま風が吹いているように感じている。生活費の足しになっているので嫁も正面切ってサイトやめろとは言わないけど「そんなにがんばらなくても、生活やっていけるから」と言われたことはある。
アフィの売り上げも大事だけど、それよりもサイト利用者からの「ありがとう」の言葉が嬉しくて更新を続けている。子供も大事、嫁も大事、利用者も大事。でも正直言って嫁に一番力を抜いていた気がする。分かってくれるだろという甘えがあったんだろうな。
(この手の本を読んでいる人が、読んでそうな本を他にも挙げてほしい)
理系学生の書斎が安藤忠雄の建築事務所(研究所)みたいな資料の山だとしたら、
文系(特に法)学生の書斎は立花隆のネコビルwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
規模だけでなく質でも文系(特に法)は見劣りがするね。
何度か連中の自宅に招かれたから、ちょっと参与観察してみたんだ。
冗談半分でさ。
仔細に文系 (特に法)学生の本棚とか見てみると、これがもう滑稽なんだwwwwwww
まずいきなり机の上に開いた状態の宮台真司『権力の予期理論』!(笑)
プゲラを抑えるのに必死だったぜ。
続いて 何度も読んだ形跡のある伊藤&柴田の司法試験論文対策即席要点集(笑)。
お前サル かよ、それでも人間かよ、って問い詰めたくなったね(苦笑)。
カント・マルクスをはじめとする岩波文庫300冊程度(笑)(日本語であって原文ではない)
我妻民法(笑)佐藤憲法(笑)前田刑法&商法(笑)新堂民訴法(笑)
○○学がわかるシリーズ(プッ)
フーコー『知の考古学』(笑)(「パンのように売れた」ベストセラー)
仏露独蘭伊中国語辞典(笑)
トクヴィル(笑)大江 健三郎(笑)コーポレート・ファイナンス(笑)ドストエフスキー文庫(笑)西尾行政学(笑)
柄谷行人文庫(笑)フロイトの技法(笑)Yale Law Journal(笑)ハンナ・アーレント(笑)浅田彰(笑)『構造と力』(笑)
別冊ジュリスト判例百選(笑)大前研一(ワラ)シェイクスピア文庫(笑)
田中行政法(笑)中公『世界の歴史』(お前高校生かよw)マンデル貨幣理論、(笑)
女子大生(特に法)が読む雑誌と大差ないMarie Claire(笑)
magazine litteraire(笑) Cosmopolitan(笑)Critical Inquiry(笑)
Le Monde(笑)The London Economist(笑) American Economic Review(笑)
Fortune(笑)Foreign Affairs(笑)Yale Law & Policy Review(笑)
The New England Journal of Medicine、Michelin(笑)
これだもんねぇ。
他にも数百冊 持っていたようだがあとは推して知るべし。
で、トドメは
ピーター・ドラッカー(笑)
ピエール・ブルデュー(笑)
フォーリン・アフェアーズ(笑)
知の論理!!(笑)
もう俺その場で大爆笑。
プゲラー止まらなかったぜwww
ま、予想通りだけど、杉浦・ 解析入門(高校4年生の一般教養にはいいかもね)
岩波講座・現代数学の展開 (なぜかモジュライ理論、Lie環、Weil予想、コホモロジーw)
リーマン・アティヤー・岩澤・シュバレー・ヴェイユ・セール・ブルバキ・ウィーナーなど書店で目につくもの(持ってるだけね、知的ファッション)
東京化学同人『分子細胞生物学』(ゲノム解析ブームの名残だろうな)
プリゴジーヌ『散逸構造』(笑)
これだもんねぇ。
他にも何十冊か持っていたようだがあとは推して知るべし。
で、トドメは
日経サイエンス(笑)
ニュートン(笑)
数学セミナー!!(笑)
もう俺、こんな連中と面識あるなんて、恥ずかしいね。
あいつらよく平気で外を歩いてるもんだ。
せめてNatureくらい読めよな、
文系(特に法)なんだからさwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
釣られにきた結婚11年目fujoshiだよ!!fujoshi暦はその倍くらいで田亀先生とか持ってるレベルだよ!!
旦那はアニメ好き、ゲーム好きで、どのクールも毎週毎週8本くらいのアニメを録画視聴、そのあとゲーム、
子供が生まれるまえはいっしょにエロゲ(同級生とか)してみたりもしたけど
彼はマイナー指向な趣味は2chもフィギュアも声優萌えもない、活字属性も二次元も薄いみたい(これはちょっと後悔。
といっても彼がその気になれば私ならいろいろつきあってあげられるのだが・・別に無理強いすることもないなと思ってる程度)。
本当に最近テレビに張り付いて子供をかわいがり、家事はほとんどしなくなった、いい旦那だよ
事情で私が外で働くのをやめちゃったら寂しくてしかたないって訴えていたら
いろんなアヤシイものを(自分のお金で)かなりあからさまに購入しだしても普通に生ぬるくスルーしてくれてるよ
書斎=オタ部屋もらって日中好きにすごしてる、子供と3人でアニメ映画(舞台挨拶つき)や漫画喫茶にいくよ
子供はラノベ読みになっちゃったけど腐属性はまだないみたいでどこまで隠してやれるかなあって思ってるよ
元エントリよんで思い出しましたよ、たしかに私もトランクルームは検討したんだよ
結婚前に買い集めた同人誌全部○だらけにおくってたったの3万円になったんだよ
出産のお疲れ様プレゼントに指輪買ってあげようかっていわれたけど、
残った気力振り絞って自分に正直に考えたら指輪よりイベントにでもいかせてほしかった
(体力的にムリだから代理購入できる友達がいたらとつくづくおもった)w
人生山あり谷ありだよ、今卒業できたらすればいいし、できないならできないなりに、
ムリしすぎないようにしてればなるようになるよ~
とりあえず結婚式は自分が主役になる唯一無二の舞台なんだから自分萌えと旦那萌えガンバレ
あと妹さんと仲良くなって悪いことはぜったいないとおもう
スペック:嫌煙者。喫煙歴なし。両親・兄弟が喫煙者(かなり大量)。
居酒屋とかカラオケとかに行ったあとは、帰宅後すぐに衣服も身体も丸洗いする程度にタバコ嫌い。
対する喫煙者はどこもかしこも監視されて一昔まで罷り通っていたというか、日常見る風景だった事が手のひら返したように「犯罪者」扱いされる事に遺憾の意。
研究が進んで、受動喫煙が思ったより健康に悪いらしいとわかってきたからでしょう。
たとえば、大昔、シラミを退治するのに昔はDDTを使っていましたが、今は使いません。DDTの効果よりも毒性のほうが問題になったからです。
たとえば、戦時中、ヒロポンは覚醒作用を買われて軍隊で多用されていたようですが、今はもちろん使用禁止です。覚せい剤ですからね。
DDTや覚せい剤は大げさかもしれませんが、喫煙だって類似だと思います。
幸い、喫煙可能な周りに人がいない場所で自分で責任が取れる範囲で吸う分には、何も文句は言われないし法律にも触れないと思うので、そういうところでゆっくりされたらどうでしょうか。
おおおおおおお! 住みてえええええ!
どちらかというと広い書斎というより図書室のような本の収納場所が欲しいんだよねー。
ある程度の広さのスペースができて、耐荷重がそれなりにかせげるならば、
可動式の本棚を部屋いっぱいに入れて、思う存分蔵書を増やしたい。
それで片っぱしから読むんだー。ああ、しあわせー。
ついさっきのフジテレビの特番だかなんだかで、衝撃の瞬間を捉えたカメラマンがどうたらこうたらというシーン。
そのカメラマン当人がインタビューで「あの時は…」みたいな事を言ってたら、親父が唐突に「お前らの仕事の自慢話なんぞ面白くも何ともない」と言い捨てて書斎に引っ込んでしまった。機嫌が悪そうな雰囲気でもなかったんだが、中高年にもこういう番組は鬱陶しくなってきているんだろうか。
久しぶりに実家に帰ると、亡くなった母を思い出す
母は認知症だった
身の回りの世話をつきっきりでしていた父を困らせてばかりいた姿が目に浮かぶ
何の気無しにテーブルを漁ると、ハサミでバラバラにされた幾つかのカレンダーの切れ端が順序良く並んでいる事に気が付いた
母はどんなに呆けていても、私のプレゼントは大切にしてくれていたのにと…私はショックを受けた
私は感傷とともに並べられた日付を整理した
4/4 4/4 4/10 6/11 3/1 6/12 5/6 7/2 6/7 6/17 4/10 4/14 5/16
私は一枚だけ向きが逆になっている6/17に気づき、他の日付と同じ向きに変えていると、一階の父が私を呼んだ。
(ちなみにエロ本は特に隠したりもせずに、
ある日とうとうアナルで生でヤらせろと言ってきたらしい。
どうしても、それは嫌だと拒むと、父はあっさり余所に愛人を作ったそうな。
30年以上前なんて、SMは今よりも周囲の理解を得られなかったから、
父はそんな内容でも決意の告白だったのかなーとか、
ああ、これが性の不一致は性格の不一致ってやつかとか、
いきなりアナルゴムなしでなんて、そりゃ母が嫌がるのもわかるとか、
じゃあ、父の愛人のあの人やあの人は皆アナルOKだったのかとか、
色々な考えがぐるぐる巡ったのはさておき。
何故、そんな話を成人後とはいえども、子どもに聞かせるんだよ、ママン…。
流石に親のセックスについては生々しくて聞きたくなかったよ………!
っていうか、あんたらがうまくいかなかったのはそんな理由か??!
親に彼らのセックスについて聞かされたってのは、どんだけいるんだろう。
2008年10月06日 kyoupon3 kyoupon3 はてなサヨク, 書斎のマス掻き, 中国さま中国さま 「多分その人はあまり頭がよくない」 なにさまだよてめえ // 敵だなんっつってる奴いんのかよ、国益/安全保障でリスクの多寡を勘案すると、でけえなっつーだけだろボケ
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://fragments.g.hatena.ne.jp/Tez/20081005/p1
このように「なにさまだよてめえ」と言っている人が別のところではこんなコメントを↓
http://d.hatena.ne.jp/kyoupon3/20081021/blackseptember
本当なにさまのつもりなんだろうね、このkyoupon3ってのは。はてサ叩き目的だとここまでダブルスタンダードが許されるのか。はてサは批判されるべきところが多いけど、これはひどい。
つかぼくぶっちゃけ政治にも歴史にもそんなに関心ないからどうでもいいんだけどそれって少数なのかもね。アメリカもどうでもいい。中国もどうでもいい。(チラシの裏スマソ
どうでもいいならわざわざ他人のコメント欄に書かなくてもいいんじゃない?
というか最初に出した中国に関しての「国益/安全保障でリスクの多寡を勘案すると、でけえな」ってコメントは一体なんなんだろう?「どうでもいい」と思っている人のコメントには見えないんだけど。
上司が亡くなったのは二ヶ月ほど前のこと。事故はないが突然死だった。日本の技術部隊を率いながら、同時に海外の客先を頻繁に訪問するパワフルなマネージャーだった。
先週上司の家に行った。奥様がパソコンで困っていると連絡を受けたから。初めての上司の家。二ヶ月前の雑誌が置いてあった。書斎は時間が止まっていた。
幸いトラブルは自分でも解決できるものだった。Windowsの終了と再起動を繰り返す間、書斎を眺めた。本の数は少なかったが、二つ気になるものがあった。一つは大学の同窓会名簿。もう一つは分厚い高木貞治の『解析概論』。
上司は私の大学の先輩で、大学を出るとすぐにアメリカに渡ったそうだ。その経歴からすると同窓会名簿は意外だったけれど、そういえば人間関係を非常に大事にする人だった。
それから『解析概論』。私も上司も工学部の出身で、どちらかというと応用を学んだ人間だから、純粋な数学の教科書である『解析概論』は縁遠い。けれども私がそれを知っているのは、大学に入学したときに意気込んでそれを買ってしまったから。
しかし私はそれを読むことなしにやがてバイトに明け暮れ、結局本は後輩に譲ってしまった。一方上司は今まで大切に持っていたようだ。マネージャであったり営業であったり、スーツを着て仕事をするようになっても、いつかは『解析概論』を読破しようと考えていたんだろう。もしくは自分と同じような基準で判断しては間違いで、上司はすでに『解析概論』を血肉にしていたのかもしれない。
上司をキャリアプランの目標をするにはあまりに年齢が離れていて、というかそれ以前にすごすぎる人だった。『解析概論』を引き金にして、上司の在りし日の姿が色々と思い出された。
月曜日もがんばって働こう。
★☆★☆★ 問題 ★☆★☆★
2.あなたはニッケル電池ほどのサイズに縮んでしまう。質量は今現在のオリジナルの密度を維持している。そしてあなたはガラスのミキサーに投げ込まれる。ミキサーの刃は60秒で動き出す。さぁ、あなたはどうする?
3.シアトルのすべての窓ガラスを洗浄するとして、あなたはいくら請求しますか?
4.マシンのスタックがメモリ内で増えるか減るかしているのをどのようにして見つけ出しますか?
5.あなたの8歳の甥にデータベースについて3つの文で説明しなさい
6.時計の長針と短針は一日に何回重なりますか?
7.あなたはA地点からB地点に行かなくてはならない。そこに到着できるかどうかは知りません。どうしますか?
8.シャツでいっぱいの戸棚があるとします。特定のシャツを見つけるのは非常に難しいです。簡単にシャツを見つけるためにどのように整理しますか?
9.この村には100組の夫婦がいて、夫は全員浮気しています。妻は全員、自分の夫以外が浮気していることは知っています。そしてこの村の掟では浮気や姦通は許されていません。また、どの妻も自分の夫が浮気していると知ればすぐに自分の夫を殺すという掟があります。この村の女達は掟には背きません。ある日、村の女王が言いました。この村には浮気をしている男が少なくとも1人はいる。さて、この村に何が起きますか?
10.ある国では人々は生まれてくる子には男の子だけを欲しがりました。そのため、どの家族も男の子を産むまで子供を作り続けました。この国では男の子と女の子の人口比率はどうなりますか?
11.高速道路で30分間に自動車が存在する確率が0.95である場合、10分間では確率はどれぐらいになりますか?(確率は一定であると仮定します)
12.時計を見ると3時15分でした。長針と短針の間の角度は?(ゼロではありません)
13.4人の人々がぐらぐらするロープの吊り橋を渡って夜にキャンプへ戻る必要があります。不幸にも懐中電灯は一つしかなく、17分しか使えません。吊り橋は懐中電灯なしで渡るにはあまりにも危険で、吊り橋は同時に2人しか渡れません。しかも、各人は歩くスピードが違います。ある者は橋を渡るために1分かかり、別の者は2分かかり、3番目の者は5分かかり、最後の者は10分かかります。どのようにすれば17分で全員が渡りきることができますか?
14.あなたは友人たちなどとパーティをしており、全員であなたを含めて10人います。友人の一人が賭を提案してきました。あなたと同じ誕生日の人がこの中にいればあなたは1ドルもらえます。あなたと同じ誕生日の人がいない場合には友人が2ドルもらいます。あなたはこの賭を受け入れますか?
16.あなたは同じサイズのボールを8つもっています。そのうち7つは同じ重さですが、1つはほかのものよりもわずかに重いです。秤を2回だけ使ってこのわずかに重いボールを見つけるにはどうすればいいですか?
17.5人の海賊がいて、彼らは1位から5位にまでランク分けされています。1位の海賊は100枚の金貨をどのように分けるかというプランを提案する権利があります。残りの海賊はこのプランに投票する権利があり、賛成が半分に満たない場合には1位の海賊は殺されます。1位の海賊の分け前を最大にしてなおかつ彼が生き残るにはどうすればいいですか?(ヒント:一人の海賊は結局、金貨の98%で終わる
★☆★☆★ 解答 ★☆★☆★
1.ググレカス
2.ググレカス
3.ググレカス
4.ググレカス
5.ググレカス
6.ググレカス
7.ググレカス
8.ググレカス
9.ググレカス
10ググレカス
11.ググレカス
12.ググレカス
13ググレカス
14.ググレカス
15.ググレカス
16.ググレカス
17.ググレカス
,.-─ ─-、─-、
, イ)ィ -─ ──- 、ミヽ
ノ /,.-‐'"´ `ヾj ii / Λ
,イ// ^ヽj(二フ'"´ ̄`ヾ、ノイ{
ノ/,/ミ三ニヲ´ ゛、ノi!
{V /ミ三二,イ , -─ Yソ
レ'/三二彡イ .:ィこラ ;:こラ j{
V;;;::. ;ヲヾ!V ー '′ i ー ' ソ
Vニミ( 入 、 r j ,′
ヾミ、`ゝ ` ー--‐'ゞニ<‐-イ
ヽ ヽ -''ニニ‐ /
| `、 ⌒ ,/
| > ---- r‐'´
ヽ_ |
ヽ _ _ 」
ググレカス [ gugurecus ]
(西暦一世紀前半??没年不明)
ググレカス(Gugurecus, 生没年未詳)は、古代ローマの思想家。
帝政ローマの時代に現在のアルバニアあたりで生まれたといわれている。父は役人で、家の巨大な書斎にはあらゆる本が並べられていた。このため物心ついた頃から興味を持ったものは何でも検索する習慣がつき、13歳頃からはほぼ一日中図書館で過ごすようになった。それ以来さまざまな発見をしては、それを地元の図書館で検索するという日々を続けていた。
だが20代になると、故郷の図書館の蔵書はすべて制覇したのか、図書館通いに飽きてしまいローマに移住する。ローマでも毎日多くの事柄を発見しては図書館で検索しており、その探究心と教養を買われて役人として出世する。何でも知っていたググレカスは人々の注目を集めたが、やがて図書館で少し調べればわかるような事柄を質問されると即座に「ググれカス」という返答をすることが習慣となってしまった。このため人々の反感を買い、ググレカスはローマで孤独に一生を終えた。
当時の人々からは憎まれたが、人が多様な物事に興味関心を持つことの自然さや、それらの物事について検索する楽しみを見出した思想家として知られている。 なお、その祖父、モックーログ(mokuron 生没年未詳)は、脳の構造に目録がにていることを発見し、それが意志を持つのではないかと警戒した。
http://anond.hatelabo.jp/20070131154754
の書き主です。TB先をDisったつもりが、私がエサになるなんて、ヒィ~。なんていうか万人の万人に対する闘争というか、自ブログでこれやっちゃってたら泣いてるし。なんだけどここではdisるなり電波飛ばすなりがお作法のようなので、迷うことなく電波飛ばしてやる。
とり合えず志望校先に書いとく、上智大学の神学部神学科。志望動機は端的に言うと神学とラテン語両方勉強できるから。
長くなるけど以下に志望したまでのいきさつというかグダグダと、前に書いたエントリについて書きます。
まず先のエントリを書いたのは、向こうの書き主がうじうじしてたのでdisりたくなったから、あと受験生って立場から見てどんな大学であれ大学入ってる人がうらやましかったから、あと遊んでる子が気になるとか三流私大がなんだって自分も思ったことあるしょうのないこと気にしてるから当てこすってやろうと思ったの、ってこれなんて反省文。なのに当てこすり部分きつくして書いたもんだから(タイトル含めて)、TBもらうは、ブクマコメこんなにもらったことないというか手厳しいコメもらうとやっぱ凹むね、匿名でも。というか、TBくれた人みたいに素直に書けばよかったわけね、ほんと私は素直ではとってもない。
あとリアルで学歴云々の話がタブーであるのもよくわかった。というかTB先の人の不満というかその大元になるもに私‘も’3年曝され続けたわけですがといまさら被害者面かよ!といわれるのイヤだし、そういう後ろ向きなもの持ったままでいるのいやなので全部はいちゃう。
にしてもたくさんTBいっぺんにもらったことないのでちょっと困惑する。
http://anond.hatelabo.jp/20070131162229
http://anond.hatelabo.jp/20070131170249
まずはこのお二方のTBから、先に書いたように私の志望大学は上智大学の神学部神学科です。試験は英語、世界史、現代国語のペーパテストに加えて学科での学習の適性を計る小論文と面接です。あと、願書出すために司祭(神父様なり牧師様)の推薦状が必要です。受験資格にキリスト教徒である必要はありませんが、その場合でも在学校の教員の推薦状がいるようです。(できれば学部、学科の教育内容について熟知してる方が望ましいと書いてありましたが、願書に)
偏差値の方ですが各予備校のボーダーを確認すると、40後半から50前半です。例年合格最低点は学科試験の50パーセント程度です。いちよう上記の理由があって(受験者が限られる)偏差値が低いものと心得ています。
あと、、高校二年生のときにオープンキャンパスの際ではありませんがキャンパスの方は見学しました。身近にOBが幾人かいましたのでその人たちからも大学の雰囲気などについて伺ってはいます。
大学での講義の内容については、大学のシラバス、担当教官のホームページなりブログについては一通り目をとうしました。さらに大学、学科名でググって、在学生のホームページも3っほど読んでみました(というか二つはブログ)。
予備知識については、ミッション系の学校での倫理の時間と課外活動でカトリック研究会に所属していましたし、昨年洗礼を受ける際にも勉強しましたので十分備えているつもりです。無論、一次の学科試験が終わればそのあと神父様に紹介していただいた書籍も読んでいくつもりでが。
大学に入学後にはキリスト教倫理学、日本での教会およびミッション系の学校での教育活動について学びたいと思っています。また、宗教科教員の免許習得を目指したいと思います。
とここまで書けばOK?・・・・・・・・・・・・・・・・これじゃつまんないでしょ?あれだけきつい事書いたのに。
これ一般の人向けの説明、予備校のチューターとかあんまし親しくない友人にはこの説明で押し通してる。正直神学部志望と言うだけで驚かれるから、無論上に書いたコトには一字一句ウソはありあません。宗教科の教員免許はとるつもりだし、日本において教会が関わってる教育活動は私が学びたいことの一つであるし、キリスト教倫理学は信者の一人としてカトリックの考え方もっと深く学びたいと思ったから。でも、上に書いたことはやりたいことの一部でしかありません。
http://anond.hatelabo.jp/20070131174254
お言葉に甘えて書かしてもらいます。自分の志望動機きちんと全部話をした相手は父親と母親あと推薦書書いてくれた神父さまの3人だけです今のところ、あとは二次の面接で試験官にできる限りのことを伝えようと思います。
というかキー打つのに少し疲れた。ごめんなさい書きかけだけどいったんうpする。あと誤解されてるのいやだから先に書くけど、私地方在住だし、Fランだの地方の中堅国立大なんて気にしてません、でも自分の選択にうじうじして割り切れてない人はどんな人だろうと嫌いです。
お昼早めに食べたので書き足します。長くなる気がするので読みにくいかも・・・・。
まず、神学部を志望するまでになったいきさつというか、自分語りうざいって人は時間の無駄なので読まないようにね。
上にも書いたように私は中学受験してミッション系の中高一貫校に入りました。中学受験は自分自身で決めたものでなく、母親に強く勧められて決めた物です。塾に通い始めたのは小学校5年生の三学期から、受験する子たちに比べとても遅かったと思います。もともとは、塾の進学コースでなくて補習コースからでした。小学校の算数のテストで酷い点を取ったのがきっかけです。確か比だとか単位換算?だったかな確か。でも点数はよく覚えてる、たぶん相当怒られたからだと思う。65点だった。塾行くの初めはすごく嫌だった。たったの週三回、学校終わってから8時ぐらいまでだったけど。でも、国語は得意いだった。基本的に本読むの好きだったから。6年生の5月ごろの学力テストでかなりいい点数を取って、上のクラスに上がらないかと塾の講師に薦められた。母親がセールストーク真に受けたのと、たぶんその時褒められたのが相当うれしかったんだと思う、私も承諾して上のクラスに上がることになった。それから週三だった授業が週5、学校終わってからと土曜日は朝から、日曜日も私、算数と理科の電気だとかの物理分野苦手だったので補習があった。きつい時あったけど、そんなにイヤではなかったと思う、今思い返してみても。ちっさいころから母親私の教育に入れ込んでた気がする。夏休みのドリルとか、なかなか進まないですごく怒られたりだとかした記憶があるから、すごく嫌だった。そういうことあっての反動だと思うけど、夏以降も成績上がっていって期待されたり褒められたりするのが当時はとてもうれしかったんだと思う。秋ごろの試験で今までは考えられなかったような学校の合格が見えてきて挑戦するかどうか決めないといけなくなった結局滑り止め含めて挑戦校も受けることになった。結局受けたところは全部受かった。挑戦校は受験したあと正直落ちたと思ってた。算数ぜんぜんできなかったから。合格発表のときはすごくドキドキしたし、自分の受験番号が掲示されてるのはとてもうれしかった。
春になって、新しい制服に袖通して、晴れやかな気分で入学した。でもすぐに勉強ついていけなくなった。特に厳しかった英語と算数同様に苦手だった数学、正直できない勉強を教室で受け続ける苦痛はすごく分かってるつもりです。一年生の時から落ちこぼれですから。でも、それ以外の科目は基本的に社会であろうが理科であろうが大好きだったからそれに対しては不満持たなかった。でもほんと泣きそうだった。あの時学年でアルファベットとか負の数の入った計算学校に入る前にきちんとやってなかったの私ぐらいだと思う。意識の高い家とかだったら、入学後も勉強しないといけないのわかってるから、家で教えたり、早い人は中一から塾行ってたりするし。私結局中学一年の二学期に数学と英語アカ点食らうとかすさまじいことして、落ちこぼれがこれで確定・・・・・三者面談だよいきなり、入学して一年目で、挙句英語担当の外国人教師に親子ともども死ぬほど流暢な日本語で1時間近く説教されるし。大きなお世話かも知れないけど自分の娘、息子の勉強の面倒見れない人はこいう学校に入れない方がいいと思う。得るものたくさんあったし、これから書くけど勉強面では親子ともども苦労すると思うから。
そんなこんなだったけど、三学期はがんばったのと数学の先生のお情けがあったのでアカ点は免れて進級できました。2年生から本格的にクラブ活動だとか委員会活動できるようになったので、もうほんと逃げるように打ち込みました。勉強の方は試験前のできる子のノートのコピーに一夜漬け、平常点のある教科は稼げるだけ稼いでおくとか、あと数学とかは、はなっからアカ点救済の追試を見越してまったくやらなかったり。追試は本試とまったく同じ問題なので前日に丸暗記したし。こいうの学んだのはクラブの先輩だと委員会の先輩、中高一貫なので似たような人はどこかにいるわけで、だれそれ先生はこういった傾向の問題ばっかり出すとか、甘いから何点最悪取ってればアカはでないだとか、以下略。正直補講だとか補習のある先生のテストで悪い点取ったら、委員会とかクラブに支障出るので必要悪だとも思うけど、だけどこのつけ払うために浪人するはめになったけど。友達づきあいも比較的楽しくできたと思うし、親友と呼べる子は少なくとも5人はいる。この子たちには学校の間だけじゃなくて卒業して浪人してる時も心配してメールくれたり、手紙くれたり、はてはお守りまで贈ってくれたりしてほんと感謝してる。
色々得たし楽しかったんだけど、私中学卒業して同じ高校に行くかどうかはかなりなやんだ。学校の勉強に正直付いていける気がしなかったから。ここでもネックになったのが英語と数学、中学三年生ごろから数学は高校の内容になってたし、英検の準二級全員で受けさせられたし、ほんと私一人だけ落ちるんじゃないかと心配した。それにクラブのほうも高校生と一緒に練習するようになったんだけど、高校のクラブの顧問が最悪のことに私の数学の担当の教師だったの、ほんといちいちいやみ言ってくるしクラブ中三でやめちゃった。あと、公立の高校進学しようかと悩んでて親に行ったら当然止められるし、挙句そこそこのレベルの高校ですら受かるわけないって言われた。うん、なんか前にTB送った人と似てる気がするからなんか突っかかりたくなったんだと思う。なんかすごいそのころイライラしてて友達とも仲悪くなった。というよりも、クラブやめないように説得してくれたり、苦手な勉強手伝ってあげるだとかの気遣いがすごく負担に感じられたから、今思えばすごく身勝手。
心理的な負担がたたって、拒食症気味になるは不眠、貧血、リスカはしなかったけど、内科で自律神経失調症って診断されてお薬もらう、でも病人扱いされるのイヤだったし薬いっさい飲まなかった。学校休むこと多くなって母親と延々喧嘩した。喧嘩するのイヤで、遅刻上等というか重役出勤して、保健室入りびたり、おしゃべりしたり本読んだり、保健室の本読み飽きたら、図書室こっそり行って本読ましてもらったりした。図書委員で司書さんにかわいがってもらっていたので、あと好きな科目の授業だけでることはあった。でもその授業に出るとその後の授業にも必然的にでないといけなくなるのでなるだけいやな数学と英語の授業サボれるような時に教室行くようにしてた。当時は体の状態ほんと悪かったのもあるけど病弱で押し通してた。でこのプチ不登校というかメンヘルというかは、中三の一学期でおしまい。担任と父親と校長と面談して高校に進学することになった。夏休みの英語と数学の補講つきだったけど。中三はこのまま終わった。数学の時間は一番前の窓辺だったけど授業一切聴いてなかったし、英語は授業中いろんな子にあてる先生だったけど、私には一切当てることなかった。まあなんです、自堕落の生活はそれはそれですごく苦しいです。精神的にきつい人は無理する必要ないと思うし、そういう人に向けての「がんばれ」は善意からのものであるのはわかるけどほんときついし、ただ相手を追い込むだけなのは身をもって体験した。やめよう、ねほんと自分で自分で追い込んでるワケだし、そっとしてあげるのがいいと思う、個人的には。
高校に入って気分一新、クラスもたまたまメンバーががらっと変ったので勉強の方も立て直して結句がんばった。高一のときは成績真ん中ぐらい。相変らず数学の点数は悪かったけどね。だってIAまともにできてないの??Bなんてできるわけがない。三角関数とか言われても三角比からわかりません、下手すると因数分解もやばひぃ。でもまあ、そこそこがんばった。でそこそこ勉強やろうって子達とも友達になってこのまま高2、高3と勉強すればよかったんだけど、よりにもよって文化祭の委員に巻き込まれ、こういうイベントというか企画して実行するのってすごく好きだから入れ込んじゃってほぼ高2のときの気力やら何やらを吸い取られ、そのあとすぐに修学旅行あって遊びほうけて、高三春先の模試でみんな頭が受験生になってるのにボーっとしてて気づいてたら最後の模試の成績表が手元にあってE判定にわれに返って、勉強始めたら年明けすぐにセンター試験で卒業式で二次試験で不合格でなんか終わってしまってた。高校まではこんな感じ。
で自分の将来について考え始めたのは、中学3年生の時のグダグダから、なんかやったらめったら本読んだんだけど、どの本から影響を受けただとかは当然はっきりはわかんないし、父親にしろ母親にしろと喧嘩するたびに将来どうするんだって言葉を投げつけられたりしながら考えてるのもあるのではっきりは自分でもやっぱしわかんない。なので、自分が意識できてる原因だとかきっかけだとかしかかけない。
今でももっているのだけど私の志望は国際政治を勉強したい、これは基本的には変ってない。これがどうして神学部志望になるかは自分でも少し不思議に思うけど、自分の進路確認するためにも長くなると思うけど書いていきます。
影響を与えた本というか、色々悩んでた時期に図書室にあったマーガレット・サッチャーの自伝を読んだのがある意味国際政治を勉強してみたいと思ったきっかけだと思います。ほんとはもっとあるとも思うのですが、少なくとも当時の私はサッチャーの生き方にかなり心動かされた。あと家の父親が学校の勉強はできる必要ないけど、本と新聞だけはよく読んどけ、あとは好きに遊んでろ、って言っていたのも下地になっているとは思います。中学受験の頃から社会科はとても好きでしたし、中学校に入ってからも基本的に得意科目だったし、好きでした。あと、カトリック研究会に入ったのも社会化の先生が国際化の世の中だしわざわざミッション系の学校に通っているのだし、キリスト教のこと勉強するのもいいのじゃないのかと授業中に紹介されたのがきっかけだったし、当時はクリスチャンになるなんて思ってもいなかった。カルチャースタディーぐらいのつもりだったのに。
中三ぐらいからなんとなく国際的な仕事となんか勘違いしてつんつんしてる子が抱きそうなゆるい願望から始まったわけですが、一度これと思ったら結構こだわってしまうタイプなので、図書室の政治だとかあと関係ありそうな新書だとかはその当時かなり読みました。
当時読んだ中で心に残っているのは、アルビントフラーの「第三の波」と「戦争と平和」がかなりよかった。あと父親の書斎にもぐって文芸春秋のバックナンバー読んだり、あと小室直樹とかいわゆるオヤジビジネスマンが読みそうな本をかなりがりがりと読んで、父親に生意気だとか結婚できなくなるとか、ガキがグダグダぬかすなとか言われてむくれる。全共闘崩れで心情左翼でそのくせ、根が女性蔑視だし、オヤジだし封建的だと反発して、日曜の朝だとかにやってる報道番組のたびに父親と喧嘩するようになる。朝まで生テレビならぬ、朝から生焼け討論。この当時母親あきれかえって口出しせず、弟は朝から難しい話すんなって愚痴ってました。小さな政府に安全保障上の懸案の解決になぜか固執してた。当然ながら小泉首相は支持してた。ついでだから書くけど、安倍政権は支持してない。
父親とのdisりっこもあったんだけど、当時読んだ文言春秋の北朝鮮問題について扱った記事が引き金になって、安全保障論とか本格的に勉強したくなる。たしか、この記事「希望の国のエクソダス」とか巻末で連載されてた頃の記事だと思う。確かミサイル開発、核開発、麻薬だとか拉致についても書いてあったと思う。(調べたら1998年の記事みたい、読んだのはたぶん2001年ごろ)
あと、2001年は私にとって大きな年だと思ってる。その年の4月に小泉政権になって、9月にはワールドトレードセンタービルはなくなってたし。12月には不審船事件もあった。かなり短絡的だあったことは今から思えばそうだけど、当時何度も何度も繰り返しハリウッドのそれこそCGじゃないかと思うような映像見せ付けられて、そのすぐ後に日本が国籍不明とは言え外国船に実弾を打ち込む有様見せられて危機感を抱かない方がどうかしてると思う。で当時の私は防衛庁の国家二種試験を受けて、安全保障についてかかわりのある仕事につこうと考えるようになった。当時から、防衛庁は防衛省になると思ってたし、外交分野でも安全保障に関する必要性は増すと思ってた。なので、それを扱える人材の受容も増すとまで考えてた。その頃からネット使い始めてたので、検索して安全保障論できそうな大学探して志望校にしてた。きちっと決まったのが高二の時、国立大と私立一校ずつ当然両方とも受けます。第二志望と第三志望ですから。なのでこの時点ではまったく神学とかは考えに入ってすらいなかった。後すごいたまたまなんだけど、TBくれた人のTB先の江畑健介さんは知ってます、書籍も二冊ほど手元にあった気が・・・・・頭の上がチャーミングな方ですよね。
そんなこんななんだけど、人より志望校早くに決まってたはずなのに上で書いたように学園生活をまんぴつしすぎて、現役の時は不合格でした。センターのボーダーマイナス40点だったと思う。
で当時はホンと凹んだのと父親に口ばっかし達者だし、考えに偏りがあるから反省しろといわれていたのですが、ほんと反省できました。同じ大学の後期試験を受けたのですが、志望動機などについての面接があったのですが、面接官は3人、一人は英語での面接担当、後でググッたりして調べたら、英語の授業の教官で結構右より、英語帝国主義論?みたいのこといってた気がする。とり合えずアメリカに媚媚するのが嫌いな人。もう一人は国際政治学が専門、残念なんだけど調べてもどなただかがいまだにわかんない。質疑応答主にした人だったのだけど、東アジアの地域安全保障について将来貢献したいしそのためにこの大学で勉強したいといったらいたく気に入ってくれた気がする。そんでもってもう一人が一年次の導入の講義の担当教官、国際関係学と国際法が主な研究領域かな?というかこの人によりにもよって大学の面接で噛み付いてしまったんです。ほんと、センターの成績たいしてよくないから点数稼がないといけないのに、NGOだとかNPO、ようするに国境無き医師団のような活動についてはどのように考えるかと聴かれて、その役割過大評価する必要はない的なことをいってしまって、前の二人の面接官とは4,5回内容についてどんどん突っ込んだ質問が出てそれに答えって感じでうまくいってたのに、その質問いついては私が一回答えてそれでおしまい。一瞬にして部屋の空気が凍りついたというか、すごく不機嫌そうでした三人目の教官、なんか残り二人の教官のアチャーという空気も感じられ、いたたまれなくなったのか、少しの沈黙のあと、真ん中の教官におずおずとこれで終了ですといわれて退出しました。
そのあと、校舎出て携帯取り出して即カトリック研究会で面倒見てもらってた神父様に電話して洗礼受けたいってなきながら電話してた。何というか懺悔ってこういうことを言うんだなというか、父親にも言われてたし自分でも少し先鋭化しすぎてたのもわかってたけど、自分の根拠のないプライドと自信はここで崩壊。ほんと帰りの電車で周りドン引きするのかまわずおお泣きしてました。情けないやら、悔しいやら、後悔やらほんとなんかよくわかんない感情。で上に間違って昨年と書いてたけどもう年越してるから一昨年です。なんか今までちゃんとしてこなかったことやらに反省して、他人に頼っちゃダメだとこの期に及んでまだ我をはって、周り止めるのかまわず自宅浪人した。うん、馬鹿なのわかってる。自分でも。
まだ、一浪の時は自分で自分の責任で周りに頼らずがんばんないとなんてこだわってた。ほんと死ぬ気でやった。そこでわかったのは自分は自分の習慣なり感情なり欲望を完全に意志によってコントロールほど強くないってこと、正直自分自身をマネージメントできるのは一握りの人間だけだし、ほんとの意味で賢い人はこういうことできるんだろうな。あと、自分がいかに多くのもに頼らざるえないかも身にしみてわかった。家族にしろ気を使ってくれたし、教会に行くようになったけどそこの人たちにも励まされたし、友達にも心配してもらったし。自分で何か一人でやりきったというのは、ある年齢ぐらいまではそれでいいし自身を持つためにも必要だと思うけど、大人になるには捨てないといけないものだと思う。やれるだけやって大学受けて落ちた時は頭真っ白、センターの英語でいまいちの点数しか取れなかったのが敗因といえば敗因ですが、言い訳にはならないと思う。一発勝負なのははなっから分かってたワケだし、テンパってぐずぐずになるのはやっぱし演習が足ってなかったわけだし。
で、正直地元の国立の試験終わってから出願できる大学考えてたんだけど、父親にもう一年やれその代わり予備校にも行って最善尽くせって言われた。ほんと贅沢だと思う。心配かけてるし。すぐに予備校に入るしたくして、昨年できてなかった数学といまだに苦手意識のあった英語がんばった。成績も一浪の時に比べたら少ししかあがってないけど、やることはやってきた。というか試験もうすぐだからこういうことは合格してから書けとか言われそうですね。というかあとは第一志望に受かれば万事OKなわけですが、上智の神学科に志望変った理由を書いてもう終わりにします。というかほんと長いね。相当フラストレーションたまってるんだ、わたし。
神学部に志望が変った理由を端的に述べると、2001年にもってた危機感というかそういうものが変質したからだと思う。当時は隣の危ない国のことがかなり気になっていたけど正直それは些細な問題でもっとまずい物というか大変なことが起きそうだなと、予備校行きつつも読書はしてきてつもりだしなるだけいろんなところにアンテナ張ってきたつもりなのだけど、正直言うとまだぜんぜんはっきりしないでもなんかとってもまずい気がする。これじゃほんとただの電波だよな。なんか色んな人が色んな場所から変化が起きる起きるというけど言ってる当人たちもなんかよくいまいち分かってないみたいだし、そのなんだかよく分からない変化に対して自分の価値観だとか行動規範を固めたいのが一点。
もう一つはキリスト教自他が宗教改革というかたちで大きく変化したけど‘その変化’自体を知りたいというか、いろいろアプローチの仕方は考えてみてるけど、たぶんこの先起こる大きな変化と同じぐらい大きな変化であると思っているので、そのとき生きてた人たちがどうやって考えて行動してたか知りたいから。
なんだか長々と書いてて本題の部分が短いしあいまいでごめんなさい。
でもう少し、前のエントリーはきつい当てこすりにしても、正直過去を後悔してぐずぐず言うのはあまり建設的ではないと思う。そんなことしてたら私後悔しっぱなしで持たなくなるし、やれることをやれるだけ、他人に頼りながら少しずつでもやるしかないと思う。
長くなったけどこれでおしまい。かける機会をもらえたことに感謝。時間少なくなってるのでこれで切り上げます。読んで下さってありがとうございます。