はてなキーワード: 屋根とは
ビニール傘をさして雨の中をとぼとぼと歩く姿が、ヘッドライトの中で片手を大きく上げるので速度を落としたが、女性であることに気づいて、クラクションを鳴らして通り過ぎる。
大の男が女性ヒッチハイカーをひろうわけにはいかないわけだし、旅の途中でもあるわけだし、だいいち予定をずいぶん超過しているわけだし。ちらりとデジタル時計を見ると、九時をだいぶ回っている。周囲にヘッドライトは見えない。しかたなく路肩に車を停め、僕は傘をさして反対方向へ走り出す。
「大丈夫ですか? あいにく男なんです、それに」
駆けより弁解しようとして、言葉が途切れる。ヒッチハイカーの二十歳前後の女性は小柄で、その細い肩を小刻みに震わせていた。
「大丈夫?」
歩ける? じゃあ、車まで、距離あるけれど。縦に首を振る。それでとぼとぼとついてくるのを振り返りながら車まで歩き、助手席に座らせてヒーターを全開にした。
「この道、ぜんぜん車とおらないですよね、国道なのに」
できるだけ声をあかるくして後部座席からバスタオルを出して、渡す。沈黙を消すためにラジオをつけると、朝のドラマのあかるいポップソングが流れだす。ポットにホットコーヒーの残りがあったのを思いだして、それを注ぐと白い湯気がのぼり、カップを渡すとふるえる手がそれを受けとる。車内灯をつけて地図を広げる。
「どこまでですか? 駅まで送りますよ。ここから歩くとずいぶんありそうですし」
宮城に入ってからずいぶん走った気はしていたが、さすがにぎょっとしてコーヒーをすする彼女の顔をみつめる。ふしぎそうな視線がこちらをちらと見る。
「あ、ええ、大阪も回るつもりですが、ずいぶん先ですよ?」
「友達がいるんです」
ああ、家出かと得心がいき、何も荷物も持たずに海岸線を歩いていた理由がわかったような気がした。大学生ならばまだ夏休みも少しは残っているし、家を飛びだして高校時代の親友の家に転がりこむなんて算段もするだろうし、お金がないからヒッチハイクなんてことも考えるかもしれない。それでもこんなオフシーズンに大阪行きの車などめったになく、それで車を乗り継ぐうちに時間切れのように雨降るひとけのない国道に取り残されたのではないか、そんなことを思う。
「どうも」
カップが差し出されて、ポットをしまい、思いだしたように車を出す。
「とりあえず、今日は仙台まで行く予定だったんです。だからどのみちそこまでは行きましょう。大阪はどうするかはともかく」
「地図見ます」
それでふたりで納得して、ヘッドライトが照らす濡れたアスファルトを見つめながら、静かなラジオに身を任せる。夜のニュースが始まり、あいかわらずの政治の話題が伝えられる。それを片耳で聞きながら、ハンドルを指先で叩く。久しぶりの信号で停車すると彼女が訊いた。
「行くんですよね、大阪?」
ちらと見るとタオルで濡れた腕をぬぐっている。青信号にあわててアクセルを踏み、それから思いだしたように言葉を繰り返す。
「ええ、ですが、大阪に着くのはずいぶん先ですよ?」
彼女は小首を傾げるがそれも無理はなかった。
僕は今、ながいながい旅の途中でそれは生まれてはじめてする長い旅行。先月やめた仕事で貯めたお金をはたききって、日本中をまわろうと思っていた。小さな軽と二ヶ月はふらふらできる貯金、あとは地図だけあればなんとかなるというそんな旅。そんな自分勝手ができるのはおそらくこれが一生に一度で、この旅が終われば、山形の実家の酒屋を継ぐ。やっと都会のやくざな仕事から足を洗って帰ってきた息子の計画を両親は二つ返事で了承し、思う存分遊んでこいなどと、背中まで叩いて送り出した。
「どれぐらい先ですか?」
「さあ、計画決まってないんです。ふらふらしているだけで」
「じゃあ、大阪へ向かってくれないんですか?」
「え? あ、まあ」
いいにくそうにしていると赤信号で彼女と視線が合う。びっくりするほどきれいなまなざしが向かってくる。それで正直に言うことにした。
「岬めぐり、してるんです。全国のあちこちの岬をめぐって写真を撮ろうと思っているんです。だから、大阪にはいつ着くかなんてわからないんです」
彼女はきょとんとしていたが、おかしそうに笑う。
「こういうのはベタなほうがいいんです。あんまり考え込んでも面白いことなんてないんです。考えるより車を走らせた方がいい。面白そうな岬をめぐってみたほうが、ちっぽけな自分がわかるんです。考えている時間がもったいない。走っている間にいくらでも考える事なんてできるんです。それに岬めぐりは、日本人の青春の伝統みたいなところがあるし」
「そうなんですか?」
「歌があるんですよ、有名なフォークソングで、岬めぐりって歌が」
僕はそう言って、覚えてきたその歌をうたい始める。父のカセットテープで何度も聴いた曲。子供の頃のドライブの定番で、それはとても懐かしく、自分の人生を振り返っている心地になる。へたくそな歌を遠慮がちにくちずさむ。指でリズムを刻むと、やけっぱちの冒険心が刺激される。
「失恋の歌ですね」
えっと彼女を見て、ああとあわてていう。
小首を傾げるので、少し迷って話す。
「仕事やめたんです、東京の。それで実家の酒屋を継ぐんです、山形の」
わかったのかわからないのか、へぇと彼女は呟いたがそれでも地図には目を落とし、だいぶ増えてきた街灯の明かりにそれをかざす。ここ、右です。それでだいぶ仙台市内に入ってきたことに気づく。ラジオは深夜放送になっていて、誰かの語りがイタリアの今についてしきりに話していた。彼女はもうタオルで拭くのをやめていて、少し暑い気がしたのでヒーターを弱める。海岸線をまわる旅だったからか仙台はきらきらした人工の宝石のように見え、だいぶ安堵感が戻ってきて、気安く彼女に言う。
「どこかに泊まってください。お代は出すので。僕は車に泊まりますから。大阪の話は明日しましょう。どちらにしても今日は無理です」
「え? ああ」
困ったように迷い込む彼女を眺めながら、考え込む。
(なんなんだろうなあ……、この子は……。得体が知れないというか、自分以外の世界がまったく見えてないというか。こっちがまったく見えていないような気さえする)
まあ、でもそれは今日限りの事で、きっと彼女は仙台で都合をつけて、高速を走る大阪行きの車にヒッチハイクするのだろうと、そう思ってまあこれぐらいはよいかと思う。
「でも、これ、あなたが泊まるためのお金ですよね?」
「ん……、まあ、僕も泊まってもいいのだけど、そうすると見知らぬ男と部屋は別でも同じ屋根の下っていやですよね? だったら節約した方がいいじゃないですか?」
正直に言えば車中泊はもう慣れていたし、無理におなじところに泊まるほうが心理的な圧迫感が大きかった。なので、僕の提案は僕にとっての最善であり、これは僕の都合でそれが好ましいのであり、彼女に対して何かをしているわけではなかった。
それでも彼女はしぶしぶシティーホテルに部屋を取り、僕はその駐車場で眠った。
僕は駐車場でのびをして、体をひねってみて、コンビニででかいヨーグルトを調達してスプーンでそれをすくう。ラジオは健康体操の話で、ダッシュボードの地図を眺めながら、それを聞く。何か正直仙台まで来てしまったことが、まずい気さえしてきてしまう。もうちょっと前によい岬があったのではと。ノートPCを立ち上げて、あれこれと調べはじめる。昨日撮ったデジカメの画像を移しながら、ヨーグルト片手にそれをチェックしていく。この朝の作業はあんがい楽しい。コンコンと窓ガラスが鳴る。視線を上げると彼女が笑っていて、窓を下げた。
「大阪までお願いします」
どういうつもりだろうと思ってしまう。
「あなた、とても優しい人だし、それにとても善良だから」
「半月ぐらいかかるかもしれませんよ?」
彼女はにっこりと笑った。
・女の子ひろった
http://anond.hatelabo.jp/20100116012129
・これこそ逃避
http://anond.hatelabo.jp/20100119221742
・すごい彼女
http://anond.hatelabo.jp/20100123005026
・ふたつ恋した
今日この日を、私は、心からの愛をもって迎える。
なぜならば、これは、いかなる仕事においても、成功するための最大の秘訣だからである。
腕力は楯を打ち砕き、人を殺すこともできるが、人の心を開くことはできない。これができるのは、目に見えない愛の力だけである。この愛の心をもって、顧客に接しえぬかぎり、私はただの行商人の域をでることはできない。私は愛をもって、私の最大の武器としよう。私に呼びかけられた客は、私の愛の力の前では、結局は、商品を買わないではいられなくなるにちがいない。
あるいは客は、私の説明に納得しないかもしれない。私の話をのっけから信じないかもしれない。私の着ているものを感じの悪い服装だと言うかもしれない。私の顔つきが気にくわないかもしれない。私との売買契約が、疑わしいと思うかもしれない。
しかしながら、どんなにかたく凍りついた地面も、やがては太陽の熱には溶かされてしまうように、私の愛は、人の心を暖め、開いてしまうであろう。
今日この日を、私は、心からの愛をもって迎える。
では、どのようにして、それを成しえるのか?
これより以後、私は、すべてのものを愛の心をもって見ることにしよう。そして、私は生まれ変わるのだ。
私は太陽を愛する。それは、私の骨の髄まで暖めてくれるがゆえに…。また、私は雨を愛する。それは、私の心を洗い清めてくれるがゆえに…。私は光を愛する。それは、私の行く手を照らしだしてくれるがゆえに…。また、私は、暗闇さえ愛する。それは、私に星の輝きを見せてくれるがゆえに…。
私は喜びを歓迎する。なぜなら、それは私の心を広げてくれるからだ…。しかし、また、悲しみにも耐えよう。なぜなら、それは私の魂を開いてくれるからだ。
報酬は当然、私に支払われるべきものだから、私は喜んで、それを受け取ろう。しかし、障害も、それは私がその仕事に挑んだゆえに、生じたことだから、同じく喜んで迎えいれよう。
今日この日を、私は、心からの愛をもって迎える。
しかし、どのような言葉を持って話しかければよいのか?
私は私の敵をたたえよう。これによって、彼らは私の友となろう。私は友を力づけよう。そうすれば、友は私の兄弟となる。つねに、私は、彼らをたたえるべき理由を探すべく努めよう。けっして、彼らの悪口をかき集めるようなことはするまい。
他人を非難したくなったら、私は自分の舌を噛もう。その反対に、人を褒めたくなったら、私は屋根の上から大声で叫ぼう。
鳥や、風や、海や、そして、大自然のすべてが、彼らの創造主を褒めたたえる音楽を奏でているではないか。そして、人びとも同じく、創造主が創りたもうたものである。その創造主の同じ子らに向かって、私も音楽を奏でることができないはずがない。
これ以後、私は、この秘密をけっして忘れることはない。そして、この秘密が私を変えるのだ。
今日この日を、私は、心からの愛をもって迎える。
それには、どのように振るまえばよいのか?
私は、人びとの行為をすべて愛する。人の行為には、たとえ表面からは見えなくても、すべての人に、褒めたたえられるべき性質のものが秘められている。
私は、愛の力をもって、彼らが心のまわりにはりめぐらした不信と憎しみの壁を崩し去ろう。そして、その場所へ、私は丈夫な橋をかけよう。そうすれば、私の愛は、そこを渡って、彼らの魂の中へ入っていくにちがいない。
私は野心家を愛する。なぜなら、彼らは私を勇気づけてくれるからである。私は失敗者を愛する。なぜなら、かれらは私に教訓を与えれくれるからである。私は王様を愛する。なぜなら、彼も等しく同じ人間だからである。私はおとなしい人を愛する。なぜなら、彼らは神のように謙虚だからである。私は富める者も愛する。なぜなら、彼らは孤独であるから。私は貧しい人も愛する。なぜなら、彼らは、この世の中にいちばん多くいるからである。私は若者を愛する。なぜなら、彼らは若々しい信念を抱いているからである。私は老人を愛する。なぜなら、彼らは歳月のもたらしてくれた知恵をもっているからである。私は美しい女を愛する。なぜなら、彼女らの眼には、悲しみがたたえられているからである。私は醜い人を愛する。なぜなら、彼らの瞳に宿る平和と静けさのゆえに。
今日この日を、私は、心からの愛をもって迎える。
しかし、私は、人々の行いに対して、どのように対応すればよいのであろうか。
その答えは、ただの一語をもって答えられる。「愛をもって」この一語である。ありは人の心を開くための武器である。同時に、他人からの憎しみの矢や、怒りの槍をはね返す楯でもある。災難や失意が激しくこの楯を乱打しても、やがては、春雨のように力を失ってしまう。この楯は市場では私を守ってくれ、一人いるときは、私の心の支えになってくれる。失意のときは泰然、得意のときは冷然とさせ、心の乱れを鎮めてくれる。
楯は日を追うごとに強力になるが、やがては、その楯さえ、私は必要としなくなる。私は、その楯をかたわらへ放棄し、あらゆる武器を持たないまま、世間の人びとの中へ入っていくことができるようになる。そのときこそ、私の名前は、ピラミッドより高くたたえられることだろう。
今日この日を、私は、心からの愛をもって迎える。
しかし、私は、はじめて出会う人びとに対し、どのように接すればよいのであろうか?
方法はただ一つである。無言のうちに、心の中で、私は彼に近寄り、そして、「私は、あなたを愛している」と呼びかける。この言葉は、沈黙のうちに語られるが、しかし、それは、私の眼の中で輝き、私の額のしわをぬぐい去り、私の唇に微笑をもたらし、私の声の中にこだまする。そして、この時、はじめて彼の心が開かれるのである。
心がすでに、私の愛で開かれているのに、私の商品を拒みえる者がいるだろうか?
今日この日を、私は、心からの愛をもって迎える。
私は、何にもまして、自分自身を愛する。
そして、つねに私自身を知りつくすべく努めよう。私の肉体の一部と化した、精神、魂、心のすべてを知りつくすのだ。
私は、自分の肉体の要求に、そのまま溺れることなく、清潔さと適正さをもって、その要求にやさしく応えよう。私は、私の精神が、邪悪なるものや絶望的なるものに引きつけられることをけっして許さず、むしろ、それらを、長い間に培った知識と叡知をもって、高い境地にまで昇華させよう。
私は、独りよがりな自己満足に陥ることなく、瞑想と祈りによって、自らの魂を高めていこう。
私は、自分の心が狭く、冷酷になるのを許さない。人々と、愛を分かちあい、寛容の心を成長させ、世界が暖かい友情で包まれるのが、私の望みである。
今日この日を、私は、心からの愛をもって迎える。
今より、私は全人類を愛する。今この瞬間より、すべての憎しみは、私の血管から除かれる。なぜなら、もう私には、愛する時間はあっても、憎む時間はないからである。今この瞬間より、私は男の中の男になるべく、その第一歩を踏みだす。私は、愛をもって、売り上げを百倍にも増やし、偉大な商人になってゆくのである。
たとえ、私には何の長所がないとしても、案ずるには及ばない。愛さえあれば、成功への道は必ず開けるのである。愛がなければ、あらゆる知識や技術をもっていようと、きっと失敗することだろう。
今日この日を、私は、心からの愛をもって迎える。
そして、私は成功する。
今、ポケモンHGSSであの幻のポケモン、ミュウの配信キャンペーンをやってますね。
マックでメシ食ってると店内で右往左往されるお子さまとその親御さんをよく見かけます。
今日も店員さんに尋ねてみるも、健闘むなしく上手く受け取る事ができず・・・
そのままお帰りになったかわいそうな女の子を目の当たりにしたので
実際の受け取り方法はどうなってるのか直接大の大人が試してみました。
(勿論家のコネクタで受け取る方が遥かに簡単だし、恥ずかしくないんですが)
用意するもの。ニンテンドーDS本体。ポケットモンスター ハートゴールドorソウルシルバーのカートリッジ
大抵ドアにステッカーが貼ってあるんですぐわかります。
②店内に「マックでDS」の提灯がぶら下がってると思うので、必ず そ の 真 下 に座る。
マックでDSのアクセスポイントは非常に感度が悪いです。提灯から半径1メートル以内でDSを操作して下さい。
③DS本体から、ソフトを全て取り出して電源を入れてください。
DS本体のメニュー画面に入ります。タッチスクリーン(下の画面)の中から、「DSダウンロードプレイ」というボタンを探して下さい。
接続が上手くいっていれば、指示に従って操作していくと「ニンテンドーゾーン」までたどり着けると思われます。
④「ニンテンドーゾーン」の画面の一番下、「Wi-Fi対応ソフトを遊ぶにはコチラ!」をタッチしてください。
マックでWi-Fi接続を利用する為の設定画面に入ります。接続先の空きが3つまで表示されるので、タッチして接続設定を登録して下さい。
ここまでがマックでDSの基本設定です。
マクドナルド店舗ではミュウの受け取り方を書いたガイドが配布されていますが、既に始まって期間のあるサービスとはいえ
マックでDSの設定の仕方ガイドが常に用意されていない、また店員が把握をしていないというのは問題ではないでしょうか?
⑤DS本体にポケモンHG・SSのソフトを挿入し、起動して下さい。
なんか鳥みたいなのが羽ばたいてる画面が出ますので、一回だけタッチして下さい。メニュー画面が表示されます。
⑥メニュー画面の上から4番目、「ふしぎなおくりもの」に入ってください。
「おくりものを うけとる」を選び、「Wi-Fiでうけとる」を押してWi-Fiコネクションに接続して下さい。
無事接続できましたか?ここから先はお家でも操作する事ができます。
⑦「つづきからはじめる」でゲームを開始し、フレンドリィショップ(青い屋根のコンビニ)に入ってください。
郵便配達のお兄さんからミュウを貰えます。貰えるミュウは一匹だけです。
※それでも問題がある場合、ミュウの受け取り方ガイドの「ミュウ受け取りについての注意」をよくご確認ください。
http://www.mcdonalds.co.jp/ds/pokemon/myu_download.pdf
番外 それでも駄目なら。
問い合わせ先に電話をしてみましょう。これでダメなら、あきらめろ!?
とある趣味に使う材料の加工を専門の業者に依頼するために駅を降りたのだが、土地勘もなく材料も重い。
プリントアウトして手帳にはさんだつもりでいた地図は、広げてみればカラオケボックスの割引チラシだった。
その事実に憮然としながら私は、さてどうしたものか、と改札を出た屋根の下で少しばかり考えてみた。
加工依頼をした後に別件の約束の時間が迫っており、あまり時間を無駄にはできない。
駅にありがちな、裏側に蛍光管が取り付けられた発光する周辺地図を探すと、
それはたやすく見つかった。が、あろうことか改札の内側に設置されているではないか。
ちょっと待ってくれ。なぜそれを内側に置くんだ。浅草橋。
自宅にて、プリントアウトする前に画面で確認した目的地は、駅からおよそ500メートル。
あるいは店名を尋ねればタクシーの運転手が知っているのではないかと、
屋根を出て、初乗り710円の高額移動体を停めてみたものの
「ちょっとわからないですねえ」
とつれないお返事。この界隈は規模でいうと零細~中小の問屋や専門店が軒を連ねているのだ。
結局、控えていた店の電話番号に連絡をして住所を尋ね、
それをもとにタクシーのナビで無事到着することができた。
驚いたことに支払いの際、710円の料金に対して1010円を出そうとしたところ、
「700円でいいですよぉ!」
などと気前のいいことを言われてしまった。
短い乗車時間ではあったのだけど、ナビの性能に純粋に感動してベタ褒めしたり、
焼き鳥屋で出てくる銀杏の話で小さく盛り上がった効果もあったのだろうが、
無論額面通り支払って車を降りたのだが、なんというかさすが首都。
ああいうリラックスした雰囲気で移動できたら710円もアリである。
余談だが、カーナビに電話番号を入力すればそこから住所が検索できるのだ、ということにはあとで気づいた。
さて、加工依頼も終えて、その後の約束でしこたま酒を飲んで
足元がヘロヘロになりながら地元の駅を降りれば時刻はすでに0時すぎ。終バスは10分前に出発していた。
1日に2度もタクシーに乗るなんて生まれて初めてである。芸能人か。
酒をどれだけ飲んでも、言動に淀みがないことに定評のある私であるので、
終バスに乗り損ねたおろかもの目当てに列をなすタクシーの先頭をとらえて淀みなく目的地を告げた。
このトンネル、わが町にある車両で通ったことはないほどの主だったトンネルで、
そんな目的地を、いささか厭そうに訊き返されたのだ。
自分の舌に不安を覚えるも、一瞬前の発言を思い返してもおかしい箇所はない。
再度同じ目的地を告げると、運転手はドアを閉めて走り出した。
目的地に到着して、メーターを見ると昼間と同じ額面の710円。
人のよさそうな昼間の運転手の笑顔が浮かんで、少し幸せな気持ちになりながら
昼間と同じ1010円を支払うと、硬貨3枚のつり銭を渡された。
降りて何の気なしに街路の明かりでつり銭を確認すると、手のひらに乗っているのは210円だった。
なんだこれは。
足元はふらついている酔っ払いだというのもマイナスポイントかもしれない。
だが、なんなんだこれは。あまりにも卑小すぎる。
これがサービス業なのか?
たった90円を酔った客から掠め取るような程度の低い仕事なのか?
いうまでもないことだが、地元のタクシー運転手すべてがそういった屑だということではない。
だが、会社の看板を背負って、たった90円を騙し取るなんて正気の沙汰とは思えない。
信心深い男がいた。
ある日、男の住む村を、大洪水が襲った。
男の家は洪水に飲み込まれ、とうとう、男は家の屋根にまで追い詰められた。
救助ボートが男に近づき、「早くボートに乗りなさい!」と言った。
男は、「大丈夫です、私には神がついています、神様が助けてくださいます」と断った。
男は、「神様が助けてくださいます」と断った。
3度目も断られ、救助ボートは、彼を助けるのをあきらめた。
その1時間後、男は溺れた。
天国で、男は神に向かって文句を言った。
「神様、私はこんなにあなたを信心しているのに、なぜ貴方は私を助けてくれなかったのですか?」
神は言った、
「だから3度もボートを向かわせたではないか」
※どこかでこんな話を読んだけど、うろおぼえなので細部違ってます。
---------------------
スイーツ(笑)な女子や、ロハスな女子、あるいは持病のある人などにはおなじみかも知れない、
例にも漏れず、私も持病があり、2年半ほど前に、マクロビオティックを勉強してみようと思った。
著作を何冊か出している方の講座に、2年間通った。
そこで思ったこと。
精神世界系の人が多い。
それはそれで別に悪いことじゃない。
やっぱり病気持っていると、そっち方面にも興味が出て、私の家の本棚にももちろん各種?取り揃えております。
食事さえ正しく取っていれば、
現実世界で起こっていることに目を向けなくてもいいんだろうか。
それは本来の「マクロビオティック」とは違ってしまっているように思う。
で、冒頭に書いた話を思い出した。
たとえばオーガニック食材、これだって、お金がなきゃ買えない。(自分で作る人もいるかもしれないけど)
買うにはお金が要る。
お金を稼ぐには働かなきゃいけない。
働けば、社会に接点が出来るわけで。
もちろんそこには経済やら、政治やら、人間関係やらが絡んでくる。
でも私の受けた講座では(たぶん、割りと質が高かったと思うけど)
そこまで気にしている人はいなかったと思う。
あまりにもミーハーなノリに。
私もiPhoneは好きだけど、ソフトバンクは好きじゃないので、買ってない。
講座にいる人たちは、マクロビオティックの勉強を何年も重ねてきた人が大半で、
なのに、、「ソフトバンクはマクロビオティック的にアリなの?」と思った。
というか、マクロビオティック原理主義!ってぐらいの人たちのはずなのに、
実は食以外に気にしてないのではと感じられ、
そこで教えられている「マクロビオティック」が、急に薄っぺらい物に感じられてしまった。
マクロビオティックの究極の目的であるらしい「世界平和」の思想に合致したものとはとても思えないし。
※私はマクロビ原理主義ではないですが、原理主義を信奉しているはずの人が、それに外れているのはちょっとおかしいと思う。
食は人生なり、ってよく言っているけど、
人生は食じゃないよね?
「食事に気を遣っていれば世界はすべてよくなる」のかもしれないけど、
でも、食事以外にもっとよいツールがあれば、それを使ってもいいのでは?
極端に言ったら、世界を変えるのに、食事よりも選挙のほうが早いし効果的と思うんですが。
食事にも気を遣いつつ、政治も考えていったら、最強じゃない?
ていうか、普通そうしないか???
と思うんですが、いかがでしょう。
あ、念のため、マクロビオティックは効果あると思いますので、その養生法を否定しているわけではありません。
私の持病も、劇的によくなりましたので、感謝しています。
けど、お花畑な方たちが多いために、マクロビオティックのイメージが悪くなっているのは残念。
もっと色んな人に知ってもらいたいのになあ...。
そりゃ確かに私は無職失業精神病行き遅れ三十路処女独身持病持ち二年熟成ニートだが、それは自業自得であって、いちいち不幸だなんだと批評される筋合いはない。
人のことどうこういうなら、私の条件で人生やってみろっつうの。ドブス近眼毒親持ち持病つき(不治いずれ障害者手帳いき)だぞ。それでも借金持ちや虐待よりマシな条件なんだ。単に私の努力と根性がたりてないだけじゃないか。
それが不幸だ、災難だなんてふざけんな。
不幸な星に生まれついてるとか、不幸の代名詞にすんな。
私は私の努力でこういう結果になったんだ。確かに他人からみたら不幸かもしれないね。だけど私はそうおもってない。馬鹿な男にひっかかったり、借金つくったり、犯罪やったりはしていない。人の彼氏横取りしたこともないし、二股かけたことも、人を貶めたこともない。
これからどうしようか仕方なく考えて、資格取りの勉強して、フリーターから始めて、少しでも貯金ためていこうって人生設計もたてている。いつまでもフリーター出来るとでも思ってるとか言われるけど、それしかないならえり好みする自由なんかないじゃない。
とりあえず持ってるカードに不服をいっても仕方ないんだから、恋愛とか結婚とか昇給とかボーナスとか子供とお風呂とか両親に小遣いとかそういうものは高望みというもんだ。せいぜいが、なんとか屋根の下で死んで、棺おけ代残すの目標にして生きるしかないじゃない。自殺する勇気もないんだから(自殺は迷惑かかるしな)。
後は好きな紅茶が飲めて本が読めればそれでいい。
自分の幸せの尺度を他人に当てはめないでくれ。私はしかたないと思っても不幸だとは思わない。それが普通だから。
頼むから運をかえる寺社仏閣とかジンクスとかお払いとか真面目な顔して勧めないでくれ。昔っからそうだったんだよ。これで普通なんだってば。学生時代のカーストでは最下層じゃなくてそれ以外の人、言うなら不可触選民というだけで枠外にいる人、それなんだよ。だからファーストフードや喫茶店で友達としゃべることもなく弁当も一人で食べてきたけどそれが普通だからもうなれたよ。
私は幸せじゃないかも知れないけど、不幸といわれたくはない。余計なお世話だ。
だけどせめて一回でいいからボーナスがもらいたいというのが本音。千円でいいから。一度でいいからボーナス時期にボーナス買いというのをしてみたい。千円で文庫本カバーでも買う。
家族(珍しく)揃ったりして、家族団らんほのぼのになると、心ざわつく。
と、いうのも。
小学生のときに、両親が離婚して父母の間を行ったり来たりしていたんだが、現在は母親の再婚をきっかけに母親の元に落ち着いている。
自分には妹がいて、妹は幼かったから、記憶が混乱しているらしく、再婚相手を本当の父親だと認識しているようだ。(多分。確かめた事は無いが、自分は父親に似ているとか、たまに言う。ワタシ、とても、フクザツな気持ち。)
再婚相手の父親という人が、難のあるヒトデ。
ものすごいコミュニケーションとりずらいんだ。
何かのきっかけ(彼の内的問題だと思う)で不機嫌になると、まったくしゃべらなくなるから、もう本当に家の中の空気が重くなる。
同じ屋根の下で生活していく上で、コミュニケーションが取れないというのはものすごくストレスだ。
本当に細かい事、夕食の要不要、洗濯機の回し方、etc。確認出来ればすごく楽なのになって思うこと、たくさん。
食事用意しても全く手をつけない、とか。食事したいのに、父親が階下にいるせいで、食事つくりにいけない、とかね。
食事捨てられたときは、殺意が芽生えましたけどね☆
一転、上機嫌(内的問題が解決した??)になると人の世話焼きたがるんだ。食事作ったり、弁当作ったり、送り迎えを積極的に行ったり。
上機嫌は突然表れるから、対応に困るんだ、あれ。。。昨日まで不機嫌でしたよね???みたいな。
この、不機嫌期と、上機嫌期が生理のようにやってくる。付き合わされる方はたまったものではない。
やっぱり男の人で他人だったし、子供の頃、うるせぇとか、荒っぽい行為されると怖くて。今でもちょっと怖いんだ。
何をされたというわけではないのだけど、ムスっとしていて何考えてるかわからなかったし、ずっと怒ってる感じだから話しかけられなかった。
会話という会話をした事がない。
けど、妹の方が先に同居していたせいか、明らかに妹と私の扱いは違う。
そんなだから、家族の中で私だけ浮いているような感覚が、とうとう消えそうにないわけで。
家族そろって、父親が満足そうにしていると、どういう態度でいたら良いのかわからない。
機嫌を損ねて、家族団らんを私が壊したらどうしよう。。。。ちゃんと笑えてるんだろうか。
おそらく、妹はこのような感覚は無いんだろうと思う。結構平気で父親と二人でしゃべっていたりするので。
長くなってしまった。ただの愚痴ではないか。いや、そうじゃないんだ、愚痴りたかったわけではないのだが。
家族そろって、仲良くやってるようでも、どこかしら不具合を内包している、時に自我を脅かすほどのバグもあって、気がつかないフリをしてまで一緒にいようとするんだよ、家族ってやつは。
家族って変な生き物だよな。
昨日の夜11時ごろ、中学生ぐらいの小さな男の子2人がよその家のベランダから、うちの家に不法侵入をしようとして、うちを覗っているところを発見した。
怖くなって、すかさず俺は身を隠した。
隣の家の屋根の上に身を移し、そしてひそひそ話をしながら、うちの様子を見ていることは明らかだった。
やはり、ターゲットはうちの家みたいだ。
隣の家の屋根からうちのベランダに飛び移るところで、俺はやばいと思い、窓を開けた。
「なんや、自分ら!どこのもんや!どこの餓鬼や!降りてこい!あぶるぞおお!こらあ。」
と叫んだ。鬼の形相で、俺に想像できる最高のヤクザ風味をかもし出した。
「ばれちゃった・・・。」との表情で俺の家のベランダに下りてきた少年2人。
話を聞くと、そこで少年たちの詳細が明らかになった。
共に浦安に住んでいるらしい。貧しい家庭のようだった。
金を稼ぐために入った窃盗団で彼らは出会ったらしい。
ふたりを立たせてみたが、身長は俺の半分ぐらいだった。
俺は警察に連絡しようとしたが、少年は「警察だけはやめてくれ」
ということだった。
だから、俺も警察には通報しなかった。
しょうがないから、ケータイの連絡先も聞いたが、それも拒否された。
なにかコンタクトをとれるものは、と思い、聞いてみたら、
しかし、なぜかtwitterのアカウントだけは持ってるようで、
twitterによってリアルタイムに窃盗団の上層部とコンタクトを取ってるようだ。
こいつらの存在を不安に思った俺は、とりあえず彼らのtwitterアカウントだけを
今日の朝。
俺は一晩中インターネットをしていた。
はてなを触っているときに、夜が明けてきた。
そこで明らかになる、多数の人影。
やばい!!!
あの少年たちが、今度は仲間を3人連れてうちの家に侵入しに来るつもりだ。
どうにかしなきゃな。と、俺。相手は5人。どうする。
彼らはもう、隣の家の屋根の上にいる。俺の家がターゲットであることはまたも明確。
俺が焦っていると、
ガムテープと小型ハンマーを手に持った彼らが、俺の家のベランダに下りてきた。
俺はすかさず、彼らの目には触れぬように、
家の玄関にあった自転車の空気入れを握り締め、こそこそと窓の下に行った。
どついてやりたい。妙な感情が沸き立つ。
しかし、「どうせなら、罪確定してからだな」と妙に落ち着く俺。
窓から隠れている俺の姿が見えないため、
音をたてても良いと考えたのか、
ガムテープを窓に張らずに、普通に小型ハンマーで窓を叩き割ろうとしていた。
「器物破損だな。しめしめ。」俺がそんな風に考えていたその時、
ぱりん、という小さな音。
彼らは小型ハンマーで試しに小さく、窓を割って、その音の大きさを確かめたようだ。
窓を割られたことで、
俺は有罪が確定したwwwと確信し、
彼らの目がくらみ、困惑している隙に、
すぐさま彼らは逃げていった。
その後、、、
「ああ、今度はバックのやつらを連れて復讐しに来るんだろうか」
「もう杉並のこの辺には住めないな」
自分はあそこまでではないが(と言ってもまだ見てないのでHPとCMからの情報だが)
比較的親戚と一緒に育ったぞ。
というのも父の実家がすぐ横で父方の従兄妹も歩いて5分のところに住んでたから
夏休みになると両方が共働きなので祖父母の家に朝行って夕方帰るって生活を従兄妹と一緒に毎日のようにやってた
それに加え祖父の兄弟がそれなりにいるのでお盆なんかはまさにCMでやってるように一つ屋根の下に20人を超える人数が集まったりしてた。まあ、最近はもうおじさん達(父の従兄妹)もそれぞれ県外で就職したりとかで集まって祖父兄弟が夫婦で8-10、プラスその子供、孫で(集まるタイミングで帰ってて)7,8で20弱って感じだが……
ほんだら ワシのホンマの仕事を教えたろか
ニコヨンいうても わからんやろな ニコヨンいうたら土方のことや
スポーツ新聞の求人欄で土工とか人夫とかで募集してるやろ あれや
昔はニコヨンいわれてたけどな 今では日給で12000円から14000円くらいやで
なんで 金に幅があるんかわな ピンハネの度合いや
直でやったら 13500円でも 飯場通したりすると12000円(ワンツー)とかになりよるんや
ワシらが やり始めたときは8000円とか9000円とか1万以下やったけどな
バブルの時に 一気に値上がりしよったんや
あの時は ホンマに景気がようてな とにかく人夫が足らんかったんや
そやから 手配師とか番頭があっちこっちから人間かき集めてきとったんや
それでも 足らんかったんやで実際
そういう時にも タコ部屋ができるときもあるんやけどな
(タコ部屋については またあとで 教えたるわな)
夜勤いうて 晩方から朝までの仕事やったら 日当は昼間の2倍くらいあるで
体力に自信があるもんは 通しでがんばってや ワシは堪忍やで
日雇労働者のこと 労務者
昭和24年 「緊急失業対策法」の施行により職安を通して日雇労働者を受け入れた
その定額日当が当時240円だったので そこからきている
そういう仕事にどうやってありつけるか いうたらな
そやけど ワシらも含めて ほとんどの人間はセンターからの斡旋やな
センターいうたら 西成のあいりん総合センターや 環状線の新今宮駅の近所
南海電車の新今宮駅の下や 俗に言う釜ヶ崎やな 西成でも霞町でもエエで
そこで 窓口にはられた 求人の紙を見て選ぶんや
ほんで センターの横付けしとる ワンボックスかマイクロに乗り込んで現場へ行くんや
そのバスのフロントガラスにも おんなじような 仕事内容の書いた紙が貼ったあるからな
それで 選んで乗り込むんや
まずは その人夫出しのとこか飯場へ行くんや
(この人夫出しは「ニンプだシ」と「だ」にアクセントがあるんやで)
飯場についたら まず朝飯や 粗末なな
全員同じ現場いうことはまずないで あそこは5人 あそこは2人とか
そうやって振り分けするわけや 飯場は現場とは直接関係ないからな
人夫を斡旋するだけやから 人材派遣業になるんとちゃうかな
ワシらのかっこ言うたらな 昔はニッカーボッカーで地下足袋がトレードマークやったけどな
今は普通の作業ズボンにジャンパーやな これも季節によるけどな
絶対 半袖のシャツでは作業せんで なんでかいうたら 日焼けや これが 体力奪いよるんや
靴も一足580円くらいの スポーツシューズで マジソンバッグみたいなもんに
(これはどんな現場にも対応できるようにや 通常=足袋 生コン等=長靴)
最近の作業ズボンで文句言いたいのはな あの 足首までぶかぶかのズボンや
ワシのは ちゃんと足元にまとわりつかんように ゲートルみたいになっとるやつやけど
あんなもん なんの意味があるんや 余計に危ないやないか
流行やろうけど 機能美が全然ないやないか ぶさいくなだけや 腹立つで
仕事の内容いうたら いろいろあるで もちろん 建築関係がほとんどやけどな
まず ホンマの土方やな スコップもって穴ほったりするやつや
今時はユンボ(土すくう アームのついた機械や)があるさかい ユンボが使われへんとこ
つまり 隅とか いりくんだとことかの 穴掘りやな これが 汚れるんで いやがる人間もおるな
他には 解体屋の手伝いやな 解体屋が家とかビルとか壊しとるやろ
その手伝いとか その廃材を ダンプに載せる手伝いとかやな
あの 道路工事とかで見る ガガガガいうて 道路の穴開ける機械 チッパーいうねんけどな
それも やらされるで あれは 目にカスが飛んでくるからな 防護めがねは必需品やで
ここで ワシはエライ目に会うたで
箕面の風呂屋の解体に行ったときに 柱を引き倒すから 柱の上にロープ結んで来てくれ
それに ほとんど壊し終わっとるから 登る足場もぐらぐらなんや
そんなとこに 登らせるないうねん ワシは鳶(とび)やないで
あとで 文句いうといたけどな
という具合にな ワシら土方はなんでもできる万能選手なんやで
実際 ええように使われてるだけやねんけどな
その分自由というもんがあるんや 働きたい時だけ働いて 休みたいときに休む 何者にも縛られへん 自由がな
ホンマはこれがあかんねんけどな これに浸かってしまうとな なかなか 一般人には戻られへんのや
しかし わかるやろか この感覚 今自分にあるすべてのしがらみからの開放
親や兄弟 妻 子 友人 近所 上司 同僚 得意先などなど 諸々の自分にとって大切であるからゆえのしがらみ
自分が自分であるためのつながり こういう 一切のもんからの開放や
あるときは 自分を救ってくれたりしてくれるんやけど その反面 多大に自分を苦しめ 制約するもんや
完全な自己完結の世界やな ある人は自由といい またあるひとは 負け犬のねぐらとも言うな
まあ 一遍 その世界から抜け出して見るのも ええかも知れんで
そうすることによって 自分のホンマに大切なもんが見つかるかもしれんしな
(全部が いらん いうこともあるかもな)
平々凡々と暮らしとったら 本質を見抜く目ぇが 雲ってしまうかも知れんのやな
当たり前と思ってることが なんでそうなんかが 分かるかも知れんで かもやで かも
そやから そこいらでゴロゴロしてるおっさん 見かけても 乞食 とは違ういうことを認識してや
一九九九年一月 ロケットの夏
ひとときはオハイオ州の冬だった。ドアはとざされ、窓には錠がおり、窓ガラスは霜に曇り、どの屋根もつららに縁どられ、斜面でスキーをする子供たちや、毛皮にくるまって大きな黒い熊のように凍った街を行き来する主婦たち。
それから、暖かさの大波が田舎町を横切った。熱い空気の大津波。まるで誰かがパン焼き窯の戸をあけっぱなしにしたようだった。別荘(コテイジ)と灌木の茂みと子供たちのあいだで、熱気が脈を打った。つららは落ち、こなごなに砕け、溶け始めた。ドアが勢いよくひらいた。窓が勢いよく押しあげられた。子供たちは毛織(ウール)の服をぬいだ。主婦たちは熊の仮装をぬぎすてた。雪がとけ、去年の夏の古い緑の芝生があらわになった。
ロケットの夏。そのことばが、風通しのよくなった家に住む人々の口から口へ伝わった。ロケットの夏。あたたかい砂漠の空気が、窓ガラスの霜の模様を変化させ、芸術作品を消した。スキーや橇がにわかに無用のものとなった。冷たい空から町に降りつづいた雪は、地面に触れる前に、熱い雨に変質した。
ロケットの夏。人々は、しずくの落ちるポーチから身を乗り出して、赤らんでゆく空を見守った。
ロケットは、ピンク色の炎の雲と釜の熱気を噴出しながら、発進基地に横たわっていた。寒い冬の朝、その力強い排気で夏をつくりだしながら、ロケットは立っていた。ロケットが気候を決定し、ほんの一瞬、夏がこの地上を覆った……
私を含めて女が3人、男も3人。全員が20代後半、独身で、
それゆえ、皆それなりに胸ときめくようなできごとを期待していたと思う
(まあ、少なくとも私はそうだった)。
昼間はぞんぶんに渓流遊びを楽しみ、その後、飯盒でカレーをつくり、
夜は焚き火を囲んでクエルボを飲みながら、ジャンガで盛りあがった。
10時頃にはもうみんなけっこう酔っぱらっていた。
前もって厚着はしていたのだけど、かなり冷えて、
レジャーシートの下から地面の冷たさがびしびし伝わってきた。
それで、同じシートの隣でひとり飲み続けているA君(男前。実質初対面)に、
ロッジに先に引き上げようと促そうと、
「ねー、さむいねー、さむいよー」といって、左腕に軽くよりそってやった。
するとA君は、焚き火に向けた顔を一瞬こちらに向けて、
「そっか?」というと、また黙ってグラスを傾けた。
美人でないとはいえ、女が「寒い」と訴えているのに、このつれない反応……
もしやこのバカは、自分を『スラムダンク』の流川君かなにかと勘違いしているのでは、と思った。
へえへえ、わかりましたよ、と心のなかで呟いた。
けど、そのいっぽうで私は、ちょっと真剣に悔しくて、実は、死ぬほどどきどきした。
揺れる炎に照らされる横顔が、やたらかっこよく見えたのだ。
結局、かなり遅くまで皆でだらだら飲み、どうでもいいことをあれこれ話し込んだ。
A君はたまに相槌を打つ程度で、ほとんど喋らなかった(何しに来たんだか)。
男女に分かれ、三角屋根のロッジに帰ったときにはもう、1時をまわっていた。
シャワーを浴び、髪を乾かしてから、寝袋にはいって眠ろうとすると、
A君のことが頭をよぎって、なかなか寝付けなかった。
ぶっきらぼうな態度を男前がすると、時によって相当な効果をもつことを
実体験として、はじめて知った。
女ってそそんなものなのかね……
キャンプから戻ってからは、
ベッドのなかでA君の横顔を思い返しては胸をしめつけられつつ、
ときおり片尻をあげて、屁をこいだりしています。
まぁ、よく届くのだけれど大抵大した用件ではないので放置する。
週休 3日。補助を申請しているが月給が 10万減り、ボーナスもない。
リストラされないだけましだけれど毎日疲れて帰ってくる」
という内容なのだけれど、10万減ったと言っても 30万はあるはず。
家持ち(ローンの返済済みかは知らない)で、
3人合わせれば 40万はあるはず。それで十分なのかは
1人暮らしの私には分からないが、フリーターで週休 1日。
月給 20万(家賃や保険等の支払いを除くと 13万ぐらい)の
私から見れば生活していくだけなら十分だと思う。
父親は暇さえあれば、というより暇ですることがないと
目に入る新しいものを手に入れて満足しているような人。
それなのにいつも退屈な時間をどう潰すかで
苦しんでいるように私の目には見えてしまう。
それで何をするかと思えば、家具の配置を替えてみたり、
家中掃除したり、なんとなく庭をいじったりしている。
家とか車とか地位とか外面や体裁を気にするのかもしれない。
でもそうやって色々浪費して目先の快楽に耽って来ても
不安に襲われたり、退屈さや虚無感を感じているのだろうか?
3日も休みがあり、働かなくても(今は働けないのだけれど)
生活していけることの何が苦痛なのか分からない。
前に「世の中に興味がなくなってきた」という日記に、
というような内容のことを書いた。
私が今の父親の立場なら喜んでその生活を始めるだろうな。
今(25代半ば)の私は思ってしまう。ただ同じことを
父親の年齢になって考えられるかどうかは分からない。
定年前で職をなくすかもしれない。老後の不安もあるだろうし…
そういう不安があるから将来の備えをするのだろうけれど
それをしてきても父親のようになってしまえば水の泡。
何が起きるか分からないことを知っているのに
本当に生きているか分からない将来ばかり気にしている。
自分はいつまでも生きていられるつもりでいる。
なんか他人事みたいな文章になってしまったな。
なんとか手助けしてあげるつもりでいるけれど正直厳しい…
父親は今まで働いてきたのだから、
今更そんな不安なんか抱えなくていいと思う。
贈ろうかとても迷う。私もざっと読んだだけだから
今の父親の年齢で読んでどうこうできることか分からない。
まぁ、暇でも読まないだろうことは目に見えているし、
安い本だから贈ってみればいい気もする。
それより煙草か酒でも贈った方が喜ぶのは明白だな。
おかしい。どうして皆はこんなにも楽しそうなんだ。どうして俺よりも充実した生活を送っているんだ。衣、食、住、学業、趣味、娯楽・・・。全ての面で俺は劣っているではないか。
それだけならまだいい。どうして皆はこんなにも俺の事を蔑み馬鹿にするのだろうか。苦労せず与えられた地位から下を見、自分では大した事をしていないにも拘らず偉そうに見栄を張る。馬鹿馬鹿しい。それに連鎖して俺の人脈が、財産が、全てが無くなるのも悔しい。殺してしまいたい。皆殺しにしてしまいたい。犯罪はしないけどもさ。今までの怒り、この方法か自傷でしか解消できない。
何故だ。
俺は、聖人とまでは行かないが決して人を見下したり等はしない。生きるのに必須である衣に関わる貧困に喘ぐ人達の苦労に対しても少しでも力になればと募金をしてるし、食に関わる屠殺においても日々罪のない命を殺している事に罪悪感とありがたみを感じているし、住に関してもただ屋根があり物置があり寝床があるだけで既に満足している。
なのに何故だ。どうして皆は俺に対してこんなにも危害を加える?
性善説――人が人に対して必ず善であるという説。俺はこれには当てはまらないだろう。この殺意が根拠だ。そして、それらの原因である皆、こいつらにも性善説は当てはまらない。前述した俺に危害を加える事が根拠だ。これで性善説は俺の中で完全に否定された。
殺してしまいたい。常識のない奴らは皆居なくなればいい。そして、僅かな希望でしかないが消去法で残った人々が俺の中の性善説をいつか肯定に証明してくれる事を信じたい。
いまや捏造テレビ局と言えばTBSというくらいに、視聴率の低迷と併せて嘲
笑の的になっていますね。
asahi.com(朝日新聞社):「これが二重行政の現場」…実はTBS依頼でやっただけ - 社会:
http://www.asahi.com/national/update/0426/OSK200904250084.html
大阪府が管理する道路と、国が管理する道路では清掃の管轄が違うので、府の
清掃車は交差点でわざわざ清掃装置を停止して、そのために生じる余分な手作
業まで行っているという。
重複した設備などの事業資源と、子供じみた縄張り意識で予算を浪費する行政。
2点感想があります。
たしかに縦割り行政の弊害だし、それが端的に表れているわかりやすい例なの
で格好の的ですが、「自転車置き場の屋根理論」という言葉をどうも想起して
しまいます。
つまり、ダム建設と環境問題のような複雑で大きな問題よりも、自転車置き場
に屋根を作るべきか否かのような、小さくて分かりやすいことのほうが、予算
も影響力も大したことがないにも関わらず、ひとびとの関心が高く、議論が白
熱して決着に時間がかかる、というやつです。
もちろん清掃車の問題は、そのことだけを指摘しているわけではないでしょう。
しかし、これを端緒に行政区分を見直すことになったとしても、同じように小
さくて外から見える問題ばかりが注目され、しばらくするとうやむやになって
しまうこと請け合いです。
それでは、いままでと同じ繰り返しになるだけですね。
いやいや、それでもちょっとずつ前進してきているのだ、と思いますか?
ぼくには足が付け変わってきただけのように思えますけれど。
問題のビデオでは、清掃員がはっきりと
「国道と府道が違うから、そこの分だけブラシをあげなきゃいけないんです」
と言っています。
清掃員が話している内容を編集していたり、証言そのものをでっちあげている
のならば、やらせというより捏造報道です。
そうではなく、先の報道にあるとおりに、TBS取材の依頼で清掃員が虚偽の
証言をしているのなら、府側も内容に関与していることになりますよね。
もしそうなら、やらせ以前の問題なんじゃありませんか。
行政職員が、テレビの取材に協力して、普段はやっていないのに敢えて効率の
悪い仕事のやりかたをしてみせる。
そのことのほうがむしろ問題なんじゃないですか。
交差点だけ清掃を除外して、却って無駄が出るなどということはともかく、例
えば国道はいつも汚いが、府道は清掃が行き届いているということなら、その
重複が無駄だから資源を統合しようというのは、社会主義的な手法に他なりま
せん。
少し大げさですが、戦争前後の統制経済も、資源の効率利用のために行
われましたが、そこに競争原理は働かず、不正行為も横行しました。
社会保険庁がずさんな管理をするのも、競争相手がいないからこそまかり通っ
てきたことです。
役人にも競争させようというのは、必ずしも理にかなわないものではありませ
ん。
正しく評価が行われさえすればの話ですが。
横だけど、JR線だからといって全てが交流ではありません。
あと、Wikipediaの記事も、よく見ると「JR線は交流電化」とは書いてません。
「日本では、JR線の~で、交流電化が採用されている」という表現です。
つか、交流電化やその電圧のことを知ってるような人が、
日本(本州の関東以西)では専ら直流電化であることを知らないと思えず、
釣り、だよなぁ。。。釣られた。。。。
追記のおまけ。
ふつう直流1500Vですから、全裸で電車の屋根の上に経って架線を握れば死ねます。
あと、高圧電流って表現が... 間違いとも言い切れないですけど、なんか不思議。
一級二級建築士は日本の法律の下だけで役所に建築の許可を申請して申請どうりに出来ているかを役所の代わりに見届けて、役所のお墨付きをもらった人。
建築家は、他人が認めて、財産に他とは一線をきす、作品を依頼される人、建築士であるかないかは依頼者しだい、
なぜならサポートで建築士の構造、設備、意匠の収まりの専門家が付けば大きな問題はほぼなく。
逆にの想像力や経験の無い建築士に託す事を考えたら、はるかに完成度は高くなるし、しかも美しい。
さて、安藤忠雄さんはその考えでいけば、建築は独学であり、ある意味完璧です、好き嫌いは当然あるでしょうが、芸術性の高い世界は全てそんなものです、才能は遺伝しないし、まして教わるものでもない。
そもそも、わが国の建築は、戦後から一貫して、30年~長くて7~80年で壊してきたのですから、多少進化はしましたが、今だ未完成。
ヨーロッパの様に築100年~600年と住み続ける文化は今だありませんし。
事、都市計画では既存の都市を見れば一目瞭然、未成熟、安藤さんの都市理論にも、甲乙をつけられる先駆者もいません。
確かに古都はありますが、中間がありません、明治~平成にかけては欧米の猿真似。
日本の気候文化に現代の様式をバランスよく織り交ぜた建築文化は今だ不在、まだ後100年正直、かかるでしょうね。
ただ、ある意味安藤さんら少数の建築家が思考錯誤する御かげで少しずつ進化していくのでしょうね
ちなみの、世界的建築家(構造の魔術師)フランスのレンゾピアノが手がけた、パリシャルルドゴール空港の屋根は一部施工精度が及ばず崩壊しました。
新凱旋門は既にあってはならないクラックが入って崩れかけてます。
マ、人が作るものなんてそんなものです。
同期のみんなよりも数年後れて、私はひっそりと「自分の結婚」というイベントを経験した。
結婚式はしていないし、結納とかそういう慣例は簡素に済ませた。
現在、籍を入れて18ヶ月が経過したが、未だに夫に言えないことがある。
むしろ隠し続けていると言ってもいいのだが、
実は、私には好きな人がいるのだ。
その人のことを考えると、よくわからないけど胸のあたりがジワジワ疼いて暴れだしたくなる。
家の中でも突発的にその発作に襲われては、無印で買ったクッションにDVしてしまう。
それを「?」が浮かんだ表情で離れて眺める夫。
彼にこれ以上不審がられないよう、いつも夫の就寝後、ダイニングでノートパソコンを開く。私の自室はない。
本物の私よりも遥かに表情豊かな顔文字を駆使し、夜な夜なお気に入りのコミュニティに入り浸る。
「今朝○○くんを起こしにいったら、すごいへにゃぁって顔でムニョって言ってた。なにそれかわいい><」
「○○くんは甘党らしくカフェオレにめっちゃ砂糖入れてます(*´∀`) かわいいけどメタボが心配…^^」
…こんなこと思ってるなんて、絶対に夫に知られるわけにはいかない。
今すぐに駆け寄ってぎゅってして、柔らかい髪の毛をぐりぐりもしゃもしゃ心ゆくまで撫で回したい、
すると眉尻を情けなく下げ、顔を真っ赤にして私を叱ろうとする顔を、じっと見つめてニヤニヤしたい、
なんて思ってることを。
実はすっごい好きなのである。
夫が。
結婚の経緯がちょーっと複雑で、ふたりの意思のみで"婚約"を決めらたわけではないので
正直、夫が私を、本当はどう思っているのかがわからない。
とくに支障なく同じ屋根の下でふたり暮らせているのだから、とくべつ嫌われてはいないだろうけど。
同じテーブルに向かい朝食を食べている時、ちょっとでも夫と目が合うとすごく気になる。
夕食後みかんをむきながらたわいもない話をしている時、ふっと会話がとぎれる瞬間とか。
あ、鼻の頭がかさかさしてる。あとで私の保湿クリームを塗ってあげなくちゃ。 …夫が完全に寝てから。
……ああ、また発作がきそうな気配がする。