はてなキーワード: 屋根とは
太陽光発電のエネルギー吸収率>土のエネルギー吸収率 (太陽光発電のエネルギー反射率<土のエネルギー反射率)
の場合の話。素材が違えば吸収率が違う。(土は適宜屋根の素材の置き換え)
α=(太陽光発電のエネルギー吸収率-土のエネルギー吸収率)×(1-宇宙への放熱率βafter)
いわゆる二酸化炭素による温暖化要素βが下がっても、上記のような場合、最終的にはα度だけ温暖化は進行する。
したがって、現在のまま二酸化炭素を放出した場合の温暖化率θ=(1-宇宙への放熱率βbefor)とすると。
θ>α である場合のみ 太陽光発電が有効といえるんじゃないかと。
厳密な式は・・・だれかたのむ。
壁は破ったり倒したりするものであって,越えるものではない。だって上に屋根がついてるから。越えるのは塀や柵だ。
ゲストハウス紹介記事がたくさんはてブされているのを見た。私も2年前、雑誌で安くて友達ができるという話を聞いて、何だか楽しそうだから1人立ちの足がかりとしてゲストハウスに入ってみた。結果、2ヶ月で実家へ出戻り。女子は普通に覚悟入ります。何故かっていうとヤられるから。親睦会と称して酒飲まされてヤられます。普通に穴兄弟・竿姉妹です。ブスでも喪女でもヤられます。1つ屋根の下に入れられた男は見境ありません。1人にヤられたら次々とヤられます。ただし、待遇は姫です。家賃は安くなります。でも、ヤられます。私が入ったのは女子が3人いて2人ともヤられてました。1人は毎晩のようにヤられてました。当然、私もヤられました。女子は確実にヤられます。気をつけましょう。
今週に入って三度目の雨に俺の心もびしょぬれになっていた。さっきから車は泥をはねまくりで俺の一張羅のコートはどろどろのぐったぐたで正直吐きたい。道路にぶちまけたいという思いにかられた俺はひょこひょこと国道に顔を出した。そのとき、F1みたいな音が駆け抜けたかとおもうと俺の首が飛んでいた。そして、青い屋根のないスポーツカーの助手席に鎮座していた。
「どう? 楽になった?」
前を向いたまま俺を気遣う女はピンクのコートと赤いサングラスと黒いマフラーという意味不明のファッションに身を包み、片手でハンドルを握り、もう片方の手でまっ黄色に染めた髪をいじっている。俺は生首のまま言った。
「うん。少しましになった」
おいおいおいおいおい。俺は何を言っているんだ。生首になって、喋っているのは何でかとか、この異常な状況を自然に受け止めているお前は何者だとか、そもそも俺は何で生きてて、お前はそれを知ってて、ううう、頭が痛い。頭しかないからか。
「君の知りたいことをたぶん、私は答えられない」
「そうか」
俺は体を失って数分で、体に対する興味をなくしていた。先ほどまでぐるぐると頭にまとわりついていたアレコレは既に消えうせて、今はこの位置では外が見えないことだけが不満だった。
それから、じゃがりこで一番美味い味は何かについて話し合い、見ず知らずの女と本気で喧嘩した後、二人で病院に行った。お医者さんが言うことには、俺は生首なのでいつか死ぬらしい。女は、俺を抱きしめて泣いた。俺も悲しくなった。やっとじゃがりこの味について真剣に話し合える女とめぐり合えたのに俺は死ぬのか。
「死ぬ前に」
うんうん、とうなずく女と医者。
そして、すかさず俺は死んだ。舌がだらしなく飛び出て、白目をむいて。首の下からは忘れてたように血が流れ出した。診察室のベッドのシーツを俺の血が真っ赤に染めていく。
何で、俺がその様子を克明に記述しているかって?
それは死の瞬間に俺の意識は目の前の医者に移ったからだった。女はそのことに気づいていたみたいで、俺の首にかじりついて泣いた。
俺は泣く女の頭をなでながら慰めてやる。女は俺に聞く。
「どうやったの?」
俺はにやりと笑って答える。
「しらねえよ」
<お題>
ある日曜の朝早くにスタントン通りを歩いていると、何メートルか先に一羽の鶏が見えた。私の方が歩みが速かったので、じきに追いついていった。十八番街も近くなってきたころには、鶏のすぐうしろまで来ていた。十八番街で、鶏は南に曲がった。角から四軒目の家まで来ると、私道に入っていき、玄関前の階段をぴょんぴょん上がって、金属の防風ドアをくちばしで鋭く叩いた。やや間があって、ドアが開き、鶏は中に入っていった。
鶏が入ったあとも、防風ドアは鶏が通っていったまま開いていた。隙間から中を覗くと家が見える。歴史のあるたたずまいの屋根がとんがった家があり、その玄関に向かって鶏は歩いていった。防風ドアと同じように玄関の古びた木の扉を4回くちばしで鋭く叩くと、木の扉は重苦しいきしみを響かせながらゆっくりと開き、鶏は家の中へ入っていった。
鶏がとる行動に奇妙な不思議さを感じ、好奇心が背中を押す。わずかに開いた防風ドアを抜け、少しだけためらったあと、鶏について木の扉から家の中に入った。
大きな家だった。外観からすると内部は広く、玄関にある調度品がすべて特注品のように大きい。暗い廊下が続いていて、肌寒く感じる。カビの匂いと熟した果実のような甘いにおいが漂い、香を焚いたように煙っている。物音は何も聞こえない。廊下を抜け、リビングに入ると、大きな窓のカーテンが締めきられ、ソファが並んでいた。わずかにカーテンの隙間から光が差し込んでいる。リビングの壁には大きな鏡らしきものが掛けてあった。
「御到着かな・・・・・・」
突然リビングに低く静かな声が響き、奥のソファに一人の男が深々と腰をおろしていた。大きな体と無造作に肩まで伸びた髪、表情は暗い影になって読み取れない。
「対称なる時、対称なる街、対称なる道順」
「あと必要なのは、対称なるいけにえ・・・・・・」
暗い部屋に響く男の言葉に、冷たく刺すようなくぐもった笑いが混じる。原始的な危機の感覚が呼び覚まされ、リビングを去ろうとするが、体が動かない。
足元を見ると、足元の黒い床に丸い円と不可思議な見慣れない文字、そして数々の文様が白いラインで描かれている。
「すでにもう始まっているんだよ」
こみあげてくる恐怖に声をあげると、鶏の鳴き声が室内に響いた。
リビングの鏡が見える。
鏡の中には見慣れた自分の姿は無かった。そこに映っていたのは、白いラインの円の上でもがく一匹の鶏の姿だった。
いつの間にか男は左手に鶏を持っていた。
ソファからゆっくりと立ち上がり、円の上でもがく鶏に、男は右手を伸ばした。
何でもいいから働け派は現状の「職も家も食べるものも無いのでいろいろ与えられながら無職でいる」状態がすでに詰みだと思っている。
何でもいいから働けば今よりはマシになると思っている。
だから何でもいいから働けと考えている。
溺れているのにワラを掴んでもしょうがない派は現状の「職も家も食べるものも無いのでいろいろ与えられながら無職でいる」状態はまだ詰んでいないと思っている。
何でもいいからといってブラック企業で働いたら詰みだと思っている。
だから何でもいいから働けばいいとは考えていない。
どっちかが馬鹿とかそういうのじゃなくて、どの状態を詰みと見ているかの違いに見える。
無職でいるよりは働いて屋根か食でも手に入れたほうがマシと考えるか、
屋根や食が手に入ってもブラックで働いて過労死したりしたら意味が無い?と考えるか。
どっちが正しいか俺にはよくわからないけど、とりあえずここで無職よりひどいとされている職に就いて働いてる人たちの今の気持ちを聞いてみたい。
現在修士の2年生。春から社会人になるにあたって、東京から名古屋へ引っ越すことになりました。
修論の真っ最中ではあるものの、先生に内緒で1泊2日の部屋探しツアーを決行してきました。
ひとまず部屋を決めるところまで至ったので、ここまでの流れについてまとめました。
(自分のブログに今こんなことを書くのはさすがにはばかられるので・・・)
今の家は2月で契約が切れる。
3月まで住みたいけれど、それで契約更新料を2ヶ月分払うのはアホらしいので、管理会社と交渉。
卒業式は3月末だけど自分の引越しもあるので3月前半には出ていくつもりであることを伝え、
次の人をいれる時間を考えて、いつまでなら辛抱してもらえるかと訊いたら、
3/15までは更新手数料無し、家賃は日割りでいいと言われた。
正直、こんなに伸びるとは思ってなかったのでラッキー。
今回は家賃と広さをシビアにするかわりに、築年数や駅からの距離で大きく妥協した。
最近話題にもなってた、この辺りのページを参考にしつつ。
・・・と、以上が今日までの流れでした。明朝にさっそく一社、引越しの見積もりをしに家に来てくれるそうです。
今回、この時期に部屋探しをして一番良かったと思える点は、店員さんが疲れてなかったこと。
ピーク時に引越ししたことのある友人の話だと、店員さんがいかにも寝て無さそうだったとか。
来店時に客は僕だけだったので、店員さん二人分の「アタマ検索」で物件が出て来たし、
物件の仮押さえとかネット環境の確認とかに気を回して貰えたのは良かったな、と。
あと鍵を管理する会社が日曜休みで、それで鍵による仮押さえが可能になった、ということもあった。
一方で毎年3月になると何件か空くんだけど・・・という物件もいくつかあって、早けりゃいいってもんでもなかった。
下見で家具を置く位置の寸法を測ったものの、いまの家具の寸法を測っていかなかったので、
ちゃんと収まるかどうか不明なまま物件を決めてしまった。結局入りそうだから良かったけれど。
その代わり補償金というものがあり、これは退去時にこれ以上の費用はとりませんよ、というものらしい。
名前を変えた敷金・礼金じゃないかと思ったけれど、これは揉め事対策にこういう用語にしてるんでしょうか。
同じ物件に対してそれぞれに見積もりを出してもらって、価格交渉が出来たかもしれないと思った。
結局お世話になったところを裏切るのもねぇと思ってやらなかったけど。
(自分でお金を稼ぐようになったらもっとお金にシビアになるんだろうな。)
これで論文に集中できると思ったけれど、契約手続き、引越し見積もりともう少しゴタゴタしそうです。
30代既婚。幼い子二人。
ここ数年ゴタゴタ続きでちょっと鬱っぽい。
ネット依存気味で、このところ家事育児はあんまりちゃんとやってこなかった。それは認める。
学生時代から長年付き合って結婚した夫が、気に入らないと私を殴るようになった。
一番の理解者だと思っていたのに、まさか手を上げる人だったとは…。
正直、一度殴られて流血してってことがあったからもう相手を信じることなんかできない。
次は刃物でも持ち出されるんじゃないかって、そんな不信感が消えない。
だから、同じ屋根の下で暮らすのが恐怖だ。今は私一人家を出て、実家に避難してる。
私自身は子どもがかわいい。もちろん自分の手で育てたいと思ってる
夫も子どもはかわいがっているから、鬱で家事もままならない私に子どもを渡すわけにはいかないって息巻いてる。
夫の実家の人たちにはすごく大事にしてもらったっていう思いが強くて、できれば元に戻りたいとは思うんだけれど
私が経済的に自立していれば、そんなもんどーにでもなるんだろうけど
あいにく専業主婦…。
どうするべきか、まだなにも思いつかないのでとりあえず増田で愚痴ってみた。
どうかお知恵をお貸しくださいませ。
で、何? 本を74冊読んでコンサルに落ちた人はその結果として人間として最低限度の生活が危うくなってるの? たとえば冬場に屋根もないような? だったら生活保護をどうやって受けるか、その後どうやって他の就職先を見つけるか一緒に考える程度の手間は惜しまないけど。そう見えなかったから、みんなそういう風に応対したんだろう。
と一貫して主張してるだけだと思うよ。
元増田の違和感というのはおそらく、こんなことじゃないんだろうか。
なるほど「ミウチ」で(=親しい者、血縁の者、同郷の者、あるいはそれに準ずる縁と特権を有する者)であれば、「74冊ってすごいねー」と言いもしただろうし、何はともあれ希望が叶わなかったことを慰めもしただろう。
派遣村ボランティアは、相手が「ミウチ」だから手を差し伸べてるんじゃない。あれは赤の他人に対する親切の範疇であって、道で小銭を落とした人の小銭が近くまで転がってきたら拾って差し出すのと変わらない。では、どうして小銭の例に比べて手厚いかというと、相手がそれだけ深く窮しているからだ。派遣村の失職者たちはボランティアにとって依然として「ミウチ」ではなかった筈だ。((ボランティアを通じて個人的に会話を交わす中でより以上の親しみを感じた可能性は否定できないが、少なくともその行動当初において))
ゲストハウス紹介記事がたくさんはてブされているのを見た。私も2年前、雑誌で安くて友達ができるという話を聞いて、何だか楽しそうだから1人立ちの足がかりとしてゲストハウスに入ってみた。結果、2ヶ月で実家へ出戻り。女子は普通に覚悟入ります。何故かっていうとヤられるから。親睦会と称して酒飲まされてヤられます。普通に穴兄弟・竿姉妹です。ブスでも喪女でもヤられます。1つ屋根の下に入れられた男は見境ありません。1人にヤられたら次々とヤられます。ただし、待遇は姫です。家賃は安くなります。でも、ヤられます。私が入ったのは女子が3人いて2人ともヤられてました。1人は毎晩のようにヤられてました。当然、私もヤられました。女子は確実にヤられます。気をつけましょう。
たとえばこういう一文。
迫害を逃れて祖国を後にした難民は、世界で1150万人。そのうち約600万人が、5年以上も避難生活を送っている。生まれてから鉄条網の中しか知らない子供たちも増えている。キャンプ生活の長期化が、難民の生活に悪影響を及ぼすのは明らかだ。
つまり、少なくとも5年程度は鉄条網の無い暮らしを日本でさせろって事だろ?どこに?
日比谷公園で国民の一部が難民みたいな状況に陥ってたのに、それを差し置いて本物の難民を招き入れようという発想がまさに「朝日クオリティ」だよ。
彼らだって木彫りの人形じゃないんだから、食わせる飯も、夜露をしのぐ屋根も要るわけよ。ずーっとタダ飯食わせる訳にもいかないから建前だけでも仕事はさせてやらなきゃならんだろう。子供がいたら教育を受けさせる必要もある。企業に難民採用で法人税優遇とかすることになるだろう。日本語もしゃべれない子供のために学校側もいろいろ対応を迫られるだろうな。これから全国で流行するであろう「○○派遣村」で日本人がゴロゴロしている時に、林野業とか港湾労働で汗をかく外国人という現象が出てくる事態になりかねんよ。景気が悪くて日本人の生活の質が落ちつつある状況でそんな事をしたら確実に軋轢を呼ぶぞ。「外国人排斥」が極右勢力の台頭に勢いを付けるかも知れない。
電気料金値上げ、おかしくない?というのをはてブで見て呆れた。電気代値下げをしろといってデモをする一方で、こんな主張をしているという。
☆このデモをやるべき4つの理由
2)高いのは原発なのでは?
3)高くなる一方の石油・石炭よりも、前途有望な自然エネルギーを!
4)みんなが使うエネルギー、みんなで考えよう。
「言うだけならタダ」の見本だ。このような主張が成立するならばそれはよいことだが(原油高でどうして原子力がコスト高なのかという馬鹿な主張については目をつぶるとして)、残念ながらそうはいかない。だから世の中は原発シフトに向かっているのに、この種の頭の悪いエコ屋がその邪魔をする。その結果、石油枯渇と温暖化にますます拍車がかかるというどうしようもないことになっているのだ。
実際の技術水準や資源の量を顧みない理想論は現実の前に何の役にも立たない。はっきりいって自然エネルギーだけで済むならその方が楽だ。だが、無理なものは仕方がないのだ。
もちろん、全ての電力を原子力でまかなうことは無理だ。原子力は出力調整が(少なくとも現状)できない。 だからベースロードにするしかない。昼と夜の差は別の方式で埋めるしかない(ただし、今後電気自動車とかが主流になるなら夜はその充電で埋まるかもしれないが)。そのために火力を何で置き換えるかという話になったとき、自然エネルギーが有効になってくるのだ。特に、電力需要と供給に強い正の相関がある太陽光・太陽熱にはもっと注目が集まってよい。
ただし、自然エネルギーの現状は決してバラ色ではない。水力はこれ以上の開発は無理。風力も平地の少ない日本では厳しい。 潮流は現状ではまだ未完成。
太陽光や地熱は資源量の点で筋はよいのだが、現状はコスト(経済的にもエネルギー的にも)関係で、大規模に開発できない。 たとえば、ある工場が生産できる全ての太陽電池が寿命までに生産するエネルギーだけで 太陽電池の全製造工程をカバーできるエネルギーを作れるかというと、 最近は無理ではなくなってきたけど、利得幅は決して大きくない。
あと、地熱は下手に開発すると温泉地を潰したり、最悪の場合火山噴火を誘発するとい原発大事故並み(かそれ以上)の被害が出る危険もあることも見過ごせない。
とはいえ、自然エネルギーが今後重要になることは間違いない。化石燃料は限りが見えてきた。メタンハイドレートってのもあるけれども、結局はCO2を出すことには変わりがない。だから、今後も設置や開発を続けていくことは極めて重要だ。ただし、現状は原子力を置き換えるほどの主力にはなり得ないということだ。言い換えれば、石油火力以外で主力になりうる発電方式は、好むと好まざるとに関わらず、現状は原子力しかないのである。
そういえばゴアは「原発利権」と批判されていたが、合理的に考えれば原発推進になるのが当然なのだ。だからその利権は何も悪い利権ではない。世界を救うための商売をして儲けて、それで責められるいわれはまったくない。
もう一つ言っておくが、自然エネルギーの利用が進まない最大の要因はつまるところ「経済的コスト」だ。要するに電気代をもっと上げてもよければ、様々な選択肢が考えられるのだ(個人的には炭素税の導入を併せて主張したい)。
たとえば、温泉をちょっと我慢すれば地熱発電所なんてバンバン作れるんだから。太陽電池だって家という家の屋根に貼り付ければ夏のクーラーの電気需要を大きく緩和することだってできる。原子力に関して言えば、海水から実質的に無尽蔵にウランを抽出することさえ、コスト以外の点ではもう実現可能性が見えてきている。
しかるに、この手のエコ屋は「電気値下げしろ」というのだ。これはとんでもない話だ。電力会社の立場からすれば、これでは「安いエネルギーを使え」と言われているにひとしい。つまり、この手のデモは結局「石油火力を使え」という誤ったメッセージを電力会社に送っているのである。
バッカじゃなかろかルンバ、とはこのことだ。
現実を見ろ。何でもかんでもおいしい選択肢はないんだよ。環境破壊お構いなしならしばらくは安いエネルギーが使えるよ。将来のことを考えるなら高い電気代を我慢して払え。そのどっちかなんだよ。
格差の問題には対策が必要だろうが、それは何らかの形での所得移転など別の措置を講じるべきだ。エネルギー全体を値下げせよという非現実的な主張は最悪の選択である。
あと、くれぐれも温暖化懐疑論なんて馬鹿なお祈りにはすがるなよ。お前らがそういうお題目にすがった結果、ツケ払わされるのは俺たち若者と子供の世代なんだからな。
2008年11月04日 b:id:ruletheworld やれやれ, バカの存在は, 免罪符に非ず, 電力会社で日本は滅ぶ, 悪質なプロパガンダ ゴアが原発利権?→http://tinyurl.com/6p5dgh 高温岩体発電(HDR)なら温泉地の必要すらない www.google.org/egs/index.html / 反原発厨を理由に電力会社が守旧的に化石燃料依存しHDRとかすべき事をしてない事を責める正当性まで貶めるな
あなたはことあるごとに反原発自然エネルギー促進を述べているが、おそらく理解が乏しいものと思う。
まず、ゴアが原発利権かどうかについて反論されても困る。「利権だとしても何の問題があるか」というのが本文の趣旨だ。
次に、私は自然エネルギー自体を否定どころか促進しているし、開発へ投資せよとも述べている。しかしながらHDRは開発途上の技術だ。今すぐに実用化できる技術ではない(これも電気代値上げを国民が飲めば実用化はかなり早まるはず)。本文は目下の選択として原子力を選べというものであって、将来の話をされても困るのだ。
最後に、電力会社陰謀説は困る。電力会社はHDRを研究開発している。たとえばちょっと検索しただけでもこのような資料が出てくる。これは電力会社の研究開発会社の技術広報誌だからこれは電力会社の宣伝なのだ。要するに「このような技術開発をしているからもっと電力に投資してくれ」というアピールなのだ。それをあなたはわかっていないようだ。
あなたが原子力が嫌いなことは自由だが、事実を歪曲してまで反原子力アピールをすべきではない。私とてHDRの早期の実用化は望みたい。しかしそれまでは原子力で食いつなぐしかないのではないか、と述べているまでだ。
誤解しないでほしい。自然エネルギーは素晴らしい技術だ。人類の未来の救世主となる可能性を大いに秘めている。しかしまだこの救世主は赤子なのだ。赤子に祈りを捧げれば解決するなどというのは、自然エネルギー研究者か業者、あるいは反原発団体の宣伝文句を過大に受け止めすぎた結果だろうとしか言いようがない。
2008年11月04日 b:id:mntmnr 環境, 低炭素社会, 温暖化 原子力に関して言えば、海水から実質的に無尽蔵にウランを抽出することさえ、コスト以外の点ではもう実現可能性が見えてきている。・・・本当か?海水のウラン抽出して正味のエネルギープラスになるの?他は同意。
HDRと同程度には実現性がある。なぜかというと日本近海は海流の流れがあるため、捕集モールをつり下げておくことによって自動的に回収できるからだ。鉱石中のウラン純度のことを考えれば、これによって得られるウランの純度は十分高いといってよく、エネルギー的には元が取れるようだ。たとえばこれによると600万kWの発電が一年間可能なウランを回収するには、捕集材製作に年間6.2億kWh、精製に年間121万kWhの電力が必要とされている。他のもひっくるめて計算しやすいように海水ウラン独自のエネルギーコストが年間12億kWhぐらいだとすると、200時間分、つまり10日足らずの電力で元が取れることになる。それ以降の工程は従来と一緒だから、おそらく問題にはならないだろう。ただし、この試算はあくまで一つの可能性にすぎないので、実用化にはさらなる実験と実証が必要。高速増殖炉(もんじゅ)さえできてしまえば問題ないんだけどね・・・。
中原中也だったかな、「思へば遠くきたもんだ」って詠った詩人。
ほんと気分はあんな感じだ。
もちろん正社員。残業代なし。月500時間超過労働x3ヵ月とか普通にあった。
たまに「残業100時間超えた!死ぬ!」とか日記に書いてる人見て鼻で笑えるぐらいすごい生活してる。
手当なんてこれぐらい。
もちろん、事あるごとにパシらされたりしてる。
現地人とのコミュニケーションは滞りなく談笑できるぐらいにはできるけれど、
越えて、例えば歳が40とかになって
会社が突然倒産したって引く手数多になるような存在になりたかった。
でもさ、俺頭悪いから2年じゃ難しいんだよ。
・・・!!
っつかこんなとこで働いてそろそろ2年経つヨ!
自分で書いててびっくりするぐらいだヨ!
俺別にマゾってわけじゃないんだけどさ
不思議な事に恨んだり後悔したりなんてことは一切ないんだよな。
たぶん、日本にいたらもっと腐ってたと思う。
だから結局全部プラマイゼロになってるんだろうな、自分の中で・・・。(じゃないとやってらんない)
こっちじゃ金がもらえない分、スキルもらってる。
これからどこへ出ても働いていける自信がついたし、
何より自分で道を切り開く方法だって習う事ができた。
だけど、そろそろ帰る頃合いだと思う。
理由は三つ
・今じゃもうその上司以外誰一人俺よりできるやつがいなくなった
・学べる事の量とペースが最初に来た時の3分の1ぐらいになってきてる(大抵のことはある程度できるようになった)
・そろそろまともな金がほしい
今考えているのは、来年の期末辺りで帰る事・・・あと半年。
「若いうちの苦労は買ってでもしろ」
体現しちゃったけど、まさにその通りだと今では思える。
俺まだ20代中盤だけど、若い人はほんと苦労しとくべきだと思うよ。
朝2時にうとうとしてたら怒られるような職場は若いうちに経験しとくべきだと思う。
先にも書いたとおり、恨んだり後悔したりはしてないけど、
疲れるんだよこの生活・・・だからちょっと愚痴。
読んでくれた人、ありがとー。
中島岳志という人のことは知らんが、その人の言葉を聞いただけで、それを額面どおり受け取っていいの?
自分はインドの比較的貧困層の村など回ってきたが、生活レベルとしては…日本人じゃ考えられないよ?
物質的なものが満たされてなくても精神的なものが満たされていればいい?
日本の快適な屋内でそんなこといってもねぇ。
ワーキングプアは屋根のある、少なくとも網戸のある「家」に住めるんだろ?
いちおう、橋元さんじゃないんだから。
精神的な支えが物質的な生活のヒドさより凄い? バカいっちゃいけない。
インド人が言うならアリだけど、日本人が屋内でのうのうと語る話じゃない。
ただ、インドの子供たちの笑顔はとても眩しくてまた楽しかったけどな。何も知らない農村の女性たちも。
けど、変な知恵のついた男はタチが悪い。
ただ、いい年の男が多いからな。笑顔の見せ方も忘れてしまったんだろう。
余裕がなくなった結果、そうなる人は増えると思うが。
這い上がれる社会体制かはともかくとして。
夜になり
「……とりあえず一回オナっとくか」
と思いPCをつけ
エロサイトを巡り
無理すりゃオナれないこともないけどちょっと刺激として足りんなとか思いながら
探し続けて
ふと気がつくとやべぇこんなことに何十分もかけてる…何やってんだ…
と思いつつも
今更やめると逆に勿体無いとか考えて
ようやくピンときたやつでオナり
ふーっと一息ついた後の
妙な冷静さって何なんだろう
さっきまでこの絵を見て物凄く興奮していたはずなのに、一回オナった後見ると全く何の感慨もわかぬ。ただただそれを「絵」として認識しているといった感じになる。10分前にはこれにエロティックな香りを嗅ぎ取っていたというのに…
オナる前:「おっぱい!まんこ!ちんこ!セックス!!おしべとめしべがごっつんこ!!!ごっつんこったらごっつんこ!!!!そういえば、ラブホでは皆が一つ屋根のした腰ふりまくりなんじゃね?壁とか床をとりのぞいてスケルトン的な感じで考えると、カップルとカップルが物凄い近いところでそれぞれ交尾しまくってんじゃね?それエロくね?てか動物の掛け合わせ実験場みたいじゃね?余計にエロくね?てかセックスする場所が公然と与えられてる我々国民ってのが既にエロくね?「ラブホ」じゃなくて「交尾場」じゃね?直接的に言うと更にエロくね?交尾!交尾!花ってきれいとかいうけどもしかしてまんこじゃね?マジで?まんこ?まんこーーーーーーーー!!!!」
オナった後:「ええ確かに、この女性は胸を露出させ、乳首をたてています。しかしそれが何だというのですか?見えているのは単なる皮膚でしかありません。どうせ全ての生き物は、やがて土に帰すのです」
みたいな感じになる
あまりに冷静沈着になるので、オナった後に勉強をするのが半ば習慣になりつつある
しかしこうやってオナったあとは
決まって一週間に一度くらい
「皆はイケメンとロマンチックなところでなんかいちゃついたりセックスしたりいい飯食ったり遊んだりしてんのかな…」と
思うと何とも言えない感覚がぶわっと襲ってくる。
うっほほ、皆っていうのは女子の知り合い・友達のことですよ。
私は当然ながら女です。
ストリートビュー反対派増田だけど、ヤンキーに例えるのはgoogleを悪く言いたいだけに思える。
冷静に見て、Googleの検索やGmailは便利に使えるサービスなわけだし。
ただ、どのサービスも犯罪に悪用される可能性はあるんだけど、ストリートビューの場合はその可能性が特に高いこととか、個人の趣味嗜好が不特定多数に明らかになる可能性が高いこと何かが問題なんだよな。
ちょっとマニアックな例えを挙げると、テレビアニメの遠距離受信(地方からテレビ東京を見るなど)をしている人は、ストリートビューで家の屋根を見ればすぐ分かるし、
衛星放送を契約してるかとか、アマチュア無線をやってるとか、スポーツカーを複数台持っているとか、園芸が趣味とか、子供がいるとか、まあ家を見るだけで分かる趣味・属性っていうのは思ったよりたくさんあるんだよ。こういうのが実際に行かずして見られるというのは、営業的に使われることもあるだろうし、オレオレ詐欺の下調べに使われることもあるだろう。
家は既に分かっているんだから、ダイレクトメールを出すのも簡単だし、直接営業に行ってもいい。
痛車や珍しい車を持っている人は簡単に自宅が特定されるリスクがあるし(例えば、既に話題になっている荒川区の人とか)、個人を特定する情報の一環として悪用される可能性が高すぎる。
あと、自己申告でモザイクや削除と言っている人もいるんだが、その場合の問題は
ネットを見ない人、ストリートビューがあるのを知らない人の存在だと思うんだ。
オレオレ詐欺で「○○の車の調子はどう?」と、赤の他人が知らないはずの自分の家の車種を言い出したりしたら、ストリートビューの存在を知らない人にとっては本人認定に近くなる。
検索やメールは、知らない人・使わない人が不便をするだけですむけど、ストリートビューはその存在を知らない人へ与える影響が大きすぎる。
そういう情報リテラシー的な問題も解決できないと難しいと思うんだよな。
結局は使い方次第、そして、その便利さに世間が慣れるかどうかじゃないのかなー
たとえばストリートビューまで行かなくとも、地図を見れば、その町のガイドブックを見れば、
その町の地形や様子、建物の配置が分かったりする。
ググルマップの既存の衛星写真だってそう、ギリギリ停めてあるクルマや、
道からは分からない屋根の色・屋根の上に載ってるアンテナ等の様子、庭の配置などが
分かったりする。
人によっては、そうした「上から俯瞰しないと分からない情報」に嫌悪感を抱くだろう
けれど、時間がたって今の世になってしまえば、その嫌悪感が慣れになり、便利への妥協として
許容されてきてしまっている。
もし「○○への行き場所が知りたい」「○○の様子が知りたい」といった場合になったとき、
ググルマップでなくとも市販の地図を見るし、衛星写真から風景を察したりできる。
それと同じように、また、既存の地図にできなかった新機能として、
「○○の場所に行きたいけど、地図だと省略されたりゴミゴミしていて分かりにくい。
そうだ、駅から現地までの風景を予め確認すれば、もっと分かりやすいじゃない!」
という使い方をする場面になって考えれば、ストリートビューはたいへん便利だ。
世間がその便利さを知り、そして慣れてくれば、嫌悪感を抱くことさえ忘れてしまうだろう。
そしてまた、「便利」な一面があることを、知って欲しい。