はてなキーワード: 道化とは
中学時代の話
ばればれだろうけど好きな子が居た。当時遊んでたグループだったからそのグループの友人も知ってたと思う。
なぜかはわからないけど、その子からラブレター 「付き合ってください・・・」
舞い上がるし、直と言えない事もあって手紙か何かで返事だった
何度か手紙交換したぐらいから面白可笑しく、同じグループに書いたものを公表でもしたんだろう
見たいな文面で色々書いてあったけど、当時としては何故?如何して?ってまったく思わなかったんだろう
そのグループで「あいつ お前の事好きみたいだぜ?」「えーやだー」「悪戯で告白してみて後からネタバラシ」
みたいにしようぜ?!とでもなったのでしょう
結果、騙されて、嘘つかれて、挙句手紙をばらされる。最後の手紙には「遊んでごめんね、ばいばい」
人は信用できないし、信じたくもない。
今でもバイバイって言葉嫌い、言いたくもない、言われたくもない。
人を好きになるのが怖い・・・ 人が怖い・・・ からかわれて面白可笑しく
心から人を信用できない 話しても表面だけ、影で色々言われているのもまる分かり。
人を好きになるのが怖い。同じ事を繰り返すぐらいならいっそ好きにならないほうがいいのかな?
それを「重視」というのだよ、君。そして、君の言っている「形式」は君の独りよがりでしかなく、「重視」しているのは君だけなんだよ。
ごく常識的なチェック機能だから、独り善がりでもなく、ごく一般的に使われているけど。だから別の増田(http://anond.hatelabo.jp/20081111075146)も使ったんじゃないだろうか。科学の教育とまで大仰でなくても、普通に体得するものだ。つまり、形式を使っているのは僕だけじゃなく「重視」するしないというものではない一般教養なんだ。
形式というと幼稚に見えるかもしれないなら、論理的にと言い換えてもいい。言語学でないと言い切れるぐらい言語学に関する一般知識があるなら、たぶん論理的ミスのほうがとっつきがいいだろうし、形式のように無視はできなくなる。
それで何が悪いのかね。
これも僕じゃなく別の増田なんだが http://anond.hatelabo.jp/20081111005657 「印象論だね」と言われて元増田は「ある程度の伝聞情報だけからでも言えることはかなりあるよ。特に、学術的な議論に関してはね。」と答える。その時点では読んだとはいっておらず、伝聞情報の真偽を確かめずにいるなら元増田の発言は印象論そのものだし、元増田は専門家ではないのだから真偽は確かめられないはず。自分の頭で考えていないと言いながら、専門家の発言を鵜呑みにした印象論で自分の言い分を補強する。自己矛盾という形式面の不備。
説明したじゃないか。元記事で。それに対して君が粘着してきたから、黙らせようと思って他人の意見を出したまで。君は理屈で説得されて納得するたちじゃないもん、悪いけど。
粘着と言ってもあれが僕にとっては初回なので、批判を受けると黙らせないとというのはアレな人だ。
ところで、権威を持ち出してイチコロとまで言っていれば、権威を鵜呑みにしていると思われるて当然だろうし、専門家の意見を持ち出しているのは例の印象論のところと含めて二度もある。本当に黙らせようとするつもりならば権威の力を借りているといわれるだろうし、そうでなくとも鵜呑みにしている時点で自己矛盾となり形式面の不備。
誰も釣りなんてやってないんだが。
http://anond.hatelabo.jp/20081112181335 とか道化になりゃなきゃとか書いたエントリがあったけど、あれは別の増田だろうか。道化のほうはなぜか消えているかみつからない。
http://anond.hatelabo.jp/20081112233759もそうなはずだが、おちょくっていると書いてある。
イチコロという表現からも、なんらかの意図があると推測できる。
僕の推測だけど
ということだろう。
特に釣りが悪いとも思っていないし、元の発言の出来が悪いのでもない。その後の一貫性がなく形式面の不備ばかり目に付くので、誰もいじってくれなかったんじゃないか。ちょっとやばいひとだねってさ。僕もあまりにも形式的に見ておかしい人だと思ったので釣ってしまったんだ。ごめんね。時間取らせちゃったけどそういうことで許してよ。
今回の本が言語学の本でないってことは読まずにも判断できるよな。そういう本に対して、言語学の本を読んだかのごとき間違った反応が蔓延していた。だからそういう奴らをおちょくってやったんじゃないか。
あまり論理的な話が出来ないのに、相手をおちょくったりするのは難しい。俺が聞いていることはある方法論を遂行したか否か、さらに何をどう判断したか、だけ。
俺が書いたのは
自称道化になって相手を何か見下した気分になっているけど、基本的なところは出来ていないのは元増田だろう。何も自分で考えることは出来ない。道化というのは辞書を引けばわかるかもしれないがね。
552 名前:550[sage] 投稿日:2008/10/14(火) 15:00:53 ID:LImVJlD10
生と死の狭間に己を笑い恍惚として自ら忘るる
されば夜明けの嘆きを鐘に神曲の幕よいざ上がれ
黄金の兜の覇王は万里を征し愛馬と共に川底へ沈む
孤赤児は蚯蚓の血を母の乳とし三夜して腹より腐る
生命よこの賛歌を聞け笑い疲れた怨嗟を重ねて
生命よこの祈りを聞け怒りおののく喜びを枕に
百年の生は炎と剣の連環が幾重にも飾り立てよう
七日の生は闇と静寂に守られ無垢に光り輝くだろう
獣よ踊れ野を馳せよ唄い騒いで猛り駆けめぐれ
いまや如何なる鎖も檻も汝の前には朽ちた土塊
生と死の選択を己に課す命題として自ら問う
されば嘲笑の歓喜する渦に喜劇の幕よいざ上がれ
嵐の夜に吼え立てる犬は愚かな盗賊と果敢に戦う
温かい巣で親鳥を待つ雛は蛇の腹を寝床に安らぐ
せせらぎを聞く蛙の卵は子供が拾って踏みつぶす
獣よ踊れ野を馳せよ唄い騒いで猛り駆けめぐれ
いまや如何なる鎖も檻も汝の前には朽ちた土塊
姫は唄い、諸人を祝い、
そして地獄へ蹴り落した。
はにかみつつも、花の咲くような笑顔だった。
頑張って作戦を練って彼女に近づき、
彼女と二人で一日過ごせたこともあった。
彼女がこれまで色んな辛い経験をしてきたことを知った。
少しだけ彼女の心に近づけたと思った。
昔のオトコ達との生々しい話に凹みつつも、
ますます彼女が好きになった。
僕が彼女に好意を抱いていることは、
彼女も分かっていたと思う。
言葉の端々に僕の想いは滲み出ていたはずだから。
けれども、話せば話すほど、
話の内容が、より心の奥の方にまで及び、
気軽には話せないような過去まで
語り合っていたからかもしれない。
もちろん、他愛のない話も織り交ぜて、
二人で笑い合ったりもした。
道化に徹することもできると思った。
意を決して、昨晩告白した。
・・・惨敗だった。
もう会いたくないと言われてしまった。
僕と彼女を繋ぐ糸は殆ど切れてしまった。
これから僕が彼女に再度近づこうとしても
そう分かりつつ、無様に再度言い寄ることも考えた。
自分の薄っぺらなプライドは、どうでもいい。
けれどもそう行動することで、彼女から、
あの素敵な笑顔を奪ってしまうと思うと動けなくなる。
しばらくは自分を切り刻むようにして暮らすことになりそうだ。
笑顔の素敵な君へ
http://twitter.com/tsuda/statuses/850434927
http://d.hatena.ne.jp/magoshin/20080704#p1
ハゲ言われたおっさんです。
童話の「はだかの王様」って、せいぜい数百人の国民の前で、子供一人から「王様は裸」って言われただけじゃない?
こっちは10000人+2000人の前で、何十人から「おっさん」「ハゲ」呼ばわりされて、2000人から大笑いされたんだから、
これは王様より凄いんじゃね、と思う。
このリアルタイム性&匿名性を持った告発者の発言、実際に受けてみると、
率直に言ってかなり面白い。
別に強がりとか自虐とかでなくて。だって、考えてみてよ、可視化された率直な感想の、リアルタイムな集合体を、
芸能人や政治家みたいな有名人ではなく一般市民の立場で世界初で見ることが出来たんだよ。
パラダイムシフトが起きた瞬間を体験出来た人間が、世界中にどれだけ居ると思う? そのパラダイムシフトを
体感出来たのは、世界でオレだけだと思うし、実際のところ見てて自分でも面白がれた。
…精神弱い人がこれを食らっても大丈夫か、という意見に対しては、正直わからんね。引き篭もったり首吊ったりする
可能性も否定出来ない。
だけど、この流れが止まったり逆流するかって考えれば、多分それはない。
携帯電話が当たり前になったように、こういう、善意悪意を問わない率直な意見の可視化の流れも、
そのうち当たり前になるんじゃないかな。
最後に一言。
まだ34歳なんだから、おっさん呼ばわり勘弁な。
(7/7 12:05 追記)
# 編集出来るの知りませんでした…。別立てしないで追記すれば良かった。
いまのところ、自分が書いたのは
http://anond.hatelabo.jp/20080706112744
http://anond.hatelabo.jp/20080706185812
http://anond.hatelabo.jp/20080706190131
の3つだけです。…実は本人じゃない、の増田は見た時「頭良いな」と思いました。
顔も声もバレているのに匿名のままで頑張っている理由は、単純に
「会社休んで遊びに行ってるのが、会社にバレたらヤだなぁ」というそれだけの話です。
ハゲ頭の写真を撮ってはてな日記にアップして、見ている人が「確かにこのハゲ具合は、
まさしくハゲのおっさんと一緒だ」…って、どこのガラスの靴試し履きしてるシンデレラですか?(笑)
とりあえず、ニコニコ動画の連絡フォームを使って連絡をして、ハゲのおっさん=増田=私であり、
私しか知らない&当日の動画を再生して見れば確認出来る出来事を伝えてみました。
上手く行けばニコニコ動画さんの方で本人認定してくれるのではないかな? と思っています。
無駄に騒動を起こした、という事は否定出来ませんが、自分としては良い『紛れの一手』が打てた
のではないかな、と思っています。
自分の想像の域を出ませんが、自分が増田で一言を書かなかったら、ニコニコ大会議の質疑応答の
感想は「あれはイジメだ」「魔女裁判だ」「対象者が嫌がる事を絶対にするな」といった、一方向の流れに
行ってしまったのではないでしょうか。
自分の一言で、感想をいう人から「本人か騙りかに関係なく」とか「本人がどう思おうとも」といった
マクラを引き出せたり、また参加していた人から「あの場の雰囲気はそんなに悪くなかったよ」
といった感想も引き出せたと考えています。
(逆に、自分以外に質問された4名の方々の意見を言う機会を塞いでしまったかもしれませんが…)
(7/9 1:10追記)
ハゲのおっさん(34歳独身)です。
なんとか本人証明が出来たので、そろそろ幕引きをした方が有終の美を飾れるかな、と思っています。大きな変化とか、あまりにも反論したくなるコメントとかが出ない限り、ハゲのおっさんとしての増田の書き込みは今回で終了と致します。
日曜からずっとはてなブックマークを辿って、ブックマークから見えるBlogは全部見たはずです。
…えーと、どうやら私は12000人からDisられても平然としてるdankogaiさんみたいなマッチョで、涙こらえて笑顔で道化やってる『いじめられっ子』ならぬ『いじられっ子』で、イジメのせいで精神分裂起こしかけてるビリーミリガンで、祭りの場で舞い上がったお調子者で、聞かれもしない感想を言う出しゃばりで、ついでに「私はハゲです」Tシャツを着て都会を歩いている人、らしいです。…凄いな、ハゲ言われた感想を書いたら、ここまで言われなきゃならんのか(笑)。
Blogやコメントを書かれる方々の多くの人は「あれはイジメ」と考えていて、なのに、12000人からハゲと笑われたハゲのおっさんは暢気にも「これは空気読みのパラダイムシフトやーー(彦麻呂の口調で)」なんて言っているので、その乖離を解消する為にハゲのおっさんを自分側から排除した部外者として処理しているのかな? と思っています。
色々と個別に意見とか反論をしたいBlogとかありましたが、ハゲのおっさん7日間戦争 - ls@usada’s Backyard( http://d.hatena.ne.jp/shibata616/20080708/1215510163 )
を読んだらどうでも良くなりました。こういう文才が欲しいです。
最後に、ここだけは気になったので。
ニコニコ大会議で行われた「リアルタイム中傷」( http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0807/07/news096.html )
> ハゲと書かれた人は、しばらく声を失っていたところを、ひろゆき氏がフォロー。
> 中傷コメントに対して自重するよう書き込むユーザーも多かった。本人もそれほど気にしていなかったのか、その後元気に質問をしていてほっとした。
声を失ってたワケじゃないです。MP3聞いただけだとその場の状況分かりづらいですけど、この時は笑い声が上がってもずっと続けて話してたのですが、笑い声が大きくなりすぎてマイク通しても聞こえないくらいになったので、ひろゆきが一旦声かけて「もう一度初めからお願いします」っていう流れになったんです。で、皆が静まるまでハゲ頭に手置いて林家三平のマネして時間潰して、それから話し直しただけで、別段あの程度でうろたえる程でも無かったですよ。
繰り返しになりますが、今回は楽しませて頂きました。次回のββの大会議もあったら出席出来ればと思っています。
(12/3 1:20追記)
ハゲのおっさん(35歳独身)です。ニコニコ大会議2008冬の招待に当たりましたので会社休んで参加する予定です。早めに行って並んでいますので、お気軽にお声をかけて頂ければ幸いです。
どうしたらあの子に好かれるか、考えてみた。
それは、おれに取って、進歩だった。
いままで、おれなんかが好きになっていいものかと、ずっと自己否定を繰り返してきた。
ま、かといって、自己肯定に成功したわけではない。もっと悪化して。おれは、きっと、ずっとろくでなしだから。ろくでなしのまま生きていこう、と開き直っただけのことだ。
いまのおれに、なにができるか。
以前なら、もうちっとましな自分になってから、と、そこで思考停止していた。いまは、違う。
いま、なにができるか。できる限りのことをしてみよう。そういうふうに変わった。
で、どうしたらあの子に好かれるか、だ。
どうして、ひとはひとを好きになるのだろう。なぜか、ひどく簡単に思い至った。そして、その簡単なことを実践できていなかったから、己は非モテであったのか、と納得した。
理解だ。
そのひとを理解すればこそ、通じ合うものを見出して、惹かれ合い、恋に落ちる。
たとえ心の内に秘めたるものがあっても、理解されなければ、どうしようもない。
なにを考えているかわからないひとが、好かれるはずが、ない。
つまり、己をさらけ出すこと。
本心を語らなければ、どうして好かれようか。
おれは、いつも道化に徹していた。盛り上げることは得意だ。寂しそうなやつの背中を押してやって、感謝されたのは、いい思い出だ。
コミュニケーション能力は、無礼、非常識という欠陥があるものの、そういうことを気にせずともよい、しがらみのないやつらと仲良くする分には、問題ない。
ただし、いつも、ある意味、機械的だった。役割に徹していた。そこにいるのは、おれではなく、盛り上げ役の、道化だった。
だから、なのだろう。
あるとき、いわれたことがある。
おまえがモテないのは顔じゃないよ。性格だよ。
また、別のとき、いわれたことがある。
そんなんじゃ、女嫌いと思われちゃうよ?
しかし、いまやおれには、わからない。
どうやって本音で語ればいいのか。
作り笑いが染み付いて、笑顔以外、随分感情表現が少ないことに愕然とした。
道化が染み付いて、弱音を吐くことさえ、ままならない。
だから、おれは、悲しいことに、友達に誘われるということが、滅多にない。
誘えば、断られるということは、ない。嫌われては、ない。
けど、特別好かれることも、ない。
それが、おれ。
人間らしく振る舞う、その簡単なことが、ひどく難しい。
大体、我がままに振る舞っていたら、あまりひとに好かれなくて、だからいまのようになったのに、それさえ否定されたら、おれはどうやって生きればいいんだ。いやだれも否定してないけど。すべておれの独り相撲だけど。
どうしたらあの子に好かれるか、そのための第一歩は、ひどく、遠い。
それとも、こんなおれが、おれの地なのだろうか。そうだとしたら、このままいくしかないと、ふんぎりがつくのだけど。
せめて、おれに前向きな諦めを。
機械のような人間、人間のような機械に相対したとき、人は好奇心か、嫌悪か、感動か、何らかの感情を引き起こすものらしい。走るようになったホンダのASIMOやトランペットを吹くトヨタロボットは子供たちの人気者だし、大人さえ惹きつけられずにいられない。また、道化師は人間未満の存在として軽蔑されていたが、派手な衣装や行動で人を楽しませるだけでなく、無礼な言動を自由に発することが許されていたと言う。
※人間未満の「何か」への嫌悪の感情は、ロボットに対する「不気味の谷現象」、道化に対しては「道化恐怖症」なるものが知られている。
初音ミクの奇妙な透明感のある歌に「感動」する人たちがいる。そしてまた、人工的な合成音声の歌を、激しく「嫌悪」する人もいる。音楽に対する感情はとても主観的なものだから一概には言えないけれど、アトムのようなロボットを実現する困難さに比べれば、聴覚だけが不気味の谷を越えたボーカロイドは、はるかに容易に実現できてしまうのかもしれない。
ところで、ロボット研究を突き詰めていくと、「人間とは何か?自分とは誰か?」という、自分自身をめぐる問いに直面せざるを得ないのだという。機械のような人間を、あるいは人間のような機械を、峻別し、嫌悪したり、称賛したりする僕たちはいったい誰なんだろう?
俺っていう人間が嫌いになって来た。
思い知らされた。俺は「人一倍に臆病な人間なんだ」と。
問題と向き合っているようで、実は目を逸らしてるだけ。
解く術を知っているのに解かない。答えを知るのが怖いから。知ってしまえば今の位置に居続けられないかもしれない。答えが自分に、自分達に与える影響。それが怖い。
それでも、一人では解けるはずの無い問題を解き続ける。「もしかしたら」に賭けて。この答えは「もしかしたら」いい影響を与えてくれるかもしれない。そうやって微かな希望にすがりつく。
でもきっと、答えが出ても後悔する。
俺は臆病だから。何一つ決められない。そんな俺が無理やりに決めたところで後悔することは目に見えてる。
AじゃなくてBにしていればよかった、と。どうしても、IFの世界を描いてしまう。
指針があれば迷うことはない。それに向かって進めばいいのだから楽なものだ。
だけど、指針を決めるのが俺なら。決められるはずがない。指針を決めるための指針なんてないのだから。そこら中から情報をかき集めてもそれは小さなものでしかなくて、全てをまとめてみると結局は±0。最終的に、俺の意見。そんなのはできない。だって、そんなものは持っていない。
答えが出るのが怖いから、曖昧な位置を保ち続ける。
けど、それが壊れたら。もう曖昧な位置ではいられない、答えを出すしかない状況になったのなら。
どうしようもなくなる。その場の雰囲気に流されるしかない。それが、俺を導く唯一の指針なのだから。
けどやっぱり、その選択も後悔してしまうのだろう。
俺自身にとっての優先順位っていうものが全くわからない。
俺は何がしたいのか、どうしたいのか。何が好きなのか、嫌いなのか。
今やっているギターだって、楽しんでやっているつもりではある。あくまでつもりでしかない。
本当はどう思っているかなんてわからないから。
俺には、俺というヒトが欠片も理解できない。
そんな俺が人並みの生活を送れるのは、他人の価値観を真似ているから。相手に任せているから。
どちらも簡単なこと。
だから苦手なのは、俺の同類。
自分の意見を持たず、あるいは持っているくせに表に出そうとしない、そういうヒト。
でもなぜだろう。
俺が好きになった人は、こういうタイプが多かった。俺のように酷くはないものの、自己主張というものをあまりしない人ばかりだった。
なぜだろう。
多分、というか絶対。こんなことを考える意味なんてあるはずがない。
だって、こんなにも長い間生きてきて得たものが「道化になる方法」たった一つのはずはない。きっと、何かを持っている。そう思いたい。
けど、今の俺にはそれが何なのかわからない。もしかしたら、「道化になる方法」以外何も得ていないのかもしれない。
わからない。
何もかもがわからない。
昔からの悪い癖。意味の無いことをずっと考えて考えて考えて考えて、結局答えはでないまま。
俺というヒトは本当は、本当に本当は、どうしたいんだろう。
ごめん、何が言いたいのかさっぱりだ。
ただただ自己嫌悪。
梅田氏は今日本社会の中にいないから、そういうネガティブな文脈から解放されてて、
そのフラットな目線であの文章を書いたんだと思う。
で、反発多くて”なんで?そんなこと言ってないじゃん?”と不思議がってる感じがする。
大体同感なんだけども、梅田先生のこのスットボケた感じは単にアメリカンなんだと思う。
日本云々以前に、ある種憎まれても当然の"オプティミズム"だし。
まー911とか。コレ出すのはちょっと卑怯だけども。
ちょっと前に本人が"オプティミストとお気楽は全然違う"と主張していたけれども、
端からみると案外その区別って無かったりするんだよねーとか個人的には思う。
喋るように書けるひとがうらやましい。言葉は迷走してときおり大跳躍する。そして切れ味鋭い。それを目を白黒させながら読みすすめていくと不意に笑みがこぼれ、最後には涙が滲む。それはときに詩のようで、気づけば言葉は奔放な節を伴ってわたしの頭の中で暴れまわっている。とても幻想的でいて生々しい。実感がある。生きている。痛みは確実に痛みで、歓喜は素晴らしいまでに歓喜だった。それがうらやましい。
わたしがそれを真似ると、いつもつっかえて舌を噛んでしまう。吃音がひどい。その原因はわかっていた。自分のなかにある感情をあからさまに吐露することに躊躇がある。書いているうちに混乱して悲しくなって、どうにもならなくなる。紙に墨を定着させようとしても文字にならず、まだらの染みにしかならない。それでも吐き出したいという欲求はあるのでやむを得ず他人事の振りをして書く。わたしは物語の主人公で、彼女はいつもひどい目に遭っている。しかし言葉は彼女を裏切って悲劇のヒロインにすることを拒む。徹底的に突き放し、分析し、それに基づいて客観的に彼女を評価する。だから彼女はいつも笑い者だった。あんなにかわいそうなのに。
数時間かけて書いた文章を寝る前にアップロードする。すっきりしたような、そうでないような不思議な感覚になる。あの物語の中の彼女がわたしのことをどう思っているのか少し気になった。道化にされたことを怒っているのだろうか。わたしにはそれはわからない。ただ、自分だったら激怒するに違いないと思う。悲しいんだ。辛いんだと叫びたいに違いないのだ。そんなことを思いながら眠りに落ちた。
「いつも楽しく読んでいます。本当に面白いです。続きも楽しみにしています」
翌朝、何気なくブログをチェックしたらこんなコメントがあって気が重くなる。読者にとっては面白いものらしい。続いてほしいものらしい。だが、わたしはこれで打ちきりになればいいと強く願った。もうたくさんだった。どんどん独りになっていく。
そして俺はもっと馬鹿だ!
http://anond.hatelabo.jp/20070227103138
>自分の頭が良いのか悪いのかがわかりません。
そりゃー、貴方が馬鹿だからですよ。頭が悪いから自分の頭の善し悪しがわからないんですよ。
そして自分の頭がいいと思っているアナタ。自分のことを「頭いい」なんて、馬鹿じゃないの?自画自賛?ご満悦?どうぞ道化を続けてください。
自分の頭が悪いと思っているあなた。やっぱり悪いですよきっと。自覚しているぐらいですもん。
さてさて、なにをとちくるった話題で盛り上がっているのかと思ったら、こういう事だったか…。
たとえばさ、「自分の足が遅いのか速いのかがわかりません。」って聞かれてもむずかしいよな。測定できる、物差しがある物理量でさえ、比較対象が曖昧では答えられんよ。
#お、ニセ科学批判ぽい(笑)
それが「頭いい」だ?
こんな議論に参加していること自体、頭悪いよ(笑)
俺も好きだよ。
でも、楽しく読んできたけど、そろそろ飽きてきたので、こんなエントリあげてみる。
「他人の考えていることがわかりません」と言ったら、心優しい増田民たちは「誰だって他人のことはわからないよ」と言ってくれました。
では次の質問です。
自分の頭が良いのか悪いのかがわかりません。
他人を見て頭悪いなぁと思うことはあります。
でも、自分が他人の頭の良さを理解できないくらいの馬鹿である可能性もありますよね。
他人を見て頭良いなぁと思うこともあります。
でも、こっちの過大評価である可能性もありますよね。
普段は愚鈍なあの人が、実は爪を隠した鷹である可能性。
偉そうに知識をひけらかしているあの人が、実は道化である可能性。
自分の立っている場所を、他人は既に2000年前に通過している可能性。
いろいろな可能性があって、どれが正しいかの確証はありません。
他人のことなんてわかりませんよ。
でも、「俺は頭がいい」とか「俺って馬鹿だから」って言う人たちがいるんです。
その人たちはどういう基準で頭の良し悪しを判断してるんでしょう。
教えてください。
http://anond.hatelabo.jp/20070221185657
知的障害者を知的障害者だから社会から隔離すべきなんて話を聞かされたら、それが本気か否かにかかわらず、そのひとを軽蔑する。しかし、自分のIQはたぶん高くないだろうから、そのひとを白眼視するのにそれを根拠にすることはできない。
「お前らの頭の中身も五十歩百歩だろうが」
だから、こういう風に思うことはできない。ただ感情的になってふざけたやつだと、こころのうちで罵倒することしかできない。まあ、それはいい。とにかく、この鍵括弧の中身には心底腹が立ったのだ。それだけじゃなく「十分賢い人を連れてこれば「健常者」も障害者同然」という意図も気に入らない。しょうもない差別をする人間と、とくに悪いことをしたわけでもない障害者を五十歩百歩だとは自分は思わない。もっと愚かだと思う。いや、同じ軸線上には存在していない。だから「より」でも「もっと」でもなくただ愚かだ。ひたすら愚かだ。そう思うことしかできない。自分は差別に荷担する気は一切ない、しかしそれは自分が「頭のよい人間からみれば障害者と区別がつかないくらいの馬鹿ではないから」ではない。この感覚が本当によくわからない。賢きものをいくらかつくりだして、それ以外は皆誤差みたいなものなんだから仲良くしなさいとでも言うつもりなんだろうか。賢きものは賢いから差別をしないんだろうか。嘘だろう。少なくともこのネタばらしのようなものを読んだかぎり、世界のすべてを見下すことができるだけの根拠を書き連ねているだけにしか見えない。障害者も平均的な人間とやらも馬鹿にしてはいないか。差別的に感じられるのはおれだけか。おれだけなのか。
「もちろん、こうした見解をひとたび口に出せば暴言としか受け止められない。」
これも気になった。これは誰にとっての暴言なんだろうか。平均的な人間にとってか、それとも障害者も含んでいるのか。自分には含んでいるように感じられた。しかし、それは妄想だろう。差別の悲劇的な状況を「告発」しているんだから、そんなことはありえるはずがない。ちょっと文章の構成がまずいだけだ。だけど、
「天に唾でしかないこんな暴論を支持する者は、自分自身が『頭の不自由な人』だ」
こんなことを言っているのだ。知的障害者は『頭の不自由な人』なのか。なに? これはあれなの知的障害の柔らかい表現の仕方なのか? これを侮蔑的に感じる自分はおかしいのか? 頭の不自由 知的障害でぐぐると2ちゃんねるの過去ログばかりがひっかかりやがる。それとも差別主義者を差別するのは構わないというのか。
そもそも何を告発したんだ。「頭のいい人から見ればお前らも話にならんほど知能が低いんだよ」という事実を認識させることが差別的な人間を批判することになるだなんて本気で思っているのか。馬鹿を馬鹿が差別するなと言いたいのか。馬鹿が馬鹿を差別しているといいたいのか。これで告発だなんて馬鹿にしている。何の構造が理解できるというのだ。それで何が変わるというのだ。ちっともわからない。高学歴の人間がこれほど噛み砕いて説明してくれてもわからないのだから、きっと自分は救い難い馬鹿なのだろう。自分が何に怒っているのかすらわかっていないのだ。なんて滑稽。道化にもなれない。
IQなんてどうでもいい、現状を描きたかっただけ、自分のIQが高いかどうかわかるはずがない、フィクションかもしれない。そんなことを言っておきながら、つまらない煽りにのせられて自分のIQは高いだとか旧帝の院卒などと属性を詳らかにして煽り返す。それなのに増田で書きやがるのだ。これは他人の成りすましか。そうなのかもな、これはフィクションかもしれない。そしておれの怒りも創作だ。ちくしょう。すべてがネタになる。泣きたくなる。ここには何もない、あるのはひとのようなものだ。あるいは生ける屍。