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2009-12-05

http://anond.hatelabo.jp/20091205093512

おし、話をまとめてみよう。

要は最初のエントリを書いた増田は、

1.人口増加率が多い血筋が、最終的には世界を制覇する。

2.人口増加率を上げるには、男尊女卑ベスト

3.故に、世界を制覇するには男尊女卑ベスト

という、論理を持っているわけだな。

ただ1が成立するためには、「人口増加率は文化ではなく、血筋によって決定する」

さらに1と2から3を導くには、「そもそも男尊女卑は、文化ではなく、血筋による本能的な行動である」

がないと駄目なんじゃなかろうか?

で、実際は、人口増加率は「社会システム文明文化」によって決定するし、男尊女卑文化だったりするわけだから、それ以外の部分2が論点として議論されてきたのではないかな、と。

でも自分としては1も3も成立しないし、2も成立しないと考えている。

そもそも発展途上国人口増加率が高いのは、中央集権社会もしくは部族社会から、資本主義へ移行する真っ最中だからだ。

前にも書いたように、資本主義化以前と以降では、社会が抱え込める人口のキャパが全然違うからそうなる。男尊女卑のみで人口ががんがん伸びるなら、18世紀までの世界の方が、今より人口が多くてしかるべきだけど、実際は逆だ。

概ねどこの発展途上国でも、最初はどこかの資本主義社会依存して人口を伸ばし、これが頭打ちになりかけたあたりで、自分自身が資本主義化しようとする。

例えばイスラム圏の石油産出国が出生率高くなるのは、それをバンバン買い取ってくれる資本主義の国々があるからで、これが停滞しかけた時点で自分自身で資本主義を運転できるように切り替えて行こうとするわけだ。(他にも植民地宗主国資本主義だったために、彼らに依存する経済を走らせているうちに変化していく場合も多い。特にアングロ・サクソンに支配されていた旧植民地によくあるパターン

そうなってくると、元々被差別者だった人たちの就学率をたたき上げるのに国が必死になるし(男女差別のみならず、インドでのカースト制度なども。どちらもしばらく国民からの反発は食らって一瞬で変わるわけにはいかないが、徐々に変化してきてはいる)、文化的にも一般的な資本主義社会の平等主義に近づいていく。

人口バリバリ伸びてるサウジにしたって、ある程度成長しきった地域は、石油依存から抜け出すべく、女児の就学率上昇が必須課題になったりしている。

この過程にしくじると、伸びた人口を維持できなくなって、内戦・紛争で人口を減らしだしたりするはめに陥るんだけど。(資本主義とのつきあい方を学べないまま、宗主国との関係が切れ、途端に内紛バリバリになったソマリアとか)

あと渡来人に関しては、そもそも彼らの方が大陸仕込みの生産力の高い文化を持っていたから、やってきた彼らの文化が強い影響力を持ったんじゃないかと思う。文字は法や歴史書技術書を書くのに重要な存在で、これの扱いの効率が良いと法治の効率が良くなって、生産力を上げるのに一役買うだろう。こういう生産力を伸ばしてくれる文化を持っている側が、移民するにしろされるにしろ強い影響力を持つ。どちらがどちらへ移るかはあまり関係ない。

それこそ、縄文人文明を、稲作できる弥生人文明が飲み込んだりとかもしたわけだし、日本技術者発展途上国ODAで向かったとして、文化的影響を受けるのは発展途上国の方だ。華僑は金を稼ぐという、それこそ資本主義社会においては根幹とも言うべきスキルを持っているわけだし。

えーっと、要はだ。

いくら元々男尊女卑をしてきた人たちが、資本主義社会バンバン流入してきて人口を増やしたとしても、資本主義社会の方が生産力が高いから、どんどん資本主義化してしまうし、そうなると男尊女卑も消えていってしまう。

だから血筋的には増えたとしても、そのころには生産力の低い文化である男尊女卑自体は消滅してしまっている、んじゃないかなぁと。

2009-11-10

数は力。

イタリア人の反中感情が爆発寸前で、中国人の身が危険。 「グレーゾーンでの商売やめろ」

ttp://aresoku.blog42.fc2.com/blog-entry-1449.html

102 名前ノイズo(dion軍)[] 投稿日:2009/11/07(土) 02:47:41.18zXgQhtdO

中国人移民に飲み込まれるヨーロッパ大陸

しかしながら、中国マフィアフランスで息絶えたわけではない。

その定着ぶりは今日ヨーロッパ規模のものとなっているのだ。

三合会とも呼ばれる彼らにとってこの旧大陸は、

あらゆる種類の不法行為を行うための絶好の場となっている。

麻薬取引、売春賭博や、不法移民組織管理などだ。

これらマフィアのなかには、広東系の14Kや、香港最大の非合法組織

であるSunTeeOnも含まれる。

国際的な広がりを持ったこの種のギャングたちの力は、

あらゆる大陸に及んでいる。

ロンドンからはじまり、アムステルダムマドリッドベルリン

そしてパリに至るまで、ヨーロッパ首都で彼らの影響力と

無縁のところは皆無なのだ。

現在ヨーロッパは、「孔子作戦」という名の

三合会撲滅計画を用意している。

だが、彼らの暗躍に対する戦いは簡単ではない。

分かりにくさこそ、裏社会の特徴のひとつであるからだ。



103 名前ノイズo(dion軍)[] 投稿日:2009/11/07(土) 02:49:30.83zXgQhtdO

中国人移民に飲み込まれるフランス

フランスではここ最近中国からの密入国が爆発的に増加している。

ロワシー空港の待機ゾーン現在、最も数が多いのが中国人なのだ。

2003年国境逮捕された12000人足らずのうち4000人、

すなわち約35%がこの中華帝国出身者で占められていた。

なぜ中国人なのか? 年率9パーセントの成長を遂げているとはいえ、

中国経済発展はまた、給与生活者にとって最低限必要なものを保障

していた古くからの仕組みを破壊した。その結果、市場経済への移行は、

赤字国営企業の閉鎖により仕事を失った社会階層からの移民

も産んでしまったのだ

フランス当局は、このような移民にとりわけ不安を抱いている。

中国人社会の一部がはびこらせた地下経済が、予算担当者を驚愕

させるほどの額に上る税金逃れの窓口となっているのだ。

最新の調査によると、毎日約50万ユーロが、不法な、あるいは

入り組んだ銀行ルートを経由して中国へ送られるという。

内相は、このような金額の背後に、30万にものぼるフランスにおける

中国人社会の存在があるとする。

ラジオフランスアンテルナシオナルHPより



104 名前ノイズo(dion軍)[] 投稿日:2009/11/07(土) 02:50:31.28zXgQhtdO

中国人移民に飲み込まれるスペイン

一攫千金夢見て欧州を転々 スペインで急増する中国人移民

 スペインでここ数年、大きくクローズアップされている問題のひとつ移民

なかでも中国人移民の急増だ。

中国人スペイン人の利害の対立が、

中国人業者の靴倉庫焼き払いに発展する事件も起きている。

また、中国人移民には不法入国者も少なくないため、

彼らの入国をあっせん裏シンジケートの暗躍に関する報道も目につく。

彼らは何を求めて、はるばるヨーロッパの西端にまでやってくるのだろうか



105 名前ノイズo(dion軍)[] 投稿日:2009/11/07(土) 02:52:47.91zXgQhtdO

中国人移民に飲み込まれるイタリア

中国人移民イタリアミラノで暴動

ヨーロッパ , 宗教文化 , 移民問題

最近ヨーロッパで暴動があったというニュースを聞くとイスラム移民による暴動が

すぐ頭に浮かぶのだが、今回イタリアミラノで起きた暴動事件はなんと中華街

中国人移民によるものである。(Hat tip Occidentalism)

ことの起こりは商品を違法自家用車で運搬していた中国人女性が摘発され罰金

課されたことがきっかけだという。

100人以上の中国人商店街商人たちが中華人民共和国の旗を翻して人種差別

批判して暴れはじめた。

その結果10人の警察官が負傷しほぼ同数の中国人もけがをした。

日が暮れるまで続いた暴動では車は倒されるわ、警察バトンを振り回すわ、罰金

課された女性逮捕されるわ、で大変だったようだ。

イタリアでは現在11万4千人の中国人がすんでいるといわれるが、違法移民の数

もかなりあるため実際にはその倍以上だとされている。ミラノだけでも中国人

人口過去10年で1万2千にふくれあがっているという。

ローマプラト、タスカニーといった大都市でも中国人労働者の数は

かなり増えているようだ。

特にローマミラノでは中国人経営ビジネスが町の一画を完全に仕切っており、

中国産繊維類の運搬で付近の道がかなり混雑していたことから

普段から地元警察中国人商人との間でかなりの摩擦が起きていたようだ。



107 名前ノイズo(dion軍)[] 投稿日:2009/11/07(土) 02:54:08.09zXgQhtdO

中国人移民に飲み込まれるアメリカ

NYのチャイナタウンは、ウォール街から貳ブロック北にひろがる

キャナルストリート」(運河街)にある。

もともとは広東からクーリー貿易で移住してきた中国人労働者が開いた、

暗くて、雑多で猥雑な街である。

 華字誌がならび、世界日報華僑新聞も、そして『中国之春』も中華麺、

食材、卵、人参などと並べて売られている。

街のやや中央部にある「北京ダッグ」の名物店は行列ができるほどの盛況で、

コッチ元NY市長も食べにきた(この店はアルコールライセンスがないので、

酒は持ち込まなければならないのだが。。)。

 猛毒食品の非難囂々だったとき、チャイナタウンで「CHINA FREE」

中国産品、扱っておりません)のステッカーが張られていた。これは一種、

ブラックユーモア世界だが、アメリカ企業家の心胆を寒からしめる動きが、まだある。

 チャイナタウンの急膨張とそのはてしなき増殖ぶりの凄まじさは、すでにおなじみ。

北隣りのリットルイタリアをとうの昔に呑み込み(八年前に行ったとき、

すでにイタリア街にイタリア料理店は二軒しかなく、ほぼ九割が

中華レストランだった)、ブロードウェイの対岸ソーホー地区さえ中国人が呑み込んだ。

 ▼イナゴの大群のような不法移民

 イナゴの大群のように押し寄せる不法移民。それを合法化してグリーンカード

取得させる「辣腕」の弁護士たちが、これまたワンサカとチャイナタウンに蝟集し、

商売繁盛

この街を歩くと、あの大声を挙げて何かを叫ぶという阿鼻叫喚風景は、

まさしく広東の市場の雑踏にいるか、と錯覚するほどで、

ときおりみかける英語ポスターで、「いや、たしか、ここはアメリカだ」

と我に返るくらいなのだ。



108 名前ノイズc(新潟県)[] 投稿日:2009/11/07(土) 02:55:12.17fvaTXe2p

日本報道してみろ、中華朝鮮のの犬糞マスゴミ



109 名前ノイズo(dion軍)[] 投稿日:2009/11/07(土) 02:55:45.81zXgQhtdO

中国人移民に飲み込まれるカナダ

カナダトロントに出現した“チャイナタウン異変”

   あっという間に50万人のチャイナタウン景観を激変させてしまった

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 トロントは美しい街である。

いや「だった」と書くべきかもしれない。

 ポルトガル人、イタリア人、そしてユダヤ人街は、それぞれが典型のタウンハウスで、前庭には小さな噴水や花園があった。

一角は綺麗な風景で、朝夕、老人達が花々の手入れをしていた。

 中国人が、ある日、この一角に現れ、つぎつぎとタウンハウスを購入し始めた。過去一、二年で、40万人から50万人の中国人が住み着くようになった。

 瞬く間の出来事だった。

 最大の変化はなにか。購入したタウンハウスの前庭を、いきないコンクリートで潰して、空間の有効利用を始めたため、どの家からのガーデンが消えたことだ。

 トロント伝統的な街の景観を変えてしまった、とカナダでは大騒ぎになっている(多維新聞網、10月31日付け)。



112 名前ノイズo(dion軍)[] 投稿日:2009/11/07(土) 02:57:57.16zXgQhtdO

世界で唯一、品行方正な、日本在住の中国移民

世界中で猛威を振るっている中国移民 それは、まるでイナゴの大群のように思える

そして、どこの国においても現地住民と深刻な対立を引き起こしている。

中には、欧州に対してイヤガラセをする為に、

いったん自国に中国人を引き入れ、その後大量に欧州

送り出しているユーゴのような国もある。

しかし、世界で一ヶ国だけ、現地に溶け込んでいる中国移民がいる。

それは、皮肉にも、世界一先進国日本である。

日本においてだけは、他国で起きているような深刻な対立が生じていないのだ

理由についてはいくつか考えられる

日本は他の国と違い不信の社会ではないから

日本には人種差別がないから

日本人は親切で穏やかだから、素行の悪さを恥かしく感じるようになるから

日本語性格を穏やかに変えるから

中国本土の序列では日本在住の中国人最上位に位置付けられているから(*

・・・・・・など

本当の原因は不明だが、中国人日本での共生ぶりは驚異的であり

中国人対策に頭を悩ませている他国の責任者の関心を集めている。



123 名前ノイズn(東京都)[] 投稿日:2009/11/07(土) 03:15:51.838KJXEzkJ

>>112

中国人は気まずくなると「日本語ワカラナイ」で逃げる

波風立てない主義の日本人にとって、それでそこまでなんだよな

他の在日外国人もそうだけど



120 名前ノイズe(中国四国)[] 投稿日:2009/11/07(土) 03:13:39.19gBlgG776

イタリアミラノ中国人暴動

フランコさんのイタリア通信。

これからのミラノ、これからの中国

ttp://www.1101.com/francorossi/2007-04-17.html

ttp://dogma.at.webry.info/200704/article_13.html



130 名前ノイズo(神奈川県)[] 投稿日:2009/11/07(土) 03:25:26.24aLkUJuCD

>>120

これはおもしろかった

2009-10-12

中国は大騒ぎ、報道がフィーバー

ノーベル物理学賞三人のなかの一人は英国中国人

中国は大騒ぎ、報道がフィーバー

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欧米メディア日本マスコミも、このニュース、きわめて静か。アメリカ人スミス博士とリチャード・カオ博士ほかひとりの併せて三人がCCD技術光ファイバーノーベル物理学賞の受賞となった。

俄然、大騒ぎを演じているのは中国メディアばかりか、海外華僑の華字紙、台湾香港マスコミも大々的報道をしているのも、受賞者のなかのカオ博士英国籍の中国人だからだ。本名は高昆。

博士は1933年上海生まれ、76歳。49年に香港へのがれ、1954年にロンドン大学電気工学部留学し、光ファイバー研究に没頭した。世界的に有名な物理学者として知れわたり、香港返還直前、中文大学に招かれて香港で教鞭を執った。その後、中国社会科学院の外国籍メンバーにも加えられた。

やはりフランス中国人の高健行がノーベル文学賞を貰ったときも大騒ぎをしたし、アメリカ籍だった台湾人の李遠哲がノーベル化学賞を貰ったときも大騒ぎをしたが、それぞれが共産党を批判したため、その後、中国大陸では彼らの礼賛は止んだ。

日本マスコミ諸兄! ロンドンのカオ博士に直撃インタビューに出かけて中国批判をやらせては如何?

(注 高昆の「昆」は金偏)

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  「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 

    平成21年(2009年)10月7日(水曜日

       通巻第2733号  

2009-09-11

日本若者はなぜ「国に対する誇り」を感じなくなったのか?→間違い

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090911-00000014-rcdc-cn

2009年9月8日、華字紙・日本華僑報は「日本若者はなぜ国に対する誇りを感じなくなってしまったのか?」と題した記事で、疲弊した日本経済若者の生活や意識に深刻な影響を与えていると論じた。

疲弊した経済は、逆に若者愛国に導きます。ネトウヨとかさ。

日本人の底辺に位置する彼らのよりどころは「日本人」であることであり、「日本国籍」を持っていること。

だから、所属する「日本」の価値を高めるために、「日本は凄い」「日本人は凄い」「外国ダメ」「外国人ダメ」という論調になるの。

まあ、90年代ネオナチみたいなもんだね。

●底辺が考える日本ヒエラルキー

頂点皇族
上位お金持ち
中位正社員
下位非正職員
底辺ニート自宅警備員学生

とすると、彼らの取った行動は、上層にあがることではなく、自分たちより下を脳内ネット上でつくることでした。(楽だしねw)

自分たちの所属する「日本人」をマンセーし、日本人以外は罵倒する。すると彼らの認識はこうなります。

●底辺が考える修正版日本ヒエラルキー

頂点皇族
上位お金持ち
中位正社員
下位非正職員
底辺ニート自宅警備員学生
その下外国人在日外国人

ほら、最下位脱出です。日本マンセーし、日本以外を罵倒しないとこの構図は崩れるので、彼らは一所懸命に、マンセー罵倒を繰り返すのです。

そんな彼らが「国に対する誇り」なんて失うわけないんですよ。華人認識が間違っているというのは、こういう現状があるからなんですよ。

おしまい

2009-08-31

オバマアフガニスタン戦争ケネディが始めたベトナム戦争に似てきた。

泥沼の戦場は賄賂収賄、買収、そして暴力がまかり通った大統領選挙

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▲「カブールにある中央政府が何をしてくれたって?」

アフガニスタンカンダハル以南は「タリバン自治区」とも言えるヘルマンド県、とくにカンネシン町は惨状である。ま、「タリバニスタン」って呼び替える方が良い。タリバンは表向き地区から消えたかたちだが、見えない政府として実質の空間を統治している。カブールからアフガニスタン政府の治安維持の兵隊は来ない。

警官が百三十人の配置と計画されたが五十人しかこなかった。ところがかれら「警官」は、何の訓練も受けておらず突っ立っているだけ、いや立っていることも出来ず、泥棒、ゆすり、たかりをやる。要は「カブールから通りをあるいている失業者を連れてきたんだよ、員数あわせで欧米から支援金をひきだすためにさ」(NYタイムズの住民へのインタビュー)。

住民は誰も中央政府派遣警官を信用せず、畢竟するにカブールにある「中央政府」なるものを信頼せず、広大な草原と谷と砂漠土地は米兵と英国兵がチェックポイントだけを巡回パトロールしているが、決定的に兵力が不足している。だから一番犠牲が多いのも広大な土地を少数でパトロールする米英軍で、作戦には限度があるからだ。タリバンゲリラ訓練を積んでおり奇襲が得意で米国海兵隊並みの強さ。しかもカンダハル以南は猛暑で日中は摂氏48度である。

カルザイの中央政府が何をした? ひとりの教員行政官も送ってこず、学校を建てず道路は造らず、つまりは何一つ住民のための政治をしないと住民は激怒しているのだ。これらの現実米国特派員らが現場から打電してきている。

ベトナム戦争の最後の日々にアフガニスタンは似てきた

カンダハル以北では学校道路橋梁もかかった地域もあるが、地元業者は「許可料」と「不襲撃確約」のためタリバンに膨大なみかじめ料を支払ったという。

民は罌粟を栽培し、金に換えるしかない。こうした「農作業」と運搬はタリバンが支援してくれる。住民の三分の二はタリバンを支持し、米海兵隊を頼もしいとするアフガニスタンの民はまれにしかいない。

この日、英国兵の犠牲が二百名を越えた。英国ではブラウン首相アフガニスタン政策を「よくやっている」と評価しているのはたったの1・5%、圧倒的多数は「すぐに撤退を」望んでいることが分かった(「サンディメール」が8月20-21日に実施)。ちなみに次の英国選挙は、こんどの日本民主党圧勝型になり、労働党大惨敗に至るだろう。

米国が期待したアフガニスタン大統領選挙は「ごまかしの集大成」であり、暴力と買収の結果である。パキスタンムシャラフを最初は支援し、やがて選挙不正があったとして引きずりおろしたのも米国ではなかったのか。

土壇場で十名近い候補者が降りたのは、より有力な候補者地盤をわたし、カネを受け取ったからだ。つまりカネをにぎるカルザイ大統領に。

買収は常識であり、本当の選挙をやれば、カルザイが第一回投票で過半を超えるとは考えられない情勢だった。

ホルブロック米国特別代表は、選挙後、二回、カルザイ大統領と会談し、泥沼の現状を批判した。アメリカ嫌悪するファヒム将軍北部同盟)やドスタム将軍ウズベク軍閥)を入閣させようとは何事か、と。しかしカルザイ大統領米国の内政への介入を拒否し、ついに米とカルザイ政権に鮮明な亀裂が入った。

ベトナム末期の南ベトナム政府の腐敗、腐臭と似ていないか

ベトナム戦争は腐敗した南ベトナム政権の腐敗に目をつむり、米国傀儡に支援をつづける一方で、南ベトナム政府軍を育成したが、みごとに失敗し、ベトナムの民は米も政府も信用せず、最後は昼の顔を夜には変えてベトコン税金を支払い、米と組んだ華僑を狙い撃ちし、最後はサイゴンにベトコンが侵入するや市民は歓迎してむかえた。

こうしてベトナムでの米国の「自由を守る」政策は壮大な徒労に終わったが、同じ未来図がアフガニスタンに見える。

2009-07-15

イスラム諸国を「敵」にしてしまった中国

アルカィーダはマグレブ諸国で『報復』(中国人殺害)を予告

世界イスラム諸国が立ち上がった。シーア派イランでさえ中国に対して、やわらかに「調査団」の新彊ウィグル自治区への派遣を主張し始める。

 

人口の多いインドネシアトルコでは連日、数万の抗議、とくにイスランブールは十万人の集会が開かれ、これまで中国の顔色を窺ってきたトルコ政府もカディール女史の訪問にヴィザを発給した。

中国の揚外相トルコ外相電話会談して、「あれは外部勢力と結んだ過激派の行動であり、イスラム教徒への差別ではない」と釈明した。

トルコのエルドガン首相が「あれはジェノサイトでは?」とした発言をトーンダウンさせた。

ところが収まらないのはトルコ議会である。

トルコは世俗イスラムとはいえ、ちょっと裏町へ入ればイスラム原理主義過激派がうようよいる。政局がかわればイスラムの爆発がある。過激派テロ事件もかなりの頻度でおこることはエジプトに似ている。

 

「コーサル・トプタン国会議長はアンカラ駐在中国大使を呼んで『この目で何がおきたかを確かめたいのでトルコ議員団の視察団を受け入れてほしい』と伝えた。中国側は本省に問い合わせると回答を避けた」(トルコの英字紙、ディリーニュース、7月14日)。

湾岸諸国も調査団の派遣を検討し、米国議会の一部にも同様の動きがある。

旧ソ連アゼルバイジャンにも反中ムードが拡がり、中国大使館へ押しかけたデモ隊から逮捕者もでた。

西側で最も抗議運動が盛んなのはドイツで、ウィグル組織があるうえ、数万の移民がウィグルコミュニティを形成しているからだ。

また「サウスチャイナモーニングポスト」は「アルカィーダが北アフリカ諸国で働く中国人を殺害すると予告した」ことを伝えている(同紙14日)。同紙は北京寄りのメディアで、マレーシア華僑の郭鶴年が経営のため、北京への警告ともとれる。

しかし現実問題として、中国人技術者ならびに労働者は、マグレブ諸国にも溢れており、同時にイスラム過激派アルカィーダの支部が散らばるがアルジェリアが最大の拠点。

中国アフリカ援助は建設現場石油採掘サイトでも、現地人を殆ど雇用せず、プロジェクトが決まると中国人労働者を大量に連れてくるので、新植民地主義、侵略者=中国というイメージアフリカ諸国では強まっている。

中国イスラム諸国を敵にした。

2009-06-27

王毅(前駐日大使)が訪米し、ECFA問題で在米華僑の説得へ

華僑半信半疑だが、共産党の対台湾工作は確実に進んでいる

王毅が静かに復活していた。

日大使を離任し、しばし北京で逼塞が伝えられたが、さすがにメンタルタフネス中国人ごますり人生の典型男。狡猾に復活しつつある。

王毅現在ポストは国務院台湾弁事処主任、つまり台湾問題の政策決定機関のボスという重要ポジションにいる。

大使在任中も台湾問題で逐一、日本外務省に容喙した「実績」を誇るだけに、マスコミ工作に長けており、じわりと周囲から攻めて周りを囲む戦術が得意のようだ。

まずくなるとすぐ逃げるのも彼の戦術のひとつ、赴任中におきた、反日暴動のときには外務省の呼び出しに、公使を替わりに釈明に向かわせ、本人は和歌山の二階某代議士後援会で講演。

日中関係、ときに波の荒いときもある」と平然と嘯いた。

6月18日にサンフランシスコ入りした王毅中国領事館で開催された晩餐会に出席、この場には在サンフランの華僑が多く出席した。

王毅は「求同存異」「衆同化異」などの新語を駆使して、要するに台湾華僑北京華僑との「大同団結」を求めた。

王毅は席上、重要事項を三つ並べた。

第一に両岸関係関係深化のため両岸のビジネス合作を推進する。

第二に文化、教育の交流を図り、お互いが「中華民族」であるという共通の認識を深める。

このため七月には湖南省長沙で「両岸経済貿易文化論壇」を開催する。

第三に「台湾民衆との基礎的交流のために、さらに多くの台湾同胞の参加を希望する」と述べた。

各地で工作のあと、王毅は21日にワシントンへ入り、国務省アジア担当者連続的に会見し、また華僑代表との会合を開いた。

現地時間の6月23日には在ワシントン中国大使館で朝食会を開き、ここにワシントンシンクタンク中国関係研究者の多くを招待している(『連合報』、6月20日付け)

台湾ビジネスマンらは蛇の前のカエルのごとく、中国の遣り方にむしろ老獪に便乗して、ともかく商圏を無理にでも拡げる努力をしてきたが、台湾国内の産業空洞化が深刻であり、「これでは台湾経済そのものが駄目になる」という危機意識も同時に生まれている。

また台湾世論調査では「65%が『私は台湾人である』と答え、『台湾人だが同時に中国人』と答えるのは18%、「わたしは断固として『中国人』です」(12%)という人たちとの認識の段差が激しい。

中華民族中華文化同一化なるスローガンの実現は難しいだろう。

2009-06-09

マレーシア首相北京で語る。「もうドル決済はやめよう」

暴言かリップサービスか・・・マレーシア華僑に配慮か?

マレーシア首相のナジブ・アブドラ・ラザク北京で言い放った。

中国マレーシアは二国間貿易での決済を人民元マレーシア通貨で行うことを熟慮している」。

ザクマレーシア財務相も兼ねる。

ドルは減価する一方であり、赤字を埋め合わせるために米国財務省は輪転機を回しているだけだ。世界通貨としてのドルを代替するためにも、ドルリンクした通貨体制にいつまでの身を置くより率先して中国マレーシアの二国間貿易には、お互いに当該通貨で決済すればいい」。

この発言は6月3日、ラザク首相温家宝首相と会談後に行われた。

 

二日前に、ガイトナー財務長官北京を訪問して「ドルは安全、米国債権は投資対象として安全だ」と講演したところ、会場から失笑漏れたばかり。

 

天安門追悼二十年に世界各地で「なつかしい顔見せ興業」。

6月4日は様々な出来事が世界各地で起きた。

香港では「天安門事件犠牲者を追悼する」集会が開催され、15万人が集まった。

米国ワシントンでは、在米華僑留学生が集会を開き、王丹にくわえて、柴玲が会場に現れた。

二十年前の彼女は「天安門ジャンヌダルク」と言われ、学生運動ヒロインだった。香港から外国亡命し、米国に定住した。同棲相手がヘッジファンド経営していた。

柴玲は、二十年後にはふくよかに太り、中年のオバサン、久しぶりに民主化運動へ現れたのも、日和見主義との批判を畏れたのか、「ビジネスが忙しかった。違う分野でも民主化運動に協力できる」と言って彼女会社からのカンパだと100万ドル寄付金を持ってきた。

 

学生運動の象徴だったウアルカイシ(吾爾開希)は、過去数年来定住していた台湾から、マカオへ現れ、中国への入国を拒否された。一晩、パフォーマンスを示した後、台湾へ送還された。

天安門事件は風化したのか?

2009-04-16

http://anond.hatelabo.jp/20090416155116

こんにちはhttp://anond.hatelabo.jp/20090415055817民族学校通ってた在日です。

 

そうなんですよね、韓国の方から見ると在日っていわゆる中国本国から見た華僑、でなきゃ日本から見た日系ブラジル人みたいなものらしくって、うちの母の店でバイトしてた韓国留学生達と話して最初はかなりショック受けた記憶あります。えー!私達民族の誇りを…とか学校で言ってるのにそっちから見たらそうなの?!って。なんか(民族派の?)在日片想いなんだなあって。

言葉話せてもアリラン(済州島アリランとか密陽アリランとか何種類もある)歌えてもそこは一緒だし十把一絡げっぽかったです。

韓国語お上手ですねー(にこやかに)」って何だよ!私は日本ビイキの微笑ましい外人さんみたいな扱いかよ!とか心の中で脱力しつつツッコミ入れた記憶があります。

向こうから見たら日本人だし日本から見たら韓国/朝鮮人だし宙ぶらりんな状態だから、振り子の振れ方にも色々あって今の増田みたいなある意味百花繚乱状態になるのかなーとか思いました。私自身他の在日の方の話を読ませてもらって目から鱗がぼろんぼろん落ちました。聞かせてくれてありがとうございます。増田達それぞれで枝分かれしてく先の一つ一つがすごく説得力あって、大元の増田にとても感謝してます。

 

私は結構国籍にこだわりがあって、というか朝鮮籍に、かな。そこらへんは父母の影響で。

朝鮮籍=北朝鮮ともあまり思ってないし(そういうふうに見られることも多いってことは理解してる)。それでも韓国籍に変えることは考えてるんだけど。

でも今は宙ぶらりんに留っとこうかなと思ってます。どっちでもねーならそれはそれでもう「在日」っていう一つの民族でいんじゃね?とアホなこと考えたりするし。オールドカマーの血筋ってもうそう言ってもいいんじゃないかっていう気になることもある。もちろんそんな簡単な話じゃないんだけど、あれこれ考えて面倒くさくなるとそんな考えが浮かぶ。すぐ考え直すけど。

 

自分自身についてもいつまでも(いろんな意味で)ガキなヤツがいるみたいにいつまでも宙ぶらりんのヤツがいてもいいじゃんというすごくいい加減なところに着地しつつある。

朝鮮学校の中で親類縁者がなく更にオタクという非主流だったせいでコミュニティからも浮いてたし、何より自分非モテ非コミュ家族を持つ気がないからだろうけれどw 守るものができちゃったらそうも言ってられなくなるのかもしれないけど、その時はその時だと思うことにしてる。

うまくまとまらなくて申し訳ないけれど、韓国/朝鮮語話せたり民謡歌えたところであんまり変わらないですよー、ってちょっと伝えたかったので書きました。なんかピント外れてたらすんません。

2009-02-09

猛烈な勢いで中国から資金が逃亡している、とNYタイムズ報道

  2400億ドルが中国を脱出、香港では5キャラ、6キャラ宝石がブーム

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 華北の小麦地帯を襲っている冷害、大雪。作物に悪影響がでている。

 同様に不気味な現象は中国からの大規模な資金逃亡。NYタイムズが「08年第四四半期、広義に中国ら流失した資金は2400億ドルであり、投資家が将来の中国の安定に不安を抱いたのが主因」と報じた(『多維新聞網』、2月6日付けより重引)。 

 歴史的に見ても金持ち海外逃避、とくに資産海外移転させるのは中国伝統であり、とくに驚くには値しない。

 蒋介石独裁時代に孔家などが経営した銀行から、当時の外貨で300億ドルが米国へ逃げ出していた。だから蒋介石の発行した通貨はまるで信任を得られなかった。

過去十年間は中国経済のブームに便乗して、不動産株式そして人民元投機資金がうなりを上げて投入されてきた。これは賄賂など不正収入香港経由でバミューダタックスヘブンに送り、中国へ『環流』させる巧妙な手口が廣く用いられ、さらにブームに乗り遅れまいとする在米華僑亜細亜華僑からのカネが勢いをつけて中国に流入した。これらを「熱銭」と言った。

 その流れが明瞭に逆転したのだ。

 上海企業米国企業社債を購入するかたちで米国へ資金を流し出している。

 香港金持ちではなく、大陸から人民元を大量に抱え込んだ『買い物客』が香港の宝飾店を訪れ「一番高いやつ」「一番大きな宝石」「高そうな色石」を狙う。5キャラット宝石、6伽ラットイヤリングなど、飛ぶように売れると香港最大の宝石店チェーン「景福宝飾店」。

 合法的にドル換金ができないカネはそうやって換物投機される。

 人民日報(2月6日付け)によれば、馬建堂・国家統計局長は「中国統計データは正確であり、そもそも10万人もの職員が日夜、正確なデータを収拾し分析し、修正作業をしている。(07年GDP統計が11・9%から二年後に13%に上方修正されたが)速報値がずれるのは国際的に共通であり、わが統計は信頼に値する」と述べたそうな。

 しかし中国銀行の想定でも、1200億ドルから1500億ドルが中国から海外へ流失した可能性がある、と報告しており、ストーンマッカーシー研究所によれば200億ドルから1400億ドルの流失。

 確かに第四四半期、中国外貨準備高の増加率は74%の急減で、04年以来最低の水準を記録している。

2009-02-06

中国の次の爆発点は5月4日6月4日

 旧正月が明けた。田舎から都会へ戻って、やっぱり予想通りだった。会社はつぶれていたのだ。

 とりわけ沿岸部の輸出基地

 もう一つの悲惨な現場建設現場サブコントラクター(下請け、孫請け企業)に働く労働者の夥しい群れ。

 不払い賃金を要求しようにも経営者はいない。典型的ケースでは、偽装倒産して、違う会社名に代わっていて「前の半分の給料なら雇ってやる」。

 ▲次の爆発点は5月4日6月4日

 英誌『エコノミスト』(09年1月31日号)の数字でも新卒大学生の65万人(全体で550万)に就労チャンスがなく、「中国共産党は、今年は5月4日が五四運動90周年、6月4日は天安門事件20周年と『厳戒態勢』を強いて臨むが社会不安はおさまるまい」。

 温家宝首相大学へ出かけていって学生に言った。

「君たちは心配だろうが、私はもっと心配しているのだ」

 河北省石家庄は毒入り餃子悪名をとどろかせたが、毛皮、皮革製品ならびに花火生産でも有名。

 北京からクルマで四時間の距離。

 石家庄の中小企業の多くは旧正月より貳ヶ月も早く従業員に休暇を取らせ、付近の農村に返した。

 輸出の落ち込みで大不況を感得してきた従業の多くは旧正月が明けても戻っていない。

 同様に、中国全土で都会に出稼ぎにでる農民の数は、およそ二億人と見積もられ、この内の少なく見積もっても10%は職がない。

 たしかにSARS騒ぎのときも地方からの出稼ぎは故郷へ強制的に帰されたし、北京五輪のおりも同様な措置が執られたが、いずれも数週間の措置だった。

 ▲特筆すべきは、国有企業退職者ならびに中間層の反乱である。

 天安門事件以後、学生の反乱を取り締まり、法輪功など新興宗教ならびに民主諸派の同行を気にしてきた中国公安も、今度ばかりは勝手が違う。

 第一は国有企業リストラ組には年金住宅が保障されてきたため、取り立てて強い党への不満はなかった。それが国有企業が被買収の脅威に晒され、これまでの優遇措置がハズされそうな懸念の広がり。

 第二に外国企業、とりわけ華僑資本メーカーに働いてきたホワイトカラーという「中間層」は、その収入増によって余裕資金を株式投資不動産投資にまわした。

不動産株式も07年第三四半期から突然崩れ去り、雇用も喪われると、そこはことなく支持してきた共産党への不振が拡大する。

 第三に散発的だったブルーカラーの反乱が本格化し、頻発し、大規模になり、この列に学生が加わると治安の維持が難しいばかりか、あまつさえ退職警官退役軍人が、社会擾乱に加われば手がつけられなくなるだろう。

 あくまでも中国共産党の関心事は独裁体制の維持、党の恒久的支配が目標であり、それ以外の関心度は薄い。

 米国中国観察で有力なシンクタンク「ジェイムズタウン財団」が発行する『チャイナブリーフ』(09年2月4日号)によれば、失業の実態は下記の通り。

 

企業タイプ別        レイオフ

~~~~~~      ~~~~~~~~~

輸出機軸企業       6・5%-9%

中小企業         5% -10%

建設企業         5・5%-11%

=======================

合計          17-30%

 この結果、中国の公式発表である『失業』は2000万人だが、実態は3000万人だろうと、前傾報告のピーターベテリエは言う。筆者はかねて推測してきたようにGDP13%(07年)から4・8%(09年第一四半期推定)で4100万の失業があると踏んでいる(根拠はGDP1%減ると、中国では500万人が失業する)。

 大変な事態がすでに中国を襲っている。

2008-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20081208191320

そうなのか?

マレーシアなんかじゃうまく溶け込んでるって聞いたが

だいたい東南アジア移民って華僑だけじゃないしな

http://anond.hatelabo.jp/20081208190640

東南アジアのほとんどの国では華僑で揉めている

チベットは言うに及ばずね。

http://anond.hatelabo.jp/20081208190234

タイってそうなのか?

政権取ったのが華僑系のタイ人で、

それに反対して、空港にいたのが現地系のタイ人って聞いたけど。

http://anond.hatelabo.jp/20081208185744

日本全体は大げさにしても

華僑に乗っ取られたも同然な国は実在するし

民族紛争の種になっている

チャイナタウン治外法権になって犯罪の温床になっている地域世界中にある

2008-11-03

日本は侵略国家であったのか」を読む 補足

http://anond.hatelabo.jp/20081101232814

 こんにちは元増田です。

 どれだけ厳しい批判が寄せられているだろうかと恐る恐るみてみたら、好意的な反響が多く、胸をなでおろしています。

 増田に書く理由としては、ひとつめ、専門外のことに長く関わるつもりがないこと、ふたつめ、連休の出先で手元に一冊の参考書籍もなく、HDDネット上のソースだけを参考に書いたエントリなど、歴史を専攻したものとして、しかも専門外のものとして、とても胸を張って提示できるものではないこと、みっつめ、それゆえ、ホームに書いたら全て書き換えるほどの修正をせずにはいられないだろうが、その気力も時間もないこと、よっつめ、しかし、あれを「論文」とすることには憤りを覚えたので、せめて学問を知る人にはトンデモトンデモであると伝えてみたかったこと、いつつめ、増田であれば上記の点をそれほど気にやまずに済むこと、このくらいでしょうか。したがって、私のエントリはいわゆる「ちらしのうら」です(文献表記がみにくいのもわざとです。すみません)。私はさくっと書き逃げする卑怯者です。内容がいかがわしいのも推敲が甘いのも全て私の責任です。でも、もろもろの言い訳によって逃げられるものではないですよね。ああ。

 さて、前回のエントリでは、後半にさしかかったときにから睡魔に襲われ、最後は「藁人形叩き」ばかりになってしまいました。ようやく投稿できたと思ったら、字数超過で記事を分割せねばならず、つづきでは田母神氏の論文タイトルを間違えてしまいました。謹んで失礼をお詫びします。いろいろとミスがあろうと手をいれるつもりはなかったのですが、批判する論文タイトルの間違いはいくらなんでもひどいので、訂正します(ついでに「シンガポール華僑粛清事件裁判記録」後編のミスも直します)。これも後出しですが、原文が縦書きの漢数字は、横書きなので適宜英数字にしています。

 では、気をとりなおして「藁人形叩き」ばかりをしていたところに補足してみたいと思います。最後に与太話の蛇足ですが雑感を述べてしめます。

 しかし人類歴史の中で支配、被支配の関係戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。

(前回と同じく、はてな記法による引用の出所は、田母神俊雄日本は侵略国家であったのか」2008年http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

 第2次世界大戦開戦の時点であっても、カナダオーストラリア南アフリカなどが自治領化・独立した例がありますね。フィリピンでも独立を前提とした自治領政府が成立していましたね。

 また、どちらかといえば植民地統治体制の比較の話ですが、自治・独立とまではいかないまでも、現地の住民を支配機構採用していく次のような例もありました。

1920年代より英国ビルマに赴任するICS〔引用者注インド高等文官の略称〕に英国人のみならずビルマ人も採用すべく方針を変え、その結果1939年末の段階で、ビルマにおける全高等文官のうちビルマ人は32.8%を占めるに至った」(根本敬「英領期のビルマ人高等文官(ICS/BSC)とタキン党」『東南アジア学会会報』63、1995年、17ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004924657

それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。

 1940年代において、宗主国が疲弊し、植民地独立運動が高揚したのは確かなことでしょう。ただし、歴史学の領分は、「もしも」を考えるというより、その過程をつまびらかにして、それぞれの要因や重要性を検討することにあります。

 まず、開戦の詔書には「東亜ノ安定」「世界平和」「万邦共栄」「東亜安定」「東亜永遠平和確立」という表現はありますが、肝心の戦争目的を述べている部分は、あくまで「今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切の障礙ヲ砕碎スルノ外ナキナリ」(「御署名原本・昭和十六年・詔書一二月八日・米国英国ニ対スル宣戦ノ件」1941年12月8日アジア歴史資料センターレファレンスコードA03022539800。引用部分の漢字は適宜新字体を用いました。センターホームページの検索バーに左記のレファレンスコードを打ち込めば該当資料のページへ飛べますhttp://www.jacar.go.jp/)ということであり、「アジア民族解放」、「植民地解放」、や「独立」といった文言は一切ないことを指摘しておきます。文面上はまさに自存自衛の戦いをうたっており、解放約束は明文上ではなされていません(ちなみに、みればわかりますが「八紘一宇」もないです)。では、実際、アジア諸国にどう接し、現地住民はどう対応したのか、前回は文献名をあげただけのものから少し引用しておきます。

ビルマ1943年8月1日主権を有する独立国家となったが,真の独立を求めるビルマ人にとってそれは,’’偽の独立’’,’’メッキの独立’’にすぎなかった。ビルマ人は,独立が’’空虚’’であることを知っていた。この当時の日本人に対するビルマ人の態度は,「愛していなくても我慢して接吻する」ようなものであった」(大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、360ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf原文の注の番号は引用者が削除しました。以下の引用文でも同じ)。

日本の『朝日新聞』は、この作戦について、「皇軍航空部隊の空襲は一見、印度民衆の苦難を一層増大せしめるかに見えるが、爆弾の雨の中に、皇軍印度独立運動に対する無限の慈愛と支援が含蓄されている」と書いていた。まことに「含蓄」の深い論評だったと言うべきであろう」(中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要東京大学)』151、2007年、190ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf)。

「本稿では不十分ながら、日本大東亜共栄圏アジア主義プロパガンダが、そして、その大枠の中で動いたチャンドラ・ボース等の活動が、インド社会との接点を持てずに、空回りしていたことを明らかにしえたのではないかと思う」(前掲中里論文、195ページ。ボースたちについては、197ページの注6、200ページの注22、202ページの注26、208ページの注80も参照)。

 インドネシアフィリピンベトナム抗日闘争について、詳しくは論文本文を読んでいただきたいのですが、結論としては、

「要するに、東南アジア諸国の反植民地民族独立運動は、太平洋戦争日本の侵略によって生じた情勢やその他条件を、主体的、積極的に活用して日本に対応し、戦前に比して飛躍的な成長を遂げた。そして、このことは、戦後における東南アジア諸国の民族独立運動の高揚や民族独立の達成の決定的要因となった。この意味において、太平洋戦争日本の侵略は、東南アジア諸国の民族独立運動史における一大転換点であったということができよう」(谷川榮彦「太平洋戦争東南アジア民族独立運動」『法政研究九州大学)』53(3)、1987年、395ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870原文にあった傍点は除いた)。

 以上でつっこみの補足は終わりです。現下の情勢については特に言及しません。

 さて、今回のエントリ執筆目的としては、可能な限り速やかに「論文」が論文になっていないことを示すことでした。大事なのは「内容」とおっしゃるのは結構ですが、学問的に批判可能な形式(もちろん既存の研究にとらわれない革新的な独自形式でも、読者に史料を提示できればかまいません)をとらないものは、「無敵な人」の独自な「歴史観」の告白にすぎないでしょう。それに価値を認めるのは個人の自由ですが、学問教育の場に持ちこむのはお門違いです。そのような姿勢では、いつまでたっても歴史学における扱いはトンデモのままですよ。もちろん、大学研究所にいる専門家でなければ歴史の話をしてはいけないということではないです。「昭和史論争」を引き起こしたのは歴史研究者ではありませんでした。しかし、自己見解教科書にのるような通説となさりたいのであれば、専門家と同じ舞台に立ち、その批判に応答しなければならないでしょう。「つくる会」はその舞台に立つ気はないと宣言した結果どうなっているでしょうか。今なら学術雑誌に投稿しなくても、インターネット上でいくらでも長文の論文発表できますよね。

 一般に、歴史研究者は、四年生大学で専門的なトレーニングを受け、さらに修士課程二年間、博士課程三年間以上を費やして史料を読み込み論文を紡ぎだしています。それでも、個々の論文の結論で言えることはささやかなことです。また、研究会学会書評などの形でお互いに切磋琢磨しています。それぞれが広範な史料に目を通しているからこそ、個々の研究がその時代の歴史像のどこに位置づけられ、どの部分がその時代の特徴をよくとらえられているかを議論できるのです。自分の個別研究歴史研究の大きな流れのどこに位置づけられるのかをとらえるため、歴史を学ぶ標準的な手順としては、まずは先達がエッセンスを詰め込んだ教科書、概説書を読み、そこから主要な研究文献やレビュー論文目録等を漁って研究史をたどり、そこで用いられている史料を読み、先人の研究の妥当性を検討したり自己の問題関心を追求していくのです。木簡のように新しい史料が見つかったり、機密文書が公開されたりして史料が増えれば、それがどのように従来の見解に修正を迫り、新たな知見を付け加えるのか議論します。そのような積み重ねのなか、通史は更新され、教科書記述も変わっていきますが、このことをもって歴史は定まりないものだから最新の研究成果も独自研究も変わりないということは的外れでしょう。それはかえって科学としての歴史学が機能している証拠にほかなりません。

 さて、歴史学者全体がイデオロギー的に偏向している、現行の教科書自虐史観マルクス主義史観に基づいているという「つくる会」の主張もありますね(それでいて『国民歴史』のように、専門家研究から剽窃したりするの会員もいるのは厚顔無恥ですね。参照、尾藤正英『日本文化歴史岩波新書2000年あとがき)しかし、戦後長く標準的な高校教科書として採用されてきた山川出版社の『詳説世界史』の執筆者には林健太郎(故人への敬称は略します)が含まれていました。日本史にしても伊藤隆氏が編者であった『近代II』を含む、『日本歴史大系』山川出版社、1984-90年、が、受験前に初めて読む通史だった私などには、学会の主流がマルクス主義史観など妄言にしか聞こえません。岩波だから駄目などという意見も見ることがありますが、最新の『岩波講座世界歴史岩波書店、1997-2000年、では、古代中世近世近代という時代区分はもはや採用されていません。そもそも研究の場では、評価は自分の目で確かめてから下すもので、事前に確定できるものではないのです。

 私が前回あげた書評にこういう記述があります。

「いずれも〔引用者注:本文でふれられている臼井勝美氏、酒井哲哉氏の研究のこと〕,侵略の時間連続性〔引用者注満洲事変から日中戦争へ〕を,陸軍の遠心性,すなわち現地機関の好戦性や暴走に帰さない画期的研究であった」(加藤陽子書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、67ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。

日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する」なんて本質論は、学界ではなされていませんよ。人事面でも、システム設計運用面でも、上部の問題は大きかったですよね。私みたいなものにも自衛隊に信頼できる友人はいますので、余計に上が軍の失敗を反省するそぶりもみせないのは問題と感じるわけです。

 最後に、余計なお節介でしょうが、歴史学入門、史学史についていくつか参考文献をあげておきます。ご興味のある向きは手にとられてみてはいかがでしょうか。

小田中直樹歴史学ってなんだ?』PHP新書2004年。(CiNiiの定額許諾を契約している大学関係者は、下敷きとなった論文DLできるかもしれません。私は今DLできる状況にないので保障はしません)

小田中直樹言語論的転回歴史学」『史学雑誌109(9)、2000年

http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0002622266

歴史科学協議会編『卒業論文を書く―テーマ設定と史料の扱い方』山川出版社1997年

永原慶二『20世紀日本の歴史学』吉川弘文館2003年

 今まで述べてきたような研究の積み重ねに対し、自説の根拠もまともに示さずに自分の意見を広めたいと主張する行為がどういうものか、一度お考えになっていただけたら幸いです。

 また見苦しい長文になってしまいました。最後まで読んでくださった方に感謝します。

(追記)さすがに人名の誤記は看過できないのでミスを修正しました。

(再追記)引用文の出典が抜けていたのも直しました。すみません。

(再々追記)直ちに答えられるトラバをいただいたので応答します。ホロコースト研究の進展について次の文献を参照してください。

健介ホロコーストニュルンベルク裁判」『史論(東京女子大学)』55、2002年http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008575897

2008-11-01

日本は侵略国家であったのか」を読む つづき

前回↓が途中で切れたため、その段落から改めてつづきを貼ります。

http://anond.hatelabo.jp/20081101232814

 さて日本中国大陸朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争突入し3 百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局(NSA)のホームページに載っている。膨大な文書であるが、月刊正論平成18年5月号に青山学院大学福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。ヴェノナファイルとは、コミンテルンアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。アメリカ1940年から1948年までの8年間これをモニターしていた。当時ソ連は1回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。そこでアメリカは、日米戦争最中である1943 年から解読作業を開始した。そしてなんと37年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980年に至って解読作業を終えたというから驚きである。しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了し1995年に機密が解除され一般に公開されることになった。これによれば1933年に生まれたアメリカフランクリン・ルーズベルト政権の中には3百人のコミンテルンスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2の財務次官ハリーホワイトであった。ハリーホワイト日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。当時ルーズベルト共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリーホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100機からなるフライイングタイガース派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻撃に先立つ1ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカ日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。

 「ホームページに載っている」と、また典拠をあいまいになさっていますね。アクセス日時を明記して、該当のURLを示すことも論文ルールとして確立しています。典拠となる論文の題名も該当ページも省略されていますが明記するのが普通です。先行研究の要約と著者の意見の区別がつかないのも問題です。先行研究の要約にオリジナリティはありません。先行研究について論じたいのであれば別でしょうが、先行研究を手がかりに、何かを主張したいのであれば、引用でも注でも根拠となる史料(この場合は「機密資料」)の該当部分を明記するのが論文ルールです。ちなみに孫引きは基本的にしてはいけません。原典にあたらずに引用元の編集が正確であるとは言えないからです。つまり、読む側からすると、根拠が示されていないがために、その主張を認めることはできません(学問ルールにおいては、主張する側に立証責任があります)。

 ルーズベルト戦争をしないという公約大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1撃を引かせる必要があった。日本ルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。日本アメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2,第3の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。結果として現在に生きる私たちは白人国家植民地である日本で生活していた可能性が大である。文明の利器である自動車洗濯機パソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類歴史の中で支配、被支配の関係戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。

 繰り返しますが、根拠のない推測は論文の中では無価値です。さて、戦った結果、無条件降伏して占領(=支配)されました。その後、戦争をせずとも、サンフランシスコ講和条約を結んで独立できましたし、奄美諸島小笠原諸島沖縄も返還されました。

 さて大東亜戦争の後、多くのアジアアフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。

 しつこく繰り返しますが、風が吹けば桶屋が儲かる式の主張に説得力はありません。「国家間の問題も話し合いによって解決」とのことですが、イラク戦争グルジア戦争は話し合いではありません。「百年、2百年」の根拠も示されていません。「人種平等」を推進した国際連合を結成したのは、勝った「強者」の国々でした。

 一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。戦争などしなくても今日平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。しかし人類歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。日米安保条約に基づきアメリカ日本首都圏にも立派な基地を保有している。これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返

ってこない。ロシアとの関係でも北方四島は60年以上不法に占拠されたままである。竹島韓国の実行支配が続いている。

 また、「・・・・・・という人」、さらに「・・・・・・と思っているのであろう」ですが、藁人形を叩いても論文に説得力は生まれません。論文で心情の吐露をしても説得力は増しません。私の立場を表明しておきますが、人の生を無益だとする考え方には賛同しないことと、批判的検討を行うことは両立すると考えています。

 東京裁判はあの戦争責任を全て日本押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロール戦後63年を経てもなお日本人を惑わせている。日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本アメリカ化が加速する。日本経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法アメリカシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。日本国民は20年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係改善の必要があると思っている。

繰り返しますが、論文における藁人形叩きに意味はありません。

 自分の国を自分で守る体制を整えることは、我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き届かない。今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。そして日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。日本軍軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。

 国を主語にしたのですから、そのように表明している公式見解くらい示してください。個々の語りについても、他者が参照できる形で提示されないものは論拠になりません。最後まで「侵略」の定義がなされないままでしたね。

戦時中アジア諸国と日本との関わりについては以下の諸論文を参照。

吉川利治「タイ国ブーン政権太平洋戦争」『東南アジア研究』19(4)、1982年、363-387ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/56071/1/KJ00000133800.pdf

大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、347-377ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf

中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要東京大学)』151、2007年、149-217ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf

黒田展之・小林裕一郎「シンガポール華僑粛清事件裁判記録(1)」『法と政治関西学院大学)』49(2/3)、1998年、327-337ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0001061933

同「シンガポール華僑粛清事件裁判記録(2・完)」『法と政治関西学院大学)』49(4)、1998年、575-614ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0000592111

谷川榮彦「太平洋戦争東南アジア民族独立運動」『法政研究九州大学)』53(3)、1987年、361-398ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870

 日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在先進国の中でも暴行殺人が起こるのと同じことである。私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。

事実を丹念に」見せるのが実証的研究です。この「論文」はそうではありません。

「嘘やねつ造は全く必要がない」心の底から同意します。

以上、お目汚し失礼しました。もっと勉強しなければ……

(追記)日本新聞記事へのリンクを貼り忘れていたので追加します。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081031-00000123-jij-soci

http://www.asahi.com/politics/update/1031/TKY200810310298.html

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008110102000087.html

(再追記)論文の題名に誤りがあったので訂正しました。田母神様、申し訳ありませんでした。

2008-09-17

成功する民族の共通点

ユダヤ人華僑ばかり、なぜ華々しく成功しているんだろうって、ずっと考えていた。

最近インドの中のシーク教徒に成功者が多い、という話を知って、

彼らとユダヤ人華僑との共通点について調べてみた。

すると

一生懸命働くことを尊重する。

お金節約する。

・同じ民族信徒)同士は必ず助けあう。

好奇心旺盛で、新しい業種に果敢にチャレンジする。

という点が共通であることに気づいた。

日本でも、朝鮮系の人々が芸能界ビジネス界で大勢成功している。

彼らも同じ行動原理を持っている。

人間性なんて、関係ない。上記4点さえ守れていればいい。

成功するって、意外に単純な原則に基づいているのかも。

2008-04-26

在外中国人学生の無防備さへの違和感

最近中国叩きをみていると、一世代前の日本叩きを思い出すわけですよ。1960年代生まれとしては。

日本叩きのピークあたりで二十代だったので、いろいろ反発・反論している中国人学生の気持ちの流れはわからないわけではないんです。

ただ、一つの違和感は、あの無邪気なまでの世界への信頼感でしょうかね。

日本叩きのときには、在外日本人には我が身の安全に対する不安があったように思います。もちろん、日本メディア経由なので、真実はどこらへんにあるのかはわからないんですけどね。日本叩きが飛び火して被害をうけるんじゃないか、スケープゴートにされるんじゃないか。なるべく身を低くして嵐が過ぎるのを待とう……。

第二次世界大戦の時の事を覚えている世代も現役だった時代なので、歴史的経験の違いでしょうかね。

でも、華人華僑もいろいろ苦労してきたはずなんですがね。

相手に恐怖や不安を持たせることは、自分自身の安全にとっては大きな脅威になる。

それから、どんなにこちらの事情を説明しても理解してもらえるとは限らない。ついでに、こちらの事情を理解してくれた相手でも味方になるとも限らない。

第二次世界大戦前から少し前の日本叩きにいたる歴史によって、ようやく日本人が会得した外交感覚でしょう。

ひるがえって現在中国人学生のあの無邪気さ。ある意味ではうらやましくもある、その自信。

いったい、どこの誰の何を信じて、ああも無防備でいられるのか。

真実が自分たちを支持すると疑わず、他人の国で不用意に集団の力を誇示すること(オーストラリアで一万人以上を集めたのはさすがにやりすぎではないのか?単純に喜んでいていいのか?)に無自覚でいられる、あの感覚はなんなんだろう?

2008-02-08

http://anond.hatelabo.jp/20080208072314

つーかさ、華僑はもちろんのこと、韓国人フィリピン人、インド人…etc移民って本国とのつながり必ずあるけど、

在米日系人って日本のと関わり薄そうじゃね?

日系ブラジル人なんてむしろブラジル人が日本に出稼ぎにきてる形だよな。

2007-12-28

テスト

東京特許許可許可華僑

やっぱ数分じゃグーグルに反映されないか

2007-11-20

日本食認定問題追記

これの追記

http://anond.hatelabo.jp/20070118082138

ドイツのとあるSohoってレストランラーメンといってうどんを出すし、すしといってアボガドとパサパサのウナギののったご飯を出すし、(キリンビールサーモンのにぎり寿司だけはまともだった)、ローカル料理店で華僑とかの経営かなぁと思っていたら、かなり大きなチェーンみたいじゃないですか。もっともドイツリンク先のUKとは経営別だろうし、チェーンといっても店ごとに色々だろうけど、宣伝文句はSoho Japan - Japanese Restaurantとは、Arrenged Japanese dishも出す Asian Restaurantではあるけど、日本を売り文句にするほどのメニューや味ではないかと・・・

http://www.sohojapan.co.uk/

2007-11-18

http://anond.hatelabo.jp/20071117170030

中国血縁社会だから、血縁のいない国を出て、血縁のいる日本に戻ろうとする。

日本は血のつながりより関係性や文化を大事にするから、環境にしばられる。

日本で暮らす在日も。)

もし、貴方が実はフランスの血がはいってるってわかっても、フランスに行って暮らそうと思わないでしょ?

貴方の血のつながった人はフランスにいるんだよ。」って言われても言葉わかんないし、文化も慣れないし。

慣れ親しんだ日本で暮らしたいと思うわな。

関係ないけど、、、中国残留孤児が悲惨なのは、血を重視する中国で安住の地をみつけられずに国を出たのに、関係性や共通の文化を重視する日本に来るともっと安住できないから。いくら血が日本人であっても、カタコトの日本語と、中国人っぽい動作をみれば「中国人」だと思うし。本人がどんなに「日本人」だという認識でいたとしても。

日本で、カタコトの日本語の爺婆が「貴方と血がつながっています」っていきなり家に来たらものすごく迷惑だよな。

中国では、カタコトの中国語華僑本国に行って一族と暮らすってのはそう珍しくないんだけどな。

2007-11-12

トン!>入国管理局

http://anond.hatelabo.jp/20071112135119

http://anond.hatelabo.jp/20071112135119

なるほど。。勉強になりますたありがとう

えげつない選択を迫ったんだなあ。。

ということは、日本政府の立場から見ると、台湾華僑の人たちは無国籍だけど、

台湾本国(国といっていいかどうかはおいといて)からは認められているから、

そっちでパスポートが発行されているってことなのかな。。そう理解した。

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