最近の中国叩きをみていると、一世代前の日本叩きを思い出すわけですよ。1960年代生まれとしては。
日本叩きのピークあたりで二十代だったので、いろいろ反発・反論している中国人学生の気持ちの流れはわからないわけではないんです。
ただ、一つの違和感は、あの無邪気なまでの世界への信頼感でしょうかね。
日本叩きのときには、在外日本人には我が身の安全に対する不安があったように思います。もちろん、日本のメディア経由なので、真実はどこらへんにあるのかはわからないんですけどね。日本叩きが飛び火して被害をうけるんじゃないか、スケープゴートにされるんじゃないか。なるべく身を低くして嵐が過ぎるのを待とう……。
第二次世界大戦の時の事を覚えている世代も現役だった時代なので、歴史的経験の違いでしょうかね。
相手に恐怖や不安を持たせることは、自分自身の安全にとっては大きな脅威になる。
それから、どんなにこちらの事情を説明しても理解してもらえるとは限らない。ついでに、こちらの事情を理解してくれた相手でも味方になるとも限らない。
第二次世界大戦前から少し前の日本叩きにいたる歴史によって、ようやく日本人が会得した外交感覚でしょう。
ひるがえって現在の中国人学生のあの無邪気さ。ある意味ではうらやましくもある、その自信。
いったい、どこの誰の何を信じて、ああも無防備でいられるのか。
真実が自分たちを支持すると疑わず、他人の国で不用意に集団の力を誇示すること(オーストラリアで一万人以上を集めたのはさすがにやりすぎではないのか?単純に喜んでいていいのか?)に無自覚でいられる、あの感覚はなんなんだろう?
中国人の抗議活動とか見て世界を信頼してるというほうが違和感ある。 世界を信頼してないからこそ力をアピールしたがるんじゃないの?