はてなキーワード: 新築とは
「何人いる? もうはじめる?」
「森口、まだ来てないじゃん」
「なんだあいつ、男のくせにピアノなんてならってんの?」
少ないときでも十人は面子が集まる。
今にして思えば、習い事でぽつりぽつりと面子が抜けていく直前だったから、小学校の低学年、しかも3年生ぐらいの年頃だったような気がする。
おれの住んでいた団地は新築で共働き世帯ばかりがどっと入った団地だったから、小学校のクラスでも団地の子供が占める割合が多く、揃いも揃って鍵っ子ばかり。それでランドセル姿のままでしょっちゅう一緒になって、あれこれ新しい遊びを始めるのが常だった。
そのとき流行っていた「どろけい」は、泥棒チームと警察チームの2チームに分かれて、泥棒はひたすらに逃げ、警察はひたすらに泥棒をつかまえるというシンプルなゲーム。泥棒はつかまれば開けたところにある刑務所に入れられ、仲間の泥棒にタッチして貰えれば見事脱獄ということになる。そうなってはたまったものではないので、警察チームは刑務所を陣地にして、あれこれと泥棒をつかまえる作戦を練る。
おれたち小学生にとっては、五号棟まであった団地は格好の遊び場で、当然ながら「どろけい」も団地を舞台に繰り広げられる。団地は、最上階が8階、左右に二棟のエレベーターホールがあり、両端はどちらも非常階段になっている。高島平のような左右に長い団地を想像すると分かりやすく、そこを小学生のおれたちは駆け抜けた。
よく迷惑だと苦情が来なかったものだと思うのだが、共働き世帯ばかりだったこと、そして、今よりも寛容な時代だったのだと、振り返って思う。
この「どろけい」という遊びは、逃げるにも追いかけるにも工夫とチームプレイが必要な遊びだ。
舞台となっていた団地には袋小路のようなものがなかったので、泥棒をつかまえるために警察チームは、複数人での挟み撃ちをする以外にない。泥棒が潜むことができるのは二棟のエレベータホールのみで、非常階段も廊下も警察の陣地から丸見えなので、捕物帖が始まれば、警察の陣地から指示が飛ぶようになる。
「錦原が、五階の西! 誰か西の非常階段を抑えろ!」
「非常階段、誰かいる! 降りてる!」
三人四人で泥棒の逃げ道を封鎖していくのだ。
「なあ、野々村どこにいると思う? エレベータの9階(作業室があった)みたよな?」
「みたみた。そういえばこの前は非常階段の裏に隠れてたな」
けっこう丸見えな割にはちょこっとずつ死角になるところがあり、そういった所に泥棒は好んで潜む。それを警察は必死になって探すのだ。
泥棒の方でも無策ではなく、エレベータホールなどでばったり出くわすと、情報交換になる。
「小田捕まった?」
「たぶん、みてないけど、走る音が聞こえないから」
「じゃあ、あと3人か。泉川はどこだろ?」
「あいつ、隠れてるの好きだからさ」
「じゃあ、こうしよう。おれは三階で仕掛けるから、木村は二階な。泉川は東の方にいる気がするから、おれは西の非常階段から脱獄かける。お前は東のエレベータホールな。泉川も気付いて、いっせいに脱獄かけれるかも」
「ちょ、ちょっと休ませてよ」
「たく、だらしねえな、60秒な」
そして、作戦開始。
それはたぶん子供の頃の大切な思い出だった。
「どろけい」は毎日のように号棟を換えて遊ばれる。
おれの住んでいた団地は、おそらく建設された時期が違っていたからだと思うが、それぞれの号棟に微妙な差異があった。たとえばエレベータホールが一棟しかなかったり、廊下の柵に隠れやすい板がついていたり、階が6階までしかなかったり、屋上と称する場所があったりする。
そうすると、号棟が変わる毎に作戦やセオリーが代わり、泥棒も警察も新しい手を考えなければならなくなるのだ。
なので、一号棟前にランドセル姿で集まって、今日の面子をながめながら、みんなでわいわいと相談する。
「なあ、今日どうする?」
「少ないから五号棟じゃん?」(五号棟は一番ちいさい号棟だった)
「五号棟好きじゃないんだよな」(エレベータホールが一棟しかないとつまらない)
「じゃあ、こうしよう3号棟で6階まで、これならどう?」
「作業室なしかぁ。あ、お前ずるとかするなよ」
「しないって。分かった。したら3回警察でいい」(警察は不人気だった)
「あ、あのさ、三号棟にするなら、刑務所近くしない?」(エレベータホールにの意)
「どの辺にするの?」
「え? 近すぎない?」
「いいよ! いいよ! ピロティーからなら警察見えないじゃん。そっちの方が絶対面白いよ!」
他のみんなはどうだったのかは分からないのだが、おれは分かってしまった。
こうやって、どうすれば「どろけい」が面白くなるかという事を相談しているときが一番楽しいって。「どろけい」をしているときももちろん楽しいのだけど、それよりもルールを決めながら、どんなルールにすれば、遊び方が広がるかを考えることは、小学生のおれにとっては、とてつもなく楽しいことだったのだ。
そうやって、少しずつ楽しさの源泉となるルールが積み上がっていき、「どろけい」はますます洗練されたゲームになっていく。おれたちは気付かないうちにゲームデザインをしていて、それは小学生のませた心に、楽しいってどういうことかって事を植え付けてしまった。
おれは「どろけい」をしている間にも、こんなルールにすれば「どろけい」はもっと面白くなるのに、ということをしきりに考えるようになった。それで、もっとみんなが面白くなれば、それはとても嬉しいし、楽しくなる。
この「どろけい」遊びがやがて終息していったのは、人数が増えすぎたというのが原因だった。
この面白い遊びが徐々に広まり、仲間が増えてくると、少人数の精鋭でやっていた頃とは格好が違ってくる。日曜日などには女子まで入って数十人で「どろけい」を行ってしまう。
そうなると、一号棟だけでは足りなくなって、一号棟から三号棟まで、といったように無秩序に規模が拡大していく。それはそれで楽しかったではあるが、やはり散漫で緊張感のない遊びになってしまった感は否めない。
さらに、休日に数十人の小学生たちが団地中を駆け巡り、大きな声で泥棒を追い詰めたりするとなると、さすがに周囲も迷惑を感じ始める。それで、どこだったか何号棟かで禁止令が出て、それから徐々に終息していたような気がする。折良く習い事で仲間もどんどんと抜けるようになり、外で大規模に遊ぶという事はこれが最後になってしまったと思う。
ただ、あの楽しさを味わってしまうと、今この歳になっても胸がうずく。
ああ「どろけい」がやりたい。
楽しかったって。
そして、あの初期にルールを作り上げていったときが一番楽しかったと。
おれは趣味でゲームを作っていると、しばしば言われて、誤解されて困ることがある。
おれは、そのたびに思う。
おれは、物語が作りたいんじゃない!
おれは、ゲームが作りたいんだ!
「どろけい」みたいにルールを考えるのが、好きなんだよ。
って。
ttp://nihon9999.blog77.fc2.com/blog-entry-4813.html
23 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 18:16:59 ID:7BPYzmR2
新聞78紙が同一広告を掲載 「日本を元気にする」キャンペーン
日本新聞協会加盟の新聞78紙が日本の経済や社会の活力を高める「日本を元気にする」キャンペーンの一環として、住宅・新築分野の新制度を伝える広告を29日発行の紙面で全国一斉に掲載した。
今回は住宅エコポイントの申請開始、贈与税の非課税枠の拡大などを知らせる内容。
新聞協会は「日本を元気にする」キャンペーンとして国民生活に意義のあるテーマを取り上げた広告を加盟新聞社が一斉に取り上げる特別企画を進めている。
今回はその第一弾で、広告を掲載した新聞の発行部数は合計約4850万部にのぼる。
ttp://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C93819695E0E4E2E6978DE0EAE2E1E0E2E3E2E2E2E2E2E2E2
やっと500億が渡ったようですね
27 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 18:20:34 ID:uAtz19mU
»23
文屋は死ねばいいのに
これほど素直に思ったことはありません____
32 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 18:25:27 ID:fTebzdiy
»23
いっせいにやるなんて全体主義かよw
87 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 19:32:47 ID:Lv7aC5f6
»23
定額給付金の時に、「みんなで消費しよう!」と
この規模でキャンペーンをやっていたら
いまごろ、とっくに景気回復してただろうなあ。
88 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 19:33:55 ID:9uzfRR9N
»87
91 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 19:36:26 ID:tpmPMAdy
»87
もう産業として「不安を売ること」に特化しすぎていて今更改革など出来ないのかも___
112 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 20:10:40 ID:/9TBOy67
»87
ほとんど貯金に回って消費なんかに回らねえよw
でしたね。
160 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 20:44:16 ID:opHyFxI4
»87
日本より後に法案が出来たのに、
Yahoo!ブログ検索で地域情報を検索してたりするのだが、このワードサラダバカが鬱陶しくて仕方がない。こういう手合いに宣伝を依頼してるのはどういう神経なんだろうか?
こいつらは一見ノーマルなブログの体裁ながらコピペしたようなワードサラダエントリーを織り交ぜている。
少し検索しただけで以下のものが見つかった。
http://henteko.blog13.fc2.com/
http://kimagure2007.blog108.fc2.com/
http://hun0501.blog58.fc2.com/
http://konnrokoganemochi.blog100.fc2.com/
http://okodukaidehappy.blog88.fc2.com/
http://decencia.blog63.fc2.com/
http://cucucci.blog33.fc2.com/
http://mk2mkkh.blog91.fc2.com/
http://yfhatiyomunobo.blog68.fc2.com/
http://sionn15.blog106.fc2.com/
http://necocotry.blog43.fc2.com/
http://sugarplanet.blog56.fc2.com/
http://forevergirls2009.seesaa.net/
http://ninjapressblog.seesaa.net/
http://tororin-yunika7.seesaa.net/
http://doragonzissen.seesaa.net/
http://ameblo.jp/happy-familylife/
http://turezure.blogmin.jp/1456711.html
http://nodiggity.cocolog-nifty.com/blog/
http://do-akiey.at.webry.info/
http://blog.livedoor.jp/maedatmj/
http://blog.livedoor.jp/c_o.b_c/
どんな業者なのか、はたまたマルチなのかは知らんがこんなことに荷担するヤツらはみんな超嫌われてしまえ。くそったれ
ちなみにこのワードサラダを使って宣伝しているWebは以下の通り。リンクすることである程度アクセスされてしまうのが不本意だが、晒す意味でリンクしておく。
^全身脱毛ができる脱毛エステサロン【ルイーズ銀座】東京銀座駅徒歩3分
なぜ今の30代は「助けて」と言えないのだろうか
ttp://d.hatena.ne.jp/Imamura/20091111/help
今の30代が生まれたのは、1970年から1979年です。親は高度経済成長を支えた世代であり、がんばるほど明日が豊かになるという実感を持って生きてきました。ローンを組んで家を建て、将来の昇給をあてにできた世代です。
一方その子供たち、今30代を迎えている人々は、1990年ごろのバブル崩壊を10代で迎えています。このタイミングはなかなか絶妙でした。不景気になり始めたころ高校や大学に通い、いよいよ社会に出ようという90年代後半には不景気が本格化していました。
「就職氷河期」は1994年の流行語大賞で、この年に就職活動をしている大学生は(浪人してなければ)1971年生まれ、いま38歳です。
親は高度経済成長世代、先輩はバブル世代で、不景気な社会でのロールモデルにはなりません。今の30代は、すっかり不景気になった社会へ出てきた最初の世代になりました。景気がよい時代に社会に足場を築いておくことができず、といって社会へ出る前から不景気を前提にした準備もできなかった世代です。
そしてそのまま、年を取るのに合わせ、その場その場で生き方を探っていくことになりました。
自分が生まれた年の、親の年齢を計算してみるとびっくりします。30代で家を建てて子供(つまり自分)もいるのがふつうですが、今の30代ならば成功した人でないと家を建てるなど無理でしょう。
でも当時の子供の多くは漠然と、努力次第で自分も大きくなったら父親のようにサラリーマンとして会社勤めをし、終身雇用に支えられながら、30代になったら郊外の新築に住むことができると考えていたのではないかと思います。少なくとも自分はそうでした。
このような、将来像と現実とのギャップが最も大きい世代が、今の30代なのだろうという考えに至りました。
だからこそ、あるべき姿になれていないことを自分の責任と感じてしまう傾向が強く、安易に「助けて」と言うことに抵抗が強いのではないかと考えています。
住居に何を求めるかによってマンションと戸建てどっちが住みやすいかって変わらない?老朽化したマンションは修繕のこととか大変だけど、老朽化してないマンションなら楽は楽だよ。掃除も楽だし、部屋から部屋への移動も楽だし、冬でも寒くないし、庭の手入れもしなくて済むし、旅行に行くときも鍵一つで大丈夫だし。
最初は駅近マンション買って必要に応じて買い換えればいいんじゃないかな。買ったマンションを老後賃貸に出すとかもありだけど、もうそこに戻らないなら売っちゃえば?
あと老後に郊外の戸建てに一人暮らしって結構大変だと思う。家の手入れとか庭の手入れとか全然苦にならないタイプで、しかもずっと体も頭も健康ならいいけど、老後普通に衰えることを考えると(しかも面倒を見てくれる子どもも作らないっぽいから)老後のために買うのは新築マンションの狭い部屋とかでいいような気がする。60ちょっと前くらいで新築マンション買えばマンションが老朽化する前に死ねるだろうし。
戸建てにしろマンションにしろ
修繕費はどっちもかかる物。
修繕費を高くすると、買い手がつきにくいので初期の修繕費が低くなりすぎていて、足りなくなると言うのはよく聞くケース。
ふたを開けたら修繕費と思っていた物が実は管理費で手数料だったみたいな事も。
結局、1年目からちゃんと修繕費を積み立てる仕組みが必要。無理と判断したら売って、次のところへ。
中古で買うなら管理組合がしっかりしたところ、新築で買うなら、自分でちゃんと管理組合活動に積極的に参加する。
じゃない。親がマンションだったので。
最初のうちはね。
築年数が経てば経つほど、初期に購入した入居者がが転売して中古で購入した人が入居してくるけど、そうすると前より安い価格でそのマンションに入ってくるわけだからどんどん入居者の階層(収入などの面で)が下がっていき、管理費を払わない入居者が出始めて管理組合がどんどん機能しなくなっていったりするよ。
マンションでも入居者が能動的にマンション管理に関与していかないと、いつの間にか管理組合が食い物にされて機能しなくなったり大変なことになる。
あと、管理費って年数経つとどんどん上がっていくし。大規模マンションで機械式駐車場があるとそのメンテナンス代が半端なくなるし、小規模マンションだとそもそもの入居者ごとの管理費自体が半端ない高さだよ。
これらをどう転換するか
後の平成オイルショックである。成功すれば世界でも有数の環境大国になることは間違いない。失敗すれば目も当てられないことになるのは必至。
【政策目的】
○課税の根拠を失った暫定税率を廃止して、税制に対する国民の信頼を回復する。
○2.5兆円の減税を実施し、国民生活を守る。特に、移動を車に依存することの多い地方の国民負担を軽減する。
【具体策】
○ガソリン税、軽油引取税、自動車重量税、自動車取得税の暫定税率は廃止して、2.5兆円の減税を実施する。
○将来的には、ガソリン税、軽油引取税は「地球温暖化対策税(仮称)」として一本化、自動車重量税は自動車税と一本化、自動車取得税は消費税との二重課税回避の観点から廃止する。
【所要額】
2.5兆円程度
42.地球温暖化対策を強力に推進する
【政策目的】
○国際社会と協調して地球温暖化に歯止めをかけ、次世代に良好な環境を引き継ぐ。
○CO2等排出量について、2020年までに25%減(1990年比)、2050年までに60%超減(同前)を目標とする。
【具体策】
○「ポスト京都」の温暖化ガス抑制の国際的枠組みに米国・中国・インドなど主要排出国の参加を促し、主導的な環境外交を展開する。
○キャップ&トレード方式による実効ある国内排出量取引市場を創設する。
○地球温暖化対策税の導入を検討する。その際、地方財政に配慮しつつ、特定の産業に過度の負担とならないように留意した制度設計を行う。
○家電製品等の供給・販売に際して、CO2排出に関する情報を通知するなど「CO2の見える化」を推進する。
【政策目的】
○国民生活に根ざした温暖化対策を推進することにより、国民の温暖化に対する意識を高める。
○エネルギー分野での新たな技術開発・産業育成をすすめ、安定した雇用を創出する。
【具体策】
○全量買い取り方式の再生可能エネルギーに対する固定価格買取制度を早期に導入するとともに、効率的な電力網(スマートグリッド)の技術開発・普及を促進する。
○住宅用などの太陽光パネル、環境対応車、省エネ家電などの購入を助成する。
【政策目的】
○住宅政策を転換して、多様化する国民の価値観にあった住宅の普及を促進する。
【具体策】
○リフォームを最重点に位置づけ、バリアフリー改修、耐震補強改修、太陽光パネルや断熱材設置などの省エネルギー改修工事を支援する。
○建築基準法などの関係法令の抜本的見直し、住宅建設に係る資格・許認可の整理・簡素化等、必要な予算を地方自治体に一括交付する。
○正しく鑑定できる人(ホームインスペクター)の育成、施工現場記録の取引時の添付を推進する。
○多様な賃貸住宅を整備するため、家賃補助や所得控除などの支援制度を創設する。
○定期借家制度の普及を推進する。ノンリコース(不遡及)型ローンの普及を促進する。土地の価値のみでなされているリバースモーゲージ(住宅担保貸付)を利用しやすくする。
○木材住宅産業を「地域資源活用型産業」の柱とし、推進する。伝統工法を継承する技術者、健全な地場の建設・建築産業を育成する。
【政策目的】
○1次エネルギーの総供給量に占める再生可能エネルギーの割合を、2020年までに10%程度の水準まで引き上げる。
○環境技術の研究開発・実用化を進めることで、わが国の国際競争力を維持・向上させる。
【具体策】
○世界をリードする燃料電池、超伝導、バイオマスなどの環境技術の研究開発・実用化を進める。
○新エネルギー・省エネルギー技術を活用し、イノベーション等による新産業を育成する。
○国立大学法人など公的研究開発法人制度の改善、研究者奨励金制度の創設などにより、大学や研究機関の教育力・研究力を世界トップレベルまで引き上げる。
【政策目的】
○国民生活の安定、経済の安定成長のため、エネルギー安定供給体制を確立する。
【具体策】
○エネルギーの安定確保、新エネルギーの開発・普及、省エネルギー推進等に一元的に取り組む。
揮発油税を財源とする道路予算は、本来の道路を作る為では、もはや余ってしまう状態になっていった。道路族が道路を作っていたのは、高度成長期の初めの内だけであり、田中角栄が逮捕されて政治の世界から姿を消して以後の道路族は、道路を作りかけのままで放置させておく事で票を集めるようになっていた。道路を完成させてしまうと票が逃げるし、道路を作ろうとしても、道路用地の強制立ち退きは出来ず、市街化調整区域として線を引き、その線にかかる家屋は新築できないという規制をかけていたが、リフォームという裏技が出てきて、実質的には建て替えなのに、リフォーム扱いにされてしまうと、いつまでたっても家がなくならない。放火は罪が重く、火付けで無理やり地上げするという胆の据わった地上げ屋は、さすがにいない。
結果的に、道路予算をもてあました国土交通省は、その予算で、職員用宿舎を建設したり、職員旅行の費用を賄ったり、レクリエーション用の道具や遊び疲れた時の為のマッサージチェアを買い、それでも使い切れないという事で、道路建設を正当化する内容のミュージカルを公演してみたり、新都市交通システムという名目でモノレールを建設したり、開かずの踏切を無くす為に鉄道会社にお金を渡していたり、タクシー・バスレーンの新設ということで、駅前の一等地を地上げして買い取り、立ち退かせた店舗等を収容する再開発事業にお金をつけるという事を行っている。
つまり、揮発油税の無駄遣いが発生しているのに、高速道路の赤字は増えるばかりとなっていたのである。
使い切れないほど余っているのであれば、値下げするべきというのが、揮発油税の暫定税率分の徴収を一ヶ月間だけストップさせた(2008.4.1~2008.4.30)、野党としての民主党であった。徴収の根拠となる租税特別措置法案は、結局、道路族の圧力によって、衆議院の3分の2を持っていた自民党福田内閣によって4月30日に採決され、暫定税率分の徴収は翌5月1日より再開された。
福田内閣は、道路族の圧力に抗しえず、8月2日に辞任に追い込まれ、道路族の傀儡である麻生内閣へと代わったのであった。
一ヶ月間だけの価格の変動という結果になったが、それでも、批判が集まったことから、道路財源の無駄遣いは減り、道路を作る為に使わなければならないがその道路を作れる場所が無いくらいに、道路は作りすぎているという事で、道路財源の使い道を、ETC利用者に限定した高速道路の値下げに使うようになっている。
しかし、道路財源の辻褄は、高速道路値下げ補填程度では間に合わないであろう。一般財源化がされていることから、一般財源に投入して使ってしまう事も出来なくは無い。ばら撒きの財源を必要としている民主党が、道理を通せるかどうかという試金石となるであろう。道路予算は道路の為に使うべきであり、ETCを使った限定割引のような無駄な事を続けるべきではないし、僻地の道路から順番になどという姑息な事も、やるべきではない。割引が適用される日に交通が集中するから渋滞になるのであって、課金自体が消滅すれば、曜日による集中はレジャーシーズンだけとなるし、高速道路と一般道路との区別が消失することから、それぞれの区間ごとに、空いている道を選んで利用するようになるだけである。ETCによる割引では、高速道路に乗り降りするごとに課金される為に、高速道路に乗ったら目的地まで降りずに走る事になり、渋滞が発生しやすくなっているのである。カーナビで迂回路を探せても、渋滞情報で空いている事がわかっていても、料金制度によって、渋滞しているとわかっている所に突っ込んでいかなければならないのである。
高速道路が道路財源で運用される国道化されてしまうと、大口の広告主であった鉄道や航空は打撃を受けるという事で、広告代理店から世論操作を請け負った業者が、一斉に、高速道路無料化反対の主張を並べ始めている。道路財源の無駄遣いに触れない主張ばかりという偏りが出てしまっているので、世論操作の手段としては、下手な方といえる。パブリックコメントにコメントスクラムをかけるのを請け負うよりは、発言者の身元を明らかにする必要が無い事から、やりやすかったので、やりすぎてしまったのであろう。
http://www11.ocn.ne.jp/~ques/diary/diary.html [2009.9.16]
「各党のマニフェスト(政権公約)も、あれこれ批評されてますが、やっぱり、何と言っても、民主党の『子ども手当』でしょうなぁ…」と批評しています。
0歳児から中学校卒業まで、月額2万6千円、年額31万2千円と、前代未聞の大盤振る舞い。子どもが4人いれば、15年間で1872万円! 千葉県なら、新築一戸建てが買えます!
国の税収が47兆円なのに、子ども手当だけで、年間5兆8千億円も使ってダイジョブ?という声もあります・・・
民主党の子ども手当は、とんでもない副作用がある、劇薬かも知れないのです。
年額31万2千円の子ども手当は、1ドル=95円で換算すると、3284ドルです。これに対して、インドの一人当たりGDP→978ドルベトナムの一人当たりGDP→818ドル、フィリピンの一人当たりGDP→1624ドル、インドネシアの一人当たりGDP→1924ドル、
あの経済大国になった中国だって、一人当たりGDP→2460ドルですから、日本の子ども手当は、とんでもない金額です。大変なコトが起こるかも知れません。
今だって、不良外国人やら、日本の暴力団やらが、国境を越えて、組織的犯罪を行う時代ですから、この民主党の「子ども手当」という、宝の山に目をつけないハズはないでしょう。
黄金の国ジパングをめざせ!です。フィリピン、ベトナム、中国などなど、外国人の子どもの養子縁組や偽装認知が激増するカモ…。それに、子どもが10人いれば、月額26万円ですから、よく話題になる、生活保護の詐欺みたいに、子ども手当詐欺が起きるかも知れません。
http://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-a718.html
http://morimori5555.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-a572.html
超高年収と高学歴で、自分名義でうん千万円貯金したあと専業主婦になってみて最近思うんだ、
学校って学ぶこと、群れることの楽しさを全力で教え込むのに専業主婦ライフには学びも群れもないよ。
主婦になれば個体にまで分断され力を弱められるって知っている。
職場にいたってやっぱり学校じゃないんだからって繰り返し言われる。
日本人女子ならではの素直さと適応力で、12年もいた学校という組織に過剰適応しちゃって、
高学歴もいい職もわりあい簡単に手に入れたけれど、家庭と自分の疲弊が来て辞めた。
優秀な後進に道も空けた。ウィンウィンですよ。
でも結局ネットでしかもうしゃべるところもない。
明日も明後日も1ヶ月くらいゴミだしとか家事以外予定のない孤独。
知らない人に会うのが半年ぶりな孤独、いつ昼ねしていつ夜更かししてもいい孤独。
お金使うんだって特に目的がない。芸能人とかホストとか笑止。話し相手欲しいだけ。
最初から学び直して趣味をゲットしたいけれど、
いくらでもヒマとお金つかえたら、才能なくても器用貧乏程度にはそれなりに形になっちゃいました。
お客さま気分です。講師が教えないめんどうくさいことはやらない。目の上のたんこぶになってごめんねオホホ。
って目に見えてる。申し訳なくて。
さあ、これから40年以上どうやってヒマをつぶそう。長い老後だな。
ネットながめてればいいのか。結構気が狂いそうだなあ。
========
34個ももらったの初めてで浮かれてレスつけにきました。
投資スタイルがむちゃくちゃ:不動産は新築買って住んだのに買値からほとんど下げないで売り抜けられたことが主婦の誇り(家賃無料化=給与貯蓄にまわせた)まあひとことでいうと運。
資格:そう、そんな感じ。
大学院:そういえば前職同期が大学の先生になったって挨拶状来た。いまさら専門分野に学生ヅラでもぐりこんだら先生にも迷惑。専門外は院試うけらんない。学士入学とかMBAで「立派な社会人を育成」て今更だし、群馬大医学部はわたしくらいの女性が受験したら、学力は十分なのに年齢を理由に蹴ったよね。一言でいうと私より学びが必要な若人がんばれ。
会社:不況によるパイ縮小を前提とすると今のタイミングでの既存職種内での起業は社会的正義にも合致しない。
スイーツ、旅行:結局自宅が一番よねと。どこいってもお財布がちやほやされてるだけ。食いしん坊ではあるけど日本語でスペックの書いてある日本のものを選んで食べるのが一番健康でおいしい。家でしゃぶしゃぶしたあとの雑炊バカうめえ。いい服着てでかけるためだけにエステだの外食だのコンサートだの芝居だのスイーツがあるらしいけど一人で行ってもたぶんつまんね。
実家:ありがとう、早速電話した。ただちょっと愚痴らせてもらうと実家には医者の不養生がいっぱいで「えーとどっからつっこめば」な感じも。お金の使い方も私同様みんな下手。みんなも歯にはお金惜しまずにね、インプラントでひどい目に(歯科医はいない)
どうにかだれかと友人になりたいけど、遊びにつきあわせれば堕落させそうだし、自立してる人はそもそも私にかまうヒマはない。
あと匿名だからいうけどゴミ出しにはマジうるさいよ となりんちの不燃ごみひきとってきて分別しなおすww 手帳は裁断しろバカww 在住地のゴミは9種類分別ww だが半分は結局燃やしてるの知ってるww エコ追求もだいぶ飽きたw
y_arimさん あんまり嗜虐趣味ないです。つかサドになるのって気力体力と気遣いと読み取り力がたっぷりいるよな。サドはえらい。 でも紙とか空想の上ではやるよねw 相手が空想なのですぐ考えが読み取れるし、自分が自殺する必要もなくていい感じですw 今の唯一の趣味かもw
今ちょっと思うのは、私の好みのお話なら1冊に3000円くらい出してもいい(同人誌も買い付けている)、むしろ直接作者にお布施したい。けどたぶんいきなり送りつけたら「怖い人」「ストーカー」「なにが目的」。せちがれえ、めんどくせえ
ん千万円で自分好みのアニメつくる会社設立しようかってちょっと考えたけどプロデュース能力皆無でG○NZ○とおなじことになりそうです
「はやく結婚して子供をつくんなさい」 あいにく、そんなパートナーはいないんだぜ。
少し惨めな気持ちもあるが、結婚も子供も、そんな予定は今のところないことを伝える。するとどうだ。
「子供がいないと、将来面倒みてくれる人がいなくなって困るよ」
一瞬、「HA?」とは思ったが、哀しいけど、正論と言えば正論なんだろう。
人は一人で生きられないし、“孤独死”覚悟じゃなきゃ“生涯独身貴族”なんて希望はまかり通らない。
事実祖母は祖父が亡くなってから実家(父名義の新築)で同居、親父の扶養に入った。
経済的にも身体的にも面倒をみてもらっている立場だ。それ自体はなんてことはない普通のこと。
だが、前述の理由、祖母が言った言葉がやけに耳に引っ掛かった。というかムカついた。
ばあちゃんは、自分の老後の面倒をみて貰う為に親父を産んだのだろうか。
それとも、俺の将来を心配してくれてそんな風に言うの?
“利用”や、自分らの生活を“便利”にする為につくられ、産み落とされたものならば、
それは機械やシステム、コードやコンテンツの類となんら変わりはしない。
親が子に、育ててやった恩を返せ!って強要するつもりなら、子供はどうか産まないであげて欲しいと俺は思う。
初めからつくらないであげて欲しい。俺は俺の両親に、自分を産んでくれ、育ててくれたことの恩は感じている。
感じなければ俺も機械だ。でもそれはきっと“強要”されなかったから。負担を強いられたことがなかったから。
ただ自分の人生をまっとうするだけでいいって言ってくれたから。俺含め兄弟全員に。
子供をつくろうとする人は、自発的に、産み育ててくれた恩を返したい、せめて老後の面倒はちゃんと見てあげたい、
そういう風に子供にちゃんと思われる親であって欲しい。
責任も取れないくせにヤンチャして、その負債だけ次の世代に押し付ける、どこかの国の年金問題のような真似はしないで欲しい。
子供といえども人格はある。親自身が経済的に安定もしていないくせに、産む奴の気がしれないし、棄てる奴も殺す奴も、意味が分からないし知りたくもない。
仕方なかったんだよねーで済まされる問題じゃないし、擁護する方もされる方も第一級のバカだと思う。
いつかこんな俺にも子供は欲しい。兄貴の娘を見ても可愛く思えるし、愛情だって注げる、と、思う。
でも今の俺が感じる、こんなしょうもない世界には産まれて欲しくない。
しょうもない世界がしょうもなくなくなるように、今は自分に力を注ぐ。
立ち位置が変わって、“しょうもない世界”から“素晴らしい世界”に改めて俺自身の世界観が変わった時、
隣にパートナーさえいたのなら、両者合意の上で子供をつくり、産み、育てたいと思う。
恥ずかしいが、“素晴らしい世界へようこそ”って感じで迎えたいと思っている。
そして、自分が死ぬ最期に、産まれてよかった、産んでくれてありがとう、やっぱり楽しい世界だったぜパパ!
そういう言葉を最後に言ってもらいたいなー。俺の両親にもその言葉を届けられるよう、今はめいいっぱい楽しみたい。
___________あなたは、何の為に“子供”を産む?
ラスベガスの高級感と優雅さに欠け、カネだけの博打場は限界があった
マカオは旧ポルトガル植民地。1999年に中国に返還されたが、爾後、なにが一番変わったか?
唯一の産業=博打ビジネスが以前より繁盛し、本場ラスベガスから大手三社が殴り込み、そして、大不況の到来とともに米系一社が倒産し、それでも二十四時間不夜城のマカオの博打場は盛業を極めていることだ。
旧植民地時代からのマカオ・パカタである。香港ドルとほぼ等価。ところが、マカオで、この独自通貨にお目にかかるのは稀、殆どが人民元か、香港ドルで決済されている。ホテルは米ドル建てか、香港ドル建てだ。
2004年頃までは香港ドルが圧倒的に優位だった。人民元優位に転倒がおこったのは05年以後で、いまではマカオ中のホテルでもレストランでも人民元の天下となった。香港もそうである。香港とマカオは「人民元合衆国」の一員と名付けても良いだろう。
香港とマカオは「特別行政区」で、「一国両制度」のもと、五十年間は自治が保障されている。だから独自通貨を維持している。
独自の行政法(憲法らしきもの)があり、一応、言論の自由があり、独自のパスポート(或いは居住証明)が発行され、世界中旅行できる。
しかしEUの通貨が「ユーロ」で統一されたように、人民元という通貨が共通となって、香港とマカオは中国の「出島」のごとき存在となり、“人民元合衆国”の一員となったのである。
最初にマカオへ行ったのは三十五年前だった。
香港からフェリーで行った。三時間以上かかった。船酔い客が続出した。マカオの公式の博打場はフェリー乗り場に近いリスボア・ホテルしかなかった。
このホテルはマカオ経済を牛耳るスタンレー・ホーの経営である。
筆者は麻雀もパチンコもやったことがないので、トランプ博打の遣り方を知らないが、このとき同行した弟が二十ドルほどかけて、五十ドルほど勝った。
十五年ほど前にも行った。やはりまともなホテルと博打の施設はリスボア・ホテルしかなかった。
マカオは事実上、この最大財閥=スタンレー・ホー一族の天下だった。マフィアが入り乱れ、麻薬、武器密輸、売春が盛んで、治安が悪く、筆者はもっぱら香港から日帰りだった。
返還後、行政法が改正され、外国の博打ビジネスの進出を緩和した。
一斉に博打ホテルが開業した。とくにラスベガスの大手三社、サンズ、MGM、ウィン・グループがやってきて、つぎつぎに豪華ホテルを開業し、そこに中国大陸からどっと、年間1200万の博打打ちが、あたかも中山競馬場へいくような気軽さで押しかけるようになる。
フェリー乗り場と中国との国境ゲートからは各ホテルがそれぞれ無料バスを運行している。まるで昔の面影はない。
2年前にもマカオへ行って驚嘆したことが幾つかある。
第一はマカオの通貨が殆ど使えないこと。第二は二十四時間不夜城のホテルではロシア美女のダンス、フィリピンからの楽団がショーをやっているが、本場ラスベガスのような娯楽性がない。ショッピング街が貧弱極まりない。家族で遊べない。第三に付帯設備が貧弱。エンタテインメントの風情に乏しい。そのうえ、レストランはまるで町の食堂である。
優雅に時間を過ごし、贅沢な食事をワインを飲みながら楽しみ、或いは瀟洒なショッピング・アケードを冷やかし歩くという贅沢な空間のなかに味あうリクレーションの発想がないのだ。
中国人はひたすらマネーゲームに熱中し、カネカネカネと念仏を唱え、ほかの楽しみがない。博打に勝てば美女を買うぐらい。
▲これからマカオの迷走が始まりそう
マカオには決定的に“遊び心”が欠落している。
そして2009年6月1日、マカオの「夢の市街区」(ドリームタウン)が開業した。目玉はスタンレー・一族(娘のパンシーが経営参加)とラスベガスの大手が合弁の新築ホテル「ハード・ロック・ホテル」。
認可料金も莫大で、「夢の市街区」の建設費用21億ドルのうちの、じつに40%が『ライセンス料金』としてマカオ行政府の懐に入った。
04年にラスベガスのサンズ・ホテルが開業し、06年にラスベガスのウィン・グループがリゾートホテルを建て、MGMミラージュも店開きし、07年にベネチア・ホテルも開業した。ラスベガスの御三家が揃っていた。繁栄はピークに達した。年々顧客がふえ、売り上げはラスベガスを凌いだ。
ところがラスベガスの経営者らが首を傾げた。ラスでは博打の胴元の稼ぎは、全体の売り上げの26%でしかなく、付帯設備からの売り上げが凄いのだが、マカオでは計算が狂った。
共産党幹部の出入りが激しくなったのも、ここで合法的な賄賂が受け取れるからである。業者の招待でマカオへ「出張」し、博打をする。業者が天文学的金額をかけて、故意に負ける。
共産党幹部は合法的にべらぼうな賭け金を受け取る。領収書が発行される。合法の賄賂である。
イランのガスはパキスタンから中国へルートが確定、米国勢は敗退
そもそもの新グレートゲームの始まりはクリントン政権のときである。
中東から南アジアにかけての資源争奪戦争は冷戦後新しい局面を迎えていた。
「ユノカル」は米国石油メジャーの後発企業で、カリフォルニアが地盤、ただし海外に鉱区の開発権を多く抱える。米国内での政治的コネクションが薄く、主流のメジャーは共和党系が多いため、ユノカルは民主党を頼った。
出発からボタンの掛け違いだったかも知れない。
クリントン大統領はホワイトハウスに実習生モニカ・ルインスキーを招き入れ、情事にふけっていた。
後日、大統領弾劾裁判において、「あれは挿入していないからセックスではない」ととてつもない言い逃れの詭弁でクリントンは危機を切り抜けた。
そんなおりに遠路はるばるとアフガニスタンから珍客があった。タリバン幹部である。
要件はなにか。
トルクメニスタンのガスを、アフガニスタン経由でパキスタンの港へ運ぶ。総延長1560キロのパイプラインを敷設する。これをユノカルが主導する。
米国を引きつけた魅力の第一は、このルートは「悪魔」のイランを通過しないこと。
ソ連崩壊後、世界帝国の輝きを取り戻したかの錯覚のなかに米国は酔った。
クリントン政権はこのプロジェクトに前向きで、カリフォルニアのメジャー「ユノカル」はトルクメニスタンとアフガニスタンを根回しし、それからパキスタンから分岐してインドへも輸出ルートを追加でつなげようとインドを訪問した。
インドも工業化を急ぎ、ガスは必需品、プロジェクトに乗ってきた。
これをトルクメニスタン→アフガニスタン→パキスタン→インドの頭文字をとって「TAPI」という。
直後、タリバン系アルカィーダがタンザニアなどの米国大使館を襲撃し数百の犠牲がでた。
クリントンは激怒し、ただちに報復としてインド洋上の米艦からトマホーク・ミサイルを五十発、アフガニスタンのアルカィーダ軍事基地にお見舞いした。
当時、カブールでタリバン政権に協力して電話工事をしていたのは、中国の企業だった。不発弾のトマホークを中国はタリバン政府から買った。
もちろん1560キロのパイプライン・プロジェクト[TAPI]はご破算になった。
01年9月11日、NY貿易センタービルとワシントンDCのペンタゴンが、テロリストの奇襲を受けた。ブッシュ大統領はただちにアフガニスタンへの空爆準備に入り、まずはロシアを口説いた。
旧ソ連衛星圏のカザフ、ウズベク、キルギス、タジク上空を通過して爆撃機は飛んだ。
米本土からは長距離爆撃機がウクライナ上空をかすめ、NATOはトルコの基地から旧ソ連イスラム諸国家の上空を飛んだ。
そればかりか世俗イスラム国家となったウズベキスタンとキルギスンは空軍基地を米軍に貸与し、タジキスタンには訓練基地、パキスタンも四つの空軍基地を貸した。
グレートゲームの変質を知覚していなかった。表面的に米軍の装備が優れていたため、地上戦、ゲリラ戦の抵抗をかるく想定してしまった。
仇敵ロシアとその配下だった国々がテロ撲滅戦争に協力するという目的で米軍とNATOの活動を支援したことも見通しを曇らせた。
そしてアフガニスタンに米傀儡のカルザイ政権が発足し、カブールにしか統治が及ばない新生アフガニスタンが誕生した。
ユノカルは、「あの話」(TAPI)を復活した。カルザイ政権発足直後にトルクメニスタンとアフガニスタン、パキスタンの三カ国は、例のパイプライン敷設プロジェクトで正式に合意した。
これを不快に見ていたのは第一にイラン、第二にロシア、そして第三が中国である。
密かな反撃が準備された。
イランは中国と密かに武器輸入などを交換条件として、ガス鉱区を与え、さらには25年の長期契約でガス輸出を許可していた。イランが中国からえるものは武器と核技術である。
中国は上海シックスの主導権をもつが加盟六ケ国(中ロ、カザフ、キルギス、ウズベク、タジク)にオブザーバーとして、イラン、インド、パキスタン、モンゴルを加え、あたかもNATOに対抗するかのような、東側の軍事盟主の立場を確保し始めた。
解体されたワルシャワ機構に変わるものとしてロシアは「全欧安保」を言いつのり、CIS間では個別あるいは集団的安全保障条約を結んだが、バルト三国とグルジアと、そしてトルクメニスタンが加わらなかった。
プーチンはがむしゃらにロシア帝国の栄光の復活を夢見て、バルト三国とウクライナへのガス供給をとめ、グルジアには戦争を仕掛けた。
同時に欧州がロシアルート一本のガス供給ルートを多角化するためにナブッコ、ジェイハン・ルートの建設を始めるや、同時に対抗して北方ルート、黒海ルートを提示して欧州を揺さぶっていた。
とくにオーストラリア、ブルガリア、ドイツにはそれぞれが薔薇色のシナリオを提示し、欧州の団結をそぎ、利益誘導型で西側の分断パイプライン建設を妨害する。
トルクメニスタンは砂漠の国だがイランやクエートの匹敵するほどの天然ガス埋蔵があり、いまのところ地政学的にロシアへ流通を依存せざるを得ない。
だからこそニヤゾフ前大統領はガス輸出の多角化に乗り気でアフガニスタンルートの開発が急がれた。これを“脱ロシア”化と捉えるモスクワは不愉快である。
直後、トルクメニスタンの中立路線は変更となり、新政権はややロシア寄りに外交姿勢を修復した。
そして延々と中国へ輸出される総延長7000キロものガス・パイプライン敷設工事が始まり、TAPI・ルートへの比重は軽くなった。
いや、というよりも投げやりになった。
(所詮、アフガニスタン戦争は片付かない。パキスタンは所詮、米国にはつかない)。
トルクメニスタンは変心した。
イランはこの機会を待ち望んでいた。
もともと内陸部のトルクメニスタンとアフガニスタンを経由して、パキスタンの港を目指すというユノカル案は、「イラン回避」ルートである。
だとすればイランはガス油田から運搬ルートを南下させ、南の港へパイプラインを敷設していた。全長900キロのうち、残すところはあと250キロ。
地図を凝視していただきたい。この地点からパキスタンのグァイダール港は「となり」なのである。
すでにパキスタンのムシャラフ前政権のときから、治安の悪いバルチスタン地域に中郷は労働者を運び込んで道路を建設し、資材を運び、グァイダール港を近代的港湾設備を持ったものに改築してきた。
つまりイランからパキスタンの隣町へ運ばれるガスを、この地で精製し、パイプラインでパキスタンの西安から北東へ貫き、しかもインドへは分岐せず、この点でイラン、中国、パキスタンの利害は完全に一致した。
パキスタンは白昼堂々の裏切りを演じた(ここで「裏切り」と穏当でない語彙を用いるのは米国の契約概念からみれば、そういうニュアンスだから)。
中国が最終ユーザーとなり、中国、パキスタンがともに天敵であるインドへは分岐しない。
パキスタン西端に位置するグァイダール港は、すでに中国の資本と技術をもって港湾のかたちをなしており、大々的改築(新築に近い)が進み、アラビア海に面する深海は将来、中国海軍の原潜基地になりうる。
げんに中国の六隻の軍艦はアラビア海、ソマリア沖の海賊退治に参加している。
パキスタンから中国への高速道路も着々と工事がすすみ、嘗てのカラコルム・ハイウエィは完成しているため、ガスの運輸ルートはこれに添ってパイプラインを敷設すれば良いのだ。
中国がこのルートに執着するのはマラッカ海峡への依存度を低減させるためで、ほかにもアンダマン沖合のガス田から(開発成功後は)ミャンマーを南北に貫くパイプラインを建設して、マラッカ海峡への依存度をさらに激減させる計画がある。
中国にとっては、ユノカル買収を土壇場で拒否された米国への心理的復讐劇にもなる。
パキスタンはこのパイプラインの通貨料収入を年間五億ドルと想定、つまりこれをAPAI計画では、アフガニスタンがもともと受け取る予定だったのだが。
イランとパキスタンとの正式調印はイランの大統領選挙の直後に盛大にテヘランで開催される(アジアタイムズ、5月27日、6月3日付け)
敗者はインドとアフガニスタンと米国、勝者はイランとパキスタンと中国。
ほくそ笑んだのはロシア、臍を噛んだのはトルクメニスタン、そして日本はいつものように、こうしたグレートゲームの変質さえ知らず、ユウセイの人事とか、セシュウ制とか、およそ世界の現実とは無縁の矮小な論議にエネルギーを費やしている。
同期(女)は実家暮らしだが、家に給料の半分以上を入れているらしい。すごいなーと思っていたら、今度は彼女名義のローンで新築の家を買うらしい。
これは思わず、え?となった。
親の家のローンを娘が払う。
いやー古い考え方かもしれないが、女の子は結婚したら名字が変わってしまうし、一応嫁ぐということになるのだから、となるとその家は誰のものになるの?結婚しても嫁方の親と同居する(マスオサン的に)ということなのだろうか。最近は多いし、子供を産んだりするとそっちの方が良いとは聞くけれども、しかしわざわざ後々の火種を今から作ることもあるまい。というか一人で暮らすとか自立するとかそういう考えがないんだなーと思ったりなどした。
まだ社会人になったばっかりのひよっこにその親がぶら下がっている図というのもなんとなく奇妙だし、彼女自身もずっと生活面では親に頼っていくつもりなのだろうし、となるとその夫はどこに入ることになるのか?
夫にだって自分の両親と言うのがいるんだから、嫁の方ばかり優先するわけにも頼るわけにもいかないよねぇ。けっこうそこら辺でもめるってのが増田にも出てくることがあるし、わりとセンシティブな話の気がするのに、彼女は全く問題を感じていないようだ。
同期(男性陣)はわりと自分の家をほしいというひとや、今の実家は兄弟のものになるから自分は買うという話をしていたりなどするが、家というのはそうやって代々住んでいくものだったのか、と新興住宅街に育った身として目から鱗が落ちる思いである。築20年の家ないし部屋と聞いたらまず借りないし買わないだろー一戸建てならいいのか???などと人ごとながら思ったりした。わからない。自分が家を買うところはまず想像できないし、親と一緒に暮らし続けることも想像ができない。そもそも築20年以上たったアパートに暮らしていた経験から家がどれだけガタが来るのかはわかるし、そのメンテナンスを考えるとげんなりしてしまう。日本の家は長く暮らすには向いていないのだ。特に高度経済成長期以降は長く住まうようには作られていないのに。
http://anond.hatelabo.jp/20090510053204
元増田です。
昼寝して起きたらブクマが伸びてて、また驚いた。
心配かけてすいませんでした。
さすがに家計の詳細までは書かないけれど、それなりに切り詰めているよ。それでも指摘されたことは考えてみる。
休業日はいきなり決まったことなので、バイトのシフトには組み込めなかった。
この先も2ヶ月ごとに決まるから、うまく使えるかどうかわからない。
でも追記にもかいたけど、バイトは減らすつもり。体力には自信があったけど、肉体的な疲労よりも精神的な疲労が酷いから。
保険は去年見直した。
若い人に向けて萎縮させるようなことは書きたくないけど。
同僚を見渡して人並みなんて考えて、浮ついた気持ちになってた。
それにつきる。
安くなってる、金利も低い、家賃並みで買える、将来資産になる。
それに、銀行に聞けば金貸すって言うし。銀行は商売として金が貸したいんだよ。こっちの生活のことなんて考えてない。
それに、どうせ買うなら、って考えた。実際新築で売りに出てる物件の値段ってあんまり選択肢が無いんだよ。
そこが間違いだった。もっと安いのを探せばよかったんだよ。相場なんか関係無くね。
家よりも、子どものほうが大事なんだから、学費のことをもっと計算すべきだったよ。
人生のオプションなんかじゃない。人生そのものだよ。生きて、育てる。
車や家と同列に考えられるもんじゃない。
妻にいろんなことを教わって、子どものおかげで2度人生を生きてる。子育ては最高に楽しいよ。
だから、子どもには自立してもらいたいけど、要らない苦労はさせたくない。そう思ってる。
奨学金は使ってもらわなきゃいけないかも知れないけど、その分良い家に住めてるって理解してもらうよ。
塾には行かせられなくてもバイトしなけりゃ勉強を見てやる時間もあるはずだしね。
わざわざブログに書いてもらって恐縮です。お勧めいただいた本、探して読んでみます。
ありがとうございます。
思いついて書いた愚痴に、いろんなブコメやトラバ、本当にありがとう。
冷静に、自分が健康で楽しくいられるように考えます。多分、バイトは減らすか、辞めます。
無駄に心配するのはやめて、自分の得意なことを考えて見ます。会社に切り捨てられないようにするにも有効そうだし。
今までの人間関係を生かせば、クビになってもきっと仕事も見つかる。何とかなる。
ああ、寝たら元気出た。
明日からまた頑張ります。
これまでは美容室でカットしてたんだけど、職を失ってからは専ら1000円カット。
新築高級マンションのエントランスから小太りの男が出てきて目が合った。
ユニクロで売ってるような無地のポロシャツに綿パン、アディダスのスニーカーという出で立ちに何故かバーバリーのショルダーバッグ。
アディダスとバーバリーという珍妙に着こなしに何とも言えぬ違和感があり、普通に「だせぇ」と思った。
男は無表情のまま俺のやや前方同じ方向に向け歩き始めたのだが、突然「ぶはは!」と吹き出した。
逆光で表情は見えないがガラスごしに明らかにこちらの様子を伺っている。
iPodや携帯をするでもなくガラス越しにチラチラこちらを見ながら笑いを押し殺して歩いているように見えた。
瞬間、体内の血液がカッと逆流した。
いい年で無職、スポーツ刈り、無精ひげもボーボーだし、身なりも整っていたとは言えない惨めな境遇の自分と、
悪趣味ながらもおそらく勝ち組にカテゴライズされるであろうこのブ男を瞬間的に対比してしまい、完膚なきまでに打ちのめされた。
だが次の瞬間、「この野郎!馬鹿にしやがってよ!!!!」と危うく絶叫しながら飛び掛るところだった。
これまで警察沙汰になるような事件など起こしたこともない、自他共に認める穏健派のこの俺がだ。
怒りと屈辱で未だに手が震えている。
巷では職を失った人たちの事件が紙面を賑わせているが、俺もそろそろ他人事ではなくなってきたのかも知れない。